金曜日, 12月 30, 2011

駒門PA

かけ蕎麦。安心。

朝蕎麦デザート

湾岸長島PAの足湯、無料!

湾岸長島PA

朝蕎麦。

吉備SA

かき揚げ蕎麦。(かけ蕎麦無し)

木曜日, 12月 29, 2011

映画「瞳の奥の秘密」



アルゼンチン映画。

ジャンル的にはサスペンス映画。
、、なのだが、サスペンスというより、人生ドラマの方が近いかもしれない。

見終わった後、時間をかけて味わいが広がるのが感じられるような良作でした。
様々な愛情の形を通して、生きているこの時間、を考えさせられる大人の映画。

・25年に渡るストーリー
 同じ俳優たちが、25年のギャップをとても自然に違和感なく演じています。
 役者って凄い。メイキャップが凄い?のかも。
・容赦無い「罪」に対する容赦無い罰と失われるもの
 見終わった後、大きなショックと共に深く深く考えさせられます。
・"大人の"愛情
 これまた深く深く考えさせられます。
 妻に対する愛情、屈折した愛情、自己犠牲の愛情、、、
 正解のないような問いなんだけど、主人公の最後の決断でホッとさせられました。
・映像の美しさ
 映画冒頭の映像。心の奥底で互いの愛情を感じ取っている男女の駅での別れのシーン。
 映画に引き込まれるだけでなく、主人公同様に僕まで繰り返し思いだしてしまう心に残るシーンです。


そもそも、アルゼンチン映画って他に何か見たことがない。
だからなのかはわからないけど、とても独特の雰囲気、味がある映像が心に残ります。
ピアノの音色を中心に、音楽も華美にならず、旋律と言うより澄んだ"音"が記憶に残ります。

"たまたま"なのかどうかは分からないけど、また、アルゼンチン映画を観たい、と思わせるに充分な良作でした。

火曜日, 12月 27, 2011

30日から冬休み



今年の夏休み、ここ北九州から盛岡に向かう高速道路で、果たして、どこを境に「かけ蕎麦」が東日本風になるか、という調査を敢行した。
結果、駿河湾を境に、うどん屋さんのなんちゃってかけ蕎麦が、東日本の正統派かけ蕎麦になる、という事を発見し、調査を終えた。

あれから半年。
この冬初めての冬休みである。
最近では元旦にも大抵のお店は開いていて、全くの冬休み感は減退気味なんだけど、まぁ、とにかく冬休みだ。
"元旦も休まず便利"ではなく、"元旦にもお金を使わせられている"だけだと気がつくのはいつの日か。。。

ともあれ、この冬休みは、いつもの「どうやって長期休暇の許可を得るか」に悩む必要はなかった。
何故なら、有休が残っていなかった、からだ。
長期休暇も何も、もう、年内は休暇を取れなかったのだ。職場自体が29日まで営業日なので、30日からが冬休みとなる。

そんなわけで、上司の前でも客先でも、堂々と過ごす年末であった。

駄菓子はお菓子、だがしかーし、私の会社は12月年度末なので1月には新たに有休が使えるではないか。
ちょっと心配で、確認してみたが、やはりそうだ。1月には来年の有休が付与される。
お魚も有休も新鮮なうちに調理するのがいい。

ということで、この冬休みも、ここ北九州から盛岡に車で向かってみようと思う。

で、その道中のテーマを検討することとなった。冬休みの自由研究だ。
前回の夏休みのテーマで、蕎麦の西限はわかった。
駿河湾以東でなければ東日本系の蕎麦は食べられないという事実だ。
「伊東に行くならハトヤ♪」というCMがあるが、駿河湾以東が伊東になった、などという事実はない。

ちなみに、前回のコースは、北九州~横浜までが、
九州道→中国道→山陽道→広島岩国道→中国道→名神→東名阪→伊勢湾岸→東名
ということを、NEXCOのホームページで知った。
パーキングエリアよりは少ないが、サービスエリアの数に匹敵しそうな高速自動車の路線。

ちなみに、中国道と山陽道はどっちかが山側でどっちかが海側で並行しているようで、知らないうちに中国道から山陽道に抜け、やはり知らないうちに山陽道から広島岩国道経由中国道に戻っているようだ。
僕は中国道をひた走っているつもりだったが、そんな風に乗り換え乗り換え進んでいたのだ。

気がついたら、もう、私は汚れた身体になっていた、みたいなものだ。
(ナビという箱は、こうやって、50絡みのオジサンの知力低下を促進するのだ。)

話戻して、今年の冬の帰省道中のテーマだ。
なにしろ夏に分かったのは、「テーマがあった方がより楽しい」ということ。
きっと、小学校の夏休みの自由研究も、夏休み最終日以外にやっていれば楽しかったのかもしれない、と気がついた。
あぁ、40年前の自分に教えてあげたい。

そんなこんなで、とりあえず発表しようと思います。

♪ドラムロール♪
2011年冬、西日本縦断高速道路の旅、テーマは、「引き続きかけ蕎麦を食べる」です。
♪シンバル♪

どういうことかというと、前回、この路線でかけ蕎麦を食べたのは、
中国自動車道 王司PA
山陽自動車道 宮島SA
山陽自動車道 小谷SA
山陽自動車道 龍野西SA
名神高速道路 桂川PA
東名阪自動車道 御在所SA
東名高速道路 浜名湖SA
東名高速道路 牧之原SA
東名高速道路 足柄SA
だ。

こういう時にブログというのは便利だ。
こんな記憶も記録(メモ書きとか)も何も無いのだけど、ブログには残ってた。

で、少なくともフードコートやスナックコーナーがありそうで、前回かけそばってないPA/SAが、
九州自動車道 吉志PA
関門橋 めかりPA
関門橋 壇之浦PA
山陽自動車道 沼田PA
山陽自動車道 奥屋PA
山陽自動車道 高坂PA
山陽自動車道 八幡PA
山陽自動車道 福山SA
山陽自動車道 道口PA
山陽自動車道 吉備SA
山陽自動車道 瀬戸PA
山陽自動車道 福石PA
山陽自動車道 白鳥PA
山陽自動車道 三木SA
山陽自動車道 淡河PA
中国自動車道 西宮名塩SA
名神高速道路 大津SA
名神高速道路 草津PA
新名神高速道路 甲南PA
東名阪自動車道 亀山PA
東名高速道路 美合PA
東名高速道路 赤塚PA
東名高速道路 新城PA
東名高速道路 遠州豊田PA
東名高速道路 小笠PA
東名高速道路 日本坂PA
東名高速道路 日本平PA
東名高速道路 由比PA
東名高速道路 富士川SA
東名高速道路 愛鷹PA
東名高速道路 駒門PA
東名高速道路 鮎沢PA
東名高速道路 中井PA
東名高速道路 海老名SA
これだけあるのだ。

ここまで読んで、「どんだけ暇なんだ」と思わないで欲しい。

今年は特に忙しかったのだ。どれだけ忙しかったかといえば、有休が無くなるほど忙しかったのだ。
そんな有休が無くなった50絡みのオジサンに、この年の瀬に三連休(先週末)あったではないか。
冷え込むこの時期の三連休、しかも、街に出た所で胡散臭いだけのオジサンは大人しく家にいたのだ。
もう、ネットサーフィンも回線がすり切れるほどできたのだ。

ともかく、WikipediaとNEXCO西日本、中日本、東日本それぞれのサイトを見た限り、まだ30箇所ぐらいは候補地がある。

充分に道中を楽しめそうではないか。
これこそ、年越し蕎麦ではないか。

そういう事にしておこう。

土曜日, 12月 24, 2011

ポン酢の美味しい食べ方(後編)



どうしてもメインになれないポン酢。
そんなポン酢の窮状を救う「ポン酢メインの料理」を紹介しよう。

これは、ここ、北九州で、まさに今、旬を迎えているフグ、それも"てっさ"だ。

(武田鉄矢風に)
はーい、みんなー、(手を叩きながら)、ざわざわしなーい。
いいですかぁ、ここからが重要ですぅ。
ここからがキモ(フグだけに)ですぅ。


ちなみに、今の今まで知らなかったが、「てっさ」はフグの刺身、「てっちり」はフグの鍋なのだそうだ。
で、それぞれ「鉄刺身」「鉄ちり鍋」が縮んだものらしい。
その名付け親である大阪は、国内フグ消費量の6割を消費するのだという。
大阪人はふぐが好きなのだ。

ちなみにのちなみに、縮むといえば、人生最高体重を謳歌している僕は、セーターに限らず、下着からコートまで全ての衣類が縮んでいるのだけど、それは別の話だ。

話を戻す。
この「てっさ」。
世の中的には「高級料理」「聞いた時、ちょっとハイな気分になる料理」「聞いた時、財布の中身が気になる料理」、、
とされているのかもしれないが、これが、実は、「ポン酢を美味しく食べるための料理」なのだ。
(あくまで「てっさ」(刺身)の話です。)

そもそも、フグの人気というのは、希少とか旨さではない。ここ、勝手ながらキッパリ言い切らせて貰う。
フグの人気は「毒」に起因する珍味的価値なのだ。これも勝手ながら断定させて頂く。

免許を持つ料理人でなければさばけない、うえに、イワシのようには採れた事がないから適度な希少性が維持され、魚全般に言える鮮度の問題から、下関界隈で食べると美味い、とか、そんな事から人気なのだろう。
(実際には、"フグに特化した加工工場"が下関に集中しているのだそうだ。)

で、この「てっさ」の旨さを、この辺りの出身の同僚(約3名)に聞いてみた。
このあたり、北九州市内のスーパーでも、この時期は普通にふぐ刺しが売られている。
さほど高い値段ではない。

そして、その地元のおっさん達の回答は、驚愕のものだった。

A.「よくわからん」
B.「さほど食べたいと思わん」
C.「結局、ポン酢と紅葉おろしで決まる」

そうだ。その、どれも共感できた。

頑張って頑張ってポジティブに表現した所で、結局、フグの刺身は「歯ざわり」以外にフグの味というものは限りなく無に近いのだ。
臭みがないとも言える。

フグの身になって考えて欲しい。
食われないための戦略はそんなにたくさんあるわけではない。
1.食べにくい形の身体になる。
2.食べても不味い体になる
3.ちょっとぐらい食べられても気が付かないぐらい、名前を覚えられないぐらいたくさんの子供を擁し大家族を構成する
4.誰にも出会わないような場所で暮らす
5.祈る

そう、フグは2をメインに選択した。しかも、不味いどころか、「毒」を体内に用意した。
2の完成形だ。
食えるものなら食ってみろ精神旺盛なのだ。
不味い上に毒まで用意したのが彼らの選択なのだ。

しかし、毒生成に進化の力の全てを集中してしまった。
毒の生成は、それはそれは大変な進化なのだ。その毒に自分がやられないように進化しなければならないのだ。
そんなこんなで、フグは、自身の身を不味くする方は中途半端な結果となった。
不味いと言うより、単に味が無いという結果に至ったのだ。

毒+不味い身、なら、スーパーフグだったんだけどなー。

これでわかっていただけただろうか。
「てっさ」は、フグの身の味を味わうものではない。
味わうというのは、「味があって」ナンボだ。
あくまで「てっさ」はフグの身の歯ごたえを、とか、風味をとか、いろいろ世間では言われてきたがどれも、支払った額に対する言い訳なのだ。

「あんなに支払ったのだから、美味かったに違いない」
そう思いたい。人間はそういう可愛い愚かさを持ってるのだ。
プチ情報だが、自分が食べたいかどうか、値段に惑わされずに考えたいなら、
「最後の晩餐に食べたいのか?」
と、自問自答すれば良い事が多い。

ということで、「てっさ」は、実は、ポン酢そのものを味わうための食べ物、なのだ。
試しに、てっさに何も付けずに一口食べる。味わってみるがよくわからない。
次にてっさにポン酢と薬味を付けて食べる。
。。。美味い。

だから、「ポン酢を味わうならてっさ」が真実なのだ。

正確にメニューにすれば、本日のメインディッシュは、「ポン酢のテッサ和え」なわけだ。

ということで、この時期、東京からエライ人が出張でやってくると、「せっかくだから本場のてっさを」などとヌカスのだけど、本当に迷惑だし無意味だからやめていただきたい。

迎え入れる我々は、ポン酢を味わうために度重なる出費を強いられるのだ。
せいぜい、ポン酢に紅葉おろしを味わうぐらいだ。あと、アサツキか。

「ポン酢のてっさ和え」なのだから、適正料金はポン酢代金+αであるべきだ。
それなら、エライ人の要望にも、「どうぞどうぞ、どんぶり一杯好きなだけお食べ下さい」と応えられる。
が、あの値段だ。

いっそ、ロッテ(LOTTE)に「新感覚ガムてっさ」(無味超薄)とかを作っていただきたい。
あるいは、マンナンライフに「新感覚コリコリこんにゃく、てっさ風」(無味超薄)が良いかもしれない。

これなら、飽きるまでポン酢や薬味の味を楽しめそうだ。

しかし歯牙無い(←"しがない"ってこういう字だったのか。。。)平サラリーマンは、エライ人の要望を満たすべく、ふぐ屋の予約に奔走するのでありました。

※ふぐを河豚と書くのは、「ブウ」と鳴くかららしい。
※何度も食べたことがあるわけではないが、白子に関しては美味い。と思う。
が、最後の晩餐に選ぶ気はない。

やっぱり

今日らしいランチ?!

