木曜日, 12月 16, 2010

映画 オーケストラ



映画には、定番・鉄板のストーリーにも関わらず、「感動する映画」「感動しない映画」、あるいは「もう一度観たい映画」「二度と観ない映画」「観なきゃよかった映画」が存在する。
要するに「好き」「嫌い」に別れる。

そして、この「好き」「嫌い」の傾向は、結構、その人そのものの傾向も表しているようだ。
最近気がついたのは、タランティーノ派と反タランティーノ派。タランティーノ派ではないのでタランティーノ派が何を良しとしてタランティーノ派的映画を観ているのかわからないが、なにしろ、タランティーノの映画は観る機会がないのが反タランティーノ派だ。
何度も言うが、観たことがないのでタランティーノさんの映画をどうこう評することができないのだけど、結果的に、観てない、もしくは観ても記憶に留まっていないのだから仕方がない。

この事実を指摘したのは、私ではなく、まだ記憶力の衰えていない若者だったが、僕はとても納得した。ちなみに彼も反タランティーノ派で、彼なりのタランティーノ派がどういうものであるか理論も数十分にわたって展開してくれたのだが、残念ながら私の衰えた記憶に残ったのは、タランティーノの映画は素人にはつまんない、だった。
とにかく、あれほどレンタルDVD屋さんでアピールしてくるブルースリー風レオタードに身を包んだ女性の流し目にも、なぜかそそられないのだ。


そんな派閥の一つになるかもしれない「オーケストラ派」。

この映画、例によってストーリーはググッてもらうとして、とにかく、良い。
今年一番涙を流した映画だ。だからと言って、悲しい話ではないし、むしろ、面白おかしく楽しい元気がでる映画だ。ベスト1というわけでもない。
ストーリーが凝っているわけでも、何か特殊な映像効果があるわけでも、すばらしい風景があるわけでもない。

だけど間違いなく名画だ。

題名もストレートだ。
オーケストラが主人公だと容易に想像がつく。
オーケストラという題名で、未開のジャングルに戦士が迷い込み伝説のタイガーと戦う、「おー消すトラ」ではない。

クラシック音楽はちょっと、、、という、クラシック音楽苦手派の方でも大丈夫だ。なぜなら、私がこの映画をDVDで観た後、たまたま映画館でやっていて観に行ったんだけど、一緒に観た連れは、途中、クラシック音楽界に蔓延する眠り病にかかりながらも、最後は感動して涙と鼻水を大量に流していた。


そして、オーケストラ派の多くが属するのが、ヨーロッパ(主にフランス)映画派になる。
無意味にやたら心拍数を上げようとする映像・音響的効果ではなく、あくまで伝えたいのは「気持ち・心」の派閥になる。
やたら長いタイトル「星空に向かって狼は悲しみのメロディーを啼く」みたいな映画ですら、派手なアクションシーンの中でしっかりと心が描かれている。

多分、製作現場では、「心を描く」事が最優先された中で、いろんなアイデアが取捨選択され、映画作品として、とても豊かな作品に仕上がるのだろう。

そういえば、この映画を見たから、そこから一気に、「クラシック音楽関連映画」を借りては見るようになったのだ。
気が付かなかったのだけど、こういう風に、次に見る作品をも左右する作品は、どんだけ凄いか、ということだ。

マーケティング費用と広告費用で膨大な制作費の半分以上を使ってしまう映画会社がアホに見える。し、多分、アホなのだろう。


尊敬するリチャードストールマンは、「もしハリウッドの映画を見ようと思ったら、事前に内容を吟味して、駄作でないとわかってから行くようにしたほうがいいよ」と言っている。全くその通りだ。


何が凄いか、は、僕の力ではどうにも言葉にできないけど、ヨーロッパ映画派、notアバター派、notホラー映画派であれば感動間違いなし。
観ていないのでわからないが、"のだめ派"は駄目かもね~←超先入観

進化例

退化例

水曜日, 12月 15, 2010

NMP-1000P来ました

新旧とも見かけは全く同じ、リモコンも全く同じだから二台一緒に操作可能!?
USBのDVDドライブ認識されます。
で、新チップのおかげで、動きは全般にスムーズになりました。ネット関連も動きは○。なによりネット関連サービス(ニュース系)がだいぶ増えました。
UPnPはうちの東芝RD-E301を認識しフォルダも表示されたけど、再生は出来なかった。要調査。


まだ安定してない部分もありますが、ま、そのうちファーム更新でなんとかなるかな。
で、早速、ファーム更新。と調べたら最新1.1.1Build1012でした。

手持ちのBD(MKV)ソースは○、ISOは×。


という感じ。

ティーバッグの紅茶の作り方



オノ・ヨーコが亡きジョン・レノンとの思い出でジョンが「ティーバッグを入れてからお湯を注ぐと思っていた」という話を語ったことがニュースになっていた。
http://www.47news.jp/CN/201012/CN2010120901000308.html



ほー。僕もずっとそうだと思っていたが、正しくはお湯を注いでから、そのお湯にトポッとティーバッグを落とすのが正しいのだそうだ。

インスタントコーヒーやカップスープ、チキンラーメンだってなんだって先に具や粉を入れ、だから、レアな後乗せ系のモノは、「後乗せだよー」をやたら強調しているわけで、だったら、ティーバッグにも「後入れマーク」を書いていて欲しいものだ。

で、書いておきたいのは「後入れマーク」の話でも「あ、トイレ!まぁ君」の話でもない。こんな話題がニュースになったこと、そのものの話。


今年はジョン・レノン没後30年なのだそうだ。

最近では、昨日のことも直ぐに忘れるというのに、30年前の、あの日の事はよく覚えている。

盛岡ではチラホラ雪が舞っていた。
朝7:00のNHKニュースで知った。
ジョン・レノンの訃報のニュースなのに、何故か映像はLetItBeを唄うポールの姿だった。

あの頃、所謂、スターのおふざけジョークの一つとして、「嘘の訃報を流す」事は"あり得る"事だった。オールナイトニッポンなんて、何度、その手の訃報を流すジョークをやったことか。

僕はその朝、ちょっとマヌケなNHKのニュースを見て、嘘だと思っていた。
スターの気まぐれに付き合わされる国営放送のアナウンサーを気の毒にすら思った。

ちょうど、ジョンの何年か振りのニューアルバムがリリースされたばかりだった。
お葬式の合図にも思えなくもないトライアングル?で始まる曲「Starting Over」がリリースされた後でもあり、ラジオや街のレコード店で耳にすることも多かった。まさしくプロモーションのように思えたのだ。

学校でも、友人とそんな話をして、夜に帰宅して続報を目にしてようやく死んだのだと納得した。

知ってる人でもなければ、1枚か2枚レコードを持ってるぐらいでBeatlesが一番というわけでもない、多分、単なる洋楽(しかもハードロック)好きな高校生でしか無かった僕だったのだけど、まるで、仲良くしてもらっていた親戚の叔父さんが亡くなったような気分になった。

10代のあの頃、人の死を、今以上に理解できていなかったけど、少なくとも、もう、悪いジョークも新曲も生まれないのだけは、とても個人的な損失に感じられたのでした。

その後、お小遣いを叩いてアルバムを手に入れ、イントロの鐘の音を何度も聞くことになったわけだけど、同じアルバムに収録されていたオノ・ヨーコの曲「キス・キス・キス」の悩ましい声「抱いてぇ」にしばらく別の意味で悩まされたのでした。

アンティキティラ島の機械



沈没船から発見された「世界最古の計算機」と言われる計算機がある。
アンティキティラ島の機械だ。

紀元前!に作られた膨大な歯車の複雑な組み合わせ。暦や天体の動きを表すものらしい。

この機械がどう使われてたのか、その凄さが科学的・数学的・天文学的にどうなのか、そんな事は僕にはわからない。
が、とにかく、2000年以上前の、まだ天動説が信じられていた世界で作られた精密な歯車、その歯車達に惹かれる。


発見された機械そのものは、当然、動くわけもなく、そこからレプリカが作られてきたのだけど、やはりそのレプリカがまた美しい。

そして、Legoで作られたAntikythera Mechanismがこれ。




プロジェクトのイメージは、こんな感じ。「自由な歯車」
人それぞれはユニークな歯車。で、全体がうまく動くのは美しい。

火曜日, 12月 14, 2010

小倉弁 ○○してる→○○しとう


ここ小倉では、○○してる、を、○○しとう、と言う。
ブログを書いてる→ブログを書いとう
食べてる→食べとう
買ってる→買っとう
ムフフしてる→ムフフしとう
とっくに行って取ってると言ってる→とっくに行って取っとうと言っとう
みたいな感じだ。

住み始めた当初、"てる"、を、"とう"、と言っているのかと思ったがこれは間違い。
この文法を適用してしまうと、
テルテル坊主→とうとう坊主
西郷輝彦→西郷逃避行
秋の夕日に照る山紅葉→秋の夕日に遠山揉み爺
ヤッテル、ヤッテルゥ!→やっとう、やっとう!(あ、これはアリだ)

逆に、知らないうちに標準語だと思われとう、小倉弁もある。
自民党は、元々、自民テルだったのに、今では、自民党になった。
砂糖も、元々、サテルだったのに、今では砂糖。
菊池も元々佐藤だったのに、今では菊池。
そんな感じだ。

長崎が近いこともあって、外国語にも多大な影響を与えた。
もともとは、Tell me please.と言っていたのに、今では、Talk me please.
トウシューズは、テルシューズだったし、
テレサ・テンさんは、元々は交差点だった

♪わかっとー、わかっとらんとー♪
♪ヘィヘーィ、ヘーィ♪
ショカクヤチトセさんのブルースが聞こえてきそうだ。

そんなだから、今、ここに住んでいて言葉に不自由することはない。
ちゃんと地元の言葉を使わないと、もっともっと書いとうとう。
※たまに、会議とかで地元の言葉に出会うと、「方言使っとう」とあたたかい気持ちになれます。

※※速報「NMP-1000P アマゾンでも取り扱い開始」

金曜日, 12月 10, 2010

カラカレカラ

カラスガレイノカラアゲ

辛いカレーソースとかかけたい。

木曜日, 12月 09, 2010

ゴールデンスランバー観ました


何枚か借りた中に紛れ込んでいた邦画の一枚。
「洋画」のフォルダーに入れてたから、再生してみて、「やたら邦画のCMが多いなぁ」と思ってたら、本編が邦画。
あぁ、確かに借りた気がする。と、大した期待無しに見始めた。

南極料理人だったかな、も、良かった、堺雅人主演の作品。
うーん、彼は好印象。南極料理人も良かった。

例によってあらすじ等は、Wikipediaなどで確認してもらうとして、
なにしろ娯楽として楽しかった。
映画は、こう楽しめ!みたいな映画。

まず、主人公が「普通の男」で、感情移入しやすいのが良い。
首相暗殺犯に仕立てられる、なんて言うと、サスペンスっぽいけど、サスペンス要素もある青春回顧映画かも。

そして、タイトルになっているBeatlesの"Golden Slumber"が、その、普通の人達と大げさな事件の狭間のやるせなさみたいな空気にぴったり合っていた。

