火曜日, 10月 13, 2015
金曜日, 3月 09, 2012
3/11特番はネットで
↑の動画。
3/11に、このドキュメンタリー「僕らはみんな放射能」の"第一話"が配信される。
3/11は、大手メディアがこぞって(テレビ東京を除く)特集番組を組んでいるが、正直、既存メディア、中でも民放のドキュメンタリーで、どこまで真に迫れるのか疑問だ。
画面に映る食卓のジュースにモザイク入れる暇があったら、もっと、真摯に丁寧に、伝えて欲しい。
そんな中、このネット番組は期待できそうだ。
きっと、ジュースにもモザイクが入らないだろうから観てみようかな。
【制作スタッフ】
企画は米国在住の日本人ジャーナリスト
監督はネットビデオ制作の名手と名高い米国人(多分)
編集は映画製作に携わる日本人
同じく編集に英国アカデミー賞受賞経験をもちBBCドキュメンタリー制作なども手がけてきた製作者
撮影クルーとは別に被災地のサーファー兼アクティヴィスト(復興活動家)が地元で長期に撮影
第一話はこちらに公開される。(3/11より)
http://weareallradioactive.com/
多分、というか当然、この番組は3/11以降も見ることが出来るだろう。
で、評価が高ければ続編の公開も期待できそうだ。
ジュースの消し込みなんかしている場合ではない。
※はみ出し
最近の「テロップだらけ」「スポンサーに気兼ねして飲料はボカす」「とにかくCMを挟み込む」という視聴者完全無視のテレビ番組はいらない。そのテの番組のスポンサーも気がしれない。
水曜日, 3月 07, 2012
メモ(忘れないように。今は未だ原始人的な時代)
フェアトレード商品というのがある。
商品の原材料調達で、地球環境に優しい、とか、児童労働に頼らない(当たり前だけど)、とか、そんな商品。
理念としては、環境を含めて倫理的に「大丈夫」な商品がフェアトレード商品なのだろう。
よく、コーヒー専門店などで見かけるやつだ。
そして、そもそもそんな議論にすら上らない商品がある。
その昔、奴隷貿易が盛んだった時代。
奴隷達がどんな扱いを受けて生まれ育った土地から連れられてくるのか、見て見ぬふりをしていた時代があった。
今まさにそんな「見て見ぬふり」を決め込んでいる商品があるのだ。
それは、経済的に小さい国で算出されるウランだ。
※冒頭のyoutubeはドイツ映画。
※※クーリエ・ジャポン2011年6月号
http://courrier.jp/contents/courrier079.html
に詳しい。要約はこちら
http://d.hatena.ne.jp/longtonelongtone/20110427/1303916613
経済的弱小国の労働者は、放射能の危険を知らせられないどころか、長期間の被曝に関して何ら対策もないまま作業に従事させられている。
旱魃被害などで「食べるにも事欠く」国で、原発の燃料は採掘され、ウラン採掘の際に出る放射能に汚染された土砂が乾いた大地を舞っている。
当然、その地域の水も汚染される。
皮肉なことに、経済的弱小国では、は生活用には電気を殆ど使わない。
http://www.comment-niger.org/
ただ、生まれついた場所が貧しい国、という理由だけで、子供たちが放射能まみれの砂が舞う中で暮らしている。
同じ年齢の子供たちがテレビゲームなどで遊ぶ電気の原料が、何も知らずに被曝する子供たちの暮らす社会で作り出されている。
そのうち、経済的強者の国で作られた放射性廃棄物が、経済的弱小国に送り返されそうで怖い。
(知らないだけで、既にそんな事をしてても不思議ではない社会に暮らしているのは間違いない。)
奴隷貿易のような判りやすい「奴隷制度」こそ無くなった。
が、現代も奴隷制度(差別に基づく搾取)は形態を変えて脈々と息づいている。
つくづく、今の社会が近代的、なんてことは全くないと感じる。
経済的強者の国に暮らす僕達は、奴隷の労働力によって栄えた農場主や工場主と何ら変わらない。
原発を推進したエライ人がフクシマ以前に
「結局、(どんな反対があろうとも)お金を出せば原発は受け入れられるんです」(キリッ)
と語った顔が思い出される。
差別は差別される側の尊厳を失うだけでなく、差別している側も尊厳を失う。
いや、差別される側の尊厳は「失わせられる」だけで人間として卑しくはない。
むしろ、自ら進んで尊厳を失う、卑しい生き物は差別する側だろう。
そういう僕も、知らず知らずのうちに卑しさを身につけてしまっている。
現代の人類なんて、まだまだ原始的な時代だということだ。
火曜日, 2月 21, 2012
北九州に来て2年
タイトルとは関係なく、JALの会社更生法適用から2年。
JALが日本を代表する"経営者"稲森さんの元で見事な再生を果たしている。
株式再上場の話題すら出てきている。
就任して7年かけて赤字体質を定着させて10億円近い年俸を稼いでいたCEOの話とは大違いだ。
わずか2年なので当初の論評と合わせて読むと大変興味深い。
"意識改革"周辺の話題は特に興味深い。
●スタート時点
・ネガティブな見方
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/216
・ニュートラルな見方
就任会見
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1002/02/news021.html
※これは今読むと凄い
●2年後
・フィロソフィーについて
http://president.jp/articles/-/5241
・アプローチ(幹部再生)について
http://media.yucasee.jp/posts/index/5133
・まとめ
http://diamond.jp/search/word/%E7%A8%B2%E7%9B%9B%E5%92%8C%E5%A4%AB
僅か2年でも相当なことを成し遂げられるんだなぁ。
凄いぞJAL。僕自身はANA派なんだけどねー。
ANAも頑張れ!
(飛行機には乗る機会がないけどねー。)
木曜日, 2月 02, 2012
「買わないで」という広告
↑はpatagoniaのポスター。ソースはこちら。
ここのところ、「買わないで済ませる快感」をどうやって得られるか、なんて事をぼんやりと考えていた。
買わないで済ませる、と言っても、欲しい気持ちを抑えて、という事ではない。
「欲しいと感じない」ってところ。
そっか、「欲しいと感じない開放感による快感」ってことか。
きっかけになったのは、車。
たまたま、弟から、数年前に亡くなった父の車を譲り受けたのだ。
10年以上前の車とは言え、すこぶる調子が良い。
もうずいぶん前から車に使われる鉄が改良されて錆びにくくなっている。
塗装技術も進んでいる。
昔のように、日に焼けて塗装がくすんだり、ボロボロと零れ落ちるようにサビたり、は、そうそう10年足らずではならないのだそうだ。
自動車メーカーが「耐久年数が倍増しています」とテレビCMでアピールしてもいいだろうに、なんだかなー。
そうやって、父が思い入れていたかどうかは知らないが、父の車を使うようになると、もう、車を買い換える、っていう事に惹かれ無くなったのだ。
譲り受けた時、旧式のカーステレオだけ載せ換えて、"これがベスト"というか、自分の年齢から"これが最後の車"という感じ。
おかげ様で、車のテレビCMも気にならないし、本屋さんで車の雑誌を手に取ることもない、街で高級車を目で追うこともない。
言葉にするのは難しいが、一つのどうでもよいことから解放された感じだ。
(こう書いていると、今まで、車が趣味だったわけでもないのに、どんだけ物欲に囚われていたのか、と、情けない気持ちになる。)
この「開放感」が気持いい。
購入した時の高揚感や嬉しさは手にした瞬間から薄れ始めていくのに対し、購入意欲からの開放感の方はピークこそ無いが永遠に続く快感なのだ。
もう少しわかり易い例としては、食べ物があるだろう。
若いうちは目移りするのも仕方ないが、50年近くも生きていると、
「蕎麦なら△△」とか「カレーなら○○」とか「□□のラーメン」のように、もう、他では代替の利かない食べ物がいくつもある。
※ローストビーフなら××という例が思い浮かばない食生活であった。。。
それのモノ版だ。
食べ物なら時間を空ければ何度でも食べられるかもしれないが、大抵のモノは一つあれば充分だ。
食べ物のお気に入りのようにモノに対しても素直にお気に入り(代替の利かない)を見つけられれば、目移りしない開放感/快感を得ることが出来る。
ヒトに対しても素直にお気に入り(代替の利かない)という価値を高めれば、家庭崩壊や不幸な結婚などといった問題も少なくなるかもしれない。
うーむ。ここに気がつくまでおよそ50年かかった。
ちなみに、この感覚を「嘘だろう」と思う方は、僕に、"父の車を手放すこと"と"換金しないこと"を条件に車の提供を提案して欲しい。
果たして、どれぐらいの価値を感じているのか、が試せるだろう。
意外に、簡単に乗り換えたりして。
(笑)
冒頭のポスターは、去年のクリスマスシーズンにpatagoniaが、環境保護とビジネスの矛盾に自ら切り込んだ、ポスターだ。
patagoniaの創業者は「自分たちの環境保護活動が寄与する以上に環境保護を進められるなら、自分達のビジネスはいつでも止める」ような事を言っているし、売上(利益ではない)の1%を環境保護団体に寄付しているのは有名な話だ。
で、いよいよ、「買わないで」という広告に至ったわけだ。
僕の「売らネット」構想とも合致する。←だからどうした!
