木曜日, 7月 31, 2008

イノベーションジレンマその2:身の丈という贅沢(vs 株主の期待にこたえるいうこと)

今、「すかいらーく」が苦境に陥っている。
ファミレス業界は拡大~定着~競争淘汰~安定~~~、、、の過程を経て構造不況業種になっているようで、僕は知らなかったけどすかいらーくは一旦、上場を取りやめて再上場を目指した業績改善に取り組んでいるところだったようです。

20数年前、街の洋食屋さんが、品質と効率を追求しながら海外にまでチェーン展開するようなファミレスとなっていく過程をアルバイトとして数年間経験させてもらっただけに、感慨深いものです。

単に僕個人の思い入れ、すかいらーくの一ファンであるという立場で、この「構造不況」について考えると、「身の丈」というものの意味が見えてくる。

構造不況に強い=持続力がある、持続的である
持続的である=世の中の流れ(環境変化)に強い
環境変化に強い=変化しやすいターゲットは狙わない!or 変化にあわせられるようにする(多角経営など)


じゃ、ターゲットはというと、、
●元々の顧客層
街の洋食屋さんであれば、
・その近隣に住んでいる
・週末は家族で外出している
・外出でやや遅くなった帰りに立ち寄りそれほど高くないけど満足できる美味しい夕飯を食べる
・平日の昼は近所の主婦同士でランチを食べに立ち寄る
みたいな顧客。

●新しい顧客層
イノベーションを起こして「街の洋食屋さん」→「ファミレス」を目指した事で対象顧客ががらりと変わる。
・その道路/ルートを車で利用する人
・家で食事を作らない人
・一人、友達同士の顧客も無視できない
・食事の目的はフリードリンクで長時間過ごせるなど「休憩場所」として利用する顧客も無視できなくなる


「ファミリー向けレストラン」から「ファミリーおよび手軽な食事を求める人全般向けレストラン」に変わったわけだ。
そして、「・・・人全般」というのが移り気だったわけだ。
その上、移り気な顧客のせいで煩い/混んでる/雰囲気悪いファミレスには寄り付かなくなったファミリーもいたりしてね。


僕が知っている限りイノベーション企業のすかいらーくは多角化には早くから取り組んでいました。
また、ニュースサイトを読んで知ったのですが、現在の構造不況にも取り組みが早くて業界内でも注目されていたようです。
しかし、
・多角化とは言っても顧客層別のバランスは偏りがあった(結果論ですが)
・変化が予想をはるかに超えるスピードだった
ということなのでしょう。
創業家社長がベストを尽くしても、株主は2期連続赤字の社長交代を要求しているようで、甚だ気の毒ではあります。。
もしかすると、街の洋食屋さんという"身の丈"を守るということは、株式公開/上場による創業者利益の何億円、何十億円をもフイにするという、とんでもない贅沢なのかもしれない。


僕としては料理のレシピはもちろんだけど、工業化の基本となる
・熟練者の作業を科学的に分析(マニュアル化)
・機能分離(センターキッチンの導入)
・統計的売り上げ予測/在庫管理(看板方式からPOSの導入)
辺りまで、たかがバイトでも学習させてもらった「すかいらーく」。
復活を心から期待します!
(できれば、"ガスト"ではなく"すかいらーく"で復活して欲しいな。非株主の声は届かないのであった。)

※"すかいらーく"で検索すると、ネガティブな本が先にヒットするようになっちまったか。。

水曜日, 7月 30, 2008

記憶と記録 ●番外はアリ(蟻)の話

※車載用レコーダー
車載の監視カメラのようなもの。常にビデオデータを記録していて、事故発生時の前後数十秒が記録として残されるような仕組みになっているもの。



車載用レコーダーのニュースを見て、ニコラス・ネグロポンテの言った「人は生まれてから死ぬまでの全てを無機質な媒体に記録しようとしている」を思い出した。
DNAなんていう限られた、不安定な媒体では満足しないという考え方。


すでに全てを記録する最終段階は始まっている。想像するに、
1.超特別な記念写真時代
成人式、卒業写真、出征時、などなど
2.家庭の記念写真時代
家族のイベント、家族旅行、などなど
3.個人の記念写真時代
プリクラ、スナップ写真(写るんです系)
4.個人の記録写真
写メ、車載事故用記録
5.常時撮影
警備用撮影記録
と、進んできていて、ビデオは今は2~3あたりか。
あと18年*もすると誕生した赤ちゃんに常時連続撮影カメラ(カード型。首からぶら下げる。要:年に一回メモリー交換)をプレゼントするのがブームになるかも。

鉛筆を捨ててキーボード中心の生活になって、漢字が書けなくなっていたり、自分の字が下手なことは忘れたりしている現状を考えると、その時代の人たちは記憶力は低下するんだろうなぁ。
記憶の世界に生きている人間と、記録の世界に生きていくニンゲン。
その時代は「記憶」とは「妄想」と同じ意味になるのかも。
すみません、オチ無しです。

*ムーアの法則で考えると、18年後には1TBの小型メモリーカードが普及期に入る。


●はみ出し
ここのところ、家の中ではヤモ君を見かけなくなってます。
これは、通り道と思われたサッシの隙間をガムテープで塞いだ効果なのだと思う。
それに代わって、ここのところ毎日オフィスのデスクでほんの2mmほどの小さなアリを見かけます。見つけるたびに指でつぶしていたんだけど、毎日のことなので隣の席の同僚○さんに聞いてみた。


「あのさぁ、ここのところ、僕のデスクにアリが出没してるんだけど、○さんの席もそう?」
○さん
「あぁ、、そっちまで行ってるかぁ。それ、私が家から連れてきてるさー。」

「えぇっ?どーゆーこと?」
○さん
「うち、家の中に普通にアリがいて、財布とか持ち帰ったPCとかに入り込むさー。
会社に来て財布を机の上に置くと、何匹か出てくるさー。
PCだと、電源を入れると、うじゃうじゃ出てくることもあるんだよねー。はははは(笑)」

