木曜日, 6月 14, 2012

大人の話「初めてのお買い物」




大人の話、と書いたが、実際は未成年の話だ。

僕が15だか16の、まだ、いろーんな意味で背伸びがしたい子供だった時、当時の男子高校生の間で流行った習慣があった。
どの程度流行っていたのか、僕のまわりだけだったのか、それはわからないが、その習慣とはこういうものだ。

「財布にはコンドームを入れておけ」

これが、どんなオマジナイ効果があったのか知らない。
僕はそんな習慣を知った時、意味もわからずに、お財布にコンドームを入れておかなければ、と、半ば強迫観念すら持った。

財布にコンドーム、世間では常識の男の嗜み、らしい。
財布にコンドーム、それがなければ女の子にバカにされる、らしい。
財布にコンドーム、入っていなければ、もう一度中学に戻って坊主頭からやり直しかも。

うーーーー、財布にコンドーム、入ってなーい。

そんな事で大いに悩んだ。
今なら、入れときゃいいだけの話だ。
駅前で配っていることもあるらしいではないか。

が、なにしろその当時は、身の回りにあるわけもなく、既に財布にセットしている(一応、財布に被せてるという意味のセットではない)友人もいたりして、焦っていた。

どうする。財布に入れるのは簡単だ。
問題は、コンドームなる大人の持ち物をどうやって手に入れるかだ。

当時の僕の活動範囲では、明るい家族計画、という自動販売機の存在など知る由もない。
ブツが手に入る唯一の場所は、「薬局」だという知識しかなかった。

明るい家族計画の存在すら知らない僕がだ、ブツを売っている場所を何故知っていたか、それはエロ本だ。
今でも記憶にあるそのシーン。
ハードボイルドなタッチのそのエッチな漫画では、ハードボイルドな男が薬局に立ち寄る。
そして、低い声(と漫画ながらに勝手に想像した)で、「オヤジ、ラバーをくれ」と言うシーンがあったのだ。

なるほど。大人は「ラバー」で通じるのか。
とても言葉にするには忍びない「コンドーム」などとは言わないのだ。
そりゃーそうだ。コンドームなんて恥ずかしくて言えないんだ。
さすが大人。ラバーねぇ。なるほどなるほど。

少年Aには必要十分な情報だ。
いっぱしの男子としての財布、数百円しか入っていない財布だとしても、コンドームは入れられそうだ。
薬局に行って恥ずかしくない「ラバー」という商品を求めれば良いのだ。

僕は、この情報に出会い、それからリサーチを始めた。

街中の薬局という薬局の様子を確認した。
店番を女性がしている薬局はNGだ。
あの劇画では年配の男性同士の会話として「ラバー」が使われている。
伝わらないかもしれない、その上、女性相手にそんなモノを買うなんてありえない!

そして、できる事なら、記憶力が極限まで落ちているお爺さんが、辛うじて店に立っているような薬局がいい。
僕が店を立ち去ったあと、僕が何を買ったかなど覚えられていてはたまらない。
小さい街だ。あの子がねぇ、などと噂されても困る。

慎重にも慎重を重ねたリサーチ期間が二週間ほど続いた。

そして、ついに、店を決めた。
その店は、お爺さんしか店番をしていない。

それからさらに二・三日後、ついに決行の時が来た。
(単にお小遣いが入るまで決行できなかったのだが。)

ガラガラっと引き戸を開け店に入る。
多分、学生服の上にウィンドブレーカーかなんか着ていたのだろうが、あのエロ本の劇画で見たトレンチコートを着たハードボイルドな男になった気分だ。
ズンズンズンッと、そのお爺さんの立つカウンターの前に進む。

「あ、あ、あ、あ、、、、」
いかん。あれほど繰り返し練習した言葉が出ない。
「あ、あ、あ、あ、こんにちは。あ、あ、あの、あの、あのあの」
顔が真っ赤になるのがわかる。まだ涼しい東北の初夏、一気に汗ばむ。

「はい、なんでしょうか」動じない白衣を着たお爺さん。
当たり前だ。動じる理由がない。
トレンチコートどころかサングラスもマスクもしていない、ごく普通の田舎の高校生を前に動じる年寄りはいない。

