木曜日, 11月 25, 2010

たまには

ランチ情報。

水曜日, 11月 24, 2010

大手貸ビデオ屋さんの狙い


近所の超安貸ビデオ屋さんも、概ね、借りたいものが無くなってきて、最近は通勤途中にある大手貸ビデオ屋さんに行くことが増えた。
その貸ビデオ屋さんでの話。

ここでは、よく、「○本で1000円」セールをやっている。
そうすると、こちらも、「5本で1000円だったら、5本借りちゃう~」となって、ま、とっても素直な消費者として、貸ビデオ屋さんのマーケティング部門かコンサルタントか消費者庁かなんかに表彰してもらいたい、そんな感じ。

で、不正確な記憶なんだけど、確か、以前は、「新作旧作なんでも○本1000円」とか、「旧作○本1000円」だったのが、最近は「新作□本、旧作△本合わせて○本1000円」とか、まぁ、いくつかパターンがあるようだ。

そして、先日のそのビデオ屋さんでの出来事。

もはや大手貸ビデオ屋さんに行ったらデフォルトで○本1000円セール。
今回は、四本らしい。で、太っ腹、全部新作でも良いということらしい。
「ふむふむ。じゃあ、珠玉の四本を選んでやろうじゃないの」と鼻の穴も膨らむ。

貸ビデオ屋さんでの楽しみは「選ぶ楽しみ」だ。
僕の場合は、よくよく考えると、絶対に借りない分野がある。
ここ、北九州に越してきてからは、任侠物が割と目立っていて、パッケージを手にとってみたりまではしたのだけど、結局、借りる気にならない。
あとは、アイドルが出演していることだけがウリのやつも借りないかな。
そして、間違っても借りないのが、「ホラー」だ。
もともとホラーは借りなかったけど、今では神社の中で暮らしている事もあって、そーゆーのは避けたい。避けねばならぬ。


一方で、時間をかけてじっくり棚を見るのが、「ドラマ」だ。中でも、"実話"に弱い。
あとは、その時々のマイブームがあって、戦争ものを見続けることもあるし、やたらタイトルの長いヨーロッパのアナログなアクション系「狼の涙が男達を濡らす。そして、血まみれの羊たちがいなくなった。」みたいな長いタイトルのやつにハマった時期もあった。最近は、クラシック音楽作曲家系にハマっている。

そんな風に、独り、あーだこーだと考えながら珠玉の四本を選び出す。
週末の価値を左右する珠玉の四本だ。

三本決まった。あと一本。
あれこれ探していたけど、ようやく、二本に候補を絞り込んだ。

「今週観るならどっちよ、どの気分よ」とか「明日の天気に似合うのはどっちよ」とか、要するに、どうでもいい事で悩みながら最後の一本を決めるのだ。

結局、ちょっと前のマイブームで見逃していた一本に四本目が決まった。
何か、大仕事を終えた爽快感と若干の疲労感を感じながらレジに進む。

帰って観る頃には忘れるんだけど、今なら、今日のチョイスのポイントを説明できる。が、誰もそんなオジサンの話し相手にはなってくれはしない。

仕方ないので、レジに並ぶ。
会員カードを出し、店員さんからの、ポイントは?との問いに
「貯めといて」
と答える。

若い店員さんはバイトだろうか。いつの間にか、僕は、こういう店のバイトの子達の親の年代になったんだなぁ、などと考えながら、レジのピッピッ音を聞いている。

計四本のレジ打ちが終わったとき、そのバイトらしきレジ打ちの女の子が僕に聞く。まさかの「今日のチョイス、イケてますね。ニコッ。」などとはならない。

「ただいま、当店では"新作四本1000円キャンペーン"をやっておりまして、お持ちいただいた四本のうち二本が新作、二本が旧作となっております。この新作二本だけでXXX円になりますので、新作を二本追加したほうがお得ですがいかがなさいますか?」

