夕べ、こんな事件!?があった。
いつもにもましてベルピュンで帰宅した月曜。
先週末の料理でストックは充分。
ただ、お米がなくなりそうだったのでお気に入りの「沖縄米」を買おうと近所のスーパーに寄るも、売り切れだった。仕方なくフランスパンを買って帰宅。
ルンルン気分(もしかして死語?)でチャリを漕ぎ、向かいの大家さんちの前を通過、、、
と、お向かいの大家さんちは、庭でバーベキューの様子。
大家さんのお孫さんたちが庭を駆け巡っている。
仲良しの女の子が「○○さん帰ってきたよー」と叫ぶ声が聞こえる。
高鳴る期待。今夜はバーベキューにお呼ばれするに違いない。
帰るなり、フランスパンは「明日回し」にして、着替え、玄関の電気が灯っているのを確認したり、ちょうど帰り道で買ってきたケーキ屋さんのクッキーをお持たせにすればいいや、ついでに飲みかけだけど泡盛も持っていこう、とか、あーだーこーだ。ワクワクな時間。
今夜は夕飯のしたくはしなくてもいい。なんだか嬉しい。
そんな感じで30分ほど経過。
うーん、なかなか呼びにこないなぁ。
そうかぁ、まだ早い(この時点でまだ7時過ぎ)から、まずは、ちびっ子達に食べさせて、大体、大人たちは仕事から帰ってから合流だから、もう少し後かな。
この時点では、まだ、キャーキャーと子供の声が聞こえてきて、子供の時間だもんねと、僕までキャーキャーした気分で納得。
寝っ転がって7時のニュースを見ながらウトウト。
気がつくと8時を回っている。
アレ?呼びにこないなぁ。
そう思って、カーテンの隙間から向かいの大家さんちを覗き見ると、もう、バーベキューは終了していました。
しばし呆然。
そんな僕を見透かすように暖かくなって活発になったヤモリが台所に侵入。
そんなヤモ君の対処をしたり、とりあえず、夕飯の支度をし始めたりしながら、
「もしかしたら、春休みに入ってチビ達(大家さんのお孫さん)の為に企画したバーベキューなのかもしれない。大体、月曜の夜から、親戚が集まったりしないし。。」
という説に落ち着き、今日、職場の同僚(複数)に聞いてみた。
「沖縄ではそれ(イベントではないバーベキュー)は普通さぁ。子供が喜ぶからねぇ。」
という事だった。
そうなのだ。
沖縄のバーベキューは、ナイチの家庭でホットプレート焼肉するようなもんなのだ。
もしくは、大阪で夕飯がたこ焼きとか、そんな感じなのだ。
そんな話を聞きながら気がついた。
じゃあ、バーベキューしたかったら自分の家でやればよいのだ。
「沖縄ではそれが普通さぁ。」なのだから。
同僚曰く、
「日にちを決めてもらえれば道具持って行くから」
という事だ。
やったー。これは楽しい。
早速、カレンダーとにらめっこする事になりました。
焼肉=ジンギスカン文化圏の中年男は諦めないのだ。
火曜日, 3月 31, 2009
月曜日, 3月 30, 2009
耳を凝らして聞く
一年ちょっと前、持っているレコードをデジタル化(MP3ファイル化)しようと思い立ち手に入れたレコードプレーヤー。
手に入れたものの、引越しのバタバタで、すっかり、デジタル化なんて忘れていた。
思い立ってから1年以上経った昨日、雨で家に閉じこもっているしかなかったこの週末に、レコードを引っ張り出して作業を始めてみた。
まず、レコードプレーヤーとパソコンを繋ぐ。
繋ぐといっても、USBとか、そんなんじゃなく、単純に音声入力(マイク端子)に差し込む。
次に、パソコンのポコッとかピロリロリンッとかジャンッとかの、各種サウンドを鳴らさないようにする。
さて、いよいよ、録音。その前に、レコードを取り出す。
久しぶりのレコード盤。
レコード屋さんのロゴの入ったビニールからレコードの入った紙ジャケットを取り出す。
取り出した紙ジャケットの、口の開いた側を下にすると、とても薄いフィルム状の乳白色の袋に包まれたレコードが滑り落ちてくる。
手のひらでレコードの縁を支えながら、今度はフィルムのあいた口を下にして、中のレコードを取り出す。
黒光りするそれは、久しぶりの外気に深く息をする。(ような気がしながら僕が深く深呼吸をした。)