ということで、○さんのご自宅(緑に囲まれた素敵なお宅のようです)のアリ達の勢力拡大の一端を見させて貰っていたわけでした。
このアリ、彼が言うにはアリには"活発な動きのアリ"と"のんびりアリ"がいて、(期せずして)連れてきているのは"のんびりアリ"なんだそうです。
ちなみに彼の家では、庭にはキノボリトカゲがいて、ヤモ君は普通に家の中で暮らしいているようです。
(汗)

火曜日, 7月 29, 2008

システム管理(運用)者の日:7月最終金曜日

今年は、去る、7月25日だったのだが、この日はSystem administrator appriciation dayなのだそうだ。



もう、シスアドの歌まであって、「ログインできないと文句を言われて出かければCapsLockがONになっているし、やってらんねーよー」みたいな唄のようです。(誰かちゃんと歌詞に起こしてほしいな)
この歌っている人がTed Kekatos(後述)で、システム管理(運用)の世間のイメージはこうなんだなぁと、改めて思い知りました。


年に一日ぐらいはシステム管理者を労おうじゃないかと、Ted Kekatosというカナダのシステム屋さんが自らを労う日を提唱し、どうも、Wikiに載るほどになったようです。
http://www.kekatos.com/
↑典型的システム屋さんのホームページ。今まで使ったPCとか、スペックとか、勝手に製品評価とかしてます。
うーん、気持ちもよくわかるし、このオジさんと話が弾んでしまうかも知れないと思うと自分も怖い。
(汗)


とはいうものの、こんな感謝の日が無いと、もはやシステム管理の存在は人々の意識から消されかねない。
基本的にシステム管理というのは感謝されることも、日々存在を認識されることも無く、彼らの日々の努力や苦労は、ともすると彼ら以外の何か、目の前の(くそったれとパンチを食らわしたくなる)WEBフォーム画面や、目の前の(リセットしないだけで褒められる)PCへの感謝で終わっているのだ。

毎晩徹夜していようが、そんな事は関係ないのである。
ウィルス対策を永遠にやり続けなければならないようなエクセレントな仕組みを、システム管理者は管理し続けなければならないのである。


ということで、日本でも関連の行事や、まさにシステム管理の部署でささやかな労いがあったり、と、確実にシステム管理者の日は根付いているようです。
よく考えると、その昔、日頃の特に労われることも無い労働者を労う為に「勤労感謝の日」があったと思うんですけどぅ。。。

月曜日, 7月 28, 2008

台風

今回、ようやく(などと言えるのは今のうち?)台風の誕生を感じることができた。
ホームとする近所の浜は、太平洋側でかつ大きな湾の一番内側なのでこの二ヶ月、サーフィンからは干されていた。
(実際には可能な日は二・三度あったのだが、他の予定などでできなかった。)
この干されっぷりが半端ではない。なにしろ、最後に入ったのが5月の中旬じゃあないかぁ。
いくらここの生活で「波にさえガツガツしない」と新たな信条という名の言い訳をこしらえた所で、これはまずい状況だ。
老体の筋肉はあっという間に衰え、なにが残念って、いくらチャリでどこまで遠乗りしようが、下半身しか鍛えられないということだ。


そんな二ヶ月間、毎朝、職場のそばの河口でうねりが入っているかチェックするのだが、まったく、うんともすんともだった。
しかし、先々週の終わりに、「??」と思うような日があり(わずかだがうねりが入り始めていた)、先週半ば~先週末にかけては、会社の帰りにポイントチェックに出かけたり、先週末は早起きして波を確認しに行ったり、もう、気分はどんどん高揚していった。
もう、パンツを何枚も降ろしながら「できる?できない?まだできなぁんい♪」とのけぞる程度に波が入り始めていたのだ。
その辺りから天気予報を注意して見るようになり、その時点で「熱帯低気圧」が南東海上に留まっていたのだった。


この熱帯低気圧を応援する日々。前回の台風は西側過ぎて、僕の(敢えて"僕の"と言わせてもらう)東側には波が入らなかった。
そして、沖縄はリーフブレイクなので、まして湾の内側でサーフ可能になるのは干潮時になる。
干満表をみながら、着々とベストタイミングを予想。今度はいい角度に熱低がネばっティいてくれる。がんばれネッテイ!


そして、先週いっぱいかけて、このネッテイは、無事に台風8号「フォンウォン(山:ラオス語)」君を無事に出産し、着実に育ってくれたのである。
もう先週後半には、週末にドンピシャだと確信し、一ヶ月のブランクに備え、ヤモ君のベース基地となっている物置からボードを運び出し、ワックスを塗り、金曜の夜にはもうバッチシの状態だったのだ。

そして、遂に土曜日。
いつものポイントは、干潮前後の3時間ほど、波を立たせる沖の浅瀬できっちり割れてくれる。
なんだかんだで朝寝坊はしたものの、7時過ぎには入水、きっちり入ってくれるウネリに、強風で面は荒れているものの、
干潮までの1時間ほどを堪能し、パドルに疲れ家に帰り、前日に作りおいたおにぎりを食べ、睡眠をとり、夕方の干潮時にもう一時間ほど入り、久々の筋肉痛と疲労に翌日は昼過ぎまで寝ていたのでありました。

今週はフォンウォン君が去った後の風が収まった辺りが狙い目か。

ちなみに、今回の台風は距離が遠かったせいか、
・海は荒れている
・風は強い。風にチャリで逆行は、平地や緩い下り坂でもアシストが必要。
・雨は時々短時間(30分ほど)風とともに強く降る。この時は台風中継並みの嵐。ただし、時間がたつと青空。
という感じで、生活には支障はありませんでした。


