金曜日, 2月 24, 2012

着座認証システム

個人的に洋式便器なら人物認証(肛門認証)ができるとは思っていたけど、類似技術に着座認証システムってのがあるそうだ。
「着座認証」でググるとたくさんヒットします。
現実的に必要そうなのは自動車で「所有者かどうかを判断してエンジンをかける」辺りか。
※本質的には必要ではない、んだけどね。

で、身の回りの認証について書き留めておこうと思った。
何年かしたら、このリストはもっと増えているのか。

===今、僕の周辺の認証システム===
家の鍵→その家に住んでいる事を認証
切符(スイカ)→その電車路線に乗り降りできる事を認証

社員証→その会社に出入りしてよい事を認証
入館カード→その建屋に出入りしてよい事を認証
ロッカーの鍵→会社のロッカーを開け閉めしてよい事を認証
机の鍵→会社のデスクの袖机を開け閉めしてよい事を認証

TSUTAYAカード→そのDVDを借りてよい事を認証
キャッシュカード→その口座のお金を引き出してよい事を認証
携帯電話のロック解除→その携帯電話を使ってよい事を認証
現金(日本の)→お店や自販機で何かと交換してよい事を認証

車の鍵→その車のエンジンをかけてよい事を認証
免許証→その車を運転してよい事を認証
ETCカード→ETCレーンを通ってよい事を認証
カーキャリアの鍵→カーキャリアのアタッチメントを取り付けたり取り外したりしてよい事を認証

健康保険証→医療費割引が受けられることを認証
年金手帳→年金受給者であることを認証

仕事のPCのパスワード→そのPCを使ってよい事を認証
ブート(電源投入時)パスワード
HDD暗号化ソフトのパスワード
ログインパスワード
ネットワーク接続パスワード
メールソフトアクセスパスワード
様々なサイト毎のパスワード
特定業務用PCのパスワード→その特定業務に携わってよい事を認証
※会社のPCのパスワードと同じ

自宅のPCの管理者権限用パスワード→そのPCのシステム情報にアクセスしてよい事を認証
自宅のメディアプレーヤーのパスワード→そのプレーヤーの設定を変更してよい事を認証
自宅のHDDレコーダーのパスワード→そのHDDレコーダーに外部機器からアクセスしてよい事を認証
自宅のルーターのパスワード→そのルーターの設定画面にアクセスしてよい事を認証

僕自身(姿形声?など)→?


火曜日, 2月 21, 2012

北九州に来て2年



タイトルとは関係なく、JALの会社更生法適用から2年。

JALが日本を代表する"経営者"稲森さんの元で見事な再生を果たしている。
株式再上場の話題すら出てきている。

就任して7年かけて赤字体質を定着させて10億円近い年俸を稼いでいたCEOの話とは大違いだ。

わずか2年なので当初の論評と合わせて読むと大変興味深い。
"意識改革"周辺の話題は特に興味深い。

●スタート時点
・ネガティブな見方
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/216
・ニュートラルな見方
 就任会見
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1002/02/news021.html
※これは今読むと凄い

●2年後
・フィロソフィーについて
http://president.jp/articles/-/5241
・アプローチ(幹部再生)について
http://media.yucasee.jp/posts/index/5133
・まとめ
http://diamond.jp/search/word/%E7%A8%B2%E7%9B%9B%E5%92%8C%E5%A4%AB

僅か2年でも相当なことを成し遂げられるんだなぁ。
凄いぞJAL。僕自身はANA派なんだけどねー。
ANAも頑張れ!
(飛行機には乗る機会がないけどねー。)

金曜日, 2月 17, 2012

1800年奴隷貿易廃止、2001年エンロン崩壊

『アメイジング・グレイス』(原題: Amazing Grace)を観た。
その翌日、『エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか?』 (Enron: The Smartest Guys in the Room)を観た。