僕の思考は彼女の言葉の速さに追いつけない。
若い女の子だと油断していた。実は、キャンペーン内容を説明させたら日本一早口なのではないだろうか。

とにかく整理されずにいた僕の頭の中から捻り出てきた言葉はこうだ。
「えっと、あと二本、新作を追加すればお得なんだね?じゃあ、すぐ二本選んできますね。」

大手貸ビデオ屋さんのマーケティング部か雇われたコンサルの勝利の瞬間だ。
既に選んだ珠玉の四本のうちの二本を選びなおす、という選択肢は僕には考えられなかった。二本追加だ。

しかもだ、なんだかわからないが、一旦レジに並んだ以上、次の二本は超速で探さなければならない使命感みたいなものを感じてしまっている。
僕に残された、この大手貸ビデオ屋さんでの滞在時間はもう残り少ない。と感じてしまうのだ。

そそくさと、新作コーナーに舞い戻る。

こーゆー時の選択は、珠玉の四本の時とは全く違う。
さっきもザーッと見た棚だ。ちょっと気になったヤツがあるじゃないか。選択ハードルを下げれば良いだけだ。

一本はこのイマイチだけど話題作にしよう。
もう一本は、さっき、おもわず手にとってジッと見つめてしまった、内容はよくわかんないけど、きっとミステリー的なやつ。
ジッと見つめたのは、そのパッケージの女優が、普通に洋服を着ているくせに扇情的な感じを受けたからだ。

そうして、僕は四本セールだったのに、計六本を借りて家に帰る。

そんなこんなで、帰って一番最初に観始めたのは、結局、その扇情的な感じのパッケージの映画。
そのDVDをセットしながら、自分ながら笑ってしまう。「結局、これを最初に観るのかよ!」。

ちょっと高揚した気分もありつつ、映画を見始める。
確かにパッケージの写真の美女が出ている。なかなか色っぽい。

そして数分後、その美女が人肉を食べる悪魔に変貌し、僕はDVDを止めることも、その美女が変貌した恐ろしい悪魔のシーンに目をつぶることもできず、ただただ、寝付きの悪い寒い夜を迎えることになったのでした。

「美女に気をつけろ」
その映画のテーマはしっかりと僕の心に刻み込まれました。

火曜日, 11月 23, 2010

QNAP NMP1000後継モデルNMP-1000P


うちのNMP-1000が内蔵電池が切れ日付はいつも2000年、内部HDDの認識は電源投入時の電源二度押し必須、と、息も絶え絶えになりつつある今日この頃。
後継チップでパフォーマンス強化された後継機種NMP-1000Pが発表されています。
12月中旬出荷開始、らしいです。既にNMP-1000P用のアップデート用ファームウェアも発表されているから、ま、出てくるんでしょう。

外見も含め、概ね、おんなじような機能なんだけど、細部は大分見直されたようです。変更点をまとめておきます。
・CPU Sigma Designs SMP8635→SMP8643
・RAM 256M DDR→512MB DDR II
・Flash Memory 64MB→256MB
・S-Video 有り→無くなった
・Digital Audio - Coaxial 有り→無くなった
・Enhanced Audio(High performance Wolfson WM8524 stereo DAC)対応
・eSATA Host対応
・Advanced HD Movie Menu Navigation対応
・Next Generation HD Audio Passthrough対応
・Max Remote Disk Connections 6→32
・Music CD Rip (as WAV files)対応
・Support USB CD/DVD/BD drive for playback of user-authored discs対応!
・Support USB keyboard for text entry対応!
・Auto-rotation of photos based on EXIF対応!
・ネットワークファイル転送速度の大幅な改善

というところ。
キーボードがつながったり、BDドライブを繋げられるのは良いです。
スピードが速いであろうことは手に入れてから確認。

値段は\35,000-ぐらいらしい。
前モデルは\40,000ぐらいで売りだされたから、円高差益還元価格か!?
12月中旬かぁ。

多分、Google TVセットトップボックス(Logitech Revue)が3万円程度で出てくることを考えると、様子見かなぁ。
いずれにせよ、リモコンでメディアファイルを扱える便利さは手放せません。