金曜日, 12月 23, 2011

ポン酢の美味しい食べ方(前編)



世間は冬である。
冬は暖かくなりたい。
ホカホカしたい。

ということで、鍋が脚光を浴びる季節だ。
鍋物、実は「手間が掛かっているところを自慢したい料理人およびカリスマ主婦協会」的には、ファーストフード扱いなのだけど、そんな事はおいといて、ポン酢の消費量もグググーンと伸びているはずだ。

そのポン酢に注目した料理があることに気がついた。
是非、ミツカンの次のCMに西田敏行でやってもらいたいものだ。

そもそも、ポン酢というのは、基本は脇役だ。
メインの食材を引き立てるのが彼らのミッションだ。
Wikipediaにも「和食の調味料」と書いてある。あくまで調味料なのだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%B3%E9%85%A2

湯豆腐に、鍋に、しゃぶしゃぶサラダに、なんだったら炒め物や和え物などにも使えるのだ。

だが、所詮ポン酢だ。
調味料の域を超えられないのだ。

「本日の日替わり定食はポン酢定食です」
「メインディッシュはポン酢の鉄板焼きです」
「ポン酢丸焼き」
「ポン酢サンド」
というわけにはいかない。

ポン酢の限界なのか、と勝手に某ミツカンの社員になったような気持ちで、限界を感じていた。
「ごめんなさい。一生、脇役で居させてください」と謝ろうとしていた、まさにその瞬間に閃いた。

実は隠れた「ポン酢メインの料理」が世の中にはあったのだ。
あの有名料理、実は「ポン酢が主役」だったのだ。
目からウロコ、豚に真珠、タンスにゴン、なのだ。

それにしても、前置きが長い。その前置きに恥じない発表をこれからしたい。
と思ったが、今日はここまで。次回に続く。

水曜日, 12月 21, 2011

ウラネット


デパートやスーパーで買い物するなら、その店の人が、来店客の様子や動向を見極めて商品の配置を変えてみたり、空調の温度を変えてみたり、あるいはBGMを変えたり、ありとあらゆる「気づき」を活かして、なんとか売上増に繋げられるように来店客の観察をしている。

リアルな世界では売り場を観察するのだけど、ネットでの購買では、ホームページへの来店客の様子をつぶさに見る=記録に残して記録を見るということになる。
そして、ありとあらゆるデータと売上の相関関係を考えていくことになる。

ページを開いてからクリックする時間と売上との相関、年齢との相関、前回購入してからの期間、どこのホームページから辿ってきたかとの相関、PCでアクセスしているのかMACなのかスマホなのかの相関、もうありとあらゆるデータが使えそうな気になるわけで、それをやるためには、単なる顧客リストを凌駕する大量の記録や場合によっては外部の記憶まで含めた「ビッグデータ」が必要になる。

そういうわけで、amazonなんかが顕著だけど、「オススメ」とか言って、思いがけない商品をおススメられたりする。

このアプローチ、最近はなんか面白く無い。
オススメなんかされてから知るようなモノは、きっと、知らないほうが幸せかもしれない。
オススメされずにいたら、もっと、素敵な方法、しかも、モノを買うのではない他の方法に辿り着けるかもしれない。

ということで、こんなネット通販会社があったらどうなのよっていうヤツを書いてみよう。

このネット通販では他のネット通販と同様に、訪れた顧客に様々なガイドを提供する。
もちろん、流行りのビッグデータをバンバン活用しているのだ。
「これは以前にも購入済みですよ」辺りからスタート。これは今でもあるかもしれない。
でもここからは、 購入に対してネガティブなアピールをする。
「これを見ているということは、あれにも興味があるでしょうが、どちらも使われないランキングに入ってます」
「これは中古市場に流れる率の高い商品です」
「これは携帯性に反して電源ケーブルなしでは使えません」
「この商品の耐久性は○ヶ月と思われます。しかも、その前に飽きます。」
「類似の商品が百均にあります」
「この商品の環境負荷・自然に還元するまでの平均年数は12,400年です」
「この柄はあと5ヶ月で流行遅れになります」
「あなたの年齢でこの商品はミスマッチです」
「この商品の購入した顧客の13万4527人が"ダメ(-1)"ボタンをクリックしています。」
「この商品は、あなたよりも○○さんが上手に使えそうです」
「あなたはこのカテゴリーについて飽きやすいようです」
「あなたの今月のクレジットカード決済額は、過去2番目の高額決済となります」
とかとかとかとか。

「それじゃあやってけないじゃん」と思うあなたはまだまだ甘い。
そもそも、ネット通販って、桁が3桁も4桁も大きい桁の顧客数を相手にする。
準備がないと、スカスカオセチ料理のように、とんでもない失態を晒すことになる。

だからこそ、この新しいネット通販サイトでは、ことごとく購買意欲を削ぐのだ。
もったいないを具現化したネット通販会社。
会社(サイト)名は、ウラネットがいいな。←オヤジ臭

で、本当に売りたいモノだけを、顧客を慎重に選んで売る。
「本当に必要で、度重なる購買意欲低下メッセージにも挫けず、オーダーした」
そんなお客様なら、手にしたら心から幸せになれる、だろうっていうネット通販だ。

当然、取扱商品は本当に価値のあるものになる。
環境負荷がとても小さいものがいいかもしれない。
もしかしたら、宅急便での配送はしない、というネット通販でも良いかもしれない。
「購入された方は店頭までお越しください。遠方の方は旅行を兼ねていらっしゃい。」
「簡易包装もしませんので、お持ち帰り用の袋や箱はご自身でご用意ください。」
「(商品ステータス)ただいま注文頂いた商品を店頭に並べて眺めております。」

当然、1% for the Planetなんて甘いレベルではなく社会貢献もする。
「当店では一切値引きいたしません。売上の10%は、お客様の支払いと同時に、レジ前の赤十字募金箱に寄付させて頂きます」
とか。

これは面白い店になりそうだ。っていうか、来店してもらうから通販じゃないし。

でも、これが近所にあったら、何を売るのか知らないが、行ってみたいと思う。
で、何も買えないのだ。売ってくれないのだ。

うーむ。よくわからなくなった。
ウラネットは難しい。

オチ無しです。

火曜日, 12月 20, 2011

pogoplug(ポゴプラグ)


ボックスPCというジャンル?の製品。
家で使っているハードディスクをインターネット越しにアクセスできるようにしてくれるもの。
ネーミングはいまいち。日本語的には読みづらい。
ポゴプラグ。

ただの黒い箱に電源ケーブルとLANポートとUSB差込口があるだけのシンプルな箱。
ブラックボックスの中身はLinux PCで、Linuxマシンとしても使おうと思えば出来るようです。
Linux化はここを読むとできそう→http://ichi84.blogspot.com/2011/04/pogoplugopenpogo.html


この箱に、LANケーブルを差し、普段使っている外付HDDを繋ぎ、電源ケーブルを差し込むと作業完了。
その後はメーカーのホームページにアクセスしてアクティベーションすれば、あらら、自分のHDDがネット越しに見えちゃいます。
(正確には、私の場合は、最初、ルートのフォルダしか見えないHDDがあって焦りました。HDDの容量や内容に応じてインデックスファイル作成に時間がかかるようです。)

これを意図せずに裏でやったら単なるウィスルなわけだけど、それがウリのこの箱。
メーカーのサイト(https)経由でアクセスすることで所謂ハッキングからは守られる、らしい。
SSL通信も選べる。

少なくとも、自前で自宅のPCをDDNS登録してフリーのSSL入れて、とか面倒はない。
たまにルーターのログを見る機会があると、結構、アタックってされてるみたいだし。

さて、使用感。
久しぶりに「ワクワク感」だけで手を出した箱なのだけど、ま、便利。
出先のPCだろうがAndroidだろうが、良くできたサイト並みに普通に自宅のHDDにアクセスできる。
ダウンロード速度はクラッシー経由のPCで1.5MBほど。
Android君で3G経由でも、普通のサイト並みに動画を見ることが出来ました。
(動画などは接続先のデバイスにストリーム最適化する機能もあるようです。)

と、持ち上げておいての結論。

日常的には使いません。←ここ、ツッコむところです。

だって、HDDに電源入れっぱなしなのもなんだし、日常的にアクセスしたいわけではないので。
貧乏性なのか、電源を切らない、と思った瞬間に、「壊れそう」と心配になり、UPSもRAIDも欲しい、となり、「マイ・データセンターかよ!」と一人ツッコミしてしまう状況になりそうだし。
※電源を切ったからといって壊れる時は壊れるのだけど。

プライベートクラウドとは今っぽくて聞こえはいいけど、年がら年中アクセスしたいわけではない。

というわけで、僕の場合の利用するシチュエーションは、
・大容量ファイルを誰かに手渡したい
・長期家を開けるので、旅先からデータを見たい
ぐらいか。

年に数回の利用のために約\7,000円の出費となるワクワクボックスの話でした。
(月額使用料金とかかからないのが良い。)

※ハミ出し
でも、よくよく考えると、カテゴリー的にはVPNソフトだよ。っていうか、VPNソフトの単機能版みたいなもの。
企業的には「会社のPCでは使わないように」という風になる気がします。
ポゴ君をマウントしたPCがハッキングされるのも怖いし、それ以上に怖いのは、このサービスのサーバー自体がハッキングされる、なんて、考えるのも恐ろしい。

月曜日, 12月 19, 2011

先日の続き「自己年齢誤解症候群」



12月生まれの中高年を襲う「自己年齢誤解症候群」。
なんと、中高年の1/12程度がその症候群になっていると厚生労働省が発表するとかしないとか。

この症候群、昨日は、12月に二度歳を取ってしまう所まで書いたけど、まだ、その後も続くのだ。
12月誕生月を終え1月に入ってもなお、症候群の見るも無残な症状は続くのだ。

その「さらなる恐怖」を書いておきたい。

♪じんぐるべーるじんぐるべーるめがまーわるー♪

もう聞き飽きたけど、12月は師走である。
なぜ、師走なのか、先生がどうして走るのか、12月はむしろ冬休みで先生はのんびりしているのではないか?
そんな疑問はさておき、12月生まれの中高年も、そうでない人々と同じように年を越すのだ。
いや、年を越す前に、三途の川を越すようなことがなければだが、概ね年を越すのである。

で、その「年を越す」が問題なのだ。
ちなみに、「三途の川を越す」場合は問題は起きない。
ちなみにちなみに、年も三途の川も(いずれは)みんな越すわけなのだが。

話戻って。
年を越すと、テレビもラジオも年賀状も久しぶりに合う親戚も友人も、多分"年明けのお父さん犬のCM"も、まぁ、他にネタがないのかというほど、「今年は何をする」のかを話題にする。

年賀状に至っては、自ら「今年は何をする宣言」を去年の押し迫った頃に書いて(印刷して)いるのだ。
もっと正直に、「来年は○○します」と書けば良いのだが、何故かそうはなっていない。
どうせなら、「今年は郵便局の締め切り前に年賀状を出します」と年賀状に宣言すれば良い。

そんな宣言を横目に、「今年も去年と同じように、ぼちぼち、ウダウダ、コッソリやれれば良いかな」と思っているので、そんな返事をすると、それを聞いた人は嬉しそうに「そうだよ。気負わずにね」などと、だったら聞かなきゃいいのに、だ。
もしくは、「いい歳して、もう少し人生真面目に○△※~」と、さほど尊敬できるようでもない相手にお小言を頂戴する場合もある。

そんな1月が「自己年齢誤解症候群」には困ったことになる。
「やぁ、今年はいよいよ○歳になるので。。」的な会話が落とし穴なのだ。

そりゃぁ、1月とか2月、、、11月ぐらいまで生まれの方々はいい。
そんな皆さんは、去年の誕生日以降、それなりの期間誕生日以降の年齢を謳歌してきているわけだ。
少なくとも11月生まれなら丸一ヶ月は「私は○歳」と"今年"抜きで語れるわけだ。

これに対し、12月生まれはヒドい。
誕生日を過ぎて「私は○歳」と"今年"抜きで語れる期間が一ヶ月と無いのだ。
しかも、12月。世の中は某宗教団体の教祖の誕生日に夢中だ。よくわからない赤い洋服を着た髭面の住居侵入罪男も人気だ。
とても、12月生まれの中高年のオジサンの誕生日について注意を払ってくれる余地はないのだ。

そんな中、あっという間に1月がやってくるヤァヤァヤァ。

せっかく、やっとの思いで、年の暮れに二歳取り過ぎた歳を訂正し、ミカンを食べながら紅白を見る頃には正しい年齢を認識したというのに、もう、1月がやってくるヤァヤァヤァなのだ。

12月と1月の間に半年ほど隙間を作って欲しいものだ。
そんな隙間もないのだから、1月に「今年は何歳?」って聞かれても「その質問には答えかねます」という気分なのだ。

だが、全般に人の良いと言われる12月生まれの中高年は「そうですねぇ、今年は(○+1)歳になります。もう、いい歳ですわ。ガッハッハ」などと、この時期だけ通用する"お屠蘇気分"という酔っぱらいを美化した状態で回答するのだ。しかも誰にも喜ばれるわけでもないオジサンの笑顔付きだ。

これを数回やると、もう、年末年始休暇を終えて仕事に行く頃には、「私は(○+1)歳」という誤解が完成し、この誤解が解けるには個人差があるが私の場合は3ヶ月ほどかかる。

こうやって、12月生まれの中高年は、一年の半分ほどを自分の年齢が怪しい状態で過ごしているのだ。
もっと怖いのは、誰からも指摘されなかったり、引き算ができなかったりした場合、11~12月に2歳歳を取り、1月にもう一歳歳をとるため、毎年三歳ずつ歳を重ねていってしまうのだ。

今のところ僕はそういう自体に陥らずに済んでいる。

が、万が一、生まれてまもなくロシアかアフリカか火星とか家政科とか、どこか言葉の通じない国に放り込まれていたなら、今月私は141歳の誕生日を迎えることになるのだ。

危ないところだった。
良かった。ここはまだ日本だ。
(この計算をしたことで、また、自己年齢誤解症候群に陥りそうになる。。。)


最後に、月毎の自己年齢把握状況としてまとめておこう。

1月 誕生日を迎えたばかりなのに「今年は何歳」を意識して新年改めて誤解する月
2月 「今は何歳、今年は何歳」を整理し始め誤解を解こうとする月
3月 ようやく「今は○歳。今年は(○+1)歳」をスンナリ言えるようになる月
4月 花見や新入社員/新入学シーズンで中高年の年齢は放って置かれる平和な月
5月 中高年的には誕生日よりも5月病に悩む若者の存在に悩む月
6月 なぜ、日本でローマ式のジューン・ブライドを望むのか、挙式関連のニュースに毒づく月
7月 長いこと七夕飾りにお願いを書いていないと思い出す月
8月 有休をどれだけ消化しても怒られないか、非難さないか、考える月
9月 まだ冷えたビールが旨い、と確認する月
10月 仕事の成果が明らかになり会社では憂鬱な顔をしていないと余計な仕事が回ってくる月
11月 お、来月誕生日じゃん、と、(○+1)歳を意識し始め誤解が始まる月
12月 誕生日で(○+1)+1歳じゃんと、大いに誤解する月

なんであれ、親に感謝

木曜日, 12月 15, 2011

12月生まれの中高年の誤解



もういつの頃からだろうか、自分の年齢が怪しい。
もちろん、義務教育のお陰で、計算すれば年齢は分かる。多分、引き算だ。

ところが、その、計算した年齢が、まるで他人の年齢のように感じるのだ。
自分の年齢と違うような気がして、暇に任せて指折り数えてみたりしないと間違っているような気がするのだ。

もう何年もそんな状態なのだけど、今年、ようやくその理由がわかった。
自己年齢誤認学会という学会があれば発表しなくてはならない発見だ。

その理由とは、ひとことで言うと、誕生日が12月だからだ。
職場で隣の席のヨカバイおじさんは11月生まれだけどこの理論に理解を示した。
ということは、12月生まれの殆どの中高年は、私と同じであろう。間違いない。

その自己年齢誤解へのステップを解説しよう。

1.誕生月の前の月(毎年11月の出来事)に自己年齢誤解は始まる(「ご」)
 まぁ、誕生月の前月ぐらいになると、「あぁ、来月で○歳だなぁ」ぐらいの事は考える。
 プレゼントされる予定があろうがなかろうが、大人としてのしきたりと言うか、年齢を聞かれた際に正しく答えるためだけでも、とにかく考えるのだ。
 そもそも、自分の年齢を聞かれた時に、スムーズに答えられないのはマズい。
 それだけで、「あぁ、既にボケはじめているのね」などと思われかねないのだ。
 50絡みともなると、世間は、「あぁ、天然だからねぇ」と微笑ましく思ってはくれないのだ。
 「あぁ、冴えない50絡みのオジサンとは思ってたけど、ボケも早いのねぇ」としか受け取られない。

 そんなわけで、11月ぐらいから、いよいよ○歳だな、と自己確認するのだ。

2.誕生月の前の月の終わりごろ(毎年11月後半)にほぼほぼ誤解する(「ごか」)
 11月に「いよいよ○歳だ」と思い始めて3週間ぐらい経つと、自己確認という意識は消え、スムーズに「○歳だ」と認識するようになる。
 ようやく、多くの同級生たちと同じ年齢になるのだ。
 この時期になると、「何歳だっけ?」と聞かれるとすかさず「○歳です」と応え、その後、心のなかで、「来月なんだけどね」と思うようになる。
 この時期、会社も年末で、なんか知らないけど、年齢を書いたりする機会もある。そのたびに、「○歳」と書いて、心のなかで「来月なんだけどね」と思うわけだ。

3.誕生月当月(12月)は誤解確定(「ごかい」)
 そんなこんなで12月ともなると、たまに、誕生日の話題なんかもあったりして、「あぁ、その飲み会の日、誕生日だ」みたいな感じで、そうなると、「いくつになるの?」と聞かれるわけ。
 ここで恐ろしい事態が起こる。
 「うん。来週、(○+1)歳になるんだよ」と。いやいや、○歳でしょ。○歳は、誕生日を迎えたらの話だったはずが、誕生日が来ていないうちに○歳のつもりになってるじゃん。



ということだ。
今回、幸いにも「いくつになるの?」と聞いた相手が同級の同僚だ。
それに「うん。(○+1)歳」と答えたらすかさず「それおかしいじゃん」とツッこまれ、気がついたわけだ。

というか、ここまで書いて気がついたが、同級の同僚が「いくつになるの?」っていう質問が既にトラップだ。
アイツもボケてるんじゃないか?