「売ってるくせに買わないでは無いだろう」というツッコミはあるかも知れないが、少なくとも、自己矛盾を率直に認める姿勢は"買える"。
ここのところ、「買わないで済ませる快感」をどうやって得られるか、なんて事をぼんやりと考えていた。
買わないで済ませる、と言っても、欲しい気持ちを抑えて、という事ではない。
「欲しいと感じない」ってところ。
そっか、「欲しいと感じない開放感による快感」ってことか。
きっかけになったのは、車。
たまたま、弟から、数年前に亡くなった父の車を譲り受けたのだ。
10年以上前の車とは言え、すこぶる調子が良い。
もうずいぶん前から車に使われる鉄が改良されて錆びにくくなっている。
塗装技術も進んでいる。
昔のように、日に焼けて塗装がくすんだり、ボロボロと零れ落ちるようにサビたり、は、そうそう10年足らずではならないのだそうだ。
自動車メーカーが「耐久年数が倍増しています」とテレビCMでアピールしてもいいだろうに、なんだかなー。
そうやって、父が思い入れていたかどうかは知らないが、父の車を使うようになると、もう、車を買い換える、っていう事に惹かれ無くなったのだ。
譲り受けた時、旧式のカーステレオだけ載せ換えて、"これがベスト"というか、自分の年齢から"これが最後の車"という感じ。
おかげ様で、車のテレビCMも気にならないし、本屋さんで車の雑誌を手に取ることもない、街で高級車を目で追うこともない。
言葉にするのは難しいが、一つのどうでもよいことから解放された感じだ。
(こう書いていると、今まで、車が趣味だったわけでもないのに、どんだけ物欲に囚われていたのか、と、情けない気持ちになる。)
この「開放感」が気持いい。
購入した時の高揚感や嬉しさは手にした瞬間から薄れ始めていくのに対し、購入意欲からの開放感の方はピークこそ無いが永遠に続く快感なのだ。
もう少しわかり易い例としては、食べ物があるだろう。
若いうちは目移りするのも仕方ないが、50年近くも生きていると、
「蕎麦なら△△」とか「カレーなら○○」とか「□□のラーメン」のように、もう、他では代替の利かない食べ物がいくつもある。
※ローストビーフなら××という例が思い浮かばない食生活であった。。。
それのモノ版だ。
食べ物なら時間を空ければ何度でも食べられるかもしれないが、大抵のモノは一つあれば充分だ。
食べ物のお気に入りのようにモノに対しても素直にお気に入り(代替の利かない)を見つけられれば、目移りしない開放感/快感を得ることが出来る。
ヒトに対しても素直にお気に入り(代替の利かない)という価値を高めれば、家庭崩壊や不幸な結婚などといった問題も少なくなるかもしれない。
うーむ。ここに気がつくまでおよそ50年かかった。
ちなみに、この感覚を「嘘だろう」と思う方は、僕に、"父の車を手放すこと"と"換金しないこと"を条件に車の提供を提案して欲しい。
果たして、どれぐらいの価値を感じているのか、が試せるだろう。
意外に、簡単に乗り換えたりして。
(笑)
冒頭のポスターは、去年のクリスマスシーズンにpatagoniaが、環境保護とビジネスの矛盾に自ら切り込んだ、ポスターだ。
patagoniaの創業者は「自分たちの環境保護活動が寄与する以上に環境保護を進められるなら、自分達のビジネスはいつでも止める」ような事を言っているし、売上(利益ではない)の1%を環境保護団体に寄付しているのは有名な話だ。
で、いよいよ、「買わないで」という広告に至ったわけだ。
僕の「売らネット」構想とも合致する。←だからどうした!
「売ってるくせに買わないでは無いだろう」というツッコミはあるかも知れないが、少なくとも、自己矛盾を率直に認める姿勢は"買える"。
月曜日, 1月 23, 2012
電子教科書を阻むもの、は多分もう無い
相変わらず電子教科書周辺は騒がしい。
正確には、「電子教科書周辺のお金の匂いに企業が騒がしい」。
次の段階は、「電子教科書周辺の子供の親たちが騒がしい」に進むようだ。
さすが企業のやることは抜かりがない。
戦略的に電子教科書採択への最短距離を着実に進んでいるようだ。
教科書屋さんやiPad屋さん達が「電子教科書にしましょう」では胡散臭さを感じる人もいるのだ。
でも、親たちに言わせれば学校は否応なく採用する。子ども自身は何も知らずに大人に従うのみだ。
親たちに言わせてしまえば、業者は「そうですかぁ。致し方ありません、お売りしましょう。」となる。
親たちに言わせるにはどうするか、こんなニュースがあった。
「電子教科書のほうが教科書より学習効果が高い」
アメリカの教科書出版会社とiPadのAppleが共同で調査し発表したようだ。
そんな結果しか出ないに決まっている。
ここで報じられている「電子教科書」とは、モノは電子教科書だけど中身は「教科向けゲーム」だったのだから。
そして、これからは日本でも同じような調査発表が続くだろう。
これは効果的な戦略だ。「学習効果が高い」と言われて反対する親はそうそういないだろう。
学習効果があろうがなかろうが「漫画で学ぶナントカ」シリーズは教科書にならなかった。
漫画を教科書にしている国があるとは聞かないから、多分、世界共通の常識は、「漫画は教科書にしない」だったのだろう。
これまでの日本の常識は、集団の学習と個々人の遊びには何らかの境界を設けるものだった。
姿勢を正して学ぶ、スタイルだ。
一方、先ほどのニュースにある電子教科書とはゲームだ。
多分、一人でそのゲームに取り組んでも学習効果のある内容なのだろう。
教室で集まってやる必要はそれほど感じられない。
電子書籍もネットも空気のように存在する中で育った子供たちが何を失っていくのか、僕にはよくわからない。
ただ、それが空気のように当たり前に存在するようになると、そんなものは大切にしなくなる、ってうのが人間という事は言える。
ということは、電子教科書がなければ勉強ができない、となる気がしてならない。
同様に、ゲーム化された電子教科書がなければ教えられない、という教師も増えるだろう。
もちろん、専用のゲーム化された教材がなくても学んでいく子供もいるだろう。
だが、全体としてはどうなんだろう。平均としてはどうなんだろう。
つまらなそうな教科に興味を持ち学ぶ能力、という能力は幻想なんだろうか。
なんだかジジ臭くなったな。
でも、そういう事が気になるのだから仕方がない。
結果、充分なテストも何もなしに、わずか数年で子供たちの学ぶ場に導入されるのだろう。
原発よりはリスクが少ない、とでも言うのだろうか。。。
そういう時代だ、といえばそれまでだけど。
あちこちで、「未来の子供たちのために」とか、言わなきゃいいのに。
期待しちゃうじゃん。
※ハミ出し
子供時代を思い返して感じる紙の本の良さ
・情報量や内容に応じて質感が変わること。小説の内容を忘れても量だけ覚えていたりする。
・年月の経過で質感が変わること。兄弟が読んだ、従兄弟から貰った、、、ボロほど価値がある気がする。
・原始的な表現となるため想像力が鍛えられること。ゲームは解くことに夢中になりがち。ビジュアル付きだし。
・物理的な傷(折る、破る、追記する)をつけられること。モノ全体として自分のオリジナルのものになる。
・人にそのまま譲り渡せること。←これがビジネス的著作権的には面白くない
・その本が読まれ年月を経た質感は、その本固有の質感となりコピー出来ない。読んだお気に入りの本を大切な人に譲る、とか、それは本屋さんで買い替えることとは全く意味が違う。
・本の質感自体がその人にとってかけがえの無い大切な記憶となること。本に触れたときに読んだ時の感覚を思い出すとか、あるよね。教科書の表紙のテリテリ具合やザラザラ具合なんて今も覚えている。