月曜日, 11月 22, 2010

(サーヴァント)リーダーに求められるスキル


ここのところ、そんな事を考える機会があったのでまとめておこうと思う。

まず、タイトルに括弧書きでサーヴァントとしたのは、体育会系的な「みんなだまって俺についてこい」的なリーダーも少なからず存在するからで、これからまとめる話は、そーゆー体育会系的なノリは対象外です。
っていうか、僕個人としては、体育会系的なノリのリーダーの下で力を発揮した経験はないな。いつも、ソコソコで抑えておこう、みたいな感じになっちゃうことが多いんだけど、世の中の体育会系的なリーダーの元で働いている人達はどんなんなんでしょう。息切れしないのかな。

話し戻ってリーダーに求められるスキル。
これって、言い換えれば、リーダーがどんなだったら「一生付いていこう」と思えるかということだ。

一生・・・、ということは、少なくとも短期のスキルではない。
中長期にわたって効力のあるスキルでなければならない。
例えば、システム開発現場でのプログラムコーディングのスキルとか、変化の激しいテクニカル系技術とかではないのは確かだ。

・・・付いていこう、ということは、そのリーダーは自分の行くべき道を示してくれて、なおかつ、示された道に間違いがない、となんであれ信頼できるということだ。
何かで読んだのだけど、山で遭難したグループが、たまたま見つけた地図を頼りに自力で下山した。でも、その地図は違う山の地図だった。っていう話もある。要するに、地図がなければ行動は抑えられる、という話だ。

で、「一生付いていこう」となるわけだから、その仕事を続ける限り有効な正しい道を示してくれる、が、その意味することになる。

これが、終身雇用の時代なら、仕事をしている限りずっと、と言い切れるのだけど、まぁ、今の時代では、下手すると「転職までの間」ぐらいになってしまうのだから、リーダーの活躍の場は奪われたのかもしれない。


●正しい道を示す
言葉はシンプルだけど、「正しい道を示す」は何か、と考えるとなかなか難しい。こういう時は、「道を示さない」「間違った道を示す」を考えてみるといいかもしれない。

●道を示さない
もしかすると、世の中の大半の「上司」は、このタイプになるかもしれない。
僕の20数年に渡る社会人経験でも半分強がこのタイプだった。
これはある意味、楽な上司、でもあった気がする。
本人自身が道を歩んでいないタイプの人だから、まぁ、登山道の休憩場所でお茶をしながら道行く登山者を見送っているようなもんだ。

●間違った道を示す
感覚的には3割ぐらいだろうか。
いや、まず、ここで言う「間違った」とは、あくまで言われた側の主観になる。どういう事かというと、人はみーんなそれぞれ個人的な理由で仕事をしているのだから、道の示し方は、一人一人別個の道を示す必要があるということ。ゴールだって一人一人違えば、当然、そこに至る道はそれぞれ異ならなければならない。
緩いけど長い坂道をゆっくり登る人もいれば、直角に切り立った岩を一気によじ登る人もいる。
というのに、このタイプの上司たちは自分の主観でゴールと道を指し示し、結果、部下達は付いていかない(消極的サボタージュ)ことになる。

●正しい道を示す 1.0
感覚的には5%か。
ここまでの考察(←なんなんだこの表現は)から、正しい道を示すということは、「一人一人の事情にあわせたゴールとたどり着くための道を示す」ということになる。
「一人一人の事情にあわせた」ということは、このアプローチだとせいぜい数百人までしか掌握できないことになる。でも、現実に、数は少ないけど、数千、数万人の社員に対してリーダーシップを発揮するトップマネジメントも存在する。
これはどう言うことか。

●正しい道を示す 2.0
感覚的には1%ぐらいか?
一人一人の事情にあわせたいが、相手が多過ぎて物理的に困難なケースを考えてみよう。今度は、逆方向から考えれば良い。
「一人一人の事情に合わせる」ということは、結果から見れば、「一人一人が自分の事情に合わせてゴールや道筋を考えられる」ということになる。
うーむ。これは実は凄いことだ。だって、一人一人が自分の事情に合わせて考えたゴールなのに、組織全体としては、きちんと一つのゴールに向かっている状況を作り出すなんて、神業としか言いようがない。