久しぶりの気持ちに包まれる。懐かしい。
以前は、こうやって、音楽を聞く度に、儀式のような作業をしてから音楽を聞いていたのだ。
両手の間にレコードを挟み持ち、A面を確認し、そうっとプレーヤーに乗っける。
回転数を確認。33pm。久しぶりに見た"33pm"。今見ると、なんか、午後33時みたいでおかしい。いや、正確には33 1/3 pmなのに、このプレーヤーのスイッチは端折って33pmと表示してあるだけか。。
プレーヤーをスタートさせ、パソコンの録音ソフトをスタートさせる。
針がレコード盤に落ちるボツッていう音、埃のせいだろうか時折プチッと入る雑音。
しばらくすると当時の音楽が、まるで、セピア色の写真の様に色褪せた感じで鳴り出す。
レコードの雑音なんて、本当に久しぶりだ。音そのものも、CDと違い、柔らかい。
特にシンバルや金管系の音の柔らかさに驚いた。普段、ギラギラした音を聞きなれているせいかもしれない。逆にウッドベースの深い音にも驚かされた。
思いのほか素敵な音に驚いた。
理屈では、何もしなくても雑音が入るし、たまに埃が針に引っかかって音がコモったり、全体にCDのようなクリアでキラビヤカな音にはならない。
再現性は低いのだろうけど、それでも、充分に満足できる音。
気がつくと、20年ぶりに音楽(レコード)を聴く姿勢になっている事に気がついた。
クリアな音では無いからこその姿勢。
うまく言えないけど、リラックスしながらも耳を凝らしている、そんな姿勢。
そのうち、聞こえてくる音だけでなく脳で補完した音を観ているような感覚にすらなった。
単なるノスタルジーなのかもしれない。
でも、レコードのデジタル化作業が終わっても、たまにはレコードを聴こうかなと思ったのでした。
そんなわけで、針が落ちる瞬間のボツッていう音をカットしたり、一曲ごとにファイルを分割して曲名なんかを埋め込んだりするのはやめました。
ボツッで始まって、片面の曲全てが終わると今度は針が上がる時のボツッで終わる、片面ずつ1ファイルにして保管したのでした。
あえて不便がいいような気がした。
それにしても、CD化されない当時のアルバムは少なくない。。。
金曜日, 3月 27, 2009
水曜日, 3月 25, 2009
火曜日, 3月 24, 2009
ムーンボー
年度末。
リーマンショックの余波を受け、担当プロジェクトは縮小、そんなんで仕事探ししなくてはなりません。
とはいえ、とても恵まれた、身に余るありがたい立場。
次のプロジェクトが決まるまでの間、社内の雑務をこなすだけのこと。
給料も休暇も変わらない。
むしろ、プロジェクトでの不安定な波も無く、しばらくは平穏な日々を送る事になりそう。
さて、そんな先週末、DVDやら映画やら何本か観た。
その中でも、「ベンジャミン・バトン数奇な運命」もよかったのだが、「ホノカアボーイ」が断然良かった。
例によって映画の内容は他に任せて。。。
みんな人それぞれ心には共鳴板がある。
シンバルみたいな共鳴板、緩んだサランラップみたいな共鳴板、ステンレス削り出しの高級感溢れる共鳴板、竹筒のような共鳴板、本当に人様々。
どんなに素晴らしい電子ピアノ(RolandのV-Pianoは触ってみたいけど。。。)も、出てくる音はスピーカーからしか出てこない。共鳴板を振るわせるアコースティックな楽器にはかなわない。
数奇な運命もカーボーイも、作り手に心の中をガッと覗き込まれるような「俺のドラムスティックでどんな共鳴板でも叩き鳴らしてやろう」的な感じがなく、「これから波紋を送るけどあまり気にしないで」的な緩い感じ。
あとは、観た人が、ふと気がつくと自分の共鳴板が鳴っている事に気がつくような、人それぞれに共鳴できる映画でした。
特にホノカアボーイは、一般的に映画化されるような非日常のトピックがあるわけでは無い。
映画を観た人それぞれが持っている日常とさほど変わりは無いストーリー。
なのに、僕の共鳴板は心地よく響き続け、三日経った今も、余韻に浸れる、そんな映画でした。