【読書】
とはいえ、昨日は一日降ったり止んだりの中、J.アーチャーの「ケインとアベル」を読み終え、いまさらながらアメリカは黒人や移民を社会に受け入れる事で自らイノベーションを起こし成功したんだなぁと、感心したのでした。
「ケインとアベル」中高生ぐらいのときに一度読んでおいて、社会人になってもう一度読むといい、そんな感じの壮大な物語でした。


【映画】
「転々」を、観ようとしました。
三浦友和の演技に惹かれつつ、寝ました。実はこれ、映画館でも観たのですが、その時も寝てしまい、今回は観た事も忘れて借りてしまった。。。。
僕の記憶が"点々"という事でした。

金曜日, 7月 25, 2008

イノベーションジレンマ

最近、といってもこの何日かマイ・ブームなのが「イノベーション・ジレンマ」である。



日々、製品やサービスを作り出し、同業他社との競争に切磋琢磨している中でこのジレンマは起こる。
通常製品は、生産され販売されている中で消費者のニーズを拾いながら、あるいはより人気のある他社の仕様を拾いながら、よりよい製品へと改善されていく(持続的イノベーション)。
しかし、その持続的イノベーションの活動自体が、気がついたら本質的なニーズ(人間の欲求)と乖離し、あるいは、ニーズが時代とともに移り変わり、あるいは、根本を揺るがす技術革新によって、新興企業にそのマーケットをかっさらわれる(破壊的イノベーション)、そのジレンマ。


たとえば、その昔、ラジカセは一家に一台、いや、一部屋に一台ぐらいの勢いで「普通はあるでしょ家電」だった。それほどオーディオマニアではないけど、音楽は大好きな人は、手軽にラジカセで音楽を聴いていました。でも、今、音楽好きはどうしているのでしょう?
いろんな人がいるとは思いますが、ま、多くの音楽好きはiPodで楽しんでいます。
iPodを作っているAppleという会社はラジカセ、あるいはオーディオの会社だったでしょうか?


そんな事から、そもそもイノベーションは、企業が生き続けたいという欲求を源にしていてはいつかしっぺ返しがくる。自分が携わる製品やサービスは人間のどんな幸せへの欲求に応えるのか(上述では「手軽に音楽を聴きたい」)を忘れちゃだめなんだなぁ、という話でした。
そして今、今までは「幸せへの欲求≒快適さの追求」だったことが「幸せへの欲求≒(環境にも配慮した)ある程度自然な中での快適さ」に変わってきている事も忘れちゃいけない、、、などと考えるのでした。


なんか、文章にしたら至極当たり前。なのに、気になったということは、僕がその事実(幸せへの欲求に応える事)を忘れていた、、、ということかな。
根本を忘れては幸せは続かない、、、ということ。


【はみ出し】
●ラジカセもiPodも、人が歌う「唄」にはなれないんだなぁ。まだまだ破壊的イノベーションの余地はある。
●古い映画で、蓄音機はゼンマイ?かなにか手回しで聞いていたような気がするけど、そんなiPodがあったら素敵かもしれない。
●液晶TV+ラジオ+DVD+iPod+巨大スピーカー+折りたたみ/分割機能+目覚まし時計+メール機能、なんていうNeoラジカセも欲しくないけど見てみたい。
↑限りなくモバイルPC+スピーカーだな。。。。トースターもつけるか。。。
●あまりに天気がよいので「太陽電池セット」を調べてみてるけど高いんだよねぇ。iPodぐらいなら太陽電池で動き続けないかなぁ。
●「ミニマンゴー」よりも「ちびマンゴー」の方が可愛い!
●「イノベーション・ジレンマ」と「ジョンレノン・イマジン」は似ている。

Tile :John Lennon - Imagine


Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace

You may say that I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world

You may say that I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one



『イマジン』訳詞 忌野清志郎 (1988年)

天国は無い、ただ空があるだけ
国境も無い、ただ地球があるだけ
みんながそう思えば
簡単なことさ

社会主義も、資本主義も
偉い人も貧しい人も
みんなが同じならば
簡単なことさ

夢かもしれない
でもその夢を見てるのは
一人だけじゃない
世界中にいるのさ

誰かを憎んでも、派閥を作っても
頭の上にはただ空があるだけ
みんながそう思うさ
簡単なこと言う

夢かもしれない
でもその夢を見ているのは
きみ一人じゃない
仲間がいるのさ
平和に生きている

水曜日, 7月 23, 2008

沖縄の甘味

本題に入る前に、、、
相変わらず、ほぼ毎晩、家の中に出現するヤモ君と格闘してます。
地元の人に聞くと、どうも家の中にヤモ君一家の通り道があるらしい。
ゴキブリホイホイという手もあるらしいのだが、殺してしまうのは忍びないので、ヤモ君専用鍋つかみを用意して手作業で排除できるようにしていこうと思う。
まだ、素手で掴めるほどには心が通い合っていないのだ。
(涙)





【沖縄ぜんざい】
さて、「沖縄ぜんざい」の話。
沖縄では「ぜんざい」というとカキ氷の事である。アズキとシロップと氷。
アズキは大きめのモノでナイチ(本土)でいうところの「金時」とは別物。
また、抹茶シロップなども使わない。シロップは単なるシロップ。
しかも、このアズキはトッピング的にちょこっと乗っかっているのではなく、底にたっぷり入っている。
お腹が一杯になるほどである。

ここのところ、この「ぜんざい」のしかも「ミルクぜんざい」にハマっている。
器の下から、あずき>氷>シロップ>氷>あずき>ミルク、な感じで出てくる。200円~300円程度。
もう、「大」なんか食べたらランチはいらないのである。涼しいのである。


【ミニマンゴー】

マンゴーは高級品、ましてや特産品としてナイチに送り込まれるマンゴーは、大粒で傷がなく大切に大切に取り扱われたもの。
でも、マンゴーだって農産物なわけで、傷もつけば小粒のものもある。
これが地元では手に入るのだ。