●神業はどうやって成り立つのか
と、書いてみたけど、こう書くと何にも思い浮かばない。
神業の所以を考えてみる。
・相手が多過ぎ。一人一人の事情を聞くことが出来ない。
なるほど。じゃあ神はどうするのか。

●個別に会話は限界がある。ベストではないがベターな方法。
・社員満足度調査など、せめて、大括りで事情を推察する。
・1on1は難しいけど、せめて、1onNで会話する。タウンミーティングや目安箱的な。
・出来る限り末端の現場に顔を出す。顔を出したらついでに声をかける。
・声をかけられたら真摯に応える。

●ベターな方法の効果
書いていて気がついたのは、特に後半の現場に顔を出して何かしらリアクションをするリーダーは、その周囲にいた人の多くが自分も直接会話したような疑似体験したような気持ちになれることだ。
場合によっては、その話を伝え聞いただけでそんな気持ちになれる。
また、似たような経験をした人は、その話を聞いた際に、「そうそう、私もこの間・・・」という風に、もはやリーダーの預かり知らぬところで個々人達がリーダーとの繋がりを感じるようになる。のか。

●語学的に曖昧だが明確な(伝わる)メッセージ
結局、「話を聞く姿勢」が根っこに必要なのは間違いない。
真摯に話を聞くから、みんなが共有できる「ゴール」を示さざるを得なくなるし、みんなが共有できる「道筋」を示すことになる。そして、その「ゴール・道筋」は、きっと、一人一人が自分の事情に合わせて読み替えられる程度の曖昧さがあるのだろうけど、ここで言う曖昧さは、語学的に曖昧だ、という意味で、受け取る側は明確なメッセージとして実感しているに違いない。
「熱意」とかそういう類のものかな。

●厄介なこと
積極的に話を聞く行動を取るリーダーと話を聞く姿勢のないリーダーと、結局、表現するメッセージ内容に大きな違いはない。
どの企業も同じようなメッセージだし、トップが代わっても、まあ、表面的には変わりはない。
そう考えると、メッセージ内容の問題以上に「聞く姿勢」が重要だとわかる。
厄介なのは、"姿勢"なんて曖昧なので、「あなたは聞く姿勢がないからついて行けない」とリーダーに叫んでみても、多分本人的には「それは貴方が聞いていないだけだ」と水掛け論にしかならないだろう。
ま、そういう場合は、大人なんだから大人しく、「普通だな」と思うしかないんだろうな。

●棚ぼたなこと
一方、一人一人が自分の事情に合わせてゴールや道筋を捉えるから、仮に、ちょっとぐらいリーダーの指さした方向が間違っていても、あるいは、リーダーの歩む道が獣道で歩き難かったとしても、まぁ、なんとか前に向かって進んでいくんだろうな。
「一生付いていこう」って思ってたはずなのに、「勝手に前に進む」状態になる。これって、リーダーいなくてもいいじゃん的な状態に見えるけど、その状態が維持されるのは、そんなリーダーがいるからなんだろう。
「する人」から「いる人」になるわけだ。いてもらわなきゃ困る人。


●今日の結論
リーダーに必須のスキルは「人の話を聴く姿勢」。
↑傾聴って言うんだよね~。



土曜日, 11月 20, 2010

今日は

家で残業。
で、やっぱりランチタイムは楽しみなのです。
沖縄スクとチーズのパスタ〜BGM付。

木曜日, 11月 18, 2010

お弁当は

長期休暇中。

日曜日, 11月 14, 2010

枯れ葉舞う秋。

金曜日, 11月 12, 2010

全てのバスが小倉駅に向かうわけではない


最近、就業時間中に別のオフィスに移動することがたまにある。
別のオフィスは、小倉駅前なので、ちょっと前までは通勤でも使う「モノレール」を使って移動していた。

しかし、会社の目の前のバス停からバスに乗れば、モノレールの駅まで10分足らず歩かなくて済む。

最初は誰かと一緒だったと思う。
次は、バスの正面に煌々と光る表示版「小倉駅行き」を確認して利用した。
それから、たくさんの○○系統が通る会社の前のバス停は、実は、ほとんどか「小倉駅行き」だと気がついた。