そして、共鳴板が、その時の湿度や温度で響き方が変わるように、いつ、どこで、誰と波紋を感じるかによって、響く音は変わってくるっていう事も、この映画を観て確認できた。
今、満ち足りている僕の共鳴板は、とても、それはとてもよく響いてくれました。
この映画「ホノカアボーイ」が実話だったことも、その実話が小説化されていたことも、なんか世の中捨てたもんじゃないなぁっていうオマケまで貰った気分。
この映画の中で取り上げられている、ハワイでも滅多に見る事が出来ない、月の虹、ムーンボー。わざわざムーンボーを観る為のツアーもある。(観られない事も多いらしい)
でも、よく考えてみると、ハワイの月と日本の月、どちらも同じ月。
万が一、日本で、東京で、夕べ、ムーンボーが見えていたとしても、気がつかない人のほうが多いに違いない。
自分の暮らしの中にムーンボー(月虹:げっこう)はあるんだ、と、ブログには書いておこう。
火曜日, 3月 17, 2009
バーサタイリスト
サーバントリーダーを考えるほどに、「バーサタイリスト」が関連があるような気がしてくる。
そもそも、わかり難い概念のバーサタイリスト。
それでなくても、ごちゃごちゃになっている自分の頭の中を、もう一度整理してみた。
●バーサタイリストはIT業界に必要byガートナー
そもそも、「バーサタイリスト」は、ガートナーが、「これからのIT業界に必要な人材像」をそう呼んだ事に始まる。(2005/11)
では、それまでのIT業界はどうで、これからはどうなるから必要になったのか?
●新技術のスペシャリストはビジネスには不向き
スペシャリストを揃えていく事でビジネスを推進してきたIT業界で、スペシャリストを揃えるだけでは立ち行かなくなる、、、
そもそも、スペシャリストなどと考える前に新しい技術が生まれ、短期間で普及する。
余りに多種多様で短期間に普及するために、必ずしも、その新技術のスペシャリストが、ビジネス現場で通用するコミュニケーション能力や周辺技術も含めた総合的な能力を持つとは限らないのだ。
●管理業務もスペシャリスト化
そんな中で、プロジェクトマネジメントが体系化されスペシャリスト化されてきた。
しかし、これも、既に今のビジネスニーズには応えられなくなってきているのだ。
料理にたとえれば、献立を考えてから準備して料理に取り掛かるのではなく、いきなり他人の家の冷蔵庫を空けて直ぐに料理に取り掛かる、そんな感じの柔軟性とスピードを求められるようになってきている。
体系化されたプロジェクトマネジメント手法を展開している時間が許されない事も多いのだ。
●バーサタイリストの登場
ガートナーの見立ては、
次々に登場する様々な新技術や新製品を組み合わせ、一層変化の激しい顧客のビジネス。それは複雑さを極め、顧客の要求するスキルを事前に予想し準備する事すら困難になる。
言葉は悪いが、出たとこ勝負で、柔軟に、かつ、短期間に学習し結果に結び付けられる「多能な人=バーサタイリスト」が必要になる。ということだ。
現実には、ビジネスの現場で短期間に学習、、などしていられない。結論は、「空気を読んで柔軟に高度な対応が出来る人」だ。
●バーサタイリストはジェームズボンド
と、ここまで考えて、バーサタイリストの頂点には、きっと、ジェームズボンドあたりがいるに違いないと思った。
●本日の限界点
サーバントリーダーシップとどう関係するのか。
それはまた今度。
※はみ出し
こんな映像を見つけました。ホンダのasimo君ぐらいなら、能天気に「すげー」って思えたけど、なぜかちょっとサゲ気味の気分で「すげー」と思った。
そもそも、わかり難い概念のバーサタイリスト。
それでなくても、ごちゃごちゃになっている自分の頭の中を、もう一度整理してみた。
●バーサタイリストはIT業界に必要byガートナー
そもそも、「バーサタイリスト」は、ガートナーが、「これからのIT業界に必要な人材像」をそう呼んだ事に始まる。(2005/11)
では、それまでのIT業界はどうで、これからはどうなるから必要になったのか?
