尾崎豊は歌いました。
深夜、盗んだバイクで行先もわからないまま遠くに行って星を見ると。
尾崎豊に関わらず、アドレナリンだかホルモンだか、何かしらに突き動かされた十代。
私の衝動的突発行動と言えば、土砂降りになったら田舎道を原チャリで疾走する、でした。
本当は叫びたい衝動だったような気もするのですが、さすがに街中や部屋で叫ぶことは叶わず、代わりに土砂降りバイクでスッキリしていたのかもしれません。
叫んで、あるいは、土砂降りバイクで何かが変わることは無いのだけど、内面的には何かしら意味があったような気がします。
オモチャ売り場で号泣する駄々っ子の青春版。
駄々っ子を封印して数十年。
そんなことを思い返して、今、叫んでみたらどんな感じになるのか、にはちょっと興味があります。
では叫んでみれば、、、いやいや、齢50の男が叫ぶ環境はそうそう無いと気が付きました。
今、ここで腹の底から声を振り絞って叫んだなら、明日からどんな顔をして近所を歩けばよいのか。。。
私は明日から、「何か知らないけど何かとてつもない事があったらしいオジサン」になってしまいます。
叫ぶという平和的牧歌的自由は、既に社会には無いのでしょうか。
そんな社会はパンツの発明と共に無くなったに違いありません。
ということで、段ボールで本格的な防音室を作った猛者達の動画を見つけました。
これなら、安価にできそうです。
応用して、バケツぐらいの大きさのものを作れば、防音バケツになります。
この防音バケツをかぶれば、いつでもどこでも、腹の底から声を振り絞って「バカヤロー」でも「マンモスだー」でも好きな言葉を叫ぶことができます。
と、久しぶりの雨空をにらみながら妄想は膨らむのでした。
猛者達の作った防音室の効果のほどはこちらをご覧ください。。。防音室での演奏もシャレが効いています。
作り方はこちらをご覧ください。
土曜日, 5月 13, 2017
月曜日, 2月 06, 2017
好きなCMと好きな映画
昔から大好きなCMがあります。これです。
で、ずーっと、この元となったと思っている映画のシーンはこれです。
大好きな映画。僕の生涯ベスト3に入る映画。1979年公開のアメリカ映画。
で、思い立って、タケモトピアノのCMがいつから放映されているか調べてみたら、1997年とのこと。(wikipedia)
制作会社はCandy Film inc.という大阪の会社が手がけたCMらしい。どんな人が作ったのか、All That Jazzをどんな思いで観たのか、聞いてみたいけど誰が作ったのかまではわからなかった。
ネットでは「パロディ」とも「インスパイア」とも言われているけど、僕には似ていることでネガティブな印象はない。だって、どっちも好きなのだから。
今夜は久しぶりにAll That Jazzでも観ようかな。
で、ずーっと、この元となったと思っている映画のシーンはこれです。
大好きな映画。僕の生涯ベスト3に入る映画。1979年公開のアメリカ映画。
で、思い立って、タケモトピアノのCMがいつから放映されているか調べてみたら、1997年とのこと。(wikipedia)
制作会社はCandy Film inc.という大阪の会社が手がけたCMらしい。どんな人が作ったのか、All That Jazzをどんな思いで観たのか、聞いてみたいけど誰が作ったのかまではわからなかった。
ネットでは「パロディ」とも「インスパイア」とも言われているけど、僕には似ていることでネガティブな印象はない。だって、どっちも好きなのだから。
今夜は久しぶりにAll That Jazzでも観ようかな。
木曜日, 6月 14, 2012
大人の話「初めてのお買い物」
大人の話、と書いたが、実際は未成年の話だ。
僕が15だか16の、まだ、いろーんな意味で背伸びがしたい子供だった時、当時の男子高校生の間で流行った習慣があった。
どの程度流行っていたのか、僕のまわりだけだったのか、それはわからないが、その習慣とはこういうものだ。
「財布にはコンドームを入れておけ」
これが、どんなオマジナイ効果があったのか知らない。
僕はそんな習慣を知った時、意味もわからずに、お財布にコンドームを入れておかなければ、と、半ば強迫観念すら持った。
財布にコンドーム、世間では常識の男の嗜み、らしい。
財布にコンドーム、それがなければ女の子にバカにされる、らしい。
財布にコンドーム、入っていなければ、もう一度中学に戻って坊主頭からやり直しかも。
うーーーー、財布にコンドーム、入ってなーい。
そんな事で大いに悩んだ。
今なら、入れときゃいいだけの話だ。
駅前で配っていることもあるらしいではないか。
が、なにしろその当時は、身の回りにあるわけもなく、既に財布にセットしている(一応、財布に被せてるという意味のセットではない)友人もいたりして、焦っていた。
どうする。財布に入れるのは簡単だ。
問題は、コンドームなる大人の持ち物をどうやって手に入れるかだ。
当時の僕の活動範囲では、明るい家族計画、という自動販売機の存在など知る由もない。
ブツが手に入る唯一の場所は、「薬局」だという知識しかなかった。
明るい家族計画の存在すら知らない僕がだ、ブツを売っている場所を何故知っていたか、それはエロ本だ。
今でも記憶にあるそのシーン。
ハードボイルドなタッチのそのエッチな漫画では、ハードボイルドな男が薬局に立ち寄る。
そして、低い声(と漫画ながらに勝手に想像した)で、「オヤジ、ラバーをくれ」と言うシーンがあったのだ。
なるほど。大人は「ラバー」で通じるのか。
とても言葉にするには忍びない「コンドーム」などとは言わないのだ。
そりゃーそうだ。コンドームなんて恥ずかしくて言えないんだ。
さすが大人。ラバーねぇ。なるほどなるほど。
少年Aには必要十分な情報だ。
いっぱしの男子としての財布、数百円しか入っていない財布だとしても、コンドームは入れられそうだ。
薬局に行って恥ずかしくない「ラバー」という商品を求めれば良いのだ。
僕は、この情報に出会い、それからリサーチを始めた。
街中の薬局という薬局の様子を確認した。
店番を女性がしている薬局はNGだ。
あの劇画では年配の男性同士の会話として「ラバー」が使われている。
伝わらないかもしれない、その上、女性相手にそんなモノを買うなんてありえない!
そして、できる事なら、記憶力が極限まで落ちているお爺さんが、辛うじて店に立っているような薬局がいい。
僕が店を立ち去ったあと、僕が何を買ったかなど覚えられていてはたまらない。
小さい街だ。あの子がねぇ、などと噂されても困る。
慎重にも慎重を重ねたリサーチ期間が二週間ほど続いた。
そして、ついに、店を決めた。
その店は、お爺さんしか店番をしていない。
それからさらに二・三日後、ついに決行の時が来た。
(単にお小遣いが入るまで決行できなかったのだが。)
ガラガラっと引き戸を開け店に入る。
多分、学生服の上にウィンドブレーカーかなんか着ていたのだろうが、あのエロ本の劇画で見たトレンチコートを着たハードボイルドな男になった気分だ。
ズンズンズンッと、そのお爺さんの立つカウンターの前に進む。
「あ、あ、あ、あ、、、、」
いかん。あれほど繰り返し練習した言葉が出ない。
「あ、あ、あ、あ、こんにちは。あ、あ、あの、あの、あのあの」
顔が真っ赤になるのがわかる。まだ涼しい東北の初夏、一気に汗ばむ。
「はい、なんでしょうか」動じない白衣を着たお爺さん。
当たり前だ。動じる理由がない。
トレンチコートどころかサングラスもマスクもしていない、ごく普通の田舎の高校生を前に動じる年寄りはいない。
「あのあのあの、、、、ら、ら、ら、、、ラバーください」
一瞬、お爺さんが怪訝な顔をする。
聞こえなかったのか?そうか、耳が遠いのかもしれない。
僕はボリュームをMAXにした。
「ラバーください!」
お爺さんが驚いて目を見開く。
そして、呆れた顔をして、しっかりした声の調子で、
「あぁ、コンドームね」
と、言い、後ろの棚から取り出した。
劇画のような「あ・うん」の呼吸は無かった。
せっかくの僕の「ラバー」という言葉は、お爺さんの「コンドーム」という言葉に上書きされた。
その後、どうやって買って帰ったのか、全く記憶にない。
どんなパッケージだったかも、それを使ったかどうかすら覚えがない。
とにかく、僕は、翌日から暫くの間、「財布にコンドーム」を入れた、単なるアホな高校生になっていたのでした。
今思い出しても恥ずかしい記憶であった。
火曜日, 6月 12, 2012
大人の話「マグロ」
最近、踊るグループのナントカやニュース番組にも出てるらしいアイドルグループのカントカからやたらメールが来る。
他の誰よりもマメに来る。オハヨウからオヤスミまでサポートされるありがたいものだ。
そんなわけで、メール削除の指使いが早くなりすぎて、ウッカリ他のメールも削除してしまうかもしれない。
50絡みのオジサンを釣ろうという、いわゆるフィッシング詐欺メールなのだろうが、まず、そのナントカをよく知らないからなぁ。
オハヨーからオヤスミまで、ご苦労さまです。
で、今日の話題は釣られたマグロについてである。
今日、何故か会社の食堂の高級な方(セルフサービスじゃない方)でマグロの解体ショーがあった。
既に死んでいるとはいえ、気の毒に、70Kgあるというマグロ君("マグロさん"かも)は、見事な包丁さばきにより解体され、スペシャルメニュー?のマグロ丼へと変身を遂げたのだった。
早めのランチタイムだったので、解体されたマグロとは別のマグロのマグロ丼を堪能し、その後に解体ショーを堪能した。
初めて解体ショーをライブで見たわけだが、彼の人生いやマグロ生、生マグロのマグロの一生、を考えてしまった。
大海原を休むことなく回流し、ある日、一本釣りされる。
本当は網で、まさに一網打尽だったかもしれないが、ブログに書くべきドラマとしては、やはり一本釣りであろう。
北の海で、ベテランの漁師との戦いに敗れ一本釣りされた、そう思いたい。