正確には、「電子教科書周辺のお金の匂いに企業が騒がしい」。
次の段階は、「電子教科書周辺の子供の親たちが騒がしい」に進むようだ。
さすが企業のやることは抜かりがない。
戦略的に電子教科書採択への最短距離を着実に進んでいるようだ。
教科書屋さんやiPad屋さん達が「電子教科書にしましょう」では胡散臭さを感じる人もいるのだ。
でも、親たちに言わせれば学校は否応なく採用する。子ども自身は何も知らずに大人に従うのみだ。
親たちに言わせてしまえば、業者は「そうですかぁ。致し方ありません、お売りしましょう。」となる。
親たちに言わせるにはどうするか、こんなニュースがあった。
「電子教科書のほうが教科書より学習効果が高い」
アメリカの教科書出版会社とiPadのAppleが共同で調査し発表したようだ。
そんな結果しか出ないに決まっている。
ここで報じられている「電子教科書」とは、モノは電子教科書だけど中身は「教科向けゲーム」だったのだから。
そして、これからは日本でも同じような調査発表が続くだろう。
これは効果的な戦略だ。「学習効果が高い」と言われて反対する親はそうそういないだろう。
学習効果があろうがなかろうが「漫画で学ぶナントカ」シリーズは教科書にならなかった。
漫画を教科書にしている国があるとは聞かないから、多分、世界共通の常識は、「漫画は教科書にしない」だったのだろう。
これまでの日本の常識は、集団の学習と個々人の遊びには何らかの境界を設けるものだった。
姿勢を正して学ぶ、スタイルだ。
一方、先ほどのニュースにある電子教科書とはゲームだ。
多分、一人でそのゲームに取り組んでも学習効果のある内容なのだろう。
教室で集まってやる必要はそれほど感じられない。
電子書籍もネットも空気のように存在する中で育った子供たちが何を失っていくのか、僕にはよくわからない。
ただ、それが空気のように当たり前に存在するようになると、そんなものは大切にしなくなる、ってうのが人間という事は言える。
ということは、電子教科書がなければ勉強ができない、となる気がしてならない。
同様に、ゲーム化された電子教科書がなければ教えられない、という教師も増えるだろう。
もちろん、専用のゲーム化された教材がなくても学んでいく子供もいるだろう。
だが、全体としてはどうなんだろう。平均としてはどうなんだろう。
つまらなそうな教科に興味を持ち学ぶ能力、という能力は幻想なんだろうか。
なんだかジジ臭くなったな。
でも、そういう事が気になるのだから仕方がない。
結果、充分なテストも何もなしに、わずか数年で子供たちの学ぶ場に導入されるのだろう。
原発よりはリスクが少ない、とでも言うのだろうか。。。
そういう時代だ、といえばそれまでだけど。
あちこちで、「未来の子供たちのために」とか、言わなきゃいいのに。
期待しちゃうじゃん。
※ハミ出し
子供時代を思い返して感じる紙の本の良さ
・情報量や内容に応じて質感が変わること。小説の内容を忘れても量だけ覚えていたりする。
・年月の経過で質感が変わること。兄弟が読んだ、従兄弟から貰った、、、ボロほど価値がある気がする。
・原始的な表現となるため想像力が鍛えられること。ゲームは解くことに夢中になりがち。ビジュアル付きだし。
・物理的な傷(折る、破る、追記する)をつけられること。モノ全体として自分のオリジナルのものになる。
・人にそのまま譲り渡せること。←これがビジネス的著作権的には面白くない
・その本が読まれ年月を経た質感は、その本固有の質感となりコピー出来ない。読んだお気に入りの本を大切な人に譲る、とか、それは本屋さんで買い替えることとは全く意味が違う。
・本の質感自体がその人にとってかけがえの無い大切な記憶となること。本に触れたときに読んだ時の感覚を思い出すとか、あるよね。教科書の表紙のテリテリ具合やザラザラ具合なんて今も覚えている。
金曜日, 1月 20, 2012
身近なバグ(でも直せない?)
よく見かけるけど実は誤り→「言われなくても勉強しなさい」と言われて勉強する。
正しい姿→「言われなくても勉強しなさい」と言われたから勉強しない。
あるいは正しいお願いの仕方→「言われなくても勉強するようになれたらいいねー」
・類似ケース
よく見かけるけど実は誤り→「指示されなくても行動しなさい」と指示されて行動する。
正しい姿→「指示されなくても行動しなさい」と指示されたから行動しない。
あるいは正しいお願いの仕方→「指示されなくても行動できるようになれたらいいねー」
単に言葉のアヤと思っていたけど、そうではない。
「言われなくても・・・」とは、言われない場合に・・・する、なのだから、言われたからやらなくても間違っていないわけだ。我慢して言わなかったら、やったかもしれないけどねぇ。
言われずにやって欲しいことを「言われなくても・・・」と伝えること自体がバグなのだ。
言われた時にこんな言い訳をしたら叱られるだろう。
僕もいい加減50歳も近づいてきて、会社の上司に、こんな口答えはしない。多分、していないと思う。
(汗)
が、でも、厳しく言わせて貰えば、「本気でないから間違った言葉のまま繰り返している」のではないか?
「言わなくても」の真意は「主体的に」なって欲しいのだろうとは思う。
でも、本当に「主体的に」なって欲しいなら、そんなバグのある言葉を発せずに、本人に気づかせなければならない。
本気ならそうするハズだ。
自分で考え気づかせることをせずに声高にバグっている言葉を叫び続けるのは滑稽だ。
なのに、同様にバグに気が付いていない人からの評価は得られてしまう。
口うるさく「言われなくても勉強しなさい」を唱える親御さんを教育委員会とかは教育熱心だと評価するだろう。
でも、肝心の、そうしてもらいたい人達からは支持されない。
「やろうと思ってたのに言うんだもんな」と、感じてしまうのだ。ま、"やろうと思ってた"も嘘なんだけど。
あろうことか、「あれだけ酸っぱく言ったのに、わからん奴らだ」とか、間違いに気づくどころか居直ることもしばしばだ。
だから、これは厄介なバグなのだ。
ということに気が付きました。←今さら何を言う
姉妹品「皆でリーダーシップを発揮しよう」もヨロシク。
※はみ出し
この週末で読み終える「暗号解読(上下巻) サイモン・シン著」が"超"面白い。
書いてあることを試したくなって、人生最高桁数手書き計算「十"兆"」の計算をしました。単なるわり算だけど。
↓記念写真
正しい姿→「言われなくても勉強しなさい」と言われたから勉強しない。
あるいは正しいお願いの仕方→「言われなくても勉強するようになれたらいいねー」
・類似ケース
よく見かけるけど実は誤り→「指示されなくても行動しなさい」と指示されて行動する。
正しい姿→「指示されなくても行動しなさい」と指示されたから行動しない。
あるいは正しいお願いの仕方→「指示されなくても行動できるようになれたらいいねー」
単に言葉のアヤと思っていたけど、そうではない。
「言われなくても・・・」とは、言われない場合に・・・する、なのだから、言われたからやらなくても間違っていないわけだ。我慢して言わなかったら、やったかもしれないけどねぇ。
言われずにやって欲しいことを「言われなくても・・・」と伝えること自体がバグなのだ。
言われた時にこんな言い訳をしたら叱られるだろう。
僕もいい加減50歳も近づいてきて、会社の上司に、こんな口答えはしない。多分、していないと思う。
(汗)
が、でも、厳しく言わせて貰えば、「本気でないから間違った言葉のまま繰り返している」のではないか?