今回は、こうして、誕生日前に正しい年齢を取り戻せたわけだが、こんな同僚がいないと誕生日その日になってようやく気がつくのだ。

こうして、50絡みのオジサン達はご長寿さんクイズへの階段を駆け上がっていく。

この話には続きがある。
それはまた次回。(忘れなければ)

金曜日, 12月 09, 2011

出身地による傾向



ふと思いついて出身地で性格や性質はどんな傾向にありがちなのか、をググってみた。
まぁ、テレビ番組になるほどだから県別云々は様々あるのだけど、概ね占い的で、どうとでも読み取れるようなサイトが多い。

そんな中で、興味深いデータをまとめている政府のサイトにたどり着いた。
(こーゆー(サイト訪問者を増やすのが目的としか思えない)作業を税金で賄う必要があるか、は、置いといて)

それは、「総務省 統計局・政策統括官(統計基準担当)・統計研修所」というサイトだ。
この中に「家計調査(二人以上の世帯)県庁所在市および政令指定都市別ランキング」というのがある。
http://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/286922/www.stat.go.jp/data/kakei/5.htm

これ、よくよく見ると、なかなか興味深い。

●ティッシュペーパー購入金額ランキング
上位に東北各市が顔を並べる。
これは、鼻水をかまなくてはならないのだから当然だ、と一瞬思ったが、那覇市もベストテン入りしている。
きっと、冬に冷たい水で布巾や雑巾を使うよりも使いやすいからだろう。
であれば、慢性的な水不足の沖縄でのベストテン入りも納得だ。

●トイレットペーパー購入金額ランキング
同様にトイレットペーパーも興味深い。
ここでも東北各市と那覇市がランクインするのだけど、これは、ティッシュと同じ事だろう。
これってウォシュレット普及率と関係しそうだとも思ったけど、普及率が高そうな東京や横浜が突出していないところをみると、そういう事でもないのだろう。

●菓子購入ランキング
これも興味深い。
・ゼリーと羊羹は食べない金沢市
・カステラ以外食べない長崎市
※あくまで、他の都市に比べて、です。

●米/パン/小麦系食品購入ランキング
・麺は食べるけどパンは食べない盛岡市
・うどんは食べるけどパスタは食べない高松市
・即席麺中心の宮崎市
・インスタント麺嫌いの横浜市(カップも袋も両方低ランク)
・即席麺(袋入り)嫌いのさいたま市
※あくまで、他の都市に比べて、です。

などなど。調味料別の購入ランキングなどもある。

うーん、平和な情報だ。

木曜日, 12月 08, 2011

ちょっと興奮「ヨーロッパ最大のIT企業が社内電子メールを廃止」



するんだそうだ。電子メール廃止。18カ月後。
これは、来年のムーブメントになるかもしれない。
http://jp.techcrunch.com/archives/20111201solving-email-overload-with-a-company-wide-ban/

リンク先記事はどうやって廃止するか報じていない懐疑的な論調だし、僕も最初は「それは無理でしょ」と感じた。

でもまてよ、その会社がどうなるかはわからないが、世の中的にはアリかもしれない。
電子メールを評価する/しない、好き嫌いから離れて考えてみよう。

電子メールでの仕事の進め方の特徴
・1対1もしくは1対Nのコミュニケーション
・リアルタイムではない(読むタイミングは読む側に任せられる)
・仕事内容別ではなく担当者別に、送り手の意向でメールは飛び交っている
・重要度の判定は読む側に任せられる(送る側が"重要"マークを付けられるが、受け取る側は、送信者と件名から独自に重要度を判定している)
・仕事以外のメールも飛び交う
・基本はローカルでデータ管理されてしまう
・メール単独で完結するわけではなく、成果物はDBに格納し、場合によっては掲示板などソーシャルネットワーク的なものも使う。

ソーシャルネットワーク(Facebook的なやつ)での仕事の進め方
・1対1もしくは1対NもしくはN対Nのコミュニケーション
・リアルタイムではない(読むタイミングは読む側に任せられる)
・自分の担当業務に応じて、必要なコミュニティー、必要なスレッドに参加する
・自分が必要な分の更新情報に絞って受け取ることが出来る(メールやログイン時のトップ画面で)
・重要度は参加者の意思と連動する(重要でないコミュニティーには参加しない)
・情報がオープンになるため仕事以外の会話は最小限に抑えられる
 (個人的な会話をソーシャルネットワークではしない)
・基本はクラウド型のデータ管理
・オープンソフトの開発はソーシャルネットワーク型で進められている。実績は十二分にある。

なるほど、メールは、どうしても相手の仕事内容を考えながら、それぞれ別々に報告したり、依頼したり、確認したり、ということになる。宛先が重要なわけだ。
当然、同じ内容でも相手に合わせて表現を変えたり、言葉遣いを変えたりしている。
たまに見かける目上の人が部下に乱暴なメール指示(結果的に、部下が上司を訪ね、直接話を聞かなければならない)を出したり、なんてことが、今は当たり前だ。

一方、ソーシャルネットワーク。
情報にアクセスする人を想定するとは言っても、特定の個人とは限らない。誰が目にするのかわからないのが基本だ。だから、表現を相手毎に合わせて変える必要はないし、同じ情報を相手毎に表現を変えてメールするようなことも不要だ。
さらに、仕事内容毎の分類にそって、参加者自身が自分で情報を取捨選択していくスタイルになる。
悪く言えば相手任せになるわけだけど、ミッションが明確であれば、概ね担当すべき人が必要な役割を自ら担うだろう。
もちろん、残念ながら自ら取捨選択できないケースもあるだろう。そんな時は、1対1でメールを差し上げる。と。そんな感じになりそうだ。
これは、言ってみれば今も変わらない。


現実には、全廃という話ではなく、仕事をすすめるメインはソーシャルネットワーク、メールは補助的なものになっていくのでしょう。
最近は、企業でもソーシャルネットワークを活用しようと取り組み始めているのですが、従来の仕事の仕方「メール」に慣れ親しんだために、なかなか移行できないだけなのかもしれませんねぇ。


実際、今、自分がメールで処理している仕事を、ソーシャルネットワークに移して困ることがあるか?と考えると、「読んでもらいたい相手が、日常的にアクセスしているなら大丈夫」だな。
残念ながら今はそんな状況ではないので、日常的にアクセスしているメール主体で仕事を進め、自分の仕事の記録先としてソーシャルネットワークを使ったりしている状態。

一人ソーシャルはあまり意味が無いのだろうけど、バックアップの心配もないし、履歴管理もできるし、後で探しやすいし、まぁ、便利ではあります。


みんなが担当業務のコミュニティーに参加し、自分の仕事のスレッドやwikiをきちんと認識してアクセスして行動するなら、必要以上に余計な会話や、なにより、準ジャンクメールの相手をする時間は激減するでしょう。
1対1になりがちなメールだと、どうしても、余談も始まってしまうし、しかもクローズな話題(悪口や愚痴)もしやすかったりしがちです。ソーシャルネットワークなら、必要な範囲でオープンになるため、そーゆー非生産的(コミュニケーションの面でもさほど有意義でない)な活動はしなくなるでしょう。

あるいは、上司の乱暴な指示メールなんかも、SNS主体で仕事を進める場合は公開されてしまうので、乱暴な指示を改めるか、あるいは、そんな指示しかできない方には退場していただくしかなくなるわけだ。

SNSで仕事をする妄想を進めていく中で、その昔、電子メールを仕事で使い始めた時代を思い出しました。
最初の頃は、「飲み会の約束」ぐらいでしか使われなかった、あの時代の空気。
あの時代「報告書は無くなります」なーんて言ってたけど、必要に応じて残るものは残りつつも、確実に「主体はメール」になった。
社長(トップ)が電子メールを使うようになったら会社全体で電子メールを使うようになった、あの時代と同じように、社長がSNSを使うようになれば会社全体でSNSを使うようになるわけだ。

ということで、電子メール偏重からソーシャルネットワーク偏重へと舵を切る時代が始まった、んだねぇ。

※ハミ出し
 ソーシャルネットワーク、流行りのつぶやきも顔本もプライベートでは使ってないなぁ。
 あーゆーのは、プライベートだと気を使っちゃうから疲れそうなんだよねぇ。
※ハミ出し
 "Atosの野望"は、本当らしい。ツール詳細はわからないけど、組織変革と何らかのSNSを活用して「ゼロメール(Zero email)」を達成するのだとAtosのホームページで謳われている。
 http://atos.net/en-us/about_us/zero_email/default.htm

水曜日, 12月 07, 2011

タンゴは格好いい(映画「ヒトラーの贋札」)


タンゴのハーモニカが心に沁みた。
ウーゴ・ディアスを知った。

それは、"ヒトラーの贋札"を観たからだ。
例によってストーリーはこちら→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%AE%E8%B4%8B%E6%9C%AD

陽と陰、善と悪、希望と絶望、、、

映画のストーリーも、表裏一体の人間の弱さと強さが見事に描かれているんだけど、そのストーリーを何倍にも引き立てたのがタンゴ(ミュージック)だ。

黒猫のタンゴとだんご3兄弟ぐらいしか知らないのにタンゴの魅力を語りようもないのだけど、何故、タンゴはあんなふうに、どちらかといえば脳天気な明るいリズムに、あの物悲しい旋律を被せることになったのだろう。
っていうか、多分、黒猫と団子のせいでタンゴに対する偏見があったのかもしれない。

この映画で使われているようなタンゴを、子供の頃から聞いて育ったら、とても奥深い人間になるような気がする。
劇的ビフォーアフターで比べてみてもらいたいものだ。

〜〜加藤みどり(劇ビアのナレーション)の声で〜〜
40をとうに過ぎたのに相変わらず落ち着きのないオジサン。
ついに、タンゴの匠がハーモニカを聞かせてあげます。
するとどうでしょう、それまでの単細胞無自覚オジサンが、まぁ、素敵な50絡みのクールなジェントルマンに生まれ変わったではありませんかぁ。
〜〜ちなみに加藤みどりさんはサザエさんの声優〜〜


そんなふうに、タンゴには、常に物事を二面から見られるような、一時の感情だけに支配されないような、クールな大人になれるような力があるような気がする。

実際は、そんな事はないのだろうけど、でも、そんな気にさせられたのが、この映画だ。

しばらくの間、タンゴにハマりそうだ。

火曜日, 12月 06, 2011

50絡みの男とデフレ


世の中デフレなのだそうだ。ちなみに↑の映像はシルブプレだ。デフレとは何の関係もない。

随分前からそんな話は聞いているし、大体が、僕が若かりし頃(既に20年も経っている)のアルバイト賃金と今のアルバイト賃金に大した差はない。むしろ、安くなっているぐらいだ。
ということは、デフレは20年もつづているのか?

ということで、デフレがいつから続いているのかググッてみた。

うーむ。Wikipediaのデフレの項目に、その答えがズバリあった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
"2011年10月現在、GDPデフレーターという総合的な物価指標で見た場合1997年の消費税引き上げという特殊要因を除けば日本のデフレは事実上1995年頃から16年以上も続いていることになる。"

もうすぐ、17年、デフレスタート同時に生まれた子は高校卒業を迎えるではないか。
そっか、これが、失われた20年なんだ。

ということは、今、20歳位の若者は、二歳ぐらいまでにお財布持って買い物していない限り、生まれてこの方、ずーっとデフレだ。(←当たり前だ)
そもそも、モノの値段を実感できるようになるのが10代半ばだとしたら、35歳位までの人達は、事実上「デフレしか知らない世代」なわけだ。

そんな若者からみたら、そりゃぁ、世の中が「拡大する」なんてのは夢物語だろう。
「景気拡大」「デフレ脱却」も、20年もの長きに渡って変化がなければ、その言葉は無意味になる。
世界平和や貧困撲滅と何ら変わらない、実感しにくい言葉。

経済が拡大する事を経験していない世代にとって、言葉の持つイメージは違うわけだ。

そんな終わりのないダラダラした事を考えている中で、ふと、自分が50絡みだと気がついた。
今風に言えば、アラフィフか。

そもそも、50絡みとは言うのに、0絡み、10絡み、20絡み、30絡み、40絡み、60絡み、70絡み、どれも使われていない。馴染みがない。
100絡みすら言われない。

年代の呼称として唯一絡めるのが"50絡み"なのだ。
まさに自分が、その貴重な、人生一度しか無い50絡みになってるは驚きだ。
どうだ、凄いだろ。と、一瞬思ったが、その灯りはすぐ消えた。
※後でよくよく調べたら、別に、40絡みや60絡みという言葉も使わなくわない。
 が頻度は女性が40絡み~50絡み、男性は50絡みが多いようだ。

なにせ、50絡みは、どこかイマイチの曇り空の日の夕日のようだ。
カッと夕焼けが照らされるでも無し、雨でもない。季節は晩秋、そんなイメージ。

僕自身は、ちょっと前まで40過ぎとか、バカボンのパパとか、中年真っ盛り、とか、思っていたのだが、昨日、ふと気がついてみたら正真正銘50絡みである。
50絡みの自分というのは、新たな自分の発見だ。

きっと、職場なんかでも、「ほら、あの50絡みのオジサン」と、若干のガッカリ感を持って使われているようなカンジがするなぁ。
コンビニでも、レジ(たまに客層を打ち込むらしい)で、「男性・50絡み」などと打ち込まれているのだろうか、、、と思ったが、あーゆー機微の無い機械は、「男性・50代」と、せっかくの50絡みは無視されているのだろう。
コンビニのオニイサンに声を大にして伝えたい。私は50代ではない。50絡みの40代なのだ!


