金曜日, 7月 03, 2009

誰のお陰で生きているのか?


<<↑今年のGWに、沖縄市泡瀬で撮影>>


蜂群崩壊症候群という言葉がある。ここ何年か、たまにミツバチが消えたというニュースを聞くことがあった。それが、ミツバチが住処を移動して、とか、そう言うことではなく、ミツバチが、まるで過労死やうつ病でそれまでの生活の場から去る人間のように、"ストレス"でどこかへ消える(実際、何処に行ってしまったのかはわかっていないようです)現象が起きている。

数年前まではアメリカでの出来事だったようですが、最近では、日本でも疑わしい例が発生していると言われています。(詳しくは"ミツバチ 失踪"とかでググってみるとよいです。)


さて、この、「原因はわからない」といいながら着々と進行していく感じ、地球温暖化の話を聞いた時の感じと似ています。原因云々を語り初めても、自分自身が"被害"を被るまでは、ニュースの隙間にチラッと報道される程度の扱いです。
何よりも優先されるのは経済動向なのです。

テレビニュースの隙間では伝えられませんが、ミツバチの失踪は、
・野菜や果物の受粉が安価にできなくなる→食品価格の高騰
・一般の植物も受粉できなくなる→緑資源の衰退→酸素供給が減る/砂漠化
という、かつて、アインシュタインが話した、「もし、ミツバチがいなくなると人間は四年で滅びる」という話に繋がっていきます。

ミツバチがいなくなること自体、薄気味が悪い話です。が、もっと気味が悪い話は、その原因ではないかと言われている、人間とミツバチの不自然過ぎる関係です。。

・アメリカでは受粉の時期に合わせミツバチを貸し出す業者が存在します。全国規模でミツバチを人間の手で移動、巡回しビジネス展開している。
・巡業しているミツバチを効率よく受粉させるため、ミツバチ用タンパク質サプリメントを投入して過度に(もしくは"不自然に")働かせている。


今は、企業活動とは最大の利益を追求する、でおよそ誤ってはいないとされる。
世界中のお金を集められるだけ集め、そして、集めたお金はできるだけ使わない、事を目指しているのだ。
究極には集めたお金は、全く使わないで済ませるという事だ。ヒトなんか無駄な資源なのだ。


地域社会とのお付き合い、自然とのお付き合い、以前は煩わしいと感じていた価値観は持続可能性(サステナビリティ:sustainability)を念頭に置いた価値観だった。
自分もお付き合いは苦手だった。田舎が嫌いだった。都会に憧れていた。
持続可能性という価値観を失った現代。

働きバチ達への感謝を忘れてはいけない。
半月ほど前、宮沢賢治『狼森と笊森、盗森』を読んで、なぜだかわからないけど胸が熱くなった。
その理由がわかった気がした。
宮沢賢治『狼森と笊森、盗森』テキストはこちら
宮沢賢治『狼森と笊森、盗森』音声はこちら

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