二つの映画の舞台は国も違えば200年もかけ離れた時代なのだけど、どちらも、今この時点でも学ぶべき点が多い映画だ。

例によってあらすじは→
アメイジング・グレイス
エンロン

僅か数年前のドキュメンタリー、エンロン。


ありとあらゆる、会計、経営指標、マスコミ対策、などなどのテクニックを駆使、そのテクニック自体がイノベーションとも言えるほど独創的なのだけど、肝心の実業部門は全くの大赤字。
全てのテクニックは、大赤字を隠すために創りだされたのだ。
要するに「詐欺」だ。

自社や関係会社の社員数万人を失業させ、詐欺と知っていながら関わった"同じ穴のムジナ"「証券会社」「監査法人」「法律事務所」なども事件が解明されるとともに多くがその事業を潰すこととなった。
そして、破綻発覚と時を同じくして経営陣の一人「経理責任者」が自殺(とされている)している。

一番ショックなのが、エンロンがM&Aを繰り返す中、堅実な電力工事事業を手がける会社を買収する話だ。
何十年もその会社で電力工事をする年配の作業員。日々トラックで現場を回って修理に追われている。

その電力工事会社がエンロンに吸収され、ほどなくして、エンロンは破綻する。

数十年、日々マジメにリアルに働いていた作業員。
彼の数十年の年金も積み立てていた退職金も吸収先の見知らぬ会社の不正で消えてしまう。

一方、エンロンの中枢にいた人の多くが破綻の匂いを嗅ぎつけると同時に、高額な退職金と共に会社を去ったり、自社株を売り抜けたり、とにかくケタ違い(数十億円、百億円を超す人も)の資産を築いているのだ。
その高額の収入・資産は、前述の現場の人達が数十年もかけて積み立てたものが含まれている。

一般的には、これは例外的な企業の話、とされている。

しかし、具体的に法を犯していないだけで、数年間の赤字を続けて高額の退職金を得て退任する社長の話なんてゴロゴロ転がっている。
今月退任を発表した名士ハワード・ストリンガーさんは、この7年間の年俸は8億円だったそうだ。
7年で数十億円の収入を得たわけだ。
そんな彼がこの7年間社長を務めたソニーの直近の4年間は赤字だ。昨年は2200億円の赤字だそうだ。

去年話題になったアメリカの自動車業界もそんな感じだった。
倒産寸前なのにプライベートジェットで税金投入をお願いに来ていた。
これはさすがにメディアに叩かれたけど、高額の報酬を返還したというニュースは聞かない。

プロジェクトマネジメントであれば、「与えられたリソース(人・モノ・金)」の制約の中で目的を達せなければならない。
が、社長業には、「前提を覆す(与えられたリソースを削る/増やす、目的を変更する)」権限が与えられ、その上、成果が出なくてクビになっても一生どころか何世代も安泰の報酬が支払われる。

先ほどのエンロンのM&Aに応じた電力工事会社の経営陣は、買収の結果一財産を築いたかもしれない。
悪意はなかったとは思うが、結果、社員の個人的資産をマネーロンダリングして自分の資産にしてしまったわけだ。

暴力で他人に金を出させる。
錯覚を利用して振り込ませる
投資と称して払わせる。

預貯金の管理団体(退職金積立や年金基金とか)ごと吸収して払わせる。

目に見える暴力がないだけ、迂回しているだけで何ら変わらない。
日本の"消えた年金"も構造は同じなんだろう。

。。。
200年前のドキュメンタリー、アメイジング・グレイス


エンロンを観る前日に、たまたま「アメイジング・グレイス」を観ていた。
これは、数百年続いた奴隷貿易廃止に貢献したウィリアム・ウィルバーフォースの半生を描いたものだ。