「言わなくても」の真意は「主体的に」なって欲しいのだろうとは思う。
でも、本当に「主体的に」なって欲しいなら、そんなバグのある言葉を発せずに、本人に気づかせなければならない。
本気ならそうするハズだ。
自分で考え気づかせることをせずに声高にバグっている言葉を叫び続けるのは滑稽だ。
なのに、同様にバグに気が付いていない人からの評価は得られてしまう。
口うるさく「言われなくても勉強しなさい」を唱える親御さんを教育委員会とかは教育熱心だと評価するだろう。
でも、肝心の、そうしてもらいたい人達からは支持されない。
「やろうと思ってたのに言うんだもんな」と、感じてしまうのだ。ま、"やろうと思ってた"も嘘なんだけど。
あろうことか、「あれだけ酸っぱく言ったのに、わからん奴らだ」とか、間違いに気づくどころか居直ることもしばしばだ。
だから、これは厄介なバグなのだ。
ということに気が付きました。←今さら何を言う
姉妹品「皆でリーダーシップを発揮しよう」もヨロシク。
※はみ出し
この週末で読み終える「暗号解読(上下巻) サイモン・シン著」が"超"面白い。
書いてあることを試したくなって、人生最高桁数手書き計算「十"兆"」の計算をしました。単なるわり算だけど。
↓記念写真
水曜日, 1月 18, 2012
国語のテストの時間です
こういうテスト問題があったら皆はなんと回答するのかなぁ。
【国語の問題】
「長く使うのがエコ」に続く文章で最も適切なものを選びなさい。
①「今あるものをを長く使いなさい」
②「これを買いなさい」
③「安くなる特典付きだから急いで買いなさい」
某フォルクスワーゲン社のCMによると、正解は③らしい。
なるほど、多分、道徳的に僕が間違っているのだろう。
そのCMはこちら↓。(CMのくせにブログへの「埋め込み」を許可していない。)
http://youtu.be/4PMtrpzfi1U
これを見た時、思わず笑ってしまった。ウケた。
まず、皮のブーツなんかを映して、"いいものを長く使う。それが本当のエコ"とくる。
ここで僕は「いいこと言うじゃん」と身を乗り出す。
次に、"フォルクスワーゲンにしませんか?今ならエコカー割引10万円。"とくる。
これで僕は「なんでやねん」とテレビに向かってコケツッコミを繰り出す。
そういうCM。
※ハミ出し
どこに委託しているのかしら無いけど、以前からフォルクスワーゲンのCMって、僕的には残念な感じが多いなぁ。
【国語の問題】
「長く使うのがエコ」に続く文章で最も適切なものを選びなさい。
①「今あるものをを長く使いなさい」
②「これを買いなさい」
③「安くなる特典付きだから急いで買いなさい」
某フォルクスワーゲン社のCMによると、正解は③らしい。
なるほど、多分、道徳的に僕が間違っているのだろう。
そのCMはこちら↓。(CMのくせにブログへの「埋め込み」を許可していない。)
http://youtu.be/4PMtrpzfi1U
これを見た時、思わず笑ってしまった。ウケた。
まず、皮のブーツなんかを映して、"いいものを長く使う。それが本当のエコ"とくる。
ここで僕は「いいこと言うじゃん」と身を乗り出す。
次に、"フォルクスワーゲンにしませんか?今ならエコカー割引10万円。"とくる。
これで僕は「なんでやねん」とテレビに向かってコケツッコミを繰り出す。
そういうCM。
※ハミ出し
どこに委託しているのかしら無いけど、以前からフォルクスワーゲンのCMって、僕的には残念な感じが多いなぁ。
土曜日, 1月 14, 2012
虚しい言葉「エシカル」
多少高くとも道徳的な買い物をする、そんな考え方をエシカル(ethical)というのだそうだ。
元々は「倫理的な」といった形容詞だったらしいが、こと最近は「エシカルファッション」とか「エシカルジュエリー」といった感じで、商品と結びついて使われることが少なくないようだ。
「地球に優しい素材」だったり「児童労働の関与していない製品」だったり、良いことなんだろうけど、結局、"エコ"に続く売らんかな的な流行語になっちゃうと思うと滅入る。
エコの時も、始めこそ本来のエコの意味で使われていたのが、いつの間にか商品を売るためのキャッチフレーズになってしまった。
エシカルファッションやエシカルジュエリー、意味を正確に表わせば、「倫理的素材ファッション」「道徳的製造宝石」とかになる。
うーむ。意味がちゃんと伝わると買う前に「ほんとうに必要なのか?」と一度考えてみる気になる。
要するに買う気が失せるのだ。
が、カタカナのマジックは売る側には都合が良いのだ。
真意なんて伝わる必要など無く、むしろ真意は伝えたくない。
だって、エシカルの真意は倫理的/道徳的なんだから、買い物で言えば「不要なものは買わない」はずだから。
売る側の真意は、理由は何でもよくて買う気が増せば良いのだ。
エコがそうだったように、エシカルも流行りだすと「不要かどうかなんて考えず、とにもかくにもエシカル的なモノを買いましょう」になるわけだ。
こんなならいっそ、理由はともかく今あるモノは捨ててでも新しくモノを買う、そういう姿勢こそが道徳的で倫理的だ、と文部省辺りに認定してもらいたいものだ。
【道徳的、エシカルな生き方】
去年買った減税エコカーは野暮ったいのでエシカルカーの新車に買い換えた。
やっぱりエシカルな宝石に買い換えなくっちゃ。
近所の野菜なんて怖くって。。。やっぱり外国産のエシカルマークの付いた野菜でしょ。
エシカルな水しか飲みませんのよ。水道水ってエシカルじゃないでしょ。
原子力こそエシカルなエネルギー。
元々は「倫理的な」といった形容詞だったらしいが、こと最近は「エシカルファッション」とか「エシカルジュエリー」といった感じで、商品と結びついて使われることが少なくないようだ。
「地球に優しい素材」だったり「児童労働の関与していない製品」だったり、良いことなんだろうけど、結局、"エコ"に続く売らんかな的な流行語になっちゃうと思うと滅入る。
エコの時も、始めこそ本来のエコの意味で使われていたのが、いつの間にか商品を売るためのキャッチフレーズになってしまった。
エシカルファッションやエシカルジュエリー、意味を正確に表わせば、「倫理的素材ファッション」「道徳的製造宝石」とかになる。
うーむ。意味がちゃんと伝わると買う前に「ほんとうに必要なのか?」と一度考えてみる気になる。
要するに買う気が失せるのだ。
が、カタカナのマジックは売る側には都合が良いのだ。
真意なんて伝わる必要など無く、むしろ真意は伝えたくない。
だって、エシカルの真意は倫理的/道徳的なんだから、買い物で言えば「不要なものは買わない」はずだから。
売る側の真意は、理由は何でもよくて買う気が増せば良いのだ。
エコがそうだったように、エシカルも流行りだすと「不要かどうかなんて考えず、とにもかくにもエシカル的なモノを買いましょう」になるわけだ。
こんなならいっそ、理由はともかく今あるモノは捨ててでも新しくモノを買う、そういう姿勢こそが道徳的で倫理的だ、と文部省辺りに認定してもらいたいものだ。
【道徳的、エシカルな生き方】
去年買った減税エコカーは野暮ったいのでエシカルカーの新車に買い換えた。
やっぱりエシカルな宝石に買い換えなくっちゃ。
近所の野菜なんて怖くって。。。やっぱり外国産のエシカルマークの付いた野菜でしょ。
エシカルな水しか飲みませんのよ。水道水ってエシカルじゃないでしょ。
原子力こそエシカルなエネルギー。
火曜日, 1月 10, 2012
お正月休み
年々、スーパーやデパートの初売が1月1日に限りなく近づいている。
それとともに、年末年始休暇も取りにくくなってきている。
そもそも、12月31日で営業していて、1月1日初売って、ありがたみがない。
せっかく「コンビニエンスストア」が開いていても、スーパーが1月1日に開いていたらコンビニ業界的にもありがたくない。
そんなんじゃ年末も正月も、いつもと何にも変わらないのだ。
おせち料理にありがたみがない。
スーパーが開いているのだから、わざわざ、冷えたお惣菜をつまむ必要もなかろう。
お年玉にありがたみがない。
日常的にお金を使っている、良く言えば金銭感覚の研ぎ澄まされた、そういう子供にとって、お金は"大"でなければありがたみを感じなくて当然だ。
しかし、元来、「お年玉」は小さいお金を指したはずだ。"玉"でなくてはならない。
そして、本当のお年玉のありがたみ。
それは、あの、お年玉を貰っても使うお店が開いていない、という焦燥感だ。
多少なりとも溜まっていくお年玉、開かない店、デパートでしか売っていない大型のプラモデルに化けるはずのお年玉が、近所の駄菓子屋のオモチャに変わっていく。
そういう事は今はないのだから、僕個人はお年玉は配っていない。
甥っ子や姪っ子には申し訳ないものだ、が、仕方ない。のだ。
そーゆー時代なのだ。
テレビの正月番組にありがたみがない。
年がら年中お笑い番組があるのだから。
正月ドライブのありがたみがない。
田舎に帰っていても、意外に車の出は多い。
初日の出見物や初詣で交通事故、のニュースが珍しくない。
初詣で交通事故とは、初詣のありがたみも怪しい。。
そんなんだから、計画停電は、こういうタイミングでやるといいのに。
謹賀新年、計画停電。語呂もいい。
お正月明けの通電開始には、きっと、拍手が起こるだろう。
「謹賀新年 計画停電のお知らせ お正月3が日の発電を中止させて頂きます。○○電力」
それとともに、年末年始休暇も取りにくくなってきている。
そもそも、12月31日で営業していて、1月1日初売って、ありがたみがない。
せっかく「コンビニエンスストア」が開いていても、スーパーが1月1日に開いていたらコンビニ業界的にもありがたくない。
そんなんじゃ年末も正月も、いつもと何にも変わらないのだ。
おせち料理にありがたみがない。
スーパーが開いているのだから、わざわざ、冷えたお惣菜をつまむ必要もなかろう。
お年玉にありがたみがない。
日常的にお金を使っている、良く言えば金銭感覚の研ぎ澄まされた、そういう子供にとって、お金は"大"でなければありがたみを感じなくて当然だ。
