金曜日, 1月 23, 2009
アラカワさん
沖縄のアラカワさんは、新川さんという苗字が多い。
つい、荒川さんと書いちゃいそうなんだけど、新川さんなのだ。
と、どうでもいい話はおいといて、ここ石川の街の商店街にある陶器屋さんの話。
そもそも、この街の商店街は、整備された大通り沿いに広がっているのだけど、「車社会」の沖縄では、郊外の大型スーパーが人気で、地元の商店街というのは、今ひとつ活気はない。
チラホラとシャッターが閉まってる店もあるし、空き地になっていたりする。
いつ開いているかわからない店が多いのだ。
朝晩前を通るときに閉まっていて、じゃあ、日曜日に行ってみても、やっぱり閉まっていたりするのだ。
そんな商店街の中に、小さいけど綺麗な陶器の店がある。
それが「陶器アラカワ」だ。
この間の日曜日、毎朝毎晩、この店の前をチャリで駆け抜けていて、気になっていたこの店を訪ねた。
但し、「やっているのか閉まっているのか半々」ぐらいに考えて訪ねた。
気になっていたのは、
・大切な人へ贈り物を考えていて沖縄陶器はよさそうだと思っていたこと。
・ちょうど、ご飯茶碗が割れたばかりだったこと。
・どう考えても、観光客を相手にしているようでもなく、地元の普段使いでもなく、、、場違いな雰囲気のお店という感じがして興味があった。
・チャリの行動範囲では数少ないというか、唯一の陶器屋さん。
などが理由だ。
店の前に辿り着く。入り口は全面ガラス張りで、といっても、普通のサッシで質素な感じ。
ただ、店の脇に、味のある字で「陶器アラカワ」と書いた看板が掛かっていて、これが一気に雰囲気を出してくれている。
サッシを開けると開いた。開店していた。よかった。
店に入る。まずオペラがBGMというより音楽鑑賞レベルの音量でカーテンで仕切られた奥から聞こえてくる。
そういえば、沖縄に暮らしていてオペラを聞くなんて事はなかった。いや、そもそもお店のBGMがオペラっていうのは、なかなか珍しいではないか。
荘厳な歌声の中、割と控えめに飾ってある陶器を眺める。
僕は陶器に関しては、「ずぶの素人」で、眺めるといったら本当に眺めるしか出来ないのだ。
(じゃあ、陶器以外で玄人なものがあるかというと、それもないわけだが。。。)
オペラを聴きながら、棚に並んでいる陶器を見ていると、奥から作務衣を着た年配(60才ぐらい?)の方が出てきた。
聞いた事には丁寧に応えてくれるが、商売っ気はあまりない。
かといって、とてもにこやかに話してくれるので、居心地が良い。
そして、なんと、目の前に並んでいる陶器たちは、その作務衣オジサンが自ら作っているということがわかった。
店の奥は、作業場を兼ねているようだ。
(作っている人と話ができるなんて感激!)
陶器の特徴やら、オジサンの陶器を始めたきっかけやら、店にはあまり客は来ないが何店か陶器店に卸しているとか、そんな話を聞きながら、質実剛健、っていう感じの陶器達と、そのオジサンを見比べていた。
そして、僕も、去年からこの街で暮らしていることや、仕事はこの店の近所だとか、自転車で毎日前を通っているとか、そんな話をした。
僕が去年からここに暮らしていると話したら、このオジサンは、生まれも育ちも、ここ石川の人だった。
この街の素人の僕に、この街の大玄人のオジサンだ。
オジサンは、このお店から、山の上にある石川高校に通っていたのだという。
高校当時のマラソンのコースまで教えてくれた。
僕がギブアップしてアシスト付き自転車にした、あの長い坂道を、歩いて通っていたのだそうだ。
この街の栄枯盛衰を(返還前は裁判所もあるほど沖縄の中心だったのだそうだ。映画館にいたっては5軒もあったそうだ。今は貸しビデオ屋さんすら5軒も無い。。)
このオジサンの手が、この造形を産みだすのかぁ。
もう少しお爺さんだったりすると、そのまんまドラマになるかもしれないなぁなどと失礼な事を思いつつも、やっぱり、なんか感慨深いものがあった。
作った物を前に、作った人と話ができる。なんて贅沢なんだろう。
ただ、残念な事に、茶碗も、贈ろうと思っていたマグカップも、やはり欠けていて欲しかった灰皿も、売り物には無かった。
泡盛を仏壇に供える際の急須?や、ぐい飲みや、料亭でつきだしを三品ぐらいスカスカに並べるような長ーいお皿、花器、そんな感じの品揃えだった。
諦めつつマグカップの話をした。
するとオジサンから予想もしない返事が返ってきた。
「ちょっと先になるけど、次回、マグカップを焼いてみますよ。」
(窯に火を入れる時期の都合で、一月ほど先になるようでした。)
感激。
地元の店に寄って良かったと思った。
感激のあまり、ご飯茶碗にはカナリ小さいとは思ったが、仏壇に供えるようなご飯茶碗を買った。
(湯飲みでもないし、なんなんだろうか。。。)
うるま市石川 陶器「アラカワ」をよろしく。
※後日談
翌々日、作る時のヒントになれば、と、マグカップをどんな人が/どんな風に使うのか、を、メモに書いて持っていきました。
とても喜んで引き受けてくれました。
※※沖縄の陶器の種類など
陶器(荒焼;あらやち)→1120℃ あまり釉薬(ようやく)は使わない
陶器(上焼:じょうやち)→1200℃ 釉薬を使う
やちむん→沖縄弁で「焼き物」のこと
※※※はみ出し
ずぶ=十分の、完全な、全くの。
十分濡れた→じゅうぶんぬれた→ずぶぬれ。ほー、なるほど。
木曜日, 1月 22, 2009
共依存と境界性人格障害
友人がブログで「人生観」について書いていた。
その内容は、最近になって、人生観が変わったと感じていた僕にとって、とても興味のあるものだ。
何故、最近になって人生観が変わったのか、について整理しておきたいと思う。
僕は、共依存という「心理状態」に長らく囚われていた。最近、ようやくその事実がわかった。
この共依存という「心理状態」は、どんな状態かというと、
・他人からの依頼を断れない
・話題や趣味などなど、自分に興味がなくても相手に合わせられる
・自分以外の他者が抱えた責任は義務感を感じて全うできるのに、自分個人の責任は全うしない/できない
・犠牲的行動を厭わない。むしろ、犠牲的行動が好き。
・将来どういう自分でありたいか考えられない。現実感が無い。
・最後は理由もわからずに人間関係を絶つ。放り投げる。逃避する。
という感じ。
要は、「精神的に自立していない」「自分がハッキリしない」「他者を甘えさせることで、他者に自分との関係を強く意識させ、それを生き甲斐にしようとする」、、、
そんな感じの事のようだ。
(学問的に確立した精神状態を示す言葉では無いらしい。セラピストなど現場で使われている言葉なのかもしれない。)
この、意思がハッキリしない甘やかせ上手、は、単独ではあまり問題にはならない。
ただ、真逆の「意思がハッキリした甘えん坊」とくっ付きたがるのだ。
この、ハッキリした甘えん坊、とくっつくと、共依存は悪さを発揮する。
「ハッキリした甘えん坊」が「ハッキリしない甘やかせ上手」とセットになることで、ハッキリした甘えん坊はより超ハッキリした超甘えん坊になり、ハッキリしない甘やかせ上手は、超ハッキリしない超甘やかせ上手になっていくのだ。
共依存の、たちが悪いところは、共依存の本人は自覚も無く普通に生活していくのだが、共依存にくっついたハッキリした甘えん坊は、境界性人格障害に陥っていく事も。。。
