筋肉痛の月曜日。
週末に何があったかは別途。
木曜日, 5月 20, 2010
月曜日, 5月 17, 2010
日曜日, 5月 16, 2010
金曜日, 5月 14, 2010
良いモノを良く作るということ
たまたま見かけた新型扇風機のニュースに、「バルミューダ・デザイン」という会社が紹介されていた。
製品は明らかに魅力的すぎて、きっと、Apple的な「信奉者」を次々と産み出していることだろう。
https://www.balmuda.com/store/
パタゴニアの創業者イヴォン・シュイナードの本を読んでもそう思ったが、「良いモノを作る」ことは掛け値なしに良いことだ。しかし、「良いモノをたくさん作る」は必ずしも良いこととは言えない。
良いものであればあるほど、そのモノの良さレベルに適した「たくさん」があるに違いない。
バルミューダ・デザインの商品も、パタゴニアの商品も、共通の特徴がある。
それは、他企業が販売する同類商品の価格体系となんの連動もしていない、ということだ。
要するに、バカ高いのだ。だから、たくさん作らずに済んでいる。
たくさん作らずに済んでいるからこそ、ますますブランドイメージが確立していく。
同じような「高い感性」や「バカ高い」と言えば、以前のAppleの商品があった。
ところが、最近のAppleは、「バカ高い」わけではなく、やや高い程度で、その代わり、それこそ猫も杓子にも売れまくっているようだ。
もはや、Appleという会社名なんて知らず商品名しか知らない購入者の方が大いに違いない。
そうなると、例えば、iPhone by SONYだって、iPod by TOSHIBAだって、「たくさん」を支える普通の購入者にとっては何だって良くなってくる。Appleである必要はないのだ。
そう考えると、皮肉にも、今のひとり勝ちに見えるAppleの状況はビジネスの持続可能性から見ればリスクがとてつもなく大きい状態だとも言えそうだ。
それらの商品はとても良いモノだとしても、たくさん作り過ぎてしまえば、価値は無くなる。
まぁ、最近のスティーブ・ジョブズは、ハード(iPod)はキッカケでソフトビジネス(iTunes/App Store)を成功させたいだけのようだから。
(mp3プレーヤー市場を制した際には、大手メーカーで唯一メディアビジネスをしていなかったのが幸いして市場を制覇したのはAppleだったのだけど。。。。)
バルミューダ・デザインの代表寺尾玄さんは、「モノを少なく」「長く使える優れたモノ」と言う。
そして、イヴォン・シュイナードは、「(利益追求を最優先させずに)持続可能なビジネス」「売上高(利益ではない)の1%を環境保護に寄付」と言う。
本当に良いものなら『たくさん売る(作る)のではなく、長く売り(作り)続けなければならない』のだ。
母の実家には小さいながら田んぼがある。
今も、年老いては来たものの、叔父夫婦と息子たちが、その田んぼで自分たちが食べるぐらいのお米を作っている。
この間のGWに遊びに行って、そのお米を分けて頂いた。ここのところ、叔父の田んぼでとれたお米から僕はエネルギーを得ている。
昔から変わらない小さな田んぼ。
多分、「水のみ百姓」の田んぼとして代々受け継がれてきた田んぼなのだろう。
そういえば、叔父も祖父も、専業農家をしてはいなかった。もともと家族が食べるお米の為の田んぼなのだ。
持続可能とは、そんな「分を知る」事から始まるに違いない。
ちょっと頑固で意固地な叔父だが、今さらながら僕は信奉している。
そのお米は旨い。
そして、良い米というだけでなく、良く作られた米だ。
↑貧乏な僕は買わないけどね。笑
木曜日, 5月 13, 2010
水曜日, 5月 12, 2010
no live, no life
坂本龍一のインタビュー記事で、音楽のライブ回帰を語っていた。
http://www.phileweb.com/interview/article/200908/31/25.html
レコードが登場する以前、全ての音楽は「ライブ」だった。
ライブのコピー(CDやダウンロード)も楽しめることは楽しめるが、どんなに気合を入れて聞いたところで、ライブとは別物。
ライブだけが人と人との本当の関わりなのだ。
人との関わり、という意味において、コピーがライブを超えることはない。
(コピーであるCDなどを聞いて楽しむ、コピー音楽の楽しみを否定するわけではない。)
恥ずかしい事に最近知ったのだが、ソクラテスは全く文章を書き残すことをしなかったそうだ。
Wikipediaによると、その理由は、
「話し言葉つまり「生きている言葉」は、書き留められた言葉の「死んだ会話」とは違って、意味、音、旋律、強勢、抑揚およびリズムに満ちた、吟味と対話によって1枚ずつ皮をはぐように明らかにしていくことのできる動的実体である。。。」
「書き言葉が記憶を破壊する。。。」
などとなっている。
一度読んでハマった"Presentation Zen"も全く同じ考え方だ。
読めばわかることをわざわざ目前でプレゼンすることの無意味さ、勿体なさ。
ライブだからこそ伝えられる方法。
先日のゴールデンウィークに孫娘が遊びに来ていた。
まだ二歳にも満たない彼女は、パパかママに本を読んでもらいたがる。
まだ、字はおろかストーリーさえ理解しているかどうか怪しい。
それでも、不思議なことに、片手間で読んであげたのでは駄目だし、ビデオでもダメだ。
あくまで、今、ここに確かに存在する、自分への愛情に溢れた親が、自分だけを見つめて読んでくれなければ納得しないのだ。
その瞬間を共に過ごすしている事自体が奇跡だということ。
これがライブだ。
今、ここに存在する自分だからこその何か、を忘れてはいけない。改めてそう感じた。
http://www.phileweb.com/interview/article/200908/31/25.html