しかし、元来、「お年玉」は小さいお金を指したはずだ。"玉"でなくてはならない。
そして、本当のお年玉のありがたみ。
それは、あの、お年玉を貰っても使うお店が開いていない、という焦燥感だ。
多少なりとも溜まっていくお年玉、開かない店、デパートでしか売っていない大型のプラモデルに化けるはずのお年玉が、近所の駄菓子屋のオモチャに変わっていく。
そういう事は今はないのだから、僕個人はお年玉は配っていない。
甥っ子や姪っ子には申し訳ないものだ、が、仕方ない。のだ。
そーゆー時代なのだ。
テレビの正月番組にありがたみがない。
年がら年中お笑い番組があるのだから。
正月ドライブのありがたみがない。
田舎に帰っていても、意外に車の出は多い。
初日の出見物や初詣で交通事故、のニュースが珍しくない。
初詣で交通事故とは、初詣のありがたみも怪しい。。
そんなんだから、計画停電は、こういうタイミングでやるといいのに。
謹賀新年、計画停電。語呂もいい。
お正月明けの通電開始には、きっと、拍手が起こるだろう。
「謹賀新年 計画停電のお知らせ お正月3が日の発電を中止させて頂きます。○○電力」
金曜日, 12月 09, 2011
出身地による傾向
ふと思いついて出身地で性格や性質はどんな傾向にありがちなのか、をググってみた。
まぁ、テレビ番組になるほどだから県別云々は様々あるのだけど、概ね占い的で、どうとでも読み取れるようなサイトが多い。
そんな中で、興味深いデータをまとめている政府のサイトにたどり着いた。
(こーゆー(サイト訪問者を増やすのが目的としか思えない)作業を税金で賄う必要があるか、は、置いといて)
それは、「総務省 統計局・政策統括官(統計基準担当)・統計研修所」というサイトだ。
この中に「家計調査(二人以上の世帯)県庁所在市および政令指定都市別ランキング」というのがある。
http://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/286922/www.stat.go.jp/data/kakei/5.htm
これ、よくよく見ると、なかなか興味深い。
●ティッシュペーパー購入金額ランキング
上位に東北各市が顔を並べる。
これは、鼻水をかまなくてはならないのだから当然だ、と一瞬思ったが、那覇市もベストテン入りしている。
きっと、冬に冷たい水で布巾や雑巾を使うよりも使いやすいからだろう。
であれば、慢性的な水不足の沖縄でのベストテン入りも納得だ。
●トイレットペーパー購入金額ランキング
同様にトイレットペーパーも興味深い。
ここでも東北各市と那覇市がランクインするのだけど、これは、ティッシュと同じ事だろう。
これってウォシュレット普及率と関係しそうだとも思ったけど、普及率が高そうな東京や横浜が突出していないところをみると、そういう事でもないのだろう。
●菓子購入ランキング
これも興味深い。
・ゼリーと羊羹は食べない金沢市
・カステラ以外食べない長崎市
※あくまで、他の都市に比べて、です。
●米/パン/小麦系食品購入ランキング
・麺は食べるけどパンは食べない盛岡市
・うどんは食べるけどパスタは食べない高松市
・即席麺中心の宮崎市
・インスタント麺嫌いの横浜市(カップも袋も両方低ランク)
・即席麺(袋入り)嫌いのさいたま市
※あくまで、他の都市に比べて、です。
などなど。調味料別の購入ランキングなどもある。
うーん、平和な情報だ。
木曜日, 12月 08, 2011
ちょっと興奮「ヨーロッパ最大のIT企業が社内電子メールを廃止」
するんだそうだ。電子メール廃止。18カ月後。
これは、来年のムーブメントになるかもしれない。
http://jp.techcrunch.com/archives/20111201solving-email-overload-with-a-company-wide-ban/
リンク先記事はどうやって廃止するか報じていない懐疑的な論調だし、僕も最初は「それは無理でしょ」と感じた。
でもまてよ、その会社がどうなるかはわからないが、世の中的にはアリかもしれない。
電子メールを評価する/しない、好き嫌いから離れて考えてみよう。
電子メールでの仕事の進め方の特徴
・1対1もしくは1対Nのコミュニケーション
・リアルタイムではない(読むタイミングは読む側に任せられる)
・仕事内容別ではなく担当者別に、送り手の意向でメールは飛び交っている
・重要度の判定は読む側に任せられる(送る側が"重要"マークを付けられるが、受け取る側は、送信者と件名から独自に重要度を判定している)
・仕事以外のメールも飛び交う
・基本はローカルでデータ管理されてしまう
・メール単独で完結するわけではなく、成果物はDBに格納し、場合によっては掲示板などソーシャルネットワーク的なものも使う。
ソーシャルネットワーク(Facebook的なやつ)での仕事の進め方
・1対1もしくは1対NもしくはN対Nのコミュニケーション
・リアルタイムではない(読むタイミングは読む側に任せられる)
・自分の担当業務に応じて、必要なコミュニティー、必要なスレッドに参加する
・自分が必要な分の更新情報に絞って受け取ることが出来る(メールやログイン時のトップ画面で)
・重要度は参加者の意思と連動する(重要でないコミュニティーには参加しない)
・情報がオープンになるため仕事以外の会話は最小限に抑えられる
(個人的な会話をソーシャルネットワークではしない)
・基本はクラウド型のデータ管理
・オープンソフトの開発はソーシャルネットワーク型で進められている。実績は十二分にある。
なるほど、メールは、どうしても相手の仕事内容を考えながら、それぞれ別々に報告したり、依頼したり、確認したり、ということになる。宛先が重要なわけだ。
当然、同じ内容でも相手に合わせて表現を変えたり、言葉遣いを変えたりしている。
たまに見かける目上の人が部下に乱暴なメール指示(結果的に、部下が上司を訪ね、直接話を聞かなければならない)を出したり、なんてことが、今は当たり前だ。
一方、ソーシャルネットワーク。
情報にアクセスする人を想定するとは言っても、特定の個人とは限らない。誰が目にするのかわからないのが基本だ。だから、表現を相手毎に合わせて変える必要はないし、同じ情報を相手毎に表現を変えてメールするようなことも不要だ。
さらに、仕事内容毎の分類にそって、参加者自身が自分で情報を取捨選択していくスタイルになる。
悪く言えば相手任せになるわけだけど、ミッションが明確であれば、概ね担当すべき人が必要な役割を自ら担うだろう。
もちろん、残念ながら自ら取捨選択できないケースもあるだろう。そんな時は、1対1でメールを差し上げる。と。そんな感じになりそうだ。
これは、言ってみれば今も変わらない。
現実には、全廃という話ではなく、仕事をすすめるメインはソーシャルネットワーク、メールは補助的なものになっていくのでしょう。
最近は、企業でもソーシャルネットワークを活用しようと取り組み始めているのですが、従来の仕事の仕方「メール」に慣れ親しんだために、なかなか移行できないだけなのかもしれませんねぇ。
実際、今、自分がメールで処理している仕事を、ソーシャルネットワークに移して困ることがあるか?と考えると、「読んでもらいたい相手が、日常的にアクセスしているなら大丈夫」だな。
残念ながら今はそんな状況ではないので、日常的にアクセスしているメール主体で仕事を進め、自分の仕事の記録先としてソーシャルネットワークを使ったりしている状態。
一人ソーシャルはあまり意味が無いのだろうけど、バックアップの心配もないし、履歴管理もできるし、後で探しやすいし、まぁ、便利ではあります。
みんなが担当業務のコミュニティーに参加し、自分の仕事のスレッドやwikiをきちんと認識してアクセスして行動するなら、必要以上に余計な会話や、なにより、準ジャンクメールの相手をする時間は激減するでしょう。
1対1になりがちなメールだと、どうしても、余談も始まってしまうし、しかもクローズな話題(悪口や愚痴)もしやすかったりしがちです。ソーシャルネットワークなら、必要な範囲でオープンになるため、そーゆー非生産的(コミュニケーションの面でもさほど有意義でない)な活動はしなくなるでしょう。
あるいは、上司の乱暴な指示メールなんかも、SNS主体で仕事を進める場合は公開されてしまうので、乱暴な指示を改めるか、あるいは、そんな指示しかできない方には退場していただくしかなくなるわけだ。
SNSで仕事をする妄想を進めていく中で、その昔、電子メールを仕事で使い始めた時代を思い出しました。
最初の頃は、「飲み会の約束」ぐらいでしか使われなかった、あの時代の空気。
あの時代「報告書は無くなります」なーんて言ってたけど、必要に応じて残るものは残りつつも、確実に「主体はメール」になった。
社長(トップ)が電子メールを使うようになったら会社全体で電子メールを使うようになった、あの時代と同じように、社長がSNSを使うようになれば会社全体でSNSを使うようになるわけだ。
ということで、電子メール偏重からソーシャルネットワーク偏重へと舵を切る時代が始まった、んだねぇ。
※ハミ出し
ソーシャルネットワーク、流行りのつぶやきも顔本もプライベートでは使ってないなぁ。
あーゆーのは、プライベートだと気を使っちゃうから疲れそうなんだよねぇ。
※ハミ出し
"Atosの野望"は、本当らしい。ツール詳細はわからないけど、組織変革と何らかのSNSを活用して「ゼロメール(Zero email)」を達成するのだとAtosのホームページで謳われている。
http://atos.net/en-us/about_us/zero_email/default.htm
火曜日, 12月 06, 2011
50絡みの男とデフレ
世の中デフレなのだそうだ。ちなみに↑の映像はシルブプレだ。デフレとは何の関係もない。
随分前からそんな話は聞いているし、大体が、僕が若かりし頃(既に20年も経っている)のアルバイト賃金と今のアルバイト賃金に大した差はない。むしろ、安くなっているぐらいだ。
ということは、デフレは20年もつづているのか?