「共依存は周りを巻き込み、関わるもの全てを不幸にしてしまう」(Wikipedia)のだ。
。。。。と、共依存者一方が悪い文章を書いている時点で、共依存傾向(=自己犠牲による自己満足)があるのかもしれない。
見方を変えれば、境界性人格障害傾向のある人は、自ら、共依存傾向のある人にくっつこうとする(思う存分甘えられる環境を望む)とも言えるようだ。
ちなみに、共依存の状態では「人生観」は無かった。なぜなら自分が無いのだから。
また、共依存体質?は、幼少期に形作られるという。
・過剰な正義感を発揮したい、と思うような家庭環境。(例えば、酒乱の父から母を救いたいのような。)
なのだそうだ。僕の場合は、父は酒乱ではなかったが、そもそも、お婆ちゃんに預けられていた事もあったりして、今思えば、いくつか思い当たる節がある。
僕の場合は、この何年かに起こったいくつかの偶然で、この状態から抜け出られた。
・共依存関係を物理的に絶つ事ができた
・身内の死により自分自身を振り返る機会が出来た
・僕の行動が「普通じゃない」と指摘してくれる信頼できる人が存在した
(そして、この心理状態を明らかにしてくれた)
・部門を超えた異動ができた事で、業務上の人間関係を一から始められた
・引越しによって、日常の人間関係を一から始められた
・自分に関して、幼少の頃から最近まで、一つ一つ、振り返る時間を取れた。(文章に起こした)
・変化を感じとるだけの時間的ゆとりがあった
そんな偶然が間を置かずに数年かけて続いたのはラッキーとしか言いようがない。
そして、「抜け出られた」と感じたのはなぜか。
言葉にするとあっけないのだが、「自分(の意思)がハッキリしてきた」からだ。
自分の昂ぶる感情や、僻み、妬み、悲しい思い、喜び、そんなのが、以前は「白黒」だったのが、今は「カラー」で感じられる。
そんな感じ。
逆にストレスには弱くなった。
多分、以前はスルーできた感情のぶつかり合いなんかが、スルーできなくなったんだと思います。
心臓に毛が生えていたのが抜け落ちたような感覚です。
(笑)
とはいえ、つい先日まで、共依存なんて言葉も症例も何もしらずにいた。
普通はセラピストに相談したりするようだが、本当に、偶然の積み重なりで、いつしか抜け出ていたのだ。
そして、その言葉を知ったとき、ネットで確認し、あまりに合致するので納得したのでした。
ちなみに、自分が共依存かどうか調べられるサイトがあります。
やってみると、共依存の疑いなしとなりました。
試しに、以前の自分を思い出しながら回答してみると、「共依存の疑いあり」との判定になりました。
改めて、今、自分がとても恵まれている事を感じずにはいられませんでした。
その内容は、最近になって、人生観が変わったと感じていた僕にとって、とても興味のあるものだ。
何故、最近になって人生観が変わったのか、について整理しておきたいと思う。
僕は、共依存という「心理状態」に長らく囚われていた。最近、ようやくその事実がわかった。
この共依存という「心理状態」は、どんな状態かというと、
・他人からの依頼を断れない
・話題や趣味などなど、自分に興味がなくても相手に合わせられる
・自分以外の他者が抱えた責任は義務感を感じて全うできるのに、自分個人の責任は全うしない/できない
・犠牲的行動を厭わない。むしろ、犠牲的行動が好き。
・将来どういう自分でありたいか考えられない。現実感が無い。
・最後は理由もわからずに人間関係を絶つ。放り投げる。逃避する。
という感じ。
要は、「精神的に自立していない」「自分がハッキリしない」「他者を甘えさせることで、他者に自分との関係を強く意識させ、それを生き甲斐にしようとする」、、、
そんな感じの事のようだ。
(学問的に確立した精神状態を示す言葉では無いらしい。セラピストなど現場で使われている言葉なのかもしれない。)
この、意思がハッキリしない甘やかせ上手、は、単独ではあまり問題にはならない。
ただ、真逆の「意思がハッキリした甘えん坊」とくっ付きたがるのだ。
この、ハッキリした甘えん坊、とくっつくと、共依存は悪さを発揮する。
「ハッキリした甘えん坊」が「ハッキリしない甘やかせ上手」とセットになることで、ハッキリした甘えん坊はより超ハッキリした超甘えん坊になり、ハッキリしない甘やかせ上手は、超ハッキリしない超甘やかせ上手になっていくのだ。
共依存の、たちが悪いところは、共依存の本人は自覚も無く普通に生活していくのだが、共依存にくっついたハッキリした甘えん坊は、境界性人格障害に陥っていく事も。。。
「共依存は周りを巻き込み、関わるもの全てを不幸にしてしまう」(Wikipedia)のだ。
。。。。と、共依存者一方が悪い文章を書いている時点で、共依存傾向(=自己犠牲による自己満足)があるのかもしれない。
見方を変えれば、境界性人格障害傾向のある人は、自ら、共依存傾向のある人にくっつこうとする(思う存分甘えられる環境を望む)とも言えるようだ。
ちなみに、共依存の状態では「人生観」は無かった。なぜなら自分が無いのだから。
また、共依存体質?は、幼少期に形作られるという。
・過剰な正義感を発揮したい、と思うような家庭環境。(例えば、酒乱の父から母を救いたいのような。)
なのだそうだ。僕の場合は、父は酒乱ではなかったが、そもそも、お婆ちゃんに預けられていた事もあったりして、今思えば、いくつか思い当たる節がある。
僕の場合は、この何年かに起こったいくつかの偶然で、この状態から抜け出られた。
・共依存関係を物理的に絶つ事ができた
・身内の死により自分自身を振り返る機会が出来た
・僕の行動が「普通じゃない」と指摘してくれる信頼できる人が存在した
(そして、この心理状態を明らかにしてくれた)
・部門を超えた異動ができた事で、業務上の人間関係を一から始められた
・引越しによって、日常の人間関係を一から始められた
・自分に関して、幼少の頃から最近まで、一つ一つ、振り返る時間を取れた。(文章に起こした)
・変化を感じとるだけの時間的ゆとりがあった
そんな偶然が間を置かずに数年かけて続いたのはラッキーとしか言いようがない。
そして、「抜け出られた」と感じたのはなぜか。
言葉にするとあっけないのだが、「自分(の意思)がハッキリしてきた」からだ。
自分の昂ぶる感情や、僻み、妬み、悲しい思い、喜び、そんなのが、以前は「白黒」だったのが、今は「カラー」で感じられる。
そんな感じ。
逆にストレスには弱くなった。
多分、以前はスルーできた感情のぶつかり合いなんかが、スルーできなくなったんだと思います。
心臓に毛が生えていたのが抜け落ちたような感覚です。
(笑)
とはいえ、つい先日まで、共依存なんて言葉も症例も何もしらずにいた。
普通はセラピストに相談したりするようだが、本当に、偶然の積み重なりで、いつしか抜け出ていたのだ。
そして、その言葉を知ったとき、ネットで確認し、あまりに合致するので納得したのでした。
ちなみに、自分が共依存かどうか調べられるサイトがあります。
やってみると、共依存の疑いなしとなりました。
試しに、以前の自分を思い出しながら回答してみると、「共依存の疑いあり」との判定になりました。
改めて、今、自分がとても恵まれている事を感じずにはいられませんでした。
火曜日, 1月 20, 2009
月曜日, 1月 19, 2009
教育に飽和点なし
沖縄ではひまわりが咲いています!
