土曜日, 11月 29, 2008

旧型インフルエンザ

今日、いや、もう昨日か、勤務先でインフルエンザの予防接種を受けた。


勤務先は、シフト休の人も多く、子供連れの参加も目立った。
なかなか盛況。


世間では、「新型インフルエンザ蔓延のXデー」が話題になっているみたいだけど、
旧型インフルエンザを予防しなければ新型インフルエンザは流行らないんじゃないか?と思った。※


旧型インフルエンザで、毎年、そこそこ被害は出るけど、戒厳令のような状態にはならないで済む。
そっちの方が健全なんじゃないか?


そんな事を考えながら、注射した左腕を押さえる右手に「揉んじゃいけない」と言い聞かせるのでした。


※実際は混合感染もあり得るようで、旧型の予防も大切な意味があるようです。


予防
・通勤は公共交通機関はリスクが高くなる
・会議は電話/テレビ会議のように対面しない方が良い
・執務環境もできれば個室に近い方が良い
・食堂なども時差利用などで人との接触距離に余裕を持つほうが良い
・マスク
ちなみに、気をつける距離の目安は、マスクしていない相手の場合2m以上、マスクしていれば1mぐらいだとか。

金曜日, 11月 28, 2008

軟骨者ランチ

うーん。これにします。
(お弁当はお休み)

木曜日, 11月 27, 2008

今日のランチ

いただきます!

沖縄産野菜の買い方


↑これみたいに、特産品は別だけど、普通の野菜で地元でも生産されるものは地元のスーパーでは手に入らない。
地元でもニンジンやほうれん草やナスやたくさんの野菜が収穫されているのに。。。


スーパーの照明に照らされている野菜は、どれも、内地から送られてくる色鮮やかで姿かたちも美しい野菜。
おまけに、きれいにパッケージされている。
半分観光気分の僕は、できることなら地元の野菜を、、、と思うのだが、本当にスーパーでは特産品のゴーヤぐらいしか売っていないのだ。


そんなわけで、週に二・三回、近所の八百屋さんに顔を出す。
申し訳ないが、とっても小さい八百屋さん。
駐車場の奥の、店、というより、小屋で営業している八百屋さん。
あまり儲かってはいないようなんだけど、ここでは、地元、それも本当に暮らしている街で取れる野菜が売られている。


旬の地元の野菜、その食べ方、八百屋さんがどう調理したか、そんな会話をしながら顔の見える安心を楽しむ。
先日、会社の飲み会で「四角豆」っていうのを食べた翌日、その八百屋さんでその話をすると、「ちょうど、ちょっと傷んで売れ残っているのがあるからもって行きな!」と、本当に端っこがちょっと茶色くなっただけの、素人の僕が見ても何の問題も無い四角豆を頂いた。
「賞味期限」に縛られずに、本来なら当たり前の生活。


顔が見える社会、都会では確かに難しい部分もある。
でも、以前は都会でさえも、暮らしている地域では顔が見えていたはず。
経済成長と引き換えに徐々に見えにくくなった顔は、今、一日のほとんどを過ごす会社での「顔」すら見えにくくなってきている。
多くは望んで"非"の立場でいるわけでは無い非正社員、派遣された人達との仕事。あるいは派遣される自分。


どんな巨大メーカーでも巨大スーパーでも、売っている食品に安全が担保されなくなってきている。
サービス業でも単純な「情報漏洩」が止まらない。
官僚たちは税金を自分たちの天下り先に小学生も納得できないようなロジックで垂れ流す。
顔が見えていたら出来ないこと、ありえない事が、顔が見えていなければいとも簡単にできるのかもしれない。

顔が見えない人のために大量生産されるお弁当。
顔が見えない人のために賞味期限付きで売るコンビニ。
お互い顔が見えないから、時間管理され、まだ食べられるのに廃棄されるお弁当。



その八百屋さんには、よくお客さんが座り込んで八百屋さんと世間話をしながらお茶を飲んでいたりする。
そのお客さんとも顔見知りになる。
そうやって、顔が見える社会は繋がっていく。


※はみ出し
そんな八百屋さんも頑張っているっていうホームページ
↓そういえば、コールセンターでは、顔の見えない顧客とうまく会話するために、こんな鏡をデスクにおいていたりするのでした。

水曜日, 11月 26, 2008

今日のランチ

沖縄産ハラぺーニョ入り。

火曜日, 11月 25, 2008

ひるまのままくておもしぇはなしこきだ。「てぃあんだー」

※唐突ですがお休み終了。再開します。

ランチタイム、食後のコーヒー&一服中の席に、通りがかった同僚(女性)がゴマ団子を差し入れしてくれた。
一緒にタバコを吸っていた同僚がお礼の声をかけると、差し入れてくれた同僚は、「てぃあんだーだから美味しいよ」のような事を言った。(僕には何と言ったのか聞き取れなかったのだが)