ということで、デフレがいつから続いているのかググッてみた。
うーむ。Wikipediaのデフレの項目に、その答えがズバリあった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
"2011年10月現在、GDPデフレーターという総合的な物価指標で見た場合1997年の消費税引き上げという特殊要因を除けば日本のデフレは事実上1995年頃から16年以上も続いていることになる。"
もうすぐ、17年、デフレスタート同時に生まれた子は高校卒業を迎えるではないか。
そっか、これが、失われた20年なんだ。
ということは、今、20歳位の若者は、二歳ぐらいまでにお財布持って買い物していない限り、生まれてこの方、ずーっとデフレだ。(←当たり前だ)
そもそも、モノの値段を実感できるようになるのが10代半ばだとしたら、35歳位までの人達は、事実上「デフレしか知らない世代」なわけだ。
そんな若者からみたら、そりゃぁ、世の中が「拡大する」なんてのは夢物語だろう。
「景気拡大」「デフレ脱却」も、20年もの長きに渡って変化がなければ、その言葉は無意味になる。
世界平和や貧困撲滅と何ら変わらない、実感しにくい言葉。
経済が拡大する事を経験していない世代にとって、言葉の持つイメージは違うわけだ。
そんな終わりのないダラダラした事を考えている中で、ふと、自分が50絡みだと気がついた。
今風に言えば、アラフィフか。
そもそも、50絡みとは言うのに、0絡み、10絡み、20絡み、30絡み、40絡み、60絡み、70絡み、どれも使われていない。馴染みがない。
100絡みすら言われない。
年代の呼称として唯一絡めるのが"50絡み"なのだ。
まさに自分が、その貴重な、人生一度しか無い50絡みになってるは驚きだ。
どうだ、凄いだろ。と、一瞬思ったが、その灯りはすぐ消えた。
※後でよくよく調べたら、別に、40絡みや60絡みという言葉も使わなくわない。
が頻度は女性が40絡み~50絡み、男性は50絡みが多いようだ。
なにせ、50絡みは、どこかイマイチの曇り空の日の夕日のようだ。
カッと夕焼けが照らされるでも無し、雨でもない。季節は晩秋、そんなイメージ。
僕自身は、ちょっと前まで40過ぎとか、バカボンのパパとか、中年真っ盛り、とか、思っていたのだが、昨日、ふと気がついてみたら正真正銘50絡みである。
50絡みの自分というのは、新たな自分の発見だ。
きっと、職場なんかでも、「ほら、あの50絡みのオジサン」と、若干のガッカリ感を持って使われているようなカンジがするなぁ。
コンビニでも、レジ(たまに客層を打ち込むらしい)で、「男性・50絡み」などと打ち込まれているのだろうか、、、と思ったが、あーゆー機微の無い機械は、「男性・50代」と、せっかくの50絡みは無視されているのだろう。
コンビニのオニイサンに声を大にして伝えたい。私は50代ではない。50絡みの40代なのだ!
こんな話を友人にしたところ、「アラフォー」という言葉が最初に定着したのは、女性に対してじゃなかったかという話が出てきた。(こういうしょーもない話を聞いてくれる友がいるというのは、恵まれた50絡みだと思う。)
うん。確かにそうだ。そうじゃないかもしれないが、多分そうだろう。ググッて確かめるのも面倒だ。
女性のアラフォー、男性の50絡み。
多分、世の中の期待値、性的な意味とか仕事をバリバリこなす的な意味とか、そういう期待値が下りに差し掛かるのが、女性のアラフォー/男性の50絡みなのかもしれない。
下りに差し掛かっている年齢層にフォーカスしたから、そのどちらも言葉としてブレイク、もしくは定着したのだろう。
そう思うと、ちょっとだけ昨日よりも謙虚な気分になった気がした。
そんな50絡みに気がついた初日だったのでした。
※ハミ出し
時間をもっと細かく刻めば、今月誕生日を迎える私は、今、「48絡み」なんだなぁ。
※ハミ出し2
アラフォーの語源(結局、気になってググッてみた。):http://zokugo-dict.com/01a/arafo.htm
※ハミ出し3
ググった時のヒット数(重心を取ると45強ぐらい)
「"10絡みの男"」 0件
「"20絡みの男"」 0件
「"30絡みの男"」 1,750件
「"40絡みの男"」 5,370件
「"50絡みの男"」 7,090件
「"60絡みの男"」 1,440件
「"70絡みの男"」 4件
「"80絡みの男"」 0件
ついでにググった時のヒット数(重心を取ると43ぐらい)
「"10絡みの女"」 0件
「"20絡みの女"」 0件
「"30絡みの女"」 1,730件
「"40絡みの女"」 5,530件
「"50絡みの女"」 5,800件
「"60絡みの女"」 5件
「"70絡みの女"」 2件
「"80絡みの女"」 0件
も一つついでにググった時のヒット数
「"アラサー"」 129万件
「"アラフォー"」2030万件
「"アラフィフ"」 280万件
木曜日, 12月 01, 2011
タイトル忘れたムーア中傷(反駁ではなく)の映画で学習できたこと
↑は、アメリカを愛するからこそアメリカ政府に手厳しいムーアの日本に対する見解。
これも手厳しいが、日本に対する愛情を感じられる力強いコメント。
ムーア監督についてはこちら(Wikipedia)
ゲンパツ、コッカイ、ネンキン、スモウキョウカイ、カンリョウ、ナベツネ、シンブン、テレビキョク、などなど、旧態依然体質だと非難轟々でも、それが「古き良き文化」だと言い張れる皆様。
かく言う私もキツエンに関して、そういう言い方をしていた時期があったなぁ。反省。
そんな「アメリカこそ正義、アメリカこそ古き良き文化、それがアメリカですが何か?」の方々が溜飲を下げられる?アメリカ映画を見た。
というより、見てしまった。
見てしまったんだから、仕方がない。なんかしら学習効果を残すべく、前向きに、勉強になった点を記録しておこう。
勉強になったのは、「情報公開された事実(反論の余地が無い事実)」に対し、
1.真実を明らかにした人に対する中傷(しかも外見的中傷ばかりで見るに耐えない)
2.中傷はその家族に対しても容赦しない(子供にも容赦無い)
3.論理的な説明や反証は一切ない(反論は無いのか、できないのか。。。)
4.現在生きている人の言葉ではなく、歴史上の人物の言葉を借りて言い訳する(軽い扱いで、本当に尊敬してるのか?)
