水曜日, 3月 07, 2012

メモ(忘れないように。今は未だ原始人的な時代)



フェアトレード商品というのがある。
商品の原材料調達で、地球環境に優しい、とか、児童労働に頼らない(当たり前だけど)、とか、そんな商品。

理念としては、環境を含めて倫理的に「大丈夫」な商品がフェアトレード商品なのだろう。
よく、コーヒー専門店などで見かけるやつだ。

そして、そもそもそんな議論にすら上らない商品がある。

その昔、奴隷貿易が盛んだった時代。
奴隷達がどんな扱いを受けて生まれ育った土地から連れられてくるのか、見て見ぬふりをしていた時代があった。

今まさにそんな「見て見ぬふり」を決め込んでいる商品があるのだ。

それは、経済的に小さい国で算出されるウランだ。
※冒頭のyoutubeはドイツ映画。
※※クーリエ・ジャポン2011年6月号
http://courrier.jp/contents/courrier079.html

に詳しい。要約はこちら
http://d.hatena.ne.jp/longtonelongtone/20110427/1303916613


経済的弱小国の労働者は、放射能の危険を知らせられないどころか、長期間の被曝に関して何ら対策もないまま作業に従事させられている。
旱魃被害などで「食べるにも事欠く」国で、原発の燃料は採掘され、ウラン採掘の際に出る放射能に汚染された土砂が乾いた大地を舞っている。
当然、その地域の水も汚染される。

皮肉なことに、経済的弱小国では、は生活用には電気を殆ど使わない。
http://www.comment-niger.org/



ただ、生まれついた場所が貧しい国、という理由だけで、子供たちが放射能まみれの砂が舞う中で暮らしている。
同じ年齢の子供たちがテレビゲームなどで遊ぶ電気の原料が、何も知らずに被曝する子供たちの暮らす社会で作り出されている。

そのうち、経済的強者の国で作られた放射性廃棄物が、経済的弱小国に送り返されそうで怖い。
(知らないだけで、既にそんな事をしてても不思議ではない社会に暮らしているのは間違いない。)

奴隷貿易のような判りやすい「奴隷制度」こそ無くなった。
が、現代も奴隷制度(差別に基づく搾取)は形態を変えて脈々と息づいている。

つくづく、今の社会が近代的、なんてことは全くないと感じる。
経済的強者の国に暮らす僕達は、奴隷の労働力によって栄えた農場主や工場主と何ら変わらない。

原発を推進したエライ人がフクシマ以前に
「結局、(どんな反対があろうとも)お金を出せば原発は受け入れられるんです」(キリッ)
と語った顔が思い出される。

差別は差別される側の尊厳を失うだけでなく、差別している側も尊厳を失う。
いや、差別される側の尊厳は「失わせられる」だけで人間として卑しくはない。
むしろ、自ら進んで尊厳を失う、卑しい生き物は差別する側だろう。
そういう僕も、知らず知らずのうちに卑しさを身につけてしまっている。

現代の人類なんて、まだまだ原始的な時代だということだ。

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