木曜日, 3月 29, 2012

腹タッチ


ネットのなんかで読んだのだけど、肥満は禁欲主義的価値観からすると「人格的欠陥」なのだという。
酷い言われようだ。

そんな人格的欠陥状態の僕が、人生最大の「腹タッチされる人」となっている。

腹タッチされる人とは何か、というと、飲み会などで、やたら腹を触られるのだ。
言い方を変えれば、デブ専におけるセクハラだ。

しかも、老若男女にかかわらずだ。

ちょっと前までは、腹をタッチされることは、まず無かった。
たしかに、ここのところの肥え具合は自分でも見事なものだと思ってはいた。

だからと言って、たかが職場の同僚ぐらいの間柄でそこまでするのか?
と、驚いている。

職場でもたまにあるが、飲み会になると一層と腹タッチは激しくなる。
酔った勢いがあるのか、唐突に近寄ってこられて、「何か話があるのかな」と思っていると、腹タッチだ。

近寄ってくる。
僕は気がついてそちらを向く。
相手は微笑む。
微笑むとほぼ同時に利き手の手のひらを私の腹に当てる。
で、去っていく。

そんな感じ。

これが、性別にかかわらずそんな感じだから困る。
最初こそ、異性にタッチされると「惚れてまうやろー」なんて思ったが、何度も続くと慣れるものだ。

とうとう最近では、人が近寄ってくると、何もしなくても突き出ている腹を更に前に突き出す、という反射が身に付いた。

うーむ。
腹タッチで何か減るわけではないが、腹タッチでお腹が一杯には、残念ながらならない。
腹タッチをどれだけしてもらっても、腹は凹まないのだ。

何が言いたいのかわからなくなってきた。
とにかく、腹タッチは、なかなか気分が良い。

これでいいのか?
これでいいのだ。

ぶうぶう

早口言葉

ミャンマー豆カリー。

月曜日, 3月 19, 2012

Flashairきました

amazonで予約して忘れてたんだけどFlashair届きました。
ここのところ、pogoplugや、この手の「ネットワーク接続機能強化商品」として大いなる期待?をしていたんだけど、やはり、繋がるメリットは試して実感してみることに意味がある。
そういうところに意味を見出さないと、買ってみたものの意外に使わないので後悔することになる。
(Pogoplugは、そういう過程を経てるわけだ。電源外しちゃったし。)

と、心の中の期待の置きどころを成熟させつつ手にしたFlashair、手持ちのデジカメ、SONYのなんだかに装入しました。。。
認識しません。

しかたない。予め、誰かのブログにあったように、ユーティリティでFlashairのファームウェアを更新。
特に、SONY製デジカメでは、そのまんまでは認識しないと言う話がネットに転がっています。

ファームウェアを更新した後に、もう一個のユーティリティでFlashairをフォーマット。

もう一度SONYのなんだかに装入。

うん。認識しました。
認識してしまうとあっけない。
スマホからでもPCからでも無線LANアクセスポイントとして認識します。
接続されたらブラウザで閲覧。

うん。仕様通りの動作。当たり前だのクラッカーだ。
いや、仕様通りだからクラックしてないか。

そんなんで、あーだこーだ、やっての感想。

・無線LANアクセスポイントとして接続するということ
 苦心の末のネットワーク機能です。
 まず、スマホだと無線LAN接続先を切り替えることになる。
 まぁ、そういう使い方を日常的にしてない僕には、ちょっと面倒。
 そう。繋がるということは、人を一歩ズボラにするのです。
 繋がらないときには考えもしない新たな不満が芽生えます。

・デジカメ(のSDカード)にネットワーク越しにアクセスするということ
 これは便利。言う事なし。
 カードアダプター?いらないし、スマホだとメリット少ないけど、タブレットなら大きな画面でいい。はず。

・操作性
 これはまだまだです。
 努力は認めます。多分、現時点ではコレが限界でしょう。
 まぁ、操作自体を楽しむ向きにはいいでしょう。

とまぁ、こんな感じで期待通りのFlashairでした。
操作性は、Flashair経由のアクセスを前提としたブラウジングアプリが出てくれば、改善と言うよりも新しい価値も出てくるかも。
ブラウジングして、選択してPicasaなんかのクラウドに転送して、とか、そういう一繋がりの操作をしたくなる人も多いでしょう。