そういうアプローチ。
なるほど、論理的な主張が完璧に近ければ、相手の土俵には乗らずに非論理で対抗するのは効果的だ。
私が見たことがある、なるほど納得のケンカテクがそうだった。
真っ当な理由でクレームを受けたら、「ところで、あなた、口が臭いよ」の一言で形勢逆転するというやつ。
そのワースト更新映画のタイトルを思い出せず、検索してみたけど、見つからないや。
こういう時にTSUTAYAだとねぇ。返しちゃったものはわからない。
だから何の映画の話は書かないで(というより思い出せないから書けない)おこう。
とにかくマイケル・ムーアを中傷する(彼の主張内容ではなく、彼の経歴/外見的特徴や家族に対する中傷)ためだけの映画だった。
なるほど、マイケル・ムーアは、中傷も止むない大統領並の権力者、、、じゃないし。
そもそもパロディー映画が一ジャンルを確立するアメリカでは、多少の中傷は「ブラックユーモア」の範疇に収まるのかもしれない。
これで気をつけなければならないジャンルが一つ増えた。
ホラー映画に加え、アメリカの安っぽいパロディー映画にも気を付けよう。
(どちらも、後味が悪く睡眠に影響するのだ。)
最近はヨーロッパ作品に偏りがちなんだけど、封切りされたら観たいアメリカ映画はこれ↓。
水曜日, 11月 30, 2011
映画「ブローン・アパート」
CMやトレーラーでは、今ひとつ、何がウリなのか、どんなジャンルなのか、ピンと来なかったけど、観てみるとなるほどヨーロッパのベストセラー「息子を奪ったあなたへ」の映画化だけあって、深い映画でした。
また、サイドストーリーになるわけだけど、「テロ」に対する見方も、アメリカとの違いを感じました。
もしかすると、この原作の映画化はアメリカでは難しいかもしれません。
例によってあらすじはこちら→http://blown-apart.com/
軽薄になりがちな人間関係、そんな中でも変わらない、母と子の絆、建前ではない真実の重み。
どんな経緯があろが、どんな状況だろうが、どんな境遇だろうが、出産は嘘偽りの余地のない行為。
これをテーマにズドヨーンと、身につまされる映画でした。
ジンポトーリと涙が出てくる感じの映画。
ズドヨーンときて、ジンポートリとくるのです。ドドスコスコスコなどとは相容れない世界。
どんなに世の中が変わっても、変わらない(変われない)事柄を目を背けずにシッカリ見つめる。
そうすれば、そこに答えがあるとこの映画は教えてくれる。
それが若い時にわかっていれば良かった、と、今さら後悔しても遅いのだけど、目を覚ますには充分な映画でした。
相変わらず、雨でも霧でもないのに、イギリスはグレーを基調にした映像。
イギリス映画協会は鮮明な色彩を禁じているのだろうか。と思いつつ、この映画に関しては、この色合いで良かった。
火曜日, 11月 29, 2011
映画「地球に優しい生活」
原題は「No Impact Man」。主人公のサイトはこちら。
http://noimpactman.typepad.com/
この映画、正直、期待していなかった。アメリカ映画だし。
エコブームに乗った、「はいはい。わかりました。よくできました。」的な醒めた感覚になるような映画なんだろうなと思っていた。
で、観てみたら、まぁ、あなた、ねぇ、割りといけてるのよ。と、オバサンモードになるような良作。
映画、というより、良質のドキュメンタリー、あ、それはそれで映画か。
古き良きテレビ番組、以前の、新日本紀行的な淡々としたノリです。
作家を生業とする主人公が、家族と共に「エコな生活にチャレンジしてみよう」と思い立つところから物語はスタートします。
ここのところが、良い意味でアメリカ的で、「注目をあびるかも」や「作家として次の作品に活かせるかも」というような見ようによっては腹黒い部分もスッキリ吐露しつつのスタート。
注目も浴びたし、次の作品にも活かされたわけだけど、面白いのは、主人公一家が「特殊なことをして目立つ」という、どこか気負った意識が、映画の後半では、「こういう生き方がむしろ普通だよねぇ」的な感覚に変わっていくところだ。
家族構成は、奥さんと一人娘。子供はまだ3歳なので、事実上、巻き込まれて迷惑を感じるのは奥さん。
「環境に悪影響を及ぼさない」意味を考え、電車や車の移動を自転車にしたり、外食を止めたり、そんなところからスタートします。
一年と期限を切ってのスタートなので、開始前日に大量に洋服を買い込む奥さん。
気持ちはわかります。「食料以外は新たに買わない」のが最初のルールだから。
そんな感じで、まぁ、最初のうちは、「買い置き」もあるわけで、チョット不便、ぐらいのノリです。
想定内で楽しむ余裕がある。
テレビを捨て(リサイクルショップに持ち込む)、洋服を捨て、食料は200Km圏内でとれたものしか買わない。結果、地元の市場でしか買わない。
ミミズを買い込んで生ゴミは全て家庭内で処理する、と、だんだん本格化していきます。
そして、紙オムツ無し、トイレットペーパー無し(布を利用)、洗剤/石鹸無し(自家製に切り替え)、洗濯機を使わない(風呂桶で洗濯)、、、、そして3カ月後にはいよいよ電気を遮断し、太陽光発電パネル一枚でブログ更新だけはなんとか続けます。
一年かけて、四季を越えながら、一つ一つハードルを乗り越え、その都度、普通の不便さを感じ、その不便さを乗り越える楽しみを覚え、そこにニューヨークのど真ん中に住んでいても感じられる「自然」を満喫するようになっていく。
最後には、その全てが「当たり前」に変わっていく。
その過程は、見ているだけでも、とても楽しいものでした。
そう、今だって、普通に電気がなかったり、スーパーが無い地域でも人は暮らしいてるわけだし。
気になった/興味深かったこと
☆子供は柔軟
夫婦ともに少なからず慣れるまでの間は「不便に対するストレス」がある。
でも、三歳の女の子は、終始、楽しそうに環境変化に合わせていることでした。あっという間に順応する。
★旧態依然を守りたい陣営の嫉妬
彼がそんな生活を始めて脚光を浴びているからか、彼や家族に嫌がらせがあったことには驚いた。
こんな小さなイノベーション(かどうかもわからない実験)にも面白くないと感じる人達がいるんだなぁ。
資本主義恐るべし。
↑いずれもお金を出して買わなければ手に入らない本達。:-P
木曜日, 11月 24, 2011
殿堂入りのプロジェクトマネジメント
http://history.nasa.gov/ap11ann/adminbios.htm
↑のリンク先に、アポロ計画の主だったマネージャー達が紹介されている。
当時はまだ、プロジェクトマネージャー(以下PM)のバイブルPMBOKも無かった時代。
ケネディー大統領の発表時点では、一部の人々からは「荒唐無稽」とまで言われたプロジェクトがアポロ計画だ。
当初、A~Gまで7つ計画されたミッションを完了させたのは当然、最終的にはH~Jまで計10のミッションを完了させた。更に、当初計画ではアポロ20号まであったものが17号で終了(ミッションコンプリートで前倒し、残り3号分の予算はスペースシャトル計画に回された)できたのだ。
これは、明らかにスーパープロジェクトだ。
もし、プロジェクトXの世界大会があれば、殿堂入り間違いなしだ。
ケネディーの言葉を借りれば、「このプロジェクト以上により強い印象を人類に残すものは存在しない」壮大な成功プロジェクトだ。
(但し、地上でのシミュレーション中に三名の宇宙飛行士を失っている。合掌。)
プロジェクトキックオフのメッセージとも、プロジェクト憲章とも言えるのが有名なこれだ。(Wikipediaより)
1961年5月25日、ケネディは上下両院合同議会での演説で、アポロ計画の支援を表明した。
「まず私は、今後10年以内に人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させるという目標の達成に我が国民が取り組むべきと確信しています。この期間のこの宇宙プロジェクト以上に、より強い印象を人類に残すものは存在せず、長きにわたる宇宙探査史においてより重要となるものも存在しないことでしょう。そして、このプロジェクト以上に完遂に困難を伴い費用を要するものもないでしょう。」
素晴らしいメッセージだ。力づけられる。勇気が湧いてくる。
そして、なによりも判りやすい!