その瞬間、彼は初めて全身を空気に晒し、ニンゲンという奇妙な生き物の姿を目にし、そして、自分の身の上に何が起こったのか、を考える間もなく視界が途絶え思考が停止し息絶えたのだろう。
我々が知っているマグロは、その後の話だ。
僕は、その魚の死体がバラバラにされる様子を見ながら、「マグロに生まれなくてよかった」と、まず思った。
なんだか恥ずかしいし、悔しい気もするし、できることなら命が途切れるその瞬間まで海にいたいと思うだろうと感じた。
でも、「マグロに生まれていたとしたら、そもそも、そんな事は考えもしないだろう」とも思ったりもした。
で、本題は、そんな高尚な身の上話ではない。
下衆な大人の話だ。
「マグロ」という言葉は、食用の魚以外に、いわゆる床上手でない女性を表現する際にも使われる。
これには何か基準があるわけでもなんでもなく、男性が一方的に、多分、自分の男としてのコンプレックスの裏返し、八つ当たり的に女性を貶めるという背景での言葉かもしれない。
が、そんな背景は置いといて、マグロが床上手でない表現であれば床下手という意味か。
正確には、多分、「そんな男性の努力により普通ならウッフンな状況のハズにも関わらずマグロのように動かない女性」を指す言葉として男性の間で使われる。
上手とか下手とか、その点についてはスルーします。
くどいけど、そのテの話をしたいわけじゃない。
くどいついでに、意外なことに、オジサンの飲み会でもそんな話はしないし、よくよく考えてみたらそういう話題で「マグロ」と口にする人に出会ったことはない。
もしかすると、こういうエロ系のマグロという表現はエロ本でしか見たことがないかも。
多くの男性の場合、この、「エロ本でしか見たことがない」という言葉や漢字、擬態語などがたくさんある気がする。
が、その話はまた別の機会に で、本題に戻そう。
話したかったのはマグロの話だ。
確かに、こうやって生活していて、数十キロもの重さがある生き物の死体を目にすることはそうそうない。
稀に牛や豚の工場(屠殺場?)をテレビなどで見かけても、吊り下げられている。
そうなのだ。横たわる人間相当の大きさのある死体で最も目にするのはマグロなのだ。
数十キロもの死体が横にデーンと横たわっているレアなケースがマグロなのだ。
(注)生だからレアという意味ではない。
とにかく、レアなケースで唯一目にする機会があるのがマグロなのだ。
そんなわけで大人なウッフンな表現として「マグロ」が存在するわけだ。
そーゆーのを「死体」というのは抵抗があるから「マグロ」と言っているわけだ。
「いやぁ、夕べ、飲み屋で意気投合した女の子とさぁ、行くとこまで行っちゃったんだけど、これがマグロでさぁ」
これが、「いやぁ、夕べの女の子、死体でさぁ」では洒落にならない。
というように、本人の技工を確かめるすべはないわけだから、言いたい奴は自分の事は放っといて、相手をマグロだと好き放題言えるわけだ。
でも、マグロの身になってみたら、それはトロだ。じゃなく、マグロの気持ちになってみたらそれはどうだろう。
大体が、雄マグロかもしれないのだよ。
そこんとこ、わかっているのかなぁ。
ということで、無責任に書いてみたけど、この話は、もうこれ以上続けても何も展開はない。
今日の教訓。 「どんなときも人をマグロと言うなかれ。それはマグロにも、人にも失礼だ。」
(それに、ほぼ、エロ本専用用語みたいだし。)
月曜日, 5月 07, 2012
スーパーショット「マッケンジー君」
↑この写真、犬の脳の研究のためにMRIで大人しく検査されるマッケンジー君なんだけど、研究はさておき、この写真そのものが素晴らしくいい。マッケンジー君、素晴らしいよ。
そこらの犬で簡単に撮れるものではないらしい。
MRIは轟音を立てて動くので、耳栓をして、なおかつ、8ヶ月も訓練してようやく検査できるようになったのだそうだ。
研究そのものに興味のある方はこちら↓
「イヌの思考」を脳スキャンで調査 by Wired
金曜日, 5月 04, 2012
ムラ社会
国内総崩れの製造業電気関連メーカーにあって、唯一と言っても良い成績の日立。
僕にとって、とてもわかりやすい、「そうそう、そういうこと!」っていう記事があった。
ソースはこちら http://jp.wsj.com/japanrealtime/blog/archives/10914/
「日本人男性の均質的な考え方でガバナンスをやっていたのではだめだ」by日立の会長さん
一流企業の会長さんなので、紳士的に「均質的な考え方」と言っているが、ここは僕が非紳士的に言い換えてみよう。
・仕事ができても個性的な奴は認めない、という考え方
だって、努めて均質的に振る舞ってきて大○○の重役になった私がアホみたいじゃないか。
・仕事ができてもバカな奴は認めない、という考え方
上には良い話だけアピールすればいいんだよ。
会議でマトモな意見なんかしやがって。みんな困ってただろう。会議は意見なんかをする場じゃないんだよ。
ま、そんな感じだろう。
もうひとつ、日立の会長さんは良い事を言っている。
「長時間残業が大好きという変な社会。国際標準ではない」by日立の会長さん
これも下品に言い替えさせてもらう。
・記録的大赤字の年も記録的好業績の年も残業時間は変わらない
ちなみに、ソース元の記事はこのように結ばれている。
「長時間残業が大好きという変な社会。国際標準ではない」と指摘。「外国の人を連れてきて働かせようとするときに困る」
均質的な考え方は、そうやって、個性的な人はもちろん、ハンディキャップを持ってる人、女性や外国の人も排除しやいすわけだ。
そういえば原子力村、というムラもどこまでも学習できずにいるようだ。
でも、普通の会社は、青天井で税金をつぎ込めないので、どこかでムラから脱却しなければならない。
それとも、脱却しないまま中国とかの会社に吸収されるか、なんだろう。
均質的な考え方は、「考えなくていい」という一種の楽チンを産み出す。
でもそれは、考えなくていい、ではなく、考えない人間になるということ。
いい加減に先の大戦での日本を繰り返して欲しくないなぁ。
ソースはこちら http://jp.wsj.com/japanrealtime/blog/archives/10914/
「日本人男性の均質的な考え方でガバナンスをやっていたのではだめだ」by日立の会長さん
一流企業の会長さんなので、紳士的に「均質的な考え方」と言っているが、ここは僕が非紳士的に言い換えてみよう。
・仕事ができても個性的な奴は認めない、という考え方
だって、努めて均質的に振る舞ってきて大○○の重役になった私がアホみたいじゃないか。
・仕事ができてもバカな奴は認めない、という考え方
上には良い話だけアピールすればいいんだよ。
会議でマトモな意見なんかしやがって。みんな困ってただろう。会議は意見なんかをする場じゃないんだよ。
ま、そんな感じだろう。
もうひとつ、日立の会長さんは良い事を言っている。
「長時間残業が大好きという変な社会。国際標準ではない」by日立の会長さん
これも下品に言い替えさせてもらう。
・記録的大赤字の年も記録的好業績の年も残業時間は変わらない
ちなみに、ソース元の記事はこのように結ばれている。
「長時間残業が大好きという変な社会。国際標準ではない」と指摘。「外国の人を連れてきて働かせようとするときに困る」
均質的な考え方は、そうやって、個性的な人はもちろん、ハンディキャップを持ってる人、女性や外国の人も排除しやいすわけだ。
そういえば原子力村、というムラもどこまでも学習できずにいるようだ。
でも、普通の会社は、青天井で税金をつぎ込めないので、どこかでムラから脱却しなければならない。
それとも、脱却しないまま中国とかの会社に吸収されるか、なんだろう。
均質的な考え方は、「考えなくていい」という一種の楽チンを産み出す。
でもそれは、考えなくていい、ではなく、考えない人間になるということ。
いい加減に先の大戦での日本を繰り返して欲しくないなぁ。
火曜日, 4月 10, 2012
内向的な人、外交的な人
随分前にTED(Technology, Entertainment, Design)サイトで見たプレゼン。
最近、たまたまもう一度見る機会があって、これは「一生もんだな」と思えるようになったプレゼン。
多分、前に見たときは、翻訳テロップが無かったのかいい加減に聞いていたんだろう。字幕って素晴らしい。
このプレゼン、外交的な性質を指して「あの人はリーダーシップがある」という世間一般の評価によって失われるものが多いという話。
そもそも外交的か内向的かという話と、リーダーに相応しいかどうか、は、関係ないのだ。世間(僕も含めて)は誤解しているのだ。
ところが人は、昔ながらのリーダーっぽいリーダーに、押し付けがましいと思いながらも安心感を感じることもある。
また、そんなリーダーは「概ね失敗」という経験も、もう、嫌というほど味わっている。
特に近年は惨憺たる状況だ。
なのに、未だにリーダーっぽいリーダーに安心感を感じているのは、単に、「リーダーっぽくない優秀なリーダー」を見聞きする機会が失われているからだろう。
平和な時代が続き、国や地方組織や企業が安定的拡大を続けた結果、「リーダーっぽくないリーダー」が台頭できる余地は殆どなくなっているように見える。
特に日本では顕著だ。
"国"という単位で考えた場合、政治家や官僚機構は国のリーダーシップの象徴だ。
そして、リーダーに相応しい学歴はもちろん、華々しい経歴や家柄は申し分ない。
しかし、尊敬できない。
子供にオススメの現存する政治家はいないのが現実だ。
※立派な、とか、影響力がある、とか、心の尊敬とは別の次元ではあるだろうが。
そんな事を考えさせるプレゼンなのだ。
と、同時に、自分の生き方や、自分が外交的なのか、外交的に見えるように振舞っているのか、を考えさせるプレゼンなのだ。
そんな世の中の傾向や、それによって失われている社会全体の損失を、とっても優しい言葉で、丁寧に、心に響く言葉で語るプレゼンがこれ。↓
うーん、TEDで、こんな普通っぽい人がプレゼンするのがイイ!