これでデフォルト利用のSONYのデジカメ君は、嫌々ながらSDカードをお腹に入れる日々になったのでした。
めでたしめでたし。

木曜日, 3月 15, 2012

しょうもないオジサンのランチの会話

今日、ランチで、九州新幹線の故障の話題から発展した、新幹線指定席の二人掛けの席、奥窓側に座った時のあるある。
メモしておこう。

・隣に素敵な女性は座らない。
・隣り通路側に座るのはデカイ人。
・隣り通路側に座ったデカイ人がテーブルにPCやらなんやらたくさん広げる。
・その上、寝てしまう。
・ガラガラに空いてきても、デカイ人が向こうのガラ空きの三人がけに移動なんてしない。
・だったら自分が移動すれば良いのだが、なんだかシャクニ感じられてしまう。
・ようやく三人がけに移動すると、ピンポイントでその席のチケットを持った人が乗り込んでくる。
・さっきまでいた二人掛けの席窓側に戻ろうとすると、デカイ人の荷物が置いてあったりする。
・というような事を考えるので、三人がけの席には移動できない。
・眠り始めた頃、会社から電話がかかってくる。出ようとしてデッキに行くと切れる。

ということで、新幹線最強は到着地まで寝て過ごす、です。間違いない。

土曜日, 3月 10, 2012

定番の面白さ「Goal!」、定番のつまらなさ「Goal2」「Goal3」?



定番の面白さ「Goal!」、定番のつまらなさ「Goal2」「Goal3」

映画(主にDVDだけど)の中に「定番」というジャンルがある。
TSUTAYAにそんなコーナーはないけど、普遍的なストーリーっていうやつ。

一昨年だったか、マイNo.1だった「オーケストラ」なんかも定番だろう。
先の読めないストーリー展開や奇をてらった映像があるわけではなく、悪く言えば「予想通りのストーリー展開と地味な映像」なのだけど、心を動かされた。良かった。

多分、演技、シナリオ、映像、音楽、映画の要素すべてが地味でも高い完成度なら、総合的に感動をもたらして、「良い映画」という評価を得られるのだと思う。

と同じように、「定番でも良作」だったのが「Goal!」だ。

これ、あるのは知ってたけど、手に取ることはなかった。なんとなく内容は想像できるし、そこまでサッカーに入れ込んでいるわけじゃないし、(観て知ったのだが)ベッカムやジダンが出演したからと言って観る気にはならないし、要するに、興味なかったわけだ。

それが、久しぶりに非TSUTAYAの近所のビデオ屋さんに行って、なんとなく、本当になんとなーく借りた。
恐ろしく暇な雨の日曜日の午後、そんなこともある。

そして、観ました。
特に、この映画を観たいっていうモチベーションは無かったから、ワクワクも何もなく、淡々と見始めました。

そして、2時間。
映画の後半では、おもいがけず没頭し、涙し、歓喜している自分がいるのでした。

単に歳で定番に弱くなったのかも知れません。
が、良かったところを忘れないように書いておこう。

・イギリス映画らしい"良い暗さ"があること。
 きっと偏見だと思うけど、ハリウッド映画のようなベターッとした感じの色合いがなくて見やすい。
・良い違和感。ちょっと古臭い価値観を大切にしていること
 ほっとするシナリオです
・迫力あるサッカーシーン
 僕のような素人には充分。「おぉっ」「ヒュー」とか思わず声が出ます。
・自然なヒロイン
 ここに有名女優や友情出演の大女優なんかが当てられてないのが良い。可愛らしいヒロインでした。
・面倒くさくないゲスト出演
 ベッカム他有名選手が登場するんだけど「チラッ」という感じで、まぁ、じゃまにならなかった。
・そして音楽もよい。やっぱりブリティッシュロックだよ。誰の曲かは知らないけど。
 音楽のコダワリは音響にも現れていた。
 音声オプションを見ると、英語/日本語に並んで「英語DTS」というオプションがあります。
 (これ、通常のドルビーデジタルより音声の品質が高い。)

この定番映画が、多分、いい感じでヒットしたのだろう。続編がある。「Goal2」と「Goal3」だ。
これがイケてナイ。2は観たが3はまだ観ていない。2のイケてなさで3を見る気にならないのだ。

2のイケてなさも書いておこう。
・イギリス映画の"良い暗さ"が無くなったこと。
 詳しくはわからないが、予算があると何か変わるのか、とにかく普通の映像になりました。
・良い違和感が無くなった。全く想定通りのシナリオ展開。
 全く違和感がないとつまらないんだなー。
・迫力出し過ぎのサッカーシーン
 ボールがミサイルのように飛んでいく戦隊レンジャーものでも見てるようなシーン。笑うしかありません。
・可愛らしいヒロインは変わらず良かった。
・面倒くさいゲスト出演
 ジダンだのベッカムだの多数出演。
 それほど必要のないシーンで素人の演技バリバリ。
・音楽までイマイチ
 音響のオプションも無くなってますね。ここは予算を削るんだねー。

