水曜日, 9月 28, 2011

マトリックス組織

マトリックス組織の事を考えていたら、なーんだ、学校で授業ごとに教科の先生が交代で来る、あの制度と同じだ、と、気がついた。

担任の先生はいるんだけど、ホームルームで会うぐらいで、一日中、他の先生の授業を受けているわけだ。
専攻の授業によってバラバラになったとしても、クラスとしては、ひとまとまりで、運動会のクラス対抗リレーなんかでは、十二分に盛り上がれる。卒業式には担任の先生と涙することだってあるだろう。

小学校の時は担任が全教科を担当していたのに、中学からは教科ごとに先生が代わる。
当たり前だけど、専門性が増すから、そういう組織運営に変わるわけだ。


長年ピラミッド組織で働いているサラリーマンの皆様。
マトリックス組織は、恐るるにたらぬ。
あなた自身が経験した通り、子供でも普通にやっていけます。
そんなマトリックス組織でリーダーとなるのも、恐れる必要はありません。
何かと問題視されがちな学校教員の方々が、やりこなしているのですから。

ということで、学校方式でやってみませんか、ね、社長!

※ハミ出し
 マトリョーシカ組織というのも思いついた。
 一人、詩吟漫才の「あると思います」が聞こえた気がしたのでググッてみたら、珍しくノーヒットワードでした。( " ダブルクォーテーションで括って検索ね。)
 そりゃそうだ。単に語感で思いついたのだから。
 同様にアズマックス組織とかクリスマス組織とかリトマス組織も無い。

火曜日, 9月 27, 2011

尻に憑かれた男(ブラジル映画)


ブラジル映画である。他に何かブラジル映画を思い返せるか!っと考えてみたら、古い映画で見たのがあった。
リオのカーニバルが舞台の、「黒いオルフェ」がそれだ。
「黒いオルフェ」以来の、遂に我が家にやってきたブラジル映画が「尻に憑かれた男」だ。

と、そんな感動があったわけではない。
パッケージ写真の尻に惹かれただけで、ブラジル映画だと知ったのは、そのだいぶ後だ。
ただただ、「尻に憑かれた男」というタイトルに惹かれただけで借りてしまった。
(正直に言えば、4本借りる時に1本、この手のセクシー系を併せて借りる確率は高い。)


物語は、行きつけのカフェの店員のお尻に惹かれ、婚約を破棄し、仕事もそぞろになり、結果、自ら招いた事件に巻き込まれて死んでしまう男の話だ。
こういうのを演歌だったら哀歌とかいうのかもしれない。
哀歌を知らないから正しいかどうかもわからないが、そんな感じだ。


映画を見終えた時の満足度もたいしたことはない。
エンドロールを終えるまでも無く、さっさとプレーヤーの停止ボタンを押した。

ここのところの連休なんかで何本かDVDを借りて見たが、まぁ、これは中の下ぐらいの満足度だ。
でも、死に際に「中の中のDVDと尻男のどちらか一本を見せてあげる」と誰かに言われたら、迷わずこの映画を見せてくれ、とお願いする気がする。
いや、中の上を提示されてもこちらを選んでしまうかもしれない。
いやいや、上の映画を提示されても、結局、これを選んでしまうかもしれない。

だから、私の死に際に、この映画を差し出さないでおいてほしい。思い出させないでほしい。
痛切にそう感じる映画なのだ。


とにかく、惹かれる映画なのだ。
で、何に惹かれるのか、もう、丸二日ばかり考えているのだけど、何かに感動したわけでも、もう一度見てみたいわけでもなく、結局は、主人公の中年男が憑かれた尻が、いい尻だった、ということだけだ。
自分がそういう人だという自覚が無かったが、間違いない。尻好きだったのだ。

彼は、「この尻を見れば一週間何もせずに過ごせる」とカフェでカウンターの中の彼女の尻を見ながら呟く。
ついには、自分の目で見るに飽き足らず、目玉のオブジェを入手して、一緒に眺めるようになる。
自らの目で見ているのだが、気持ちは、オブジェの目を通して見ているのだ。
だからなんなのだ、いまいちピンとこないままストーリーはどんどん進んでいく。

目玉の親父を手に、カウンターの中で働く女性の尻を見つめる中年男。
うーむ。面白いシチュエーションではあるが、そんなシーンは、よーくよーく思い出さないと思い出せないぐらいだから、この映画の真骨頂ではない。

なのに、この、どうでも良い映画に惹かれている、この気持ちは、一週間ぐらい続くと確信できるのだから不思議だ。
もう一度言うが、感動も、もう一度見たい気も無いのに、この映画に惹かれている実感は続いているのだ。
気がつくと、あの主人公と同じように、「あの尻を思い出せば一週間何もせずに過ごせる」と呟いているのだ。