映画の中の回想シーンで、大学生の主人公達がGolden Slumberを聞きながらPaul McCartneyのその時の心中を語り合うシーンが合った。
確かに、僕も、10代でBeatlesのLet It Beに出会ったとき、ライナーノーツを読みながら、バラバラになったメンバーがどんな気持ちでこのアルバムを作ったのか思いを馳せたことがあった。
うまく説明できないが、片や既に解散した世界のスーパースター達に対し、何か、他人事には思えない、10代のあの感覚。
あの頃は、やっぱり、純粋だったのかな。

そんな感覚や、「こんな話があったら面白いでしょ」的な、やや無責任なストーリー展開や、観ているうちにそんなほろ苦かった時代の感覚を次々に思い出せる映画でした。

そして、エンディングの斎藤和義の曲も良かった。
っていうか、斎藤和義、知らなかったし。
まだまだまだまだ、たくさん知らない素敵な音楽があるんだと思った。

娯楽映画だから、また観よう、っていうのとは違うけど、心に残って、なんかたくさんの久しぶりの感覚を味わえる、やっぱり素敵な映画だったな。
意外に、一人で深夜に観るのがお勧めかも。

ランチはナンだ

一昨日?だったかにテレビで「ホタテの出汁が効いたモツ鍋で億万長者になったモツ鍋オタクのオジサン」を見た。
ホタテスープとモツ鍋はそんなに旨いのか!

で、夕べ、アルミの容器に入った一人用モツ鍋とチャルメラ一袋を買った。
モツ鍋にチャルメラスープ(と相応の水)を入れ、締めはチャルメラの麺、を試した。
しかも、全行程を撮影して、最高のモツ鍋が超簡単に出来る事実を世界に発信しようとまで考えていた。
理由はわからないが、一大発見確実、と信じていたし、あわよくば何かしら○○長者
になっちゃったりして〜と、仄かな期待さえしていた。

・・・
しょっぱかった。モツの風味は無かった。その上、チャルメラでもなかった。
ただただ、脂っこいしょっぱいキャベツとニラとモツとスープだった。
締めは、義務と責任と化した、しょっぱい麺だった。

億万長者はむろん、世界に発信も不要だった。

気を取り直して、とりあえず、しょっぱくないランチ!

水曜日, 12月 08, 2010

テレビ型携帯電話なら許す



とりあえず、良いことも悪いことも最初に体現するアメリカで、いよいよ「煩いCMの音量を下げる法律」が施行されるのだそうだ。
音量を下げると言っても、音量を普通の番組と同じレベルにする、ということ。
仕方がない、と諦めていた、あの、CMになると音量が上がる現象、というか、放送局がスポンサーに阿って(おもねって)、CMになるとボリュームを大きくしていていた。

この「CMに限ってボリュームを大きくする戦略」で、以前の私の家庭では、一悶着あったのだ。
ニュース番組とか、まぁ、普通にテレビを見ているときは平穏無事なのだが、CMになった途端、音に神経質な家族から、「テレビの音下げてよ」とクレーム。
そう、見るテレビ番組の趣味が全くもって合わない場合、チャンネル戦争を回避したとしても、その後、"CMの度にボリュームを下げる下げない戦争"が勃発するのだ。
ということはだ、テレビ局よ、もう、かれこれ10数年、そんな姑息な手段で、スポンサーの機嫌を取っていたわけだ。


普通に考えれば「当たり前」の状態にするだけの話だ。
この、「当たり前」の状態にするために、何十年もかかり、法律まで必要だったと考えると、本当に人間は賢いのか疑問になる。
よくよくよく考えると、そもそも、CMの時間と番組の時間では、消費するエネルギーが違うはずだ。
エコなスポンサーは、今後、暗く静かなテレビCMを流すべきなのかもしれない。。。なんてなぁ。


なにはともあれ、良いことだ。大歓迎だ。
なんだったら、聞き耳をたてなければ聞こえないぐらい音を小さくして、映像も「ぼーんやり」すると、むしろCMの効果はあがるかもしれない。
「ン?、何のCMだ?、、、聞こえないし見えないし、、、もっと見せてくれ~。。。。」
なわけないか。

そういうスポンサー至上主義、視聴者シランプリ業界だからだろうか。最近のテレビCMにもう一つイラっとすることがある。それは電子音だ。

携帯電話の着信音、バイブ音、そんな感じの音が、地デジ対応した新しいテレビのスピーカーからリアルに鳴り響く。
電子音は方向感が曖昧になるため、必ずしもテレビから鳴ったのかどうか確信しにくいのが、CMを流す側のミソなのだ。

しかも最近は、普通にCMのバックで流れるBGMや効果音に仕込まれている。
その上、いい気になったのかどうかは知らないが、バラエティ番組でもこの電子音をガンガン使い始めているように感じる。

なんとかならないものか。
そもそも携帯電話ですら、一日中ほとんどマナーモードで使っているのに、何で、CMの携帯電話もどき電子音に「ハッ」としなきゃならないのか。本当に迷惑だ。

ググってみると、そんな人は僕だけでないとわかる。
○ドバシカメラ、トイザ○ス、ビック○メラ、○ーリツ、とかが取り沙汰されているようです。

こーゆーのが、アメリカのように法律でないと規制できない、というか、規制しないとヤメラレナイ。
CMの音量や電子音で、そのCMの会社の人だって、当然、「煩い」「耳障り」と感じている人だっているはずなのに、自らはヤメラレナイ。
そして、普通の番組にまで取り入れはじめているTV放送業界。


言ってみれば、こーゆーのは、駅前や繁華街の強引な客引きと基本的な考え方は同じだ。
大声で興味を引かせる。気になる掛け声「ほら、そこの奥さん」とかと同じ。


繁華街の客引きに声をかけられても、「見えません、聞こえません」に徹して通り過ぎるように、この手の輩とのトラブルを避けるには、テレビを見ない。あるいは、録画しておいてCMを見ない。それが一番。
・・・あれ、自己解決しました。

NMP-100P 12/10国内発売へ

というニュース。よしよし。
「H.264圧縮の高精細なビデオファイルや、BD ISOの再生にも対応した。発売日は12月10日。店頭予想価格は35,800円」

価格comにも
「再生可能なファイル形式は、動画がAVI、MPEG/MPG、VCD (ISO、MPG、NRG)、DVD(VOB、IFO、ISO、NRG)、WMV、ASF、TP、TS、TRP、M1V、M2V、M4V、M2P、 M2T、 M2TS、BDMV/BD ISO、MTS、MOV、MP4、RMP4、MKV、MOD、3GP、。画像がJPEG/JPG、BMP、PNG、GIF。音楽がFLAC、APE、 WAV、WMA、AAC、PCM、AC3、MP3、Ogg、M4Aとなる。」
うーん、楽しみ。

amazonはまだ古い。→取り扱い開始した模様

火曜日, 12月 07, 2010

レーザープロジェクター(円錐と四角錐)

レーザープロジェクター、をニュースで見かけた。
LEDではなく、レーザー。

何が違うかというと、「無限焦点」ということで、プロジェクターにつきものの、「ピントを合わせる」必要がないということだ。

だから、どんな場所(凹凸があろうが)に投影しても、ピントが狂うことはない。
斜めの壁やドーム型の壁とかにも、とりあえず、綺麗に映る。
それだけでなく、プロジェクターを持ったまま動いていて壁に投射しても(投影された画像の大きさは変化するけど)ピントがずれることはない。のだそうだ。
こんな感じだ。


今回商品化されたのは、小型であくまでモバイルユースを前提にしたもの。
でも画面を見る限り、明るさが15ルーメンと心もとないわりに、ま、いい感じだ。
一般に超小型プロジェクターは、ケーブルを引っ掛けたりするとすぐ動いてしまうらしい。
そのたびにピントがずれたりするようだけど、そういう事は無くなるわけだ。


レーザーでの映像投影イメージは、きっと、円錐形の金太郎飴みたいな感じなのだろう。どこで切ってもピントのあった同じ絵が出てくる。

レーザープロジェクターでググルと更に次世代の技術がヒットする。
3D投影技術だ。これは、デモを見てる限り凄い。
最初に公開されたスターウォーズのシーン、レイア姫のメッセージを再生するシーンを彷彿させる出来だ。
こんな感じだ。


ひっくり返したピラミッドの中に浮かぶ3D映像。
これを部屋の何処に置けばいいのか、今のテレビやスクリーンのように壁におっつけてしまうのはなんかもったいない。
じゃあ、リビングのど真ん中にドーンと置いても、一日中見てるわけじゃないし。。。

とりあえず、↑の映像にあったように、広い空港ロビーにでも置いといてもらいましょう。

月曜日, 12月 06, 2010

コロコロ スーツケース コロコロ



もう流行りだして大分経つけど、コロコロ式スーツケース(空港なんかでよく見かける引きずって歩くやつ)を持つ、いや、コロコロ引きずる人が本当に多くなった。

かなり小さめのコロコロバッグも最近ではよく見かける。
あれ、自分の前を歩いている人がコロコロしていると邪魔に感じるんだよなぁ。

どう見ても、サイズ的にも、多分、重さ的にも、無理やりコロコロしているようにすら見える。
そういう人に限って、入りきらない荷物用に手提げのバッグ(下手するとこちらのバッグの方が大きかったりする)をコロコロバッグに載っけて二階建てコロコロしている場合も多い。


大きければ「大変ですねぇ」という気持ちになれるし適当に離れて歩くんだけど、あまり小さいと、「足元邪魔だから手に持って歩いてくれ~」となる。前を歩いていた極少二段重ねコロコロバックが急停車なんかすると、急に足元にネズミかなんかが飛び出してきたような状況になる。
そもそも、小さめのコロコロバックほど、柄の部分が長く出来ていて、後ろを歩く人に対して荷物を引きずっている感が伝わりにくいのかもしれない。

大荷物を引きずったり担いだりしていない限り、人の後ろを歩くときは前の人の背中を見て距離感を無意識に把握しているんだろうなぁ。
こんな事を無意識にできる僕ってチョット凄いかも。

あの小さいコロコロに、金塊でも詰まっていれば理解できるんだけど、小さい上に中身も軽いようにしか見えないのだから困る。
(きっと、キャスターがよく出来ていて軽快にコロコロしているようにみえるだけで、金塊か鉛の塊を運ぶためにコロコロしていると信じたい)


とかいう僕は、そこそこ大きいコロコロバッグを持っているけど、長年の耐久テスト張りの使用に耐えかねたのか、コロコロのタイヤゴムが剥がれてしまった。
メーカーに修理を頼んだら「部品がないから新製品に交換」となった。

