金曜日, 11月 14, 2008

KY

KYと言う言葉がいつの頃から定着した。
いつの頃からか定着したと言うことは、それより以前はそれほどKYは目立たなかったと言うこと。(超大雑把だけど断定)


KYが目立たなかった時代。それは、共通の環境で生きていた時代。一億総中流とまで言われた時代。


そもそもKY空気を読むって事は何なのだろう。
ここのところ、そんな事を考えざるを得ない事が重なったので考えてみた。

「空気」を「読む」と分解して考えてみる。

・空気
この場合の空気は、本来は「周囲の空気」「相手の空気」で、自分以外の空気を指している。
翻って、「自分の空気」は、特に意識しなくても感じている。読まなくても感じられる。
自分の空気は感じているのだとしたら、相手の空気は、相手が感じていることだ。

・読む
もう書いちゃったけど、感じるのとは違う。
相手の空気を「想像」して、相手の感じていることを「想像」することだ。
絵や音楽を鑑賞することに近いかもしれない。

そう考えてみて、空気を読む、と言うことは相手の感じていることを想像する事。
いや、「相手の感じていることを正しく想像すること」だ。(回りくどーいけど、ようやくスッキリした。自己満足。)
ここで新しいキーワードKYにおける「正しく」って何だろう。

・正しく
自分が長年経験した事や経験した立場なら想像はたやすい。
一方、自分が経験したことの無い事、例えば、宇宙飛行士が便秘で困っているときの空気、はちょっと読み難い。
便秘の経験があっても、無重力でそうなった時の想像はなかなかし難い。
(想像は難しいけど、無重力の空中で匂いはどうなる!?とか、想像は尽きないが。)
オバマ新大統領のホワイトハウスでの暮らしを始めるに当たっての不安、こうなるとほぼ想像できない。
ブッシュ大統領の飼い犬がホワイトハウスから引っ越すに当たっての不安、これはもう、おとぎ話ぐらい想像できない。
「正しく」想像するために、まず、自分の経験で比較的近い経験を元に想像力を働かせる。
「正しく」想像するために、次は、自分の知識で比較的近い知識を元に想像力を働かせる。
「正しく」想像するために、後は、その相手と話す。話す。話す。



閑話休題、先日、筑紫哲也さんが亡くなった。
72才。去年亡くなった私の父と同い年だ。
有名人の死なんて、通常は、ニュース以上の感傷は無いのだが、10代の終わりから、多感な時期に朝日ジャーナルを読んでいたこともあって、その報せはショックだった。
その訃報にもショックを受け、そのニュースに関しては思考停止していたのだけれど、後日の追悼番組?では、なんだか父のお葬式の時と同じような気分だった。
一度も会った事が無い彼に、何度も何度も会っていた様な気がするほど、彼の伝えたかった事が伝わっていたんだなぁと思った。
「現場で直接話を聞く」事を大切にしていた彼は、超一流の「空気を読む」人だったんだろう。



話し戻って、自分。
「空気を読む」為には人と正面から向き合って話すことが必要。言葉を選んだりしていてはいけない場合だってある。
でも、僕は、人と対峙する時に、表向きの温さに流される事がほとんどだった。
時には、感情を露に傷つく覚悟で正面から傷つけて、その傷つけた責任を負うみたいな事が、人の痛みを、痛みを持つ人の気持を読む上で必要なのだなと感じた今日この頃なのでした。

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