200年前のイギリス。
当時は正当な経済活動とされていた奴隷貿易を「人道に反する」として、その歴史を転換させた話。

ちなみに、有名な歌「アメイジング・グレイス」は賛美歌のメロディーに奴隷船の船長が自らの罪を悔いて歌詞を付けたものだそうだ。
当時の奴隷船は、長い航海中に拘束された奴隷たちの半分以上が航海中に死んで捨てられる事も少なくなかったという。
女性の奴隷は拘束したまま船員に暴行され、海が荒れると船を軽くする為に弱っている奴隷を捨てる、それが奴隷貿易の現場だったのだ。

。。。

現場を見れば、本質がわかる。
億万長者、の懐に入ったお金が何処からきたのか、がとてもとても重要だ。

今の時代、ましてや先進国で人道に反する社会なんてあり得ないと「無視」するのは簡単だ。
今の常識では、経済弱者と奴隷は違う、と感じるだろう。

でも、お金に魅入られた人達は、経済弱者から更にお金を吸い上げても全く気にしない。
その結果、現場で何が起きているかなど気にしてられない。

これは、奴隷貿易が当たり前だった時代に、奴隷とされた同じ人間を、家畜のように扱ったていた社会と大した差はない。
みんな何が起きているか、知らないふりをしているだけ。

100年か200年後、いや、数百年後かもしれないが、今常識とされるM&Aなど企業活動のあり方そのものが、
「人道に反する活動」
とされるかもしれない。

※人間は自分の置かれた環境次第で、どこまでも残虐になれるという心理テストがある。
 が、一方で、どんな環境にも屈しない人達がいたおかげで、ほんの少しだけ進歩した現代社会があるんだなぁ。
↓この動画はとっても良い

水曜日, 2月 15, 2012

円形脱毛ができる幸福



もう3ヶ月にもなろうか。
突如発生した僕の右側頭部の直径5cmの円形の空白地帯。
どこかしら抜けているようだった頭の中身は外からは分からない。
が、頭の外見の抜けは、ハッキリ分かる。
僕は「あぁ、あの坊主で円形ハゲの人ね」という人物となった。

そもそも、坊主というのがややこしい。
多分、霊験あらたかな宗教関係者と区別するためか、単に面倒なのか、たまに坊主自体もハゲとされる。
関西風では「ハゲ散らかしてんなー」となる。

そうなると、坊主でハゲができると、「ハゲにハゲ」という事だ。
ハゲ散らかしてる上に丸いハゲができる、そういう状況だ。

ま、いずれ50絡みのオジサンの外見の話だ。
しかも、穴が開いたわけではない。
ちゃんと蓋はされている。
いきなり脳みそが見えたりはしていない。

帽子をかぶっていない時、そのポッカリ空いた部分に風が当たると、なんだか穴が開いている様な気分にはなる。
それから、ついつい、直径5cmの部分を指で触ってしまう。
頭皮を直接触るのは気持いいのだ。温かい。
ちなみにスキンヘッドはさらに気持ちいい。手のひら全体で気持いい。

で、この円形脱毛話を、遠く離れている何人かの同僚にメールした。
「河童になっちゃいました。直径5cmの皿出現。」

彼らの返信は、直径5cmぐらいでガタガタ言うもんじゃないよ、的な貫禄の反応だった。
なぜ貫禄の反応なのか?
っていうか、メールの本題にはほとんど食いつかず、「そっち!?」的な反応だったのだ。

"同僚"と書いたが、彼らは大先輩。
多分、僕の7、8歳ぐらい先輩か。

なるほど、確かに彼らには半年?ほど会っていない。
彼らは、この冬の豪雪で、頭部における額(ひたい)占有率が既に50%を超えているのかもしれない。
あるいは、僕にはそんな素振りも見せず、頭頂部円形脱毛症に悩んでいたのかもしれない。