夕べ、某国営放送で「カンゴロンゴ」なる番組を見た。
ちょっとしたドラマを題材に漢語/論語を紹介する番組だっんだけど、そのドラマに見入ってしまった。
ドラマは「ブラック企業」というテーマでの話だった。
舞台はIT開発企業。小さいが、成長業界で、仕事には事欠かない会社だ。
とても頑張りやさんの課長率いる開発チームでの話。
社員教育を疎かにし、むしろ、長く勤務されると困るという社長の会社。
そして、ドラマに挟み込まれる形で、
・一樹百穫なるものは人なり
・教学相長ず
なーんて言葉が紹介されていた。
「教学相長ず」、企業活動の中での教育で、ちょっと面白い事に気がついた。
ネットを使った大学や、お茶の間留学(倒産)、などなど、非対面式の教育システムはごまんとある。
そして、企業の中でも、非対面式の教育が展開されている。
株価を気にしなければならない企業は、現場でチンタラ人から人へ教育なんてやってられないのだ。
そもそも企業に限らず教育は、
教えるだけの経験を積んだ人が、直接、学ぼうとする人に教える事だった。
それが、効率を旨とする企業では、非効率だと考えるようになった。
教えるだけの経験を積んだ人は、もっと、製品やサービスの為に専念させたい。(売り上げが上がったほうが良い。)
だったら、教育を専門にする部門を作って、教育を集約した。
これは、なかなかうまく機能した。
企業文化や人格形成など製品やサービスに限らず、企業人を育てるために必須の機能になっていった。
どこの企業にも、名物講師みたいなオジサンやオバサンがいたはずだ。
そして、e-businessの時代。
教育も例外ではなかった。
名物講師のノウハウをDVDやソフトウェアに収め、受講者は、いつでも、どこでも、何回でも受講できるようになった。
そんなこんなで、その上、1/3が派遣契約の労働者になって、その人たちに対しては企業は教育はしなくても済むようになった。
うーん、いい事ばかりだ。
スキの無いソリューションだ。
立派だ。教育はコストなのだ。
「教学相長ず」
誰かが学ぶとき、教える人も学んでいくのだという事。
ということは、OJTで現場で教育をしている時は、教えられるほうと教えるほうの両方に教育効果が発揮されていたという事だ。
1対1でOJTした場合、社員2名が成長するという事だ。しかも現場で。
10名のチームに新人を一人放り込む。
そうすると、新人一人が教育されるように見えるけど、実際は先輩10名全員に教育効果が現れるのだ。
言い換えれば、教育をDVDにやらせるという事は、最低の教育効果しか得られないという事だ。
また、一見、教育にコストをかけていない企業が、もし、現場で教育しているのだとしたら、高い教育効果を発揮しているのかもしれない。
もしかしたら社会が失ってはいけないものを、生産性、効率、そんなキーワードに踊らされて失っているのかもしれない。
受験戦争が「賢い社会人」を産み出さなかったように。
その一瞬の目に見えるコストの為に、失うものは巨大だ。
「一樹百穫なるものは人なり」
収穫できなくならないよう祈るばかりだ。
夕べ、某国営放送で「カンゴロンゴ」なる番組を見た。
ちょっとしたドラマを題材に漢語/論語を紹介する番組だっんだけど、そのドラマに見入ってしまった。
ドラマは「ブラック企業」というテーマでの話だった。
舞台はIT開発企業。小さいが、成長業界で、仕事には事欠かない会社だ。
とても頑張りやさんの課長率いる開発チームでの話。
社員教育を疎かにし、むしろ、長く勤務されると困るという社長の会社。
そして、ドラマに挟み込まれる形で、
・一樹百穫なるものは人なり
・教学相長ず
なーんて言葉が紹介されていた。
「教学相長ず」、企業活動の中での教育で、ちょっと面白い事に気がついた。
ネットを使った大学や、お茶の間留学(倒産)、などなど、非対面式の教育システムはごまんとある。
そして、企業の中でも、非対面式の教育が展開されている。
株価を気にしなければならない企業は、現場でチンタラ人から人へ教育なんてやってられないのだ。
そもそも企業に限らず教育は、
教えるだけの経験を積んだ人が、直接、学ぼうとする人に教える事だった。
それが、効率を旨とする企業では、非効率だと考えるようになった。
教えるだけの経験を積んだ人は、もっと、製品やサービスの為に専念させたい。(売り上げが上がったほうが良い。)
だったら、教育を専門にする部門を作って、教育を集約した。
これは、なかなかうまく機能した。
企業文化や人格形成など製品やサービスに限らず、企業人を育てるために必須の機能になっていった。
どこの企業にも、名物講師みたいなオジサンやオバサンがいたはずだ。
そして、e-businessの時代。
教育も例外ではなかった。
名物講師のノウハウをDVDやソフトウェアに収め、受講者は、いつでも、どこでも、何回でも受講できるようになった。
そんなこんなで、その上、1/3が派遣契約の労働者になって、その人たちに対しては企業は教育はしなくても済むようになった。
うーん、いい事ばかりだ。
スキの無いソリューションだ。
立派だ。教育はコストなのだ。
「教学相長ず」
誰かが学ぶとき、教える人も学んでいくのだという事。
ということは、OJTで現場で教育をしている時は、教えられるほうと教えるほうの両方に教育効果が発揮されていたという事だ。
1対1でOJTした場合、社員2名が成長するという事だ。しかも現場で。
10名のチームに新人を一人放り込む。
そうすると、新人一人が教育されるように見えるけど、実際は先輩10名全員に教育効果が現れるのだ。
言い換えれば、教育をDVDにやらせるという事は、最低の教育効果しか得られないという事だ。
また、一見、教育にコストをかけていない企業が、もし、現場で教育しているのだとしたら、高い教育効果を発揮しているのかもしれない。
もしかしたら社会が失ってはいけないものを、生産性、効率、そんなキーワードに踊らされて失っているのかもしれない。
受験戦争が「賢い社会人」を産み出さなかったように。
その一瞬の目に見えるコストの為に、失うものは巨大だ。
「一樹百穫なるものは人なり」
収穫できなくならないよう祈るばかりだ。
日曜日, 1月 18, 2009
請負と派遣
今朝のテレビで「派遣(雇用形態)の功罪」が議論されていた。
細かい法的な話はよくわからないが、この数年前に僕が担当していた現場(システム運用のプロジェクト)で起きたことを書き記しておこう。
(きっと、この先数年で、もう一度揺り戻し?がありそうだと感じたから。)
●背景
・2006年頃
・僕が担当したチームは、社員、派遣、請負の要員がプロジェクトメンバーとなるチーム。
●発生したこと
・社会的に「偽装請負」が問題になり対応を迫られた。
(業務上、直接指示が出来るのは派遣者。派遣者・請負会社の人が混在するチームで、契約別に指示をするような実態は好ましくなかった。)
●考えたこと、条件
・派遣形態の特徴
派遣のほうが「直接指揮」できるので従来の運営が法的に問題にならない。
一方、派遣では「3~5年後に社員化」が条件になる可能性がある。(事例が少なくリスクとして捉えた)
キャリアプランが示しにくい。モチベーションコントロールが難しい。
・請負形態の特徴
直接指揮できなくなる。
直接指揮できないため、プロジェクト運営全般の見直しが必要になる。
契約内容が曖昧で実態に合っていない。
契約通りに業務を遂行した場合に、品質の変化や突発的な対応で柔軟性が失われる可能性。
・社員の形態
指揮運営できる社員と粛々と担当業務をこなす社員がいる。
上から目線の社員の態度は改めなければならない。(派遣者、請負先の方が専門家である事が多い)
年配者や業務不適合者であっても、リスペクトできる空気を作らなければならない。(契約見直しは考えられない)
●やったこと
・方針の検討
直接指揮をするか、しないか、を考えた。
結論は、全面的に請け負い形態へ転換する、としました。
- サービスが複数拠点に及ぶ
- 指示は社員から出さなければならない一方で、社員(リーダークラス)の確保も困難な地域の存在
- キャリアパスを明示してあげられない(モチベーションを高めてあげられない)
・請負先の選定、条件など
請負先が現場マネジメントができるかどうか、即時できないとしても体制を構築できるか
- 請負先が適切なリーダーを配置できるか
- 請負先が適切な後方支援体制を配置できるか
- 請負先が適切な「契約内容の見直し」「契約内容の確認プロセス」を構築できるか
- 請負先が適切な範囲で契約金額を見直せるか。
- 請負先がビジネスチャンスがあると考えるかどうか。
・派遣先の縮小および契約解消
- 現契約満了で解消の場合のリスクを見極める。
・社員の役割見直しと本人の「納得感」の醸成
●どんな風に進めたか
・コミュニケーション
契約先と話す前に、チームメンバー一人一人と「何をしたいか=仕事に何を求めるか」というテーマで面談を繰り返した。
上記の結論も、実際に話した結果、派遣形態の人と請負先の人のカラーの違いから導き出せたようにも思います。
社員に対しては、納得してもらえないベテラン社員などには、繰り返し繰り返し話を聞いて、提案して、場合によっては業務変更などもしてもらいました。
結論を出した上で、数社に渡る交渉を開始しました。
・交渉
請負先の交渉を最優先に始めた。新しい運営形態では請負先ありき、になるから。
ビジネスチャンスと捉え前向きに取り組む体制のある会社はスムーズに話が進みました。
驚いたのは従来からの派遣的な請負形態を望む会社の存在でした。請負先としても、現場リーダーの配置など現実的に対応できる「人」がいるかいないか、が、鍵になっていました。これは、法的な問題も含め、一緒に新体制を検討していきました。当然、このケースは1