愛着があっただけに残念だった。

それ以上に、そのアウトドアメーカーが「販売したものは何年経っても修繕に応じる」なーんていう事を売りにしていただけに、まぁ、それは衣料品系に限ってなんだろうな、とは思ったけど、ちょっとガッカリした。

その上、修理をお願いした愛着があったバッグは新製品と交換だということで丁重にお詫びを頂いたものの戻ってこなかったし。(修理のためにメーカー本国アメリカに送られたということだ。この結論まで二ヶ月ほどかかった。)

そんなこんなで、新製品に交換してもらってから、とんと使わなくなった。無理して大荷物を持ち歩かなくなったのだ。

以前は、どれだけ無理していたかというと、旅も三泊を超えるあたりから「どうせ着替えが増える」という理由で、仕事用とは別の普段使いのパソコンや、各種充電器、オフに履き替える靴、読みかけのハードカバー、なんかが増えて、ともすると、コロコロバッグにすら収まらない量の荷物を抱え大移動していたのだ。

これだけ抱えて大移動したところで、旅先で使うものはたかが知れていて、結局は荷物のうち確実に使用するのは着替え、ぐらいなもので、後は、「あれば安心」だったり、もしかすると「こんな時のために買った商品を使わないのはもったいない」なんていう、買ったものは神様です、の結果の大移動だった気もする。

冗談みたいな、充電器は持ってきたけど、肝心なカメラは忘れた、みたいな事もあったり、そもそも、僕にはそんな几帳面なことは満足に出来ない、と改めて認識した。
自慢ではないが、前日食べたお弁当の空箱を翌日、下手すると翌々日とかに今夜はお弁当を作ろかな、なんて時にバッグの中に入れっぱなしだった時もよくあるのだ。

なんであれ、新コロコロバッグになってからは一回ぐらいしか使ってなくて、要するに、コロコロバッグ自体が「こんな時のために買った商品を使わないのはもったいない」対象だったと気がついた。




極少二階建てコロコロしてる人を見かけた時、「そんなちっちゃいバッグは手に持て~」とツッコむのではなく、「コロコロしたかったんだねぇ」と車間距離ならぬ人間距離(ジンカンキョリ)をちょっとおいて、優しい目で見てあげたい。
そのうち、新しいバッグを手に入れたらコロコロ欲は治まるから。

土曜日, 12月 04, 2010

ようやく、

家の前にそびえる銀杏の大木が色付きました。

水曜日, 12月 01, 2010

車内アナウンス


どうにもこうにも、日が短くなって、帰る時間なんてベルピュンでも真っ暗。
残業してなくても真っ暗だ。

サマータイムを検討するなら、ウィンタータイムだってあっていいはずだ。冬は、勤務時間を6時間に短縮すれば・・・・いや、だからってサマータイムの勤務時間が12時間になるのは勘弁。
なかなか思うようにならないことばかりだ。

という事で、他にもちょっとしたトラウマになりそうな事もあり、ここのところ、自転車ではなくモノレール通勤になっている。

会社最寄りのモノレール駅から会社までは10分ほど歩く。
途中に三つぐらい市内バスの停留所がある。
この間みたいに、一個手前の駅なんかで間違って降りたりすると、バス停は10個近くあるかもしれない。

そもそも小倉、というか九州は日本でもずいぶんバス路線が発達している土地なのだそうだ。確かに、小倉でも随分バスをよく見かける。
市内バスはもちろん、高速バスのたぐいもとっても多い。
そして、これまた乗車率もなかなかのように見える。

話を戻して、会社まで歩く途中のバス停での話。
そんな風にバスが多いから、バス停にもバス二台がかち合って止まったりもする。バス停のバス停車スペースが長いのだ。
同じ小倉駅行きが二台並んで止まったりすると、僕なら、どっちに乗るべきか混乱するのだけど、ここら辺の人たちはみんな普通に乗っている。

そもそも、バスが二台同時に来た場合、混んでいる前のバスをパスして後ろのバスは乗せてくれるのだろうか。バスをパスするのは、日本語的にも問題がありそうだし、バスをパスすると、後ろのバスは僕をパスしそうで怖い。

先日の朝も、そんな感じだった。
モノレールを降りてテクテク歩いていると、バス停にバスがちょうど二台止まった。

先頭のバスから車内アナウンスが聞こえる。
酔っ払ってるような、もはや、解読不可能な「らうぅらうららぁうららぅらぁ」みたいなアナウンス。頭の中で何度巻き戻して再生しても理解不能、と、思っていると、後ろのバスからも車内アナウンスが。こちらはずいぶん快活な声で、「おはようございまぁす。小倉駅行きでございまぁっす」。

同じバス会社なのに全く違う雰囲気のアナウンス。
電車なんかだったら、まぁ、だいたい、その路線の雰囲気というか、アナウンススタイルが確立されているのだけど、どうも、まだスタイルの確立までに至っていないようだ。

スタイルの確立までどれぐらいかかるのだろう。
あの酔っ払いスタイルも捨てがたいものだ。

どうせなら、方言を活かした、地域性豊かなアナウンスがいいんだけどな。
随分前に、大阪の電車会社が「車内アナウンスでの関西弁禁止」というニュースを見たことがある。そーゆーの、つまんないよなぁ。

会社脇の

桜並木。

木曜日, 11月 25, 2010

たまには

ランチ情報。

水曜日, 11月 24, 2010

大手貸ビデオ屋さんの狙い


近所の超安貸ビデオ屋さんも、概ね、借りたいものが無くなってきて、最近は通勤途中にある大手貸ビデオ屋さんに行くことが増えた。
その貸ビデオ屋さんでの話。

ここでは、よく、「○本で1000円」セールをやっている。
そうすると、こちらも、「5本で1000円だったら、5本借りちゃう~」となって、ま、とっても素直な消費者として、貸ビデオ屋さんのマーケティング部門かコンサルタントか消費者庁かなんかに表彰してもらいたい、そんな感じ。

で、不正確な記憶なんだけど、確か、以前は、「新作旧作なんでも○本1000円」とか、「旧作○本1000円」だったのが、最近は「新作□本、旧作△本合わせて○本1000円」とか、まぁ、いくつかパターンがあるようだ。

そして、先日のそのビデオ屋さんでの出来事。

もはや大手貸ビデオ屋さんに行ったらデフォルトで○本1000円セール。
今回は、四本らしい。で、太っ腹、全部新作でも良いということらしい。
「ふむふむ。じゃあ、珠玉の四本を選んでやろうじゃないの」と鼻の穴も膨らむ。

貸ビデオ屋さんでの楽しみは「選ぶ楽しみ」だ。
僕の場合は、よくよく考えると、絶対に借りない分野がある。
ここ、北九州に越してきてからは、任侠物が割と目立っていて、パッケージを手にとってみたりまではしたのだけど、結局、借りる気にならない。
あとは、アイドルが出演していることだけがウリのやつも借りないかな。
そして、間違っても借りないのが、「ホラー」だ。
もともとホラーは借りなかったけど、今では神社の中で暮らしている事もあって、そーゆーのは避けたい。避けねばならぬ。


一方で、時間をかけてじっくり棚を見るのが、「ドラマ」だ。中でも、"実話"に弱い。
あとは、その時々のマイブームがあって、戦争ものを見続けることもあるし、やたらタイトルの長いヨーロッパのアナログなアクション系「狼の涙が男達を濡らす。そして、血まみれの羊たちがいなくなった。」みたいな長いタイトルのやつにハマった時期もあった。最近は、クラシック音楽作曲家系にハマっている。

そんな風に、独り、あーだこーだと考えながら珠玉の四本を選び出す。
週末の価値を左右する珠玉の四本だ。

三本決まった。あと一本。
あれこれ探していたけど、ようやく、二本に候補を絞り込んだ。

「今週観るならどっちよ、どの気分よ」とか「明日の天気に似合うのはどっちよ」とか、要するに、どうでもいい事で悩みながら最後の一本を決めるのだ。

結局、ちょっと前のマイブームで見逃していた一本に四本目が決まった。
何か、大仕事を終えた爽快感と若干の疲労感を感じながらレジに進む。

帰って観る頃には忘れるんだけど、今なら、今日のチョイスのポイントを説明できる。が、誰もそんなオジサンの話し相手にはなってくれはしない。

仕方ないので、レジに並ぶ。
会員カードを出し、店員さんからの、ポイントは?との問いに
「貯めといて」
と答える。

若い店員さんはバイトだろうか。いつの間にか、僕は、こういう店のバイトの子達の親の年代になったんだなぁ、などと考えながら、レジのピッピッ音を聞いている。

計四本のレジ打ちが終わったとき、そのバイトらしきレジ打ちの女の子が僕に聞く。まさかの「今日のチョイス、イケてますね。ニコッ。」などとはならない。

「ただいま、当店では"新作四本1000円キャンペーン"をやっておりまして、お持ちいただいた四本のうち二本が新作、二本が旧作となっております。この新作二本だけでXXX円になりますので、新作を二本追加したほうがお得ですがいかがなさいますか?」

僕の思考は彼女の言葉の速さに追いつけない。
若い女の子だと油断していた。実は、キャンペーン内容を説明させたら日本一早口なのではないだろうか。

とにかく整理されずにいた僕の頭の中から捻り出てきた言葉はこうだ。
「えっと、あと二本、新作を追加すればお得なんだね?じゃあ、すぐ二本選んできますね。」

大手貸ビデオ屋さんのマーケティング部か雇われたコンサルの勝利の瞬間だ。
既に選んだ珠玉の四本のうちの二本を選びなおす、という選択肢は僕には考えられなかった。二本追加だ。

しかもだ、なんだかわからないが、一旦レジに並んだ以上、次の二本は超速で探さなければならない使命感みたいなものを感じてしまっている。
僕に残された、この大手貸ビデオ屋さんでの滞在時間はもう残り少ない。と感じてしまうのだ。

そそくさと、新作コーナーに舞い戻る。

こーゆー時の選択は、珠玉の四本の時とは全く違う。
さっきもザーッと見た棚だ。ちょっと気になったヤツがあるじゃないか。選択ハードルを下げれば良いだけだ。

一本はこのイマイチだけど話題作にしよう。
もう一本は、さっき、おもわず手にとってジッと見つめてしまった、内容はよくわかんないけど、きっとミステリー的なやつ。
ジッと見つめたのは、そのパッケージの女優が、普通に洋服を着ているくせに扇情的な感じを受けたからだ。

そうして、僕は四本セールだったのに、計六本を借りて家に帰る。

そんなこんなで、帰って一番最初に観始めたのは、結局、その扇情的な感じのパッケージの映画。
そのDVDをセットしながら、自分ながら笑ってしまう。「結局、これを最初に観るのかよ!」。