それから、「てぃあんだー」ってなに?
っていう話になり、「手の油」なんだと聞きました。
典型的な使い方は、
孫:「おばあのおにぎりは美味しいな。なんでだろ?」
おばあ:「それは、てぃあんだーだからだよ。」
みたいな使い方らしい。


素手で心を込めて作った「おにぎり」。
その素手で作った美味しさを「てぃあんだー」という言葉で表す。
直接的には「手の油」の意味なのだそうだが、「手塩にかけて」「一手間をかけた」のような意味が込められているのだそうだ。


ビニール袋に手を包み、消毒を繰り返し、瞬間冷凍や保存料やありとあらゆる科学をつぎ込んで「合理的に」作られたはずの食品。
回転寿司の茶髪バイト君には手袋してもらいたいし、住み慣れた街の小さなカウンターのお寿司屋さんには素手で握ってもらいたい。

素手で触れるという事は、「気持ち」が大切なのだ。「気持ち」が無いなら素手で触って欲しくない。
「てぃあんだー」を忘れた食品に食の安全など求められない。

なーんて事を考えたランチタイムなのでした。

てぃあんだーの意味はこちら

※ハミダシ※
沖縄の食文化、「皆で食べる」のもその一つなのだそうだ。っていうか、それは本来、人間そのものの文化。
会社の残業代は、皆で食べることを会社の都合で諦めてもらうから残業代ではなく「皆で食べる事をさせなかった手当て」にすれば、少しは良い世の中になるのかもしれない。

※ハミハミダシ※
母の故郷の秋田弁もかなり面白い。
タイトル、=昼食を食べて面白い話を聞いた、という意味です。(のはずです。)

更新せずとも

ランチは楽し。

日曜日, 11月 16, 2008

しばらくおやすみしま~す!

半年。ちょうど沖縄への引越しが終わって半年。


半年の間に、たくさんの事があった。
たくさんの人と出会った、たくさんの事柄について考えた、たくさんの経験を重ねた、たくさんの新しい思いを磨くことが出来た。


この半年を忘れないようにしよう。
今、沖縄も、ようやく夏が終わり、まぁ、沖縄っぽくなくなる。
でも、ここは、たくさんの新しい思いを磨き始めた土地。


もう、後戻りはしない。
もし、誰かに、「そうは言っても酷いヤツじゃん」って思われても仕方ない。
そう、本当に今を迎えるまで、随分と酷いヤツだった。


離婚なんて必然の結末。
10代で家を飛び出し、18の誕生日と共に結婚。
子供を三人も授かったのに破局、そして、間髪をおかず二度目の結婚。
二度目の結婚は血の繋がりこそ無いけど実際に愛情を受け止めてくれた娘がいた。
なのに、その家族ともやはり僕の一方的な無責任な行動で別れた。


そんな時、渦中の僕は、全ての責任をパートナーが原因の様に巧妙に自分のプライドを保てる程度に周囲に話し、今の、周囲が相手をしてくれる程度の人に成りすましていたのだ。


酷いプロフィール。人としてどうなの?っていう事。
だとしても仕方ない。
今の自分しか自分じゃないんだから。


僕は、一つ一つ、傷つけた、子供達、パートナー、両親、弟、学校の先生、その間に付き合った人々、、、
一つ一つ思い返しながら、相手の気持ちを辿りながら、今の自分を、残りの人生を、噛み締めながら歩いていきたい。
そう、今年の夏、長女に女の子が誕生しました。ありがとう。
その瞬間、その日のブログに一番書きたかったのに書けなくてゴメンね。
こんなオジイでゴメンなぁ。でも、現時点で世界で一番可愛い女の子なのは間違いない。




最後に、こんな素直な気持ちにさせてくれた、今日まで傷つきながら、一緒に歩んでくれた君にも心から感謝。
ありがとう。


うーん。かっこ悪いなぁ。(笑)


過去のものも含めて、ブログを公開したのも同じ時期でした。
ずっと気になっていたこと、自分の「人でなしっぷり」を書かずにいたことをようやく書けました。
しばらく更新はお休みします。
(なんだか、照れ臭いのと、仕事も佳境を迎えそうなので。)

チョット早いけど、よいクリスマス&よい新年を!

