たくさん食べた。
おにぎり、
カップヌードル、
コーヒー、
お茶、
キリタンポ汁、
柿の種、
みかん、
コーヒー、
シュークリーム、
蕎麦せんべい、
栗ご飯、
きのこ汁、
切干大根の和え物、
タラの粕漬け、
おしんこ、
焼肉、
ビール、
お茶、
辛シソ、
ビール、
リンゴ、
黒糖ナッツ、
ミックスナッツ、
コーヒー、
そして、年越し蕎麦を待つ今。
たくさんありがとう。
そして、ちょっとごめんなさい。
日曜日, 12月 28, 2008
かーーーっつ(喝)
日曜日、朝、起きた時間からサンデーモーニング(TBS)を観る。
時に、起きた時間には終わっているんだけど、今朝観ていて面白いシーンに出会った。
それは「喝っ!」のコーナー。正確には「ご意見番スポーツ」のコーナー。
往年のプロ野球選手達の試合で、小松投手が足を攣って退場した。
小松投手は以前は右足を攣って退場、今度は左足を攣って退場になったという事だった。
そのシーンが終わり、いつもの「かーーーーっつ」が飛び出し、水戸黄門のように、お決まりのほのぼの感が漂ったスタジオと僕。
その直後に事件は起こった。
かーーーーっつお爺ちゃんの張本さんのコメントだ。
「喝だ。右足攣って、今度は左足。じゃあ、次はどこだっちゅー話ですよ。」
この後の言葉は聞き逃したが、スタジオではニヤニヤした周囲のコメンテーター達と照れ笑いの張本お爺ちゃん。関口さんの「まぁまぁ」という仕草のフォロー。
ここで、鈍い僕でも気がついた。あぁ、オヤジギャグね。真ん中の足っちゅー話ね。まったくもー。
そして機転の利くディレクター?の演出で、張本お爺ちゃんを映し出してひときわ大きい効果音で「かーーーっつ」!
これには笑った。
そもそも、いつも、失言が多くて、「お前が喝だーっ」とテレビの前で思っていた僕。
こんな瞬間に出会えるとは思わなかった。
暗いニュース、来年の今頃、どうしているんだろうと考えずにはいられないニュースばかりだった。
そんな時に、かなりホッとした出来事。
人は、実は相当シンプルになんだと実感した瞬間でした。同時に自分のオヤジ臭さに独り照れ笑い。
(いや、単に僕がアホなだけなのか。。。)
※はみ出し:そういえば、最近はテレビを見る時間の90%(そもそもテレビ見る時間は激減)は生放送だ。
※※はみ出し:サンデーモーニングの女性キャスター?アシスタント?は押しなべて好みである。→こんなとこにも自分の加齢臭が漂っている。。
時に、起きた時間には終わっているんだけど、今朝観ていて面白いシーンに出会った。
それは「喝っ!」のコーナー。正確には「ご意見番スポーツ」のコーナー。
往年のプロ野球選手達の試合で、小松投手が足を攣って退場した。
小松投手は以前は右足を攣って退場、今度は左足を攣って退場になったという事だった。
そのシーンが終わり、いつもの「かーーーーっつ」が飛び出し、水戸黄門のように、お決まりのほのぼの感が漂ったスタジオと僕。
その直後に事件は起こった。
かーーーーっつお爺ちゃんの張本さんのコメントだ。
「喝だ。右足攣って、今度は左足。じゃあ、次はどこだっちゅー話ですよ。」
この後の言葉は聞き逃したが、スタジオではニヤニヤした周囲のコメンテーター達と照れ笑いの張本お爺ちゃん。関口さんの「まぁまぁ」という仕草のフォロー。
ここで、鈍い僕でも気がついた。あぁ、オヤジギャグね。真ん中の足っちゅー話ね。まったくもー。
そして機転の利くディレクター?の演出で、張本お爺ちゃんを映し出してひときわ大きい効果音で「かーーーっつ」!
これには笑った。
そもそも、いつも、失言が多くて、「お前が喝だーっ」とテレビの前で思っていた僕。
こんな瞬間に出会えるとは思わなかった。
暗いニュース、来年の今頃、どうしているんだろうと考えずにはいられないニュースばかりだった。
そんな時に、かなりホッとした出来事。
人は、実は相当シンプルになんだと実感した瞬間でした。同時に自分のオヤジ臭さに独り照れ笑い。
(いや、単に僕がアホなだけなのか。。。)
※はみ出し:そういえば、最近はテレビを見る時間の90%(そもそもテレビ見る時間は激減)は生放送だ。
※※はみ出し:サンデーモーニングの女性キャスター?アシスタント?は押しなべて好みである。→こんなとこにも自分の加齢臭が漂っている。。
土曜日, 12月 27, 2008
初めてシリーズ 年賀状
念のために言っておくが、正確には初めてではない。
多分、15年ぶりぐらいだろう。
でも、初めてシリーズとしたのは、いずれ書いていた当時は「書かなくちゃ」で書いていた年賀状。
それが、「書きたいな」に変わって初めてだということで、そういう意味で初めてシリーズなのです。
(って誰に断る必要があるのかもわかんないけど。)
「書きたいな」の割に、ようやく、やっとのことで年賀状を書いた。
書いたとは言っても、地元の挿絵付き年賀状はがきに、先月、年賀状用にと近所のビーチを撮った写真を差し込んで、今年のトピックスを書いた内容を印刷。
あとは、宛先を一つ一つ書いて(以前だったら印刷したところ)、一言添えて、10数枚にそこそこ時間が掛かった。
(印刷した内容だって1時間かそこらは費やしているから、トータル、3時間程度ってことか)
以前は、宛先も何もかも「印刷」していた。
そして、年賀状を作る時、唯一その時だけがプリンターが活躍する時だった。
15年も年賀状を書いていないと、当たり前だが、年賀状をいただく事も少なくなる。
そもそも、住所まで知っている知人が本当に少ない。
また、不幸にして家庭崩壊なんて事をやってしまうと、そもそも住所録は、別れた妻が管理していたのもあって、だらしない僕には住所を調べることすら手に負えない作業。
いや、そんなのは大した問題じゃない。
メールなんかが普及して、野放図にギリを果たそうとすれば、もう、何百枚も出さなきゃならないアホナ状況に嫌気が差したのが15年前。
本当なら、そこで、自分なりに考えればよかったのに、考えずに、放棄したのだ。
出す相手をみんなどうやって選択するんだろう。
今年の僕の選択はこうだ。
●出す相手
・年賀状以外のコミュニケーションは皆無で、年賀状で音信を取り合わないと切れてしまいそうで、でも、切れちゃうのは嫌な相手。
←これは出しとくべきだな。
・何らかの犠牲(金銭、モノ、気持ち)を払ってまでのお世話になった人。
←これは必要。
・自分の大切な人(家族)がお世話になっていて、なかなか普段の生活ではコミュニケーションが無い人。
←年賀状っていう習慣を活用。
●無理して出さない相手
・日常的にやり取りや会ったりしている人で、お世話にはなっていても「犠牲」とかいうと恐縮してしまうレベルの人。
←ここ、微妙。でも、この周辺の人は住所を知らずに済んでいるっていう事も多い。
うーん、やはり、「お世話になった人」で「ガーっと増える」のを理由に出さないのが気がかり。
ま、この範疇は、普段の付き合いの深さを勘案して対応かな。
それ以外に、「出せない人」多数。住所わかんないとか、「どの面下げてめでたい日に連絡なんかよこしやがって」なーんてのも、あるにはあるわけで。。。。
そして、汚い字ながらも全ての宛先を書き終えたとき(たった10枚足らずにも関わらず)、なんかホッとしました。
それにしても、個人情報保護のお陰で、あまりに「お付き合い」的な年賀状が少なくなったのは良かったかな。(出さない人がそんな事を言えたもんじゃないが。。)