仮に、当時のNASAで掃除夫*をしていたとしても、誇りを感じただろう。そんな力を与えられる言葉だ。
とはいえ、言葉ならどうにでもなるかもしれない。ましてや政治家の言葉だ。
*掃除夫に他意はありません。あぁ、ネットって面倒くさい。
ここは疑い深く、本当に素晴らしいキックオフのメッセージだったのかどうか、検証してみよう。
どう検証しようか考えたのだけど、アポロ計画と同様に、10年以上の歳月をかけた国家的なプロジェクトとしての日本の「もんじゅ」を比べてみよう。←別にもんじゅでなくても良かったのだけど、国家プロジェクトと聞いて思い出したのがもんじゅなのだから仕方ない。
、、、と思ってググったが、当時の首相の言葉は見つけられなかった。
代わりに動燃30年史にこんな記述があった
「1.高速増殖原型炉「もんじゅ」の開発の目的と進め方
高速増殖原型炉「もんじゅ」は、原子力委員会が策定した~中略~昭和43年以来開発を進めてきた発電プラントである。」
ソース→http://www.jaea.go.jp/jnc/siryou/30nensi/index.html
あるいは、昭和31年の原子力白書に首相ではないが当時の大臣の言葉があった。
「世界の原子力の平和利用は,~中略~
さらに世界の原子力利用の~再中略~
昭和32年12月
原子力委員会委員長
国務大臣 正力 松太郎」
ソース→http://www.aec.go.jp/jicst/NC/about/hakusho/wp1956/index.htm
ケネディーの演説とは大違いだ。「○○に基づきやるのだ」「世界がやるからやるのだ」でしかない。
その上、「分かり難い」。伝わらない、というより、伝える気が無かったのだろう。
最初から他責の論理だった。自分の国ながら残念だ。
だって、ケネディーの演説は、「我々がやらねばならぬのだ」だ。
あくまで自責なのだ。
なるほど。プロジェクトの成功とはそういうことだ。
責任者が自分の責任において、「やるのだ」という意思を明確に発することが重要なのだ。
長らく日本の政治が何もできないのは、そういうことなんだろう。
イノベーションの本で読んだ、「成功への絶対条件は危機感の共有」という意味がよくわかる気がする。
もし、今なお、"もんじゅプロジェクト"を継続するのなら、「少なくとも今まで作り出してしまった核廃棄物を最終処理するために、やらねばならぬのだ」と言ってくれれば、原発への賛否はともかく、共感できるのに、と思った。
※はみ出し
もんじゅ計画を含め、核廃棄物を最終処理できる技術を人類は未だ持っていない。念のため。
じゃあ、どうするかといえば、事実上「放置」「海洋投棄」「数百メートル地下に格納」のどれかだ。
宇宙投機は「万が一失敗(空中で拡散)した時のリスク」から誰も踏み切れないのだそうだ。
唯一期待できそうなのは、「軌道エレベーター」だが、まだ先の話のようだ。
※はみ出し2
↓は"原子炉圧力容器内の放射能除去装置"という特許情報。ま、僕のような素人が考える言葉のイメージ通り使えるならフクシマは困らないわけだが。。。
http://www.patentjp.com/06/U/U100012/DA10016.html
※はみ出し3
ついでに、「宇宙エレベーター協会」という団体があり、前述の軌道エレベーターを語り合っている。
http://jsea.jp/
月曜日, 11月 14, 2011
絆を充実させる習慣
多分、どこかのお金の使い方のプロが書いたのだろうお金が貯まる習慣というのがあった。
これ自体には全く興味がなかったのだけど、ふと思いついて、「お金」を「人」に置き換えてみた。
【お金が貯まる習慣】
習慣1 : 「まとまったお金」は十分貯金とみなす
習慣2 : 小銭でもお金として大切にする
習慣3 : お金の使い方にメリハリがある
習慣4 : ATMで何度もお金を下ろさない
習慣5 : 財布の使い方がキレイ
習慣6 : ライフプランにあわせた貯蓄をしている
習慣7 : 不意の出費に備えた資金計画を立てている
「お金に対して丁寧に向き合う」ことが大前提
http://journal.mycom.co.jp/news/2011/11/01/014/?rt=m&t=o&n=3339
【絆(人間関係)を充実させる習慣】
習慣1 : 「まとまった人間関係」は十分"絆"(きずな)とみなす
習慣2 : ちょっとした人間関係でも"絆"として大切にする
習慣3 : 人との付き合い方にメリハリがある
習慣4 : SNSなどで何度も"絆"を作らない
習慣5 : 住所録の使い方がキレイ
習慣6 : ライフプランにあわせた"絆"を持っている
習慣7 : 不意の出来事に備えた人間関係を持っている
「人に対して丁寧に向き合う」ことが大前提
通常は、人付き合いが0でも、お金が0だと生きていけない。
でも、この「通常」は、「非常」には通用しない。
非常時には、人付き合いが0では生きていけない。お金は無意味化するのだ。
非常時は、やたら増えてきている。
下図は内閣府(http://www.bousai.go.jp/)発表の「世界の自然災害の状況」グラフである。
宝くじ当たらないかな~←結局、そこ。
※ハミ出し
某、班目原子力安全委員長の、「(困難と思われている)原発立地の場所は、結局、金で買えるのだから何ら困難ではない」というような趣旨のことを、原発事故前にテレビに語っていた。そんな事を思い出した。
月曜日, 9月 05, 2011
世界大会あれこれ
まずは、ホームレスの人達のワールドカップ。
ワールドカップなんだから世界大会で、今年はパリで開催された模様。
50カ国もの国からホームレスのチームが集まったらしい。
日本チームのオフィシャルサイトはこちら。
野武士ジャパン!http://www.nobushijapan.org/
もう一つの世界大会は、リーダーシップ世界大会。
http://www.allleaders2011.com/
トップページには、
「一人のリーダーの声を聴き、それに従う時代は終わろうとしています」
とある。
そして、多様性(一人一人のユニークさ)を活かして全体が共鳴できるリーダーシップの形があるのだという。
「地球交響曲」の映画監督が、分科会ではpatagoniaの日本支社長が、と、なかなか興味深い人達の生の声を聞くことが出来る。
これは、勝ち負けのない世界大会なんだなぁ。
月曜日, 8月 01, 2011
「長期」夏期休暇取得のタイミング
夏である。
要否は諸説あるものの節電の夏でもある。
そして、夏期休暇のタイミングに頭悩ます時期でもある。
但し、このタイミングとは、いつ休むかではなく、職場や顧客に自分の長い夏休みを伝えるタイミングの話だ。
最近でこそワーク・ライフ・バランスとか言って、ある程度は取りやすくなったとはいえ、休暇の長さと取得のプレッシャーは比例関係にある。
今日は、その、長期休暇の許可を取るタイミングについて考えてみる。
(誰に宣言しているのやら)
【配慮すべき長期休暇許可願い】
1. こっそり休まない
いずれヤッカミの声は出るもの。堂々と休みましょう。
2. 上司が夏休みの計画(海外旅行など)を立てた時はチャンス
いつになく上司が長期の夏休みを早めに決めた。こんなチャンスを逃してはならない。
上司の夏休み動向に注意を注ぐのだ!
3. 小さくてもいい、仕事で成果を出した直後を逃すな
何かしら一区切りついたタイミング、特に、上司からの頼まれ仕事を終えたタイミングは逃してはならない。
4. 休んだ者勝ち。
法事とかなんとか、長期休暇の理由をあれこれ捏ねくり回すより、"長期休暇でも大丈夫"と信じこませよう。
休暇中も如何に仕事をケアするか、の計画を文書にするなどが効果的だ。
文書例.「営業日のメールチェックを欠かさない」「重要な○○会議にはテレコンで参加」など
※重要なのは事前の文書であり、内容に縛られる必要は無い。特に、今度の夏休みに上司が違うなら尚更である。
※いざ、休暇になってしまえば、メールを読んでなくても、テレコンをパスしても、休んだ者勝ちなのだ。
5. 休暇後のお土産より、休暇前の付け届け
上司より同僚、同僚より協力会社、さらに言えば掃除のおばちゃん、草の根への気配りこそあなたの自由を保証するものです。
そして、休暇後は、どうせお土産ラッシュで、どれがあなたのお土産か、なんて誰も知りません。
どうせ気配り物配りするなら、休暇前、もっと言えば、普段、なんでもない時にやっておきましょう。
6. 上司への気配りは物でなく態度
正式な休暇願いの前に、先程の文書を添付したメール、その前後での直接会話、と畳み込んでしまいましょう。
7. 上司への休暇願いのメールは仕事上関連する同僚への写しが重要
ほら、これで、このメールの処理が注目浴びるわけですよ。上司も「度量」を見せなければならなくなるわけで。
8. 職場のワーク・ライフ・バランス活動とかに絡んでおく
休暇取得推進委員とか、夏祭り実行委員とか、何かしら、その手の活動に馴染んでおくとよいでしょう。
全くの自己都合にも関わらず、同僚の一人ぐらいは「あいつは率先垂範してるんだな」などと言ってくれるかもしれません。
9. 休暇中も柔軟に
希望通りの長期休暇になったのだから、職場からの電話やメールでは、多少の「やる気」を出しましょう。
特に、休暇中に電話で会話する機会があったら「ほかに何かありませんか?」ぐらいの社交辞令は示しましょう。
10. 朝のラジオ体操は大切
怪我/事故に気をつけること。長期休暇が長期休職や求職にならないよう気を付けましょう。
オマケ 万難を排し長期休暇確定した後は、ハシャがない。大人しくしておくこと。
あなたと上司の間でOKだとしても、顧客や上司の上司からの横槍で大人の判断をしなければならなくならないように。
さぁ、タイミングよく、夏休みを取りましょう!
(給料は返上しないのに、有休を捨てるってどーゆーこと!?)
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