いつの時期からか、「来たバスに乗る」ようになっていた。

そして先日。夕方、オフィスを移動することがあった。
いつもの通り、バス停に立つ。
向こうの信号でこちらに向かってバスが信号待ちをしている。

「うん。ちょうどいい。あれに乗るぞ。」

バスが来て乗車。
いつものバスと違い、女子高校生で一杯のバスだ。

女子高生満載のバスに乗ったオジサンは、さすがに自意識過剰になることはなくなってきたが、逆に、そそうをして笑いを提供することだけはすまい、と、妙に緊張してつり革をつかんで立った。

●否定
二つほどバス停を過ぎて、大きな交差点を駅方向に向かって左折する。
そろそろ左折、いや、それは右。そう、このバスは左折しないで右折した。

●ポジティブシンキング
違うルートで駅に向かうのか。そんな○○系統もあるのか。
などと考えながら、駅と反対側に向かうバスであたりの景色を見回す。

●現状確認
停車時のアナウンスをよくよく聞く。
慣れない土地というのは、困ったものだ。知らない地名なので、「○○行き」と言われても、それが、駅方向なのかどうか、よくわからない。
ただわかったのは、「駅には着かない」ということだ。

●困惑
僕の頭は久しぶりにフル回転を始める。
どうやって、戻るか、迂回できるのか、いわゆるリカバリープランを立て始める。

まず、見たことも聞いたこともない住宅街で降りた場合、そうそう簡単に反対方向のバスが来るとは思えない。タクシーか。いや、そんな勿体無いことはしたくない。

●再度、現状確認
よぉく景色を見る。
どうも、モノレール路線に時々近づいては離れ、概ね並行に走っているではないか。

よし、モノレールの駅に近い辺りで降りよう。

●決断
そして、「次は、○○一丁目」とのアナウンス。
「よし。一丁目ならモノレールの駅も近いに違いない」
根拠のない理屈を胸に、「降ります」ボタンを押す。が、既に誰かが押していた。

●ポジティブシンキング
その○○一丁目からモノレールの駅まで、結局、20分近く歩いただろうか。
住宅街の外れの通り、「お、今度、来てみよう」的な店は皆無で、「この辺りに来ても何も無い」という、それはそれで有意義な情報をゲット。

そうやって、20分程度でたどり着くオフィスへの道のりを、一時間余りかけて辿り着いた夕方なのでした。
今日のぶらり一人旅、メデタシめでたし。

木曜日, 11月 11, 2010

効率的な抗議への対処の仕方


以前書いた気がするが、多分、一生忘れられない見事な喧嘩を目撃したことがある。
そのシーンとは、まず相手に言いたいことを言わせ、ジワジワと顔を近づけていく。
相手が一通り話し終えたり近づいた顔に怯んだ瞬間に「お前、口臭いんだよ」の一言でケリを付けたのだ。

もう十数年も前の話なのに、未だに忘れられずにいるほど、このシーンは衝撃だった。
なにしろ、何をどう考えても、ケリが付いた理由を説明できない。
とにかく、通常の大人であれば、がーーーっと文句を言った直後に口臭を指摘されると、もう、何も言えなくなることは容易に想像出来る。

この衝撃の事実は、その時もそうだったけど、喧嘩慣れした、ややアウトロー的なジャージの似合う人にしかできないと思ってた。
しかし、形を変えて身近にも同じ手法が存在することに気がついた。

ただ、これには、条件がある。
口臭作戦も「普通の人 VS ちょっとイカツイ人」でこそ成り立つ。
普通の人がイカツイ人に「口が臭いですよ」なんて言った日には、負けるどころか命も危ないかもしれない。
同じように、身近にある手法も「立場が上の人 VS 立場が下の人」でなければならない。
自分の部下や立場が弱い取引先相手に有効な方法だ。

