木曜日, 2月 02, 2012

「買わないで」という広告

↑はpatagoniaのポスター。ソースはこちら。

ここのところ、「買わないで済ませる快感」をどうやって得られるか、なんて事をぼんやりと考えていた。
買わないで済ませる、と言っても、欲しい気持ちを抑えて、という事ではない。
「欲しいと感じない」ってところ。
そっか、「欲しいと感じない開放感による快感」ってことか。

きっかけになったのは、車。
たまたま、弟から、数年前に亡くなった父の車を譲り受けたのだ。
10年以上前の車とは言え、すこぶる調子が良い。

もうずいぶん前から車に使われる鉄が改良されて錆びにくくなっている。
塗装技術も進んでいる。
昔のように、日に焼けて塗装がくすんだり、ボロボロと零れ落ちるようにサビたり、は、そうそう10年足らずではならないのだそうだ。

自動車メーカーが「耐久年数が倍増しています」とテレビCMでアピールしてもいいだろうに、なんだかなー。

そうやって、父が思い入れていたかどうかは知らないが、父の車を使うようになると、もう、車を買い換える、っていう事に惹かれ無くなったのだ。
譲り受けた時、旧式のカーステレオだけ載せ換えて、"これがベスト"というか、自分の年齢から"これが最後の車"という感じ。

おかげ様で、車のテレビCMも気にならないし、本屋さんで車の雑誌を手に取ることもない、街で高級車を目で追うこともない。
言葉にするのは難しいが、一つのどうでもよいことから解放された感じだ。
(こう書いていると、今まで、車が趣味だったわけでもないのに、どんだけ物欲に囚われていたのか、と、情けない気持ちになる。)

この「開放感」が気持いい。
購入した時の高揚感や嬉しさは手にした瞬間から薄れ始めていくのに対し、購入意欲からの開放感の方はピークこそ無いが永遠に続く快感なのだ。

もう少しわかり易い例としては、食べ物があるだろう。
若いうちは目移りするのも仕方ないが、50年近くも生きていると、
「蕎麦なら△△」とか「カレーなら○○」とか「□□のラーメン」のように、もう、他では代替の利かない食べ物がいくつもある。
※ローストビーフなら××という例が思い浮かばない食生活であった。。。

それのモノ版だ。
食べ物なら時間を空ければ何度でも食べられるかもしれないが、大抵のモノは一つあれば充分だ。

食べ物のお気に入りのようにモノに対しても素直にお気に入り(代替の利かない)を見つけられれば、目移りしない開放感/快感を得ることが出来る。
ヒトに対しても素直にお気に入り(代替の利かない)という価値を高めれば、家庭崩壊や不幸な結婚などといった問題も少なくなるかもしれない。

うーむ。ここに気がつくまでおよそ50年かかった。

ちなみに、この感覚を「嘘だろう」と思う方は、僕に、"父の車を手放すこと"と"換金しないこと"を条件に車の提供を提案して欲しい。
果たして、どれぐらいの価値を感じているのか、が試せるだろう。
意外に、簡単に乗り換えたりして。
(笑)

冒頭のポスターは、去年のクリスマスシーズンにpatagoniaが、環境保護とビジネスの矛盾に自ら切り込んだ、ポスターだ。
patagoniaの創業者は「自分たちの環境保護活動が寄与する以上に環境保護を進められるなら、自分達のビジネスはいつでも止める」ような事を言っているし、売上(利益ではない)の1%を環境保護団体に寄付しているのは有名な話だ。

で、いよいよ、「買わないで」という広告に至ったわけだ。
僕の「売らネット」構想とも合致する。←だからどうした!

「売ってるくせに買わないでは無いだろう」というツッコミはあるかも知れないが、少なくとも、自己矛盾を率直に認める姿勢は"買える"。

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