こんな話を友人にしたところ、「アラフォー」という言葉が最初に定着したのは、女性に対してじゃなかったかという話が出てきた。(こういうしょーもない話を聞いてくれる友がいるというのは、恵まれた50絡みだと思う。)

うん。確かにそうだ。そうじゃないかもしれないが、多分そうだろう。ググッて確かめるのも面倒だ。

女性のアラフォー、男性の50絡み。
多分、世の中の期待値、性的な意味とか仕事をバリバリこなす的な意味とか、そういう期待値が下りに差し掛かるのが、女性のアラフォー/男性の50絡みなのかもしれない。

下りに差し掛かっている年齢層にフォーカスしたから、そのどちらも言葉としてブレイク、もしくは定着したのだろう。

そう思うと、ちょっとだけ昨日よりも謙虚な気分になった気がした。
そんな50絡みに気がついた初日だったのでした。

※ハミ出し
 時間をもっと細かく刻めば、今月誕生日を迎える私は、今、「48絡み」なんだなぁ。
※ハミ出し2
 アラフォーの語源(結局、気になってググッてみた。):http://zokugo-dict.com/01a/arafo.htm
※ハミ出し3
 ググった時のヒット数(重心を取ると45強ぐらい)
「"10絡みの男"」 0件
「"20絡みの男"」 0件
「"30絡みの男"」 1,750件
「"40絡みの男"」 5,370件
「"50絡みの男"」 7,090件
「"60絡みの男"」 1,440件
「"70絡みの男"」 4件
「"80絡みの男"」 0件
 ついでにググった時のヒット数(重心を取ると43ぐらい)
「"10絡みの女"」 0件
「"20絡みの女"」 0件
「"30絡みの女"」 1,730件
「"40絡みの女"」 5,530件
「"50絡みの女"」 5,800件
「"60絡みの女"」 5件
「"70絡みの女"」 2件
「"80絡みの女"」 0件
 も一つついでにググった時のヒット数
「"アラサー"」 129万件
「"アラフォー"」2030万件
「"アラフィフ"」 280万件


日曜日, 12月 04, 2011

白いリボン


ドイツ/オーストリア/フランス/イタリア合作映画。
世界大戦直前の一年、ドイツ北部の田舎町の空気が見事に描かれている。

当時の日本に合い通ずるような、厳格な生活、何であれ結果的に女性と子供が虐げられる社会、権威主義、、、

地主は己を守る権威にすがり、小作人の長(家令/執事)は己を守る地主にすがり、小作人は家令にすがり、幼年の子供は年長の子供にすがり、夫のいない乳母は雇い主の病院の医者の愛人となり、大人に従うしか無い子供たちは大人の暴力に狡猾に生きる術を学ぶ、、、

風景こそ宮崎駿の描くような美しい田園風景なのに、村に広がるのは、「不信」「怖れ」「嫉妬」と、愛情を失った人間社会の弱さが痛いほど描かれていました。

戦争が決まった日、礼拝のため村人全員が教会に集まる。

集まった村人達にあるのは、戦争に突入することで不安になっているわけではない。
「(村に縛られずに)新しい旅に発てる」と、村でしか生きる場所がなかった状態からのヤケクソに近い開放感があるのだ。

そんなエンディングを見ながら、観客側としては、なんとも暗い気分にさせられたのでした。
あの時代の空気を共感させられる、この映画、この監督ミヒャエル・ハネケはすごい。
ちなみに、2009年の作品でモノクロ作品。

木曜日, 12月 01, 2011

タイトル忘れたムーア中傷(反駁ではなく)の映画で学習できたこと


↑は、アメリカを愛するからこそアメリカ政府に手厳しいムーアの日本に対する見解。
これも手厳しいが、日本に対する愛情を感じられる力強いコメント。
ムーア監督についてはこちら(Wikipedia)

ゲンパツ、コッカイ、ネンキン、スモウキョウカイ、カンリョウ、ナベツネ、シンブン、テレビキョク、などなど、旧態依然体質だと非難轟々でも、それが「古き良き文化」だと言い張れる皆様。
かく言う私もキツエンに関して、そういう言い方をしていた時期があったなぁ。反省。

そんな「アメリカこそ正義、アメリカこそ古き良き文化、それがアメリカですが何か?」の方々が溜飲を下げられる?アメリカ映画を見た。
というより、見てしまった。
見てしまったんだから、仕方がない。なんかしら学習効果を残すべく、前向きに、勉強になった点を記録しておこう。

勉強になったのは、「情報公開された事実(反論の余地が無い事実)」に対し、
1.真実を明らかにした人に対する中傷(しかも外見的中傷ばかりで見るに耐えない)
2.中傷はその家族に対しても容赦しない(子供にも容赦無い)
3.論理的な説明や反証は一切ない(反論は無いのか、できないのか。。。)
4.現在生きている人の言葉ではなく、歴史上の人物の言葉を借りて言い訳する(軽い扱いで、本当に尊敬してるのか?)
そういうアプローチ。

なるほど、論理的な主張が完璧に近ければ、相手の土俵には乗らずに非論理で対抗するのは効果的だ。
私が見たことがある、なるほど納得のケンカテクがそうだった。
真っ当な理由でクレームを受けたら、「ところで、あなた、口が臭いよ」の一言で形勢逆転するというやつ。

そのワースト更新映画のタイトルを思い出せず、検索してみたけど、見つからないや。
こういう時にTSUTAYAだとねぇ。返しちゃったものはわからない。
だから何の映画の話は書かないで(というより思い出せないから書けない)おこう。
とにかくマイケル・ムーアを中傷する(彼の主張内容ではなく、彼の経歴/外見的特徴や家族に対する中傷)ためだけの映画だった。

なるほど、マイケル・ムーアは、中傷も止むない大統領並の権力者、、、じゃないし。
そもそもパロディー映画が一ジャンルを確立するアメリカでは、多少の中傷は「ブラックユーモア」の範疇に収まるのかもしれない。


これで気をつけなければならないジャンルが一つ増えた。
ホラー映画に加え、アメリカの安っぽいパロディー映画にも気を付けよう。
(どちらも、後味が悪く睡眠に影響するのだ。)

最近はヨーロッパ作品に偏りがちなんだけど、封切りされたら観たいアメリカ映画はこれ↓。

水曜日, 11月 30, 2011

映画「ブローン・アパート」


CMやトレーラーでは、今ひとつ、何がウリなのか、どんなジャンルなのか、ピンと来なかったけど、観てみるとなるほどヨーロッパのベストセラー「息子を奪ったあなたへ」の映画化だけあって、深い映画でした。

また、サイドストーリーになるわけだけど、「テロ」に対する見方も、アメリカとの違いを感じました。
もしかすると、この原作の映画化はアメリカでは難しいかもしれません。

例によってあらすじはこちら→http://blown-apart.com/


軽薄になりがちな人間関係、そんな中でも変わらない、母と子の絆、建前ではない真実の重み。
どんな経緯があろが、どんな状況だろうが、どんな境遇だろうが、出産は嘘偽りの余地のない行為。

これをテーマにズドヨーンと、身につまされる映画でした。
ジンポトーリと涙が出てくる感じの映画。
ズドヨーンときて、ジンポートリとくるのです。ドドスコスコスコなどとは相容れない世界。

どんなに世の中が変わっても、変わらない(変われない)事柄を目を背けずにシッカリ見つめる。
そうすれば、そこに答えがあるとこの映画は教えてくれる。

それが若い時にわかっていれば良かった、と、今さら後悔しても遅いのだけど、目を覚ますには充分な映画でした。

相変わらず、雨でも霧でもないのに、イギリスはグレーを基調にした映像。
イギリス映画協会は鮮明な色彩を禁じているのだろうか。と思いつつ、この映画に関しては、この色合いで良かった。




火曜日, 11月 29, 2011

映画「地球に優しい生活」


原題は「No Impact Man」。主人公のサイトはこちら。
http://noimpactman.typepad.com/


この映画、正直、期待していなかった。アメリカ映画だし。
エコブームに乗った、「はいはい。わかりました。よくできました。」的な醒めた感覚になるような映画なんだろうなと思っていた。

で、観てみたら、まぁ、あなた、ねぇ、割りといけてるのよ。と、オバサンモードになるような良作。

映画、というより、良質のドキュメンタリー、あ、それはそれで映画か。
古き良きテレビ番組、以前の、新日本紀行的な淡々としたノリです。

作家を生業とする主人公が、家族と共に「エコな生活にチャレンジしてみよう」と思い立つところから物語はスタートします。
ここのところが、良い意味でアメリカ的で、「注目をあびるかも」や「作家として次の作品に活かせるかも」というような見ようによっては腹黒い部分もスッキリ吐露しつつのスタート。
注目も浴びたし、次の作品にも活かされたわけだけど、面白いのは、主人公一家が「特殊なことをして目立つ」という、どこか気負った意識が、映画の後半では、「こういう生き方がむしろ普通だよねぇ」的な感覚に変わっていくところだ。

家族構成は、奥さんと一人娘。子供はまだ3歳なので、事実上、巻き込まれて迷惑を感じるのは奥さん。
「環境に悪影響を及ぼさない」意味を考え、電車や車の移動を自転車にしたり、外食を止めたり、そんなところからスタートします。
一年と期限を切ってのスタートなので、開始前日に大量に洋服を買い込む奥さん。
気持ちはわかります。「食料以外は新たに買わない」のが最初のルールだから。

そんな感じで、まぁ、最初のうちは、「買い置き」もあるわけで、チョット不便、ぐらいのノリです。
想定内で楽しむ余裕がある。

テレビを捨て(リサイクルショップに持ち込む)、洋服を捨て、食料は200Km圏内でとれたものしか買わない。結果、地元の市場でしか買わない。
ミミズを買い込んで生ゴミは全て家庭内で処理する、と、だんだん本格化していきます。

そして、紙オムツ無し、トイレットペーパー無し(布を利用)、洗剤/石鹸無し(自家製に切り替え)、洗濯機を使わない(風呂桶で洗濯)、、、、そして3カ月後にはいよいよ電気を遮断し、太陽光発電パネル一枚でブログ更新だけはなんとか続けます。


一年かけて、四季を越えながら、一つ一つハードルを乗り越え、その都度、普通の不便さを感じ、その不便さを乗り越える楽しみを覚え、そこにニューヨークのど真ん中に住んでいても感じられる「自然」を満喫するようになっていく。
最後には、その全てが「当たり前」に変わっていく。
その過程は、見ているだけでも、とても楽しいものでした。

そう、今だって、普通に電気がなかったり、スーパーが無い地域でも人は暮らしいてるわけだし。

気になった/興味深かったこと
☆子供は柔軟
 夫婦ともに少なからず慣れるまでの間は「不便に対するストレス」がある。
 でも、三歳の女の子は、終始、楽しそうに環境変化に合わせていることでした。あっという間に順応する。
★旧態依然を守りたい陣営の嫉妬
 彼がそんな生活を始めて脚光を浴びているからか、彼や家族に嫌がらせがあったことには驚いた。
 こんな小さなイノベーション(かどうかもわからない実験)にも面白くないと感じる人達がいるんだなぁ。
 資本主義恐るべし。



↑いずれもお金を出して買わなければ手に入らない本達。:-P

木曜日, 11月 24, 2011

殿堂入りのプロジェクトマネジメント



http://history.nasa.gov/ap11ann/adminbios.htm
↑のリンク先に、アポロ計画の主だったマネージャー達が紹介されている。


当時はまだ、プロジェクトマネージャー(以下PM)のバイブルPMBOKも無かった時代。
ケネディー大統領の発表時点では、一部の人々からは「荒唐無稽」とまで言われたプロジェクトがアポロ計画だ。

当初、A~Gまで7つ計画されたミッションを完了させたのは当然、最終的にはH~Jまで計10のミッションを完了させた。更に、当初計画ではアポロ20号まであったものが17号で終了(ミッションコンプリートで前倒し、残り3号分の予算はスペースシャトル計画に回された)できたのだ。

これは、明らかにスーパープロジェクトだ。
もし、プロジェクトXの世界大会があれば、殿堂入り間違いなしだ。
ケネディーの言葉を借りれば、「このプロジェクト以上により強い印象を人類に残すものは存在しない」壮大な成功プロジェクトだ。
(但し、地上でのシミュレーション中に三名の宇宙飛行士を失っている。合掌。)


プロジェクトキックオフのメッセージとも、プロジェクト憲章とも言えるのが有名なこれだ。(Wikipediaより)
 1961年5月25日、ケネディは上下両院合同議会での演説で、アポロ計画の支援を表明した。
「まず私は、今後10年以内に人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させるという目標の達成に我が国民が取り組むべきと確信しています。この期間のこの宇宙プロジェクト以上に、より強い印象を人類に残すものは存在せず、長きにわたる宇宙探査史においてより重要となるものも存在しないことでしょう。そして、このプロジェクト以上に完遂に困難を伴い費用を要するものもないでしょう。」


素晴らしいメッセージだ。力づけられる。勇気が湧いてくる。
そして、なによりも判りやすい!