●新技術のスペシャリストはビジネスには不向き
スペシャリストを揃えていく事でビジネスを推進してきたIT業界で、スペシャリストを揃えるだけでは立ち行かなくなる、、、
そもそも、スペシャリストなどと考える前に新しい技術が生まれ、短期間で普及する。
余りに多種多様で短期間に普及するために、必ずしも、その新技術のスペシャリストが、ビジネス現場で通用するコミュニケーション能力や周辺技術も含めた総合的な能力を持つとは限らないのだ。
●管理業務もスペシャリスト化
そんな中で、プロジェクトマネジメントが体系化されスペシャリスト化されてきた。
しかし、これも、既に今のビジネスニーズには応えられなくなってきているのだ。
料理にたとえれば、献立を考えてから準備して料理に取り掛かるのではなく、いきなり他人の家の冷蔵庫を空けて直ぐに料理に取り掛かる、そんな感じの柔軟性とスピードを求められるようになってきている。
体系化されたプロジェクトマネジメント手法を展開している時間が許されない事も多いのだ。
●バーサタイリストの登場
ガートナーの見立ては、
次々に登場する様々な新技術や新製品を組み合わせ、一層変化の激しい顧客のビジネス。それは複雑さを極め、顧客の要求するスキルを事前に予想し準備する事すら困難になる。
言葉は悪いが、出たとこ勝負で、柔軟に、かつ、短期間に学習し結果に結び付けられる「多能な人=バーサタイリスト」が必要になる。ということだ。
現実には、ビジネスの現場で短期間に学習、、などしていられない。結論は、「空気を読んで柔軟に高度な対応が出来る人」だ。
●バーサタイリストはジェームズボンド
と、ここまで考えて、バーサタイリストの頂点には、きっと、ジェームズボンドあたりがいるに違いないと思った。
●本日の限界点
サーバントリーダーシップとどう関係するのか。
それはまた今度。
※はみ出し
こんな映像を見つけました。ホンダのasimo君ぐらいなら、能天気に「すげー」って思えたけど、なぜかちょっとサゲ気味の気分で「すげー」と思った。
水曜日, 3月 11, 2009
火曜日, 3月 10, 2009
サーバントリーダーシップと評価基準
●サーバントリーダーシップ
以前に紹介した
サーバントリーダーシップを読んでいるのですが、なかなかの大作なので、のんびり読み進めています。
ということで、読み進めながら傍らで考えた事などを、備忘録として書いておきます。
●サーバントリーダーシップを定着させる事
組織変更や異動の時期、特に今年は、いろんな意味での社会の転換期(100年かかるとも言われている)を迎えた年度末でもあり、仕事にありついているだけでもラッキーなのかも知れない。
そんな中、何十年も前に発表され、評価が高いにも関わらず普及しない(少なくとも私の周囲では知られていない)サーバントリーダーシップを定着させる事について考えてみた。
そんな事を考えたのは、サーバントリーダーが評価されない組織っていうのは歴然とあるような気がして(本来は「生き方」に近い思想かもしれないが)、いずれ世の中に定着するのだとしても、その時を待ち切れない気がしたからだ。
※サーバントリーダーシップ(奉仕者型リーダーシップ)については詳しくはこちら
※※もちろん、言葉としては意識がなくても実践している企業や組織はたくさんある。概ね「必要な変化を拒む組織や会社」には普及が遅れているのだと思う。
●従来の価値観との衝突
サーバーントリーダーシップと、唱えるのは簡単なのだが、所属する組織の中で実践したり定着させるのは、いくつかハードルがある。
もちろん、自らがサーバントリーダーシップを実践するのは自分の事なので簡単とも言えるのだが、従来の価値観と相反する部分が少なくない。
実践には少なからず「従来の価値観との衝突」が生まれることを意味する。
(これはサーバントリーダーシップだなと感じる事例をネットで見ていると、ベンチャー企業の事例が多い。もちろん、トップダウンでサーバントリーダーシップを実践する「資生堂」のような会社もある。)
●従来の価値観との衝突 例1.