年以上かけて体制を作っていく事になりました。
請負先の絞込みも検討しましたが、結果的に、そこまでは進みませんでした。
・レポート
交渉に先立ち、定期的な報告書の全面的な見直しを実施。
契約に沿った業務の数値化
請負先がアピールしやすい項目の設定→「その他/要協議事項」を設定しグレーゾーンをアピールし易い仕掛けをした。
・契約
従来の契約書内容改定案を作成、請負先との協議、見直し条項の明文化、定期会議体の契約明文化、定期会議体内容の明文化、、、、
・キーとなったこと
請負先にリーダーを務められる人材がいるかどうか
請負先にリーダーを支援する体制があるかどうか
●移行してからの気づき
・メンバーとのコミュニケーションの変化
当然、業務に関しては直接メンバー個々と具体的な話をする事は難しくなりました。
単なる「相談」を聞き、内容によっては「問題の種」だけを請負先に伝え、そんな風に対応していました。
・請負先とのコミュニケーションの変化
「対等である」事に慣れてもらうのに時間がかかりました。
レポートを軽視している、馴れ合い、を感じ、時にイライラすることもありました。
・社員とのコミュニケーションの変化
請負先との契約管理などが新たな業務として発生。慣れない社員は苦労していました。
社員間の相互リスペクトは、「リスペクトしましょー」と放っておいてはできませんでした。管理上も優先順位を上げて自ら対応する姿勢を見せ続ける必要がありました。
←具体的には、リスペクトされ難いキャラクターの社員にこそ時間を割いて会話しました。っていうか、それしか出来ませんでした。。。
・主にモチベーションを理由に派遣形態をやめたのは、今思うと、悪くない選択だった。
そんな感じだったなぁ。
いずれにせよ、法的な要請から対応せざるを得なかった、というのが本音。
以前は、大企業は来るIT化を見越してITの専門学校を立ち上げ、その卒業生を自社のIT要員に迎え入れたという。
ビジネス展開は「人の成長」に合わせていた時代もあったのだ。
人の生きるペース、というものを考えられるといいのになぁ、と、ゆっくり時間が流れるというこの島で考えるのでした。
細かい法的な話はよくわからないが、この数年前に僕が担当していた現場(システム運用のプロジェクト)で起きたことを書き記しておこう。
(きっと、この先数年で、もう一度揺り戻し?がありそうだと感じたから。)
●背景
・2006年頃
・僕が担当したチームは、社員、派遣、請負の要員がプロジェクトメンバーとなるチーム。
●発生したこと
・社会的に「偽装請負」が問題になり対応を迫られた。
(業務上、直接指示が出来るのは派遣者。派遣者・請負会社の人が混在するチームで、契約別に指示をするような実態は好ましくなかった。)
●考えたこと、条件
・派遣形態の特徴
派遣のほうが「直接指揮」できるので従来の運営が法的に問題にならない。
一方、派遣では「3~5年後に社員化」が条件になる可能性がある。(事例が少なくリスクとして捉えた)
キャリアプランが示しにくい。モチベーションコントロールが難しい。
・請負形態の特徴
直接指揮できなくなる。
直接指揮できないため、プロジェクト運営全般の見直しが必要になる。
契約内容が曖昧で実態に合っていない。
契約通りに業務を遂行した場合に、品質の変化や突発的な対応で柔軟性が失われる可能性。
・社員の形態
指揮運営できる社員と粛々と担当業務をこなす社員がいる。
上から目線の社員の態度は改めなければならない。(派遣者、請負先の方が専門家である事が多い)
年配者や業務不適合者であっても、リスペクトできる空気を作らなければならない。(契約見直しは考えられない)
●やったこと
・方針の検討
直接指揮をするか、しないか、を考えた。
結論は、全面的に請け負い形態へ転換する、としました。
- サービスが複数拠点に及ぶ
- 指示は社員から出さなければならない一方で、社員(リーダークラス)の確保も困難な地域の存在
- キャリアパスを明示してあげられない(モチベーションを高めてあげられない)
・請負先の選定、条件など
請負先が現場マネジメントができるかどうか、即時できないとしても体制を構築できるか
- 請負先が適切なリーダーを配置できるか
- 請負先が適切な後方支援体制を配置できるか
- 請負先が適切な「契約内容の見直し」「契約内容の確認プロセス」を構築できるか
- 請負先が適切な範囲で契約金額を見直せるか。
- 請負先がビジネスチャンスがあると考えるかどうか。
・派遣先の縮小および契約解消
- 現契約満了で解消の場合のリスクを見極める。
・社員の役割見直しと本人の「納得感」の醸成
●どんな風に進めたか
・コミュニケーション
契約先と話す前に、チームメンバー一人一人と「何をしたいか=仕事に何を求めるか」というテーマで面談を繰り返した。
上記の結論も、実際に話した結果、派遣形態の人と請負先の人のカラーの違いから導き出せたようにも思います。
社員に対しては、納得してもらえないベテラン社員などには、繰り返し繰り返し話を聞いて、提案して、場合によっては業務変更などもしてもらいました。
結論を出した上で、数社に渡る交渉を開始しました。
・交渉
請負先の交渉を最優先に始めた。新しい運営形態では請負先ありき、になるから。
ビジネスチャンスと捉え前向きに取り組む体制のある会社はスムーズに話が進みました。
驚いたのは従来からの派遣的な請負形態を望む会社の存在でした。請負先としても、現場リーダーの配置など現実的に対応できる「人」がいるかいないか、が、鍵になっていました。これは、法的な問題も含め、一緒に新体制を検討していきました。当然、このケースは1
年以上かけて体制を作っていく事になりました。
請負先の絞込みも検討しましたが、結果的に、そこまでは進みませんでした。
・レポート
交渉に先立ち、定期的な報告書の全面的な見直しを実施。
契約に沿った業務の数値化
請負先がアピールしやすい項目の設定→「その他/要協議事項」を設定しグレーゾーンをアピールし易い仕掛けをした。
・契約
従来の契約書内容改定案を作成、請負先との協議、見直し条項の明文化、定期会議体の契約明文化、定期会議体内容の明文化、、、、
・キーとなったこと
請負先にリーダーを務められる人材がいるかどうか
請負先にリーダーを支援する体制があるかどうか
●移行してからの気づき
・メンバーとのコミュニケーションの変化
当然、業務に関しては直接メンバー個々と具体的な話をする事は難しくなりました。
単なる「相談」を聞き、内容によっては「問題の種」だけを請負先に伝え、そんな風に対応していました。
・請負先とのコミュニケーションの変化
「対等である」事に慣れてもらうのに時間がかかりました。
レポートを軽視している、馴れ合い、を感じ、時にイライラすることもありました。
・社員とのコミュニケーションの変化
請負先との契約管理などが新たな業務として発生。慣れない社員は苦労していました。
社員間の相互リスペクトは、「リスペクトしましょー」と放っておいてはできませんでした。管理上も優先順位を上げて自ら対応する姿勢を見せ続ける必要がありました。
←具体的には、リスペクトされ難いキャラクターの社員にこそ時間を割いて会話しました。っていうか、それしか出来ませんでした。。。
・主にモチベーションを理由に派遣形態をやめたのは、今思うと、悪くない選択だった。
そんな感じだったなぁ。
いずれにせよ、法的な要請から対応せざるを得なかった、というのが本音。
以前は、大企業は来るIT化を見越してITの専門学校を立ち上げ、その卒業生を自社のIT要員に迎え入れたという。
ビジネス展開は「人の成長」に合わせていた時代もあったのだ。
人の生きるペース、というものを考えられるといいのになぁ、と、ゆっくり時間が流れるというこの島で考えるのでした。
土曜日, 1月 17, 2009
長生きすること(そして驚愕のギター早弾き)
最近、自分の年齢はもちろんだけど、母の年齢もあって考える事がある。
それは、健康に長生きする、こと。
なんとなく、「歩いている人に長寿が多い」ような気はしていた。
あと、「若い時に質素な食生活をしていた人に長寿が多い」ような気もしていた。
それから、「指先を良く使う人」「周囲とよく会話している人」とかとか。
元々、ここ沖縄は長寿で有名だった(残念ながら最近はそうでもない)地域。
その話はまた別の機会に・
今回は、なにしろ、もう少しすっきりまとまってないか、結論を知りたい!と思い、ググってみた。
いろいろ検索キーワードを試し探した。
長寿は相当ビジネスチャンスになっているようで、「売らんかな」的な情報ばかり。
すっきりした解説は、なかなか見つからない。
肌色の画像を探し出すことで身につけた検索スキルをもってしても、ずいぶんと時間がかかった。
そうして、しばらく試しながら、時々、寄り道などもしながら、ようやく、こんな情報を見つけた。
●「長生きの10の秘訣」from香港。
同じ情報が、やはり中国系のサイトに転載されている。
そして、中身もナルホド納得?な内容だ。
それは、こんな内容だ。
①身長の低い人(出典元は「アメリカの科学者によると」らしい。)
男子165~168cm
女子159~162cm
←うーん、範囲狭っ!僕は該当しない。残念。
②小太りの人(やはり出典元は「アメリカの科学者が600万人を調査した結果」らしい。)
←まぁ、元気そうなイメージですなぁ。
③頭がハゲ(出典元記載無し。男性ホルモン=活力との説明。)
←なんとなく納得。
④耳たぶが長い人(漢方で腎気=生命エネルギーが旺盛、ということらしい)
←ようやくヒット。ビックリ人間級の長さでなくてもいいんだよね?