仮に、当時のNASAで掃除夫*をしていたとしても、誇りを感じただろう。そんな力を与えられる言葉だ。
とはいえ、言葉ならどうにでもなるかもしれない。ましてや政治家の言葉だ。
*掃除夫に他意はありません。あぁ、ネットって面倒くさい。


ここは疑い深く、本当に素晴らしいキックオフのメッセージだったのかどうか、検証してみよう。
どう検証しようか考えたのだけど、アポロ計画と同様に、10年以上の歳月をかけた国家的なプロジェクトとしての日本の「もんじゅ」を比べてみよう。←別にもんじゅでなくても良かったのだけど、国家プロジェクトと聞いて思い出したのがもんじゅなのだから仕方ない。


、、、と思ってググったが、当時の首相の言葉は見つけられなかった。

代わりに動燃30年史にこんな記述があった
「1.高速増殖原型炉「もんじゅ」の開発の目的と進め方
 高速増殖原型炉「もんじゅ」は、原子力委員会が策定した~中略~昭和43年以来開発を進めてきた発電プラントである。」
ソース→http://www.jaea.go.jp/jnc/siryou/30nensi/index.html

あるいは、昭和31年の原子力白書に首相ではないが当時の大臣の言葉があった。
「世界の原子力の平和利用は,~中略~
 さらに世界の原子力利用の~再中略~
昭和32年12月
原子力委員会委員長    
国務大臣   正力 松太郎」
ソース→http://www.aec.go.jp/jicst/NC/about/hakusho/wp1956/index.htm


ケネディーの演説とは大違いだ。「○○に基づきやるのだ」「世界がやるからやるのだ」でしかない。
その上、「分かり難い」。伝わらない、というより、伝える気が無かったのだろう。
最初から他責の論理だった。自分の国ながら残念だ。

だって、ケネディーの演説は、「我々がやらねばならぬのだ」だ。
あくまで自責なのだ。


なるほど。プロジェクトの成功とはそういうことだ。
責任者が自分の責任において、「やるのだ」という意思を明確に発することが重要なのだ。
長らく日本の政治が何もできないのは、そういうことなんだろう。

イノベーションの本で読んだ、「成功への絶対条件は危機感の共有」という意味がよくわかる気がする。
もし、今なお、"もんじゅプロジェクト"を継続するのなら、「少なくとも今まで作り出してしまった核廃棄物を最終処理するために、やらねばならぬのだ」と言ってくれれば、原発への賛否はともかく、共感できるのに、と思った。

※はみ出し
 もんじゅ計画を含め、核廃棄物を最終処理できる技術を人類は未だ持っていない。念のため。
 じゃあ、どうするかといえば、事実上「放置」「海洋投棄」「数百メートル地下に格納」のどれかだ。
 宇宙投機は「万が一失敗(空中で拡散)した時のリスク」から誰も踏み切れないのだそうだ。
 唯一期待できそうなのは、「軌道エレベーター」だが、まだ先の話のようだ。

※はみ出し2
 ↓は"原子炉圧力容器内の放射能除去装置"という特許情報。ま、僕のような素人が考える言葉のイメージ通り使えるならフクシマは困らないわけだが。。。
http://www.patentjp.com/06/U/U100012/DA10016.html

※はみ出し3
 ついでに、「宇宙エレベーター協会」という団体があり、前述の軌道エレベーターを語り合っている。
http://jsea.jp/

水曜日, 11月 23, 2011

僕は、月に行った人と共に生きている


人に薦めたい映画ランキングベスト5というのがあったら、間違いなくランキングする「アポロ13」。
アポロ好きでも、宇宙好きでも、飛行機好きでもないのだけど、アポロ13は、プロジェクト運営やリモートサポートの醍醐味が「事実として」まんべんなく描かれている名画だ。

で、そんなアポロ13好きの僕が先日TSUTAYAの1/4枠を探して見つけた映画があった。
そう、アポロ13は好きだが、こうやってメモっとく映画はアポロ13ではない。「THE MOON」だ。

話はそれるが、1/4枠というのは、4本1000円なら3本は話題作や映画として観たいものを探すのだけど、1本は、暖簾をくぐらずに借りられる、お遊び系(大概は肌色系)映画の枠のことだ。
棚の場所的には、普通の作品が並んでいる棚の一番下の棚に並んでいることが多い。そして、今時、中年オジサンもそんなダジャレは使わないよ、的な、笑うに笑えないようなタイトルも多い。
1/4枠の最近のヒットは「尻に憑かれた男」だ。

話戻して、今回の1/4枠は、一番下の棚にはなかった。
一番下の棚の、ここのところ僕が狙っている注目作品は、、、相変わらず貸し出されていた。
しかたない、もう一つの1/4枠作品を見出す場所、「その他」の棚に行ってみた。

この棚は、各種教則ビデオやミュージックビデオなどが集められた場所。過去に、ドラッカーのビデオを借りたが、単なるドラッカー研究本の宣伝ビデオでガッカリしたことがある。それ以来のその他棚なんだな。(←"棚"と"なんだな"が掛かってるわけなんだな。)

そんな中で発見したのが「THE MOON」だ。
要するにアポロの月着陸プロジェクト飛行士達の回想ビデオだ。ドキュメンタリーだ。

これが意外に面白かった。
まず、映像が美しい。CGやハイビジョンとは違って、当時のフィルム映像ばかりなのだけど、美しい。
アナログにしか表現できない「空気感」があるからだろうか。美しい映像ばかりだった。

当然、宇宙船や月から観た地球の映像が満載だ。また、当時の宇宙船内の映像がふんだんに使われている。そんな映像を散々見せられた後、地球に帰還し、大海原に着水した時の映像は、圧巻だ。本当に地球は美しい。クドイけど本当に美しい。

映画の最後に、月着陸を疑うよう陰謀説に触れているが、まぁ、それはご愛嬌。
いまや、いいオジイチャン(あの頃の飛行士達は、みんな80歳だよ!)となった飛行士達のインタビュー、生声を、眼と耳で確かめられる貴重な映画だ。

月に行った人間が(まだ)いる時代を過ごせたことは奇跡かもしれない。
いや、月に行った人間が過去の話になれば、また、誰かが月に行くのかもしれない。

いずれにせよ、今、こうして生きている自分がラッキーな存在なのは間違いない。
そんな事を実感できる映画でした。

↓は、映画中に登場して驚かされた、月面着陸成功を祝う、当時の日本の風景。このオジサンは誰なのか、何故ビキニ姿の女性を従えているのか、何のために街宣車で月着陸成功を祝っているのか、興味は尽きない。











木曜日, 11月 17, 2011

地球調査員


↑に感動。(SUNTORY BOSS CM トミー・リー・ジョーンズによる宇宙人ジョーンズ シリーズ)

周囲の人たちに、このCMで感動するという話をしてみたが、いまいち、ピンと来ない。
どうも、自分だけが妙な思い入れがあるようなのでよくよく考えてみたら、他の人と同じ共感ポイントに加えて、ジョーンズの地に足が着いていない生き方みたいな部分があるのかも、と感じた。

仕事歴
●宇宙人ジョーンズ
運搬作業員、ディスカウントストア店員、宅配便の配達員、カラオケボックス店員、ホスト、牧場の従業員、ホットペッパー配り、空港警備員、旅館従業員、取材クルーの照明担当スタッフ、農家のお手伝い、時代劇俳優(エキストラ)、大工、工事作業員、ラーメン屋台店主、知事、刑事、ケーキショップ店員、道路工事、神社の従業員、鵜飼い、エレベーター案内役、タクシー運転手、鉄道の駅員、学校の教師、俳人

●宇宙人あざーす
新聞配達、皿洗い、新聞勧誘、犬の餌やり散歩、小学生相手の家庭教師、中学生相手の家庭教師、大学生の就活支援(企業説明会出席代行)、システムオペレーター、企業総務/庶務の下請け用務員、宅急便仕分け作業員、システム開発、ヘルプデスク運営、ショップ店員、PC組み立て作業員、トラック運転手、オリジナルTシャツ制作・販売、ホームページ運営、マウスパット販売、引越し作業員、コールセンター運営スタッフ、事業所運営スタッフ、自社でのプロジェクトマネージャーサポート、客先でのプロジェクトマネージャー

ということで、宇宙人ジョーンズの姿が心に染みる今日この頃なのだ。

しかし、だ。
宇宙人ジョーンズは、様々な仕事をこなしているようで、肩書きは「地球調査員」なのだ。
調査の必要上、様々な仕事をしているだけだ。

振り返って僕はどうかといえば、この10年ほどこそ、肩書きは「プロジェクトマネージャー(PM)」だけど、要するに、何でも屋だ。
「何をやっているんですか?」などと聞かれると、説明が面倒くさいのと、ちょっと格好良く聞こえるだろう、聞いている人が美人だし、なーんて感じで「PMやってます」なんて答えているのだけど、実態は、その時々で様々だ。
そもそも、PMとは、"お仕事管理人"というわけだから、指示待ちの仕事をしないだけで、何らかの作業を与えられた条件とチームもしくは一人で納期までに終わらせる、だけだ。

では、地球調査員として、宇宙人ジョーンズがPMだったら、彼はどんな独白をつぶやくのだろう。


地球では、火を吹かない仕事はプロジェクトとは呼ばれない。
興味深いのは、その炎は、PMだけには見えない炎だということだ。


どこの星にも偉い人はいる。
ここ地球のエライ人が興味深いのは、プロジェクトの開始の時には
「どんな支援でもするから遠慮なく言ってくれ」
という。
しかし、プロジェクトが佳境に入って火を吹き始めた時は、こちらからの連絡にはナシのつぶてだ。
地球では遠慮が大切なのだ。


プロジェクトメンバーとの飲み会は大切だ。楽しい。しかし、地球で一番喜ばれる飲み会は、会費だけ払ってPMは欠席する事だ。


地球のプロジェクトで興味深いのは、プロジェクトが崩壊してもPMは左遷されないことだ。
プロジェクトを崩壊させたPMは、より深刻な問題を抱えたプロジェクトを担当することで生き長らえるのだ。


ここ地球では、プロジェクトが計画通り終了してもPMは出世しない。
何故なら、プロジェクトを成功させたPMは、崩壊したプロジェクトを計画通りに戻すために出世させてはならないのだ。


地球調査プロジェクトに配置されて随分長い年月が経った。
毎月報告書は出しているが、、、
内容について聞かれたのは最初の一回目だけだ。


ここ地球では、報告書の提出は嫌がるのに、ブログで報告したり、つぶやいたりするのは好きらしい。

火曜日, 11月 15, 2011

宇宙人三昧



宇宙人である。SFである。
ここは素直にScience Fictionである。
缶コーヒーを飲まないし、働きもしない。

Sそんな F風な、でも、
Sさっそく F振られて、でも、
S先生 F風呂入ります、でもない。

先週末、SF系、というか宇宙人系ビデオを立て続けに見た。
いや、それは先々週だったかな。先先々週だったかな。
なぜ、そんな古い話をするのかというと、書きかけのこのメモがあったからだ。
ネットとはそういうものだ。
タイムリーとか、正確とか、正義とか、そういう事は、ケースバイケースなのだ。

で、どれぐらい立て続けかというと、タテタテタテタテタテタテぐらいである。
週末の二日間で三本(連ドラSFがあったので、確かDVD5枚)見たのだ。

だいたいが宇宙人モノっていうのは、シナリオの完成度、そして信じ込める没入感が大事なのだ。
単なる怪獣映画になるのか、「映画」という一作品1500円也を払う価値があるのか、そこを左右するのが没入感だと思わずにはいられなかった。

基本的に宇宙人モノっていうのは、
a. 前提:宇宙人が現れる際の時代状況や地理、背景などの説明
b. 導入:何からの方法や理由で宇宙人登場
c. 展開:基本的に人類側が困る、死にそうになる、危機的状況になる
d. 終息:ハッピーエンドなり一時的安堵なり、大概はハッピーエンド
っていう構成になるのだろうけど、3~4、少なくとも4辺りは、もう宇宙人がバンバン登場せざるをえないわけで、ここの完成度が余りに低いと没入感は一気にしぼむ。

また、没入感のための1~2なのだけど、ここも納得感が強くないと、3以降は、ツッコむのに疲れてしまって見続ける気力がなくなるのだ。

a前提、b導入、c展開、d終息、別にこの三本について僕なりの感想を書いてみたい。


1. Visitor→Youtubeでの紹介ビデオはこちら
これは、20年ほど前の(かなりアバウト)やつだ。
たまたま最近借りたDVDの、冒頭の宣伝に入っていて、なんか見てないシーンが気になったのだ。
よくよく考えると、そうだ、当時、テレビの連ドラとして放映するも、最期まで見ていないことを思い出した。
見始めた頃は夢中だったのに、きっと、その頃、忙しかったか何かで、後半を見ていないのだと思い返した。
この「忙しかったか何かで」が、後のナルホド納得事件に繋がるのであったが、そんな事はつゆ知らずに、前後編、確か4枚、しかも、一部両面再生のDVDもあったから、多分、6枚分ほどの量を一気に見た。

連ドラだけ合って、この手のシナリオにありがちな「いやいや、それはあり得ないでしょ」というツッコミが無いように、周到に前提の解説シーンが続く。
特に最初は、正体を明かさずにジワジワと恐怖を積み上げていく、なかなか、秀逸な出来。
当時、夢中になったのも無理は無い。前半は実に面白いのだ。

そして、後半に入り、確かに、見ていないストーリーに入っていく。
うーむ、何がスタッフに起きたのか、ヤッつけな感じの展開。っていうか、ただのB級怪獣映画になってきた。

そうかぁ。当時もこれで後半は見てなかったのか。
そして、「後半のシーンを断片的に見せるCM」は、20年経った今、とても有効だということに気が付かされたのでした。

途中からつまらなくなったコンテンツを売り込む作戦、に、まんまとしてやられたのでした。

a. 前提、○ 腹黒い宇宙人が人類に優しく微笑んで近づいてくる。絶対的な技術的優位を持った強い側の優しい(人の良い)アプローチに受け入れる人間側の対応はよく出来ている。
そんないい話はあり得ないんだけど、個人的な欲を満たすために、嘘だとわかっていながら同意する、のは人間社会ではよくある話だ。

b. 導入、△ 20年前のテレビドラマだから致し方ないのかもしれないが、断片的な宇宙人の姿が顕になるにつれて、どうにもこうにもオモチャ的な感じになっていく。
ただ、かろうじて前述の1がよく出来ている分、ここまでは見るに耐える。

c. 展開、× シナリオ破綻への道。宇宙人と人間は、姿以外に何の違いもなく描かれている。もはや、単なる政治闘争かなんかのシナリオのまんま。

d. 終息、× うーん。安直。そりゃあ、当時、連ドラでは見てないわけだ。

2. 第九地区→Youtubeはこちら
これは割りと最近のビデオ。
これは面白かった。今流行り?の、家庭用ビデオで撮った映像やテレビ番組の映像を組み合わせた臨場感溢れるイントロで、シナリオへ一気に没入できる。
そもそもDVD最初のメニュー画面も「本編再生」を押した後の気の利いたポーズ画面や、制作側の遊び心と、この作品への愛情が感じられた。

a. 前提、最初の10分あまりで、NHKのドキュメンタリー番組を早送りのように一気に見せられる。
その中で、とりあえず、「超大変じゃん」は十二分に伝わってきます。
そして、ここが良くできた映画だと思うんだけど、劇中の登場人物たちに共感させられます。
(この段階での共感が、計算されたシナリオで裏切られていく過程が楽しい。)

b. 導入、c. 展開、
最初から宇宙人ありきの設定なので、この辺りは一気に進みます。
さすがに今のCGはよく出来ている。
前半のドキュメンタリータッチでは無くなっていることにも気が付かず、もう、ストーリーに完全に入って見入っていました。

d. 終息、第十地区が楽しみなエンディング。うーむ、やられた。早く次が観たい!