ちょっと高揚した気分もありつつ、映画を見始める。
確かにパッケージの写真の美女が出ている。なかなか色っぽい。

そして数分後、その美女が人肉を食べる悪魔に変貌し、僕はDVDを止めることも、その美女が変貌した恐ろしい悪魔のシーンに目をつぶることもできず、ただただ、寝付きの悪い寒い夜を迎えることになったのでした。

「美女に気をつけろ」
その映画のテーマはしっかりと僕の心に刻み込まれました。

火曜日, 11月 23, 2010

QNAP NMP1000後継モデルNMP-1000P


うちのNMP-1000が内蔵電池が切れ日付はいつも2000年、内部HDDの認識は電源投入時の電源二度押し必須、と、息も絶え絶えになりつつある今日この頃。
後継チップでパフォーマンス強化された後継機種NMP-1000Pが発表されています。
12月中旬出荷開始、らしいです。既にNMP-1000P用のアップデート用ファームウェアも発表されているから、ま、出てくるんでしょう。

外見も含め、概ね、おんなじような機能なんだけど、細部は大分見直されたようです。変更点をまとめておきます。
・CPU Sigma Designs SMP8635→SMP8643
・RAM 256M DDR→512MB DDR II
・Flash Memory 64MB→256MB
・S-Video 有り→無くなった
・Digital Audio - Coaxial 有り→無くなった
・Enhanced Audio(High performance Wolfson WM8524 stereo DAC)対応
・eSATA Host対応
・Advanced HD Movie Menu Navigation対応
・Next Generation HD Audio Passthrough対応
・Max Remote Disk Connections 6→32
・Music CD Rip (as WAV files)対応
・Support USB CD/DVD/BD drive for playback of user-authored discs対応!
・Support USB keyboard for text entry対応!
・Auto-rotation of photos based on EXIF対応!
・ネットワークファイル転送速度の大幅な改善

というところ。
キーボードがつながったり、BDドライブを繋げられるのは良いです。
スピードが速いであろうことは手に入れてから確認。

値段は\35,000-ぐらいらしい。
前モデルは\40,000ぐらいで売りだされたから、円高差益還元価格か!?
12月中旬かぁ。

多分、Google TVセットトップボックス(Logitech Revue)が3万円程度で出てくることを考えると、様子見かなぁ。
いずれにせよ、リモコンでメディアファイルを扱える便利さは手放せません。


月曜日, 11月 22, 2010

(サーヴァント)リーダーに求められるスキル


ここのところ、そんな事を考える機会があったのでまとめておこうと思う。

まず、タイトルに括弧書きでサーヴァントとしたのは、体育会系的な「みんなだまって俺についてこい」的なリーダーも少なからず存在するからで、これからまとめる話は、そーゆー体育会系的なノリは対象外です。
っていうか、僕個人としては、体育会系的なノリのリーダーの下で力を発揮した経験はないな。いつも、ソコソコで抑えておこう、みたいな感じになっちゃうことが多いんだけど、世の中の体育会系的なリーダーの元で働いている人達はどんなんなんでしょう。息切れしないのかな。

話し戻ってリーダーに求められるスキル。
これって、言い換えれば、リーダーがどんなだったら「一生付いていこう」と思えるかということだ。

一生・・・、ということは、少なくとも短期のスキルではない。
中長期にわたって効力のあるスキルでなければならない。
例えば、システム開発現場でのプログラムコーディングのスキルとか、変化の激しいテクニカル系技術とかではないのは確かだ。

・・・付いていこう、ということは、そのリーダーは自分の行くべき道を示してくれて、なおかつ、示された道に間違いがない、となんであれ信頼できるということだ。
何かで読んだのだけど、山で遭難したグループが、たまたま見つけた地図を頼りに自力で下山した。でも、その地図は違う山の地図だった。っていう話もある。要するに、地図がなければ行動は抑えられる、という話だ。

で、「一生付いていこう」となるわけだから、その仕事を続ける限り有効な正しい道を示してくれる、が、その意味することになる。

これが、終身雇用の時代なら、仕事をしている限りずっと、と言い切れるのだけど、まぁ、今の時代では、下手すると「転職までの間」ぐらいになってしまうのだから、リーダーの活躍の場は奪われたのかもしれない。


●正しい道を示す
言葉はシンプルだけど、「正しい道を示す」は何か、と考えるとなかなか難しい。こういう時は、「道を示さない」「間違った道を示す」を考えてみるといいかもしれない。

●道を示さない
もしかすると、世の中の大半の「上司」は、このタイプになるかもしれない。
僕の20数年に渡る社会人経験でも半分強がこのタイプだった。
これはある意味、楽な上司、でもあった気がする。
本人自身が道を歩んでいないタイプの人だから、まぁ、登山道の休憩場所でお茶をしながら道行く登山者を見送っているようなもんだ。

●間違った道を示す
感覚的には3割ぐらいだろうか。
いや、まず、ここで言う「間違った」とは、あくまで言われた側の主観になる。どういう事かというと、人はみーんなそれぞれ個人的な理由で仕事をしているのだから、道の示し方は、一人一人別個の道を示す必要があるということ。ゴールだって一人一人違えば、当然、そこに至る道はそれぞれ異ならなければならない。
緩いけど長い坂道をゆっくり登る人もいれば、直角に切り立った岩を一気によじ登る人もいる。
というのに、このタイプの上司たちは自分の主観でゴールと道を指し示し、結果、部下達は付いていかない(消極的サボタージュ)ことになる。

●正しい道を示す 1.0
感覚的には5%か。
ここまでの考察(←なんなんだこの表現は)から、正しい道を示すということは、「一人一人の事情にあわせたゴールとたどり着くための道を示す」ということになる。
「一人一人の事情にあわせた」ということは、このアプローチだとせいぜい数百人までしか掌握できないことになる。でも、現実に、数は少ないけど、数千、数万人の社員に対してリーダーシップを発揮するトップマネジメントも存在する。
これはどう言うことか。

●正しい道を示す 2.0
感覚的には1%ぐらいか?
一人一人の事情にあわせたいが、相手が多過ぎて物理的に困難なケースを考えてみよう。今度は、逆方向から考えれば良い。
「一人一人の事情に合わせる」ということは、結果から見れば、「一人一人が自分の事情に合わせてゴールや道筋を考えられる」ということになる。
うーむ。これは実は凄いことだ。だって、一人一人が自分の事情に合わせて考えたゴールなのに、組織全体としては、きちんと一つのゴールに向かっている状況を作り出すなんて、神業としか言いようがない。

●神業はどうやって成り立つのか
と、書いてみたけど、こう書くと何にも思い浮かばない。
神業の所以を考えてみる。
・相手が多過ぎ。一人一人の事情を聞くことが出来ない。
なるほど。じゃあ神はどうするのか。

●個別に会話は限界がある。ベストではないがベターな方法。
・社員満足度調査など、せめて、大括りで事情を推察する。
・1on1は難しいけど、せめて、1onNで会話する。タウンミーティングや目安箱的な。
・出来る限り末端の現場に顔を出す。顔を出したらついでに声をかける。
・声をかけられたら真摯に応える。

●ベターな方法の効果
書いていて気がついたのは、特に後半の現場に顔を出して何かしらリアクションをするリーダーは、その周囲にいた人の多くが自分も直接会話したような疑似体験したような気持ちになれることだ。
場合によっては、その話を伝え聞いただけでそんな気持ちになれる。
また、似たような経験をした人は、その話を聞いた際に、「そうそう、私もこの間・・・」という風に、もはやリーダーの預かり知らぬところで個々人達がリーダーとの繋がりを感じるようになる。のか。

●語学的に曖昧だが明確な(伝わる)メッセージ
結局、「話を聞く姿勢」が根っこに必要なのは間違いない。
真摯に話を聞くから、みんなが共有できる「ゴール」を示さざるを得なくなるし、みんなが共有できる「道筋」を示すことになる。そして、その「ゴール・道筋」は、きっと、一人一人が自分の事情に合わせて読み替えられる程度の曖昧さがあるのだろうけど、ここで言う曖昧さは、語学的に曖昧だ、という意味で、受け取る側は明確なメッセージとして実感しているに違いない。
「熱意」とかそういう類のものかな。

●厄介なこと
積極的に話を聞く行動を取るリーダーと話を聞く姿勢のないリーダーと、結局、表現するメッセージ内容に大きな違いはない。
どの企業も同じようなメッセージだし、トップが代わっても、まあ、表面的には変わりはない。
そう考えると、メッセージ内容の問題以上に「聞く姿勢」が重要だとわかる。
厄介なのは、"姿勢"なんて曖昧なので、「あなたは聞く姿勢がないからついて行けない」とリーダーに叫んでみても、多分本人的には「それは貴方が聞いていないだけだ」と水掛け論にしかならないだろう。
ま、そういう場合は、大人なんだから大人しく、「普通だな」と思うしかないんだろうな。

●棚ぼたなこと
一方、一人一人が自分の事情に合わせてゴールや道筋を捉えるから、仮に、ちょっとぐらいリーダーの指さした方向が間違っていても、あるいは、リーダーの歩む道が獣道で歩き難かったとしても、まぁ、なんとか前に向かって進んでいくんだろうな。
「一生付いていこう」って思ってたはずなのに、「勝手に前に進む」状態になる。これって、リーダーいなくてもいいじゃん的な状態に見えるけど、その状態が維持されるのは、そんなリーダーがいるからなんだろう。
「する人」から「いる人」になるわけだ。いてもらわなきゃ困る人。


●今日の結論
リーダーに必須のスキルは「人の話を聴く姿勢」。
↑傾聴って言うんだよね~。



土曜日, 11月 20, 2010

今日は

家で残業。
で、やっぱりランチタイムは楽しみなのです。
沖縄スクとチーズのパスタ〜BGM付。

木曜日, 11月 18, 2010

お弁当は

長期休暇中。

日曜日, 11月 14, 2010

秋

枯れ葉舞う秋。

金曜日, 11月 12, 2010

全てのバスが小倉駅に向かうわけではない


最近、就業時間中に別のオフィスに移動することがたまにある。
別のオフィスは、小倉駅前なので、ちょっと前までは通勤でも使う「モノレール」を使って移動していた。

しかし、会社の目の前のバス停からバスに乗れば、モノレールの駅まで10分足らず歩かなくて済む。

最初は誰かと一緒だったと思う。
次は、バスの正面に煌々と光る表示版「小倉駅行き」を確認して利用した。
それから、たくさんの○○系統が通る会社の前のバス停は、実は、ほとんどか「小倉駅行き」だと気がついた。

いつの時期からか、「来たバスに乗る」ようになっていた。

そして先日。夕方、オフィスを移動することがあった。
いつもの通り、バス停に立つ。
向こうの信号でこちらに向かってバスが信号待ちをしている。

「うん。ちょうどいい。あれに乗るぞ。」

バスが来て乗車。
いつものバスと違い、女子高校生で一杯のバスだ。

女子高生満載のバスに乗ったオジサンは、さすがに自意識過剰になることはなくなってきたが、逆に、そそうをして笑いを提供することだけはすまい、と、妙に緊張してつり革をつかんで立った。