金曜日, 11月 14, 2008

今日は

会社の食堂ランチ。

KY

KYと言う言葉がいつの頃から定着した。
いつの頃からか定着したと言うことは、それより以前はそれほどKYは目立たなかったと言うこと。(超大雑把だけど断定)


KYが目立たなかった時代。それは、共通の環境で生きていた時代。一億総中流とまで言われた時代。


そもそもKY空気を読むって事は何なのだろう。
ここのところ、そんな事を考えざるを得ない事が重なったので考えてみた。

「空気」を「読む」と分解して考えてみる。

・空気
この場合の空気は、本来は「周囲の空気」「相手の空気」で、自分以外の空気を指している。
翻って、「自分の空気」は、特に意識しなくても感じている。読まなくても感じられる。
自分の空気は感じているのだとしたら、相手の空気は、相手が感じていることだ。

・読む
もう書いちゃったけど、感じるのとは違う。
相手の空気を「想像」して、相手の感じていることを「想像」することだ。
絵や音楽を鑑賞することに近いかもしれない。

そう考えてみて、空気を読む、と言うことは相手の感じていることを想像する事。
いや、「相手の感じていることを正しく想像すること」だ。(回りくどーいけど、ようやくスッキリした。自己満足。)
ここで新しいキーワードKYにおける「正しく」って何だろう。

・正しく
自分が長年経験した事や経験した立場なら想像はたやすい。
一方、自分が経験したことの無い事、例えば、宇宙飛行士が便秘で困っているときの空気、はちょっと読み難い。
便秘の経験があっても、無重力でそうなった時の想像はなかなかし難い。
(想像は難しいけど、無重力の空中で匂いはどうなる!?とか、想像は尽きないが。)
オバマ新大統領のホワイトハウスでの暮らしを始めるに当たっての不安、こうなるとほぼ想像できない。
ブッシュ大統領の飼い犬がホワイトハウスから引っ越すに当たっての不安、これはもう、おとぎ話ぐらい想像できない。
「正しく」想像するために、まず、自分の経験で比較的近い経験を元に想像力を働かせる。
「正しく」想像するために、次は、自分の知識で比較的近い知識を元に想像力を働かせる。
「正しく」想像するために、後は、その相手と話す。話す。話す。



閑話休題、先日、筑紫哲也さんが亡くなった。
72才。去年亡くなった私の父と同い年だ。
有名人の死なんて、通常は、ニュース以上の感傷は無いのだが、10代の終わりから、多感な時期に朝日ジャーナルを読んでいたこともあって、その報せはショックだった。
その訃報にもショックを受け、そのニュースに関しては思考停止していたのだけれど、後日の追悼番組?では、なんだか父のお葬式の時と同じような気分だった。
一度も会った事が無い彼に、何度も何度も会っていた様な気がするほど、彼の伝えたかった事が伝わっていたんだなぁと思った。
「現場で直接話を聞く」事を大切にしていた彼は、超一流の「空気を読む」人だったんだろう。



話し戻って、自分。
「空気を読む」為には人と正面から向き合って話すことが必要。言葉を選んだりしていてはいけない場合だってある。
でも、僕は、人と対峙する時に、表向きの温さに流される事がほとんどだった。
時には、感情を露に傷つく覚悟で正面から傷つけて、その傷つけた責任を負うみたいな事が、人の痛みを、痛みを持つ人の気持を読む上で必要なのだなと感じた今日この頃なのでした。

沖縄で多い病気

沖縄で暮らしていると「メタボ」がこの土地で特徴的な病気(ではないが)だということは知っていたが、もう一つ、尿管結石とか胆石とか「石系疾患」が多いのだそうだ。
それは、沖縄の水がカルシウムが多いから?と言われているようです。
(逆に骨粗しょう症の予防に良いという話もあります)

たまたま、同僚で唾液腺に石が出来た人がいて、そんな話から知ったのだけれど、唾液腺に石ができると、もう、「食べることが楽しくない」のだそうだ。
唾液腺は舌の付け根辺り、左右にあるそうなんだけど、痛むと、横顎と首の付け根辺りが痛いのだそうだ。
唾を飲んだり、唾が出そうになるのが苦痛で、酸っぱい物を思い出したりも出来ないと言ってました。
結果、食事を楽しむなんて事はできないのだそうです。

その痛みは、健康な僕には想像しか出来ないが、「食べることが楽しくない」のはカナリキツイ。
何とかならないもなのかと思い、ググってみました。

分かったのは、西洋医学的には「手術」するしかない(彼もお医者さんにそういわれたが手術はしたくないのだそうです)のですが、東洋医学的には「漢方薬」で治る、というより症状が無くなるケースもあるのだそうです。
この同僚も「漢方薬」をこれから試すと言っていました。
ちなみに、その西洋医学のお医者様は、マッサージも効果がある場合があると伝えたそうです。
(残念ながら彼はマッサージでは良くなっていないそうです)


彼が「食べることが楽しくなる」といいな、と、食べることが生きがいの僕は思うのでした。

木曜日, 11月 13, 2008

天ぷら弁当

なんだかなぁ。

水曜日, 11月 12, 2008

沖縄の満月

写メでもこんなに明るいんです。

今日は

朝作ったお弁当。

火曜日, 11月 11, 2008

(ナベアツ風に)散文三話

①【体重支持型歩行アシストロボット】

アシスト付き自転車は、自転車で移動する僕の体力をアシストしてくれる。
僕は、お陰さまで自転車に乗ることに何ら不自由の無い体だから、このアシストは充分過ぎるほど役に立っている。