多分、"2"は緻密なマーケティングの結果を反映させたと思われるので成功したのでしょう。
ということは、"3"では、更にイケてなさ爆裂の映画となっていると思われます。
(と予想しましたが、世間はそこまでマーケティングに踊らされては居なかった模様。
実際は"2"は制作が遅れに遅れどうも興行的にはうまくいかなかったようです。
そして、"3"は日本では劇場公開すら見送られたようです。)

そのうちイケてなさ爆裂映画"3"も見てみるか。

金曜日, 3月 09, 2012

3/11特番はネットで



↑の動画。
3/11に、このドキュメンタリー「僕らはみんな放射能」の"第一話"が配信される。

3/11は、大手メディアがこぞって(テレビ東京を除く)特集番組を組んでいるが、正直、既存メディア、中でも民放のドキュメンタリーで、どこまで真に迫れるのか疑問だ。
画面に映る食卓のジュースにモザイク入れる暇があったら、もっと、真摯に丁寧に、伝えて欲しい。

そんな中、このネット番組は期待できそうだ。
きっと、ジュースにもモザイクが入らないだろうから観てみようかな。

【制作スタッフ】
企画は米国在住の日本人ジャーナリスト
監督はネットビデオ制作の名手と名高い米国人(多分)
編集は映画製作に携わる日本人
同じく編集に英国アカデミー賞受賞経験をもちBBCドキュメンタリー制作なども手がけてきた製作者
撮影クルーとは別に被災地のサーファー兼アクティヴィスト(復興活動家)が地元で長期に撮影

第一話はこちらに公開される。(3/11より)
http://weareallradioactive.com/


多分、というか当然、この番組は3/11以降も見ることが出来るだろう。
で、評価が高ければ続編の公開も期待できそうだ。
ジュースの消し込みなんかしている場合ではない。


※はみ出し
 最近の「テロップだらけ」「スポンサーに気兼ねして飲料はボカす」「とにかくCMを挟み込む」という視聴者完全無視のテレビ番組はいらない。そのテの番組のスポンサーも気がしれない。

木曜日, 3月 08, 2012

パスカルのリーダーシップマネジメント論


【パスカルの名言】
カなき正義は無能であり、正義なき力は圧制である。
力なき正義は反抗を受ける。
なぜならは、つねに悪人は絶えないから正義なき力は弾劾される。
それゆえ正義と力を結合せねばならない。

  ↓
正義をリーダーシップに置き換える。
  ↓

【パスカルの名言・リーダーシップマネジメント版】
マネージャーが評価しない個々人のリーダーシップは何の成果ももたらさない。
リーダーシップのないマネージャーは地位の力のみで行動しパワハラをも厭わない。
むしろ、マネージャーが評価しない個々人のリーダーシップは潰される。
なぜならば、常に人は保身を考えるから個々人のリーダーシップは弾劾される。
それゆえ、個々人のリーダーシップをマネージャーは評価しなければならない。


なんかの本、多分ドラッカーだったと思う、に書いてあった、たくさんの事例を検証した結果「トップにその気がないとイノベーションは起きない」っていう話とも一致する。

なあんて、こういう言葉にすがりながら、自分の力量のなさの言い訳を考えてるわけだ。
そんな言い訳を与えてくれるパスカルっていうオジサンをWikipediaで調べて驚いた。

禁欲主義を貫き、食欲にかかわらず食事は決まった量しか食べない、性欲なんてトンデモナイ事で生涯独身、絵画などを壁に飾るのも"目を楽しませる"のでダメ、、
そんなの出来っこないじゃんって事はなく、なんと、内側に釘の出たベルトを身につけて、気の緩みを感じたら肘でベルトを突いて、その激痛で我に返る、ようにして生活していたそうだ。

うーん。今で言うなら、それってヘビメタ系の自傷行為だよなぁ。
パスカルさん、なんかトラウマでも抱えていたのかなぁ。


内側から出た腹を抑えるためにベルトを締め、
食欲を解放するためにベルトを緩め*、
ベルトにはそんな意味しか見いだせない、そんな僕も同じ人間なんだよなー。参りました。
*こういうとこに書けない不適切なベルトを緩める行為も含まれます

水曜日, 3月 07, 2012

メモ(忘れないように。今は未だ原始人的な時代)



フェアトレード商品というのがある。
商品の原材料調達で、地球環境に優しい、とか、児童労働に頼らない(当たり前だけど)、とか、そんな商品。

理念としては、環境を含めて倫理的に「大丈夫」な商品がフェアトレード商品なのだろう。
よく、コーヒー専門店などで見かけるやつだ。

そして、そもそもそんな議論にすら上らない商品がある。

その昔、奴隷貿易が盛んだった時代。
奴隷達がどんな扱いを受けて生まれ育った土地から連れられてくるのか、見て見ぬふりをしていた時代があった。

今まさにそんな「見て見ぬふり」を決め込んでいる商品があるのだ。

それは、経済的に小さい国で算出されるウランだ。
※冒頭のyoutubeはドイツ映画。
※※クーリエ・ジャポン2011年6月号
http://courrier.jp/contents/courrier079.html