部下が言い回しを考えつつも上司に対する抗議をしている。
上司はただ、部下が一通り話すまで待つ。
そして一言。「言葉の使い方が間違っている」。
後は、部下が必死に理由を説明しても「私には理解出来ない」や「あなたの言葉の使い方はおかしい」と言い続けるのだ。
重要なことは、抗議の内容そのものに触れないことだ。議論をしてはならないのだ。

こうなると部下の選択肢は、「キレる」もしくは「諦める」しかなくなる。
どちらに転んでも、抗議は全く伝わらないのだ。完敗だ。

この二つのケースを考えて、ようやく、口臭作戦の理由がわかった。
口臭作戦がとても効果的な理由は、「話を聞かない」事だ。
抗議する側は話を聞いてもらえない限り勝ち目はないのだ。

そもそも抗議するということは、下から上への行為だ。
上司が部下を呼んで同じように文句を言うのは、抗議ではなく説教だ。
説教は聞かざるをえない。なぜなら、聞いていないと思われたら最後、聞いていないことに対する説教が始まるからだ。

裁判所の決定を不服として控訴したようなケースも抗議だ。
そして、そういう場合も、多くのケースで、条件を満たさないとか、そういう理由で門前払いとなる。
これは喧嘩の常套手段だったのだ。話を聞かなければ議論にはならない。一方的に結果を決められるわけだ。

十数年間の口臭作戦マジックのカラクリがようやくわかってスッキリしました。

水曜日, 11月 10, 2010

お弁当は

お休み中。ランチタイムに休み無し。

火曜日, 11月 09, 2010

不自由な仕事で寿命が縮まる話

ストレスが寿命を左右する、というのは何となくわかったつもりになっていた。
でも、「上位マネジメントの、主に責任範囲が大きいことが理由のストレス」と「作業員の主に指示に従うしか無い自由がない状態のストレス」のどちらが寿命を縮めるか、と言われれば、もう、ワカラナイ。

この辺りのストレスを統計的に調査した結果、のニュースがあった。
http://wiredvision.jp/news/201011/2010110923.html

このニュースによると、自由度の方がより大切だ、ということだ。
仕事を選べなかったり、仕事内容が個人の裁量の余地がないケースでは、責任はあるけど本人の自由度の高い仕事の人よりも寿命が短いようだ。

いけ好かないマネージャーの方が、自由度が高いため長生きするのだ。

その昔、とはいっても、ほんのウン十年前まで、仕事というのは「役得」が付いているのが当たり前だった。と思う。
今から20年以上前、僕が20才頃の事だ。流行り始めのファミレスでは、バイトに入ると一食100円かなんかで食べられたし、そもそも、その店に行けば、いつでも従業員割引(チケットとかいらない)で半額だった。

あるいは、新聞配達をした頃は、業界紙まで含めて、じゃんじゃん新聞を読めたし、日雇いの引越のバイトならチップが貰えたり、要するに、「責任もないし単純作業だけど役得もある」のが作業系の仕事だった。
こういう環境の場合、さきほどのニュースにあるような作業員が抱えるストレスも大分軽減されていたのではないだろうか。

そう考えると、最も寿命を縮めそうな仕事はなんだろう。
製造ラインに配置され、黙々とパンを袋詰めするような仕事とか、そんな辺りだろうか。
給与も抑制され、その上、寿命を縮めていると思うと、単純作業を賃金の安い海外に委託するのは、なんだか、お金で寿命を買っているようにすら思える。

自由は大切な事なのだと再認識させられたニュースなのでした。

月曜日, 11月 08, 2010

冬です。

紅葉はまだこれからだけど。

チーモンチョーチュー


おすすめです。

金曜日, 11月 05, 2010

新規ビジネス「annonymousデータ共有サービス」



オフラインによる知の共有

↑の写真を見て、思いついたビジネス。
(元のデータはこちら。)