奇跡のチームワークやイノベーションは、そこに関与するすべてのメンバー一人一人がリーダーシップを担って実現する、ということには異論がない。
が、旧来からのリーダーっぽいリーダー達が、旧来のリーダーっぽさでリーダーを担っている限り、奇跡の瞬間は訪れない。
改めてサーバントリーダーシップ、しか答えはないと確信。
外交的な人がリーダーに向かない、という話ではない。
外交的であれ、内向的であれ、リーダーは「どう振る舞えば良いのか」という話だ。
世の中が、この価値観の共有に向かっていると信じたい。
最近、たまたまもう一度見る機会があって、これは「一生もんだな」と思えるようになったプレゼン。
多分、前に見たときは、翻訳テロップが無かったのかいい加減に聞いていたんだろう。字幕って素晴らしい。
このプレゼン、外交的な性質を指して「あの人はリーダーシップがある」という世間一般の評価によって失われるものが多いという話。
そもそも外交的か内向的かという話と、リーダーに相応しいかどうか、は、関係ないのだ。世間(僕も含めて)は誤解しているのだ。
ところが人は、昔ながらのリーダーっぽいリーダーに、押し付けがましいと思いながらも安心感を感じることもある。
また、そんなリーダーは「概ね失敗」という経験も、もう、嫌というほど味わっている。
特に近年は惨憺たる状況だ。
なのに、未だにリーダーっぽいリーダーに安心感を感じているのは、単に、「リーダーっぽくない優秀なリーダー」を見聞きする機会が失われているからだろう。
平和な時代が続き、国や地方組織や企業が安定的拡大を続けた結果、「リーダーっぽくないリーダー」が台頭できる余地は殆どなくなっているように見える。
特に日本では顕著だ。
"国"という単位で考えた場合、政治家や官僚機構は国のリーダーシップの象徴だ。
そして、リーダーに相応しい学歴はもちろん、華々しい経歴や家柄は申し分ない。
しかし、尊敬できない。
子供にオススメの現存する政治家はいないのが現実だ。
※立派な、とか、影響力がある、とか、心の尊敬とは別の次元ではあるだろうが。
そんな事を考えさせるプレゼンなのだ。
と、同時に、自分の生き方や、自分が外交的なのか、外交的に見えるように振舞っているのか、を考えさせるプレゼンなのだ。
そんな世の中の傾向や、それによって失われている社会全体の損失を、とっても優しい言葉で、丁寧に、心に響く言葉で語るプレゼンがこれ。↓
うーん、TEDで、こんな普通っぽい人がプレゼンするのがイイ!
奇跡のチームワークやイノベーションは、そこに関与するすべてのメンバー一人一人がリーダーシップを担って実現する、ということには異論がない。
が、旧来からのリーダーっぽいリーダー達が、旧来のリーダーっぽさでリーダーを担っている限り、奇跡の瞬間は訪れない。
改めてサーバントリーダーシップ、しか答えはないと確信。
外交的な人がリーダーに向かない、という話ではない。
外交的であれ、内向的であれ、リーダーは「どう振る舞えば良いのか」という話だ。
世の中が、この価値観の共有に向かっていると信じたい。
月曜日, 4月 09, 2012
結局おっぱいで選ぶという心理
以前からオーブンレンジが欲しいと思っていた。
オーブン料理をするわけではない。
だけど、今使っている食パンが二枚入る二段式のトースターでは、ピザを小分けにしないと温められないのだ。
トースターで小分けにした八つ切りのピザを、焼く。
ようやく焼けて、取り出して次の小分けにしたピザを入れ、取り出したピザを食べ始める。
取り出したピザを食べ終える。
先ほど交代して入室したピザ第二弾はまだ焼けない。
しばし待つ。一度取り出してみる、が、まだだ。
もう少し待つ。また一度取り出してみる、後少し。
またまた待つ。ようやく焼ける。
これはこれで美味しいのだけど、食事中にインターバルが入るのを何とかしたかったのだ。
何とかしたいとは言え、何年もピザは、小分けにしてインターバルありきで温めていたわけで、まぁ、大した問題ではなかった。
が、いよいよ転勤が決まったので、この機会に、電子レンジを譲ることが出来たのだ。
転勤が決まって、トトトンと引っ越す予定だったのだけど、さあ引越屋さんに連絡を、という段になって、会社の事情でゆーーーっくり、引っ越すことになった。
いやいや、もう電子レンジ譲っちゃったし。
まぁ、なんとかなるか。やっぱりオーブンレンジは新居に越してから買いたいよな。
と、思ったのもつかの間、文明の利器、電子レンジの威力を知ることになる。
まず、冷ご飯を温められない。
もう、ご飯を炊くと、次回はチャーハン。
ご飯を炊く、次回はチャーハン。
いや、二食に一回チャーハンは多すぎる。
勢い、スーパーでお弁当とかを買ってきたりする。
チャーハン対策だ。
だがしかし、このお弁当も温められない。
スーパーのお弁当を冷たいまま食べるのは寂しい。
電子レンジって素晴らしい。と、つくづく思った。
というわけで、ついに、オーブンレンジを買うことにした。
今回は「長く使うであろう」と、逸る気持ちを抑え、まず電気屋さんでカタログを入手した。
最近のオーブンレンジ動向を学んだ。
うむ。どのメーカーも似たりよったりだ。
最近は、「スチーム」がキーワードらしい。
スチームで脂分を落とし焼くことができるそうだ。あるいは、ラップをかけずにご飯を温め直せるらしい。
うーん。ま、それはそれでよいが、僕が欲しいのはピザが一枚スルッと入るやつだ。
それから最近の動向では、オーブンの予熱時間短縮というのもあった。
高級な機種になると、最初はレンジ機能で温めつつ、並行してオーブンの準備をして、しかるべき時間が経過するとオーブンになる、というのもあった。
カタログとは怖いものだ。
この辺りから、僕は目的がわからなくなり始めた。
ピザを温めるなら石窯だろ。
冷ご飯をラップ無しに温められるのも便利だろ。
肉まんをそのまま放り込んで温められるのもいい。
こうして、時短機能とスチーム機能は必須のように思い始めていたのだ。
だがしかーし、持つべきものは主婦の友。
月刊主婦の友、では無い。リアル主婦の友だ。
彼女に相談すると、「どうせオーブンなんて滅多に使わないでしょ」と一蹴。
うむ。たしかに。
スチームも時短も、月に一度もないピザを温める機会には全く不要だ。
いっそ、単機能レンジと単機能トースターでもいいんじゃね、的な事も考えつつ、何日か過ごした。
いや、大人のふりをして何日か、と書いたが、実際は二日間過ごしただけだ。
しかも、そのうち一日は一日中出かけていたので、正味、カタログを貰ってきた翌営業日には電気屋さんを尋ねた。
様々なメーカー、機能、容量、色形、と並ぶ中、お店の方とあーだこーだ30分ほどもかけて、最終的に何をどんな基準で選んだか。
うーむ。結果は「色」でした。
カタログも、値段も(たまたま色が気に入ったのは安価なものだった)、機能も、カタログに起用するタレントも、電気屋さんの商品知識も、何もかもが「色」の前に崩れ去ったのでした。
はぁ。これって、男性が結婚相手を選ぶネタのアメリカンジョークと同じじゃん。
「誰を結婚相手に選ぶか(アメリカンジョーク)」http://www.hide10.com/archives/5817より
ある男が、自分を愛している3人の女の中で誰を結婚相手にするか長いこと考えていた。
そこで彼は3人に5000ドルずつ渡し彼女らがその金をどう使うか見ることにした。
一人目の女は、高価な服と高級な化粧品を買い、最高の美容院に行き、自分を完璧に見せるためにその金を全て使ってこう言った。
「私はあなたをとても愛しているの。だから、あなたが町で一番の美人を妻に持っているとみんなに思ってほしいのよ」
二人目の女は、夫になるかも知れないその男のために新しいスーツやシャツ、車の整備用品を買って、残らず使いきると、こう言った。
「私にとってはあなたが一番大切な人なの。だからお金は全部あなたのために使ったわ」
最後の女は、5000ドルを利殖に回し、倍にして男に返した。
「私はあなたをとても愛しているわ。 お金は、私が浪費をしない、賢い女であることをあなたに分かってもらえるように使ったのよ」
男は考え、3人の中で一番おっぱいの大きい女を妻にした。
↓そのおっぱい。
木曜日, 3月 29, 2012
腹タッチ
ネットのなんかで読んだのだけど、肥満は禁欲主義的価値観からすると「人格的欠陥」なのだという。
酷い言われようだ。
そんな人格的欠陥状態の僕が、人生最大の「腹タッチされる人」となっている。
腹タッチされる人とは何か、というと、飲み会などで、やたら腹を触られるのだ。
言い方を変えれば、デブ専におけるセクハラだ。
しかも、老若男女にかかわらずだ。
ちょっと前までは、腹をタッチされることは、まず無かった。
たしかに、ここのところの肥え具合は自分でも見事なものだと思ってはいた。
だからと言って、たかが職場の同僚ぐらいの間柄でそこまでするのか?