そうは言っても一粒100円ぐらいにはなるのだが、これが旨い。しかも皮ごと食べられる。

そもそも、フルサイズのマンゴーなんて、食べなれてないからカットにも困るのである。
昔ファミレスのバイトで「マンゴーフェア」の時のカットしか出来ないのである。
フォークを種に突き刺して皮をむくしか知らないのである。
これは、面倒で、まだ巨峰を皮を剥いて食べるほうがいいぐらいである。
だから、決して高級だからというわけではなくて、面倒だからマンゴーは食べないで生きてきたのである。
(長い言い訳になってしまった。。。)

ということで、ミニマンゴー。
沖縄に来る機会があったら、JAとかの直売所によってみると売ってたりします。
お試しあれ。





【島バナナ】

普通のバナナより小さいモンキーバナナ?が、観光向けはもちろん、たまにはスーパーでも見かけたりします。
でも、先日、果物を沢山取り扱っている物産店で、普通サイズのバナナで沖縄で清算されたものをみかけました。全体に緑色をした大きな房のバナナ。
熟すまでに数日の間、部屋の中に吊り下げておくのだそうだ。
これもいずれ試したいな。

日曜日, 7月 20, 2008

侵入者



僕と仲良くしたがっているのはホオグロヤモリらしい。

ここのところ毎晩である。
何がって、ヤモリ君、ヤモリさん、ヤモリちゃん、ヤモリ様、ヤモリご一行様、ヤモリお礼参り、ヤモリツアー、とにかく毎晩といえばヤモリに決まっているのである。

家に帰ってきたときに、玄関にへばりついていた事がある。
風呂に入ったとき、天井に張り付いていた事がある。
もはや、窓ガラスの外に張り付いているのはどーでもよい。夜は窓は開けないのだ。
しかし、しかししかし、夕べは子供ヤモリ(どうも、一ヶ月ほど前からチッチッチッと深夜に激しく泣いていたのは子作り中だったのか??)である。窓の内側である。そう、子供ヤモリはサッシの隙間ぐらいは楽勝なのである。
※写真はチビたち。大人は肖像権を主張するので撮影していません。(怖いわけではない)

一昨日の玄関に張り付いていた奴も子供。
この子は尻尾が無かった。その前の晩に窓ガラスの内側で発見して、発狂しそうになった僕がほうきで追い払ったときに負傷した奴だ。その千切れた尻尾がいつまでも動いていたのは、もう、忘れたい記憶No.3ぐらいの記憶になったのだ。

そして、今夜。
日中は暑いから、家の中にいるとクーラーガンガンで、不健康極まりない事になるのでチャリで隣の隣の町まで出かけていた。フルーツ村みたいな果物沢山取れまっせ、的な村。
そんなこんなで汗だくで帰ってきて、床屋に行って、シャワーを浴びて、さぁ、ご飯の支度、大家さんから貰ったナーベーラー(若いへちま)を料理しようとしていたときの事件だ。
善良な市民。温和で友好的で近所の評判もよく会社でもなかなかの逸材な人物。
休日も穏やかな一日を過ごす、なんだったらうちの嫁に、あ、おじさんじゃあ嫁には迎えられない、、、つーぐらいの僕に神は試練を下さった。


ちらっと見た台所の床まである大窓。
はいはい、いますね。ヤモリ君。
窓に張り付いてるのなんて、見慣れたものです。「オッス、切っても生えてくるのは尾っす」ぐらい大人のジョークだって言い合える仲。
しかし、、、えーーーーっ、何で君はお腹を見せずに背中を見せているの?
おかしいでしょ、ガラスに張り付いたら、お腹を僕に見せるでしょ。
だいたい、君は大きいよねー。15cm近くもあるし、大きく肥えてるし、よく育ったよねぇ。
、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、
ΘΣΕΔⅡλ○△×ぅぅぅぅぅぁぁぁぁぁぉぉぉぉぉぉおおおおおおおーーーーーーーっ!
君は窓の内側に張り付いている?
いや、そんな事はないよ、背中にも吸盤があるんだよ、、、、、って言ってくれーーーーっ!


はい。内側にしっかりいました。
子供じゃありません。親です。
警察に電話しようかと思いました。いけませんか?
税金を大人のヤモリの不法家宅侵入罪で訴えてはいけませんか?


相手は大人です。僕の奇声にはビクともしません。
よく考えました。最初にすべきは、「話し合い」だと悟りました。
相手が不法侵入にもかかわらず、大人の僕は、お願いしました。
「出ていって頂けますよね?」「窓を開けたら出て行くつもりだったんですよね?」
普段の1.3倍ほど手を長く伸ばし、窓のロックを外しにかかります。
ロックは二箇所あります。
まず一箇所。
ガラスに振動が起こります。ヤモリ的にはマグニチュード3クラスの「くすぐったい」ぐらいの震度のようです。ちょっとだけ移動します。

「よしよし、後一つロックを外したら開けてあげるね。」

もう一箇所のロックを外にしかかります。
爆発物処理班の気持ちが良くわかります。
それにしても奴はすごい身体能力です。僕が彼のように垂直のガラスに張り付いていられたら、北京オリンピックに出ていることでしょう。
そんな悠長な事を考えている余裕などないのですが、彼は、何を思ったのか、チョロチョロと移動します。なんと、、、、、次のロックの近くにです。
仕方ないので、腕をさらに伸ばし、多分1.5倍にちょっと足りないぐらいまで伸ばし、ロックを外します。

今度はマグニチュード4クラスの「じっと立っていられない」ぐらいの震度だったのでしょう。
その揺れに対し、僕が彼のように出来たら北京オリンピックで金メダルも夢じゃないであろう俊敏な動きで、ガラスの上をスラスラと音もなく移動します。
その動きに負けない瞬発力で、僕も後方へ1.5mほどジャンプします。負けられません。