に詳しい。要約はこちら
http://d.hatena.ne.jp/longtonelongtone/20110427/1303916613


経済的弱小国の労働者は、放射能の危険を知らせられないどころか、長期間の被曝に関して何ら対策もないまま作業に従事させられている。
旱魃被害などで「食べるにも事欠く」国で、原発の燃料は採掘され、ウラン採掘の際に出る放射能に汚染された土砂が乾いた大地を舞っている。
当然、その地域の水も汚染される。

皮肉なことに、経済的弱小国では、は生活用には電気を殆ど使わない。
http://www.comment-niger.org/



ただ、生まれついた場所が貧しい国、という理由だけで、子供たちが放射能まみれの砂が舞う中で暮らしている。
同じ年齢の子供たちがテレビゲームなどで遊ぶ電気の原料が、何も知らずに被曝する子供たちの暮らす社会で作り出されている。

そのうち、経済的強者の国で作られた放射性廃棄物が、経済的弱小国に送り返されそうで怖い。
(知らないだけで、既にそんな事をしてても不思議ではない社会に暮らしているのは間違いない。)

奴隷貿易のような判りやすい「奴隷制度」こそ無くなった。
が、現代も奴隷制度(差別に基づく搾取)は形態を変えて脈々と息づいている。

つくづく、今の社会が近代的、なんてことは全くないと感じる。
経済的強者の国に暮らす僕達は、奴隷の労働力によって栄えた農場主や工場主と何ら変わらない。

原発を推進したエライ人がフクシマ以前に
「結局、(どんな反対があろうとも)お金を出せば原発は受け入れられるんです」(キリッ)
と語った顔が思い出される。

差別は差別される側の尊厳を失うだけでなく、差別している側も尊厳を失う。
いや、差別される側の尊厳は「失わせられる」だけで人間として卑しくはない。
むしろ、自ら進んで尊厳を失う、卑しい生き物は差別する側だろう。
そういう僕も、知らず知らずのうちに卑しさを身につけてしまっている。

現代の人類なんて、まだまだ原始的な時代だということだ。

月曜日, 3月 05, 2012

対話の力(かなり強力)


以前、"対話を体験する"研修を体験したことがある。
一見すると利益相反する課題を抱える二者が、お互いの置かれた立場を理解し話し合うことで、相反する課題とされた事が見事にお互いの協力で解決できる、という研修。

この研修でも「対話」の持つ力を体験できたのだけど、そんなヤワな話ではなく、血で血を洗うような戦いのさなかに対話を始め、数年かけて一致団結できる所までを描いた映画を観た。

「Endgame」という映画。
南アフリカのアパルトヘイト廃止の道筋をつけた「対話」がテーマ。

マンデラが30年にも渡って収監されていた当時、秘密警察まで動員して圧政を続けるボタ政権と黒人の解放を訴えるANC(アフリカ民族会議)との対立は血で血を洗うような状況に陥っていた。
ここまでは、今も世界中あちこちで渦巻く対立の図と何ら変わらない。

出口の見えない、としか思えない中、イギリスの一人の民間人(南アに進出している英国企業の若手社員)マイケル・ヤングが、対立する二者の「対話」を取り持っていく。

誤解を恐れずに言ってみれば※、彼は、南アの安定を望むイギリスの会社のサラリーマンで、やったことは、それぞれの利益代表者間の対話の場をセットしただけだ。
※実際は、利益代表者の選出から自分を含めた関係者の身の安全、会議そのもののコーディネートと、縦横無尽の活躍をする。

そして、その対話は、敵対する二者が、お互いの置かれた状況を理解し、最後にはお互いを尊敬し合う関係へと発展していく。
そして、政権交代と共に訪れるアパルトヘイト廃止。

もちろん、マンデラとデクラークいう稀有なリーダーの存在に負うところも小さくない。
が、ある日突然トップが「相手を信じる」と言っても周りは付いていけない。
場合によっては数年にも渡る「対話」があってこその理解と信頼、そして、対話を通じて得た確信が必要不可欠だ。

その対話があったからこそ、大きな混乱なくアパルトヘイト廃止が実現されたのだろう。

ということで振り返って自分。
家庭を崩壊させないような「対話」を実践しなければならない、のだが、肝心の家庭が無い。
仕方ない。まずは自分との対話を心がけてみよう。か。

※以前観たアパルトヘイトを皮肉ったSF映画「第9地区」。これもエンドゲームと同じ2009年の作品。