●否定
二つほどバス停を過ぎて、大きな交差点を駅方向に向かって左折する。
そろそろ左折、いや、それは右。そう、このバスは左折しないで右折した。

●ポジティブシンキング
違うルートで駅に向かうのか。そんな○○系統もあるのか。
などと考えながら、駅と反対側に向かうバスであたりの景色を見回す。

●現状確認
停車時のアナウンスをよくよく聞く。
慣れない土地というのは、困ったものだ。知らない地名なので、「○○行き」と言われても、それが、駅方向なのかどうか、よくわからない。
ただわかったのは、「駅には着かない」ということだ。

●困惑
僕の頭は久しぶりにフル回転を始める。
どうやって、戻るか、迂回できるのか、いわゆるリカバリープランを立て始める。

まず、見たことも聞いたこともない住宅街で降りた場合、そうそう簡単に反対方向のバスが来るとは思えない。タクシーか。いや、そんな勿体無いことはしたくない。

●再度、現状確認
よぉく景色を見る。
どうも、モノレール路線に時々近づいては離れ、概ね並行に走っているではないか。

よし、モノレールの駅に近い辺りで降りよう。

●決断
そして、「次は、○○一丁目」とのアナウンス。
「よし。一丁目ならモノレールの駅も近いに違いない」
根拠のない理屈を胸に、「降ります」ボタンを押す。が、既に誰かが押していた。

●ポジティブシンキング
その○○一丁目からモノレールの駅まで、結局、20分近く歩いただろうか。
住宅街の外れの通り、「お、今度、来てみよう」的な店は皆無で、「この辺りに来ても何も無い」という、それはそれで有意義な情報をゲット。

そうやって、20分程度でたどり着くオフィスへの道のりを、一時間余りかけて辿り着いた夕方なのでした。
今日のぶらり一人旅、メデタシめでたし。

木曜日, 11月 11, 2010

効率的な抗議への対処の仕方


以前書いた気がするが、多分、一生忘れられない見事な喧嘩を目撃したことがある。
そのシーンとは、まず相手に言いたいことを言わせ、ジワジワと顔を近づけていく。
相手が一通り話し終えたり近づいた顔に怯んだ瞬間に「お前、口臭いんだよ」の一言でケリを付けたのだ。

もう十数年も前の話なのに、未だに忘れられずにいるほど、このシーンは衝撃だった。
なにしろ、何をどう考えても、ケリが付いた理由を説明できない。
とにかく、通常の大人であれば、がーーーっと文句を言った直後に口臭を指摘されると、もう、何も言えなくなることは容易に想像出来る。

この衝撃の事実は、その時もそうだったけど、喧嘩慣れした、ややアウトロー的なジャージの似合う人にしかできないと思ってた。
しかし、形を変えて身近にも同じ手法が存在することに気がついた。

ただ、これには、条件がある。
口臭作戦も「普通の人 VS ちょっとイカツイ人」でこそ成り立つ。
普通の人がイカツイ人に「口が臭いですよ」なんて言った日には、負けるどころか命も危ないかもしれない。
同じように、身近にある手法も「立場が上の人 VS 立場が下の人」でなければならない。
自分の部下や立場が弱い取引先相手に有効な方法だ。

部下が言い回しを考えつつも上司に対する抗議をしている。
上司はただ、部下が一通り話すまで待つ。
そして一言。「言葉の使い方が間違っている」。
後は、部下が必死に理由を説明しても「私には理解出来ない」や「あなたの言葉の使い方はおかしい」と言い続けるのだ。
重要なことは、抗議の内容そのものに触れないことだ。議論をしてはならないのだ。

こうなると部下の選択肢は、「キレる」もしくは「諦める」しかなくなる。
どちらに転んでも、抗議は全く伝わらないのだ。完敗だ。

この二つのケースを考えて、ようやく、口臭作戦の理由がわかった。
口臭作戦がとても効果的な理由は、「話を聞かない」事だ。
抗議する側は話を聞いてもらえない限り勝ち目はないのだ。

そもそも抗議するということは、下から上への行為だ。
上司が部下を呼んで同じように文句を言うのは、抗議ではなく説教だ。
説教は聞かざるをえない。なぜなら、聞いていないと思われたら最後、聞いていないことに対する説教が始まるからだ。

裁判所の決定を不服として控訴したようなケースも抗議だ。
そして、そういう場合も、多くのケースで、条件を満たさないとか、そういう理由で門前払いとなる。
これは喧嘩の常套手段だったのだ。話を聞かなければ議論にはならない。一方的に結果を決められるわけだ。

十数年間の口臭作戦マジックのカラクリがようやくわかってスッキリしました。

水曜日, 11月 10, 2010

お弁当は

お休み中。ランチタイムに休み無し。

火曜日, 11月 09, 2010

不自由な仕事で寿命が縮まる話

ストレスが寿命を左右する、というのは何となくわかったつもりになっていた。
でも、「上位マネジメントの、主に責任範囲が大きいことが理由のストレス」と「作業員の主に指示に従うしか無い自由がない状態のストレス」のどちらが寿命を縮めるか、と言われれば、もう、ワカラナイ。

この辺りのストレスを統計的に調査した結果、のニュースがあった。
http://wiredvision.jp/news/201011/2010110923.html

このニュースによると、自由度の方がより大切だ、ということだ。
仕事を選べなかったり、仕事内容が個人の裁量の余地がないケースでは、責任はあるけど本人の自由度の高い仕事の人よりも寿命が短いようだ。

いけ好かないマネージャーの方が、自由度が高いため長生きするのだ。

その昔、とはいっても、ほんのウン十年前まで、仕事というのは「役得」が付いているのが当たり前だった。と思う。
今から20年以上前、僕が20才頃の事だ。流行り始めのファミレスでは、バイトに入ると一食100円かなんかで食べられたし、そもそも、その店に行けば、いつでも従業員割引(チケットとかいらない)で半額だった。

あるいは、新聞配達をした頃は、業界紙まで含めて、じゃんじゃん新聞を読めたし、日雇いの引越のバイトならチップが貰えたり、要するに、「責任もないし単純作業だけど役得もある」のが作業系の仕事だった。
こういう環境の場合、さきほどのニュースにあるような作業員が抱えるストレスも大分軽減されていたのではないだろうか。

そう考えると、最も寿命を縮めそうな仕事はなんだろう。
製造ラインに配置され、黙々とパンを袋詰めするような仕事とか、そんな辺りだろうか。
給与も抑制され、その上、寿命を縮めていると思うと、単純作業を賃金の安い海外に委託するのは、なんだか、お金で寿命を買っているようにすら思える。

自由は大切な事なのだと再認識させられたニュースなのでした。

月曜日, 11月 08, 2010

冬です。

紅葉はまだこれからだけど。

チーモンチョーチュー


おすすめです。

金曜日, 11月 05, 2010

新規ビジネス「annonymousデータ共有サービス」



オフラインによる知の共有

↑の写真を見て、思いついたビジネス。
(元のデータはこちら。)

このUSBの先に、何テラバイト、いや、テラの次、何ペタバイトものハードディスクドライブを繋いでおいて、放置するサービス。
街のあちこちにUSB接続口はあって、通りがかりの人達が、思い思いにデータを置いてったり、データを取ってったり出来るサービス。

USB経由のウィルスとかも心配なら、接続後に参照できるのはフォルダ以下の階層のみにすれば(ドライブのルートは書き込み不可にしておく)良いし、容量問題は、古いデータから消していくとか、まぁ、なんとかなるでしょう。
ディスクが壊れるたらそれでオシマイ。データの保証も内容も何も無い、あるのは、古いデータが消えていくことと、一度に書き込めるデータ容量(ファイルサイズ)に通常差し支えないレベルの制限があるぐらいでいい。
あとは接続時間かな。一人一回5分まで。とかね。

このサービスがあれば、僕は、絶対に使ってみたいと思うし、ネットワーク時代だからこそ、本当の意味で「匿名性」が保たれたサービスはもはや時代の要求とも言える気がします。

通りがかりの人達が、オフライン環境に捨てていくデータがどんなものなのか、単純に興味があるなぁ。
ある人は、自分の詩を置いてったり、ある人は自分の絵を置いてったり、もちろんウィルスとかも置いてく人もいるだろうし、そんなのは、「ご自由にお持ちください」コーナーなのだから、自己責任。


このサービス、多分、著作権的には大問題にされるかなぁ。
それがちょっと、楽しみだったりしているのは僕だけなのだろうか。

電源の問題さえ解決すれば、なんだったら、コインロッカーでサービスインできるかも。自販機にUSB差込口を作るのもいい。

とりあえず、うちの玄関にUSBケーブルをぶら下げておいたらどうなんだろ。
うーん、誰も使わない。。。
でも、↑の写真が壁からコネクタ、っていうのは、使いにくそうにも思えたけど、よく考えれば合理的。だって、ケーブルだと、接触不良や、ケーブルを切られたりの心配もあるから。壁から離れて使いたかったら、自分でケーブル持ってきなさい、ってことだね。

簡単な話

ランチは大事。

木曜日, 11月 04, 2010

難しい話


気をつけてはいても僕は人に「話が分かり難い」と指摘されることがままある。難しい、だったり、意味不明、だったり、あるいはチンプンカンプンだったり。


難しい話、とはどういうものか、考えてみた。

「言葉や単語がわからない」
「日本語として分かり難い」
「話し始めと終わりで言っていることが違う」
「結論はわかるけど経緯がわからない話」
「喩えが分かり難い」
「主語が不明」
「経緯はわかるけど結論がわからない、結論がない」
「気持ちを話しているのはわかるけど共感できない」
そんなとこか。

例外としては、
「あなたが嫌いだから何を話して貰っても理解出来ない」
みたいなケースもある。←こうやって、話を分かり難くするのが悪い癖だ。

話を戻そう。

・言葉や単語がわからない
 若い時は、むしろ"格好イイ"とさえ思っていたことすらあった。
 一番最初に難しいは格好イイと思わせられたのが、"Rock'n On"だ。
 渋谷陽一に憧れすら抱き、好きな音楽を聴いて、ライナーノーツを書いて、雑誌を作って、時には大スターと対談する、そんな人生に憧れた。ミーハーだったわけだ。
 メタファーとか、アンチテーゼとか、を内心ドキドキしながら自分の口からその言葉が出てくる事自体に酔った。
 こういう時は、眉間に皺を寄せるのが相場となっている。だから山崎努にも憧れていた。
 大人になると、職場の先輩の物言いを真似るようになった。わりと最近まで、その傾向は続いていたように思う。