そんな中でも毎年送ってくれる旧友には、大変失礼なことをしたもんだと今更ながら反省。
面倒くさがりなので、「選択する」手間を考えた時に、「出さない」を選ぶという、本末転倒、フルーツは昆松な年末なのでした。
※はみ出し:
宛名を印刷していた頃はEXCELの住所録をWORDの差込印刷の機能を使ってやってました。
でも、10数枚の年賀状なら、一枚一枚手書きでも充分(字は汚いけど。。。)で、そこまでやる気にならなかったな。
※※はみはみ出し:
パソコン(ワープロ)やプリンタが無かった時代、そういえば、年末も押し迫てきた時期に母が夜遅くまで年賀状を書いていた事を思い出す。
あの頃は、簡単な挿絵と「賀正」なんかが印刷された年賀状に、二~三行のメッセージを書いていたような。
一行書くのも、結構、考え考え書いてて遅々として進まないのに、昔の人は偉かった!(or くれ正月
※※※はみはみはみ出し:
宛名で困った(単に非常識、、、)のが、宛先受取人の年代によって、ご主人の名前だけにしてみたり、ご夫婦連名にしてみたり、"ご家族様"と添えてみたり、と微妙な使い分けで考え込んだ。
多分、15年ぶりぐらいだろう。
でも、初めてシリーズとしたのは、いずれ書いていた当時は「書かなくちゃ」で書いていた年賀状。
それが、「書きたいな」に変わって初めてだということで、そういう意味で初めてシリーズなのです。
(って誰に断る必要があるのかもわかんないけど。)
「書きたいな」の割に、ようやく、やっとのことで年賀状を書いた。
書いたとは言っても、地元の挿絵付き年賀状はがきに、先月、年賀状用にと近所のビーチを撮った写真を差し込んで、今年のトピックスを書いた内容を印刷。
あとは、宛先を一つ一つ書いて(以前だったら印刷したところ)、一言添えて、10数枚にそこそこ時間が掛かった。
(印刷した内容だって1時間かそこらは費やしているから、トータル、3時間程度ってことか)
以前は、宛先も何もかも「印刷」していた。
そして、年賀状を作る時、唯一その時だけがプリンターが活躍する時だった。
15年も年賀状を書いていないと、当たり前だが、年賀状をいただく事も少なくなる。
そもそも、住所まで知っている知人が本当に少ない。
また、不幸にして家庭崩壊なんて事をやってしまうと、そもそも住所録は、別れた妻が管理していたのもあって、だらしない僕には住所を調べることすら手に負えない作業。
いや、そんなのは大した問題じゃない。
メールなんかが普及して、野放図にギリを果たそうとすれば、もう、何百枚も出さなきゃならないアホナ状況に嫌気が差したのが15年前。
本当なら、そこで、自分なりに考えればよかったのに、考えずに、放棄したのだ。
出す相手をみんなどうやって選択するんだろう。
今年の僕の選択はこうだ。
●出す相手
・年賀状以外のコミュニケーションは皆無で、年賀状で音信を取り合わないと切れてしまいそうで、でも、切れちゃうのは嫌な相手。
←これは出しとくべきだな。
・何らかの犠牲(金銭、モノ、気持ち)を払ってまでのお世話になった人。
←これは必要。
・自分の大切な人(家族)がお世話になっていて、なかなか普段の生活ではコミュニケーションが無い人。
←年賀状っていう習慣を活用。
●無理して出さない相手
・日常的にやり取りや会ったりしている人で、お世話にはなっていても「犠牲」とかいうと恐縮してしまうレベルの人。
←ここ、微妙。でも、この周辺の人は住所を知らずに済んでいるっていう事も多い。
うーん、やはり、「お世話になった人」で「ガーっと増える」のを理由に出さないのが気がかり。
ま、この範疇は、普段の付き合いの深さを勘案して対応かな。
それ以外に、「出せない人」多数。住所わかんないとか、「どの面下げてめでたい日に連絡なんかよこしやがって」なーんてのも、あるにはあるわけで。。。。
そして、汚い字ながらも全ての宛先を書き終えたとき(たった10枚足らずにも関わらず)、なんかホッとしました。
それにしても、個人情報保護のお陰で、あまりに「お付き合い」的な年賀状が少なくなったのは良かったかな。(出さない人がそんな事を言えたもんじゃないが。。)
そんな中でも毎年送ってくれる旧友には、大変失礼なことをしたもんだと今更ながら反省。
面倒くさがりなので、「選択する」手間を考えた時に、「出さない」を選ぶという、本末転倒、フルーツは昆松な年末なのでした。
※はみ出し:
宛名を印刷していた頃はEXCELの住所録をWORDの差込印刷の機能を使ってやってました。
でも、10数枚の年賀状なら、一枚一枚手書きでも充分(字は汚いけど。。。)で、そこまでやる気にならなかったな。
※※はみはみ出し:
パソコン(ワープロ)やプリンタが無かった時代、そういえば、年末も押し迫てきた時期に母が夜遅くまで年賀状を書いていた事を思い出す。
あの頃は、簡単な挿絵と「賀正」なんかが印刷された年賀状に、二~三行のメッセージを書いていたような。
一行書くのも、結構、考え考え書いてて遅々として進まないのに、昔の人は偉かった!(or くれ正月
※※※はみはみはみ出し:
宛名で困った(単に非常識、、、)のが、宛先受取人の年代によって、ご主人の名前だけにしてみたり、ご夫婦連名にしてみたり、"ご家族様"と添えてみたり、と微妙な使い分けで考え込んだ。
水曜日, 12月 24, 2008
火曜日, 12月 23, 2008
都会と地方
市役所だの免許証書き換えだのがあり、引越し前の街で手続きをした。
いつも、いや、いつの間にか「都会が忘れた人との触れ合いが沖縄には残っている」みたいな先入観があったんだけど、どうも、そういう事では無いという話。
免許証用のインスタント写真を撮ろうと、駅の構内にある写真スタンドに入ろうとすると、一人のお婆ちゃんが説明書きを読んで立っている。
「よろしいですか?」と聞くと、「下の方が安いんですよ」と。
よく聞くと、地下にもインスタント写真があって、お婆ちゃんが欲しいサイズピッタリのが無かったので1Fも確認したのだが、結局サイズは同じなので下で撮ろうと考えていた、との事。
駅の構内だと700円なんだけど、地下街だと500円なんだそうだ。
そんな話をしながら、なんとなく意気投合して一緒に安い下のインスタント写真へ。
地下までのほんの少しの間だけど、お婆ちゃんが市営バスのパス用の写真を撮りにきたこと、僕は免許証、バスで散歩するのが楽しみなこと、僕は車は持ってないけど身分証代わりに必要なんだとか、お婆ちゃんも身内からパスポートを取れと言われてること、そんな話をワイワイ話しながら、順番に写真を撮って別れた。
あちこち、きっと師走っぽい忙しい顔をして早足で歩いていたそんな日に、予想外に楽しいプチデートになった。
何がどうという話では無い。
ただ、都会でも、そんな風に人との触れ合いはあるし、以前の自分にそんな感覚が無かったのは「自分がバリアーを張っていた」だけだと気がついた。
以前は気取ってたのかな。カッコつけてたのかな。
今となってはわからないけど、そうやって人と触れ合った後、ほんのちょっぴり暖かな気持ちになれて、嬉しかった。
日曜日, 12月 21, 2008
自分の人生を映画で観るということ
遅まきながら?「ニューシネマパラダイス」を観た。
多分、僕以外の人は相当観ていると思われるので、ストーリーはおいとく。
とにかく、涙が溢れた。
悲しい話?感動する話?