と、驚いている。
職場でもたまにあるが、飲み会になると一層と腹タッチは激しくなる。
酔った勢いがあるのか、唐突に近寄ってこられて、「何か話があるのかな」と思っていると、腹タッチだ。
近寄ってくる。
僕は気がついてそちらを向く。
相手は微笑む。
微笑むとほぼ同時に利き手の手のひらを私の腹に当てる。
で、去っていく。
そんな感じ。
これが、性別にかかわらずそんな感じだから困る。
最初こそ、異性にタッチされると「惚れてまうやろー」なんて思ったが、何度も続くと慣れるものだ。
とうとう最近では、人が近寄ってくると、何もしなくても突き出ている腹を更に前に突き出す、という反射が身に付いた。
うーむ。
腹タッチで何か減るわけではないが、腹タッチでお腹が一杯には、残念ながらならない。
腹タッチをどれだけしてもらっても、腹は凹まないのだ。
何が言いたいのかわからなくなってきた。
とにかく、腹タッチは、なかなか気分が良い。
これでいいのか?
これでいいのだ。
木曜日, 3月 15, 2012
しょうもないオジサンのランチの会話
今日、ランチで、九州新幹線の故障の話題から発展した、新幹線指定席の二人掛けの席、奥窓側に座った時のあるある。
メモしておこう。
・隣に素敵な女性は座らない。
・隣り通路側に座るのはデカイ人。
・隣り通路側に座ったデカイ人がテーブルにPCやらなんやらたくさん広げる。
・その上、寝てしまう。
・ガラガラに空いてきても、デカイ人が向こうのガラ空きの三人がけに移動なんてしない。
・だったら自分が移動すれば良いのだが、なんだかシャクニ感じられてしまう。
・ようやく三人がけに移動すると、ピンポイントでその席のチケットを持った人が乗り込んでくる。
・さっきまでいた二人掛けの席窓側に戻ろうとすると、デカイ人の荷物が置いてあったりする。
・というような事を考えるので、三人がけの席には移動できない。
・眠り始めた頃、会社から電話がかかってくる。出ようとしてデッキに行くと切れる。
ということで、新幹線最強は到着地まで寝て過ごす、です。間違いない。
メモしておこう。
・隣に素敵な女性は座らない。
・隣り通路側に座るのはデカイ人。
・隣り通路側に座ったデカイ人がテーブルにPCやらなんやらたくさん広げる。
・その上、寝てしまう。
・ガラガラに空いてきても、デカイ人が向こうのガラ空きの三人がけに移動なんてしない。
・だったら自分が移動すれば良いのだが、なんだかシャクニ感じられてしまう。
・ようやく三人がけに移動すると、ピンポイントでその席のチケットを持った人が乗り込んでくる。
・さっきまでいた二人掛けの席窓側に戻ろうとすると、デカイ人の荷物が置いてあったりする。
・というような事を考えるので、三人がけの席には移動できない。
・眠り始めた頃、会社から電話がかかってくる。出ようとしてデッキに行くと切れる。
ということで、新幹線最強は到着地まで寝て過ごす、です。間違いない。
金曜日, 3月 09, 2012
3/11特番はネットで
↑の動画。
3/11に、このドキュメンタリー「僕らはみんな放射能」の"第一話"が配信される。
3/11は、大手メディアがこぞって(テレビ東京を除く)特集番組を組んでいるが、正直、既存メディア、中でも民放のドキュメンタリーで、どこまで真に迫れるのか疑問だ。
画面に映る食卓のジュースにモザイク入れる暇があったら、もっと、真摯に丁寧に、伝えて欲しい。
そんな中、このネット番組は期待できそうだ。
きっと、ジュースにもモザイクが入らないだろうから観てみようかな。
【制作スタッフ】
企画は米国在住の日本人ジャーナリスト
監督はネットビデオ制作の名手と名高い米国人(多分)
編集は映画製作に携わる日本人
同じく編集に英国アカデミー賞受賞経験をもちBBCドキュメンタリー制作なども手がけてきた製作者
撮影クルーとは別に被災地のサーファー兼アクティヴィスト(復興活動家)が地元で長期に撮影
第一話はこちらに公開される。(3/11より)
http://weareallradioactive.com/
多分、というか当然、この番組は3/11以降も見ることが出来るだろう。
で、評価が高ければ続編の公開も期待できそうだ。
ジュースの消し込みなんかしている場合ではない。
※はみ出し
最近の「テロップだらけ」「スポンサーに気兼ねして飲料はボカす」「とにかくCMを挟み込む」という視聴者完全無視のテレビ番組はいらない。そのテの番組のスポンサーも気がしれない。
木曜日, 3月 08, 2012
パスカルのリーダーシップマネジメント論
【パスカルの名言】
カなき正義は無能であり、正義なき力は圧制である。
力なき正義は反抗を受ける。
なぜならは、つねに悪人は絶えないから正義なき力は弾劾される。
それゆえ正義と力を結合せねばならない。
↓
正義をリーダーシップに置き換える。
↓
【パスカルの名言・リーダーシップマネジメント版】
マネージャーが評価しない個々人のリーダーシップは何の成果ももたらさない。
リーダーシップのないマネージャーは地位の力のみで行動しパワハラをも厭わない。
むしろ、マネージャーが評価しない個々人のリーダーシップは潰される。
なぜならば、常に人は保身を考えるから個々人のリーダーシップは弾劾される。
それゆえ、個々人のリーダーシップをマネージャーは評価しなければならない。
なんかの本、多分ドラッカーだったと思う、に書いてあった、たくさんの事例を検証した結果「トップにその気がないとイノベーションは起きない」っていう話とも一致する。
なあんて、こういう言葉にすがりながら、自分の力量のなさの言い訳を考えてるわけだ。
そんな言い訳を与えてくれるパスカルっていうオジサンをWikipediaで調べて驚いた。
禁欲主義を貫き、食欲にかかわらず食事は決まった量しか食べない、性欲なんてトンデモナイ事で生涯独身、絵画などを壁に飾るのも"目を楽しませる"のでダメ、、
そんなの出来っこないじゃんって事はなく、なんと、内側に釘の出たベルトを身につけて、気の緩みを感じたら肘でベルトを突いて、その激痛で我に返る、ようにして生活していたそうだ。
うーん。今で言うなら、それってヘビメタ系の自傷行為だよなぁ。
パスカルさん、なんかトラウマでも抱えていたのかなぁ。
内側から出た腹を抑えるためにベルトを締め、
食欲を解放するためにベルトを緩め*、
ベルトにはそんな意味しか見いだせない、そんな僕も同じ人間なんだよなー。参りました。
*こういうとこに書けない不適切なベルトを緩める行為も含まれます
水曜日, 3月 07, 2012
メモ(忘れないように。今は未だ原始人的な時代)
フェアトレード商品というのがある。
商品の原材料調達で、地球環境に優しい、とか、児童労働に頼らない(当たり前だけど)、とか、そんな商品。
理念としては、環境を含めて倫理的に「大丈夫」な商品がフェアトレード商品なのだろう。
よく、コーヒー専門店などで見かけるやつだ。
そして、そもそもそんな議論にすら上らない商品がある。
その昔、奴隷貿易が盛んだった時代。
奴隷達がどんな扱いを受けて生まれ育った土地から連れられてくるのか、見て見ぬふりをしていた時代があった。
今まさにそんな「見て見ぬふり」を決め込んでいる商品があるのだ。
それは、経済的に小さい国で算出されるウランだ。
※冒頭のyoutubeはドイツ映画。
※※クーリエ・ジャポン2011年6月号
http://courrier.jp/contents/courrier079.html
に詳しい。要約はこちら
http://d.hatena.ne.jp/longtonelongtone/20110427/1303916613
経済的弱小国の労働者は、放射能の危険を知らせられないどころか、長期間の被曝に関して何ら対策もないまま作業に従事させられている。
旱魃被害などで「食べるにも事欠く」国で、原発の燃料は採掘され、ウラン採掘の際に出る放射能に汚染された土砂が乾いた大地を舞っている。
当然、その地域の水も汚染される。
皮肉なことに、経済的弱小国では、は生活用には電気を殆ど使わない。
http://www.comment-niger.org/
ただ、生まれついた場所が貧しい国、という理由だけで、子供たちが放射能まみれの砂が舞う中で暮らしている。
同じ年齢の子供たちがテレビゲームなどで遊ぶ電気の原料が、何も知らずに被曝する子供たちの暮らす社会で作り出されている。
そのうち、経済的強者の国で作られた放射性廃棄物が、経済的弱小国に送り返されそうで怖い。
(知らないだけで、既にそんな事をしてても不思議ではない社会に暮らしているのは間違いない。)
奴隷貿易のような判りやすい「奴隷制度」こそ無くなった。
が、現代も奴隷制度(差別に基づく搾取)は形態を変えて脈々と息づいている。
つくづく、今の社会が近代的、なんてことは全くないと感じる。
経済的強者の国に暮らす僕達は、奴隷の労働力によって栄えた農場主や工場主と何ら変わらない。
原発を推進したエライ人がフクシマ以前に
「結局、(どんな反対があろうとも)お金を出せば原発は受け入れられるんです」(キリッ)
と語った顔が思い出される。
差別は差別される側の尊厳を失うだけでなく、差別している側も尊厳を失う。
いや、差別される側の尊厳は「失わせられる」だけで人間として卑しくはない。
むしろ、自ら進んで尊厳を失う、卑しい生き物は差別する側だろう。
そういう僕も、知らず知らずのうちに卑しさを身につけてしまっている。
現代の人類なんて、まだまだ原始的な時代だということだ。
金曜日, 2月 24, 2012
着座認証システム
個人的に洋式便器なら人物認証(肛門認証)ができるとは思っていたけど、類似技術に着座認証システムってのがあるそうだ。
「着座認証」でググるとたくさんヒットします。
現実的に必要そうなのは自動車で「所有者かどうかを判断してエンジンをかける」辺りか。
※本質的には必要ではない、んだけどね。
で、身の回りの認証について書き留めておこうと思った。
何年かしたら、このリストはもっと増えているのか。
===今、僕の周辺の認証システム===
家の鍵→その家に住んでいる事を認証
切符(スイカ)→その電車路線に乗り降りできる事を認証
社員証→その会社に出入りしてよい事を認証
入館カード→その建屋に出入りしてよい事を認証
ロッカーの鍵→会社のロッカーを開け閉めしてよい事を認証
机の鍵→会社のデスクの袖机を開け閉めしてよい事を認証
TSUTAYAカード→そのDVDを借りてよい事を認証
キャッシュカード→その口座のお金を引き出してよい事を認証
携帯電話のロック解除→その携帯電話を使ってよい事を認証
現金(日本の)→お店や自販機で何かと交換してよい事を認証
車の鍵→その車のエンジンをかけてよい事を認証
免許証→その車を運転してよい事を認証
ETCカード→ETCレーンを通ってよい事を認証
カーキャリアの鍵→カーキャリアのアタッチメントを取り付けたり取り外したりしてよい事を認証
健康保険証→医療費割引が受けられることを認証
年金手帳→年金受給者であることを認証
仕事のPCのパスワード→そのPCを使ってよい事を認証
ブート(電源投入時)パスワード
HDD暗号化ソフトのパスワード
ログインパスワード
ネットワーク接続パスワード
メールソフトアクセスパスワード
様々なサイト毎のパスワード
特定業務用PCのパスワード→その特定業務に携わってよい事を認証
※会社のPCのパスワードと同じ
自宅のPCの管理者権限用パスワード→そのPCのシステム情報にアクセスしてよい事を認証
自宅のメディアプレーヤーのパスワード→そのプレーヤーの設定を変更してよい事を認証
自宅のHDDレコーダーのパスワード→そのHDDレコーダーに外部機器からアクセスしてよい事を認証
自宅のルーターのパスワード→そのルーターの設定画面にアクセスしてよい事を認証
僕自身(姿形声?など)→?