・日本語として分かり難い
 これが一番厄介だ。今、こうして日本語を書いていても、後で読むと、自分でも意味不明じゃん、と気がつくことが多い。そういう文章は、大概、直すのも厄介だ。
 僕の傾向は、ダラダラと長い文章になりがち。そんな文章ほどやけに分離手術に手間がかかったりするのだ。そして、ようやく分離手術成功、となった途端に、自分の言いたかったこととは違うような感じを受けたりする事も多い。かと言って、分けないと自分が何を言いたかったのかも分からなくなったりして。。。
 もはや、此処は何処?、私は誰?、みたいな感じにすらなるのだ。
 たまに、この分離手術をやってみたら、自分の考えがまとまったりすることもあったりする。
 こんな時は、スッキリして一人ほくそ笑んだりもする。

・話し始めと終わりで言っていることが違う
 こういう人にたまに出会う。どのぐらい違うかというと、話し始めは「今日は寒い」だったのに、最後には「今日は暖かい」になるぐらい違う。その時々の感覚にとっても正直なだけなのかもしれない。
 通常は、他愛ない話なのでスルーすればよいのだけど、仕事だとそうもいかない。で、僕の場合は、こういう人と仕事するときには、ホワイトボードに書き出すようにしている。
 この手の人、意外に憎めない人がおおい気がするなぁ。

・結論はわかるけど経緯がわからない
 これは男性に多いのではないかな。少なくとも僕はその傾向が強い。
 家庭を持っていた時分、家族との話はこの傾向に陥りがちだった気もする。要するに、話を早く終えたいわけだ。イライラしながらこのモードに陥っていたことも多かった。
 このパターンは誰もなんにも得しないです。

・経緯はわかるけど結論がわからない、結論がない
 一方こちらは女性に多いのではないか。
 先ほどと逆に、僕にとって経緯を上手に伝えるのは苦手で、時系列に話すにも、どうしても話しながら整理しようとしてるうちに時系列がアベコベになったりもする。
 最近何かで読んだのだけど、どうも男性脳(左脳型)は、考えながら話す事自体が苦手なのだそうだ。一旦、頭の中で整理してから言葉にするのが男性脳の特徴だということだ。
 逆に、女性脳(右脳型)で好意を感じている相手の話なんかになると、その冗長な話が楽しく感じられるのだから、全く男ってものは勝手なものだ。

・喩えが分かり難い
 喩えは難しい。でも、"スベった"状態が分かりやすいので自分が喩えを使うのも他人が使うのも好きだな。
 職場でよく見かける喩えがゴルフ。この手の例を交えた話になるとイキイキとして話す人も少なくない。
 確かに、本人的には、ヤヤコシイ話がピッタリはまる喩えを思いつくと、なんだか嬉しくなるし、誰かに話したくなる。まるでオヤジギャグのようなものだ。
 そうか。オジサンの喩え好きはダジャレ好きに通じるものなのだなぁ。

・主語が不明
 これもついついやってしまう。
 主語を省略して話し始めてしまうのだ。これは悪い癖みたいなものかもしれない。何度か指摘してあげると直ることもある気がする。
 とはいえ、外国語ならともかく、自国語(日本語)を話すときに、SVOだのSVOOだの前置詞だの考えないからなぁ。指摘されない間は気にせずにいよう。

・気持ちを話しているのはわかるけど共感できない
 あくまで、気持ちはわかるけど、ではなく、気持ちを話しているのはわかるというレベル。
 例.警官に呼び止められてウキウキしたから写メ撮っちゃった。
 そんな感じか。
 でも、この手の話の場合、「何故」がたくさん生まれるので、むしろ、その話をしている人に興味を持つ場合もある。敢えて話の掴みに使うこともあるかもしれない。

・その他
 死語的なものを使われると、話の内容よりもそちらに気が向いてしまう。(汗)
 ←これも昭和な香りがする表現らしい。最近では"笑"は、"w"が普通なのだと何かで読んだ。

・こんなケースも
 とても正しい日本語・意味内容・使い方で、むしろ、分かり難いケース。
 天然の人にありがちかな。
 例えば、二人で話しているときに、「動物は何が好き?」と訊ねたら「僕が好きなのは犬かな」と期待するところに、「動物は食べ物が好きです」と返すようなケース。
 さんまのからくりTVを見ていると、こういう人達に僕らは癒されているのだなぁ、と、思ったりもする。

という事で、この文章自体が何の結論もない文章なのだったりしたりしなかったり。結論もないまま終えるのでした。笑

日曜日, 10月 31, 2010

びっくりドンキー

北海道の会社だけど、大元は岩手・盛岡のワインとハンバーグのレストラン・ベル。
今では全国何処にいても青春の味を楽しめるのはいい(悔しいが当時の味は生きている)けど、なんか寂しい気もします。ベルで十勝ワインを飲んだのが初お外飲酒だったかも。

土曜日, 10月 30, 2010

博多で

醤油ラーメン。超珍しいのです。

金曜日, 10月 29, 2010

僕はラジオ←今週末のオススメ映画情報


清志郎が唄った「僕のトランジスタラジオ」も良かったけど、先日観た映画「僕はラジオ」はこれまた良かった。そして、実話です。

舞台はサウスカロライナの田舎の高校。
いつも高校の周りを一人でぐるぐる徘徊している知的障害を持ったラジオというあだ名の黒人青年が主人公。

彼に真の正義を教えられ、彼に一人ではないことを教えるフットボールのコーチを務める学校教師。
徘徊しているときには「言葉が話せない」と思われていたラジオが、フットボールチームとの交流に始まり、ラジオはいつしか、地域へも溶け込んでいき、学校にとっても、地域にとっても、なくてはならない大切な存在となっていく過程を描いた作品。

ハートフルストーリー、などと紹介されることが多いみたいだけど、僕が感じたのはもっと骨太の「正義のゆくえ」的なストーリー。
確かに、一般的に見れば、とっても小さい「正義」の話なのかもしれないけど、そんな小さい正義であっても、通そうとすればなかなか大変、いや、普通の情熱ではとても無理な社会。でも、正義だからこそ、諦めずにいれば、必ず通る、とも思わせてくれるストーリー。

そして、この話が映画化されるきっかけになったのは、Sports Illustratedのコラムに紹介されたのがきっかけらしい。その後、ニュースに取り上げられ、ドラマ化され、映画化されたという。

小さい正義を守り、感銘し、人に教えたくなるのは、もしかしたら人間に備わった「正義」なのかもしれない。


そして、お母さん仕込みのラジオの選曲が最高。
映画全体を通して、R&Bの名曲の数々がラジオから流れてきます。

静かな夜に、大切な人と温かい紅茶を飲みながら観たい映画でした。

赤魚

のランチ。

木曜日, 10月 28, 2010

社食

スリランカカレー。
僕にはスリランカのイメージが黒い人しか無い事に気がついた。

火曜日, 10月 26, 2010

定番)目で見るのではなく心で観るのです




先週末、「七人の侍」を初めて観た。
不明瞭な音声と侍言葉と百姓たちのずうずう弁に日本語字幕付きで観た。モノクロだ。

見始めてやめようかと一瞬思った。
言葉も聞き取りにくいし、映像も荒いし、ただ、物珍しさはあった。
しばらくするとストーリーに引き込まれ、今はもうどこにも無いであろう日本の田園風景や草花の映像そのものにも引き込まれた。

面白い感覚だと思ったのは、モノクロで表現される美しさだ。
最初は引いたカメラの画面、遠くの景色を写しているシーンが、妙な間があるように感じた。モノクロの風景をジッと見なくてはならないと感じる"間"だった。
しかし、その"間"が、遠くの山々や草花、農村の風景を心に留める為に必要な"間"だと気がついた。

モノクロだから、当然、色は無い。
しかし、人工物は前提となる知識がなければ色を想像するのは厄介だけれど、自然のものは心のフィルターで色を重ねることができる。

見慣れてくると自然に心のなかで色を重ね、結局、今、こうしていても数々の美しいシーンを思い出せる。これは自分でも驚きだ。これが黒澤マジックなのか。


冒頭のYoutubeの動画、もう一本が、最近ではテレビなんかでも紹介されるようになった写真「Small planet」の動画版。
リアルな世界を特殊なフィルターで加工することでミニチュアのように映しだす。

このフィルターを通して、正に今の世界を映しだされたとき、自分が何か神にでもなったような気分で、なのに、ミニチュアフィギュアのように見える人間ひとりひとりがいとおしく感じる不思議な気持ちにさせられる。
それは動画になっても変わらなかった。

3Dも目新しさでは凄いけど、あえての2Dや1D(←本!?)、いや、表現形式に関わらず自分の目を通して、そこにあるものを感じられるといいよなぁ。

ちなみに、黒澤映画「七人の侍」、名作・古典と言われるが観たことがない人のほうが多いんじゃないかと思う。
この映画、と、短く説明しようと考えたけど、どうにも一言では言い表せない。あまりに色々なテーマがスマートに詰まった娯楽映画だった。
きっと、こういう映画を「観る人それぞれに感動を与える映画」というんだと思う。

心の目を訓練するにもオススメです。

一日中、

会議。なのにお腹がすいた。

月曜日, 10月 25, 2010

朝は決断力を高める


↑タイトルにも本文にも関係ないけど、すごーい人がいるもんだ。
今の3Dテレビにはあまり興味ないけど、このレベルなら欲しいと思うだろうな。
そして、スゴイ人は説明がうまい。と、思った。

==ここから下が本文==

朝は決断力を高めるのだそうだ。
いや、正確には、睡眠後に決断力の質が高まる、のだそうだ。
睡眠により、様々な記憶や無駄な記憶が整理されることで、睡眠直後は雑念に囚われずに判断できるからなのだという。

確かに、FRISKのCMのイメージのように、意識的に何かに集中しようとしても良い結論は得られず、むしろ「(集中のストレスからFRISKで逃れたような)ふとした時」に良い結論に辿りつくことは多い。

そんな今日の朝。
とても不思議な出来事に出会った。

今朝は雨ということもあって、モノレールで出勤した。

モノレールを降りていつも通りに改札を抜ける。
何の違和感もなく、改札の先を右に折れ、隣のビルへの外階段へと通じる通路を歩いて行く。

いつも、そのビルのエスカレーターを目指していくのだけど、エスカレーターの向きがいつもと違う。いや、ビルがない。いきなり外につながるエスカレーターだ。いつもと違う。

その場に立ちすくんだ。

隣のビルを通過してしまったのかと後ろを振り返る。
いや、やはり、イキナリ駅からエスカレーターで外階段へと通じている。

あぁ、左右を間違ったのか、と、一旦、改札まで引き返す。

改札前で回れ右、もう一度改札を出た方向に向き直す。

いや、左右はあっている。
一瞬、今朝の季節外れの蒸し暑さの中で、嫌な冷や汗を感じる。

ビルの工事?と、もう一度、今行ったばかりの通路の先を覗き込む。
いつもの風景のようでもあり、何か違うようでもあり。。。。

そしてようやく気がついた。
一駅手前で降りた、ということに。

雑念のない私は直ぐに決断した。
雨の中、会社の方向に向かってズンズンと早歩きを始めた。
季節外れの大汗をかいて会社始業ギリギリに到着したのは言うまでもない。

緑の細かいの

地元唐辛子。炒めてる時点で後悔。ホットなランチタイム。

金曜日, 10月 22, 2010

良きリーダーとファシリテーターとモテ男


聞きはするけど自分の口からは滅多にでない言葉シリーズ。

走りてーなー、でも、ファンタ飲みてーな、でも、ましてや、ターミネーターでもない、ファシリテーター。
プロジェクト管理的にはターミネーターの存在の方が面白い話なんだけど、、今回は大して面白くはないファシリテーターの話。