僕としたことがずいぶん失礼なメールを送ったものだ。
触れてはならなかったのかもしれない。

直径5cmなんてまさに"屁の河童"だというのはそういう事だったのが。

そもそも円形脱毛が出来るということは、僕はまだ、その円形が不自然だと認識できる程度の頭髪を保持している、ということだ。
これは、50絡みのオジサンにおける「腹筋50回楽勝ですよ」とか「片手腕立て伏せなら任せてください」とかに通じる快挙なのかもしれない。
これは、僕は手放しで喜んでも良い事かもしれない!。

などと、大先輩方々の頭部を想像しながらニヤニヤしていたのでした。

持つべきものは(こんな失礼な後輩を許してくれる)先輩だな。

※教訓※
髪の話題は神にしかしてはならない。

火曜日, 2月 14, 2012

構造的多忙症候群(わりと深刻)


↑は本文に関係ありません。

昔、いや、大昔、小学生ぐらいかな、の頃の話。
なんだかんだとまぁ、毎日、何かしらの宿題があったように思う。
で、当然ながら宿題自体を忘れていなければ、宿題だけはやっていた。
うん。意外にも宿題をやる子だったな。僕は。

で、夏休みや冬休み。
この時は、大量の宿題を抱える。
当時の小学生全てが大量の宿題を抱えていたのだから、日本が宿題一色になっても良い気もするが、そんなことはなく、毎日毎日、宿題のことは忘れて遊び呆けていた。

大量・長期間、というのは、今日一日サボるには好都合なのだ。

しかも、家の手伝いなんか(当時、うちの実家は自営業で慢性的に人手不足だった)を断る手段としても有効なのが「大量・長期間」の宿題の存在だ。

手伝い要求に対し、
「まだ今日の日記帳を書いてない」
「今日は自由研究の虫取りに行く」
「ドリルが終わっていない」
「図工の宿題で風景画を書きに行く」
「笛の練習」
とかなんとか、金銭を伴わない手伝い要求拒否の手段に宿題を持ち出していた。

結果、夏休み最終日は悲惨なものだった。

日記帳は一日目の途中までしか出来ていない、
自由研究は今にも壊れそうな菓子箱に虫の死体が刺さっているだけ、
ドリルは答えを丸写し、
風景画は絵の具調合に失敗した凄い色の抽象画、
笛の宿題は元々あったのか無かったのか記憶がない、(っていうか笛が見当たらない)
という事態に陥っていた。

最終日にどんなに品質を落としても納品しようという健気な少年だったのだ。
このことからも分かるように、「大量・長期」というのは、僕の手に余る。

夏休みの大量・長期タスク処理を、独りでしっかり出来る人の割合は、多分、10%もいないんじゃないかな。
大抵は、怖い先生、もしくは口やかましい親の協力なくしてやるハズがない。
たまたまうちは、「放任主義」だったので、手伝い要求さえ回避できれば最終日まで深刻な宿題要求は無かった。
で、最終日を迎え、自己責任のもと品質を最低に、生産量を最大に、処理していたわけだ。

今思い返して、夏休みの宿題は「期限」が明確で「持ち越し」ができないからマシなのだと気がついた。
この「持ち越しができない」というのは素晴らしいことなのだ。

通常、夏休み明けに宿題を提出する。
夏休み開ける前に宿題を提出するような子供は僕は知らない。
そんなわけで、夏休み明けに宿題を提出する。

それで、まぁ、出したものは、どれもこれも酷い品質だ。
忘れていたり、忘れたふりをしたりして出せないものも少なからずある。
笛の宿題は、宿題も忘れたなら笛そのものも無くなっていたりする。

そんな滅茶苦茶な状況で、更に、宿題の「持ち越し可」だったら最悪だ。
文部省だったらやりそうで怖い、と思ったが、今の僕は小学校の宿題に苦しめられることはないので、やってくれてもいいよ。