一方、何らかの障害で歩くことに障害を持っている人の中には、自転車に乗る事はできない人もいる。

↑の動画にある外骨格系ロボット?「歩行アシスト」があればアシスト付き自転車はいらないのかもしれないと思った。
歩行アシストを装着したまま自転車に乗ればいいのだ。そのままアシスト付き自転車になる。
あるいは、車の運転の際にも、極わずかだとは思うけど、特に長距離運転の際など、歩行アシストを装着して運転した方が楽になるかもしれない。
体力的な問題や、身体の障害で、自分の足で山に登れなかった人が山登りを楽しめるかもしれない。

と、いい感じに未来をイメージしたのも束の間、きっと軍隊は、歩兵の徒歩移動を長距離化するとか重い武器を持って移動出来るとか、夢の無い事を考えているかもしれない。っていうか考えるだろうなぁ。
はぁ。ヒトって。


②【沖縄も涼しくなりました】

沖縄は雨が四日も続いています。
既に梅雨時でも経験しなかったような長雨です。
昼にお日様が全く顔を出さないなんて、ホントに、滅多に無いのに、この二日間なんて、100%お日様は顔を覗かせませんでした。

日照時間が少ないので、家の水道水が冷たくて、とても久しぶりに「水道が冷たい」感覚を思い出したりしています。当然ながら、シャワーもお湯を沸かさないと無理。

と、日照時間を調べてみると、なんと意外。
沖縄は年にばらつきがあるものの、日照時間は東京や千葉より少ない。北海道よりも少なかったりもする。
(2000/2005/2006三年間の平均)

各都道府県で定められた調査地点の南側に山があるとか、雨が少なくないとか、いろんな要素はあるらしいのだが、納得いかないなぁ。
僕の体感では東京の3倍ぐらい日照時間があるように感じているんだなぁ。

きっと、東京ではビルの谷間で空が見えないからそんな風に感じるのかもしれないな。


【外耳炎】

今まで海に入っても何も問題なかっんだけど、少しは仕事らしく忙しくなって長電話があったせいか、雨のせいか、10日ほど前から続く原因不明の左耳の痛みで朝病院へ。
診察結果は外耳炎。単に耳掻きかなんかで引っかいたか何かで炎症を起こしているのでは無いかとの事。
一応、ばい菌の検査もしてもらいました。(結果は後日)

ということで、耳鼻科屋さんは、朝から繁盛していて、僕のアレルギー性鼻炎もしっかりチェックされて、鼻炎の薬も薦められたけどお断りしました。
で、目薬と同じように耳にも耳薬がある事にビックリ。
説明では「三滴たらして三分横になっていてください」って言われたけど、三滴がわからなーい!見えませーん!
、、、と、訴えると、「十滴ぐらいまで大丈夫だからさー」だって。

雨続き

土曜日から毎日降ってます。肌寒い日。でも、ランチは楽しい!

月曜日, 11月 10, 2008

今日のランチ

チンゲンサイと四角豆のピリカラ炒め、豚キムチ、卵焼き。キムチ以外は沖縄産。

日曜日, 11月 09, 2008

週末DVD三本!半額!(by TSUTAYA)

  

↑ちょっと早いけど、このアルバムの二曲目Silent NightをBGMにどうぞ。Jamendoクリエイティブコモンズというライセンス形態で楽曲をダウンロードできるサイト。今年、このサイトに登録されたアルバム(当然、CD屋さんでは売っていない)は1万枚を超えました。
1万枚もあると、もはやメジャーでもおかしくないレベルの音楽もたくさんたくさんあります。
レベル云々なんてナンセンスで、ここには「(儲けられなくても)表現したい」表現者がたくさんいます。
21世紀のマイケルやEW&FやBeatlesは、こういう世界から羽ばたくハズです。

=============================
DVDの話はここから
=============================
・ニライカナイからの手紙
・バベル
・それでも生きる子供たちへ

この週末に観た映画。
ちょうど雨の週末、土曜の夜なんて雷雨で嵐の夜だったし、近所には映画館は無い(映画館跡地はある)ので、先日失ったホウキを買うのもあって、久しぶりにレンタカーを借りて、ちょっと遠出してTSUTAYAに行って借りた。



「ニライカナイ」は母の深い愛情を描いた映画。
「バベル」は世界中がネットワークで繋がる一方で家族のコミュニケーションは失われつつある世界を描いた映画。
「それでも・・」は、格差の底辺で虐げられながらも笑いながら生きていく子供たちを7人の映画監督がそれぞれ7つの国を舞台に描いたオムニバス映画。

いずれも良かったんだけど、「ニライカナイ」>>>「それでも」>「バベル」かな。
バベルは、評判だったトリッキーなストーリー回しが評判ほどには感じられず、あの評判は、ネットとか使っていない人が書いたのかなぁ、、、って感じ。