最近何冊かリーダーシップやファシリテーターの本や文献を読んで、僕が好きなリーダー(カリスマや管理系ではなく、サーヴァントリーダー)とファシリテーターとは、取り扱う対象が違うだけで、求められる行動は限りなく近い、ということに気がついた。
対象の違いは言うまでもなく、リーダーはリーダーだからチームや組織が対象になり、ファシリテーターは何らかの会議と会議への参加者を対象としている。


同じだと感じたのがどういう事かというと、どちらも、対象に対して「自立」「変化」を促し、新しい解決策やコンセンサスを得る事が目的となっている、ということ。
どちらも、当初からリーダーやファシリテーターの頭の中に結論があるわけではなく、メンバーとのコミュニケーションを通じて、それまで思いもつかなかったような解決策を導くのだ。


ファシリテーターは、敢えて衝突する意見を利用し、一見反する意見を深掘りしたり広げたりしながら昇華させ、新しい解決策を導きだし、コンセンサスを得なければならない。その方法は、チームマネジメントでの広く意見を聞きながらアイデアへと昇華・具体化させる運営方法とそっくりだ。

チーム(会議)は自由闊達に意見交換できて、リーダー(ファシリテーター)によって、新たな解決策(コンセンサスの合意)を導きだす。

そして、どちらの場合もとっかかりとして重要なのが、「傾聴力」だ。
聞く、でも、聴くでもなく、傾聴する、だ。
聞く姿勢ができていなければ、まともなリーダー(ファシリテーター)とは言えないのだよな、と、僕の個人的好き嫌いとも合致して、その思いを強くしたのでした。

そんなこんなの中、坊主頭の男が傾聴力を使ってガールズバーでモテるか?というレポートを見つけた。傾聴力、侮ってはいけない。

しかし、この↓本のタイトル、「話が通じない人とも話せる傾聴力」って凄いな。でも、話が通じない人にこそ読んで欲しいのだけど(愚っ痴言うぞう)。。。

年中メニューでも、

秋は鯖の季節なのだそうです。

水曜日, 10月 20, 2010

リアルの喪失、バーチャルな家族誕生


↑の画像は、Second Lifeサイトの売春婦のお姉さん。
詳細はこちら。
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愛読している「エンタープライズ0.2」シリーズで、いつもは、イタいトップマネジメントを紹介することが多いのだけど、今回は、リアル感を喪失していく一般の人々の話題だった。

僕がこのブログを初めて最初の頃、書いた内容を「あの人が読んだらどう思うか」とか「これは受けるか」とか「これは僕自身をデキる人に見させてくれるかどうか」とか、もうそんなしょうもない事ばかり無意識に考えてしまっていて、結局、ほとんど書き進められなかった。

次のステップは、あまり気にせずどんどん書こうという時期。沖縄に移り住んでからで、美しい島の風景、魅力的な人々、都会暮らし慣れした僕にとっての新鮮な出来事、そういう話題はとても紹介しやすく、更新の頻度も増えた。

そんな風に頻繁に書くようになると今度は、「どこまで書くのか」や「誰に向けて書くのか」、「何のために書くのか」を時折考えるようになった。
実際、わざわざそんな事を書かなくていいのに、という個人的な事を書いてしまって、クレームを寄せられるようなケースもあった。

実は、つい最近まで、何のためにブログを続けているのか、という疑問に答えられない自分がいた。だけど、最近辿り着いた答えは、
「たわいない事の備忘録」「個人的愚痴のはけ口」「何かしら応援したいことのPR」「暇つぶし」
ということ。

僕にとって本当に大切な時間、むしろ、その時間を大切に過ごすならなおさら、ブログやつぶやきは面倒なだけだ。写メも同じ。
大切な時間なのに没頭できないし、わざわざ公開するということは、心のどこかにある「人からどう見られるか」の意識は消えない。大切な時間を大切にせずに大切な時間と言って切り取って一部を公開する矛盾。

実際、そう気づき始めてから、言ってみればブログは「暇つぶし」に徹してからの方が、大切な時間はもちろん、ブログを書くことからも充実感を得られている。日常の些細な気づきをブログというツールを使って文章化する事は、意外に自分の頭の中を知るという面白さがある。
←ま、自己満足なんだけど不満はないし、思わぬ方面からのクレームといったものも、これといってない。


話を戻して、今回の「エンタープライズ0.2」。
ちなみに、いまこの話題は、最近辿り着いた答え的には「何かしら応援したいことのPR」と「個人的愚痴のはけ口」に属する話題。
四六時中ピコピコ(昭和の表現だなぁ。。。今なら、四六時中ペタペタなのか?)するライフスタイルに対しての警鐘、特に子供がピコピコしている事に対する警鐘はPRしたいし、また、筆者と同じようなシチュエーションで他人事なのにイラっとした経験から愚痴もこぼしたい。

いくつかリンク先の0.2では事例が紹介されているんだけど、中でも、小さい子供を連れた夫婦がレストランで食事をしている事例に、言いようのない重い気持ちにさせられた。

そのレストランでの光景は、夫婦がまだ小さい子供にiPhoneを持たせ、ゲームをやらせ、子どもがゲームに飽きて親に話しかけてくると違うゲームをiPoneにセットし直してあげ、子供も目新しい画面になったのでまたiPhoneに集中し、そして、夫婦は二人共それぞれ携帯でメールを打って、三人とも沈黙のまま食事をしている、という光景だ。

家族を捨てた僕には、家族で食事している彼らを非難する資格などない。
ただ、こうして「(携帯やゲームで)感覚を外に向けたまま家族と過ごしている」事は、家族と一緒に過ごすリアルな感覚の多くを失わせ、家族を維持する力みたいなものを弱めている気がする。絆を感じる力を失わせているような気がする。僕の経験にも合致する。

どうせ一緒に過ごしてたってお互い携帯やスマートフォンで(お互いの知らない)誰かと繋がっているんだから、昔ほど家族が一緒の場所にいることに大して意味はないのかもしれない。

あと数年もすると、ハンドル名(今もそう呼ぶのか?)しか思い出せない、アバターは見ているけど本人の最近の写真は見ていない、住所はわからない、そんな形の家族が登場するのかもしれない。つぶやきを共有するだけで「友達」なら、常にネットで繋がり合っているなら家族でもおかしくはない。
こういう家族なら、離脱も簡単だし、複数の家族に所属することも可能だ。
今週はお父さん留守だから、隣のお父さんに来てもらいましたよ~とか。


※はみ出し
昔、まだネットがなくてパソコン通信だった時代。チャットにハマっていた時期があった。そのチャットもWindowsが普及してからは、二窓、三窓と複数の相手と同時にチャットしているのがごく当たり前になっていった。
言葉の重さがどんどん軽くなっていった時代はあの頃から今も続いている。言葉の量が言葉の軽さを補っているとすれば、言葉にも質量保存の法則が成り立つのかもしれない。

※※はみ出し2
北の国から"2002遺言"で、雪子さん(竹下景子)の息子(??)が一日中携帯(PHSと思われる)をピコピコやっていて、中畑の叔父さん(地井武男)に携帯を川に投げ捨てられる、というシーンがあった。ドラマを見ている僕ですら、この携帯息子にイライラして見ていたのだけど溜飲を下げるシーンだ。
今、おなじシチュエーションでiPhoneを投げ捨てる叔父さんがいたら、世の中はどのように受け止めるのだろう。。。

今日は、

フグ弁当。

火曜日, 10月 19, 2010

訃報 マンデルブロさん亡くなる


マンデルブロ集合のブノワ・マンデルブロさんが亡くなった。
85才。

20年前、ウニョウニョ増殖していく寄生虫みたいな類の絵と簡単なプログラムサンプルに触れて、数学というのは全く理解不能だけど凄い、と思った。

そして、よくよく見ていると、その絵は、曼荼羅のようでもあり、永遠に紡がれる命のようでもあり、美術などに興味のない僕にとって、とても印象に残った絵のジャンルとなった。ひたすらドギツイ配色でフラクタルを描き続けるプログラムを入手した時など、部屋を真っ暗にして、モニターに映し出されるフラクタルをぼんやり見つめ続けるという、怪しい遊びにもハマった。


また、その絵をカオス(混沌)とも呼んでいて、少なくとも僕にとって混沌のイメージはマンデルブロ集合の絵になっていたし、これからも、そのイメージは変わらないと思う。


訃報に接した今日の今日まで、あの絵を数式で描いた人の事など考えることはなかったけど、思えば、その絵や似た絵を見れば、フラクタルだったりカオス的などと思っていられたのは、マンデルブロさんのお陰だったわけだ。

ご冥福をお祈りします。

まだ

火曜日だと気がつき残念感でいっぱい。これだから週末が幸せに感じられる。

と、ブログには書いておこう。咳・声・喉に、龍角散。

北の国から 完結


この一ヶ月?、ようやく、北の国から、をすべて見終えた。
なにしろ21年分だ。

ラストシーンでの五郎さんの言葉(遺言)。
ここの土地を愛した、ここの暮らしを守った、
笠松のじっちゃんを彷彿させる言葉。



金なんか、望むな。
幸せだけを、見ろ。

此処には、なんも無いが、自然だけはある。
自然は、お前らを死なない程度には、充分、毎年食わしてくれて、
自然から、頂戴しろ。

そして、謙虚に、慎ましく、生きろ。

それが、父さんの、お前らへの、遺言だ。

月曜日, 10月 18, 2010

西の国から2010

と、タイトルを書いてみたが、関鯖しかイメージが湧かないランチタイム。

土曜日, 10月 16, 2010

ミツバチに朗報で養蜂家はヤッホー



以前ニュースで聞いたときに気味が悪い、と感じたミツバチの大量死。


原因不明とされていた、米国を中心に世界中に広がりかけていたミツバチの大量死の原因がほぼ特定されたというニュースがあった。


特定のウィルスと特定の真菌の両方に感染したハチが発生すると、その巣のハチは全滅する、らしい。

とまあ、ミツバチに朗報なのだけど、そもそも、ウィルスと菌、いや真菌?の違いとか、ウィルスって菌の事じゃないのか、とか、自分の無知を改めて知ったニュースなのでした。
(真菌って要するにカビのことなのね。)

相変わらず、ミツバチ界では大量死が続いているよう。
原因がわかったことだし、早く対策が立てられることを祈ります。

でも、これって、水虫の人だけが死亡するウィルス、とかもあり得るっていうことなのか?