どれでもない、見終わった直後には、ストーリーの何かに心を打たれたと思っていたんだけど、一晩経って、それは違うと思った。
この映画、観た人に対して観た人の「自分の人生」をまざまざと見せつけるのだ。
映画の登場人物の人生を具間観たはずなのに、「自分の人生」を観た気になるんだ。
観た人それぞれに、血の繋がった両親に限らず、自分を育ててくれたかけがいの無い人がいて、死ぬまで忘れることの無い愛した異性がいて、夢中になった仕事があって、過ちがあって、成功があって、後悔があって、喜びがあって、、、
見終わった後に、まるで自分の人生を映画で観たかのような思いにさせてくれる映画。
主人公の環境やストーリーと観た人の人生に共通点は無いように思える。
でも、人が生きていく根っこは実は同じ。その根っこを見せられ、理屈ではなく、自分の人生を感じさせてくれる映画でした。
それは、とても不思議な感覚。
美しいシチリア島の街を、とても自然に、まるでそこに観ている自分が存在しているかのような映像が続く。
美しい街だからこそ、目立ってしまう、むしろ、美しい街にはそぐわない景観。
犬がうろうろし、酔い潰れた酔っ払いの大声が聞こえ、自転車が通り過ぎ、変なオジサンがブツブツ言って、子供達が賑やかに走り去る。雑音に満ちた社会。
でも、それこそが生活。
余りに自然な「普通」の生活。よくある人生。
ともすると「つまらない」人生。
長い人生。惰性の様に続く日々。
そんな中にドラマチックな愛情なんて見えない。
人は、どこかでドラマチックな展開を望むけど、そんなドラマは起こらない。
その日々に埋もれて見えなくなっている愛情が見えた時、、、、ノックダウン。
何度観ても、いや、日々の生活の中で、たまに観ると元気になれるような映画。
久しぶりに、僕の映画ランキングが入れ替わったなぁ。そんな映画でした。
多分、僕以外の人は相当観ていると思われるので、ストーリーはおいとく。
とにかく、涙が溢れた。
悲しい話?感動する話?
どれでもない、見終わった直後には、ストーリーの何かに心を打たれたと思っていたんだけど、一晩経って、それは違うと思った。
この映画、観た人に対して観た人の「自分の人生」をまざまざと見せつけるのだ。
映画の登場人物の人生を具間観たはずなのに、「自分の人生」を観た気になるんだ。
観た人それぞれに、血の繋がった両親に限らず、自分を育ててくれたかけがいの無い人がいて、死ぬまで忘れることの無い愛した異性がいて、夢中になった仕事があって、過ちがあって、成功があって、後悔があって、喜びがあって、、、
見終わった後に、まるで自分の人生を映画で観たかのような思いにさせてくれる映画。
主人公の環境やストーリーと観た人の人生に共通点は無いように思える。
でも、人が生きていく根っこは実は同じ。その根っこを見せられ、理屈ではなく、自分の人生を感じさせてくれる映画でした。
それは、とても不思議な感覚。
美しいシチリア島の街を、とても自然に、まるでそこに観ている自分が存在しているかのような映像が続く。
美しい街だからこそ、目立ってしまう、むしろ、美しい街にはそぐわない景観。
犬がうろうろし、酔い潰れた酔っ払いの大声が聞こえ、自転車が通り過ぎ、変なオジサンがブツブツ言って、子供達が賑やかに走り去る。雑音に満ちた社会。
でも、それこそが生活。
余りに自然な「普通」の生活。よくある人生。
ともすると「つまらない」人生。
長い人生。惰性の様に続く日々。
そんな中にドラマチックな愛情なんて見えない。
人は、どこかでドラマチックな展開を望むけど、そんなドラマは起こらない。
その日々に埋もれて見えなくなっている愛情が見えた時、、、、ノックダウン。
何度観ても、いや、日々の生活の中で、たまに観ると元気になれるような映画。
久しぶりに、僕の映画ランキングが入れ替わったなぁ。そんな映画でした。
木曜日, 12月 18, 2008
水曜日, 12月 17, 2008
Hello world.
ITカルチャーの話。たまには(IT)業界人っぽい話題を。
コンピュータ言語を学ぶ時に、一番最初に試すプログラムは、「Hello world.」と画面に表示させる事です。
と言い切れるほど普通はそうします。
という事は、IT系のヒトは何処の国の人に関わらず「Hello world.」を知っている事になります。
(海外のコンピュータープログラミング事情を知っているわけではないが、多分、そうだと思う。)
もちろん、英語を母国語としない日本では、うっかり「halou wahrudo」とか「konnichiwa.sekai.」などとする事もあるでしょう。
でも、やっぱり基本は「Hello world.」です。
コンピューターがどうしてもアルファベット入力を基本にしている事もあり、日本でコンピューターに触れてきた僕も、プログラミングの学習で「おっす、やっほー」みたいに表示する事はしませんでした。
(日本でコンピューターに触れてきた、、、って書くと、なんだか外国人になったような気分。)
「abcdefghijklmnopqrstuvwxyz」と機械的に表示させてもいいはずなのに、何故か「Hello world.」です。
そして、画面に「Hello world.」と表示された時に、何故か、ちょっとホッとしたりします。
特に、独学でプログラミングをやる時って、開発環境自体をわかっていないので、この「Hello world.」を表示させるまでに、後で考えるとしょうもない勘違いでなかなか出来なかったりするのです。
そんな苦労の末、画面に、「Hello world.」と表示された時は、やっぱり嬉しいものです。
何故、Hello worldなんでしょうかねぇ。ここで一曲。(深夜放送風に)
ちょっと視点を変えてみましょう。
朝起きて誰かに会った時に言う言葉は「おはよう」です。
言い方は「おはようございます」だったり、「おはよっす」だったりはするかもしれませんが、まぁ、「おはよう」の変形です。
おはようと声をかけ、笑顔でおはようと返ってくる、誰しもそんなイメージを共有しています。
だから、朝は「おはよう」が当たり前になっています。
もはや、疑問も意味も目的も考えずに自然に挨拶できているはずです。
「おはよう」に相手の返事がなければ、何かあったかな、とか、聞こえなかったな、とか考えます。
親しい仲で返事がなければ気になります。
そんな時は追いかけて肩でも叩いて、「おはよ。どうした。元気か」とか青春ドラマ長髪中村雅俊風に声をかけます。
さて、この挨拶を、正確に表現しようとしてみると結構面白い。
(面白いのは私だけかも知れません。その上、話はどんどん逸れていきます。)
例えば、「おはよう」の挨拶を、「発声による朝の体調確認交信」と表現してみます。
「おはよう」に対して相手から返事が無いと言う事は、この新しい表現によれば、
「発声による朝の体調確認交信」に相手は不同意だったわけで、体調に変調をきたしているか、単に体調確認をしたくなかったかと言う事になるわけです。
で、親しい仲だったら不同意を放置するのは新たな課題の表出を見逃すわけだから、若年に許される反社会的ファッションに身を包んだ80年代民放青春ドラマの主人公のように、やや大きめの声で、相手の体調を気遣う言葉を添えて「発声による朝の体調確認交信」を再度実施するものであったりなかったり、むにゃむにゃ。
もう一つ、知り合いの誰かに「おはよう」と声を掛けられたときに、
「それは、発声による朝の体調確認交信ですね。あなたの体調は良好のようですね。私の体調は良好です。」
と答えたらどうでしょう。
次の日から声は掛けられないでしょう。朝から滅入ります。っていうか、失礼を承知で最後まで聞かないでしょう。
このアホらしい無意味っぽい妄想をやってみてわかったのは、
「発声による朝の体調確認交信」と「おはよう」は違うと言う事です。(それだけかよっ!)
正確に表現できていない、という事です。
確かに、一見、「おはよう」の挨拶を正しく表現しているように思えました。(誰に言ってんだよ!)
普段忘れかけている事を意識できるような気もします。
馴れ合いになってる面もあるかなぁ、なんて、一人反省する事もできそうです。
確かに、こういう正確な言葉への言い換えは、法律や契約の限られた場面では必要な話です。
「曖昧さ」を排除する目的があるんでしょうね。(結局、そんな程度の納得かよ!)