人は、正解の無い未来を、正解があると信じて、あーしてみたりこーしてみたりしながら生きている。
でも、実は、みんな正解を知っているのかもしれない。
みんな、何年か前は子供だったのだから。
子供だけは、この世界が生きる価値がある世界だ、と何の疑いも無く信じている。

両親にいつもそばにいて欲しかった。
両親にいつも話を聞いて欲しかった。
両親と一緒に暮らしたかった。

お金が無くても笑顔でいられた。
偉くなくてもいろんなモノに興味を持てた。
グルメじゃなくてもご飯が美味しかった。食事は楽しかった。

全ての子供は3才位まではノーベル賞受賞の可能性があるという。
3才を過ぎると、あっという間にノーベル賞どころか何%かは犯罪すら犯すようになってしまう。

インターネットも携帯電話もお金すらも無くても生きる子供たち。
一方、僕も含めて何も出来ない大人たち。
いや、出来ないだけならまだいい。生きようとする子供達の邪魔をする大人たち。

そんな事を考えて、現代って何万年前も100年前も去年もずーっと現代だと生きるヒトは思い込んでいる。
実は、今は、ホモサピエンスの歴史の中でまだまだ原始時代なのだなぁと思ってしまうのでした。
ごめんなさい。僕は脊椎動物門哺乳綱サル目真猿亜目ヒト科の生物♂です。



そう。一泊二日でレンタカーを借りた週末。外は雨。
そんな天気だと、普段なら、家に篭りながら料理したり、音楽を聴いたり、静かに過ごしているのに、車があるとTSUTAYAもそうだけど、気軽に買い物に行くし、気軽にドライブするーしたりファミレスに行ってしまい、返す頃には「やっぱり車があったほうが便利」と考えそうになって「いやいや、そう簡単に流されなくていいから。車が無い生活楽しんでんじゃん」と、一人突っ込み。

それから、車でお出かけ、面倒だからその辺で外食。
沖縄の定食屋さんは安い上に一食の量が多い。
そうやって、メタボリックまっしぐらなんだなぁと反省。

車を返してきて、ちょっとホッとしているのでした。

>>>>>>:-P

金曜日, 11月 07, 2008

今日のランチ

夕べは飲み会でお弁当はお休み。

木曜日, 11月 06, 2008

会社の

500円ランチ!

困ったチャンに感謝


アメリカ初の黒人大統領(っていうカテゴリが存在する程度のまだまだ原始人間社会。日本初の黒人首相はあるのか!?)に関係ない私的話題。


「真面目というか融通が効かない、柔軟性が無い人」

いるんですよ。こういう人。
そんな人と世間話をしていた時に、
「○○さん、動物は何が好き?」
こう質問した時に、
「動物は餌が好きです」
と、僕の日本語の使い方の間違い(僕は○○さんが好きな動物を聞いたつもりだった)に気がつかせられた人。


一事が万事こーゆー調子なので、仕事上の何気ないやり取りでの意思疎通はなかなか叶わず、周りに言わせれば苦労させられる困ったチャン。

一般的な企業活動は「株主というギャンブラー」や「儲けてナンボの経営者」や「上昇志向のサラリーマン」等の要請で困ったチャンの存在は本当に困ってしまうわけだけど、きっと、学校の先生や公務員だったらそこそこ「変わった人」で通るのかもしれない。

よく思う、、いや、たまに思うのは、こーゆー「変わった人」達のお陰で河豚を嗜む事ができ、ホヤという珍味を味わい、お酒を楽しみ、唄を歌い、踊ったりする楽しみを貰っているのだということ。
多様性に対し、なんだかんだと許容してきた人間社会の面白さは、正にそこにある。


「株主のために存在する」企業もあってもいい。
だけど、「変わった人」を受け入れられる社会であり続けて欲しい。
(と、あの素晴らしい大統領就任演説的なオチに辿り着くわけだ)


水曜日, 11月 05, 2008

地元のパン屋さん

営業時間が18時30分までなので幻のパン。美味しいんだけどねぇ。

火曜日, 11月 04, 2008

著作権が担保になるということ

なんか、あの時代80年代後半?90年代?辺り、CDの特性を意識した曲作りが話題になった("サビ"至上主義。曲のイントロがいきなりサビなど。CMとかで長短時間のオンエアでも曲のインパクトを伝えやすいと言われた。事実、当時はそんな曲ばかり流行った。
もう、いきなり「ズバッドンドコドゥルル♪こぉけぇの~むーすーうまーあぁでー♪イェイェィ♪」みたいな感じ。)、そんな、あの時点での「稀有の作曲家」が逮捕されるのだそうだ。