3. スカイライン(征服)→Youtubeはこちら
TSUTAYAだけで借りられるというビデオ。何の前情報もなく、ただ、なんでスカイラインっていうタイトルなのかだけ気になって借りた。今回借りたうちで一番予定になかったやつ。
これはねぇ、いいよ。うん。深くないけど楽しめる。
第9地区>>スカイライン>>>>>>>>>>>>>>>>>>ビジター、って感じかな。

没入感のための「前提や背景の説明」なんだけど、この映画は、「えーっい、面倒だ。そんな事なら、一切説明抜きでやってやるぜーっと」っていう感じ。
もう、なにも分からないまま、主人公たちとアタフタさせられて、一気に最後まで観る、そんな感じ。
前半を大胆にカットしているから、いや、前半はないんだからカットでもなんでもないんだけど、とにかく、いきなりの宇宙船と宇宙人と大パニック。作品も90分余りと短め。
こういう宇宙人映画はSFではなく、ホラーに分類してもいいかもしれない。
(ホラーほど怖いわけではない。宇宙人モノはホラーと違って後を引かない所が良い。夜、一人でトイレに行けなくなるようなことはない。←これ、重要。)

a. 前提、ということで、前提も何も無い。
b. 導入、いきなりの登場と恐怖。とにかく来ちゃったんだから仕方ない、としか反応できない。
 そういう意味ではとても斬新な展開
c. 展開、基本的に大きな展開もなく、どんどん危機的状況は深刻になるばかり。
d. 終息、収束しない。かろうじて次回作への繋ぎはある。
 が、この繋ぎ部分が、a前提の説明がほとんど無いから評価しにくい。
 主役たちにもそれほど感情移入できていないから、あまり、次回が気にならないという感じ。

ということで、宇宙人モノ、なかなか面白く見させて頂きました。
宇宙人モノはお腹いっぱい。しばらくはいらないな。

※BOSSのコマーシャル、トミー・リー・ジョーンズは、既に日本の俳優なのだろうか。。。

月曜日, 11月 14, 2011

絆を充実させる習慣


多分、どこかのお金の使い方のプロが書いたのだろうお金が貯まる習慣というのがあった。
これ自体には全く興味がなかったのだけど、ふと思いついて、「お金」を「人」に置き換えてみた。

【お金が貯まる習慣】
習慣1 : 「まとまったお金」は十分貯金とみなす
習慣2 : 小銭でもお金として大切にする
習慣3 : お金の使い方にメリハリがある
習慣4 : ATMで何度もお金を下ろさない
習慣5 : 財布の使い方がキレイ
習慣6 : ライフプランにあわせた貯蓄をしている
習慣7 : 不意の出費に備えた資金計画を立てている
「お金に対して丁寧に向き合う」ことが大前提
http://journal.mycom.co.jp/news/2011/11/01/014/?rt=m&t=o&n=3339

【絆(人間関係)を充実させる習慣】
習慣1 : 「まとまった人間関係」は十分"絆"(きずな)とみなす
習慣2 : ちょっとした人間関係でも"絆"として大切にする
習慣3 : 人との付き合い方にメリハリがある
習慣4 : SNSなどで何度も"絆"を作らない
習慣5 : 住所録の使い方がキレイ
習慣6 : ライフプランにあわせた"絆"を持っている
習慣7 : 不意の出来事に備えた人間関係を持っている
「人に対して丁寧に向き合う」ことが大前提

通常は、人付き合いが0でも、お金が0だと生きていけない。
でも、この「通常」は、「非常」には通用しない。
非常時には、人付き合いが0では生きていけない。お金は無意味化するのだ。

非常時は、やたら増えてきている。
下図は内閣府(http://www.bousai.go.jp/)発表の「世界の自然災害の状況」グラフである。



宝くじ当たらないかな~←結局、そこ。

※ハミ出し
 某、班目原子力安全委員長の、「(困難と思われている)原発立地の場所は、結局、金で買えるのだから何ら困難ではない」というような趣旨のことを、原発事故前にテレビに語っていた。そんな事を思い出した。

土曜日, 11月 12, 2011

シースルーモバイルHMD


出ました。HMD新作。
ンニーが席巻しそうな勢いだったHMDに、あのEPSONがやってきました。
しかもシースルーです。モバイルです。

そこのオジサン!シースルーですよ。
もう、何もかもがシースルーに見えるかのような響き。

シースルーモバイルヘッドマウントディスプレイ。
コントローラーはandroid2.2らしいです。
アンドロイドツーポイントツーコントローラー付シースルーヘッドマウントディスプレイ。
もう、カタカナ塊レベル最強です。

しかも、プロモーションキャラクターは黒木メイサさん。
メイサがプロモーションキャラクターのアンドロイドツーポイントツーコントローラー付シースルーヘッドマウントディスプレイなのです。
※読むのは面倒くさいけど、こうやって、キーボードで打ち込むのはカンタン。


価格もンニー製とほぼ同等。
解像度は落ちるみたいですが、まぁ、シースルーだから、単純比較は出来ません。

ということで、例の光スキャナも出てきたことだし、仮想現実感の実現に世の中は動いているのは間違いありません。



さて、興味ある、「没入感」なのですが、ンニー製がシースルーではなく視界を全て塞ぐため、没入感がある、と思われますが、よくよく考えてみれば、シースルーHMD(カタカナ略)は、単に、部屋を暗くすれば同じ状態になるわけで、最近パラパラ出てきたンニー製試用レポートで指摘されていた「視界を塞ぐのはアリかナシか」問題は、なんとなく、視界を塞ぐのは無しになるような気がしてきます。
完全に外界の視界を塞いでしまうと、家で映画を見ながらコーヒーを飲んだりなどのチョットした制約がツライのは間違いありません。ま、ゲームならいいかもしれません。

まだ発展途上のHMD市場。まずは、市場を確立してもらって、競合製品がいくつも出てくるかどうか。
没入感も、シースルー度合いを調整できれば良いわけで、ボーイング787でも採用された電子カーテン?的に、透明度を調整できると使いやすそうです。

XBOXが普及させたテレビゲーム+モーションキャプチャにHMDを組み合わせても面白そう。
キャプチャーした人をアニメキャラに置き換えるぐらいは既にできるけど、あくまでテレビ画面上で実現されているだけ。でも、HMDと組み合わせれば、目の前にいる人そのものをアニメキャラに置き換えられる。
と、僕が思いつくぐらいだから、既にやってる人がいるわけで、探してみたらこんな動画があった。


自分がアニメキャラになりたいとは思わなかったけど、これって、夫婦でブラピとアンジェリーナ・ジョリーになってみるとか、できちゃうよなぁ。あるいは、亡くなった人ともう一度会うような(感覚になる)事とか、あぁ、最近はあまり噂を聞かない「Second Life」でも、活用されていきそうだなぁ。
他人の視点に入り込むことで、その人の生活を体験できるなんて辺りは、もう、直ぐにでもできちゃうわけだ。
映画"マルコビッチの穴"は映画だけの奇想天外な話ではなくて、もう、今直ぐにでもできちゃう。

うーん、その意味や意義はわからないけど、そういうことに惹かれるのは、究極的には人は自分の遺伝子を複製するために生まれてくるわけで、ヒトの特性なのかもしれない。
とはいえ、前にも書いたけど、最高の仮想現実感は、今、まさに体感している"現実"なんだけどね。

仮想現実を使った洋服の試着シーンの、理想と現実。
●理想

●現実

月曜日, 10月 31, 2011

秋はJAZZ


秋深まる今日この頃である。
ようやくAKBとはAKB48であると、名前を理解したとおもいきや、今度は、クネクネダンスを踊ったりする、いろんなAKBがいるのかと思いきや、韓流アイドルなのだという。しかも複数。
クネクネは良いことなので、誰が誰だかはわからないが、良しとして、秋はJAZZなのだ。
なんてったって枯葉とかJAZZの代名詞だし。

ノラ・ジョーンズもブレークしたのは秋じゃなかったかな。
なーんて事を、柄にも無く考えながら、小雨のふる今朝、小倉のモノレールに揺られていたわけだ。
クネクネ以外の事もたまには考えるのだ。

が、そんな時に頭の中に流れだしたのが、「Misty by 誰か」。
便利な時代なもので、youtubeで探したら直ぐにサラ・ボーンだとわかった。


若かった時は、この歌は「クドい」「とてもクドい」「やはりクドい」感じがして、JAZZっぽい雰囲気は楽しめるんだけど、じっくり聞く気にはならなかった。
ちょうど、この辺りのスタンダード、とんこつラーメンみたいな感じ。
「嫌い」っていうほどではないけど、自ら好んで楽しむわけではない感じ。

それが、ようやく僕も老年に差し掛かって円熟味を増したからか、「あの歌の「クドさ」は、ひょっとして、心地よいのではないか?」と、今朝、思ったわけだ。
これはこれで新鮮な感覚だ。ずーーーーっと、クドいと感じてたものが、ある日、良いかもしれない、と思う感覚。



曲そのものは記憶に残っている奴を頭の中で再生しているので、「クドさ」は、僕の記憶に残るクドさでしかないのだけど、それでいくと、かなりイイ。
裏返ったり表に戻ってきたりする変幻自在の声と、裏返ったり出来るはずのないストリングス、歌がクドいので、クドさを感じないけど実は相当クドいサックス。

そんなフレーズの数々が頭の中で再生され、ちょっと、ウットリしてしまったのだ。

で、帰ってきて、さっそく聞きなおしてみた。

うーん、、、とんこつラーメンと同じ。
たまに、テレビかなんかで見て衝動的に「食べたい」と思い、店に行って食べると、「美味い。これでもう、しばらく(半年位)は食べなくていいや」となる、あの感じだ。
ま、ファンがいるおかげで、訳のわからない衝動に行き場を失うことだけは無いからよしとしよう。

サラ・ボーンファンのみなさん、また来年、よろしく。

土曜日, 10月 29, 2011

Lytroカメラ

「できるだろ」と思っていても、なかなか現実に商品化されなかった、「光を取り込んでおいて、後で、再現する装置」がようやく登場した。
これがどんなことなのか、思っていた割に今ひとつ理解はしていなかったけど、とにかく、全部記録しておけば、後でどうにでもなるだろー、ってことだけは思っていた。

うーむ。言葉での説明は難しいので、そのイメージ動画。


撮影後に、人が見たいものにフォーカスを合わせられる。
もっと具体的なイメージはこちら。
https://www.lytro.com/living-pictures/282

今はまだ「Picture Revolution」ってメーカーは言ってるけど、将来は、カメラと言うよりも、光スキャナという意味になる。
その時の光の状態を記録するマシン。

このマシンを、何十個も球状に用意して、その空間の光の状態を記録。
その光の状態をコンピューター上に再現すれば、究極のバーチャルリアリティが再現できるはずだ。
一つ一つCGで作りこむのと違って、自然にあるものを取り込むのだから、リアリティは格段に増すだろう。

以前書いたけど、あと、何十年かで、人間の目には判別できない精細な360度ディスプレイ(もしくはヘッドマウントディスプレイかもしれない)と、こんな光スキャンマシンでスキャンした空間情報で、ようやく本当のバーチャルリアリティ空間を体験できるかもしれない。
次は匂いのスキャンと再現だなぁ。

数十年後にバーチャルリアリティ空間ができるとして、その凄さを今感じる方法がある。
それは、今、あなたが見て聞いて感じているこの空間がバーチャルなのだと思えば良いのだ。

だからなんだ、って話だけど。


月曜日, 10月 17, 2011

1/4シリーズ 「誘惑する女」


TSUTAYAの新作4本1000円キャンペーンで、致し方なく、本意ではないが、止むに止まれず、一本混ざってしまう肌色期待系ビデオ、じゃなくてDVD。
別に混ぜなくてもいいんだろうけど、混ぜとかないと変なオジサンになるから混ぜておくようにしている。
そうしないと、次回TSUTAYAで、また、肌色パッケージを手に、ジッと立ちすくんで見続ける変なオジサンになるからだ。だったら、さっさと、毎回混ぜとけばいいのである。
「いや、文芸作品だと思ったから一緒に借りたんだけど、違うんだ。」などと、誰に向けるでもない言い訳すら用意しているのだ。


ちなみに、同僚だったかに、1/4肌ビデオの話をしたら、僕が毎回4本に1本ノレンの奥(成人向けアダルトビデオ)の作品を借りていると誤解されたことがあった。
それは違う。ノレンの奥は、文芸作品だという言い訳ができないし、そもそも、4本1000円の対象にもならない。僕が借りているのは、あくまで、ノレンの手前、一般作品(R指定はあるかもしれない)の話です。

ノレンの奥の作品も良さそうだけど、ネットとかあるし、借りるまでもないからねぇ。
便利な世の中になったものだ。。。



話を戻して、この1/4ジャンル。基本は、大量生産品が多い。
よほど趣味が合わないと最後まで見ることも少ない。マックでポテトはいらないけどセットのほうが安いからポテトを付けてしまうようなものだ。あれって、セットでポテト抜きとかオーダーできるのだろうか。。。

ちょっとヒットしたのか知らないけど、やたら、○○シリーズ的な連作も多い。
あと、これは気をつけているのだけど、扇情的なタイトルで手に取ると「官能ホラー」であることも少なくない。これには気を付けなければならない。
どうしてもホラー系の映画は、肌色であろうがなかろうが、見始めたら最後まで見てしまう。
どんな駄作であろうともだ。
なんか、途中で見るのを止めると呪われるような気がするのだ。
あれは、ズルイ。劇場で見た「ツリー・オブ・ライフ」ぐらいズルイ。


そんなこんなの1/4シリーズ。
1/4シリーズのもう一つの面白い特徴は、借りた時点では1/4シリーズなのだけど、官能ホラー以外で最後まで鑑賞に耐えた場合は、あたかもそれは元々見たかった3/4側に位置づけられてしまうという点だ。
マイノリティーだったはずなのに、気がつくとメジャーの側にいる、そんな感じ。3/4のマジョリティ側にしょうもない作品も多いのだから仕方ないか。

そんな1/4シリーズで、久々に最後まで見たのが「誘惑する女」である。いや、久々ではない、「お尻に憑かれた男」以来だからヒット連続である。
ここのところ、比較レベルは違うが、3/4側にヒットが少なかっただけに、1/4の快進撃だ。
ここで気を良くして、全て肌色系を借りないようにしなければならない。勝って兜の緒を締めよ、だ。


「誘惑する女」
まず、タイトルが良い。長い人生でも、そうそう経験無い(少なくとも私は)事だ。なんたって女性が誘惑するのだ。別に、夜の商売とか、そーゆーわけではないのだ。

僕にも身に覚えがないわけではないわけではない・・のだけど、よく耳にする男性の「誘惑された」という主張、まぁ、世の中の多くのケースは、「それなりに餌を撒く」「自分(男)は隙を見せ、相手(女)の隙を突く」、そんなこんなのシチュエーションがある、ということだろう。もしくは、「誘惑されるほど自分は魅力的なんだよ」という五十回、五百回並の誤解だ。