「着座認証」でググるとたくさんヒットします。
現実的に必要そうなのは自動車で「所有者かどうかを判断してエンジンをかける」辺りか。
※本質的には必要ではない、んだけどね。
で、身の回りの認証について書き留めておこうと思った。
何年かしたら、このリストはもっと増えているのか。
===今、僕の周辺の認証システム===
家の鍵→その家に住んでいる事を認証
切符(スイカ)→その電車路線に乗り降りできる事を認証
社員証→その会社に出入りしてよい事を認証
入館カード→その建屋に出入りしてよい事を認証
ロッカーの鍵→会社のロッカーを開け閉めしてよい事を認証
机の鍵→会社のデスクの袖机を開け閉めしてよい事を認証
TSUTAYAカード→そのDVDを借りてよい事を認証
キャッシュカード→その口座のお金を引き出してよい事を認証
携帯電話のロック解除→その携帯電話を使ってよい事を認証
現金(日本の)→お店や自販機で何かと交換してよい事を認証
車の鍵→その車のエンジンをかけてよい事を認証
免許証→その車を運転してよい事を認証
ETCカード→ETCレーンを通ってよい事を認証
カーキャリアの鍵→カーキャリアのアタッチメントを取り付けたり取り外したりしてよい事を認証
健康保険証→医療費割引が受けられることを認証
年金手帳→年金受給者であることを認証
仕事のPCのパスワード→そのPCを使ってよい事を認証
ブート(電源投入時)パスワード
HDD暗号化ソフトのパスワード
ログインパスワード
ネットワーク接続パスワード
メールソフトアクセスパスワード
様々なサイト毎のパスワード
特定業務用PCのパスワード→その特定業務に携わってよい事を認証
※会社のPCのパスワードと同じ
自宅のPCの管理者権限用パスワード→そのPCのシステム情報にアクセスしてよい事を認証
自宅のメディアプレーヤーのパスワード→そのプレーヤーの設定を変更してよい事を認証
自宅のHDDレコーダーのパスワード→そのHDDレコーダーに外部機器からアクセスしてよい事を認証
自宅のルーターのパスワード→そのルーターの設定画面にアクセスしてよい事を認証
僕自身(姿形声?など)→?
水曜日, 2月 15, 2012
円形脱毛ができる幸福
もう3ヶ月にもなろうか。
突如発生した僕の右側頭部の直径5cmの円形の空白地帯。
どこかしら抜けているようだった頭の中身は外からは分からない。
が、頭の外見の抜けは、ハッキリ分かる。
僕は「あぁ、あの坊主で円形ハゲの人ね」という人物となった。
そもそも、坊主というのがややこしい。
多分、霊験あらたかな宗教関係者と区別するためか、単に面倒なのか、たまに坊主自体もハゲとされる。
関西風では「ハゲ散らかしてんなー」となる。
そうなると、坊主でハゲができると、「ハゲにハゲ」という事だ。
ハゲ散らかしてる上に丸いハゲができる、そういう状況だ。
ま、いずれ50絡みのオジサンの外見の話だ。
しかも、穴が開いたわけではない。
ちゃんと蓋はされている。
いきなり脳みそが見えたりはしていない。
帽子をかぶっていない時、そのポッカリ空いた部分に風が当たると、なんだか穴が開いている様な気分にはなる。
それから、ついつい、直径5cmの部分を指で触ってしまう。
頭皮を直接触るのは気持いいのだ。温かい。
ちなみにスキンヘッドはさらに気持ちいい。手のひら全体で気持いい。
で、この円形脱毛話を、遠く離れている何人かの同僚にメールした。
「河童になっちゃいました。直径5cmの皿出現。」
彼らの返信は、直径5cmぐらいでガタガタ言うもんじゃないよ、的な貫禄の反応だった。
なぜ貫禄の反応なのか?
っていうか、メールの本題にはほとんど食いつかず、「そっち!?」的な反応だったのだ。
"同僚"と書いたが、彼らは大先輩。
多分、僕の7、8歳ぐらい先輩か。
なるほど、確かに彼らには半年?ほど会っていない。
彼らは、この冬の豪雪で、頭部における額(ひたい)占有率が既に50%を超えているのかもしれない。
あるいは、僕にはそんな素振りも見せず、頭頂部円形脱毛症に悩んでいたのかもしれない。
僕としたことがずいぶん失礼なメールを送ったものだ。
触れてはならなかったのかもしれない。
直径5cmなんてまさに"屁の河童"だというのはそういう事だったのが。
そもそも円形脱毛が出来るということは、僕はまだ、その円形が不自然だと認識できる程度の頭髪を保持している、ということだ。
これは、50絡みのオジサンにおける「腹筋50回楽勝ですよ」とか「片手腕立て伏せなら任せてください」とかに通じる快挙なのかもしれない。
これは、僕は手放しで喜んでも良い事かもしれない!。
などと、大先輩方々の頭部を想像しながらニヤニヤしていたのでした。
持つべきものは(こんな失礼な後輩を許してくれる)先輩だな。
※教訓※
髪の話題は神にしかしてはならない。
火曜日, 2月 14, 2012
構造的多忙症候群(わりと深刻)
↑は本文に関係ありません。
昔、いや、大昔、小学生ぐらいかな、の頃の話。
なんだかんだとまぁ、毎日、何かしらの宿題があったように思う。
で、当然ながら宿題自体を忘れていなければ、宿題だけはやっていた。
うん。意外にも宿題をやる子だったな。僕は。
で、夏休みや冬休み。
この時は、大量の宿題を抱える。
当時の小学生全てが大量の宿題を抱えていたのだから、日本が宿題一色になっても良い気もするが、そんなことはなく、毎日毎日、宿題のことは忘れて遊び呆けていた。
大量・長期間、というのは、今日一日サボるには好都合なのだ。
しかも、家の手伝いなんか(当時、うちの実家は自営業で慢性的に人手不足だった)を断る手段としても有効なのが「大量・長期間」の宿題の存在だ。
手伝い要求に対し、
「まだ今日の日記帳を書いてない」
「今日は自由研究の虫取りに行く」
「ドリルが終わっていない」
「図工の宿題で風景画を書きに行く」
「笛の練習」
とかなんとか、金銭を伴わない手伝い要求拒否の手段に宿題を持ち出していた。
結果、夏休み最終日は悲惨なものだった。
日記帳は一日目の途中までしか出来ていない、
自由研究は今にも壊れそうな菓子箱に虫の死体が刺さっているだけ、
ドリルは答えを丸写し、
風景画は絵の具調合に失敗した凄い色の抽象画、
笛の宿題は元々あったのか無かったのか記憶がない、(っていうか笛が見当たらない)
という事態に陥っていた。
最終日にどんなに品質を落としても納品しようという健気な少年だったのだ。
このことからも分かるように、「大量・長期」というのは、僕の手に余る。
夏休みの大量・長期タスク処理を、独りでしっかり出来る人の割合は、多分、10%もいないんじゃないかな。
大抵は、怖い先生、もしくは口やかましい親の協力なくしてやるハズがない。
たまたまうちは、「放任主義」だったので、手伝い要求さえ回避できれば最終日まで深刻な宿題要求は無かった。
で、最終日を迎え、自己責任のもと品質を最低に、生産量を最大に、処理していたわけだ。
今思い返して、夏休みの宿題は「期限」が明確で「持ち越し」ができないからマシなのだと気がついた。
この「持ち越しができない」というのは素晴らしいことなのだ。
通常、夏休み明けに宿題を提出する。
夏休み開ける前に宿題を提出するような子供は僕は知らない。
そんなわけで、夏休み明けに宿題を提出する。
それで、まぁ、出したものは、どれもこれも酷い品質だ。
忘れていたり、忘れたふりをしたりして出せないものも少なからずある。
笛の宿題は、宿題も忘れたなら笛そのものも無くなっていたりする。
そんな滅茶苦茶な状況で、更に、宿題の「持ち越し可」だったら最悪だ。
文部省だったらやりそうで怖い、と思ったが、今の僕は小学校の宿題に苦しめられることはないので、やってくれてもいいよ。
そんな「もちこ歯科」じゃなくて「持ち越し可」の時代がやってきたとする。