さて、爆発物処理班は仕事を終えました。ロックは外れています。
しかーし、奴もあっぱれ、その時、既に天窓へと移動しています。これは、いけません。ありえません。僕は下の窓(何窓って言うのかわかんないけど、人が出入りできる床までの大きな窓)を開けられるように危険手当も請求せずに爆発物処理班の仕事をやり終えたのに、天窓に移動なんて、そりゃないぜベイビー。

しかたありません、爆発物処理班は既に帰りました。
僕は、今や、カタクシンニュウシタヤモリヲオイタテル専用となった「必殺ほうき」、を持ち出します。
窓をちょっとだけ開けます。(一杯あけたらどんだけ入ってくるのか、その恐怖からちょっとしか開けられません。)
ほうきで、天窓の彼のそばを刺激します。マグニチュード2.5程度の刺激です。
あろうことか、彼は家の天井近くの壁に移動します。
「そっちはダメ~~~~~」
この家に僕一人だとしても構いません。
ちゃんと発声します。大きな声できちんと話します。
「そっちはダメだって言ってんじゃーんっ。頼むよぅ。」
基本は、話し合いです。語りかけます。

ほうきで彼の進行方向を邪魔しながら、格闘3分、ようやく、彼は開いた窓の隙間から外に出ます。
僕は勢いよく窓を閉めます。



・・・・・・・窓の外は網戸。
彼は網戸とガラスの間で、「だから、どうしろっていうんだよぅっ」と網戸に張り付いて、やはり、背中と目をこちらに向けて訴えます。
その目が一瞬、ニヤッとしたように見えたのは気のせいでしょうか。
僕は、「入ってこられるんだから、出られるでしょう。よっ、金メダル!」と励まし、カーテンを閉めました。




30分ほど経って、カーテンを開けると、おとなしくさっきの場所に張り付いてました。
仕方ないので、「動くんじゃないぞ」と念じ、窓を開け、網戸をずらしてあげました。

この分だと年内には、きっと僕の超プライベートゾーンまでやってくるに違いありません。
もう、僕は、ヤモリと暮らしている事を認めるしかありません。
いずれ僕はヤモリで出来ているなんてことになるのかもしれません。
そういえば、今の僕は、オトコヤモリって言うんでしたっけ?オトコヤモメ?ヤモリ?

それまで、なんとか話し合いで解決したいものです。
※小動物に怯える生活は、「Tシャツの背中のタグがくすぐったいだけなのに飛び上がる」「携帯着信のバイブに飛び上がる」などのように僕をまるで、小さい飛び上がる虫、のような存在にしていきます。
※※ナーベラーは炒めてもお味噌汁なんかの具にしても美味しいです。ナスと同じような感じで「使える」野菜です。
※※※床まである大きい窓は「掃きだし」っていうそうです。
←気が知れない本

金曜日, 7月 18, 2008

太陽と北風:ドーパミン型/ノルアドレナリン型モチベーション

職場、組織で大切なもの、絶対に失ってはいけないものは何か。
それはモチベーション。
お腹がすかなきゃ食べられない、モチベーションが無ければ仕事は出来ない。


モチベーションは個人個人が感じるもの。
だから一人一人が違うモチベーションを感じていて、違っていてもいい。
例えば、休日の楽しみが仕事のモチベーションの人もいれば、給料が仕事のモチベーションだったり、家族的雰囲気がモチベーションだったり、仕事大好き!がモチベーションだったり、その組み合わせだったり、一人一人違うのは当然です。


とはいえ、職場全体が総合的に「モチベーションが高い」状態でなければ組織の力なんて発揮できないでしょう。
職場の半数以上がモチベーションが低い、そんな状態になると、モチベーションハザードの状態になり、終身雇用を放棄した会社では離職率がどんどん上がっていきます。
あ、終身雇用もモチベーションの一つなのかもですね。


個人個人様々なモチベーションがある中で、モチベーションの低い人が増えると言うのは、その組織の運営状態や組織の人(主に上流、管理職)に致命的な欠陥があるのだと思います。よく、モチベーションの低さを、その組織に所属する人たちの意識の低さとすり替える管理者がいますが、それはあり得ません。
管理者しか職場のモチベーションをコントロールできないのですから。給料を決めるのも、残業を奨励するも削減するのも、自由に発言できるのも、直接関わろうが関わるまいが、管理者と呼ばれる人の責任なのです。

モチベーション低下で最も怖いのは、モラルすら崩壊する事です。
モチベーションハザード→離職率の上昇→利益低下→職場環境の劣悪化→更なるモチベーションの低下→→→「モラルハザード」による組織崩壊
です。持続可能な会社であり続けるためには末端組織所属員のモチベーションが必須なのです。



モラルハザードまで至る例。
あるお菓子会社。値段の割りに可愛らしくて美味しいケーキを作って全国展開していたとします。
工場でも売り場でも、社員もパートの人も、仕事に誇りをもって活き活きと仕事しています。
経営状態は、既に市場も飽和しており、それほどの伸びも無い代わりに、堅実な経営状態が続いていました。
ある時、経営者が交代し、体育会系的経営で元気よくなるぞーみたいな事になりました。
そこからこの会社の不幸が始まります。
現場には強烈なコストダウンの指令が降りてきます。最初の頃こそ、元々の無駄を削る事でなんとかしのいでいましたが、全国の工場、直売店舗、それぞれでコストダウンを競争するようになっていきます。
いつしか、賞味期限の扱いを誤魔化したり、多少の雑菌を見てみぬ振りをしたり、そんな事が常態化していきました。

この時、一番の問題は現場の一人一人の社員なりパートの方なりへのモチベーションへの影響です。
以前は工場などでは従業員が自社製品を喜んで安価に買って帰って家族と食べていました。しかし、これもコストカットの対象となり、それほど安価でなくなったばかりか、そもそも賞味期限のごまかしや雑菌の取り扱いの裏を知っている従業員は「自社製品だけは家族に食べさせない」という意識に変わっていきます。