⑤腰周りの細い人(出展元/調査対象範囲記載なし。70歳以上の95%は腰周りが細いのが根拠らしい。)
←僕はどうなの?細いの?太いの?っていうか腰周りってどこ?
⑥第一子目の人(出展元不明)
←「中国のデータでは、第一子、第二子の人の寿命が長いことが明らかになっている。90歳以上の高齢者グループのうち、これらの人は60%を占め、100歳グループになると77.3%を占めることがわかった。」
うーん、一人っ子もいるだろうしなぁ。なんだか怪しいけど僕は第一子なのでよかった。
(全国の第二子以降の方ゴメンなさい)
⑦植物に囲まれている人(出典不明/田舎の方が都会より7年長生きすると書いてある)
←なんとなく納得。
⑧夢をよく見る人(出典不明)
←「日本の研究者は、人の脳の中には睡眠に影響する物質―睡眠誘発ペプチドが存在することを発見した。夢を多く見る人はこの睡眠誘発ペプチドが少ないので長生きをする。」
と書いてあったが、理由は理解できませんでした。でも、なんかいいですね。夢を見る人は長生きできるんだ。
中国では"日本の研究者"と書くと、なんとなく説得力を増す効果があるようです。
⑨血液型B型の人(出典不明/長寿の人の中でB型は83%を占める)
←出典もよくわからないんだけど、それ以上に曖昧な割合を妙にハッキリ示してます。
でもでも、なんとなく納得できちゃう。残念ながら僕は該当せず。
⑩血圧が高めの人(出典不明/フィンランドの医師の説らしい)
←160-90前後がよいらしい。。。
ということで、香港式長寿はあまり望めないということがわかったのでした。
ググった位で長生きの秘訣にたどり着けるわけがないということなんだな。
(笑)
※はみ出し
科学的に検証した結果、バカの方が長生きできるという説を見つけました。よかった~!
※※はみ出し 続き
鳥取県は全ての町は「ちょう」村は「そん」と読むのだそうだ。
※※※はみ出し どんどん長生きとは関係ない情報へ。。。
↓音楽性はともかく、凄い!最後まで見ないと本当の凄さは見れないよ!
それは、健康に長生きする、こと。
なんとなく、「歩いている人に長寿が多い」ような気はしていた。
あと、「若い時に質素な食生活をしていた人に長寿が多い」ような気もしていた。
それから、「指先を良く使う人」「周囲とよく会話している人」とかとか。
元々、ここ沖縄は長寿で有名だった(残念ながら最近はそうでもない)地域。
その話はまた別の機会に・
今回は、なにしろ、もう少しすっきりまとまってないか、結論を知りたい!と思い、ググってみた。
いろいろ検索キーワードを試し探した。
長寿は相当ビジネスチャンスになっているようで、「売らんかな」的な情報ばかり。
すっきりした解説は、なかなか見つからない。
肌色の画像を探し出すことで身につけた検索スキルをもってしても、ずいぶんと時間がかかった。
そうして、しばらく試しながら、時々、寄り道などもしながら、ようやく、こんな情報を見つけた。
●「長生きの10の秘訣」from香港。
同じ情報が、やはり中国系のサイトに転載されている。
そして、中身もナルホド納得?な内容だ。
それは、こんな内容だ。
①身長の低い人(出典元は「アメリカの科学者によると」らしい。)
男子165~168cm
女子159~162cm
←うーん、範囲狭っ!僕は該当しない。残念。
②小太りの人(やはり出典元は「アメリカの科学者が600万人を調査した結果」らしい。)
←まぁ、元気そうなイメージですなぁ。
③頭がハゲ(出典元記載無し。男性ホルモン=活力との説明。)
←なんとなく納得。
④耳たぶが長い人(漢方で腎気=生命エネルギーが旺盛、ということらしい)
←ようやくヒット。ビックリ人間級の長さでなくてもいいんだよね?
⑤腰周りの細い人(出展元/調査対象範囲記載なし。70歳以上の95%は腰周りが細いのが根拠らしい。)
←僕はどうなの?細いの?太いの?っていうか腰周りってどこ?
⑥第一子目の人(出展元不明)
←「中国のデータでは、第一子、第二子の人の寿命が長いことが明らかになっている。90歳以上の高齢者グループのうち、これらの人は60%を占め、100歳グループになると77.3%を占めることがわかった。」
うーん、一人っ子もいるだろうしなぁ。なんだか怪しいけど僕は第一子なのでよかった。
(全国の第二子以降の方ゴメンなさい)
⑦植物に囲まれている人(出典不明/田舎の方が都会より7年長生きすると書いてある)
←なんとなく納得。
⑧夢をよく見る人(出典不明)
←「日本の研究者は、人の脳の中には睡眠に影響する物質―睡眠誘発ペプチドが存在することを発見した。夢を多く見る人はこの睡眠誘発ペプチドが少ないので長生きをする。」
と書いてあったが、理由は理解できませんでした。でも、なんかいいですね。夢を見る人は長生きできるんだ。
中国では"日本の研究者"と書くと、なんとなく説得力を増す効果があるようです。
⑨血液型B型の人(出典不明/長寿の人の中でB型は83%を占める)
←出典もよくわからないんだけど、それ以上に曖昧な割合を妙にハッキリ示してます。
でもでも、なんとなく納得できちゃう。残念ながら僕は該当せず。
⑩血圧が高めの人(出典不明/フィンランドの医師の説らしい)
←160-90前後がよいらしい。。。
ということで、香港式長寿はあまり望めないということがわかったのでした。
ググった位で長生きの秘訣にたどり着けるわけがないということなんだな。
(笑)
※はみ出し
科学的に検証した結果、バカの方が長生きできるという説を見つけました。よかった~!
※※はみ出し 続き
鳥取県は全ての町は「ちょう」村は「そん」と読むのだそうだ。
※※※はみ出し どんどん長生きとは関係ない情報へ。。。
↓音楽性はともかく、凄い!最後まで見ないと本当の凄さは見れないよ!