そんな「もちこ歯科」じゃなくて「持ち越し可」の時代がやってきたとする。
大量の夏休み宿題を持ち越す。やらなくても持ち越せるのだから最初の夏休みはハッピーだ。

次の冬休み、前回の夏休みの不合格品に冬休みの宿題が加わる。
雲行きが怪しくなる。

これを小学校一年からやっていたとする。
僕の場合だと、多分、小学六年生の冬休みには、ほぼほぼ過去六年12回分の夏冬休み宿題が残っていたことだろう。

これは、親に言い訳をするまでもなく、家の手伝いどころではない。
家中が過去の宿題の残骸で取っ散らかっているであろう。
12個の自由研究、12個の図画工作、12冊の絵日記、12冊の漢字ドリル、12冊の算数ドリル、、、、、

よかった。
あらためて僕の時代は「持ち越し不可」だったため、そんな事態には至らずに済んだ。
いや、いつの時代も「持ち越し不可」でよかった。文部省、ありがとう。

これからも、小学六年の冬休みは、その時の新しい宿題だけ溜めておけばよい事を祈る。
中学へ宿題を持ち越すことも不要なことを祈る。
いやー、よかった、よかった。

振り返って大人の世界。

ありとあらゆる「管理表」が職場には溢れている。
宿題の管理表は「残件リスト」的なものか。

僕の場合は、幸か不幸か、プロジェクトでの仕事になるので「持ち越し不可」「成績のみ持ち越し」なので、プロジェクトが変わる度に残件リストはリセットされる。
どんなに酷いプロジェクトだったとしても、次のプロジェクトに行く際にはリセットされるのだ。
(成績はリセットされない。あしからず。)

しかし、長く同じ職場で安定成長してきたようなケースだとそうはいかない。
宿題は永遠に「持ち越し可」となる。
しかも、小学生の宿題ではない。大人の話だ。
大人らしく、きちんとリスト化され、定期的に進捗をチェックされる。

数年も同じ職場にいれば、「管理表フォームの限界に合わせて最大件数」のリストが出来上がる。
リストの中で本気で対応するのは優先順位が高いもので、後は「着手済み、今月は進捗なし」となる。
優先順位が高いものに手が取られるので必然的にそうなるわけだ。

面白いのは、何年も「着手済み、進捗なし」の残件が、たまたま担当者が異動したりすると、そのほとんどが消えてなくなることだ。
引き継がれないそれらの残件は、その人がいなくなればなくなる運命なのだ。

だったら移動に関係なくリストを整理すればいい、とはならない。
リストに存在していることで「いつかはやらなければならない」事を忘れずに済むという安心がある。
また、「いつでもやれる」事がリストにあるので、忙しくない状態は未来永劫無いことになる。
これは、担当者にとっても管理者にとっても新たな仕事を断る格好の理由となる。

「この新しい取り組みできないかな?」
「出来るわけありませんよ。残件リスト見てくださいよ。」

「君のチームでこの取組できないかな?」
「出来るわけありませんよ。残件リスト見てくださいよ。」

個人、組織に関わらず変化を拒むツールになるわけだ。

かくして、構造的に多忙な状態が出来上がる。
本当に忙しいかどうか、に関係なく、「残件リストで手一杯」なことが証明済みなわけだ。

これを「構造的多忙症候群」と呼ぶ。
だれもそんな風に呼んでいないが僕がそう呼ぶことにした。

はぁ、忙しい忙しい。

火曜日, 2月 07, 2012

ペンギンの集団に豚


先日、身内の結婚式があった。
招待状を直接頂いたので、その際に本人に確認したときも、「いや、できるだけ堅くない会にしたいので平服で」という話だった。

で、先日、行きましたよ。平服で。

で、まぁ、僕には予想外、周囲には予想通りの事態が。

まず最初に通されたのはチャペル。
え?式は聞いてないけど、、、と思いつつ、促されるままチャペルの中へ。

一人だけ平服でチャペルに立つと、なんか僕だけ炊き出しに並んでいるような妙な感じだ。
なぜか、牧師さんの微笑みを見るのが辛い。

儀式を終え、その"会"の会場へ。
南極の氷のように真っ白なテーブルクロスを囲むペンギン(フォーマルなスーツ姿)の皆々様。
そして、なぜか、新郎新婦の真正面、お誕生席に平服の僕。
「平服って言ったじゃーん。僕だけなんでー。ブーブー。」
かろうじて平服がピンクで無かったとはいえ、ペンギンの集団にポツンと豚な状況になった。