正確でないのは何故でしょう。
実際には、「おはよう」に対する反応は「笑顔で会釈」だったり、「敬礼」だったり、その状況や人に合わせて、実は様々な反応が許されます。例外とはいえ、世の中には、数え切れない「おはよう」への反応があります。
「おはよう」は人間のための言葉なのです。
外国のホテルなどで、「morning」に「おはよう」と応えてもコミュニケーションは成り立つのです。人間だから。
次の日も「おはよう」「もーにん」と違う言語であっても挨拶する気になる事でしょう。
もしかすると、「もーにん」「oha-yo」と使う言葉が入れ違ったりして、なんだか嬉しいような得した気分の朝になるかもしれません。
話は戻って、「Hello world.」
人間はコンピューターに触れる最初の段階で人間のための言葉をコンピューターに言わせています。
コンピューターは人間のためにあるのだという意味がそこに込められている気がします。
ちなみに、コンピューターが牛の為にあるのなら、その時の言葉は、「モーモー」ですね。
アホらしい話を最後まで読んでいただいてありがとうございます。
(なんだそりゃ。いい加減にしなさい。ドモ、失礼しましたぁ。)
※はみ出し
「業界人」って変な言葉。例えば、学生も学生業界の業界人だし年金貰ってるお年寄りも年金受給者業界業界人だし、芸能・マスコミ関係だけを業界人と言っているうちは良かったけど、なんか「派手な業界」「話題になる業界」は業界人なんだろうか!?
火曜日, 12月 16, 2008
「最新」ダイヤルアーップ接続
<<あまりにつまらない内容なので短波ラジオ風にしてみました>>
オタクねたぁです。
マイスウィートホームでは、 ぁ、田舎の宿命として、ADSLや"ひかり"とかは、なんとなく嫌いな●TTのサービスしかありません。
で、引越した頃にちょうど「定額サービス」が始まったK DIの通信カードを使ったサービスが唯一のネット接続環境となってまし
縄ではAUが一番サービス範 が広い、と言われていて、ま、普通は不便を感じることは無いらしいんだけ 、我が家、マイスウィートホーーームは別。電話もネット接続も、家の中で超限定エーリアでしか受信できない。
それでも携帯電話に関しては電波調査隊がやってきて「スーーパーーアンテーナ」を置いてったのでなんとかなったものの、PC接続は相変わらず。繋がっても遅い。繋がらないのはしょっちゅう。←この様子はこちら。
そんなんで、ブログーの更新も家からはスム ズーに出来ず、何度か、電波状態の良い会 で、休憩時間にupしたりする始末。
N●Tのサービスに入るしかないかな。。。。などと諦めかけていたのですが、期待せずに話題のイ モバイルを調べたら、「2008年11月サービス拡大予定エリア」に入っているだよ。マイスウィートホームが。
で、11月に入って「サービス拡大予定エリア」を確認したら、「サービスーエリア」に予定通りしっかり入っている。
それから、イーモ イルの検討をしたわけです。
スピードまぁよし、値段まぁよし、っていうより選択肢が無いんだから、これしかないって感じ。
問題は、AUと同じように、エリア内なのに使えないケース。
これは避けなければなりません。2年縛りとかで契約したら大変なこと※になってしまう。
そんなこんなで、一ヶ月ほど前、レンタカーを借りた時に巨大ジャスコに出かけ、イーモバイルを探した。
無い。ウィルコムあってもイーモバは無い。
そうなんです、沖縄県はイーモバイル取り扱いショップは那覇周辺に二軒あるだけ。。。。
(っていうか、ジャスコに出かけてしまってから、そこで調べているマヌケなおじさん。。。)
そもそも、マイスウィーーートホームで電波が入るかはショップでもわかるわけではない、、、と、その帰りに気がついた。
(ショップがあったら、そこまで考えが及ばなかったのかなぁ。。。)
このイーモバイル。
モバイル前提だから、電波確認のために貸し出しとかはやっていない。
AUのプチプチ切れるネットー接続をしながら調べていくと、東京の携帯電話屋さんが出張用にイーモバイルの通信カードレンタルサービスをやっているのを発見。
ちょっと、いや結構高いんだけど、2年縛りで使えなかったら笑えない。。。
最短の一週間コースで申し込みました。翌々日に送られてきたカードで電波確認。
ぴーーーーひょろひょろひょろ・・・がーーーーざーーーー・・・ツンツンツン・ジャーーーー、、
と心の中でモデムの音が鳴り響く。
そしてそして、繋がります。輝くブルーのLEDランプ。
ガッツポーズー。
それから、嬉しくて、Youtube(普通の)やYoutube(18禁)やYoutube(XX禁)などなどを見まくり、時も忘れて回線速度に満足。
あっという間にレンタル期間を終え返却。
さすがにここまで引っ張られると、料金プランなんかも熟読し、ようやく先日契約。
(イーモバイルのサイトで契約しました。スーパーライトデータとかいう契約。使わなきゃ1000円/月。使いすぎても4980円。)
そんなわけで、今、こうして自宅から未来のダイヤルアップ接続でネットを使っているのでした。(先週末に届いたばかり)
いやぁ、快適快適。
※はみ出し:2年縛りって今の時代に凄い。2年後に仕事をしているか(クビになっていないか)すらわからないのになぁ。
今回、話題のイーモバイルってことで100円パソコンとかも検討したけど、結局、2年の分割払いで、しっかり金利も取られているような価格だったので見送りました。
※※はみ出し:購入したイーモバイルカードは、USB接続なので汎用のUSB延長ケーブルを使ってより電波常態の良いところにカードを置いておけます。(要するに我が家ではイーモバもバリ3にはならないってこと)
※※※(あくまで我が家での体感)ホームページを表示させた時のイメージの違い。AUは「ずんっ、、、、、ずんっずんっ、、、、、再接続中・・・」、イーモバは「・・・パタパタパタパタ・パタパタ・・パタパタパタ」な感じです。
↓「スクリーンセーファー」って。。。
月曜日, 12月 15, 2008
ウサギとカメ
こんな記事を読んだ。この数年間の東芝と日立の戦略をウサギとカメに例えて比較した記事。
http://moneyzine.jp/article/detail/113887
経済知識や経営知識が無いから「感覚的」にしか考えられなかった事を、ちゃんとした論理で説明されていて、とてもわかりやすかった。
ウサギは転びやすかったり転んだ時に大怪我するリスクが高いという話。
(かといってカメも、好景気の時は「なにやってんだ、あの会社」となるわけだが、、、、)
そんな話を読んで、カメ、時々ウサギぐらいがいいかなぁ、、、などと考えていたら、こんなニュースも。
http://wiredvision.jp/news/200812/2008121523.html
脳の働きを活性化したり、集中力を維持したりする、本来は病気治療のための薬を、仕事に使う人たちの話。
Natureに「こーゆー薬は、人類にとって有益だから使った方がいいよー」な論文が掲載されたというニュース。
※論説「認識能力増強薬の、健康な人による責任ある使用に向けて」
「使いたい人が勝手に使っていればいいじゃん。こっちに迷惑かけないでよね~」なんて思ったら、そう簡単な話では無い。
ビジネスの現場で使う人が増えると、使いたい/使いたくないに関わらず、自分一人が効率の悪い社員でいるわけにもいかず、誰もが使わざるを得なくなるという話なのだ。
現に、サービス残業は、そうゆう中で蔓延している。
このリンク先の話では、(米国では)大学生の7%と科学者の20%が使っているともある。
なんだそりゃ。今年一番呆れた話だ。
もう、そんな事すら良識(というのもお恥かしい)が通らないアホな国がこの世にあるのだ。
みんながウサギ、そんな世界に生きたいだろうか?