木曜日, 1月 15, 2009
ノンワーキングリッチ
ノンワーキングリッチ、という言葉を見かけるようになった。
ワーキングプア←→ノンワーキングリッチ、というわけだ。
この言葉、まだ、Wikipediaでも言葉の意味が定着したとは言えないなどの理由から、一旦、登録されたものの現在は削除されているようだ。(言葉の誕生から、まだ、日が浅い。)
いずれにせよ、働かない高額所得者の、「働かない」レベルも「高額所得」レベルもまだ曖昧なのであろう。
Wikipediaの削除に至ったログを読んで、なるほどと思ったのは、「窓際族」が一番近い言葉なのだという。
そして、そういえば最近は窓際族って聞かなくなったなぁと思った。
昔の「窓際族」は、「出世は諦めたオジサン」「社内史編纂のオジサン」というイメージが前面にあってあまり所得のイメージは無かった。
ただ、窓際族が高額所得かどうかなんて気にしない世の中、ワーキングプアの目立たない世の中だったのだ。
今、窓際族は、窓際の閑職に甘んじることすら許されなくなってきている。
窓の外で自由に生きていく事を考えなければならない。
※はみ出し
沖縄では先週末に、県南部/県中央で、「インフルエンザ注意報」が発令されています。
北海道は全道に渡って「警報」なんですね。
※※Wikipedia
今日はWikipediaの日らしい。なんでも、英語版のWikipediaが発足したのが2001年の1/15なのだそうだ。
ワーキングプア←→ノンワーキングリッチ、というわけだ。
この言葉、まだ、Wikipediaでも言葉の意味が定着したとは言えないなどの理由から、一旦、登録されたものの現在は削除されているようだ。(言葉の誕生から、まだ、日が浅い。)
いずれにせよ、働かない高額所得者の、「働かない」レベルも「高額所得」レベルもまだ曖昧なのであろう。
Wikipediaの削除に至ったログを読んで、なるほどと思ったのは、「窓際族」が一番近い言葉なのだという。
そして、そういえば最近は窓際族って聞かなくなったなぁと思った。
昔の「窓際族」は、「出世は諦めたオジサン」「社内史編纂のオジサン」というイメージが前面にあってあまり所得のイメージは無かった。
ただ、窓際族が高額所得かどうかなんて気にしない世の中、ワーキングプアの目立たない世の中だったのだ。
今、窓際族は、窓際の閑職に甘んじることすら許されなくなってきている。
窓の外で自由に生きていく事を考えなければならない。
※はみ出し
沖縄では先週末に、県南部/県中央で、「インフルエンザ注意報」が発令されています。
北海道は全道に渡って「警報」なんですね。
※※Wikipedia
今日はWikipediaの日らしい。なんでも、英語版のWikipediaが発足したのが2001年の1/15なのだそうだ。
月曜日, 1月 12, 2009
夕べから寒い 初めての沖縄ストーブ生活
昨日はとても良い天気で家中の窓を開け放ち、一日掛けて掃除をした。
とは言っても気合を入れて掃除したわけではなく、まず、台所のテーブルの上に積まれたダイレクトメールやレシートなんかを捨てて、久しぶりにテーブルの表面全体が目に見えたので、テーブルクロスを洗濯し、ではということで、テーブルの上をきれいに拭いて、テーブルクロスを干すついでに布団を干して、ついでに来客用の毛布を干して、こんな感じで一日がかりで家中の掃除を終えた。
「では」「ついでに」「んじゃあここも」「あぁこれも」見たいな感じの掃除。
ついでに、ちょうど痛む肩のリハビリにもなったわけだ。
そして今日。
夕べからちょっと寒いなぁ、と思ってはいた。
でも、夕べは痛んだ肩のためにも、ゆっくりお風呂に温まり、湿布を取り替え、そんなんで寝たのだ。
そして今日。昼はそこそこ天気が良かったのだが、今日は昨日と違って昼から肌寒い。
夕飯のスープ(ソーキを煮込んでみた)が出来上がって、台所で火を使わなくなったら、いっそう肌寒い。
風邪?とかも一応考えてはみたが、怪我の痛みはあるものの体調はすこぶる良い。お腹も空く。
そんな時に沖縄で知り合った元同僚(現在は転職活動中)からメール。
灯油を買ってきたとか書いてあった。
おぉ、沖縄でもストーブをつけていいのか。暖房を使っても罰金を取られたりしないのか。
大家さんや近所の人たちが見学に来て「いやぁ、これがうわさで聞いた内地のストーブですかぁ。ちばりよー。」とか言われたりしないのかぁ。
そうなんだ。沖縄でも灯油を暖房に使うんだなぁ。いい事を聞いた。
そんなんで、夕方に、一念発起して、引越し以来初めて空のポリタンク、仕舞ってあったストーブ、を出してきて、灯油を調達に。
とはいえ、痛む肩でチャリで行くわけにはいかない。秘策があった。
プロジェクトマネジメントで言うところのリスク管理ができていたのだ。
灯油の入手先は家の倉庫だ。そう。この家の湯沸かし器は灯油式なのだ。
ドラム缶ぐらいの灯油備蓄装置が倉庫にある。
お風呂なんかはこの灯油備蓄装置の先に繋がっている湯沸かし器がお湯を供給する。
そのドラム缶の蓋を開けて中をのぞく。ゲージがほぼ「満」になっていた通り、ポリタンクにつきものの、なんと呼ぶのかわからないけど水は低きに流れる原理の給油ホース「ぱふぉぱふぉホース君」でドラム缶風灯油備蓄装置からポリタンクに5Lほど移す。
そして、給油を終えてそのホースの先を取り出すときに、なぜ、「垂らしちゃいけない。慎重に。」と緊張するのかわからないが、しっかり緊張してホースの先を取り出し、それでも二滴ほど垂らしながら給油作業をドラム缶→ポリタンク、から、ポリタンク→ストーブへと作業したのでした。
計四滴ばかりの灯油を垂らしながら、ついに、初沖縄ストーブ生活が始まりました。
ストーブをつけて、かじかんだ手を温めながらしばらくすると雨が降ってきて、「あぁ、それで急に冷え込んだんだ」などと思いながら、部屋を見渡す。
部屋のど真ん中、リビングの吐き出しのサッシをよくよくよく、目をこすってよくよく見直して、近くに行ってもう一度確認してよくよく見ると、開きっぱなしでした。
あぁ、夕べから寒かったのは、ここがずーーっと開きっぱなしだったのね。
そういえば、夕べから米軍の飛行機の音が激しいと思った。
夕べ深夜の暴走族のバイクの爆音もよく部屋の中に響いていた。
ヤモリ君たちが姿を消して、いい気になって気軽に窓を開けたのが、こーゆーオチになるわけで。
ということで、戸締りはきちんとしましょぅ、という話でした。
今年初めての怪我。
ここ"うるま"でのプロジェクト全体の会議があって、そこで3分の所信表明をしました。
とはいえ、テーマは自由だったので、去年のトピックということで、チャリで遮断機に激突した話をしました。
それはそれは作りこんだパワーポイントで、チャリ→警備員→遮断機激突、をアニメで見せ、凝った分は受けたので満足していたのでした。
そんな新年初のプレゼンから三日後、一昨日の連休初日の出来事でした。
朝からウダウダ特に何をするでもなく過ごしていたのですが、お腹は空きます。
そんなんで、した事といえば、料理。
昼過ぎからカレーの下ごしらえをして、小豆を煮て(やり始めてから明日が鏡開きだと気がついた)、で、夕方、カレーのルーを投入。
がぁしかし、カレーのルーが微妙に足りない。
そんなんで、ビールも飲みたかったりしたので近所のスーパーに買い物に。
しかし、あまりに一日、のんびり過ごしていたために、時は既に警察庁の言うところの魔の時間帯。
日がちょうど暮れるか暮れないか、そんな時間に突入していたのでした。
快調にマイバイセコーは、アシスト全快で前へ進みます。
アシスト付だからといって、後ろに進まれても困ります。ちゃんと前に進んでいきました。
そして、アシストは暗いのは関係ありません。
暗くなろうが、街灯があろうが無かろうが、ドライバーがお正月明けのプレゼンで去年のトピックに自転車事故を取り上げようが、全く意に介さずです。バッテリー以外何も気にしないのがアシストなのです。
そして、安全面では何もアシストしてくれないのです。
家の前の僅かな坂道を登りきり、大きな道路に出ます。
沖縄での安全な自転車運転のコツは、ちょっと怖くても車道の左側を走ることです。もちろん、暗くなってきてますから、前後のライトも点灯させます。
ただ、この大きな道路ってものは曲者で、この交差点(T字路)では大きな道路の信号を横断してから右折することで車道の左側をキープしてスーパーに向かうのですが、この信号、よほど運がよくないと変わりません。
毎朝通る道なので、この時も、大きな道路の左側へは、横断せずに右折して右側の歩道を進みながらチャレンジ(信号だったり、車が途切れるタイミングで、横断できるチャンスがある)しようということで、致し方なく車道の右側の歩道を走っていきました。
魔の時間帯に魔のレーンを走るチャリ。
車道右側の歩道は、歩道なんだから安全のように聞こえるかもしれませんが、本当に危険です。
どれだけ危険かというと、
