日曜日, 2月 08, 2009

休日に会社で雑談(economic animal)

今日の金ドン賞!「あなたって 便座みたいに あたたかい」
  

●今日のうるま
保守作業立会いで、たった一人の休日出勤の今日、一仕事終えて、外でタバコ"うるま"を吸う。
今日は、風が強いのに寒くない。チャリでは上着を着て来たけど、オフィスや一服休憩はTシャツ一枚で心地よい。

すると、知った顔の人。地元の電気工事会社の人。
隣の新オフィスの工事に来ているのだそうだ。しばし雑談。

彼によると、この不景気で、見積もり回答しても何度も見直し要求が来て、結局、何割も値引きしないと受注できない事が多いのだそうだ。
大手からの仕事ほど、値引きの要求が厳しいという話。
その上、注文内容がコロコロ変わったりして、以前は発注元で十分に調整できていたのに、調整役がいなくなったりしているのか、とにかく受注しても現場は混乱、、、なんだそうだ。

そんな話をして、無人のオフィスに戻る。
まだしばらく定期保守作業は続くようだ。


●コスト削減の皺寄せ
今までは大きな仕事は「利益も大きい」から、当然、優先順位は高くなる。
多少の無理や難題も、それこそ知恵を絞って、信用とプライドをかけて達成してきた。
しかし、今は、機材に対する値引き要求よりも人件費に対する値引き要求が厳しい。
そうすると、「利益は小さい」という風になり、当然、優先順位はジワジワと低くなる。

優先順位が低くなると、多少の無理や難題は、「対応できない」という事になる。
「対応しない」と、信用とプライドを失いかねないので、「注文の仕方が悪いんですよ」という当たり前の言い訳をする。
そもそも、受注した作業だけできる人材を送り込む。現場で予定外の事が発生すれば、出来ないし、やらせないのが当たり前になる。
それが硬直的アホアホサービスレベルアグリーメントなのだ。


●コスト削減の浅知恵
そこまでに至るとようやく、発注側がアプローチを変える。
最初は、「他の業者はいないのか!」だ。
他の業者は当然いるのだ。ただ、他の業者は、最初から「その金額なら決めたことだけやらせていただきます」となる。
こーゆーときって不思議と新しい(玉拾い系)業者にはある特徴がある。
そこで登場する業者は、しっかりした契約書や見積書なんかを用意していたりするのだ。

そこまでいって、あるいは、そんな事を繰り返して、ようやく発注側が理解する。
購入金額を下げると以前のサービスレベルには戻らない、という事を理解する。
もう少し、金額を下げる時に人の話を聞いたりすればよかったんだがなぁ。
残念ながら知恵が働かなかったんだな。

もしくは、購買に携わるヒトが、それまで、本質的な仕事をしてこなかった(購入内容の可視化)、と言えるかもしれない。
いや、購買に携わる人は、財布のヒモを握っている人こそ、自分たちよりも知恵があるだろう、と信頼していたのかもしれない。


●コスト削減は効率化ではない
いずれにせよ、結果的にサービスレベルが落ちる。
何かしら問題が起こる。それから謝って歩く。
こーゆーときって謝って歩くのは値段を下げる判断をした人じゃない。
むしろ現場で業者を変えられると困るぞぅって思っていた人たちだ。

それが嫌なら、影響を受けるであろう人々に、あらかじめ了解を貰っておかなければならない。
あるいは、以前のサービスレベルに戻すのなら、改めて新たに人と人の間を取り持つサービスや、緊急事態に柔軟に対応するサービスを追加で買わなければならない。以前は「誰かが」やってくれていたサービスを買わなければならない。

それも嫌なら、知恵を絞って、効率化するのだ。相手の利益は確保するのだ。
例え外部に発注するような事柄であっても、「なんで安くなるのか」に配慮すれば状況は変わってくる。
お金を払う側が「偉い」のではない。お金を払う側が必要なことを自分では出来ない「愚か者」なのだ。
そう考えられれば、支払う金額を下げる為にしなければならないことがわかるはずだ。


●知恵が働かない
それぐらいの事が想像できないのは残念だ。
あるいは、それぐらいの事を想像できても対応できない(人・会社・組織)のは残念だ。
想像した上で、既存の割高に感じるサービスを現場で確認して、分解して、購入するサービスと購入しないサービスを分ければいいだけなのに。。。