そもそも僕の頭の中の"きちんと度ランキング"はこんな感じだ。
会社>普段着
通常はこれしかない。

たまに、本当に滅多に無いのだけど、会社で大切なお客様とお会いする、とか、を考慮すると、
会社(フ)>会社>普段着
だ。
※(フ)はフォーマルの略。ネクタイとスーツと革靴が揃うと"会社(フ)"になる。

これに、ごくたまの結婚式なんかを書き加えると、
フォーマル>会社(フ)>会社>普段着
となる。

"フォーマル"と"会社(フ)"の違いは、ネクタイの色とか、そんな程度だ。
昨今の会社におけるカジュアル化のおかげで、普段着と会社の境界は限りなく縮んだ。
普段着で会社に行ってもバレないのではないか?と、誘惑に駆られる事もよくある。

***
話がそれるが、ここ数年、僕の全ての衣類は縮み続けている。
身体が膨らみ続けているという説もあるがこれはオカシイ。そんな馬鹿な話はない。
何故なら自分の身体が膨らむところを僕は見たことがない。
あるいは、誰か、僕の身体がプーーーーッと膨らむところをみかけたとでも言うのか?

一方、洋服が縮むところは見たことがある。
洗濯機を通過して再登場すれば縮むし、毛糸のセーターなどは毛玉が取れるわけだから、なにかしら質量は減る一方だ。
洋服は縮む一方なのだ。間違いない。

全ての衣類が縮み続けているは、この二つの事実から、正しいのだ。
***

ちょっと興奮してしまった。話を戻そう。
で、今回、"平服"という新たな設定が入ってきた。

僕も何も考えていないわけではない。何はともあれ50絡みのオジサンなのだ。
"平服"という、あまり日常使わない用語を目にして、ちゃんとランキングを考えた。
(そもそも、一直線上のランキングでしか身なりを考えられないのはどうなのだろう。。)

フォーマル>>>>会社>平服・普段着
いやいや、そんな言葉通りの意味で考えるほど浅はかではない。
もうすぐ50歳になろうとしているのだ。

さらによくよくよく熟考して、このように書き換えた。

フォーマル>会社(フ)>平服>会社>普段着

どうだ。完璧だ。


平服だから前日移動に、もう、その格好で移動できる。
新幹線に乗っても、「あの人、平服ね」と思われても「あの人、これから結婚式ね」なんて思われないのだ。

前日には、ほぼ出席する格好で知人に会った。その時も、
「なんか、いつもと違ってきちんとしているじゃん」
という評価だったのだ。

そりゃそうだ。
普段着より二段階もランクが上なのだ。
普段着ならサンダルのところを、きちんと、靴下に加え、防寒靴を履いているのだ。

平服をわきまえた50絡みのオジサンなのだ。

なのにペンギンとぶたになってしまったわけだ。

なぜだ。

そもそも平服ってなんだ?と思いググッてみた。
平服とは「普段着」のことだ。間違っていない。

が、よくよく読み進めると、平服とはいえ「結婚式」なのだとしたら、それなりの平服でなければならないのだそうだ。
紋付袴のところをスーツにする、ぐらいの感覚が一般的らしい。

Q&Aサイト、オールアバウトに全然アバウトではなくはっきり書いてあった。
そんなにはっきり書くなら、オールクリアにサイト名を変えて欲しいところだ。

http://allabout.co.jp/gm/gc/225375/

[AllAboutの抜粋]
親戚や年配の人が多いパーティなら、いくら平服でとはいっても、みんなそれなりの格好をしてくるでしようから、あんまり砕けすぎた服装は禁物。。。中略
反対に、友人はじめ若い世代が多いパーティであれば、少しカジュアルダウンしても大丈夫。男性ならノーネクタイでもよいのでは?


