水曜日, 2月 21, 2007

尊敬する人

父の見舞いに行った。



末期の咽頭癌。

半年ほど前からハスキーボイスで、家族が病院に連れて行こうとしたが、頑として聞かず、先週、ようやく診断を受けた。



声はほとんど出ない。入院治療開始前の週末、家でいつもどうりに過ごしていた。



いつものブスくれた態度。もはや長年の付き合いの家族には、それが機嫌がいい悪いではなく、父そのものだと、家族の風景に化した父の姿。



「痛みは無い」という父の言葉に首を傾げる医者。

そうなんだよ。父は痛みを感じないわけじゃない。痛みを認めない、そういう人なんだ。



痛みを表現しても何も生み出さない。父はそう信じて疑わない。人とのコミュニケーションを嫌い、あかしやさんまを大嫌いだと言う父。



日常会話すら自分勝手な、ましてや僕達息子への教育なんて成り立たない偏屈なオヤジ。休日は常に競馬場。ギャンブラー的な自営業は貧乏大臣の繰り返し。酒は何十年も欠かさない。

最近では風呂に入らない事も定番化。



でも、あなたは自分の痛みを認めない。痛みを訴えない。それが父が生き様を通して僕に教えてくれた事。

土曜日, 2月 03, 2007

コロンボは地名 or 刑事?

恥ずかしいことだが、今日、スリランカの首都がスリジャヤワルダナプラコッテだと知った。コロンボだとばかり思ってました。


で、無知の言い訳にしかならないが、調べると1985年にコロンボからスリジャヤワルダナプラコッテに遷都させている。



この1985年がミソで、この時に社会人で新聞を読んでいれば、名前こそ空では言えないがコロンボで無くなった情報が、記憶のどこかに留められたであろう。

一方、1985年に学生、それも大学入学前の学生であればスリランカの首都を何らかの学生の知識として覚える機会に恵まれたであろう。



さて、この時にいずれにも属さないプーだった僕は、"スリランカの首都はコロンボ"情報を後生大事に墓場まで持っていきかねない状況だったわけだ。



ということで、1985年を境にコロンボのイメージがああだこうだと変わることにちょっと驚いた金曜の夜なのでした。