自分の家族に食べさせないようになってから、製造現場では、「食品を取り扱う」意識は一気に低下します。「値段のつくモノ」を作っているだけです。
もはや、無視できない品質にまで製品の品質は低下していきます。
この状況に正義感のある従業員は管理者にクレームしますが無視されます。結果、正義感の強い人は辞めていきます。モチベーションの低い人が残るため、後から採用される人も長続きしません。
製品の品質は以前の状況では「あり得ない」レベルにまで落ちます。もう、腐ってたって平気です。
こうして、この会社の製品の品質がいつか公の場に明らかになった時、この会社は、もはや存続できない状況となるのです。
ここまで書いてきて、これって、大戦の日本の「過ちに気がついても後戻りできない組織」にも共通しているような。。。



さて、話を元に戻します。

人のモチベーションは「不快なことを避ける」「快適な事を追う」の二種類によりモチベーションが上がったり下がったりするのだそうです。
「不快な事を避ける」(怒られる:ノルアドレナリン型モチベーション:北風)に起因するモチベーションは短期的にはすごい効果があるそうです。しかし、長続きしないようです。
「快適な事を追う」(褒められる:ドーパミン型モチベーション:太陽)に起因するモチベーションは短期的には特に変化が無いように見えるのだそうです。しかし、長期的には着実に効果が出るのだそうです。



さて、北風的なものの例。
●朝礼でゲキを飛ばす
普通の人は、きっと、朝はそんなにテンションは高くないものです。少なくとも私はそうです。
そんな朝礼で、飛び上がるほどビックリするような大声で「オハヨーっ!ゴザイマスっ!」などと叫ばれ、その後、「声が小さいですよ!もう一度!」などと言われたりすると、何か特別なイベントの日ならまだしも、毎日ではもはや元気が出るどころか、お腹が痛くなって帰りたくなります。
●過度に競争心をかきたてる
少数精鋭を育て、その精鋭が事業を引っ張っていく、そういう職場であればそれも良いかもしれません。
しかし大人数で組織的な成果を出していくような職場の場合、多少は競技種目を増やしても大概トップグループには同じ人たちが顔を連ねる事になります。
これは、言い換えれば、競争をすればするほど多数の人は「自分は賞は取れない」というネガティブな感覚を積み重ねる事になります。種目を増やして毎日やればやるほど多数の人たちにとっては逆効果なのです。
●精神論(厳しい系の精神論)
精神論、いいですよね。私も否定するものではありません。
しかし、精神論は一人一人の目をきちんと見て、親が子供に伝えるように気持ちを伝えていかない限り、伝わりません。
1対Nで精神論をぶつと、言われたほうは、いいとこ「なんか暑苦しいからやってあげるかな」ぐらいのものです。自分で率先して取り組むような気にはなかなかならないものです。
●権威主義、目上主義
先輩を立てるべき。これも基本は正しいです。私もそうしてます。多分。(汗)
しかし、自分が目上の人には実践すべきですが、自分の(役割として)下流にいる人に対して要求してはいけません。
職場は、いろんな歴史、いろんな経緯、いろんな経験を積んできた人たちの集まりです。
どんな立場の違いであっても、お互いに相手をリスペクトするという意味で、先輩/後輩の論理は危険です。

ということで、管理者は多数を相手にする限り、日常では北風を武器に使ってはいけないのです。
ドーパミン:太陽に勝るものなし。
ノルアドレナリン:北風=日本的体育会系的なものは短期決戦に取っておこうっていう話でした。

月曜日, 7月 14, 2008

ナマカとシノターかんじ①

この週末、万座ビーチで25年の歴史を誇るハーリー(ボートレース)大会に出場した。
大きな声ではいえないが、横浜、江ノ島、大阪方面のどっか、琵琶湖?、方々の大会を荒らしているこの団体、実際のところは、ハーリー自体は箸休め的なイベントで、真の目的は仲間が集まることそのもの。(小さな声ここまで)
私にとっては前の前の職場を中心とした仲間との楽しい時間を過ごした。

あまりに楽しすぎて、関係者の皆様に写真を配る話は、今しばらく時間がかかりそうなことをこの場を借りてお断りしておきます。


大会前日に、関西/関東/北海道/九州/沖縄、、、おぉ、四国がいないっ、、から集まった仲間たち。みんな元気そう。
沖縄入り当日は沖縄組が観光地を案内。僕は沖縄組初心者なので、一緒に案内してもらう。
何処に行っても感じるのは、「広い綺麗な空」「広い綺麗な海」が最も人を感動させるということ。そして、飽きない。
綺麗な空と海を目にするたびに、住んでいたって、やっぱりため息が漏れる。


午後になり、パラパラと集まった残りのメンバーと高速のパーキングで合流。
あまりに久しぶりの仲間もいたりして、何故だか妙なノリで、体当たりのスキンシップ。
あるいは体当たりのギャグシップだったり、体当たりのシモネタシップ。
(この時点で、この集まりが「中学の修学旅行よ再び」的な事が確定)


特産品や名物に舌鼓を打ちながら、沖縄ぜんざいの残り汁(カキ氷の溶けた汁)を賭けたジャンケン大会。
自然公園?に行けば、公園のガイドさんに突っ込みを入れつつ、いい大人が真剣にブランコ遊び、そして真剣にヤギと戯れ、真剣に子豚を見て「旨そう」とのたまう。
もう、行動も言葉(到底、イイ大人の会話とは思えない、ウンチレベルの小学生会話)も子供に返っている、大人団体一行様。


宿(貸し別荘)でも、ちょうど中学生の修学旅行的なノリにお酒も加わって、大騒ぎ。
大人なところといえば、
①お酒は飲む。大量に飲む。
②BBQは食べられない。すぐお腹一杯になっちゃう。
事ぐらい。