まるでナチスの優生保護政策のような薄気味悪さを感じてしまった。
この手の薬の多くがアメリカで消費されているらしい。
アメリカ発の愚かな歴史にならない事を祈るばかり。
このテーマに適当な写真をamazonで探してみて驚いた。
脳に直接作用する「薬」を奨励する本があった。この本は、「完全自殺マニュアル」の著者が書いていた。
気分の悪い話だ。←そんな話は書くなよ~(涙)
日曜日, 12月 14, 2008
仏教でもクリスマス
HDDに溜めた曲をシャッフルして発見した Cyndilauper/Early Christmas
沖縄っぽいイントロに耳が反応した。
(どうも、このオムニバスアルバムのバージョンのみ、イントロで沖縄風の合いの手が入っているようだ。)
さすがに沖縄は、涼しくなったとはいえ相変わらず暖かくて、クリスマスな雰囲気は皆無。
街にいけば、多少はクリスマスな飾り付けぐらいはあるのだろうけど、いかんせん、寒くない。
よく、南半球の海水浴しながらのクリスマスのニュースを不思議な感覚で見ていた事があるけど、今、自分がそんな真っ只中にいるんだなと再認識。
先日、職場のクリスマスパーティがあって参加したけど、仮装ありの賑やかなパーティで、当然ながらサンタファッションも数人いた。
うーん、でも、今までのクリスマスという感覚とはなんか違うなぁ。
この時期、ここ沖縄でも、パーティに限らずお洒落に敏感な若い人たちは、ニットの帽子なんかも被っていたりするけど、やっぱり、それはちょっと暑いよ。
そして、パーティ会場での「メリークリスマス」は、なんだか他の国の言葉で聞く乾杯の音頭みたいで、ピンと来なかった。
寒い地域でのクリスマスは、毎日寒さが厳しくなっていくのを身体で感じながら、ともすると「嫌な季節」にすらなりかねない、この時期。
そんな時期を、華やいだ気分にさせてくれるクリスマスは、うん、なかなか、よいではないか。
子供の頃、岩手では、しっかり寒いから、放っておけば「冬は嫌い」だった。寒いばかりだから。
でも、そんな寒い時期に、「うちは仏教だからやらないよ」と笑う両親に食って掛かりながらも、なんだかんだ結局はケーキぐらいにはありつけるクリスマス。
ケーキなんて食べることは普段無かった
(単に生活習慣で、当時の我が家では、甘いものといえばお萩とかを差した。まだ、岩手にはケーキ屋さんは無かったに違いない。)
辛い時でも、ささやかな楽しみを見出す、そういう意味でクリスマスは、宗教に関係なく根付いた風習なのかもしれない。
(まぁ、お正月でいいじゃん!って気もするんだけどね。クリスマスとお正月ダブルで楽しんじゃう日本は、本当に豊か過ぎるんだろうなぁ。)
食欲の秋を過ぎ、紅葉を楽しみ、いよいよ暮らしとしては「不快」なレベルの寒さがやってくる。
でも、その寒さの象徴の雪や氷の美しさを殊更強調したクリスマスツリーや、寒い中で暖かな雰囲気のサンタクロース。
家族で温かな食事を囲んで、ささやかなプレゼントを交換する。
(収穫の終わったこの時期、日々、草木は枯れ、猟だって思うように行かない時代、保存食を大切に食べていく中で、質素な日々の暮らしのご褒美みたいな意味もあったのかもしれない。)
なのに、質素な日々が無くなった今、「更なる贅沢をする日」にクリスマスは生まれ変わったのかもしれない。
だとたら、クリスマスぐらいは、何も食べずに、灯りも灯さずに、静かに、日々の幸せに感謝の思いに浸るのもいいかもしれない。
クリスマスの夜は蝋燭の灯で過ごすのもエコだしいいかも。
(っていうか、やっぱ、「仏教だからやらないよ」でもいい気がしてきた。(笑))
相変わらずJamendoをうろうろしています。
最近のお気に入りは↓これ。どれもいいけど、三曲目の"Le plaisir des sens"(感覚の楽しみ?)なんかいいねぇ。
金曜日, 12月 12, 2008
初めてのライブ
初めてシリーズ。今回は初めてのライブ。
うーん、ライブ。コンサートや演劇やスポーツやいろいろ。
なんだろうと考えてみると、多分、幼稚園のお遊戯系ライブ、、、と、これは出演するほうだし、そもそも、幼稚園通ってないし。。。
(幼稚園は周りに溶け込めずに早々に辞めた。。。)
とすると、、、そう考えているうちに思い出した。
小学校、多分、一年生ぐらいの頃。
学校の体育館で演劇を観た。
内容も何も覚えちゃいないが、現実離れした衣装だったような気がするのと、やはり現実離れしたカツ舌の良い大きな声と、出演者の若者(男性)が長髪だったことを覚えている。
学校の授業で、そんなのを観る機会があったんだけど、今思えば、あれは、地方を巡業している旅芸人?の人たちだったのだろうか。そもそも、標準語を話しているだけで、カッコよく見えたし、西城秀樹(古っ)なんかを生で見る事は叶わない田舎の小学生にとって画期的な企画だったと思う。
多分、荒稼ぎしていったんだろうなぁ。
今もあるんだろうか。田舎の小学校を巡る旅劇団。
と、そういえば、地方ならではのライブ、もう一つ。
旅劇団がどちらかと言えば女の子が大騒ぎする企画だったとすれば、もう一つは男の子が大騒ぎするライブ。
それは、旅劇団から1年/2年ぐらいたってからだったと思う。
旅劇団を圧倒する企画。
今度やってくるのは、たった一人。しかも標準語なんて話さない。
でも、もう、村を挙げての歓迎をした(と、子供だけは信じていた)コカコーラ・ヨーヨー世界チャンピオンがこんな田舎にやってきてやるよ、企画。
当時の岩手辺りだと、もう、「外人」と「宇宙人」の差がほとんど無い感じだったので、やってくる噂は、瞬く間に学校中を駆け巡った。
(実際には一部の男の子だけだったのだろう。)
そもそも、コカコーラ・ヨーヨー世界チャンピオンが、どれだけ凄いのかはわかっちゃいないのに、コカコーラ・ヨーヨー世界大会なんてその瞬間まで一度も聞いたことも無いのに、子供としてはオリンピック金メダリストと何ら変わらない「凄い人」として、その日を首を長くして待っていたのだ。
そして、その噂が実現するまでの何ヶ月かの間、「世界チャンピオンが使っているヨーヨー」欲しさに、田舎の男の子達は左手を腰に、右手でビンを持ち、ゲップで涙目になりながらも、コカコーラを飲みまくっていたのだ。
ここでもやはり、見事にターゲット・マーケットの一員として、チャンスがあれば親にコカコーラをねだっていたのであった。
(キリンレモンならいいけどコーラはダメ、っていうのが我が家の炭酸飲料に対する姿勢だった)
待ちに待ったその日、確かに金髪の外人が来た。
片言の日本語、ちょっとは練習しなきゃできないヨーヨーの芸、コカコーラマークのトラック、、、、
滞在時間、多分、30分ほど、学校近くの空き地に止まったトラックの上で、金髪の大男が小さいヨーヨーを、そこそこ操る。
うーん、今思えば、これも完全に騙されていた。
ずーっと片言の日本語を話していた気がするし、金髪だけど目は黒かったし、さすがに納豆臭かったりはしなかったと思うが、うーん、なんてアコギなマーケティング活動なんだ。
大体、世界チャンピオンがトラックの助手席に乗ってきていたのはどうかしている。(あくまで僕の記憶です)