・車道右側の歩道に対し、路地から飛び出てくる車は、間違いなく停止線なんか関係なく車道のギリギリまでノンストップで飛び出してくる。
←ということは、全ての路地で、チャリが減速して路地から出てくる車が無いか注意しなければなりません。
・さらに歩道をふさぐ形で路地から出ようとしている車は、絶対に左側を見てくれない。これから合流しようとする道路の右側しか見ないのです。
←ということは、歩道を横切る形で車がいると、その後ろの隙間に回り込まなくてはなりません。あるいは、横切る車の手前でこちらがいったん停止しなければなりません。
(こちらに全く視線を向けてくれない、その車の前を横切るときは、もう会社に行きたくなくなった時に大切に取ってあります。二回挑戦すれば一回は必ず轢かれると断言できます。)
・そもそも、歩道が、草ぼうぼうで走れない状態だったり、歩道に軽自動車が駐車してあったり(沖縄ではよくある)すると、いちいち正面から車が向かってくる車道に出なければならない。
←これは、チャリももちろんですが、車を運転する人だって、嫌に違いありません。
・当然、たまーに、人が歩いていると、その人だって、不意に立ち止まったり反復横飛びしたりするかもしれません。
←チャリ×歩行者、の事故は起こしたくありません。死亡事故もあるのだそうです。
と、もう、危険極まりないのです。車の運転よりもよっぽど気を使います。
そんなんで、車道左側を狙いながらも、一時の事と、右側の歩道を走っていきました。
しばらくいくと、沖縄名物歩道パーキングの登場です。しかも三台連続で駐車しています。
一台目は歩道をめい一杯塞いでいるので、仕方なく、車道に降ります。
車道は、もう暗くなってきているのでライトを照らした車が正面から向かってきます。
怖い怖い。でも、こんな時のために、チャリの前を照らすLEDライトは点滅モードにしてあります。
無事に歩道パーキング一台目を通り過ぎ、すぐに怖い車道から歩道に戻ります。
すると、すぐに歩道パーキング二台目が目の前です。
これは、遠目にわかっていた通り、チャリが通り抜けられる程度、ガードレールとの間に余裕があります。
難なく駐車中の車の脇を走り抜けます。
さあ、三台目です。
もう、二台を華麗に通り過ごした僕は、三台目もガードレールとの隙間が変わらないことを確認し、その隙間に突入します。
もちろん、こういうときは、車に乗車中の人間がいないことも確認しています。
そうしないと、突然ドアが開くこともあるのですから。
そんな感じで「万全の注意」をした男のチャリは、隙間を通り抜けていきます。
もうひとつ大切な事。隙間を通り抜けるコツは、足元を見ないことです。
これは、自転車で道路の白線の上をはみ出さずに進むコツと同じです。
前輪の接地面なんかを見ていたら白線の上を走ることはできません。
視線を5m~10mぐらい先に置いて、足元はあまり意識せずに走るのがコツなのです。
この時も、ごくごく自然に、視線は足元ではなく10mほど先にあります。
三台目を通り過ぎ、車の陰で暗かったガードレールの内側、足元が、突然街灯に照らされます。
そこには、我々の税金でこしらえた、歩道を行く人に小さな幸せを届ける花壇が、歩道の縁石と同じ高さの縁石で囲まれた花壇が照らし出されます。
しかし、この時期、その花壇には花はありません。
照らし出された花壇に気がついたのは、花壇の手前1mほどだったでしょうか。
判断力とは凄いものです。
きっと僕は、「花壇に突っ込むこと」と「映画E.T.の様に花壇を飛び越える」と「無かった事にする」という選択肢全てを瞬時に却下、唯一、可能性のある賭けにでました。
それは、直角に曲がって花壇を避けることです。
その判断をした瞬間には花壇との距離は70cmであったことでしょう。
直角に曲がるために何をするか。
これは簡単です。ハンドルを直角に曲げるのです。
素晴らしい。
論理的な思考と行動。
僕も大人になったなぁ。
直角にハンドルを操作し、突然前方への推進力を90°右側に向けられた自転車は、ここぞとばかり、パナソニック純正自転車のフレーム剛性を活かしました。
体重80Kg強、お正月で更に重さを増しているにもかかわらず、しっかりフレームは剛性を保ちます。
すると、前方への推進力はまるで前輪が地上に突き刺さったように、後輪を上に持ち上げる方向に推進力の展開をします。
もう少し、スピードを出していれば、きれいに、後輪が大車輪の様に180°転回し、私は何事も無かったかのように後方に自転車を漕ぎ出したかもしれません。
しかし、いかんせん、魔の時刻、魔の歩道走行、大人な僕は、スピードは出していませんでした。
30°ほど後輪を浮かせただけで、前方への推進力は吸収され、パナソニックの剛性の高いフレームは前輪を軸に車体を45°ほど右に回転させます。
パナソニック製フレームでできていない僕の体だけが慣性の法則と引力によって前方の花壇の敷石めがけて落下していきます。
ハンドルを握ったままのつもりだったのでしょうか、最初に地面に接したのは、右手の甲でした。
次に体重のほとんどを支えたのが左の肩と花壇の敷石でした。
ボトッ。ドタッ。バタッ。
冴えない音の後、マイ自転車とセクシーに絡み合う僕の身体。
その場所は、事務所かなんかに面していて、半分閉じたシャッターの中で話し込んでいたおじさんたちがこちらを見ています。
あぁ、この人たちが三台の車を停めていたんだ。。。
歩道に横たわった僕の視界にシャッターの奥の様子がよく見えます。ちょうど、覗き込んでいる姿勢です。
向こうもシャッターの下からこちらを覗き込んでいます。
心の中で「こんばんは。特にどうということはありません。見ないでもらえると助かります。」と、挨拶します。
その一人がシャッターをくぐり抜けて出てきました。
あぁ、やっぱり来ちゃうのね。。。
「大丈夫?」と声を掛けられます。
立ち上がりながら、ほぼ反射的に、
「大丈夫です」と応え、ひょっとすると、照れ笑いを浮かべながら、自転車を起こし、パタパタと洋服の埃を叩いて、その場を立ち去ったのでした。「どーもー」ぐらいの挨拶をした気もします。
再び自転車を漕ぎます。
まず、自転車が壊れていないことを確認し、身体のあちこちが痛いことを確認しながらスーパーに行ったのでした。
遮断機事件の怪我の程度を「10」とした場合、今回は軽症です。「7」ぐらいでしょうか。
何より、顔面の痛みが無いことで救われます。
手の甲は表面が抉られたような傷、左の肩は手を伸ばして上に上げようとすると痛みで上げられません。(この二日間、シップを貼っていたからか痛みは引いてきました。じっとしていれば痛くはありません。)
うーん、僕は生きているんだなぁ。
だって痛いもの。
これでしっかり教訓が活きます。
喉元過ぎたら思い出せばよいのです。
今年も安全にチャリ生活を送ることができる。。。。トホホ。
↓これは湿布貼りアシストなの?
とはいえ、テーマは自由だったので、去年のトピックということで、チャリで遮断機に激突した話をしました。
それはそれは作りこんだパワーポイントで、チャリ→警備員→遮断機激突、をアニメで見せ、凝った分は受けたので満足していたのでした。
そんな新年初のプレゼンから三日後、一昨日の連休初日の出来事でした。
朝からウダウダ特に何をするでもなく過ごしていたのですが、お腹は空きます。
そんなんで、した事といえば、料理。
昼過ぎからカレーの下ごしらえをして、小豆を煮て(やり始めてから明日が鏡開きだと気がついた)、で、夕方、カレーのルーを投入。
がぁしかし、カレーのルーが微妙に足りない。
そんなんで、ビールも飲みたかったりしたので近所のスーパーに買い物に。
しかし、あまりに一日、のんびり過ごしていたために、時は既に警察庁の言うところの魔の時間帯。
日がちょうど暮れるか暮れないか、そんな時間に突入していたのでした。
快調にマイバイセコーは、アシスト全快で前へ進みます。
アシスト付だからといって、後ろに進まれても困ります。ちゃんと前に進んでいきました。
そして、アシストは暗いのは関係ありません。
暗くなろうが、街灯があろうが無かろうが、ドライバーがお正月明けのプレゼンで去年のトピックに自転車事故を取り上げようが、全く意に介さずです。バッテリー以外何も気にしないのがアシストなのです。
そして、安全面では何もアシストしてくれないのです。
家の前の僅かな坂道を登りきり、大きな道路に出ます。
沖縄での安全な自転車運転のコツは、ちょっと怖くても車道の左側を走ることです。もちろん、暗くなってきてますから、前後のライトも点灯させます。
ただ、この大きな道路ってものは曲者で、この交差点(T字路)では大きな道路の信号を横断してから右折することで車道の左側をキープしてスーパーに向かうのですが、この信号、よほど運がよくないと変わりません。
毎朝通る道なので、この時も、大きな道路の左側へは、横断せずに右折して右側の歩道を進みながらチャレンジ(信号だったり、車が途切れるタイミングで、横断できるチャンスがある)しようということで、致し方なく車道の右側の歩道を走っていきました。