「あのあのあの、、、、ら、ら、ら、、、ラバーください」

一瞬、お爺さんが怪訝な顔をする。
聞こえなかったのか?そうか、耳が遠いのかもしれない。

僕はボリュームをMAXにした。
「ラバーください!」

お爺さんが驚いて目を見開く。
そして、呆れた顔をして、しっかりした声の調子で、
「あぁ、コンドームね」
と、言い、後ろの棚から取り出した。

劇画のような「あ・うん」の呼吸は無かった。
せっかくの僕の「ラバー」という言葉は、お爺さんの「コンドーム」という言葉に上書きされた。

その後、どうやって買って帰ったのか、全く記憶にない。
どんなパッケージだったかも、それを使ったかどうかすら覚えがない。

とにかく、僕は、翌日から暫くの間、「財布にコンドーム」を入れた、単なるアホな高校生になっていたのでした。

今思い出しても恥ずかしい記憶であった。




火曜日, 6月 12, 2012

大人の話「マグロ」

 

最近、踊るグループのナントカやニュース番組にも出てるらしいアイドルグループのカントカからやたらメールが来る。

他の誰よりもマメに来る。オハヨウからオヤスミまでサポートされるありがたいものだ。

そんなわけで、メール削除の指使いが早くなりすぎて、ウッカリ他のメールも削除してしまうかもしれない。
50絡みのオジサンを釣ろうという、いわゆるフィッシング詐欺メールなのだろうが、まず、そのナントカをよく知らないからなぁ。

オハヨーからオヤスミまで、ご苦労さまです。 

で、今日の話題は釣られたマグロについてである。 

今日、何故か会社の食堂の高級な方(セルフサービスじゃない方)でマグロの解体ショーがあった。

 既に死んでいるとはいえ、気の毒に、70Kgあるというマグロ君("マグロさん"かも)は、見事な包丁さばきにより解体され、スペシャルメニュー?のマグロ丼へと変身を遂げたのだった。 

早めのランチタイムだったので、解体されたマグロとは別のマグロのマグロ丼を堪能し、その後に解体ショーを堪能した。

初めて解体ショーをライブで見たわけだが、彼の人生いやマグロ生、生マグロのマグロの一生、を考えてしまった。 

大海原を休むことなく回流し、ある日、一本釣りされる。
本当は網で、まさに一網打尽だったかもしれないが、ブログに書くべきドラマとしては、やはり一本釣りであろう。
北の海で、ベテランの漁師との戦いに敗れ一本釣りされた、そう思いたい。 

その瞬間、彼は初めて全身を空気に晒し、ニンゲンという奇妙な生き物の姿を目にし、そして、自分の身の上に何が起こったのか、を考える間もなく視界が途絶え思考が停止し息絶えたのだろう。
我々が知っているマグロは、その後の話だ。

僕は、その魚の死体がバラバラにされる様子を見ながら、「マグロに生まれなくてよかった」と、まず思った。
なんだか恥ずかしいし、悔しい気もするし、できることなら命が途切れるその瞬間まで海にいたいと思うだろうと感じた。

でも、「マグロに生まれていたとしたら、そもそも、そんな事は考えもしないだろう」とも思ったりもした。

で、本題は、そんな高尚な身の上話ではない。
下衆な大人の話だ。 

「マグロ」という言葉は、食用の魚以外に、いわゆる床上手でない女性を表現する際にも使われる。
これには何か基準があるわけでもなんでもなく、男性が一方的に、多分、自分の男としてのコンプレックスの裏返し、八つ当たり的に女性を貶めるという背景での言葉かもしれない。 

が、そんな背景は置いといて、マグロが床上手でない表現であれば床下手という意味か。
正確には、多分、「そんな男性の努力により普通ならウッフンな状況のハズにも関わらずマグロのように動かない女性」を指す言葉として男性の間で使われる。 

上手とか下手とか、その点についてはスルーします。
くどいけど、そのテの話をしたいわけじゃない。 
くどいついでに、意外なことに、オジサンの飲み会でもそんな話はしないし、よくよく考えてみたらそういう話題で「マグロ」と口にする人に出会ったことはない。