僕はあの手の音楽は、秋葉原店頭バイト時代に買い物ゲームBGMの様に流れている場面(ホントに一日中飽きずにかかってた)でしか聞かなかったので精神的被害はないけど、そもそも、今、彼を応援したくて当事の彼の曲をカラオケで唄っても既に彼にすんなり実入りがあるわけではなさそうな話に驚いた。

著作所有権?を、証券化というか担保にしていたというのだ。
ということは、今、彼に同情して、「頑張れ!てっちゃん!」と彼の歌をカラオケで歌っても、彼の夕飯のオカズにもならないのだ。

なんかなぁ。著作者をリスペクトしているから、例えコピーでしかなくても、その著作物(CDやカラオケ)に使用料金を支払っているのに、それを担保にしていた著作権者も著作権者だし、それ(使用権)を買い叩く企業もなぁ。
今回騙されちゃった人は気の毒だけど、既にそれをどっかの会社が買っていたわけだ。
その会社は、きっと、全曲の著作使用権を法律が定める期間で実入りを計算して、利回りに換算してみて、何億以下なら「買い!」とか考えていたわけだ。スバラシイ。


もし本当に作曲者なりクリエイターをリスペクトしていたら使用権を独占しようとは思わないのが倫理的というか「人の道」だと思うんだけどね。かといって、放って置いたら、誰かが権利を主張し始めちゃうわけだ。以前あった2chの"のまネコ"キャラのように。
※これまたAVEXって。。。
間違いなく、彼の著作物所有権や使用権を担保に金を貸した人たちは、彼をリスペクトしていない。
もしくはリスペクトしていない人がほとんどであろう。
   ∧_∧
   (  *゚w゚) ノマノマイェイ!!
   (    )
   | | |
   (_)_)

以前、ケンタッキーフライドチキン日本支社が、年に一回、鶏への感謝を表すために神社にお参りする、っていうニュースを見た事があるけど、そういう「普通の感覚」が働かない世界なんだなと思った。
きっと逮捕されそうな?彼は、普通の感覚では無いトコロに行っちゃったんだろうね。
合掌。


ここでWikipediaにて学習。
・著作権の目的(著作権法の抜粋:法律条文には著作権はないんだそうだ。当たり前だのクラッカーby藤田まこと。)
- ・・・文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与すること
・著作権の定義
- 知的財産権
- 無体財産権
・財産権
- 公共の福祉はこれに優先できる(皆の生活を脅かしたりする様な事態の場合は没収も可能)
・所有権
- 著作物の所有権は移転できるが著作権は著作者に残る。
(所有権を移転したからといって著作者の許可無しに改変はできない。=著作人格権)
・著作者人格権
- 公表権:公表するしないを決める権利
- 氏名表示権 :著作物への著作者氏名表記に関する権利
- 同一性保持権 :改変、変更、切除などを認めない権利

ほら、やっぱり、「文化の発展に寄与」するのが著作権の目的だと書いてある。
文化の発展に寄与しないなら「著作権は発生しない」ぐらいの解釈だってできそうだよ。

その著作権を担保に、当人の能力以上のお金を前払いで渡して、破綻したら回収する、限界点を超えようとして詐欺行為に手を染め

る、、、、そんな感じ。


そもそも、著作権であれなんであれ、気に入った音楽があったとする。表現してくれた音楽家に感謝とリスペクトの意を抱く。
一方、ミュージシャンがライブで「ありがとう!」というのは、価値を分かち合える一人一人が集まり、楽しんだことへの一人一人への感謝では無いのか?
(お金まで払って来てくれて、僕の唄を聞いてくれて、共感してくれて、ありがとう!)
僕らは、たまたま耳にした、その「音楽を作った人、唄っている人」を中心にリスペクトしているのだ。

増してや、著作権人格権?だかを保持する作曲者や作詞家が亡くなった後にも著作権で何らかのお金が遺族などに入り続け、その場面で、故人を偲ぶ風でもないレコード会社が利益を得続けるのは、「文化の発展に寄与」しているとは思えないな。

そんなことより、リスペクトする人たちが、例え亡くなっても、毎年命日にはお墓参りが絶えないとか、そういう事の方が心に響くなぁ。
さっきも書いたけど、リスペクトが心に響く例.
ケンタッキーフライドチキンが毎年「ブロイラー感謝祭」をやっている。これは心に響く。
僕が食べた分まで感謝しておいて欲しい。ホントに。


官僚や国会議員が当たり前の様に「法に触れていない」から倫理的には疑問があるお金を堂々と手にする時代。
多分、被告になり有罪となった某歴史的首相が最後まで反省の弁を語らなかった、いや、「やっちゃっいました」的態度を示さなかったこの国の迷走は、もうしばらくは止まらない。
(↑大きく出てみた。(汗))