例えば、あなたが旧来型の組織の中でサーバントリーダーを実践した場合、こんな悩みにぶつかるだろう。
・組織内で自分のチームの評価を最大にすること、あるいは自分を過大にアピールしなければならないこと
サーバントリーダーシップが定着していない組織の中で、サーバントリーダーシップに基づく行動をしていては、残念ながら組織間の競争には勝てないであろう。
旧来型の組織間の競争は、多くの場合、「数字」に基づいて評価され、旧来型のリーダーは「自分がメンバーを疲弊させている」事には気を配らない。
サーバントリーダーシップは、どちらかと言えば「緩やかだが確実なモチベーションの向上」を組織にもたらし、持続するチームを作り上げるが、そのような思想が会社側にない場合は、あくまであなたがリードする短期間にあなたのチームを評価する。
しかし、あなたのチームが評価されない場合、隣の「メンバーは疲弊したけど数字は最大だった」チームが生き残り、あなたのチームは解散するかもしれない。
●従来の価値観との衝突 例2.
あるいは、
・上司との対立
の可能性も少なくない。
上司が期待するリーダーシップは旧来型のものだった場合、サーバントリーダーは、好まれない可能性が高い。
実際、旧来型のリーダーからは「嫌味」に見えるかもしれない。また、旧来型のリーダーは保身を考えてサーバントリーダーを不当に低く評価するかもしれない。
自分の経験を振り返っても、顧客に駐在するタイプのプロジェクトの場合、自分の上司との接触は最小限になる為、サーバントリーダーシップの実践は「プロジェクトの成功」という形で実を結び、プロジェクトや自身の評価に繋がった。
しかし、離れ小島のプロジェクトではなく、自社内でのプロジェクトになると話は変わってくる。
プロジェクトの成功云々と同程度、場合によってはそれ以上に、プロジェクト完了に至るまでのリーダーシップ発揮の仕方が上司の目に付くのだ。
どうも旧来型のリーダーからみれば、ガツンと上意下達で言えばいいものを余計な事に時間を割いているように見えるようだ。
サーバントリーダーシップの目的である「メンバー個々の高いモチベーションによる成功」は、目に見えない部分を追及している為に、「俺から言わせれば・・・」といくらでも難癖つけられる状況になるのだ。
●何故、こうなってしまうのか。
トップが旧来型のリーダーだから、といえば、それまでだが、それは、「評価基準」がないからでは無いか?
現状ではサーバントリーダーシップの定着度を図るものさしは、考えてみたけどES(Employ Survey)ぐらいしか思いつかない。
ESだって重要とは言うものの、どこの会社でも「人事・総務系」「福利厚生」の課題ぐらいにしか捉えられていないのではないか?
あるいは、自分が所属する部門の満足度、的な、旧来型のリーダーからすれば優先順位の低い「参考情報」ぐらいにしか捉えられないものだと思う。
サーバントリーダーシップがもたらすメンバーの高いモチベーションや真の顧客志向や持続可能な組織は評価基準として曖昧すぎるのだ。
同時に、サーバントリーダーシップの実践度合いを測る物差しもない。。。
と、ここまで考えて、そもそも、「リーダーシップ」の評価とは何なのか?