。。。そうだったのか。
要するに、"平服"とは、絶対的な基準があるわけではなくイベント内容や地域、場所などを勘案し、相対的に決まっていくということのようだ。

うーむ。
たしかに、年配の人が少なくなかった。というか、僕が年配なわけだし。

さらにもう一つ気がついた。
どうも僕の普段着がオカシイ、ということだ。
平服、という若干の緊張によって、僕の平服は普通の人の「普段着」になったらしい。

今後は、"平服で"と言われたら、"平服の平服"を考えねばならない。
なんだかバカボンのパパみたいだが、そういうことだ。
「普段着の平服は、平服の平服なのだ。それでイイノダ。」

ということで、普段着がボロ過ぎる点について自覚せよ、と学んだのでした。
なんにせよ、結婚したお二人はお幸せに。

※はみ出し
 昔、やはりカジュアル化の進む職場で、何故か僕が「新卒者向け会社説明」をやるハメになったことがある。
 この時、「スーツ着用のこと」と指示されたのだが、その指示書には、丁寧に、「間違ってもウェットスーツではありませんから」と注意書きがされていた。
 フォーマル関係については、昔から疎いらしい。

木曜日, 2月 02, 2012

「買わないで」という広告

↑はpatagoniaのポスター。ソースはこちら。

ここのところ、「買わないで済ませる快感」をどうやって得られるか、なんて事をぼんやりと考えていた。
買わないで済ませる、と言っても、欲しい気持ちを抑えて、という事ではない。
「欲しいと感じない」ってところ。
そっか、「欲しいと感じない開放感による快感」ってことか。

きっかけになったのは、車。
たまたま、弟から、数年前に亡くなった父の車を譲り受けたのだ。
10年以上前の車とは言え、すこぶる調子が良い。

もうずいぶん前から車に使われる鉄が改良されて錆びにくくなっている。
塗装技術も進んでいる。
昔のように、日に焼けて塗装がくすんだり、ボロボロと零れ落ちるようにサビたり、は、そうそう10年足らずではならないのだそうだ。

自動車メーカーが「耐久年数が倍増しています」とテレビCMでアピールしてもいいだろうに、なんだかなー。

そうやって、父が思い入れていたかどうかは知らないが、父の車を使うようになると、もう、車を買い換える、っていう事に惹かれ無くなったのだ。
譲り受けた時、旧式のカーステレオだけ載せ換えて、"これがベスト"というか、自分の年齢から"これが最後の車"という感じ。

おかげ様で、車のテレビCMも気にならないし、本屋さんで車の雑誌を手に取ることもない、街で高級車を目で追うこともない。
言葉にするのは難しいが、一つのどうでもよいことから解放された感じだ。
(こう書いていると、今まで、車が趣味だったわけでもないのに、どんだけ物欲に囚われていたのか、と、情けない気持ちになる。)

この「開放感」が気持いい。
購入した時の高揚感や嬉しさは手にした瞬間から薄れ始めていくのに対し、購入意欲からの開放感の方はピークこそ無いが永遠に続く快感なのだ。

もう少しわかり易い例としては、食べ物があるだろう。
若いうちは目移りするのも仕方ないが、50年近くも生きていると、
「蕎麦なら△△」とか「カレーなら○○」とか「□□のラーメン」のように、もう、他では代替の利かない食べ物がいくつもある。
※ローストビーフなら××という例が思い浮かばない食生活であった。。。