。。。と、文章の迷走も止まらないので今日はここまで。

※追伸
よくよーく考えてみたら、僕は、パッケージ化そのものに感動して購入したLPレコード(not CD)が過去にありました。
それは松田聖子の「Windy Shadow」'84で、当時ハマっていた海外大物スタジオミュージシャン達がレコーディングに参加していて、彼女の唄はそっちのけで、バックバンドの演奏を聴いていたのでした。
ソニー大レーベルの組織力をまざまざと見せ付けられた一枚。

11月最初の

お弁当。
今日も元気だランチが旨い。(ハズ)

土曜日, 11月 01, 2008

不幸

日常に不幸な出来事は潜んでいる。
昨日の朝、まさにそんな不幸な出来事があった。

以前、休日の朝、気持ちのよさそうな朝、外の空気を思い切り吸いたくなるそんな朝。
カーテンを開け、掃き出しのサッシをガラガラッと開ける。
と、バタバタっと目の前を何かが落ちていく。。。。そう、3匹、いや4匹のヤモリの家族。サッシの網戸に張り付いていたのだろう。
そのうちの1匹か2匹は家の中に入ってきて、もう、大騒ぎだった。
そんな、繰り返してはいけない不幸が以前にあったのだ。

そして、昨日の朝。
もう秋らしくなり、休日の朝、というより昼近くに目を覚ましても、外は気持ちのよさそうな日。
繰り返さないと誓った不幸を思い出しつつ、もう、無造作にサッシを開けるなんて事はしない。
まず、玄関から1.5mほどの柄の長いホーキを持ってくる。(万が一、ヤモ君に出会っても優しく掃き出せる。)
そうして、ドンドンドンっと、サッシのガラスを叩く。事前にヤモ君家族たちをどこか遠くの僕の知らないところに非難させるのだ。
うん。今日はヤモ君一家は、このサッシにはいないようだ。
そっとサッシを開ける。うん。やはりヤモ君はいない。よかった。
無事にサッシが全開され、爽やかな秋の風が部屋に入る。気持ちよい。
ふと、足元をみると、サッシの外の、庭というかコンクリート敷きに、既に干からびた多分ネズミ?の死骸がある。
うーー。一旦は見て見ない振りをしたものの、どうも、その死骸に小さい蟻が集まるようで、サッシの周囲から蟻が家の中に向かってくるではないか。

ここから蟻との戦いが始まる。
そもそも、家のサッシ周辺数箇所には「蟻の巣コロリ」が仕掛けてあるのだが、あの粒状の薬よりもその蟻達は小さい。
仕方なく、元凶のネズミの死骸を、庭の向こうの藪に放り投げることを決意する。土に返すのだ。

こんな時のための1.5mの長い柄のホウキだ。
サッシの先1m程に毛付きジャーキーと化した小動物だったモノを、人類3大発明品のホウキで藪に飛ばすのだ。
サッシから身を乗り出してホウキの先の平たく刈揃えられたホウキそのものを小動物の下に差し込む。

イメージはこうだ。
差し込んだホウキを斜め上前方45℃に、ちょうど砂場に落ちたゴルフボールを打ち出すような感じで振り上げれば、その小動物の死骸は、前方にある庭の塀を飛び越えて、その先のうっそうとしたジャングル地帯へ飛んでいくであろうと。

緊張の中、ホウキは10cmほど小動物を前に押し出した辺りで下に差し込まれた。
よし、これで、ホウキを振り上げれば、小動物は確実に土に帰る。心の中で冥福を祈る。
さぁ、いくぞ。えいっ!



その直後、コンマ3秒ほど後に僕の視界に映ったのは、縦方向に回転しながら新体操のバトンの様にジャングル地帯にきれいな奇跡を描いて飛んで消えていくホウキ。
そして、更に10cmほど前方に地面を移動しただけの小動物の死骸。

あぁ。ホウキ買わなくっちゃ。。。
(そのジャングル地帯は、どう考えても、ヤバそうなので覗くことすらできません。今だって、ジャングルから伸びた枝には手のひらほどのクモが一畳ほどの大きさのクモの巣を張っているぐらいなのですから。)

↑ちゃんと後でジャングルに葬りました。合掌。。

ダイヤルアップ接続


今、僕の住まいで、どうやってネットに繋がっているかというと、KDDIのモバイル通信カードでのダイヤルアップ接続。そう、要はモデム接続。
ホームページを見るときは、クリックして、しばらく読み込み中のクルクル表示を見つめて、ジッと待っていると画像がズンっ、ズンズンっ、ズンズンズンっ、って感じで表示されます。
youtubeなんて長らく家では見てませんなぁ。っていうか、最近のホームページ、画像多過ぎ。容量考えていなさ過ぎ。もっと、Gifにするとか、色数減らすとか、ボタンまで画像にすること無いじゃん。
ダイヤルアップユーザーのことも考えてほしいなぁ。