当然ながら、彼が去るのと時を同じくして、コーラへの異常な執着はどこかにいった。
※はみ出し
当時のコーラには「辛口」「甘口」があった。
ビンの底にある凹みの形が四角いと辛口、丸いと甘口、、、、だと信じていた。
ちなみに僕は「辛口」派だった。
うーん、ライブ。コンサートや演劇やスポーツやいろいろ。
なんだろうと考えてみると、多分、幼稚園のお遊戯系ライブ、、、と、これは出演するほうだし、そもそも、幼稚園通ってないし。。。
(幼稚園は周りに溶け込めずに早々に辞めた。。。)
とすると、、、そう考えているうちに思い出した。
小学校、多分、一年生ぐらいの頃。
学校の体育館で演劇を観た。
内容も何も覚えちゃいないが、現実離れした衣装だったような気がするのと、やはり現実離れしたカツ舌の良い大きな声と、出演者の若者(男性)が長髪だったことを覚えている。
学校の授業で、そんなのを観る機会があったんだけど、今思えば、あれは、地方を巡業している旅芸人?の人たちだったのだろうか。そもそも、標準語を話しているだけで、カッコよく見えたし、西城秀樹(古っ)なんかを生で見る事は叶わない田舎の小学生にとって画期的な企画だったと思う。
多分、荒稼ぎしていったんだろうなぁ。
今もあるんだろうか。田舎の小学校を巡る旅劇団。
と、そういえば、地方ならではのライブ、もう一つ。
旅劇団がどちらかと言えば女の子が大騒ぎする企画だったとすれば、もう一つは男の子が大騒ぎするライブ。
それは、旅劇団から1年/2年ぐらいたってからだったと思う。
旅劇団を圧倒する企画。
今度やってくるのは、たった一人。しかも標準語なんて話さない。
でも、もう、村を挙げての歓迎をした(と、子供だけは信じていた)コカコーラ・ヨーヨー世界チャンピオンがこんな田舎にやってきてやるよ、企画。
当時の岩手辺りだと、もう、「外人」と「宇宙人」の差がほとんど無い感じだったので、やってくる噂は、瞬く間に学校中を駆け巡った。
(実際には一部の男の子だけだったのだろう。)
そもそも、コカコーラ・ヨーヨー世界チャンピオンが、どれだけ凄いのかはわかっちゃいないのに、コカコーラ・ヨーヨー世界大会なんてその瞬間まで一度も聞いたことも無いのに、子供としてはオリンピック金メダリストと何ら変わらない「凄い人」として、その日を首を長くして待っていたのだ。
そして、その噂が実現するまでの何ヶ月かの間、「世界チャンピオンが使っているヨーヨー」欲しさに、田舎の男の子達は左手を腰に、右手でビンを持ち、ゲップで涙目になりながらも、コカコーラを飲みまくっていたのだ。
ここでもやはり、見事にターゲット・マーケットの一員として、チャンスがあれば親にコカコーラをねだっていたのであった。
(キリンレモンならいいけどコーラはダメ、っていうのが我が家の炭酸飲料に対する姿勢だった)
待ちに待ったその日、確かに金髪の外人が来た。
片言の日本語、ちょっとは練習しなきゃできないヨーヨーの芸、コカコーラマークのトラック、、、、
滞在時間、多分、30分ほど、学校近くの空き地に止まったトラックの上で、金髪の大男が小さいヨーヨーを、そこそこ操る。
うーん、今思えば、これも完全に騙されていた。
ずーっと片言の日本語を話していた気がするし、金髪だけど目は黒かったし、さすがに納豆臭かったりはしなかったと思うが、うーん、なんてアコギなマーケティング活動なんだ。
大体、世界チャンピオンがトラックの助手席に乗ってきていたのはどうかしている。(あくまで僕の記憶です)
当然ながら、彼が去るのと時を同じくして、コーラへの異常な執着はどこかにいった。
※はみ出し
当時のコーラには「辛口」「甘口」があった。
ビンの底にある凹みの形が四角いと辛口、丸いと甘口、、、、だと信じていた。
ちなみに僕は「辛口」派だった。
木曜日, 12月 11, 2008
水曜日, 12月 10, 2008
ビーグル

最近の動物の研究に関するニュースを読んだ。
「恐怖」といった生命に関わる根源的な感情は動物の多くに認められていた(そりゃそうだ)が、ニュースでは「ひがむ」のような微妙な感情の話題だった。
霊長類ならいざ知らず、哺乳類「犬」がその微妙な感情を持っているというニュース。
そんな研究は動物学者に任せておくとして、その検証の例がイケていた。
あ、そのニュースが読みたいならコチラ。
検証方法はこうだ。
●二匹の犬を並べ、二匹共に「お手」をさせる。
「お手」をしたら、ご褒美に餌をあげる。
当然、二匹とも、ご褒美欲しさに「お手」を何度でもする。
実験では30回ほどこれを繰り返すのだそうだ。
さて、その次。
●やはり二匹共に「お手」をさせる。
しかし、今度は、片方にだけご褒美にお菓子を上げる。
そうすると、ご褒美を貰えなかった方は、何度か「お手」はするのだが、「お手」をする回数が激減するのだそうだ。
この事をどう捉えるか、は、意見がいろいろあるようだけど、この研究を紹介している写真がいい。
それが↓

この写真を見た瞬間、「あり得ない!」って思った。
何があり得ないって、これはビーグル好きにしかわからないかもしれないが、片方がビーグルなのが「あり得ない」なのだ。
ビーグルと暮らした100人に聞いたら、100人共に「あり得ない」と思うはずだ。
(離婚するまで一緒に暮らしていた犬はビーグルでした。。)
そもそも、ビーグル好きはビーグル以上にバカなのだ。
飼い主は飼い犬に似る、いや、飼い犬は飼い主に似る、、どちらでもいい、とにかくバカハッピーなのだ。
普通の、そんじょそこらの犬と違う点。
まず、「お手」をしている時点で、ビーグル的には「かなり偉い」のである。
それも食べ物を目の前にして、我慢して、その上「お手」を何度もする。
こんなのは、僕にも出来ないかもしれない。
「犬のノーベル賞」があれば受賞しちゃうぐらいの偉さなのである。
ノルウェーでもなんでも行っちゃうのだ。
ちなみに、1991年に創設されたハーバード大学で執り行われるイグノーベル賞は、犬ノーベル賞が訛ったものだという説すらあるのだ。(んなことない。イグノーベル賞は実在します。)
何故なら、彼らは、犬のおバカランキングをやったら、多分、ビリかビリから二番目ぐらいのおバカ加減なのだ。
どの位バカなのかというと、バーベキューの肉の匂いに抗えず、よだれを垂らしながら鉄板に足をのっけてしまうぐらいおバカなのだ。
しばらくしてさすがの肉球も熱くなるらしい。
当たり前に、鉄板の熱さに「ヒー、キャンキャンッ」となる。
しかし、8秒ほどするとまたよだれを垂らしながら鉄板に足を乗っけてしまう。
そんなヤツなのです。
そのうち鉄板に足を乗っけるのも三回目ぐらいからは慣れてきて、鉄板相手に、トントン足踏みするんです。
(ここはリズム感良く読んでください。)♪右足熱けりゃ左足、こっちも熱けりゃまた右足♪
、、、そんな足踏みしながら目を潤ませながら肉をジッと見つめるのです。
もう、目に入れても痛くないほど可愛いヤツなのです。
でだ、そのウィーン大学での二匹の犬の実験は、片方がコリー、片方がビーグルなのです。
残念ながら、この実験は失敗です。
ビーグル相手に食べ物絡みの実験は酷です。
きっと、実験会場は、涎で床上浸水したことでしょう。
ここ沖縄も、何故かビーグルを良く見かけます。