成績評定の際に「君はリーダーシップに欠ける」といわれた場合、具体的には何を指しているのだろう。
サーバントリーダーの評価は何を指すのだろう。
サーバントリーダーの報酬は「奉仕者」なんだからメンバーと同じ、もしくはメンバーより少なくても良いのか?
あるいは、報酬と役割(リーダー、メンバー)についても、社長も社員も同じ(極端な差は無い)報酬、のように考え方を変えなければならないのかもしれない。
(少なくとも、P.F.ドラッカーは、「社長の報酬が一般社員の報酬の20倍を超える会社は信用できない」と書いている。)
なるほど、こういう考え方に行き着くから、サーバントリーダーの考え方は、微妙なポジションに甘んじているのかもしれない。
どうやらまだまだ、サーバントリーダー云々を考えると、周辺の事も考える必要がありそうだ。
...続く(読み進めるうちに答えに辿り着くかもしれません)
水曜日, 3月 04, 2009
シーサーと狛犬(ここにもアホがいる)
ふと、シーサーって何なのか?と思い、同僚に尋ねた。
「シーサーって犬?」
するとその同僚は、やや驚いて、
「シーサーは獅子だと思いますよ。犬なわけないじゃないですかぁ。」
と。
でも、僕は狛犬みたいなもんだと思ったわけで、そんな話をしたら、
「狛犬って犬だったんですねぇ。」
と納得された。
(これは皮肉でもなんでもなく沖縄では神社は少ないので新鮮な情報だったらしい)
何故、犬?と思ったかといえば、神社の狛犬の存在があるわけで、これも正確には犬ではなく獅子。
もっと正確に言えば、オリエント文明に起源を持つ外敵に対する守り神としての獅子信仰が起源らしい。
危ない危ない。
確かに、何処かで狛犬は犬ではなく獅子だ、と聞いたような気はするが、根が素直な為か、はたまた記憶回路がよほど弱いのか、狛犬は犬、って反応してしまう。
狛犬に吹き出しをつけたら絶対に「ワンワン」って書いちゃう。
シーサーは獅子さぁ、などと、呟きながら、古代オリエントに思いを馳せるも、狛犬も犬なんて思った僕には、スフィンクスや中華街で観た龍と獅子の踊りや岩手の鬼剣舞(おにけんばい)なんかが、オールスターキャストよろしく賑やかにピラミッドの前に勢揃いしているイメージなのでした。
「シーサーって犬?」
するとその同僚は、やや驚いて、
「シーサーは獅子だと思いますよ。犬なわけないじゃないですかぁ。」
と。
でも、僕は狛犬みたいなもんだと思ったわけで、そんな話をしたら、
「狛犬って犬だったんですねぇ。」
と納得された。
(これは皮肉でもなんでもなく沖縄では神社は少ないので新鮮な情報だったらしい)
何故、犬?と思ったかといえば、神社の狛犬の存在があるわけで、これも正確には犬ではなく獅子。
もっと正確に言えば、オリエント文明に起源を持つ外敵に対する守り神としての獅子信仰が起源らしい。
危ない危ない。
確かに、何処かで狛犬は犬ではなく獅子だ、と聞いたような気はするが、根が素直な為か、はたまた記憶回路がよほど弱いのか、狛犬は犬、って反応してしまう。
狛犬に吹き出しをつけたら絶対に「ワンワン」って書いちゃう。
シーサーは獅子さぁ、などと、呟きながら、古代オリエントに思いを馳せるも、狛犬も犬なんて思った僕には、スフィンクスや中華街で観た龍と獅子の踊りや岩手の鬼剣舞(おにけんばい)なんかが、オールスターキャストよろしく賑やかにピラミッドの前に勢揃いしているイメージなのでした。
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