そういう意味で、このブラジル映画、なかなか恐るべしである。
「尻に憑かれた男」を観て、「「尻に憑かれた男」の映画中の尻に憑かれた男」になってしまっているではないか。

そういうわけで、一週間後にもう一度この映画を観てしまいそうな、いや、もう一度あの尻を見てしまいそうな、そんな自分に気がつかされる不思議な映画なのでした。
きっとこれは、たまにある、グルメ番組で紹介された何かしらを食べたくなる、そんな現象か。だとしたら、この映画は素晴らしい出来であることは間違いない。なぜなら、グルメ番組で紹介された何かしらを食べたくなるような事は、意外に少ないのだから。

※はみ出し
 ネットの映画評を見ると、割と、芸術的な視点で評価が高いようです。
 うーむ、だとすると、僕は、しょうもないスケベニンゲンではなく芸術がわかる男、ということになる!?

月曜日, 9月 26, 2011

サルでもわかる"文化"の説明



日本文化、地域文化、企業文化、組織文化。。。。
文化の融合、文化の違い、文化摩擦、、、

なあんて、カンタンに「文化」という言葉を使っているけど、じゃあ「文化って何?」と聞かれると答えに窮する人が多いのではないだろうか。
少なくとも私はそうだった。

Wikipediaでも、「人間が社会の成員として獲得する振る舞いの複合された総体のことである。」なあんて、読まなきゃ良かったと思うような解説っぷりだ。

そんな僕にもわかる、五匹のサルの実験、という話がある。
これを聞いて、僕の中の文化に対する何かが変わったので書き留めておく。

まず、この話、何処かの誰かの実験結果らしいのだけど、いつ/誰の実験なのか確認できなかったので、まずは、寓話かもしれないとお断りしておこう。
サル周辺には寓話も多いのだ。
100匹のサルという、実しやかに喧伝されている話は、どうも、話し手や聞き手の期待が込められた寓話みたいだ。

話戻って五匹のサル。
この話、それにしても、文化が何ぞや、を理解するには、良くできた話だ。

この話とは、
①文化の発端(学習フェーズ)
・五匹のサルの檻の真ん中に、天井からバナナを吊るす(飛び上がっても届かない)
・続いて檻の真ん中にテーブルを置いてあげる(テーブルに乗って飛び上がれば届く)
・しばらくすると五匹のうちの一匹がテーブルに乗って飛びつこうとする
・バナナに手が届きそうになるとテーブルのサル目掛けて冷水が浴びせられる
・サルは驚いてテーブルから飛び降り離れる。
・時間をおいて他のサルもチャレンジするが、やはり、水を浴びせられ断念する

②定着フェーズ
・なんどか代わる代わるチャレンジするが、やはり、水を浴びせられ断念する
・とうとうと、誰もチャレンジしなくなる

③事実の伝達フェーズ
・五匹のサルのうち一匹を他の檻のサルと交代させる(冷水事件を知らないサルが加わる)
・新たに加わったサルがバナナを取りにテーブルに近づこうとすると、他の四匹のサルが、激しく引き止め諦めさせる
・しばらくしたら、元々いた四匹のうちの一匹を他の檻のサルと交代させる(冷水事件を知らないサルが二匹になる)
・やはり、新たに加わったサルがバナナを取りにテーブルに近づこうとすると、他の四匹のサルが、激しく引き止め諦めさせる
・同じように元々いたサルを一匹ずつ交代させていく。
・とうとう、最初の冷水事件を知らないサルだけ五匹になる。

④文化としての継承フェーズ
・とうとう、最初の冷水事件を知らないサルだけ五匹になり、その一匹を、やはり他の檻の冷水事件を知らないサルと交代させる。
・やはり、新たに加わったサルがバナナを取りにテーブルに近づこうとすると、他の四匹のサルが、激しく引き止め諦めさせる

面白い。
最後は、誰も冷水のことは知らないのに、あのバナナにはチャレンジしないのがその群れの文化となっている。
事実はどうであれ守ろうとしてしまうのが文化なのだ。事実は変化しても、だ。
※あくまで、文化の一面を言っています。


サルとは違う人間の世界。
変革を望む組織のうち変革に成功する確率、という事を丹念に調査した結果がある。

成功の確率は10%程度なんだそうだ。
ま、概ね、「変革はできない」ということだ。

変革したくない行動を取り続けながら「変革したい」なんていう話はゴマンとある。
これが上位のマネジメントだと厄介だ。
変革したくない行動を取り続けながら「変革が進んでいない!」なんて、成果が見込まれない仕事が降ってきたりすることも少なくない。

