火曜日, 3月 24, 2009

ムーンボー



年度末。
リーマンショックの余波を受け、担当プロジェクトは縮小、そんなんで仕事探ししなくてはなりません。
とはいえ、とても恵まれた、身に余るありがたい立場。
次のプロジェクトが決まるまでの間、社内の雑務をこなすだけのこと。
給料も休暇も変わらない。
むしろ、プロジェクトでの不安定な波も無く、しばらくは平穏な日々を送る事になりそう。


さて、そんな先週末、DVDやら映画やら何本か観た。
その中でも、「ベンジャミン・バトン数奇な運命」もよかったのだが、「ホノカアボーイ」が断然良かった。

例によって映画の内容は他に任せて。。。


みんな人それぞれ心には共鳴板がある。
シンバルみたいな共鳴板、緩んだサランラップみたいな共鳴板、ステンレス削り出しの高級感溢れる共鳴板、竹筒のような共鳴板、本当に人様々。
どんなに素晴らしい電子ピアノ(RolandのV-Pianoは触ってみたいけど。。。)も、出てくる音はスピーカーからしか出てこない。共鳴板を振るわせるアコースティックな楽器にはかなわない。


数奇な運命もカーボーイも、作り手に心の中をガッと覗き込まれるような「俺のドラムスティックでどんな共鳴板でも叩き鳴らしてやろう」的な感じがなく、「これから波紋を送るけどあまり気にしないで」的な緩い感じ。
あとは、観た人が、ふと気がつくと自分の共鳴板が鳴っている事に気がつくような、人それぞれに共鳴できる映画でした。

特にホノカアボーイは、一般的に映画化されるような非日常のトピックがあるわけでは無い。
映画を観た人それぞれが持っている日常とさほど変わりは無いストーリー。
なのに、僕の共鳴板は心地よく響き続け、三日経った今も、余韻に浸れる、そんな映画でした。

そして、共鳴板が、その時の湿度や温度で響き方が変わるように、いつ、どこで、誰と波紋を感じるかによって、響く音は変わってくるっていう事も、この映画を観て確認できた。
今、満ち足りている僕の共鳴板は、とても、それはとてもよく響いてくれました。

この映画「ホノカアボーイ」が実話だったことも、その実話が小説化されていたことも、なんか世の中捨てたもんじゃないなぁっていうオマケまで貰った気分。

この映画の中で取り上げられている、ハワイでも滅多に見る事が出来ない、月の虹、ムーンボー。わざわざムーンボーを観る為のツアーもある。(観られない事も多いらしい)
でも、よく考えてみると、ハワイの月と日本の月、どちらも同じ月。
万が一、日本で、東京で、夕べ、ムーンボーが見えていたとしても、気がつかない人のほうが多いに違いない。


自分の暮らしの中にムーンボー(月虹:げっこう)はあるんだ、と、ブログには書いておこう。

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