米軍基地から逃げ出したのかどうかは知りませんが、世界共通、ビーグルの散歩姿は何処でも同じ。
常に地面に鼻を擦りつけそうになりながら、「食べられるもの」を口にするチャンスを狙っています。
100%、前を見て散歩などしないのです。
散歩ではなく、「食べられるもの探し」の旅なのです。
この旅に必要なチケットを旅犬と呼ぶのです。
ということで、ビーグル好きにしかわからない話でした。
※はみ出し
10年一緒に暮らした家族だったビーグル(チーちゃん)は、今も何とか生きているようです。
とはいえ、もう、寿命なので静かに暮らしているようです。
たくさんの楽しい思い出をありがとう。>チーちゃん
※※はみ出し2
以前、知り合いが飼っていたビーグルは、当然、いつもがっついていた。
余りにがっついているので、誕生日に、好きなだけ食べればいいと、タップリの肉とタップリの誕生ケーキを好きなだけ食べさせてみた。
そのビーグルは見事に全てを食べきり、その次の日から一週間、お腹を壊し続けた。
ちょっとゲッソリしながらも、何処か嬉しそうな顔つきで、相変わらず地べたを嗅ぎながら散歩に来たのは言うまでも無い。
※※実験動物におけるビーグル
人懐っこく、上記の様に食べ物に目が無いビーグル。
化粧品や薬剤など数々の実験に使われることも大変多いビーグル。
感染系?の実験などに使われた場合に大量廃棄される動画がセンセーショナルに報じられたことも過去にあります。
たまには人間の我侭に命を捧げている動物たちに思いを馳せるのもよいかも。ありがとう。合掌。
火曜日, 12月 09, 2008
水玉の湯呑み、いいなぁ。

先日紹介した行動科学の本。
「管理」ではなく「リーダーシップ」に長けているなぁといつも感心させられる友人から、
「なんでこの本を読もうと思ったのか?」
と聞かれました。
うーん、思い出そうとしてもなかなか思い出せないので、多分、amazonをフラフラ見ていて引っかかったのだと思います。
(まるで答えになっていない。。)
マネジメント関連で、以前に気になっていたのは「デザイン」で、今回は、「行動科学」。(っていうらしい)
指示されてではなく「自然にやりたくなってしまう」状態はどうやったらできるかっていう事。
自分が細かく指示できないお作法的にダメ出しされる人間だし、お作法的に細かく指示されるとダメだから、つい、そういう状態が望ましいって思ってしまう。
あぁ、無作法な人間だったんだ。>自分。。。
今更だけど、「自然にやりたくなってしまう」鍵は二つあると思っています。
それは、「デザイン」と「モチベーション」。
誰かに夕飯を食べてもらいたいなら、
①デザインは、
食卓に温かい夕食が並んでいる。
床に並べても、食卓に冷たい食品がのっかっているのもダメ。
灯りに照らされた食卓で、今なら湯気が立ち上っているような感じで、主食やおかずが何点か並んでるのが夕食のデザイン。
「これは食べないわけにいかないでしょう」って感じにデザインするのが○。
②モチベーションは、
うーん、これは割りとシンプル。 お腹が空いてるのが一番。
そんな感じかな。
「お腹空いた~」に、「美味しそう」で食べるご飯、これが結果的に一番美味しいのです。
フグもウナギもステーキもアワビもフォアグラもキャビアも、
お腹が空いて堪らない時のカレーライスには勝てないのです。
そして、空腹度合いや体調に合わせて食卓がデザインされているのが重要。
腹ペコなのに、ゆっくりコース料理なんて待っていられない時もある。
でも、何か特別な日なのにラーメンライスも、ちょと寂しいなんて時もある。
お正月ならおこたでしょ、とか、デザインもモチベーションも定型である必要は無いのだ。
美しい精緻な報告書に拘ってしまってリアリティが無い「シャンシャン報告会」は、経験的には、ほぼ、何も産み出さない会議だと言い切れるよね。
集まる必要の無い会議。「どうせ、うまくいってんだろー」と、とは言いながらも信用してるかは微妙な会議。
美しいモノと使えるモノが必ずしも一致しないように、美しさに拘ると、管理を(表面上は)キッチリやるようになって、成果は無意味なものになりがち。
あるいは、勤務時間の精緻な管理は、管理者自らが自分の能力が欠如している事を表明しているようで、イタい。
そこに、信頼は存在しない。当然、信頼もされない。
そう、管理とは、管理者の責任逃れのためでもあるのだ。
そんな事を考えていて、見つけた本だったと思います。
でも、新品は高いので、古本をゲットしたんだけどね。
(最近、本は定価で買うのは避けたいんだなぁ。セコいんだなぁ。)
紺色の水玉の湯呑みは、決して陶器の世界で評価されている?とは思えないけど、使いやすいよね。
古典的/普遍的なデザインと人の指がしっくり収まる水玉の凹み=機能性がしっくり融合している。
きっと、格好はよくないのかもしれないけど、使う人に優しい気がします。
これは「かなり完成」された一品。(趣味の問題はあろうよ。でもいいじゃん。水玉。)
パーティには似合わないけど日常の多くのシチュエーションに耐えられる。
(万が一、割れてしまっても、また買えばいいって思えちゃうのも、とっても優しい。)
土曜日, 12月 06, 2008
金曜日, 12月 05, 2008
木曜日, 12月 04, 2008
自分が初めて買ったレコード
初めてシリーズ、今日は、「初めて買ったレコード」。
これ、初めて聞いた、とか、初めて気に入った、とかではなく、あくまで初めて自分のお小遣いで買ったというレコード。
小学生の時は、親と一緒に買ったりしていたわけで、そんな時には、あっちの流行歌(古っ)のアイドルものなど買って貰えず、せいぜい、田中星児版の「ビューティフルサンデー」だったり、誕生日かなんかでゴネて買って貰った「夕焼け小焼けby松鶴家 千とせ」だったりしたわけだ。
今思えば、その何年か後、生涯聞き続けるだろう「Eddie Jeferson」というスキャットというか、もう、すげーVocalに出会うことを考えれば、和製のスキャット?を松鶴家 千とせとの出会いは必然だったようにも思えてくる。無理やりだけど。
(動揺とかクラシックとか、そーゆーのは、親の気持ちとは裏腹に「買って貰った」意識すらない。。。)
そんなこんなで、中学生。
当時は音楽ソースはラジオで、FMも聞いたけど、AMだってバリバリ聞いていた。
親は大人しめの因幡晃とか好青年"中村雅俊"なんかを、それとなく薦めてくるのだが、そんなんでは収まらないのが中学生。
とうとう出会っちゃいました。それは、「QUEEN」。折りしも習いたての英語、スペルを覚えにくい"bicycle"が連呼される「bicycle race」のヒットと共に虜に。
もう、来る日も来る日もラジオから録音した、唯一聞き取り可能なネイティブ英語「あいおんちゅーらいまいばいせーこー」を自転車通学の坊主頭の少年は連呼しながら田んぼの道をひた走っていたのでした。
そうして、アルバムが日本で発売になる!
ここで重要なのが、「初回販売分限定特性ポスター付」。これです。
そのポスターは当時のQUEENのライブ会場のステージに登場する「自転車に乗った何人ものオールヌードの女性」!