それのモノ版だ。
食べ物なら時間を空ければ何度でも食べられるかもしれないが、大抵のモノは一つあれば充分だ。

食べ物のお気に入りのようにモノに対しても素直にお気に入り(代替の利かない)を見つけられれば、目移りしない開放感/快感を得ることが出来る。
ヒトに対しても素直にお気に入り(代替の利かない)という価値を高めれば、家庭崩壊や不幸な結婚などといった問題も少なくなるかもしれない。

うーむ。ここに気がつくまでおよそ50年かかった。

ちなみに、この感覚を「嘘だろう」と思う方は、僕に、"父の車を手放すこと"と"換金しないこと"を条件に車の提供を提案して欲しい。
果たして、どれぐらいの価値を感じているのか、が試せるだろう。
意外に、簡単に乗り換えたりして。
(笑)

冒頭のポスターは、去年のクリスマスシーズンにpatagoniaが、環境保護とビジネスの矛盾に自ら切り込んだ、ポスターだ。
patagoniaの創業者は「自分たちの環境保護活動が寄与する以上に環境保護を進められるなら、自分達のビジネスはいつでも止める」ような事を言っているし、売上(利益ではない)の1%を環境保護団体に寄付しているのは有名な話だ。

で、いよいよ、「買わないで」という広告に至ったわけだ。
僕の「売らネット」構想とも合致する。←だからどうした!

「売ってるくせに買わないでは無いだろう」というツッコミはあるかも知れないが、少なくとも、自己矛盾を率直に認める姿勢は"買える"。

水曜日, 2月 01, 2012

"暗号解読"トピックス 「コンピューターの父と暗号」



20数年前、この業界に入った頃に耳に残っている「コンピューターの歴史上の人物」がいる。
その二人が「暗号解読」でも登場し、スーパースター的な活躍をしていた。

・チャールズ・バベッジ(1791-1871)
 "階差機関"という言葉をかろうじて覚えていた、それを作った人。「コンピューターの父」と呼ばれる。
 この人が当時「解読不可能」とされ、ヨーロッパ中で使われていたヴィジュネル暗号を解読し、イギリス政府はそれを秘匿する事で数年間ヨーロッパ中の軍事・外交文書他を解読していた、とされている。

・アラン・チューリング(1912-1954)
 「計算機科学の父」と呼ばれる。バベッジの概念をより具体化した形式化手法を考えた人とされる。
 っていうか、チューリングがコンピューターの父、バベッジがコンピューターの祖父、で良いではないか!?
 その人が第二次世界大戦でドイツが使用していた暗号"エニグマ"を解読していた!とは知らなかった。
 ついでに、彼は同性愛者だったのだそうだ。これまた驚きだ。

 彼がエニグマの解読のために作った「Bombe」という機械は計算を行える機械、コンピューターの原型だったようだが、終戦と共に廃棄されたという。
 暗号周辺では、こうやって、闇に葬り去られる技術やヒーローが多い。

第二次世界大戦時の暗号解読組織(英国政府暗号学校:ブレッチレイ・パーク)の活動が1974年に公開されるまでチューリングの功績は一般に知られていなかったのだそうだ。

僕が20数年前に習った「世界最初のコンピューターはENIAC(エニアック)」は、最近では「世界最初の汎用コンピュータ」と言い換えられている。ENIAC以前に同様のマシンがあったからだ。
・チューリングのBombeを作ったイギリス政府の暗号解読組織が1939年にコロッサスという電子機械を開発していたこと。(秘密裏に戦後廃棄されたらしい)
・あるいは、同年、アイオワ州立大学でアタナソフ・ベリー・コンピューター(ABCマシン)が公開されていたのだ。

ということで、今、「未来を変える本当の技術」は、僕らの目に触れない所で粛々と開発され使われているのかもしれない。
現在ネットで使われている暗号技術が全て無になる、と言われる量子コンピューターなんて、既にあるのかもねー。
※軍事/政治的に、暗号解読は、解読できたことを悟られないようにして解読し続けるらしい。