日曜日, 2月 27, 2011
「ヤング@ハート」
ここのところ、ヒットぐらいはあったけど、ガツンとホームランが無かったビデオ鑑賞。
ついに来ました大ホームラン!
ホームランがオジイとオバア達のドキュメンタリーになるとは思っていなかった。
平均年齢80歳を越えるバンド。
彼ら自身はクラシックや古いポップスなんかが好きなのだけど、鬼コーチの勧めでパンクロックやR&Bを唄いこなす。
最初は歌詞を聞き取るのも困難。耳は遠いし、雑音にしか聞こえないのだ。
が、練習の末に彼らの唄として完成すると、彼ら一人一人の人生に裏付けられた言葉として歌詞が生き生きとしてくるのだ。
高齢だからドキュメンタリー中にもバタバタと神に召される。
そんなことは、織り込み済み。
彼らは歌いつづける。叫びつづける。
若者のロックの歌詞が、R&Bの歌詞が、心に迫る。
良い唄は、人間を唄っていたのだと気がつかされる。
心に沁みるのは、唄う人の心なのだと気がつかされる。
涙と拍手無しには見られない映画。
老いるのも悪くない。
木曜日, 2月 17, 2011
結局
あらゆる組織が生き残るためには、イノベーション(マインド)の持続が必要だということに行き着きつつあるのだろう。
その文脈での「バーサタイリスト」であり、「ダイバーシティ」であり、「サーバントリーダーシップ」なのだ、と納得。
一つのスペシャリティに満足せず多様性を持てというバーサタイリスト
そもそも人の多様性を尊重しろというダイバーシティ
個々人を敬い支援するマネジメント形態のサーバントリーダーシップ
要は人間本来の得意技「柔軟であれ」ということだ。
組織全体が「柔軟であれ」ということだ。
本来は得意技なのに、地位やお金や経験や寂しさなんかに左右されて柔軟でいられない弱さ、もまた、人間らしいのだけど。
なんだか厄介な時代になったものだ。のほほんと昨日と同じ今日を過ごすわけにはいかない。いや、昨日が「変化を捉え利用する」日だったなら、のほほんと昨日と同じ今日を過ごせるのだろうか。
そもそも、「のほほん」って何だ。
と、ググッてみると、擬態語なのだそうだ。しかも江戸時代には既に使われていたようだ。
ついでに、このページの解説が秀逸。
http://page.freett.com/ubumi/nohohon.html
のほほんと残りの人生を全うすることにしよう。
日曜日, 2月 13, 2011
天然みっちゃんシリーズ「カマボコ」
母がまだ子供だった頃、今から60年ほど前、母の実家は山奥だったこともあり、海は話に聞くだけの遠い存在、海の魚は行商のオジサンが運んでくる貴重品、だったのだそうだ。
で、学校で「海の生き物」を聞かれたときに「カマボコ」と答えたそうだ。
本気で、板にくっついたあの形状のまま海で泳いでいる魚なのだと信じていたらしい。
母曰く、「魚やさんで並んでいるまま泳いでいるもんだと思っていた」と。
じゃあ、開きになった干物は?縄を口に通した新巻鮭は?と、湧き出る質問を抑えこみ、「竹輪はどうだと思ってたの?」と聞くと、母は、
「あのまんま泳いでると思ったわよ。カマボコより泳ぎが上手いだろうって思ってたわよ」
なるほど。
土曜日, 2月 12, 2011
天然みっちゃんシリーズ「ドリンクバー」
先日、遊びに来ている母とファミレスに食事に行った。
僕が母に、
「なんか飲む?」
と聞くと、母、
「いや、いらない」
と。
食事をしながら、母は、
「飲み物は持ってきちゃだめなの?」
と言うので、僕はドリンクバーを注文した。
そのやりとりを不思議そうに見る母。
そして、持ってきたぶどうジュースかなんかを飲みながら母はのたもうた。
「いつも友達と行っているファミレスでは食事しか注文してないけど飲み放題なんだよ」
。。。。いや、それは、多分、いや、間違いなく無銭飲食になっちゃうからぁ!
金曜日, 2月 11, 2011
天然みっちゃんシリーズ「お、ハーレーだ」
母の若かりし時代の話
結婚当初、うちの父は車はもとよりバイクが大好きだったのだそうだ。
が、結婚前にバイクで事故を起こし怪我したこともあってバイクはご法度な感じだったのだそうだ。
そう言われてみれば、僕が16歳ですぐにバイクに夢中になった時、一言もダメ出ししなかったなぁ。
そんな父が、母とドライブしていて、たまたま通りがかったハーレーを見かけると、
「お、ハーレーだ」
と言っていたのだそうだ。
しかし、母は、
「今日は天気なんだから言わなくても晴れに決まってるじゃん」
と、随分長い間思っていたそうだ。っていうか、ハレとハーレーじゃ、何か変な言い方だなって思わなかったのだろうか。。。
この天然ぶりは、今なお70歳直前で、益々磨きがかかっているのは言うまでもない。
火曜日, 2月 08, 2011
ネット、リアル
↑本文とは何の関係もないけど、なかなか素敵な発明。
ネット(ネット社会)って何?
と改めて考えてみた。
・リアルに限りなく近づこうとするバーチャル
・現実社会に限りなく近づこうとする仮想社会
"近づこうとする"と書いたのは、まだもの凄いスピードで変化を遂げている最中だからなのだけど、そのうち、リアルに追いつく日が来てしまうのかもしれない。そんな時代になると、冒頭の問いは、
「リアルって何?」
に変わっているのだろう。
そんなわけで、仕事の大半がネットの向こう側の誰かと進められるようになったり、食事だってネットを通じて配達してもらったり、本や音楽は既にネット上だけでも楽しめるようになってきていて、バーチャル化は否が応でも進んでいる。
そんな中、敬愛するリチャード・ストールマンが、Wikileaks支持のAnonymousによるサイト攻撃←詳細はググッてください、について、「Anonymousによるサイト攻撃はネット上でのデモ活動として認められるべきだ」との見解を発表しています。
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2010/dec/17/anonymous-wikileaks-protest-amazon-mastercard
現実世界の民主的と言われる国では、合理的な理由がない限りデモは「集会の自由」で保証されています。日本でも、デモ行進などの集会は、許可制ではなく届出制となっています。基本は許可されるものなのです。
当然、集会/デモのターゲットになる国や企業は、デモの規模により痛手を受けます。が、社会全体としてはデモによる国や企業の被害よりも、社会全体としての利益を認めている、ということなのでしょう。
(社会全体の利益の大小はデモの規模に現れるでしょうから。)
しかし、まだ、原始時代から中世に入ったかどうか辺りのネットでは、Anonymous活動に加わった10代の若者たちが逮捕されています。
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2783784/6741070?utm_source=afpbb&utm_medium=topics&utm_campaign=txt_topics
逮捕は、かなり曖昧な理由、かつ、社会的にもコンセンサスを得られていない状況で作られた曖昧な法律で執行されています。
せめて未成年に対しては、大人が説明に困るような法律での逮捕は避けられないのか、と思ってしまいます。
今の大人は、子供たちを商売のターゲットにしてしまった責任を取っていない気がします。子供に携帯用ナイフを渡しておいて、りんごの皮むき用に渡したのにケンカに使うのはけしからん、などと言っているのと同じ、そんな気がしています。
ましてやAnonymousによる活動は、多分、ネット社会が成熟してくれば「合法」な活動になるかもしれないのに、今、逮捕された子供たちは気の毒なものです。ね。
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