大量の夏休み宿題を持ち越す。やらなくても持ち越せるのだから最初の夏休みはハッピーだ。
次の冬休み、前回の夏休みの不合格品に冬休みの宿題が加わる。
雲行きが怪しくなる。
これを小学校一年からやっていたとする。
僕の場合だと、多分、小学六年生の冬休みには、ほぼほぼ過去六年12回分の夏冬休み宿題が残っていたことだろう。
これは、親に言い訳をするまでもなく、家の手伝いどころではない。
家中が過去の宿題の残骸で取っ散らかっているであろう。
12個の自由研究、12個の図画工作、12冊の絵日記、12冊の漢字ドリル、12冊の算数ドリル、、、、、
よかった。
あらためて僕の時代は「持ち越し不可」だったため、そんな事態には至らずに済んだ。
いや、いつの時代も「持ち越し不可」でよかった。文部省、ありがとう。
これからも、小学六年の冬休みは、その時の新しい宿題だけ溜めておけばよい事を祈る。
中学へ宿題を持ち越すことも不要なことを祈る。
いやー、よかった、よかった。
振り返って大人の世界。
ありとあらゆる「管理表」が職場には溢れている。
宿題の管理表は「残件リスト」的なものか。
僕の場合は、幸か不幸か、プロジェクトでの仕事になるので「持ち越し不可」「成績のみ持ち越し」なので、プロジェクトが変わる度に残件リストはリセットされる。
どんなに酷いプロジェクトだったとしても、次のプロジェクトに行く際にはリセットされるのだ。
(成績はリセットされない。あしからず。)
しかし、長く同じ職場で安定成長してきたようなケースだとそうはいかない。
宿題は永遠に「持ち越し可」となる。
しかも、小学生の宿題ではない。大人の話だ。
大人らしく、きちんとリスト化され、定期的に進捗をチェックされる。
数年も同じ職場にいれば、「管理表フォームの限界に合わせて最大件数」のリストが出来上がる。
リストの中で本気で対応するのは優先順位が高いもので、後は「着手済み、今月は進捗なし」となる。
優先順位が高いものに手が取られるので必然的にそうなるわけだ。
面白いのは、何年も「着手済み、進捗なし」の残件が、たまたま担当者が異動したりすると、そのほとんどが消えてなくなることだ。
引き継がれないそれらの残件は、その人がいなくなればなくなる運命なのだ。
だったら移動に関係なくリストを整理すればいい、とはならない。
リストに存在していることで「いつかはやらなければならない」事を忘れずに済むという安心がある。
また、「いつでもやれる」事がリストにあるので、忙しくない状態は未来永劫無いことになる。
これは、担当者にとっても管理者にとっても新たな仕事を断る格好の理由となる。
「この新しい取り組みできないかな?」
「出来るわけありませんよ。残件リスト見てくださいよ。」
「君のチームでこの取組できないかな?」
「出来るわけありませんよ。残件リスト見てくださいよ。」
個人、組織に関わらず変化を拒むツールになるわけだ。
かくして、構造的に多忙な状態が出来上がる。
本当に忙しいかどうか、に関係なく、「残件リストで手一杯」なことが証明済みなわけだ。
これを「構造的多忙症候群」と呼ぶ。
だれもそんな風に呼んでいないが僕がそう呼ぶことにした。
はぁ、忙しい忙しい。
火曜日, 2月 07, 2012
ペンギンの集団に豚
先日、身内の結婚式があった。
招待状を直接頂いたので、その際に本人に確認したときも、「いや、できるだけ堅くない会にしたいので平服で」という話だった。
で、先日、行きましたよ。平服で。
で、まぁ、僕には予想外、周囲には予想通りの事態が。
まず最初に通されたのはチャペル。
え?式は聞いてないけど、、、と思いつつ、促されるままチャペルの中へ。
一人だけ平服でチャペルに立つと、なんか僕だけ炊き出しに並んでいるような妙な感じだ。
なぜか、牧師さんの微笑みを見るのが辛い。
儀式を終え、その"会"の会場へ。
南極の氷のように真っ白なテーブルクロスを囲むペンギン(フォーマルなスーツ姿)の皆々様。
そして、なぜか、新郎新婦の真正面、お誕生席に平服の僕。
「平服って言ったじゃーん。僕だけなんでー。ブーブー。」
かろうじて平服がピンクで無かったとはいえ、ペンギンの集団にポツンと豚な状況になった。
そもそも僕の頭の中の"きちんと度ランキング"はこんな感じだ。
会社>普段着
通常はこれしかない。
たまに、本当に滅多に無いのだけど、会社で大切なお客様とお会いする、とか、を考慮すると、
会社(フ)>会社>普段着
だ。
※(フ)はフォーマルの略。ネクタイとスーツと革靴が揃うと"会社(フ)"になる。
これに、ごくたまの結婚式なんかを書き加えると、
フォーマル>会社(フ)>会社>普段着
となる。
"フォーマル"と"会社(フ)"の違いは、ネクタイの色とか、そんな程度だ。
昨今の会社におけるカジュアル化のおかげで、普段着と会社の境界は限りなく縮んだ。
普段着で会社に行ってもバレないのではないか?と、誘惑に駆られる事もよくある。
***
話がそれるが、ここ数年、僕の全ての衣類は縮み続けている。
身体が膨らみ続けているという説もあるがこれはオカシイ。そんな馬鹿な話はない。
何故なら自分の身体が膨らむところを僕は見たことがない。
あるいは、誰か、僕の身体がプーーーーッと膨らむところをみかけたとでも言うのか?
一方、洋服が縮むところは見たことがある。
洗濯機を通過して再登場すれば縮むし、毛糸のセーターなどは毛玉が取れるわけだから、なにかしら質量は減る一方だ。
洋服は縮む一方なのだ。間違いない。
全ての衣類が縮み続けているは、この二つの事実から、正しいのだ。
***
ちょっと興奮してしまった。話を戻そう。
で、今回、"平服"という新たな設定が入ってきた。
僕も何も考えていないわけではない。何はともあれ50絡みのオジサンなのだ。
"平服"という、あまり日常使わない用語を目にして、ちゃんとランキングを考えた。
(そもそも、一直線上のランキングでしか身なりを考えられないのはどうなのだろう。。)
フォーマル>>>>会社>平服・普段着
いやいや、そんな言葉通りの意味で考えるほど浅はかではない。
もうすぐ50歳になろうとしているのだ。
さらによくよくよく熟考して、このように書き換えた。
フォーマル>会社(フ)>平服>会社>普段着
どうだ。完璧だ。
平服だから前日移動に、もう、その格好で移動できる。
新幹線に乗っても、「あの人、平服ね」と思われても「あの人、これから結婚式ね」なんて思われないのだ。
前日には、ほぼ出席する格好で知人に会った。その時も、
「なんか、いつもと違ってきちんとしているじゃん」
という評価だったのだ。
そりゃそうだ。
普段着より二段階もランクが上なのだ。
普段着ならサンダルのところを、きちんと、靴下に加え、防寒靴を履いているのだ。
平服をわきまえた50絡みのオジサンなのだ。
なのにペンギンとぶたになってしまったわけだ。
なぜだ。
そもそも平服ってなんだ?と思いググッてみた。
平服とは「普段着」のことだ。間違っていない。
が、よくよく読み進めると、平服とはいえ「結婚式」なのだとしたら、それなりの平服でなければならないのだそうだ。
紋付袴のところをスーツにする、ぐらいの感覚が一般的らしい。
Q&Aサイト、オールアバウトに全然アバウトではなくはっきり書いてあった。
そんなにはっきり書くなら、オールクリアにサイト名を変えて欲しいところだ。
http://allabout.co.jp/gm/gc/225375/
[AllAboutの抜粋]
親戚や年配の人が多いパーティなら、いくら平服でとはいっても、みんなそれなりの格好をしてくるでしようから、あんまり砕けすぎた服装は禁物。。。中略
反対に、友人はじめ若い世代が多いパーティであれば、少しカジュアルダウンしても大丈夫。男性ならノーネクタイでもよいのでは?