引越し前は"KDDIひかり"で、ひかりTVまで引き込んでナショジオやらオンデマンドなビデオ配信まで利用可能だった。
(いま思えば、そんなにチャンネルを増やしても、見る時間は限られていて見てられなかった。当時は何を考えていたんだか。)


しか~し、ここに、KDDIひかりは引越しできなかった。サービスエリア外なのだ。
地デジすらNHKしか満足に映らないこの場所。(ちなみに民放は、なんかブロック崩しみたいな画面が暫く映り、その後、真っ青な画面になる。。。)
インターネット常時接続なんて未来の話は関係ないのだ。

ということで、モバイル通信カードbyKDDIで、かろうじてダイヤルアップしています。
このカード、普通に携帯電話と同じ電波を使うのだが、そもそも自宅がAU通話困難。
全く通話出来ないわけでは無いのだが、電波が弱い(携帯音声通話も同じ状態)、時々切れる、、、ようなわけで、引っ越して暫くしてからようやく家の中で弱めながらも安定している場所を発見。
1Fの奥の部屋の窓際で床から70cmほど離れたとこ。。。。
この場所(高さも場所も10cm動くと電波が切れたりする。。。)だけが、長時間安定してアンテナ2本立ち続けるところ。バリ2な場所。

そのアンテナ2本立ち続ける3Dピンポイントな場所に、バケツなどを積み上げ、その上に「固定電話」のように携帯は鎮座。
もちろん、PCも、そこでしか使えない。
いくらなんでも酷い。ということで、AU-SHOPに相談したところ、ようやく「KDDI 電波障害バスターズ」が、ヘルメットにツナギというユニフォームでウルトラ警備隊のような車に乗って我が家にやってきました。(妄想が入ってました。普通の格好でした。)

家の中で調査すること30分余り。予想以上に綿密に調査しました。
調査にはスパイ大作戦的な見慣れたようでよく見るとちょと違うような感じの機械を使います。
一番のスパイ大作戦は、某米国から中国に身売りされたPCにしか見えない真っ黒なPC。でも、きっと、とてもスペシャルなPCに違いありません。
そのPCに古そうな携帯電話を繋いで、パタパタとキーボードを操作すると、家の近所の地図が表示され、地図上で近くにあるアンテナをクリックすると数字やらグラフやらで電波状態が表示されます。
そのアンテナのアイコンをマウスでグリグリっと動かすと、アンテナがあっち向いたりこっち向いたりするに違いありません。(だから妄想です)

今度は、やはり取り出した、「いまどきそんな分厚い折りたたみ携帯あるの!?」的な携帯電話でどこかに電話します。そうすると、まるでラジオの様に音声や音楽が流れっぱなしのどこかに繋がります。スパイ大作戦の本部にはFMラジオのサテライトスタジオがあるようです。楽しそうなDJの声と音楽が聞こえてきます。
もしかすると、あれは携帯電話型のラジオなのかもしれません。もしくは、携帯電話の電波で実はラジオも放送しているのかもしれません。
あぁ、あのラジオの電話番号を聞けばよかった。。。


そのラジオかもれない携帯の向きを変えたり、持ったまま部屋をウロウロしたりして通話状態を調べます。
たまに、ラジオの音声が途切れたり、通話自体が切れてラジオに電話を掛けなおしたりしています。
時折、バスターズ(モンゴロイド:♂:使用言語 日本語)は、うなづいてみたり、首を傾げてみたり、目を閉じて考え事をしてみたり、そしてメモメモしてみたり。

結論は、我が家は、坂道をちょっと下ったところにあるために、坂の上にある直近のアンテナの電波は超不安定、次に近いアンテナは坂を下って登ってちょっと下ったところにあってやはり間の山が邪魔。
結果的に我が家の電波は、我が家から見える海(湾)の向こう岸の、すんごい遠くの隣の町のアンテナから海を越えて超弱い電波を拾っているということ。
たまーに、近所のアンテナの強い電波も拾うんだけど、これはアンテナから見ると、ここは窪地の様になっているために超不安定なんだとか。
「電波って上下左右に揺れながら広がっていくんです。近くの電波は下方向に揺れたときに拾っているようです」
なんだって。
この話を聞きながら、電波をマンガちっくに表現するときの波線は、正しい表現なんだなぁと感心しました。


ということで、携帯電話用のごついアンテナをお借りすることになりました。(冒頭の写真)
確かに、これを付けると、家の何処にいても電波が途切れることはありません。通話は切れない。
But,しかし、PCのカードには接続できないため相変わらずPCは不安定なネット接続環境のままなのでした。

ちなみに、ここの地域はNTTに加入しなければADSLは繋げられず、なんとなくNTT嫌いの僕としてはADSLという選択肢はない為に、この時代に「ダイヤルアップ接続」にてネットを使っているのでした。
お陰さまで、怪しいファイルをダウンロードをすることも無く、健康的なネット生活なのでした。
(泣)