このUSBの先に、何テラバイト、いや、テラの次、何ペタバイトものハードディスクドライブを繋いでおいて、放置するサービス。
街のあちこちにUSB接続口はあって、通りがかりの人達が、思い思いにデータを置いてったり、データを取ってったり出来るサービス。

USB経由のウィルスとかも心配なら、接続後に参照できるのはフォルダ以下の階層のみにすれば(ドライブのルートは書き込み不可にしておく)良いし、容量問題は、古いデータから消していくとか、まぁ、なんとかなるでしょう。
ディスクが壊れるたらそれでオシマイ。データの保証も内容も何も無い、あるのは、古いデータが消えていくことと、一度に書き込めるデータ容量(ファイルサイズ)に通常差し支えないレベルの制限があるぐらいでいい。
あとは接続時間かな。一人一回5分まで。とかね。

このサービスがあれば、僕は、絶対に使ってみたいと思うし、ネットワーク時代だからこそ、本当の意味で「匿名性」が保たれたサービスはもはや時代の要求とも言える気がします。

通りがかりの人達が、オフライン環境に捨てていくデータがどんなものなのか、単純に興味があるなぁ。
ある人は、自分の詩を置いてったり、ある人は自分の絵を置いてったり、もちろんウィルスとかも置いてく人もいるだろうし、そんなのは、「ご自由にお持ちください」コーナーなのだから、自己責任。


このサービス、多分、著作権的には大問題にされるかなぁ。
それがちょっと、楽しみだったりしているのは僕だけなのだろうか。

電源の問題さえ解決すれば、なんだったら、コインロッカーでサービスインできるかも。自販機にUSB差込口を作るのもいい。

とりあえず、うちの玄関にUSBケーブルをぶら下げておいたらどうなんだろ。
うーん、誰も使わない。。。
でも、↑の写真が壁からコネクタ、っていうのは、使いにくそうにも思えたけど、よく考えれば合理的。だって、ケーブルだと、接触不良や、ケーブルを切られたりの心配もあるから。壁から離れて使いたかったら、自分でケーブル持ってきなさい、ってことだね。

簡単な話

ランチは大事。

木曜日, 11月 04, 2010

難しい話


気をつけてはいても僕は人に「話が分かり難い」と指摘されることがままある。難しい、だったり、意味不明、だったり、あるいはチンプンカンプンだったり。


難しい話、とはどういうものか、考えてみた。

「言葉や単語がわからない」
「日本語として分かり難い」
「話し始めと終わりで言っていることが違う」
「結論はわかるけど経緯がわからない話」
「喩えが分かり難い」
「主語が不明」
「経緯はわかるけど結論がわからない、結論がない」
「気持ちを話しているのはわかるけど共感できない」
そんなとこか。

例外としては、
「あなたが嫌いだから何を話して貰っても理解出来ない」
みたいなケースもある。←こうやって、話を分かり難くするのが悪い癖だ。

話を戻そう。

・言葉や単語がわからない
 若い時は、むしろ"格好イイ"とさえ思っていたことすらあった。
 一番最初に難しいは格好イイと思わせられたのが、"Rock'n On"だ。
 渋谷陽一に憧れすら抱き、好きな音楽を聴いて、ライナーノーツを書いて、雑誌を作って、時には大スターと対談する、そんな人生に憧れた。ミーハーだったわけだ。
 メタファーとか、アンチテーゼとか、を内心ドキドキしながら自分の口からその言葉が出てくる事自体に酔った。
 こういう時は、眉間に皺を寄せるのが相場となっている。だから山崎努にも憧れていた。
 大人になると、職場の先輩の物言いを真似るようになった。わりと最近まで、その傾向は続いていたように思う。

・日本語として分かり難い
 これが一番厄介だ。今、こうして日本語を書いていても、後で読むと、自分でも意味不明じゃん、と気がつくことが多い。そういう文章は、大概、直すのも厄介だ。
 僕の傾向は、ダラダラと長い文章になりがち。そんな文章ほどやけに分離手術に手間がかかったりするのだ。そして、ようやく分離手術成功、となった途端に、自分の言いたかったこととは違うような感じを受けたりする事も多い。かと言って、分けないと自分が何を言いたかったのかも分からなくなったりして。。。
 もはや、此処は何処?、私は誰?、みたいな感じにすらなるのだ。
 たまに、この分離手術をやってみたら、自分の考えがまとまったりすることもあったりする。
 こんな時は、スッキリして一人ほくそ笑んだりもする。