。。。そうだったのか。
要するに、"平服"とは、絶対的な基準があるわけではなくイベント内容や地域、場所などを勘案し、相対的に決まっていくということのようだ。
うーむ。
たしかに、年配の人が少なくなかった。というか、僕が年配なわけだし。
さらにもう一つ気がついた。
どうも僕の普段着がオカシイ、ということだ。
平服、という若干の緊張によって、僕の平服は普通の人の「普段着」になったらしい。
今後は、"平服で"と言われたら、"平服の平服"を考えねばならない。
なんだかバカボンのパパみたいだが、そういうことだ。
「普段着の平服は、平服の平服なのだ。それでイイノダ。」
ということで、普段着がボロ過ぎる点について自覚せよ、と学んだのでした。
なんにせよ、結婚したお二人はお幸せに。
※はみ出し
昔、やはりカジュアル化の進む職場で、何故か僕が「新卒者向け会社説明」をやるハメになったことがある。
この時、「スーツ着用のこと」と指示されたのだが、その指示書には、丁寧に、「間違ってもウェットスーツではありませんから」と注意書きがされていた。
フォーマル関係については、昔から疎いらしい。
木曜日, 2月 02, 2012
「買わないで」という広告
↑はpatagoniaのポスター。ソースはこちら。
ここのところ、「買わないで済ませる快感」をどうやって得られるか、なんて事をぼんやりと考えていた。
買わないで済ませる、と言っても、欲しい気持ちを抑えて、という事ではない。
「欲しいと感じない」ってところ。
そっか、「欲しいと感じない開放感による快感」ってことか。
きっかけになったのは、車。
たまたま、弟から、数年前に亡くなった父の車を譲り受けたのだ。
10年以上前の車とは言え、すこぶる調子が良い。
もうずいぶん前から車に使われる鉄が改良されて錆びにくくなっている。
塗装技術も進んでいる。
昔のように、日に焼けて塗装がくすんだり、ボロボロと零れ落ちるようにサビたり、は、そうそう10年足らずではならないのだそうだ。
自動車メーカーが「耐久年数が倍増しています」とテレビCMでアピールしてもいいだろうに、なんだかなー。
そうやって、父が思い入れていたかどうかは知らないが、父の車を使うようになると、もう、車を買い換える、っていう事に惹かれ無くなったのだ。
譲り受けた時、旧式のカーステレオだけ載せ換えて、"これがベスト"というか、自分の年齢から"これが最後の車"という感じ。
おかげ様で、車のテレビCMも気にならないし、本屋さんで車の雑誌を手に取ることもない、街で高級車を目で追うこともない。
言葉にするのは難しいが、一つのどうでもよいことから解放された感じだ。
(こう書いていると、今まで、車が趣味だったわけでもないのに、どんだけ物欲に囚われていたのか、と、情けない気持ちになる。)
この「開放感」が気持いい。
購入した時の高揚感や嬉しさは手にした瞬間から薄れ始めていくのに対し、購入意欲からの開放感の方はピークこそ無いが永遠に続く快感なのだ。
もう少しわかり易い例としては、食べ物があるだろう。
若いうちは目移りするのも仕方ないが、50年近くも生きていると、
「蕎麦なら△△」とか「カレーなら○○」とか「□□のラーメン」のように、もう、他では代替の利かない食べ物がいくつもある。
※ローストビーフなら××という例が思い浮かばない食生活であった。。。
それのモノ版だ。
食べ物なら時間を空ければ何度でも食べられるかもしれないが、大抵のモノは一つあれば充分だ。
食べ物のお気に入りのようにモノに対しても素直にお気に入り(代替の利かない)を見つけられれば、目移りしない開放感/快感を得ることが出来る。
ヒトに対しても素直にお気に入り(代替の利かない)という価値を高めれば、家庭崩壊や不幸な結婚などといった問題も少なくなるかもしれない。
うーむ。ここに気がつくまでおよそ50年かかった。
ちなみに、この感覚を「嘘だろう」と思う方は、僕に、"父の車を手放すこと"と"換金しないこと"を条件に車の提供を提案して欲しい。
果たして、どれぐらいの価値を感じているのか、が試せるだろう。
意外に、簡単に乗り換えたりして。
(笑)
冒頭のポスターは、去年のクリスマスシーズンにpatagoniaが、環境保護とビジネスの矛盾に自ら切り込んだ、ポスターだ。
patagoniaの創業者は「自分たちの環境保護活動が寄与する以上に環境保護を進められるなら、自分達のビジネスはいつでも止める」ような事を言っているし、売上(利益ではない)の1%を環境保護団体に寄付しているのは有名な話だ。
で、いよいよ、「買わないで」という広告に至ったわけだ。
僕の「売らネット」構想とも合致する。←だからどうした!
「売ってるくせに買わないでは無いだろう」というツッコミはあるかも知れないが、少なくとも、自己矛盾を率直に認める姿勢は"買える"。
ここのところ、「買わないで済ませる快感」をどうやって得られるか、なんて事をぼんやりと考えていた。
買わないで済ませる、と言っても、欲しい気持ちを抑えて、という事ではない。
「欲しいと感じない」ってところ。
そっか、「欲しいと感じない開放感による快感」ってことか。
きっかけになったのは、車。
たまたま、弟から、数年前に亡くなった父の車を譲り受けたのだ。
10年以上前の車とは言え、すこぶる調子が良い。
もうずいぶん前から車に使われる鉄が改良されて錆びにくくなっている。
塗装技術も進んでいる。
昔のように、日に焼けて塗装がくすんだり、ボロボロと零れ落ちるようにサビたり、は、そうそう10年足らずではならないのだそうだ。
自動車メーカーが「耐久年数が倍増しています」とテレビCMでアピールしてもいいだろうに、なんだかなー。
そうやって、父が思い入れていたかどうかは知らないが、父の車を使うようになると、もう、車を買い換える、っていう事に惹かれ無くなったのだ。
譲り受けた時、旧式のカーステレオだけ載せ換えて、"これがベスト"というか、自分の年齢から"これが最後の車"という感じ。
おかげ様で、車のテレビCMも気にならないし、本屋さんで車の雑誌を手に取ることもない、街で高級車を目で追うこともない。
言葉にするのは難しいが、一つのどうでもよいことから解放された感じだ。
(こう書いていると、今まで、車が趣味だったわけでもないのに、どんだけ物欲に囚われていたのか、と、情けない気持ちになる。)
この「開放感」が気持いい。
購入した時の高揚感や嬉しさは手にした瞬間から薄れ始めていくのに対し、購入意欲からの開放感の方はピークこそ無いが永遠に続く快感なのだ。
もう少しわかり易い例としては、食べ物があるだろう。
若いうちは目移りするのも仕方ないが、50年近くも生きていると、
「蕎麦なら△△」とか「カレーなら○○」とか「□□のラーメン」のように、もう、他では代替の利かない食べ物がいくつもある。
※ローストビーフなら××という例が思い浮かばない食生活であった。。。
それのモノ版だ。
食べ物なら時間を空ければ何度でも食べられるかもしれないが、大抵のモノは一つあれば充分だ。
食べ物のお気に入りのようにモノに対しても素直にお気に入り(代替の利かない)を見つけられれば、目移りしない開放感/快感を得ることが出来る。
ヒトに対しても素直にお気に入り(代替の利かない)という価値を高めれば、家庭崩壊や不幸な結婚などといった問題も少なくなるかもしれない。
うーむ。ここに気がつくまでおよそ50年かかった。
ちなみに、この感覚を「嘘だろう」と思う方は、僕に、"父の車を手放すこと"と"換金しないこと"を条件に車の提供を提案して欲しい。
果たして、どれぐらいの価値を感じているのか、が試せるだろう。
意外に、簡単に乗り換えたりして。
(笑)
冒頭のポスターは、去年のクリスマスシーズンにpatagoniaが、環境保護とビジネスの矛盾に自ら切り込んだ、ポスターだ。
patagoniaの創業者は「自分たちの環境保護活動が寄与する以上に環境保護を進められるなら、自分達のビジネスはいつでも止める」ような事を言っているし、売上(利益ではない)の1%を環境保護団体に寄付しているのは有名な話だ。
で、いよいよ、「買わないで」という広告に至ったわけだ。
僕の「売らネット」構想とも合致する。←だからどうした!