で、ミツバチ→真菌→水虫→水口と辿って出会った素敵なJAZZセッション。
これだからネットはやめられない。

金曜日, 10月 15, 2010

週末は晴れ

あと半日!

木曜日, 10月 14, 2010

試してガッテン

によると、生の唐辛子は中綿部分を取り除くと辛くない、どころかフルーティーな味わいらしい。唐辛子の意味が。。。

水曜日, 10月 13, 2010

アベパッドは

会社ではあまりアベパッドの出番はありません。っていうか、バッグに入れて持ち運んだりすると擦れて書いてあったものが汚くなる(もちろん、リフレッシュすれば綺麗になるが書いてあったものも消える)のが残念。なんか良い持ち運び方法がないかな。

火曜日, 10月 12, 2010

メディアプレーヤー



最近、NMP-1000の内蔵タイマーが電源をいれるたびに1900/01/01だったかに戻ってしまう。
多分、内臓の電池が切れたのかな。昔のショップ製パソコンみたい。。。。

時間のズレは使用上それほど気にはしていないものの、たまに、ウッカリNMP-1000上でファイルをコピったりすると、変なタイムスタンプで精神衛生上よくない。かと言って、電池を取り替えるのも面倒だ。

まぁ、ここまで、後継機種も無く、その割によく使っているので満足度はそこそこなのだけど、なんだかなぁ。
ブノレーレイディスクのIS0りッピソグデータの再生は未だ未完成だし、まぁ、仕方が無いか。

ただ、そんなんでも使い続ける大きな理由が、リモコン操作とS/PDIFインターフェース。
5.1chサウンドは、DVD鑑賞では思いのほか有効で、もう戻れない感じ。
たまに、外出先などで擬似5.1chなんかを体験してみても、イマイチ。

それにしても、この「マルチメディアプレーヤー」が商品としてなかなかブレークしない。HDDレコーダーや液晶テレビなんかにも類似機能があったりするんだけど、如何せん対応するメディアファイルが少ない。MNP-1000でも、たまに、Windows系の動画データなんかで音声コーデックが対応できていなかったりしてプチイラっとするのだけど、大手メーカーは、更に条件が厳しい。

もう一つ残念なのが、Youtubeファイル対応問題。
Youtube側がダウンロード対策で不定期にファイル掲示方法か何か変更するようで、そのたびに、MNP-1000では視聴できなくなる。気長に待っていれば、ファーム更新で対応されるものの、このファーム更新も隔月に一回、という感じ。

更に言えば、日本語での検索もMNP-1000ではできないし、入力した文字も一文字すら記憶しない。(毎回、一から入力しなおす)

ということで、Google-TVに期待するわけだけど、MP3プレーヤー乱立戦国時代を制したAppleのようになれるのか、ホンのちょっとだけ期待してみよう。

そういえば、"OC-HR100"で検索してこのページにたどり着くケースが少なくない。
この機械、少なくとも私が入手したときは、「蓋を開けちゃいけないし、蓋を開けて中を見てもいけないし、中で目立っている突起を見つけちゃいけないし、ましてやその突起をカットしたりしてはいけません。っていうか、蓋を開けたら保証の対象外になるんだからぁ。」と明記してありました。ま、保証する気もなければ保証してもらう気も無い大人が使う機械なのでしょう。

私の場合は、HDDレコーダーVARDIA君のHDMI出力を、古いプロジェクターSANYO LP-Z2に出力するために使っています。快適に鑑賞出来ていま~す。


ランチ終われば

終業ベルが楽しみ。
哀愁のチューズデー。

水曜日, 10月 06, 2010

アベパッド

モノクロだけどね。
Boogie Boardとも言う。

大人のおもちゃ(新技術)



網膜に直接投影、ってもう実用化されているのは知らなかった。
なんだかなぁ。どう使うかなぁ。未だコンタクトには慣れず、メガネ派としてはなぁ。


この技術、作業しながらマニュアルが見られる、とか、セキュリティ文書を他人の目に晒さずに見られる、とか、言ってます。直接脳に映像を送り込むのだって、まだ荒いドットイメージだとはいえ実現しているのだから、網膜照射ぐらいは簡単なことか。。。


車を運転するドライバーに各種情報を提供する、とか、あと、シャックリを止めたい時に「サプライズモード」(いきなり気持ち悪い画面を表示するイタズラサイトみたいな)とか、まぁ、ありゃあ、何かしら面白そうな気はする。

あるいは、目の前の女性の顔にアイドルの顔を重ねて投影するとか、自分の部屋をセレブな屋敷の部屋の映像と重ねあわせてセレブ気分を味わうとか、バーチャルリアリティにも使えそう。
今夜は南の島で憧れのアンジーとバーチャルデート、みたいな。うーん、そこまで出来るなら是非試してみたい。とも思う。


そういえば、映画「Fight Club」に、見ようによっては、そんなバーチャルな感じで表現されているシーンがあった。

仕事に疲れた主人公が自宅高層マンションに帰ってきたところのシーンで、部屋中の家具やオブジェに重ねあわせて「フィンランド××製のソファ」とかカタログ雑誌のように映し出していたシーン。もう、部屋中のすべての物にブランド名が投影されて、正にカタログ写真。通販生活みたいな風景。

この映画では、メディアに喧伝されるライフスタイルを追い求めていた主人公が自分の部屋を爆破したり自傷行為することで現実感に目覚め、過去の自分が追い求めていたような通販生活なライフスタイルを破壊していく。
瞬く間に彼は、一大テロリスト集団のリーダーに化していく、、、そんな内容。


日々、凄まじい速さの技術革新と新製品情報。
「技術的に実現出来る事」、の評価軸が、金儲けになるかならないか、という評価軸で普及するならば、網膜に直接投影技術、は、そのうち普及することに疑問はない。

豊かな人生に取って必要か?とか、次世代の子供達に伝えたいか?とか、持続可能な社会にとって必要か、とかいう評価軸で考えるなら、少なくとも短期間で普及させることは不要というより、してはいけない気がする。


既に、テレビも携帯電話もネットも、大人ですら使いこなせるようになる前に子供達に蔓延している。せめて、大人のオモチャに留めておけないものだろうか。自動車は自動車免許という知恵で大人のオモチャに留めているではないか。。。。

※はみ出し
 最近見かける自動車の「安全機能」。障害物を検知して勝手にブレーキをかけるようなやつ。あれって、究極的には「自動車免許いらず」(誰でも自動車を運転して良い)の社会を目指しているんだなぁ。そうなれば、子供にも自動車を売ることができるから、マーケットは格段に広がるよなぁ。
年老いて、「そろそろ、わしも、運転はやめようかのぅ」なんていう大人な自己判断もいらなくなる。
"年甲斐も無い"や"年相応"なんて、死語になりそう。既に死語なのかも。。

だいぶ

涼しく、ちょっと寒いぐらいになりました。お弁当ランチに鍋は無理だろうか。

火曜日, 10月 05, 2010

ニュース



DynabookAZのUbuntu化、上手くいくらしい。

何日かウォッチを忘れていた、Cruelさんのページにありました。
「AZnyan ubuntu 調教日記#1」

で、成功へのマニュアルは、
http://ac100.gudinna.com/
ドイツ語?

まずは、マニュアルをダウンロードしてみなくては。
byコピペ坊

ランチ。

軟骨唐揚げ、ビールが欲しい。アルコールフリーのビールはオフィスのランチにありか?

月曜日, 10月 04, 2010

哀愁のマンデー

ブームタウンラッツ。1979年。今も月曜の評価変わらず。

土曜日, 10月 02, 2010

紙と鉛筆と電子黒板


ほんの思いつきで「電子黒板」を購入した。
黒板というと、教室にある、ドでかいモノを想像してしまうが、購入したのは、iPadみたいなもの。A5サイズの板である。

機能は、手描きでの書き込み(書いたまま表示)と書き込んだ内容のクリア(消去)である。
それ以外には、、、、何も出来ない。
要するに、紙と鉛筆と消しゴム、を電子的に実現したものだ。正確には、紙一枚と半永久鉛筆と半永久消しゴムかな。


この手の電子機器にありがちな、データ読み込み機能、保存機能、通信機能、キーボード接続、メモリカード接続、画面の明るさ調整、なんかの音を出す、などなどの機能はオプションでもなんでもとにかく一切ない。

ただただ消去ボタンを押すまでの間、画面をなぞった軌跡を表示続けるだけの電子機器だ。

ちなみに、電気を使うのは消去時のみで、いわゆるe-inkとか電子ペーパーと言われている技術の製品。
機能は天と地ほども違うけど、有名所では、amazonのkindleが同じ類の表示技術を使った電子書籍だ。

さて、およそ5000円ほどかけて、なんでこれをゲットしたか(納期に若干時間がかかるらしい)なのだが、自分で買っておいて言うのはなんだけど、よくわからない。
いや、分かっているのだけど、言葉にすると変なのだ。

ゲットした理由は、
「電子的なメリットのほぼ全てを殺した電子的なモノ」
だから。だ。

データの再利用が不可という時点で、電子的なメリットはほぼ皆無だ。では、どんなメリットがあるかというと、
・資源を全く使わずにモノを書ける
・ペンがなくても指でも爪先でも箸でもなんでも書ける。
・僅かなエネルギーのみで書いた内容を全て消去できる。(50000回消せるらしい)
ぐらいか。

だっら、メモ帳を使えばいいじゃん、安いし残せるし、と思ってみたのだけど、僕の場合、実生活でメモ帳は使っていない。
紙は、せいぜい考えがまとまらないときに何かの裏紙にぐちゃぐちゃ書いてみるぐらい。考えがまとまったらPCに転記して、その後は丸めて捨てちゃう運命。一枚として紙で残してはいない。

しかし、よくよくよくよく考えてみると、この電子機器は、
「電子機器のメリットをほとんど省いた電子機器」
だ。

これは、
「牛丼の牛のほとんどを省いた牛丼」
「スポーツカーのスピードのほとんどを省いたスポーツカー」
「音がほとんどしないラジオ」
「波がほとんどない海」
「食欲のほとんどわかない秋」
「女性らしさがほとんど無い女性」
・・・
のような感じではないか。

こう書き並べてみて分かるように、「ほとんど」がキーだ。
全く無いのではなく、「ほとんど無い」ということは、「ちょっとはある」ということで、「厳選してある」可能性もあるわけだ。
「牛丼の牛のほとんどを省いた残りの牛肉」がどれだけ美味しいのか、そこに大いに期待しているのである。
ロマンチックな表現をすれば、「波打ち際の砂浜と木の枝」のような感じに惹かれるのかもしれない。どうせなら、恥ずかしいことを書いて(消して)みたいものだ。