・話し始めと終わりで言っていることが違う
 こういう人にたまに出会う。どのぐらい違うかというと、話し始めは「今日は寒い」だったのに、最後には「今日は暖かい」になるぐらい違う。その時々の感覚にとっても正直なだけなのかもしれない。
 通常は、他愛ない話なのでスルーすればよいのだけど、仕事だとそうもいかない。で、僕の場合は、こういう人と仕事するときには、ホワイトボードに書き出すようにしている。
 この手の人、意外に憎めない人がおおい気がするなぁ。

・結論はわかるけど経緯がわからない
 これは男性に多いのではないかな。少なくとも僕はその傾向が強い。
 家庭を持っていた時分、家族との話はこの傾向に陥りがちだった気もする。要するに、話を早く終えたいわけだ。イライラしながらこのモードに陥っていたことも多かった。
 このパターンは誰もなんにも得しないです。

・経緯はわかるけど結論がわからない、結論がない
 一方こちらは女性に多いのではないか。
 先ほどと逆に、僕にとって経緯を上手に伝えるのは苦手で、時系列に話すにも、どうしても話しながら整理しようとしてるうちに時系列がアベコベになったりもする。
 最近何かで読んだのだけど、どうも男性脳(左脳型)は、考えながら話す事自体が苦手なのだそうだ。一旦、頭の中で整理してから言葉にするのが男性脳の特徴だということだ。
 逆に、女性脳(右脳型)で好意を感じている相手の話なんかになると、その冗長な話が楽しく感じられるのだから、全く男ってものは勝手なものだ。

・喩えが分かり難い
 喩えは難しい。でも、"スベった"状態が分かりやすいので自分が喩えを使うのも他人が使うのも好きだな。
 職場でよく見かける喩えがゴルフ。この手の例を交えた話になるとイキイキとして話す人も少なくない。
 確かに、本人的には、ヤヤコシイ話がピッタリはまる喩えを思いつくと、なんだか嬉しくなるし、誰かに話したくなる。まるでオヤジギャグのようなものだ。
 そうか。オジサンの喩え好きはダジャレ好きに通じるものなのだなぁ。

・主語が不明
 これもついついやってしまう。
 主語を省略して話し始めてしまうのだ。これは悪い癖みたいなものかもしれない。何度か指摘してあげると直ることもある気がする。
 とはいえ、外国語ならともかく、自国語(日本語)を話すときに、SVOだのSVOOだの前置詞だの考えないからなぁ。指摘されない間は気にせずにいよう。

・気持ちを話しているのはわかるけど共感できない
 あくまで、気持ちはわかるけど、ではなく、気持ちを話しているのはわかるというレベル。
 例.警官に呼び止められてウキウキしたから写メ撮っちゃった。
 そんな感じか。
 でも、この手の話の場合、「何故」がたくさん生まれるので、むしろ、その話をしている人に興味を持つ場合もある。敢えて話の掴みに使うこともあるかもしれない。

・その他
 死語的なものを使われると、話の内容よりもそちらに気が向いてしまう。(汗)
 ←これも昭和な香りがする表現らしい。最近では"笑"は、"w"が普通なのだと何かで読んだ。

・こんなケースも
 とても正しい日本語・意味内容・使い方で、むしろ、分かり難いケース。
 天然の人にありがちかな。
 例えば、二人で話しているときに、「動物は何が好き?」と訊ねたら「僕が好きなのは犬かな」と期待するところに、「動物は食べ物が好きです」と返すようなケース。
 さんまのからくりTVを見ていると、こういう人達に僕らは癒されているのだなぁ、と、思ったりもする。

という事で、この文章自体が何の結論もない文章なのだったりしたりしなかったり。結論もないまま終えるのでした。笑