魔の時間帯に魔のレーンを走るチャリ。
車道右側の歩道は、歩道なんだから安全のように聞こえるかもしれませんが、本当に危険です。
どれだけ危険かというと、
・車道右側の歩道に対し、路地から飛び出てくる車は、間違いなく停止線なんか関係なく車道のギリギリまでノンストップで飛び出してくる。
←ということは、全ての路地で、チャリが減速して路地から出てくる車が無いか注意しなければなりません。
・さらに歩道をふさぐ形で路地から出ようとしている車は、絶対に左側を見てくれない。これから合流しようとする道路の右側しか見ないのです。
←ということは、歩道を横切る形で車がいると、その後ろの隙間に回り込まなくてはなりません。あるいは、横切る車の手前でこちらがいったん停止しなければなりません。
(こちらに全く視線を向けてくれない、その車の前を横切るときは、もう会社に行きたくなくなった時に大切に取ってあります。二回挑戦すれば一回は必ず轢かれると断言できます。)
・そもそも、歩道が、草ぼうぼうで走れない状態だったり、歩道に軽自動車が駐車してあったり(沖縄ではよくある)すると、いちいち正面から車が向かってくる車道に出なければならない。
←これは、チャリももちろんですが、車を運転する人だって、嫌に違いありません。
・当然、たまーに、人が歩いていると、その人だって、不意に立ち止まったり反復横飛びしたりするかもしれません。
←チャリ×歩行者、の事故は起こしたくありません。死亡事故もあるのだそうです。
と、もう、危険極まりないのです。車の運転よりもよっぽど気を使います。
そんなんで、車道左側を狙いながらも、一時の事と、右側の歩道を走っていきました。
しばらくいくと、沖縄名物歩道パーキングの登場です。しかも三台連続で駐車しています。
一台目は歩道をめい一杯塞いでいるので、仕方なく、車道に降ります。
車道は、もう暗くなってきているのでライトを照らした車が正面から向かってきます。
怖い怖い。でも、こんな時のために、チャリの前を照らすLEDライトは点滅モードにしてあります。
無事に歩道パーキング一台目を通り過ぎ、すぐに怖い車道から歩道に戻ります。
すると、すぐに歩道パーキング二台目が目の前です。
これは、遠目にわかっていた通り、チャリが通り抜けられる程度、ガードレールとの間に余裕があります。
難なく駐車中の車の脇を走り抜けます。
さあ、三台目です。
もう、二台を華麗に通り過ごした僕は、三台目もガードレールとの隙間が変わらないことを確認し、その隙間に突入します。
もちろん、こういうときは、車に乗車中の人間がいないことも確認しています。
そうしないと、突然ドアが開くこともあるのですから。
そんな感じで「万全の注意」をした男のチャリは、隙間を通り抜けていきます。
もうひとつ大切な事。隙間を通り抜けるコツは、足元を見ないことです。
これは、自転車で道路の白線の上をはみ出さずに進むコツと同じです。
前輪の接地面なんかを見ていたら白線の上を走ることはできません。
視線を5m~10mぐらい先に置いて、足元はあまり意識せずに走るのがコツなのです。
この時も、ごくごく自然に、視線は足元ではなく10mほど先にあります。
三台目を通り過ぎ、車の陰で暗かったガードレールの内側、足元が、突然街灯に照らされます。
そこには、我々の税金でこしらえた、歩道を行く人に小さな幸せを届ける花壇が、歩道の縁石と同じ高さの縁石で囲まれた花壇が照らし出されます。
しかし、この時期、その花壇には花はありません。
照らし出された花壇に気がついたのは、花壇の手前1mほどだったでしょうか。
判断力とは凄いものです。
きっと僕は、「花壇に突っ込むこと」と「映画E.T.の様に花壇を飛び越える」と「無かった事にする」という選択肢全てを瞬時に却下、唯一、可能性のある賭けにでました。
それは、直角に曲がって花壇を避けることです。
その判断をした瞬間には花壇との距離は70cmであったことでしょう。
直角に曲がるために何をするか。
これは簡単です。ハンドルを直角に曲げるのです。
素晴らしい。
論理的な思考と行動。
僕も大人になったなぁ。
直角にハンドルを操作し、突然前方への推進力を90°右側に向けられた自転車は、ここぞとばかり、パナソニック純正自転車のフレーム剛性を活かしました。
体重80Kg強、お正月で更に重さを増しているにもかかわらず、しっかりフレームは剛性を保ちます。
すると、前方への推進力はまるで前輪が地上に突き刺さったように、後輪を上に持ち上げる方向に推進力の展開をします。
もう少し、スピードを出していれば、きれいに、後輪が大車輪の様に180°転回し、私は何事も無かったかのように後方に自転車を漕ぎ出したかもしれません。
しかし、いかんせん、魔の時刻、魔の歩道走行、大人な僕は、スピードは出していませんでした。
30°ほど後輪を浮かせただけで、前方への推進力は吸収され、パナソニックの剛性の高いフレームは前輪を軸に車体を45°ほど右に回転させます。
パナソニック製フレームでできていない僕の体だけが慣性の法則と引力によって前方の花壇の敷石めがけて落下していきます。
ハンドルを握ったままのつもりだったのでしょうか、最初に地面に接したのは、右手の甲でした。
次に体重のほとんどを支えたのが左の肩と花壇の敷石でした。
ボトッ。ドタッ。バタッ。
冴えない音の後、マイ自転車とセクシーに絡み合う僕の身体。
その場所は、事務所かなんかに面していて、半分閉じたシャッターの中で話し込んでいたおじさんたちがこちらを見ています。
あぁ、この人たちが三台の車を停めていたんだ。。。
歩道に横たわった僕の視界にシャッターの奥の様子がよく見えます。ちょうど、覗き込んでいる姿勢です。
向こうもシャッターの下からこちらを覗き込んでいます。
心の中で「こんばんは。特にどうということはありません。見ないでもらえると助かります。」と、挨拶します。
その一人がシャッターをくぐり抜けて出てきました。
あぁ、やっぱり来ちゃうのね。。。
「大丈夫?」と声を掛けられます。
立ち上がりながら、ほぼ反射的に、
「大丈夫です」と応え、ひょっとすると、照れ笑いを浮かべながら、自転車を起こし、パタパタと洋服の埃を叩いて、その場を立ち去ったのでした。「どーもー」ぐらいの挨拶をした気もします。
再び自転車を漕ぎます。
まず、自転車が壊れていないことを確認し、身体のあちこちが痛いことを確認しながらスーパーに行ったのでした。
遮断機事件の怪我の程度を「10」とした場合、今回は軽症です。「7」ぐらいでしょうか。
何より、顔面の痛みが無いことで救われます。
手の甲は表面が抉られたような傷、左の肩は手を伸ばして上に上げようとすると痛みで上げられません。(この二日間、シップを貼っていたからか痛みは引いてきました。じっとしていれば痛くはありません。)
うーん、僕は生きているんだなぁ。
だって痛いもの。
これでしっかり教訓が活きます。
喉元過ぎたら思い出せばよいのです。
今年も安全にチャリ生活を送ることができる。。。。トホホ。
↓これは湿布貼りアシストなの?
土曜日, 1月 10, 2009
Real "Fight club"
こんな動画を見つけました。
本当かどうかはわからないけど、映画Fight Clubそのまま(映画ではスマイルマークの形に火を放っていた)のシーン。
話は変わって、先日のニュースでiTunesで配信する音楽ファイルがDRMフリー*になるらしいです。
*コピー可能なファイル形式。
まさにDRMめんどーでiTunesは使わない僕なのですが、DRMフリーならいいかも。
っていうか、いい加減にMP3で配信すればいいのにな。
そんなわけで、DRMめんどーで、Jamendo。
連休は寒そうだし、TSUTAYAでDVDでも借りてきて引きこもろうかなぁ。
そんな正月ボケな週末なのでした。
本当かどうかはわからないけど、映画Fight Clubそのまま(映画ではスマイルマークの形に火を放っていた)のシーン。
話は変わって、先日のニュースでiTunesで配信する音楽ファイルがDRMフリー*になるらしいです。
*コピー可能なファイル形式。
まさにDRMめんどーでiTunesは使わない僕なのですが、DRMフリーならいいかも。
っていうか、いい加減にMP3で配信すればいいのにな。
そんなわけで、DRMめんどーで、Jamendo。
連休は寒そうだし、TSUTAYAでDVDでも借りてきて引きこもろうかなぁ。
そんな正月ボケな週末なのでした。
木曜日, 1月 08, 2009
火曜日, 1月 06, 2009
土曜日, 1月 03, 2009
木曜日, 1月 01, 2009
日々幸福。2009年尚幸福。
実家にて。
3年越しの入院が続く82歳の大叔父を見舞いに行った。
声を掛け、手を握り、髪を撫でる。
一年以上意識の無い大叔父の意識が戻る筈も無く、、
と、それまで息をする度に響く苦しそうだった呼吸音がスーッと穏やかな呼吸に変わった。
そんな静かなコミュニケーションもあるんだな。