中学生の修学旅行にしては、人生も語れちゃったり、あらマジ話しようとしてるぜこいつ、ちょっと聞いてんだから、♪ドはウンチのド♪、そんな唄最低、ヤバいっお尻が割れちゃいましたぁ、アチチ花火は手に持ってナンボっ、いてて頭から血が出てきた、花火は手で持ちましょう、イケイケさとー、いちにぃ・・・・サンっ、鈍いッつうの、何で水のペットボトルに泡盛がぁ、音楽聞こーよー、♪もう・・・♪、ふるっ、♪・・・おわりぃだねぇ♪、なんで結婚しようと思ったのか聞いたわけ、明太子は沖縄でも作ってる、たらこ味の明太子が出たんだって、みんながいいって言うからだって、みんな綺麗になったなぁ、セクハラ~触んないでよー、焼そば食べる人~、肉余ってるぞー俺のお腹ほらほら、もうこんなオヤジ死んでしまえ~、明日の大会パスでもいいじゃん寝坊しようよ、星が綺麗だよみんな見ようよってみんな寝てんかいっ!・・・
と夜はあっという間に更け、朝全員がボーっとしながら、二日酔いやらタンコブ(not単語ブーム)やら転倒の擦り傷やらを抱えながら無事に大会に出場を果たしお弁当を貰って引き上げた、チーム名「横濱海神(ヨコハマポセイドン)」なのでした。
↓「ハーリーの話はそれだけかよっ」て事です。



暑い、蒸し暑い、汗暑い、小便暑い、クソ暑い、、、風光明媚なビーチに似つかわない暴徒はそそくさと現場を離れるのでした。
10人を超える社会的責任を負ってるハズの中学生脳集団が、我が家への初めてのお客様となった(我が家のロストバージン)のはその一時間後なのでした。
・・・そのうち②につづく・・・

金曜日, 7月 11, 2008

長谷貴將(たかのぶ)医師

福知山線の事故で、現場から高速で1時間も離れた救急医療センターに勤務する
一人の医師が、
「あの規模の事故で医師が足りている訳が無い」
と判断し、1時間あまりをかけて現場に駆けつけ、救命医療に関わったそうです。
斉正会滋賀県病院救急医療センター センター長の長谷貴將(たかのぶ)医師。

あの悲惨なマンションの駐車場に突っ込んだ一両目付近の救命を担当し、
マスコミなどにも「瓦礫の下の医療」として取り上げられたそうです。

彼の想像通り、現場はもちろん、近隣の病院も手一杯で医師など足りるわけが無く、
ましてや救命医療のプロである彼の現場での活躍は想像に難くない。

この人が、今年の2月、自殺していた。
この事実は、その後、遺族が勤務していた病院を訴えた事で明るみになりました。
「過重労働」が原因だったと遺族は訴えているようです。

病院は、救命医療センター長就任時の彼が条件で提示した増員に応えるどころか、
福知山の事故をテーマに講演活動(病院の宣伝)に取り組むように指示していたの
だとか。


たまたま、見かけた福知山事故の被害者のブログ。
当時自分を救出してくれた医師を探して、お礼に会いに言った話。
多忙にもかかわらず昼休みに会ってくれたのだそうだ。


そして訴えたのは85才になる父親。
病院は「長時間労働は本人の裁量」と訴えに真っ向から反論しているらしい。
もう、何もかもが悲しすぎる。

水曜日, 7月 09, 2008

アクセシビリティ(利用しやすさ)とソーシャルネットワーク

質問①
目が見えなくなったらネットを諦めますか?
・諦める必要はありません。そもそも、たまたま目が見えてる僕は普段気にせずにPCやネットを使っていますが、視覚障害の方々だってPCもネットも使っているのです。

質問②
WEB2.0とかソーシャルネットワーク、話題になる前と後、あなたの生活は何か変わりましたか?
・なんだろーなー。よくわかんないなー。でも着実にこの潮流は私たちの生活を変えようとしています。


さて、質問①/②を踏まえて、、、、

Wikipediaに代表される「ユーザー参加型コンテンツ」。
発想はネット上のBBS(掲示板)の緩やかな相互チェック機能を、もう少しシステマチックにして、とかく「便所の落書き」になりがちなネットのコンテンツの正確性や即応性を担保していくというもの。
これには、ある程度多くの利用者数が必要なんだけど、ユーザーから支持されたサイトに関しては予想を遥かに超えて成果が出ています。wiki無しではいられない人は相当多くなっている。僕もその一人。
wikiの話はこれぐらいにして、久しぶりにこの潮流を旨く活かそうとした、そしてうまくいきそうな、うまくいったらいいなというニュースがありました。


随分前、10年ぐらい前になるけど、休日に視覚障害者のお宅を訪問してPCのセットアップや調整のボランティアをした事があります。
彼らは、PCの画面を読み上げるソフトを使ってネットサーフィンやメールをします。
そこで、PCの設定がおかしくなってるのを直したり、音読のソフト("読み上げ君"とか言ってたかなぁ。。。)をセットアップしたりするボランティアです。


この活動に参加して知ったのは、よくネットについて言われる「情報革命」が本当に起こっているという事。
ネットが広まる前の彼らの主な情報源(ソース)は、点字に翻訳された書籍、もしくはボランティアにより音読されたテープなどに限られていました。あるいは家族が読んで聞かせるとか。
当然、目が見える人たちが入手できる情報量とは雲泥の差だったのです。
ところが、ネットでデジタル化された情報が広く公開されると、音読ソフトを使うことで、ハンディキャップの無い人たちと同じ情報に、同じタイミングでアクセスできるようになった。
それこそ、このままだと点字の識字率が下がるんじゃないかという事まで話題になるほどインパクトのある出来事だったのです。