なんか、そういう叩き買いの場面では、思考停止しているのか、全く知恵が働かない。
コスト削減に反対するのは、少なくとも企業の中では「アホ」扱いなのだ。
「見えないところがヤバいから慎重に」なんて言おうものなら、論理的でないダメ社員になるのだ。
知恵が無いのに、現場を見もしない。考えない。
考えずに、見ずに、アホ扱いされないように言わずに、そうやって信用とプライドが崩れていくのかもしれない。


●知恵が働かないなら現場を見る
その昔、スーパーは「安売り」を武器に新しいサービスとして全国に広まった。
しかし、今日のスーパーは、近所の八百屋さんと比べ物にならないぐらい高い。少なくとも僕の住む町ではそうだ。地元で野菜が取れるのに、スーパーでは「商品」としてパッケージされた野菜を取り扱うからだろう。

いつの間にか、「スーパーで買い物をするのが常識」になって、「安売り」よりも「品揃え」や「見栄え」や「営業時間」の方が優先されたようだ。


僕は野菜はほぼ近所の八百屋さんで買っている。
スーパーの裏にある、綺麗な立派な店と言いたいが、どう見てもなんかの作業小屋にしか見えない小さなお店。

そこでの買い物は楽しいし安心だ。
僕が手に取っている見栄えは悪いが新鮮で安い野。
そのお店の人も当然食べている。ついでに、ちっちゃい虫も食べている。
(どうしても、地元産の葉っぱ系には、虫も付いてくるねぇ。たまにだし、慣れてしまえば当たり前の事なんだけどね。)

虫が自分の土地の作物を食べている。
生産者が自分の生産したものを食べている。
販売者が自分の店のものを、自分で食べている。
だから安心なのだ。

その上、八百屋さんのオバちゃんは、調理方法まで教えてくれる。
スーパーに並んだレシピをカラー印刷したカードなんか目じゃないのだ。

●現場を見ない代償
反対に毒入り餃子の生産者、販売する会社、結果的に口にする消費者、がいる。
未だ解決しないあのニュース。

毒入り餃子のメーカーの社長は、自社製品を食べていなかっただろうと想像できる。
彼は自社製品も食べない、現場を(本気で)見る事もなかっただろう。
※ここでいう「見る」は、もちろん、従業員の話を聞いたりして、現場の肌感覚を知る、という意味)


今ニュースになるのは、憎き国への上陸を拒まれ、致し方なく転売先になった自国の不幸な消費者。
まだ毒餃子の被害が続いている。最悪だ。
(ついこの間まで国を挙げて敵国扱いしていた国向けの食べ物を作る。
いくらお金の為とはいえ、製造員に複雑な気持ちだった人がいても不思議では無い。
ブッシュに靴を投げつけ英雄になった人だっているのだ。)

現場で見ない限りわからない人と人の間を埋める為の知恵。
いや、見なくても想像ぐらいできてこそ知恵なのに、見えることだけで判断する人たち。
見えることだけで判断するから、叩き買いした瞬間は安く買ったという見える結果を得て満足する。
周囲も、「知恵の無い行い」を見破ることが出来ない。


●人智、ヒトには知恵があった。ハズ。
なんで経済活動が成熟してグローバリゼーションとか言ってたのにアホアホになったんだろう。
それは知恵よりもお金が優先されるから。
どんなに恵みがあっても、お金に交換できない知恵には価値が無い。


●economic animal
知恵の無い様子を考えていて、この言葉をイメージした。(直接は関係ない言葉だけど。。。)
人ではなくアニマルなら知恵は無くてもいいや。
でも、アニマルなら、現場の土や空気を感じる力がある。それすらできないアニマルって。。。
←アニマルになりたーい!

※はみ出し
economic animalは、1960年代に日本の経済的台頭を欧米諸国が揶揄する言葉として使われ始めたらしい。
それが、時を経て、日本の本質(animalではなく勤勉なんじゃん)が伝わるようになって、尊敬を込めた意味としても使われるようになったのだそうだ。
せっかく一度は尊敬されたのに、「勤勉」はいま尊敬されているだろうか?
そんな疑問を抱かせるのが、今の日本のイメージかな。

※※はみ出し
地元の八百屋さんは仲良くなると本当に楽しい。
レシピだけじゃなく、地域の話、市場での(あまり消費者には伝えられない)話、たまたま品物を委託する生産者から直接話を聞けることもある。
地産地消はいいよ~♪

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