「売ってるくせに買わないでは無いだろう」というツッコミはあるかも知れないが、少なくとも、自己矛盾を率直に認める姿勢は"買える"。
火曜日, 1月 31, 2012
シネコンでの映画の見方
いつからか映画館はシネコンに変わっていった。
もちろん、今でも昔ながらの映画館もあるにはあるが、そっちはミニシアターと呼ばれるようになり、ミニじゃない方はシネコンとなったようだ。
ちなみに、シネコンとはシネマ・コンプレックスらしい。
映画にコンプレックスを抱く症候群のようにも読めるが、このコンプレックスは、"複合の"とかそんな意味らしい。
マザコン的な症候群系のコンプレックスは"感情複合"が元らしいが、ややこしいったらありゃしない。
シネプレックスという呼び名もあるようなのだけど、シネプレだとマクドナルドをマクドと呼ぶ関西地域限定的な感じもしたりしなかったりするので、とりあえず、シネコンに落ち着いたのだろう。
そんなわけで、僕の映画を観る場所は、「部屋」「ミニシアター」「シネコン」のどれかということになる。
●部屋
部屋に関しては、「観たいものを借りてきて(もしくは購入して)観る」となる。
プラスして、飲食しながら、とか、喫煙しながら、とか、自由気ままである。
観る格好も、限りなくだらしない。たいてい、見終わった後立ち上がると、ポロポロと煎餅のカスやピーナッツなんかが床に散らばるのだ。
犬でも飼っていたら、この瞬間はハッピーアワーになること間違いなしだ。
部屋観("へやかん"ではない、"へやみ")に関しては、観たくないものを借りてしまうはずは無さそうだが、ジャケ借りで失敗することも少なくない。
セクシー系と思ったらホラーだったとか、戦争モノだと思ったらホラーだったとか、恋愛モノだと思ったらホラーだったとか、しかも、そのホラーがたいして怖くない上に笑うこともできないとか、そんなケース。
そんな経験から、最近は、"借りる候補"を携帯メールの下書きに書き留めておいて借りる、というパターンが増えた。
50絡みのオジサンともなると反省を活かすことができるのだ。
●ミニシアター
ミニシアターに関しては、「行ってみて面白そうなのを観る」パターンが多い。
そもそも好みが「非ハリウッド」で、ヨーロッパもの、アジアものだったりするので、意外にも外れは少ない。
打率で言えばシネコン(ハリウッドもの)を圧倒し、イチローをも超えている印象がある。
加えて、ミニシアターの場合は、思いがけず監督の舞台挨拶があったり、10数分上映した所で「映写サイズを間違えたのでもう一度最初から映写します」なんて放映事故?があったり、数人しか居ない客の一人の携帯がピピピーと鳴って、「上映中は切っとけよー」なんて思ってたら「もしもし・・」なんて電話に出ちゃう客(ご老人)がいたり、ハプニングも楽しいものだ。
●シネコン
以前は「観たいのをやってるからシネコンに行って観る」というパターンが多かった。
ところが、満を持してのシネコンにもかかわらず、結果、「それほどでも(CMを見て期待したほどでも)無かった」という、残念な結果が続いた。
映画館で見た映画の人生ワーストも去年記録した。→これ
そんなわけで、仕方ないので新たなシネコン活用方法を考え、実践してみたので報告したい。
●(新)シネコンでの映画の見方
最近は、ハリウッドもの中心の大手の映画はどれを見ても大した差はない気がする。
むしろ、事前の宣伝の効果で、その映画に間違った期待をいだいてしまうことが多い。
だから、事前に何を見ようなどと決めてはいけない。
決めないまま、できることなら、今、何が上映されているのか知らないまま、とりあえずチケット売り場に並ぶ。
並んでも気を抜いてはいけない。「何を見ようか」「どれが面白いか」などと邪念に囚われてはいけない。
できるだけ目を閉じて、行列から聞こえてくる囁きにも耳を貸さず、心を無にしよう。
さて、チケット売り場に並んでいたことすら忘れた頃に自分の番になる。
チケット売り場の係員は、こう言うだろう。「何になさいますか?」
そうしたらおもむろに、「次の上映は?」と尋ねる。
質問に質問を返すのだから怪訝な顔をされることもある。
が、気にすることはない。こちらはチケット売り場の係員のバイトを成立させている立場なのだ。
「いや、今から最初に上映開始になるのは何ですか?」と毅然とした態度で問い返すのだ。
「はぁ、次はAKBナンタラで5分後です」とか言われたら、フィーリングで「その次の上映は?」と尋ねる。
「その次はMr.ビーンナンタラで15分後です」とか言われたら、またまたフィーリングで「更にその次の上映は?」と尋ねる。
係員がややイラっとした表情を見せつつ「その次は○△□×で25分後です」とか言われた辺りで、「じゃ、それ」と応えそのチケットを購入する。
それ以上やると、スケジュールを見て決めてから並んでください、と言われかねないし、社会人としてのモラルも問われてしまうので、まぁ、3つが限界だろう。
理想は、一番最初に上映開始になる映画にする、なんだけど、残念ながら小心者の僕はまだ試していない。
(まんが祭りだったら困るし、そもそも、AKBナンタラは映画なのか未だ謎だ。)
結果、やはり、「ま、面白かった」となる。
期待値0からの「ま、面白かった」なので、同じ物を厳選して見て「がっかり」するよりは良いのではないか。
●まとめ
映画のチケット料金は「従量課金制」にならないのだろうか。
10分150円で良いと思う。200円でも良い。
期待に胸を膨らまして、いざ上映開始、、、その10分後に後悔してもJAROに訴えられないのは悔しい。
もちろん、今でも昔ながらの映画館もあるにはあるが、そっちはミニシアターと呼ばれるようになり、ミニじゃない方はシネコンとなったようだ。
ちなみに、シネコンとはシネマ・コンプレックスらしい。
映画にコンプレックスを抱く症候群のようにも読めるが、このコンプレックスは、"複合の"とかそんな意味らしい。
マザコン的な症候群系のコンプレックスは"感情複合"が元らしいが、ややこしいったらありゃしない。
シネプレックスという呼び名もあるようなのだけど、シネプレだとマクドナルドをマクドと呼ぶ関西地域限定的な感じもしたりしなかったりするので、とりあえず、シネコンに落ち着いたのだろう。
そんなわけで、僕の映画を観る場所は、「部屋」「ミニシアター」「シネコン」のどれかということになる。
●部屋
部屋に関しては、「観たいものを借りてきて(もしくは購入して)観る」となる。
プラスして、飲食しながら、とか、喫煙しながら、とか、自由気ままである。
観る格好も、限りなくだらしない。たいてい、見終わった後立ち上がると、ポロポロと煎餅のカスやピーナッツなんかが床に散らばるのだ。
犬でも飼っていたら、この瞬間はハッピーアワーになること間違いなしだ。
部屋観("へやかん"ではない、"へやみ")に関しては、観たくないものを借りてしまうはずは無さそうだが、ジャケ借りで失敗することも少なくない。
セクシー系と思ったらホラーだったとか、戦争モノだと思ったらホラーだったとか、恋愛モノだと思ったらホラーだったとか、しかも、そのホラーがたいして怖くない上に笑うこともできないとか、そんなケース。
そんな経験から、最近は、"借りる候補"を携帯メールの下書きに書き留めておいて借りる、というパターンが増えた。
50絡みのオジサンともなると反省を活かすことができるのだ。
●ミニシアター
ミニシアターに関しては、「行ってみて面白そうなのを観る」パターンが多い。
そもそも好みが「非ハリウッド」で、ヨーロッパもの、アジアものだったりするので、意外にも外れは少ない。
打率で言えばシネコン(ハリウッドもの)を圧倒し、イチローをも超えている印象がある。
加えて、ミニシアターの場合は、思いがけず監督の舞台挨拶があったり、10数分上映した所で「映写サイズを間違えたのでもう一度最初から映写します」なんて放映事故?があったり、数人しか居ない客の一人の携帯がピピピーと鳴って、「上映中は切っとけよー」なんて思ってたら「もしもし・・」なんて電話に出ちゃう客(ご老人)がいたり、ハプニングも楽しいものだ。
●シネコン
以前は「観たいのをやってるからシネコンに行って観る」というパターンが多かった。
ところが、満を持してのシネコンにもかかわらず、結果、「それほどでも(CMを見て期待したほどでも)無かった」という、残念な結果が続いた。
映画館で見た映画の人生ワーストも去年記録した。→これ
そんなわけで、仕方ないので新たなシネコン活用方法を考え、実践してみたので報告したい。
●(新)シネコンでの映画の見方
最近は、ハリウッドもの中心の大手の映画はどれを見ても大した差はない気がする。
むしろ、事前の宣伝の効果で、その映画に間違った期待をいだいてしまうことが多い。
だから、事前に何を見ようなどと決めてはいけない。
決めないまま、できることなら、今、何が上映されているのか知らないまま、とりあえずチケット売り場に並ぶ。
並んでも気を抜いてはいけない。「何を見ようか」「どれが面白いか」などと邪念に囚われてはいけない。
できるだけ目を閉じて、行列から聞こえてくる囁きにも耳を貸さず、心を無にしよう。
さて、チケット売り場に並んでいたことすら忘れた頃に自分の番になる。
チケット売り場の係員は、こう言うだろう。「何になさいますか?」
そうしたらおもむろに、「次の上映は?」と尋ねる。
質問に質問を返すのだから怪訝な顔をされることもある。
が、気にすることはない。こちらはチケット売り場の係員のバイトを成立させている立場なのだ。
「いや、今から最初に上映開始になるのは何ですか?」と毅然とした態度で問い返すのだ。
「はぁ、次はAKBナンタラで5分後です」とか言われたら、フィーリングで「その次の上映は?」と尋ねる。
「その次はMr.ビーンナンタラで15分後です」とか言われたら、またまたフィーリングで「更にその次の上映は?」と尋ねる。
係員がややイラっとした表情を見せつつ「その次は○△□×で25分後です」とか言われた辺りで、「じゃ、それ」と応えそのチケットを購入する。
それ以上やると、スケジュールを見て決めてから並んでください、と言われかねないし、社会人としてのモラルも問われてしまうので、まぁ、3つが限界だろう。
理想は、一番最初に上映開始になる映画にする、なんだけど、残念ながら小心者の僕はまだ試していない。
(まんが祭りだったら困るし、そもそも、AKBナンタラは映画なのか未だ謎だ。)
結果、やはり、「ま、面白かった」となる。
期待値0からの「ま、面白かった」なので、同じ物を厳選して見て「がっかり」するよりは良いのではないか。
●まとめ
映画のチケット料金は「従量課金制」にならないのだろうか。
10分150円で良いと思う。200円でも良い。
期待に胸を膨らまして、いざ上映開始、、、その10分後に後悔してもJAROに訴えられないのは悔しい。
金曜日, 1月 27, 2012
大沢富江さんは知っている?
僕は大沢富江(オオサワトミエ:Osawa Tomie)さんという人は知らない。
でも、アメリカにはOSAWATOMIE(オサワトミー、カンザス州)という街がある事を昨日知った。
ただそれだけのことだ。が、ポスターで見かけて驚いた。
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