これは、同時に「アクセシビリティ」という問題が起きてきました。
これは、W3CというWeb標準化を進める団体が決めたHTML(ホームページの書き方)の規格にきちんと沿っていれば、読み上げソフトである程度は大丈夫なんだけど、インターネット初期のシンプルなページの時代はともかく、最近はビジュアルを重視したホームページが増えて規格に準拠していない事も少なくない。
例えば、リンクボタンが無くて絵や写真の一部をクリックするようなホームページだと、読み上げソフトは適切にガイドできない。(電子音声で)「メニュー・リンク、シャシン(写真)1、シャシン2・・・」のように読み上げられても何がなんだかわからない。
作っているほうは(無駄に)見た目に華やかなページを作りがちだけど、まさか、そんな風に音声読み上げでアクセスしている人がいるなんて知らない。
でも、読み上げソフト経由でアクセスしたかった人にとってはもちろん、ホームページを読んで欲しい側にとってもアクセスしてもらえない残念な状態だったのです。


で、こればっかりはどーにも出来ないかなぁ、、、と思っていたところ(W3C準拠=アクセシビリティを判定するソフトとかもあったが普及したとは思えない。。)で登場したソーシャルアクセシビリティのプロジェクト。
専用の読み上げ機能付ブラウザでサイトにアクセスすると、必要に応じて、そのサイトが読み上げソフト用には表現できていない情報(「シャシン1,シャシン2・・」、、とか)を、ユーザー相互に登録しあった補完情報を参照してガイド(「シャシン1セイヒン、シャシン2サポート・・」、、とか)してくれる。当然、補完情報の充実が必要なわけで、読み上げソフトで再生出来なかったサイト情報を登録すると他の(見ることが出来る)人が補完情報を登録する仕組みになる。

ここまでは、なんであれ大量の情報メンテナンスが必要になって大変だろうなー、、、っていう話。でも、ここからが凄い。
サイトごとの修正数のランキング表示もされるので、「たくさんアクセスされるけどアクセシビリティの悪いホームページ」の運営者はW3Cやアクセシビリティを意識したホームページを作るようになるきっかけにもなりそう。
例えば、ある企業が、"派手にネットで活動している割にアクセシビリティではワースト1位"なんて事になると、多分、自ら読み上げに対応したアクセシビリティの高いホームページに改訂する事になるでしょう。


ということで、今後の展開が大変楽しみなのでした。
ニュースはこちら
プロジェクトのホームページはこちら。

日曜日, 7月 06, 2008

サザエさんシンドローム

明日は月曜日。何とかして月曜日を回避したいと思う。
特に楽しい週末だった場合、その思いは妄想すら産みだす。
会社が火事になってたらとか、そーゆーのは危険だよ。

【月曜回避妄想その①】
突然、曜日が変わる。月~金・土・日じゃなくていいじゃん。
なんだったら、土・土・土・土・日・日・日ぐらいで良いと思う。
土・土・水・土・金・土・日もなかなか良いと思う。
内緒で僕だけ、金・土・日・金・土・日・日にしてくれてもよい。
日曜は畑を耕す日にしてもいいじゃん。

【月曜回避妄想その②】
3億円宝くじに当たっちゃう。

【月曜回避妄想その③】
3億円当たっている宝くじが部屋の中で見つかる。

【月曜回避妄想その④】
宝くじを買っていないのに、3億円の宝くじ当たり券が日ごろの感謝を込めて誰かから贈られてくる。

【月曜回避妄想その⑤】
新・年齢別休日制度発足。
20才は週休1日、30才は週休2日、40才は週休3日、50才は週休4日、60才は週休5日、70才は週休6日、80歳以上は週休7日。こーするとだね、僕は週休三日になるので、明日はお休み。
※理由というかこじつけというか屁理屈
どんどん早く進む時間、実際は、生きてきた長さに比較して時間を感じるから。

例えば、小学4年生のときの夏休み1ヶ月。長かったよねぇ。
これを、40才で感じる1ヶ月と比較すると、、、
1ヶ月/10年が小学四年生の時間の長さに対し、1ヶ月/40年だから、
40才だと小学4年生の四倍速く過ぎる。20才なら倍速く過ぎる。

で、この仮定が「そんなもんかな」と考えるなら、
30才までの10年、40才までの10年、50才までの10年は、それぞれ、
1/3、1/4、1/5となり、40才までの10年と50才までの10年は、
0.25:0.2で、20%スピードアップするはずなのです。

これはもう焦らなくてはいけません。
20%って言ったら、週末2日間の休日の5時間ほど、に当たります。
30才の人より僕は5時間も「アッと言う間に休みが終わる」事になるのです。
逆に30才や20才の人は休日が長くて時間をもてあまして、お金も溜まらないし困るわけです。
ね、なんかいい感じでしょ。
※若い人ほど業務時間が長く感じるっていうツッこみは無しね。オジサンは明日の月曜が問題なだけだから見逃してね。

【結局どうなるのか】
・明日、会社に行って、同僚にこのバカ話を披露して冷たい視線を浴びつつ「ガハハ」と笑って残業するのである。

【時間を感じるという事】
ちなみに、何もしないのんびりした時間、実際には「時間を感じる時間」なのかもしれない。
近所のビーチに行って、遠くで誰か親子連れが素潜りしているような、のんびりした休日。
ジリジリ照り付ける太陽を感じながら、汗が流れるのを感じながら、足の裏とサンダルの間に砂が巻き込まれても気にせずに、のんびり時間の動きを感じる。
思いのほか雲は早く形を変える事に驚いたり、ただベタリベタリと海底に張り付いているのかと思っていたウミウシが案外動いていたりとか、風は絶えず微妙に強さや向きを変えながら吹いているとか、セミが朝と昼では鳴き方が違うなぁと感じるとか、そんな時間。

空が見えるから、本当に雲をよく見るようになりました。これは楽しい。お勧めです。


まぁ僕のはバカ話だけど、こんな本もあるんです。