興味深いのは、「変革のためにしてはいけないこと」も「変革へのステップ」も、充分に研究されているのに、90%の組織で変革は失敗する。
一方で、成功する10%の多くは、そんな研究など知らずに成功しているのだ。
要するに本気かどうか、なのだろう。

実績のある方法も、成果の出ている研究結果も、90%の組織では実践されない。
同様に10%の組織では、無意識的に、必然的に、同じような成功プロセスをたどるのだ。

事実や理屈ではない、それこそ文化が文化たる所以だ。

※ハミ出し
 じゃあ、成功した10%の共通点は、何はなくとも最初に「危機感を共有」したのだそうだ。
 VISIONなんか後回し、でいいらしい。まずは、危機感、なのだそうだ。
 五匹のサルだって、餌が、吊るされたバナナだけになれば、万難を排してチャレンジしただろう。納得。

↓変革について詳しい本。

木曜日, 9月 22, 2011

これは、

伊達巻き?カマボコ?

月曜日, 9月 05, 2011

世界大会あれこれ


まずは、ホームレスの人達のワールドカップ。
ワールドカップなんだから世界大会で、今年はパリで開催された模様。
50カ国もの国からホームレスのチームが集まったらしい。

日本チームのオフィシャルサイトはこちら。
野武士ジャパン!http://www.nobushijapan.org/



もう一つの世界大会は、リーダーシップ世界大会。

http://www.allleaders2011.com/


トップページには、
「一人のリーダーの声を聴き、それに従う時代は終わろうとしています」
とある。
そして、多様性(一人一人のユニークさ)を活かして全体が共鳴できるリーダーシップの形があるのだという。

「地球交響曲」の映画監督が、分科会ではpatagoniaの日本支社長が、と、なかなか興味深い人達の生の声を聞くことが出来る。
これは、勝ち負けのない世界大会なんだなぁ。

食べるために

食べるために生きるのか、生きるために食べるのか、ランチのために出社するのか、とりあえずランチ。

日曜日, 9月 04, 2011

言わずにいられない

野田さん、どじょうをどうじょう。貰っても、どうじよう。
400mリレーはジャマイカ金。じゃ、まぁいいか。

世界陸上を見て、

ハンマー投げの選手になら、体格的、いや、シルエット的に負けないかも、と思った。

台風一過の週末、食べることしかしてないのであった。

金曜日, 9月 02, 2011

視聴覚交換マシン、その後(その前も無いのだけど)



休眠状態の汎用品利用・仮想視聴覚交換器作成プロジェクト。(ずっとやりたいな、と思っているものの費用やスペックの面で断念している)
簡単にいえば、iPodなんかを使って視聴覚交換マシンを体験したい、という話。

視聴覚交換器というのは→http://www.petworks.co.jp/~hachiya/works/shi_ting_jue_jiao_huanmashin.html

でだ。このプロジェクトの障害になっていたのが、ヘッドマウントディスプレイ。
普通に手に入る価格では、マトモなものが無いのだ。
ここで言う「マトモ」とは、
・どうせ、視聴覚交換体験してしまえば、後は、普通にヘッドマウントディスプレイとしても使いたくなるだろうから、ゴミになるようなモノは買いたくない。
※以前、カメラ付きのiPodを目の前にぶら下げる方法を考え、電気屋で試してみたが、覗き窓にしかならないと感じた。安くなったiPodの有効活用ではあったんだけど。
・ケーブルをゴチャゴチャ身に纏いたくない。
・気軽に試せる
という辺り。要するに、あんまり面倒な事はしたくないわけだ。←この時点でプロジェクトとしての体を成していない。単なる夢みたいなもの。

という事で、一年ほど前にiPod転用アイデアで、久しぶりに休眠状態から覚めかかったのもつかの間、直ぐにまた休眠入りしていた。

そこへ昨日、天下のSONY様から、「君のプロジェクトで、これなら使えるかい?」と、直接のメッセージを頂いたように勝手に思うような製品が発表された。11月発売予定。
それがこれだ。

http://www.sony.jp/hmd/

どうだ!
発売予定価格6万円。視聴覚交換に最低必要な2台で約10万円。
あとは、カメラとマイク、データ交換の為の何か、を用意すれば視聴覚交換器は完成するではないか。

iPod転用よりは大分高くなるけど、これなら使えるかもしれない。
発売まで後わずか、これは、SONYの期待に応えなければならない←期待しているのか?っていうか、こっちの思惑なんて知らないだろうし。。。