木曜日, 12月 21, 2006

士農工商制度の復活

硫黄島の話はこの間書いたけど、当時の日本人が降伏より自害をせざるを得ない状況は、まったくもって酷い話。



ハラキリも敵前での自害も武士道カルチャーの様に思ってたんだけど、あの大戦では、軍が巧妙に末端の兵士や民間人にまでハラキリを浸透させただけで、そもそものハラキリは、士農工商制度下で絶対的な支配階級の武士達が、自らを律する意味でハラキリしていて、士ではない農工商階級はそんな制度とは無縁だったはずだよなと、いまさらながら気がついた。



現代の官僚も武士道を、いっそ士農工商代わりの官農工商制度で官に尊厳を与えたらどう?

火曜日, 12月 19, 2006

UIの革命によるマーケットの拡大

その昔,PCでも同じような変革があった.これはCUIからGUIに変わった時期,

尚且つ,ハードが手に入れやすい価格まで価格破壊があった時期,そう,

1993年のWindows3.1の時だ.

wiiが提案したのは、ゲームコントローラー=UIの変革だとつくづく思う。

旧来のカウチ型からスタンド型?なんて呼ぶかわからんがとにかく変わった。



であれば、PC業界のCUI/GUI変革レベルのインパクトがある出来事と思えて仕方がない。



その昔、CUIであってもコンピューティングパワーに魅力を感じたPC利用者層と

カウチ型ゲーム機の購買層はおおむね重なる、、、

重なる、、は言い過ぎとしても、同じぐらいの人口ではないか?

この仮定を検証してみよう.



①ゲーム機販売台数→1500万台程度。(PS2が1000万台強,GCが500万台)

②93年のCUI-PC出荷台数→200万台×4年として800万台

③93年ワープロ専用機出荷台数→200万台×3年として600万台

①≒②+③,,,1500万台≒1400万台!!

おぉ。なんとなく近い。



Windows3.1発売と同じインパクトがあると想定した場合,Windows3.1以前は

おおよそ400万台/年間(ワープロ専用機含む)程度の出荷台数だった.

これが,2000年頃まで6年かけて毎年1000万台ペースまで成長した.

4年から5年程度は使うと仮定すると,市場には5000万台程度が使用される

状態で出回っていると予想されます.



さて,wiiがUIの変革を業界にもたらしたとしたら,今後5年ぐらいで4000万台

程度、もしくはそれ以上のマーケットが望めるということになります.

しかも最初からリビングに置かれる。。。



これはすごい.wiiの開発コード名がrevolutionなのもうなずけます。

火曜日, 12月 12, 2006

硫黄島からの手紙

観てきました。



壮絶なんだけど醒めた主人公の視点のでままに淡々と、ラストシーン直前まで淡々と観ていられました。

ラストで一気に、あの戦地で命を落とした全ての個人の思いが体中を駆け巡り、涙が止まらなかった。



エンドロールが終わり切るまで誰も立ち上がらない映画でした。

月曜日, 12月 04, 2006

Wiiゲット!

いやぁ、読み通りとは言え、フラッとヨドバシに寄ってサラッとゲットしちゃいました。Wii。



いよいよ、年明けは早過ぎとはいえ、近いうちにNintendo-cafeがチェーン展開だな。カラオケボックス店は当然常備するだろうし、ゲーセンだってウカウカしてられない。新体感ゲーが家庭で手軽にっていうより、これから湧いて出てくる「ネオファミリー=wiiで繋がる家族」達のマーケットを指咥えて見てられんでしょ。

スポーツジムも、マイコントローラー(マイコン!)対応して、家でもジムでも同じエクササイズメニューをシームレスにできなきゃ閑古鳥が鳴くかも。



初めて、本気でデジタルプロファイルを持ち歩く時代がやって来た。ヤァヤァヤァっす。



いやぁ、任天堂が花札の会社だったのを忘れてたけど、博打の道具(娯楽のインフラ)を提供するのがミッションなんだね。博打は女子供には(ゲームは高齢者+大人の女性)敷居が高かったけど、今回は本気で賭場を各家庭まで広げるのでしょう。