レコードが登場する以前、全ての音楽は「ライブ」だった。
ライブのコピー(CDやダウンロード)も楽しめることは楽しめるが、どんなに気合を入れて聞いたところで、ライブとは別物。
ライブだけが人と人との本当の関わりなのだ。
人との関わり、という意味において、コピーがライブを超えることはない。
(コピーであるCDなどを聞いて楽しむ、コピー音楽の楽しみを否定するわけではない。)
恥ずかしい事に最近知ったのだが、ソクラテスは全く文章を書き残すことをしなかったそうだ。
Wikipediaによると、その理由は、
「話し言葉つまり「生きている言葉」は、書き留められた言葉の「死んだ会話」とは違って、意味、音、旋律、強勢、抑揚およびリズムに満ちた、吟味と対話によって1枚ずつ皮をはぐように明らかにしていくことのできる動的実体である。。。」
「書き言葉が記憶を破壊する。。。」
などとなっている。
一度読んでハマった"Presentation Zen"も全く同じ考え方だ。
読めばわかることをわざわざ目前でプレゼンすることの無意味さ、勿体なさ。
ライブだからこそ伝えられる方法。
先日のゴールデンウィークに孫娘が遊びに来ていた。
まだ二歳にも満たない彼女は、パパかママに本を読んでもらいたがる。
まだ、字はおろかストーリーさえ理解しているかどうか怪しい。
それでも、不思議なことに、片手間で読んであげたのでは駄目だし、ビデオでもダメだ。
あくまで、今、ここに確かに存在する、自分への愛情に溢れた親が、自分だけを見つめて読んでくれなければ納得しないのだ。
その瞬間を共に過ごすしている事自体が奇跡だということ。
これがライブだ。
今、ここに存在する自分だからこその何か、を忘れてはいけない。改めてそう感じた。
火曜日, 5月 11, 2010
プロジェクト式学習
たまたま、次世代の教師のあるべき姿についての対談を読んでいて、PMにもとって
も大切だなと感じる事が挙げられていました。
http://journal.mycom.co.jp/articles/2010/04/30/21st_century_skills_intel/001.html
それは。。。
・○×式ではなく、記述型の質問を行う → 生徒が批判的思考や問題解決のスキルを身に付けることに繋がる
・子どもたちと一緒に、よりプロジェクト型の学習を行う → 生徒が自発的に、きちんと方向性を決定できる
・教室の中で、協力を促すグループ分けを行う → コラボレーションの力を養う
・教員自らが意味のある形で、ICT技術を教室で使う → 子どもたちにICTスキルが身に付く
これの"生徒"や"子供達"を"プロジェクトメンバー"に、"教員"を"PM"に、"教室"を"プロジェクト"に置き換えると、
・○×式ではなく、記述型の質問を行う → プロジェクトメンバーが批判的思考や問題解決のスキルを身に付けることに繋がる
・プロジェクトメンバーと一緒に、よりプロジェクト型の学習を行う → プロジェクトメンバーが自発的に、きちんと方向性を決定できる
・プロジェクトの中で、協力を促すグループ分けを行う → コラボレーションの力を養う
・PM自らが意味のある形で、ICT技術をプロジェクトで使う → プロジェクトメンバーにICTスキルが身に付く
最後のICT技術は、まぁ、僕の業界では当然として、最初の三つは大切だ。
「記述式の質問を行う」
最近、ちょっとしたグループ内説明などのプレゼンピッチを配布資料と別に用意するようにした。
そして、そのピッチは、基本的に文字はない。会社のロゴも入っていない。一ページに一枚の写真があるのみだ。
これは、「Presentation ZEN」を読んで実践したまでなのだが、効果は絶大だ。
そして、必然的に○×方式の会話は無くなり、記述式(出席者オリジナル)の意見交換に繋がることが多い。
要するに、「考える」ようになるのだ。
そして、この項目でもうひとつ大事なことが書いてある。それは、「プロジェクトメンバーが批判的思考を身につける」ということ。
教育の現場で奨励されているのに、会社では批判的思考を嫌うマネジメントが多いのはとても残念。
「プロジェクト型学習」
どうもこれは教育業界のトレンドらしいのだけど、要するに、教科書で汎用化された知識を詰め込むのではなく、身近な課題を学習テーマとして取り組むことのようだ。
何故、身近な課題なのかというと、実感を伴う高い「モチベーション」により、「自ら学ぶ」主体的な学びの姿勢を身につけさせるのが目的だからなのだそうだ。
これはプロジェクトに置き換えると、プロジェクトメンバーは作業担当者ではなく、自らの問題意識をもってプロジェクトに参加するということだ。
「コラボレーション」
言うまでもなく、PMが作成したWBSは、PMの想像力を超えることはない。
WBSひとつとっても、メンバーとのコラボレーションにより、より精度の高い、本質的な、リスクを抑制したものになるだろう。
カンバン方式は完成された"方式"だった点で作業になってしまったが、GEのシックスシグマのように普遍的に利用可能な改善活動においてコラボレーションなしに「マトモな」改善などあり得ない。
「ICT活用する」
それなりにね。但し、これが教育現場での話となると、資本主義的には子どもたちが手にするのは思想ではなくモノだったりするのが気に掛かるな。
最近のエコブームも「エコな思想」よりも「非エコな買い替え」の方が断然普及しているし。。
ということで、教育業界がプロジェクト式学習が流行るのなら、教育業界がPMを募集する日も近い!?
少なくともやりがいのあるプロジェクトになりそうだ。
土曜日, 5月 08, 2010
金曜日, 5月 07, 2010
月曜日, 5月 03, 2010
日曜日, 5月 02, 2010
土曜日, 5月 01, 2010
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