もしかすると、こういうエロ系のマグロという表現はエロ本でしか見たことがないかも。 
多くの男性の場合、この、「エロ本でしか見たことがない」という言葉や漢字、擬態語などがたくさんある気がする。

が、その話はまた別の機会に で、本題に戻そう。

話したかったのはマグロの話だ。 
確かに、こうやって生活していて、数十キロもの重さがある生き物の死体を目にすることはそうそうない。
稀に牛や豚の工場(屠殺場?)をテレビなどで見かけても、吊り下げられている。 

そうなのだ。横たわる人間相当の大きさのある死体で最も目にするのはマグロなのだ。
数十キロもの死体が横にデーンと横たわっているレアなケースがマグロなのだ。
(注)生だからレアという意味ではない。 

とにかく、レアなケースで唯一目にする機会があるのがマグロなのだ。 

そんなわけで大人なウッフンな表現として「マグロ」が存在するわけだ。
そーゆーのを「死体」というのは抵抗があるから「マグロ」と言っているわけだ。 
「いやぁ、夕べ、飲み屋で意気投合した女の子とさぁ、行くとこまで行っちゃったんだけど、これがマグロでさぁ」
これが、「いやぁ、夕べの女の子、死体でさぁ」では洒落にならない。

というように、本人の技工を確かめるすべはないわけだから、言いたい奴は自分の事は放っといて、相手をマグロだと好き放題言えるわけだ。 

でも、マグロの身になってみたら、それはトロだ。じゃなく、マグロの気持ちになってみたらそれはどうだろう。
大体が、雄マグロかもしれないのだよ。
そこんとこ、わかっているのかなぁ。

ということで、無責任に書いてみたけど、この話は、もうこれ以上続けても何も展開はない。 

今日の教訓。 「どんなときも人をマグロと言うなかれ。それはマグロにも、人にも失礼だ。」
(それに、ほぼ、エロ本専用用語みたいだし。)

 

火曜日, 6月 05, 2012

テレビ、まだ売れる!?


IKEAのテレビコマーシャルを見た。Youtubeで。

 ポイントは「ケーブル隠したよ」「ネットもMP3も楽しめるよ」「周囲の家具と合わせられるよ」といったとこ。 (当面はヨーロッパで販売するようです。) 

いわゆるテレビ(地上波)を見るための何か、解像度だとか色の鮮やかさだとかそんな話は出さない。 それはもう「当たり前」なのだ。

気にしているのはヨドバシの店員と宣伝担当者ぐらいだろう。 
今から「どら焼き」を売り出すときに、衣は、とか、餡が、とか言っても、名だたる老舗に敵うわけがない。 イチゴ餡とか抹茶餡とか、衣が低カロリーとか、そんな辺りで勝負を仕掛けなければ可能性は少ないだろう。

そもそも、イチゴ餡なんかを食べたい客層に「どら焼き」を出すかはわからないが。。 かといって、家具屋さん(IKEA)の視点から見て、今のテレビは満足できるものではない。
配線だらけになり、家具との調和は壊され、その上、ネットも使いやすいとは言いがたい。

だったら自分たちでプロデュースする、というのは当然の結果。 

その昔、音楽業界に気を使いながら「使えない」音楽プレーヤーを大メーカーが販売した時期があった。音楽業界に気を使わない「ダサい」音楽プレーヤーをアジア無名メーカーが販売していた時期があった。

そこに登場したのが音楽業界とシガラミがなく、かつ、確固としたブランドイメージのあるAppleだった。

 テレビは家具屋さんがプロデュースするもの、になるのか、電気屋さんが家具的なテレビをプロデュースするようになるのか、わからない。
でも、売れない、とされるテレビ販売に、大きなチャンスがあるのは間違いない。 

テレビの世界でApple的なモノが登場するのは秒読み段階に入ったのは間違いない。 Apple-TVもGoogle-TVもまだこれからだ。
旧電機メーカー系TVが巻き返すのか、面白いことになりそうだ。 ちなみに、このニュースを知ったのは↓ http://wired.jp/2012/06/04/ikea-tv-uppleva/