しかし、この映画のタイトルは、ある意味、男性の夢のタイトルだ。
だって、自ら「誘惑する女」、なのだ。
こっちの硬い態度も、今夜の都合も、なにもかも関係なく「誘惑する女」である。睨まれたら終わりなのだ。

そんなタイトルのパッケージを手にしてしまった僕に起きたこと。
1. 「誘惑する女」に出会ったらイチコロであろう。勝てるわけがない、、、DVDを手にした時に考えたのはそんな事だ。
2. 「誘惑する女」の手口を知っておかなければならない。パッケージを見ながら頭に浮かんだのはそんな事だ。
3. 「誘惑する女」を見てみたい、
最終的に借りる決断をするまで1.5秒ほどだった。


そんなわけで、先日見た「お尻に憑かれた男」の次のヒットが「誘惑する女」なのだ。
いっそ、一本にして、「お尻で誘惑する女に憑かれた男」としても良かったかもしれない。
「お尻で誘惑する女に憑かれた男」なら、0.9秒ほどで借りる決心をすることだろう。
参考まで、「疲れたお尻の女を誘惑する男」だとしたら、28秒ほど考えて棚に戻すだろう。

話を戻す。「誘惑する女」。
映画の内容はググッて頂くとして、なにしろ、主役の「誘惑する女」が偉い。
いわゆる、「脱ぐと凄いのよん(ハート)」である。
いい忘れたけど、主演女優はエマニュエル・ベアールである。知らないお方だ。
でも、エマニュエルなのだから脱ぐと凄いのは、当然なのだ。

今、あらためてAmazonの商品説明を読んでみた。
うーん、ドキドキである。思わずクリックしてしまいそうになった。

=======
"amazon商品説明の抜粋"
殺人犯が必要だった。 だから 私は男に肉体を与えた……

●衝撃の結末が待ち受ける官能サスペンス!
それは果たして偶然なのか――。3つの「愛」が交錯したその結末と真実は……!
●米仏スターが大人の魅力で競演!
・セクシー美魔女! 『美しき諍い女』『ミッション:インポッシブル』のエマニュエル・ベアール
・・・・・
=======

「だから 私は男に肉体を与えた」
ですよ。"だから"の後は空白ですよ。「だから、、、私は」とくるわけですよ。
男に牛肉や豚肉を与えたわけではない。自らの肉体を与えちゃったわけなんですよ。
もう、そんなもの貰っちゃったらエライ事になるのは当たり前なのに、貰っちゃうわけですよ。
今、こう書いていても、口元が緩むわけですよ。

そんなだからエライことになるわけで、「火曜サスペンス」ではなく、「官能サスペンス」になるわけです。
そんなわけで、火曜日の官能サスペンスは、「火曜官能サスペンス」で、略して「カカサス」になるわけです。
明日はカカサスの日!



※ハミ出し
 題名は正確には「ボディクライム 誘惑する女」である。原題は「A CRIME」。

土曜日, 10月 15, 2011

オープンへの敵意


ここのところ、OSS(Open Source Software)関連サイトへのクラッカーからの攻撃が後を絶たない。

敢えて、「クラッカー」と書いたのは、通常この文脈で用いられている「ハッカー」には、"卓越した技術を持っている人"という敬意を込めた意味もあるため、だ。
本来のハッカーカルチャーでは、「情報はオープンであれ」「知の共有」がポリシーだったと思う。
だから、ハッカーカルチャー的にはWikileaksなんかは支持されているのだろう。(市民の側に立つべきメディアもポリシーがあるべきなのだけど。。。)


OSS関連サイトなんかは"高度"な電子的攻撃に関してターゲットとされ難い、と勝手に思っていた。
そもそも、情報がオープンなサイトを攻撃して何が得になるのかがよくわからない。
そんなこともあって、OSS関連サイトが攻撃されサイトが停止(もう、数ヶ月に及んでいる)したニュースを見たときには、???な感じだった。
腑に落ちない感じと、触れたくない嫌な気分になるニュースだった。
「善を叩く奴はいない」というか、「寺院に逃げ込んだら殺されない」的な自分の感覚には合わなかったのだ。
それはやり過ぎでしょ、的な甘えた感覚。


でも、ようやく腹に落ちた。
軍事技術がそうだったように、「技術」は善悪にかかわらず使われてしまう。テロリストの武器と政府の武器に本質的な違いはない。
ハッカーたちが築き上げた技術は、いずれ、クラッカー達にも使われるようになるわけだ。

むしろ、クラックで荒稼ぎしている団体から見れば、プロプライエタリな世界(知的資産の囲い込み)が広がった方が荒稼ぎしやすいのかもしれない。
もし、そんなクラッカー業界団体があれば、今回のOSS関連サイトへの攻撃成果は、大いに持て囃されているのかもしれない。業界団体の年次集会で表彰されたり、プロプライエタリ推進企業から協賛を得られるかもしれない。
年次集会のオープニングで、スポンサーになった某ネズミキャラがダンスを披露するかもしれない。

皮肉なことだ。
結果的には、プロプライエタリ推進側にクラッカー集団が加わったようにすら見える。



以前、某音楽CDにコピー保護を目的に作ったソフトをメーカーが仕込んだ。
そして、そのソフトがセキュリティホールを作ってしまうという問題が発生した。

自社の音楽CDのコピー保護はするけどユーザー情報は保護しません、というわけだ。
ちなみにその音楽会社と同じグループの会社が、最近、ユーザー情報漏えいの世界記録を打ち立てた。
"ソ"の会社は、訴訟に耐えられるのか、他人事ながら気になるところだ。


そんな風に、知的資産保護技術を高めていこうとすると、結局、コンピューターウィルスのようにユーザーの不利益になってしまう面もあり、もしかしたら、プロプライエタリ推進とクラッカー達は、構造的に仲が良いのかもしれない。
守ることと破ることは背中合わせなんだな。

なんだか、鍵を売りたきゃ、まず、盗人を雇え、みたいな話だ。
あ、既に、コンピューターセキュリティ会社は、ハッカー(クラッカー)達を(彼らの経験を対策に活かすために)雇っているか。
言いたかったのは、鍵を売りたきゃ、まず、盗人に盗みを働かせなさい。被害があれば対策がビジネスになりますよ、という事。

改めて、プロプライエタリ≒お金になる事が最優先、オープン≒お金より善悪、という根っこにある価値感の違いを感じずにはいられないニュースでした。

※はみ出し: 不快を高めれば新たなビジネスチャンスが訪れる。
「虫歯は怖いよ~」「歯磨きの後はクチュクチュしようね~」「それでも口臭はヤバイよ~」
「美味しいよ~」「食べた後飲むといいよ~」「お腹が出てちゃ格好悪いよ~」
「無駄毛はマズいでしょ~」「薄毛気にしたほうがいいよ~」
「自動だよ~便利だよ~」「エコじゃなきゃ人としてどうなの~」
「老後の安心のために~」「老後は大変だよ~」
・・・ま、いずれ、みんな死ぬわけだけど。

※はみ出し
 "エコグッズ"って、買わなくて済むものを新たな商品として売っているわけで、無くても済むものに地球資源を使っている事になる。ま、エコは、消費促進ワードでしかなくて、地球環境とかそーゆー事とは関係ないわけだ。


※はみ出し
●棒音楽CDコピー保護ソフトによるセキュリティーホール事件
●その会社のユーザー情報漏えい世界記録樹立事件
●イタリアでWikipedia閉鎖の危機?




水曜日, 10月 12, 2011

リーダー



言うべき人が、言うべきことを、言うべき時に、言うべき相手に、言うべき場で、言うべき話し方で、話す。
最小の言葉で最大の成果:小説や映画でしか出会えない(と思えるほど滅多にいない)リーダー


言いたい私が、言いたいことを、言いたい時に、言いたい相手に、言いたい場で、言いたい話し方で、話す。
最大の音量と言葉数で、最悪の成果:いつでもどこでも出会えるリーダー。量産型リーダー。

なーんだ。ヒトラーは量産可能なのか。
一方で、マンデラ(のようなリーダー)は稀有な存在なわけだ。

今、↓を読んでいるんだけど、前半の「失敗事例」を読んでいくと、暗澹たる気持ちになる。

木曜日, 10月 06, 2011

ランチ

味芳斎の牛肉麺。変わらぬ味に感謝。

水曜日, 9月 28, 2011

マトリックス組織

マトリックス組織の事を考えていたら、なーんだ、学校で授業ごとに教科の先生が交代で来る、あの制度と同じだ、と、気がついた。

担任の先生はいるんだけど、ホームルームで会うぐらいで、一日中、他の先生の授業を受けているわけだ。
専攻の授業によってバラバラになったとしても、クラスとしては、ひとまとまりで、運動会のクラス対抗リレーなんかでは、十二分に盛り上がれる。卒業式には担任の先生と涙することだってあるだろう。

小学校の時は担任が全教科を担当していたのに、中学からは教科ごとに先生が代わる。
当たり前だけど、専門性が増すから、そういう組織運営に変わるわけだ。


長年ピラミッド組織で働いているサラリーマンの皆様。
マトリックス組織は、恐るるにたらぬ。
あなた自身が経験した通り、子供でも普通にやっていけます。
そんなマトリックス組織でリーダーとなるのも、恐れる必要はありません。
何かと問題視されがちな学校教員の方々が、やりこなしているのですから。

ということで、学校方式でやってみませんか、ね、社長!

※ハミ出し
 マトリョーシカ組織というのも思いついた。
 一人、詩吟漫才の「あると思います」が聞こえた気がしたのでググッてみたら、珍しくノーヒットワードでした。( " ダブルクォーテーションで括って検索ね。)
 そりゃそうだ。単に語感で思いついたのだから。
 同様にアズマックス組織とかクリスマス組織とかリトマス組織も無い。

火曜日, 9月 27, 2011

尻に憑かれた男(ブラジル映画)


ブラジル映画である。他に何かブラジル映画を思い返せるか!っと考えてみたら、古い映画で見たのがあった。
リオのカーニバルが舞台の、「黒いオルフェ」がそれだ。
「黒いオルフェ」以来の、遂に我が家にやってきたブラジル映画が「尻に憑かれた男」だ。

と、そんな感動があったわけではない。
パッケージ写真の尻に惹かれただけで、ブラジル映画だと知ったのは、そのだいぶ後だ。
ただただ、「尻に憑かれた男」というタイトルに惹かれただけで借りてしまった。
(正直に言えば、4本借りる時に1本、この手のセクシー系を併せて借りる確率は高い。)


物語は、行きつけのカフェの店員のお尻に惹かれ、婚約を破棄し、仕事もそぞろになり、結果、自ら招いた事件に巻き込まれて死んでしまう男の話だ。
こういうのを演歌だったら哀歌とかいうのかもしれない。
哀歌を知らないから正しいかどうかもわからないが、そんな感じだ。


映画を見終えた時の満足度もたいしたことはない。
エンドロールを終えるまでも無く、さっさとプレーヤーの停止ボタンを押した。

ここのところの連休なんかで何本かDVDを借りて見たが、まぁ、これは中の下ぐらいの満足度だ。
でも、死に際に「中の中のDVDと尻男のどちらか一本を見せてあげる」と誰かに言われたら、迷わずこの映画を見せてくれ、とお願いする気がする。
いや、中の上を提示されてもこちらを選んでしまうかもしれない。
いやいや、上の映画を提示されても、結局、これを選んでしまうかもしれない。

だから、私の死に際に、この映画を差し出さないでおいてほしい。思い出させないでほしい。
痛切にそう感じる映画なのだ。


とにかく、惹かれる映画なのだ。
で、何に惹かれるのか、もう、丸二日ばかり考えているのだけど、何かに感動したわけでも、もう一度見てみたいわけでもなく、結局は、主人公の中年男が憑かれた尻が、いい尻だった、ということだけだ。
自分がそういう人だという自覚が無かったが、間違いない。尻好きだったのだ。

彼は、「この尻を見れば一週間何もせずに過ごせる」とカフェでカウンターの中の彼女の尻を見ながら呟く。
ついには、自分の目で見るに飽き足らず、目玉のオブジェを入手して、一緒に眺めるようになる。
自らの目で見ているのだが、気持ちは、オブジェの目を通して見ているのだ。
だからなんなのだ、いまいちピンとこないままストーリーはどんどん進んでいく。

目玉の親父を手に、カウンターの中で働く女性の尻を見つめる中年男。
うーむ。面白いシチュエーションではあるが、そんなシーンは、よーくよーく思い出さないと思い出せないぐらいだから、この映画の真骨頂ではない。

なのに、この、どうでも良い映画に惹かれている、この気持ちは、一週間ぐらい続くと確信できるのだから不思議だ。
もう一度言うが、感動も、もう一度見たい気も無いのに、この映画に惹かれている実感は続いているのだ。
気がつくと、あの主人公と同じように、「あの尻を思い出せば一週間何もせずに過ごせる」と呟いているのだ。


そういう意味で、このブラジル映画、なかなか恐るべしである。
「尻に憑かれた男」を観て、「「尻に憑かれた男」の映画中の尻に憑かれた男」になってしまっているではないか。

そういうわけで、一週間後にもう一度この映画を観てしまいそうな、いや、もう一度あの尻を見てしまいそうな、そんな自分に気がつかされる不思議な映画なのでした。
きっとこれは、たまにある、グルメ番組で紹介された何かしらを食べたくなる、そんな現象か。だとしたら、この映画は素晴らしい出来であることは間違いない。なぜなら、グルメ番組で紹介された何かしらを食べたくなるような事は、意外に少ないのだから。

※はみ出し
 ネットの映画評を見ると、割と、芸術的な視点で評価が高いようです。
 うーむ、だとすると、僕は、しょうもないスケベニンゲンではなく芸術がわかる男、ということになる!?

