月曜日, 2月 16, 2009

ドラッカーの遺言


P.F.ドラッカーの、「ドラッカーの遺言」を読んだ。

2005年、たまたま、亡くなる半年前のインタビューから起こされた本。
あっという間に読み終えたのだけど、ビジネス書なのに感動すら覚える本でした。
一般的には、経営とは対象となる製品やビジネスの「量」に視点がいくものだけど、彼は徹底的に「質」に拘り、そして、その質を左右する「人」に注目した。


経営や世界情勢の変化や国のあり方、日本が目指すべきもの、など、多方面に渡ってのインタビューなんだけど、僕は中でも、「リーダーシップのあり形」にとても共感しました。

●人はリーダーに生まれない。リーダーとして効果的に振舞える習慣を持つ人がリーダーに育つ。
●カリスマ(経営者)を唾棄せよ。もう十分に歴史が証明している。「カリスマ性に不快感を持つべき」
●スーパー経営者で巨額の収入を得る人物は信用できない。「経営とは組織の僕(しもべ)である」

もう、これだけでも、リーダーとは、あるいは経営とは謙虚でなければならない事がわかります。
更に、リーダーはこうあれ、と書いています。

●先頭に立たない。「やりたい事ではなく、何をすべきかを考えよ」
●自分の仕事は何か。「できる事を考えよ。」
●任せよ。「不得手な事は自らは手を出さない」
●コミュニケーションせよ。「部下とのコミュニケーションはリーダーの責任」

こんな話を、具体例を交えて、とてもわかりやすく解説してくれています。
なにより素晴らしいと思ったのは、自分の能力に溺れることなく、彼自身がリーダーとして大成したわけではない事です。
その理由について彼はこう答えています。
「自分は、デキの悪い部下にイライラし、人を管理しマネージするのが下手だと悟った」
←不得手な事は自らは手を出さない、だったわけです。

他にも彼は企業向けのコンサルとは別に、恵まれない子供たちへの支援団体へのコンサル(料金は実質取らなかったようです)も手がけていたのだそうです。
「常に学ぶこと」から個人のイノベーションを継続する事の重要性を考えさせられ、人生の質をも考えさせられる本でした。


そして、サーバントリーダーシップにも繋がる話しだなぁと思ったのでした。
リーダーは、チームへの奉仕者であれ。
自分の給料は、誰が、何のために払っているのか。
どうして、そのお金を顧客が払ってくれたのか。
少なくとも顧客は、経営業にお金を払うわけではない。

そんな、当たり前の事を再確認した週末でした。

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