今思えば、ピンポイントで田舎の自転車通学男子を対象にしたかのようなマーケティング。
これは買わないわけにはいきません。
しかし、当時のLPレコードは一ヶ月の小遣いでも買えない様な値段。
何をどうしたのか覚えていないけど、とにかく、多分、テストの点数を担保にしたりして、ゲット。
ポスターが目的だか、音楽が目的だか、、そんなこんなの初めて買ったレコードなのでした。
(いや、音楽が目的です。フレディは亡くなったけど、未だによく聞いています。)
↓日本では非発売だったシングル版のジャケット

火曜日, 12月 02, 2008
リーダーとマネージャー
今読んでる本で、リーダーシップの基本能力についてこう書いてある。
・診断能力:状況を把握し理解する能力
・適応能力:状況にあわせて自分やチームが力を発揮できるようにする能力
・コミュニケーション能力:相手に容易に理解できるように伝える能力
そして、もう一つ心に残った言葉、
「マネージャーは管理しリーダーは革新する。」
だ。
マネージャーに関する下りは、もう少し、過激だ。
マネージャーは「写し(コピー)」<==>リーダーは「原版(オリジナル)」
マネージャーは維持する<==>リーダーは開発する
マネージャーは体制や構造に着眼<==>リーダーは人々や人間に着目
マネージャーは他人を統率<==>リーダーは他人から信服
マネージャーの視点は短期的<==>リーダーの視点は長期的
マネージャーは「いかに」と「いつ」を問題にする<==>リーダーは「何」「何故」を問題にする
マネージャーは結果を考える<==>リーダーは未来を展望する
マネージャーは模倣する<==>リーダーは創造する
マネージャーは現状を受け入れる<==>リーダーは現状に挑戦する
マネージャーは事を正しく行う<==>リーダーは正しいことを行う
そして、リーダーは、一人でもなり得るような気がした。
だから、リーダーシップ(役職や立場には関係しない)なのか、、、と一人納得。
リーダーになりたい。そう思った。
ちなみにこの本は↓です。
・診断能力:状況を把握し理解する能力
・適応能力:状況にあわせて自分やチームが力を発揮できるようにする能力
・コミュニケーション能力:相手に容易に理解できるように伝える能力
そして、もう一つ心に残った言葉、
「マネージャーは管理しリーダーは革新する。」
だ。
マネージャーに関する下りは、もう少し、過激だ。
マネージャーは「写し(コピー)」<==>リーダーは「原版(オリジナル)」
マネージャーは維持する<==>リーダーは開発する
マネージャーは体制や構造に着眼<==>リーダーは人々や人間に着目
マネージャーは他人を統率<==>リーダーは他人から信服
マネージャーの視点は短期的<==>リーダーの視点は長期的
マネージャーは「いかに」と「いつ」を問題にする<==>リーダーは「何」「何故」を問題にする
マネージャーは結果を考える<==>リーダーは未来を展望する
マネージャーは模倣する<==>リーダーは創造する
マネージャーは現状を受け入れる<==>リーダーは現状に挑戦する
マネージャーは事を正しく行う<==>リーダーは正しいことを行う
そして、リーダーは、一人でもなり得るような気がした。
だから、リーダーシップ(役職や立場には関係しない)なのか、、、と一人納得。
リーダーになりたい。そう思った。
ちなみにこの本は↓です。
月曜日, 12月 01, 2008
歪み(Stress)
社会人になって味わったストレスを思い返してみた。
初めて自分の仕事に新人をアサインされた時。
まだ、20代。あの頃僕は若かった。
この時、僕は初めて仕事でストレスを感じた。
まぁ、思うようにいかないだけの、今思えば大した話ではなかったが、この時のストレスは今思い返すと面白い。
まず、「僕自身がストレスを感じていなかった」事。
多分、"自分の仕事が認められたから増員して新人が来た"ぐらいの感覚だったのだろう。
嬉しい気持ちがあるから、(結構、これが大変な新人だったんだけど)ストレスだと感じてはいなかった。
しかし、感じていないはずのストレスが身体に現れた。
円形脱毛症。。。
もう、一個見つかったら、あれよあれよと次々に発症。
ま、新人との付き合いに慣れてきたら自然に消えたけど、驚きました。
その後、基本的にストレスを感じることは余り無く、まぁ、その時々の環境に、プカリプカリ浮きながら、ハードな局面もソフトな局面も
楽しんでやってきたんだと思う。
最近、ちょっとしたストレスを感じる時があって、自分でも自分がどう反応するのか興味があって記録してみた。
精神的変化、肉体的変化、それぞれ分けて書いてみようと思う。
・第一段階(ストレス醸成期)
何がなんだかわからないけど、一日の終わりに脱力する感じ。
この段階ではストレスだという自覚が無いし、寝て起きれば忘れている。
翌日、同じストレスにさらされても特に気がつかない。
・第二段階(抵抗期)
ストレスを認識して一日の終わりに「反省」したり「対策」したりもがく様な感じ。
ストレスだという自覚はあるけど、寝酒を軽く飲んで寝れば忘れている。
翌日、同じストレスにさらされそうになると身構える。
・第三段階(受容を試みる期)
ストレスに抵抗しても無駄だと考えてストレスを受け入れようと試してみる時期。
一種の抜け殻の様な自分を、もう一人の自分が客観的に見ているような感じ。
翌日、同じストレスにさらされるても、何も感じない。
・第四段階(根本解決を試みる期)
ストレスの根源/人に対して排除、もしくは、告知する事で根本解決を試してみる時期。
抜け殻と一転して頑固者のようになる。あるいは、愚痴っぽくなる。あるいは、怒りっぽくなる。
同じストレスにさらされると、「緊張」「動悸」の状態になり、その後、「酷い脱力感」に襲われる。
ざっと、一ヶ月ぐらいでこんな風に推移するようです。
寝て忘れられるかどうか、が重要な気がします。
ただ、いずれの段階であっても、目に見えない変化が進行しているわけで、他の人に当たったりしていないか、、、までは自覚が無い
。それだけは、怖いなぁ。
ちなみに、「酷い脱力感」は肉体の反応としてとても面白い。
腕に力が入らず、なんていうか、腕が重く感じる。長距離を走った後の腕みたいな感覚。
ま、面白がってないで脱力じゃなくて脱出するのだ。
初めて自分の仕事に新人をアサインされた時。
まだ、20代。あの頃僕は若かった。
この時、僕は初めて仕事でストレスを感じた。
まぁ、思うようにいかないだけの、今思えば大した話ではなかったが、この時のストレスは今思い返すと面白い。
まず、「僕自身がストレスを感じていなかった」事。
多分、"自分の仕事が認められたから増員して新人が来た"ぐらいの感覚だったのだろう。
嬉しい気持ちがあるから、(結構、これが大変な新人だったんだけど)ストレスだと感じてはいなかった。
しかし、感じていないはずのストレスが身体に現れた。
円形脱毛症。。。
もう、一個見つかったら、あれよあれよと次々に発症。
ま、新人との付き合いに慣れてきたら自然に消えたけど、驚きました。
その後、基本的にストレスを感じることは余り無く、まぁ、その時々の環境に、プカリプカリ浮きながら、ハードな局面もソフトな局面も
楽しんでやってきたんだと思う。
最近、ちょっとしたストレスを感じる時があって、自分でも自分がどう反応するのか興味があって記録してみた。
精神的変化、肉体的変化、それぞれ分けて書いてみようと思う。
・第一段階(ストレス醸成期)
何がなんだかわからないけど、一日の終わりに脱力する感じ。
この段階ではストレスだという自覚が無いし、寝て起きれば忘れている。
翌日、同じストレスにさらされても特に気がつかない。
・第二段階(抵抗期)
ストレスを認識して一日の終わりに「反省」したり「対策」したりもがく様な感じ。
ストレスだという自覚はあるけど、寝酒を軽く飲んで寝れば忘れている。
翌日、同じストレスにさらされそうになると身構える。
・第三段階(受容を試みる期)
ストレスに抵抗しても無駄だと考えてストレスを受け入れようと試してみる時期。
一種の抜け殻の様な自分を、もう一人の自分が客観的に見ているような感じ。
翌日、同じストレスにさらされるても、何も感じない。
・第四段階(根本解決を試みる期)
ストレスの根源/人に対して排除、もしくは、告知する事で根本解決を試してみる時期。
抜け殻と一転して頑固者のようになる。あるいは、愚痴っぽくなる。あるいは、怒りっぽくなる。
同じストレスにさらされると、「緊張」「動悸」の状態になり、その後、「酷い脱力感」に襲われる。
ざっと、一ヶ月ぐらいでこんな風に推移するようです。
寝て忘れられるかどうか、が重要な気がします。
ただ、いずれの段階であっても、目に見えない変化が進行しているわけで、他の人に当たったりしていないか、、、までは自覚が無い
。それだけは、怖いなぁ。
ちなみに、「酷い脱力感」は肉体の反応としてとても面白い。
腕に力が入らず、なんていうか、腕が重く感じる。長距離を走った後の腕みたいな感覚。
ま、面白がってないで脱力じゃなくて脱出するのだ。
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