月曜日, 9月 26, 2011

サルでもわかる"文化"の説明



日本文化、地域文化、企業文化、組織文化。。。。
文化の融合、文化の違い、文化摩擦、、、

なあんて、カンタンに「文化」という言葉を使っているけど、じゃあ「文化って何?」と聞かれると答えに窮する人が多いのではないだろうか。
少なくとも私はそうだった。

Wikipediaでも、「人間が社会の成員として獲得する振る舞いの複合された総体のことである。」なあんて、読まなきゃ良かったと思うような解説っぷりだ。

そんな僕にもわかる、五匹のサルの実験、という話がある。
これを聞いて、僕の中の文化に対する何かが変わったので書き留めておく。

まず、この話、何処かの誰かの実験結果らしいのだけど、いつ/誰の実験なのか確認できなかったので、まずは、寓話かもしれないとお断りしておこう。
サル周辺には寓話も多いのだ。
100匹のサルという、実しやかに喧伝されている話は、どうも、話し手や聞き手の期待が込められた寓話みたいだ。

話戻って五匹のサル。
この話、それにしても、文化が何ぞや、を理解するには、良くできた話だ。

この話とは、
①文化の発端(学習フェーズ)
・五匹のサルの檻の真ん中に、天井からバナナを吊るす(飛び上がっても届かない)
・続いて檻の真ん中にテーブルを置いてあげる(テーブルに乗って飛び上がれば届く)
・しばらくすると五匹のうちの一匹がテーブルに乗って飛びつこうとする
・バナナに手が届きそうになるとテーブルのサル目掛けて冷水が浴びせられる
・サルは驚いてテーブルから飛び降り離れる。
・時間をおいて他のサルもチャレンジするが、やはり、水を浴びせられ断念する

②定着フェーズ
・なんどか代わる代わるチャレンジするが、やはり、水を浴びせられ断念する
・とうとうと、誰もチャレンジしなくなる

③事実の伝達フェーズ
・五匹のサルのうち一匹を他の檻のサルと交代させる(冷水事件を知らないサルが加わる)
・新たに加わったサルがバナナを取りにテーブルに近づこうとすると、他の四匹のサルが、激しく引き止め諦めさせる
・しばらくしたら、元々いた四匹のうちの一匹を他の檻のサルと交代させる(冷水事件を知らないサルが二匹になる)
・やはり、新たに加わったサルがバナナを取りにテーブルに近づこうとすると、他の四匹のサルが、激しく引き止め諦めさせる
・同じように元々いたサルを一匹ずつ交代させていく。
・とうとう、最初の冷水事件を知らないサルだけ五匹になる。

④文化としての継承フェーズ
・とうとう、最初の冷水事件を知らないサルだけ五匹になり、その一匹を、やはり他の檻の冷水事件を知らないサルと交代させる。
・やはり、新たに加わったサルがバナナを取りにテーブルに近づこうとすると、他の四匹のサルが、激しく引き止め諦めさせる

面白い。
最後は、誰も冷水のことは知らないのに、あのバナナにはチャレンジしないのがその群れの文化となっている。
事実はどうであれ守ろうとしてしまうのが文化なのだ。事実は変化しても、だ。
※あくまで、文化の一面を言っています。


サルとは違う人間の世界。
変革を望む組織のうち変革に成功する確率、という事を丹念に調査した結果がある。

成功の確率は10%程度なんだそうだ。
ま、概ね、「変革はできない」ということだ。

変革したくない行動を取り続けながら「変革したい」なんていう話はゴマンとある。
これが上位のマネジメントだと厄介だ。
変革したくない行動を取り続けながら「変革が進んでいない!」なんて、成果が見込まれない仕事が降ってきたりすることも少なくない。

興味深いのは、「変革のためにしてはいけないこと」も「変革へのステップ」も、充分に研究されているのに、90%の組織で変革は失敗する。
一方で、成功する10%の多くは、そんな研究など知らずに成功しているのだ。
要するに本気かどうか、なのだろう。

実績のある方法も、成果の出ている研究結果も、90%の組織では実践されない。
同様に10%の組織では、無意識的に、必然的に、同じような成功プロセスをたどるのだ。

事実や理屈ではない、それこそ文化が文化たる所以だ。

※ハミ出し
 じゃあ、成功した10%の共通点は、何はなくとも最初に「危機感を共有」したのだそうだ。
 VISIONなんか後回し、でいいらしい。まずは、危機感、なのだそうだ。
 五匹のサルだって、餌が、吊るされたバナナだけになれば、万難を排してチャレンジしただろう。納得。

↓変革について詳しい本。

木曜日, 9月 22, 2011

これは、

伊達巻き?カマボコ?

月曜日, 9月 05, 2011

世界大会あれこれ


まずは、ホームレスの人達のワールドカップ。
ワールドカップなんだから世界大会で、今年はパリで開催された模様。
50カ国もの国からホームレスのチームが集まったらしい。

日本チームのオフィシャルサイトはこちら。
野武士ジャパン!http://www.nobushijapan.org/



もう一つの世界大会は、リーダーシップ世界大会。

http://www.allleaders2011.com/


トップページには、
「一人のリーダーの声を聴き、それに従う時代は終わろうとしています」
とある。
そして、多様性(一人一人のユニークさ)を活かして全体が共鳴できるリーダーシップの形があるのだという。

「地球交響曲」の映画監督が、分科会ではpatagoniaの日本支社長が、と、なかなか興味深い人達の生の声を聞くことが出来る。
これは、勝ち負けのない世界大会なんだなぁ。

食べるために

食べるために生きるのか、生きるために食べるのか、ランチのために出社するのか、とりあえずランチ。

日曜日, 9月 04, 2011

言わずにいられない

野田さん、どじょうをどうじょう。貰っても、どうじよう。
400mリレーはジャマイカ金。じゃ、まぁいいか。

世界陸上を見て、

ハンマー投げの選手になら、体格的、いや、シルエット的に負けないかも、と思った。

台風一過の週末、食べることしかしてないのであった。

金曜日, 9月 02, 2011

視聴覚交換マシン、その後(その前も無いのだけど)



休眠状態の汎用品利用・仮想視聴覚交換器作成プロジェクト。(ずっとやりたいな、と思っているものの費用やスペックの面で断念している)
簡単にいえば、iPodなんかを使って視聴覚交換マシンを体験したい、という話。

視聴覚交換器というのは→http://www.petworks.co.jp/~hachiya/works/shi_ting_jue_jiao_huanmashin.html

でだ。このプロジェクトの障害になっていたのが、ヘッドマウントディスプレイ。
普通に手に入る価格では、マトモなものが無いのだ。
ここで言う「マトモ」とは、
・どうせ、視聴覚交換体験してしまえば、後は、普通にヘッドマウントディスプレイとしても使いたくなるだろうから、ゴミになるようなモノは買いたくない。
※以前、カメラ付きのiPodを目の前にぶら下げる方法を考え、電気屋で試してみたが、覗き窓にしかならないと感じた。安くなったiPodの有効活用ではあったんだけど。
・ケーブルをゴチャゴチャ身に纏いたくない。
・気軽に試せる
という辺り。要するに、あんまり面倒な事はしたくないわけだ。←この時点でプロジェクトとしての体を成していない。単なる夢みたいなもの。

という事で、一年ほど前にiPod転用アイデアで、久しぶりに休眠状態から覚めかかったのもつかの間、直ぐにまた休眠入りしていた。

そこへ昨日、天下のSONY様から、「君のプロジェクトで、これなら使えるかい?」と、直接のメッセージを頂いたように勝手に思うような製品が発表された。11月発売予定。
それがこれだ。

http://www.sony.jp/hmd/

どうだ!
発売予定価格6万円。視聴覚交換に最低必要な2台で約10万円。
あとは、カメラとマイク、データ交換の為の何か、を用意すれば視聴覚交換器は完成するではないか。

iPod転用よりは大分高くなるけど、これなら使えるかもしれない。
発売まで後わずか、これは、SONYの期待に応えなければならない←期待しているのか?っていうか、こっちの思惑なんて知らないだろうし。。。

月曜日, 8月 29, 2011

たまには

お弁当。

火曜日, 8月 23, 2011

CGの正しい使い方

この後、山手線ゲームを始めていた。


金曜日, 8月 19, 2011

世の中には、

略して欲しくないこともある。

ゆるキャラの次は、

マジキャラ?

カレーモツ煮キムチ入り定食の感想

どれも間違いなく美味しい。
混ぜなくていいな。混ぜない方がいいな。バラでいいな。困惑状態の口の中。

ポールモーリアはポールモーリアのアレンジのままでいい。

桜エビ踊り揚げ

一押しの桜エビは置いといて、カレーモツ煮キムチ入り定食@小笠PA。
容器には桜エビの柄。何故かBGMはポールモーリア。

水曜日, 8月 17, 2011

アトラクションのないディズニーランド(映画ツリー・オブ・ライフ)

話題作とあって、ま、そこそこの入り。
っていうか、外は暑いし、入ったら出たくないし。

ヒューマンドラマ系と思っている人は要注意。
JAROは映画の宣伝に関して取り上げないですねぇ。

「大宇宙 地球 宗教」ってキーワードで画像をググッてスクリーンセーバーにした、的な映画。

超大企業ディズニーの会議室の光景が目に浮かびます。
誰も止められなかった企画だったんだという驚き。大企業だねぇ。
原発とツリー・オブ・ライフは誰にも止められない、って感じ。

●企画会議@ディ○ニー実写系映画担当部のメモ
・家族向け
・歴史に残る映画
・他に類を見ない映画
・宗教団体に配慮
・PTAに配慮
・単なる娯楽映画にはしない
・CG担当部署にも仕事分けなきゃなぁ
・キーワードは"大宇宙""地球""神""自然""家族"
・ツッコむ輩には「君は神を敬う気持ちはないのか」と言えば良い
・ワカラナイと言う輩には「君はこのセンスが理解出来ないのか」と言えば良い
・低予算でも高い評価のヨーロッパ映画には負けたくない
・主役は大作に恥じない俳優を起用。ディズニーなんだから。
・音楽は荘厳な感じ
・全て予算は最高レベルで投入
・とにかく、そんなあんなこんな全てを盛り込む
・見る人の満足度?大衆は、わかりっこないって。マーケティングに任せりゃ大丈夫
・ネットの評価は報告しなきゃいい
・途中退席は気にする必要なし。チケット買っちゃったんなら、後は、見ようが寝ようがお客様のご自由に
・ギャグと受け取る奴は芸術が分からないってことで
・宗教と受け取る奴は放っておくってことで
・評価を下げると気にする監督は説得が面倒だから、作品から遠ざかっている大御所的な監督
・やっぱ、ディズニーと言えば恐竜
・エンディングは意味不明にするのが高尚感出せる。いつ終わった?的な感じ
・キューブリックをパク、じゃなくてインスパイアされた感じもいいんじゃないのー
・やっぱ、ラーメンは全部載せだねぇ
・じゃ、あと頼んだよ~


頼むッたってねぇ。サラリーマンだからやるけどさ。
案の定、最後に予算無くなったし。ま、その辺のビーチでエキストラ集めればいっか。

↓この評価コメント達最高!ツリー・オブ・ライフのamazonでの発売が楽しみ!

日曜日, 8月 14, 2011

福島の国見SA

山菜そば。

新しい伝承の形


盛岡に古くからある「修道院ガレット」。
修道女達の高齢化に、存続を危ぶむ声もあった。
意外にこのお菓子づくりは力仕事なのだ。

彼女たちは、少なからず地元に愛されるこのお菓子の存続を、その辺りのお菓子やさんには託さなかった。
ビジネス以前に、このお菓子作りに心を込められる人に託そうとした。
何年も何十年も守りぬいた味も品質も持続できる人達に託そうとしたのだ。

そしてそれは、ハンディキャップの人達のための作業所に託された。
彼らは、もとよりそんな経験はない。
同じように作れるようになるまで、気の遠くなるような日々が続いた。
何度も何度もチャレンジが続いた。

そして、ある日、ようやく今までと同じガレットが作れるようになった。

昔ながらの製法は、受け継がれ、昔から変わらぬ素朴な味を今も楽しめる。
洒落たパッケージにもならず、値段も変わらず、置いてある店も変わらない。

ややこしい権利や法律で守るより、作るものの気持ちを伝承する、こんな方法は、意外に、企業化よりも持続可能性は高いかもしれない。

盛岡の昔からのデパートで売ってます

木曜日, 8月 11, 2011

からくり人形


先日、テレビで昔のからくり人形を紹介していた。
あの、日本人形が、スルスルと動き、お茶を運んで持ってくるやつとか、
同じく日本人形が矢を取り、弓を引きながら狙い定める微妙な頭の動きと共に矢を放つ、そんなやつ。

100年以上前のからくりが、今も、そうやって動くこと事態、相当丁寧にメンテナンスしてあるのだろう。

話変わって、最近急速に個人的に興味のある「チームビルディング」。
言葉にするのが大変難しいのだけど、僕のイメージはこうだ。

まず、チーム。
一人一人がいろんな素材の軸、軸受、歯車で構成され、チーム全体がギアボックスとなって、最終的な「チームの歯車」を回していく。
チーム全体のやや大きな歯車は、他のチームの歯車と連動し、それ全体が大きなギアボックスになって、「組織全体」の力として外に力を伝えていく。

個々人からチーム、組織、そして、社会へとその歯車やギアボックスはより大きな歯車やギアボックスに力を伝え合っている。
とても複雑で、実に美しい歯車のイメージだ。

企業のギアボックスから飛び出ている歯車は、なかなか強力だ。
硬い鉄、いや、企業によっては、強固なチタン製の歯車。
これが、ガシガシと強力に他の企業や社会へとつながる歯車達を回していく。

よく見ると、同じように他の企業や社会へと繋がっている大きなギアボックスが他にもたくさんある。
あるものは、立派なチタンの歯車なのに、回転はとてもゆっくりだ。
あるものは、ところどころ欠けている木の歯車だけど、なかなかスムーズに回っている。

その中から、一つのギアボックスを開けてみる。
事業部ギアボックスや○○部ギアボックスが複雑に接続している中に、小さめの「チーム」ギアボックスがある。

「チーム」ギアボックスを開けてみる。
ようやく、一人一人個々人の歯車が顔を見せる。

個々人の歯車となると、一気に、バラエティに富んだ様相を呈する。
軸も様々だ。
樹の枝がそのまま軸になっていたり、向こうの軸はストローみたいな筒になっている。
とりあえず、軸受には収まっているものの、歯車も様々だ。
大体が、歯車らしい形ではない。
どうにかこうにか、隣の歯車らしいモノに接触している。
柔らかいスポンジ様の歯車が見える。おっと、これは、隣の固い真四角の歯車を撫でてるだけだ。
軸受がすっかり斜めに傾いて、どの歯車にも接触せずに空回りしている歯車もある。

そんなイメージ。

歯車やギアボックスならイメージしやすい。

普段は油をさすぐらいで良いかもしれないが、定期的に、全体のメンテナンスが必要だ。
全ての歯車を外し、軸受の向きを直し、必要なら歯の補修をして、元の位置に丁寧にセットする。

チーム全体のスピードや力の向きを変えるなら尚更だ。
必要に応じて、歯車の大きさを変えたり、軸の向きを調整したり、調整の後は、慣らし運転だって必要になる。

そんな風にチームや組織の様子が歯車に見えたらいいのに。

先の古いからくり人形が今も動くのは丁寧なメンテナンスはもちろん、誰かが愛情を持って維持管理しているのだろう。
油もドライバーも持たずに、乱暴にボックスを叩くしか脳のない人を、エンジニアとは呼ばない。叩くだけならサルでもできる。

盛岡の

かしわ屋、最高のかけそば。

水曜日, 8月 10, 2011

阿武隈PA

かけそば無し。で、月見そば。

矢板PA

ナルト載せてもかなり優秀280円かけそば。