金曜日, 7月 24, 2009

鹿角市八幡平(秋田県)と八幡平市(岩手県)


http://ja.wikipedia.org/wiki/八幡平駅


僕は秋田県鹿角市八幡平にある母の実家、叔父の家が好きだ。
子供の頃は、夏休みや冬休み、春休み、電車とバスを乗り継いで3時間かけてでも、一人ででも泊まりで遊びに行ったものだ。ちょうど今がその時期だ。

盛岡駅から花輪線に揺られ、深い山間をうねるように二両編成の電車は進む。山間の僅かな土地に田んぼやタバコ畑やトウモロコシ畑が見え隠れし、谷川を越え、山の奥へ奥へと入っていく電車(当時はディーゼル機関車に引っ張られていたかも知れない)に、ワクワクしながら揺られていたものだ。

八幡平駅に着くと、駅前の小さなロータリーのバス停でバスに乗り、そこから更に小一時間ほどかけて川沿いの道路をバスに揺られていく。いくつか山間の集落を通り抜けていく。田んぼと製材所、バスに届きそうな森の木の枝、流れる川が光っている。そうして、終点の叔父の家のある集落に到着する。


自分の兄弟が年の離れた弟だったこともあって、そこには年の近い兄貴分の従兄弟達がいて大いに楽しめた。
母屋と離れの牛舎兼作業小屋の間、玄関先に、山から流れる清水を引き込んだ水路が通っていて、夏ならスイカや飲み物が冷やされている。
自然に囲まれた家、というより集落からちょっと離れて自然しか周りに存在しない家、いや、自然の中に自然に存在する家は、「自分の恐怖の限界まで楽しめる」場所だった。

今ではバイパスが通ってしまったが、当時は街道沿いの家だった。にも関わらず、車さえ滅多に通らないのだ。
元々、恐怖の限界値がとても低かった僕からすれば、そこでは家の外で何をやっても良い、という場所だった。
街中での事故は致命的だが、転んでも木から落ちても、虫に刺されても、川で転んで水を飲んでしまっても、自然の中での事故は優しい事が多い。
なにしろ、口うるさい叔父がいたにも関わらず、楽しくて仕方がなかった。

そして、何処で何をやっていても、村の大人達は見ていたのだろう。
僕が知らないだけで村の人達は「○○(母の名前)の息子が遊びに来ている」と知っていた。お正月に叔父の家に向かう途中、バスに乗っているだけで知らないおじいちゃん、おばあちゃんから、聞き取り不可能な土地の言葉で長々話しかけられ、お年玉まで貰うなんて事もあった。

叔父の家に着くと「誰に貰った?」と聞かれるのだが、何も応えられなかった。知らない人からモノを貰うのはイケナイ事だとは教わっていたが、向こうが自分をよく知っている風な場合は断るのも失礼だ。。。と言い訳もできず、叔父の小言を黙って聞いていた。
小言がひとしきり終われば遊べるのだ!

大人になって、それなりに疎遠になってはしまった。とはいえ今でも、子供の頃に感じた開放感や興奮があるからか、岩手の実家に帰った時は、なんとか寄って行きたいと思う。
たまに母と一緒に遊びに行くと、叔父一家が賑やかに迎えてくれる。既に祖父母は他界したものの、従兄弟達が地元で結婚したこともあって、一層大家族になっているのだ。
相変わらずの叔父からの小言すらも楽しくて仕方がない。

そこは今も、澄んだひんやりした空気、軒先にまで迫る深い森、冷たい清水、その清水が注ぎ込まれる川、冬ともなればその全てが真っ白いきれいな深い雪で覆われる。
家の数も雑貨屋さんの佇まいも、驚くほど子供の頃から変わっていない。
今もなお、とてもとても素敵な場所で、ここに所縁がある事は、僕の誇りだ。
それが「僕にとっての八幡平(秋田県鹿角市八幡平)」だ。


少し古い話題になるが、数年前の「市町村合併」の時期に、八幡平市というのが八幡平高原を挟んで岩手県側に登場した。当時、名称を巡って秋田県側と岩手県側ではすったもんだしたそうだが、結果的に、八幡平駅も八幡平中学校も八幡平小学校も八幡平郵便局も秋田県側にしか存在しないのにも関わらず、八幡平スキー場や八幡平リゾートといった観光ビジネスブランドとしての八幡平を有する岩手県側に八幡平市が登場したのだ。

かくして、「八幡平」はググれば岩手県側の情報ばかりが目立ってヒットするようになった。
一方、八幡平市となり、消えてしまった岩手県松尾村や西根町。

高校時代、遠く西根町から通ってきている同級生がいた。終電が夕方早い時間だから部活ができないとか言っていた彼は、無骨な風貌と何かと言えば「西根では、、」と地元への愛情が溢れていた。
都会志向で自分の地元をネガティブに捉えていた当時の僕には、それがとても眩しく見えた。今思えば、そんな彼を輩出した西根町は素敵な町だったに違いない。

あるいは、松尾村は、松尾鉱山跡地があり、鉱山のガスで立ち枯れした白樺の木や廃墟と高原の爽やかな景色とのコントラストが、嫌でも人の営みの儚さを考えずにはいられない、お気に入りの場所だった。
(近くに某セレブ系大学の宿泊施設があり廃墟を無くすようなニュースを見たことがあるがその後どうなったのだろう。。。)


以前に訪れた町が、違う名称に変わっている。そんな話はごまんとある。
今住んでいる此処、うるま市、だって、僕が生活しているのは旧石川市だ。

そんなの気にするような話じゃないのかも知れない。誰も傷つかないのならそれでもいい。
でも、同じ八幡平高原を愛する者同士(秋田県側/岩手県側)が、ビジネス(お金)を理由に相手の感情を配慮できずに突っ走ってしまったり、愛着ある地名が薄れていくのはなんだか寂しい。

地名までビジネスを中心に変わってしまう現代。
地名まで「ブランド化」してしまう社会。

そういえば、以前の僕は、「盛岡出身です」とは言っても「岩手県出身です」とは言わなかった。幼少時代には盛岡在住だったが、小学校の途中から家を出るまでは隣町(当時は隣の隣町)矢巾町に住んでいたのに。だ。

市町村統合の八幡平市の話がずっと印象に残っていた。気になっていた。
ようやく、自分の気持ちの中にあった出身地コンプレックス(ブランド志向)と紐付いて気になっていたんだな、と気がついた。
70年代~80年代は、そういう時代だった。田舎は悪で都会が正、テレビっ子だった僕は、そんな風に、ある意味素直に、都会に憧れていた。

今日現在、"八幡平"でググっても八幡平市の情報ばかりが目立つ。
そうやって僕の鹿角市にある八幡平は、人目を避けながら、静かに昔のままの姿で残っていってくれるのかな、などと思う。

ちなみに、googleで秋田県側の八幡平の情報を調べるなら、
『八幡平 -八幡平市』
と入力すると良い。
『八幡平 -八幡平市』でググると、トップに表示されるのは八幡平駅周辺の地図だ。
『八幡平』でググった時は八幡平市観光協会がトップに表示されます。

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