震災後、「地球環境大賞」の表彰式は中止された模様。
「誰も見ていないと思っても、神様は見ているんだよ」って、無信教の母は言っていたが、そういうことだったとは。
多分、賞自体、今年は無かったことにするのかもしれないが、どうせなら、計画停電で節電している企業や家庭を表彰してはどうだろうか。
http://www.zakzak.co.jp/economy/ecn-news/news/20110225/ecn1102251638009-n1.htm
http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/110225/cpd1102250507009-n1.htm
そして、大賞を選考/授与した側。
新聞社のとっても立派な人らしく、経産省の「東京電力点検記録不正の調査過程に関する評価委員会」にも名を連ねています。
なるほど、原発の不正を正し、長期計画への意見でも飛行機より安全と主張。
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/tyoki/chokei2004/chokei06/siryo2.pdf
以下は↑の内容
原子力長期計画への意見要旨
産経新聞論説顧問 飯田 浩史
①原子力発電が発電エネルギーの主軸であるとの現長計の在り方は維持すべきである。
②現在34%といわれている原子力のシェアは少なくとも40%程度まで引き上げる
べきである(現在の年間発電総量は約1兆キロ㍗)。
③地球温暖化防止推進大綱では原子力発電を3割程度増やすと明記している(基数で
は10~13基に当たる)が、新潟県巻町や石川県珠洲市などの新設断念を受けて先
月半ばから始まった「大綱の見直し」作業では、「原子力の増新設計画は破綻した。原
子力を当てにしない新大綱をつくるべき」との意見がでている。しかし、これは評論
家的な意見で代替エネルギーをなににするかの提案がない。1基増やせば二酸化炭素
の排出量を0.7%削減でき、逆に原発を減らせばその分排出が増える。これは昨年
の東電不祥事による同社所有の原子力発電所17基がストップし代替に化石燃料発電
で急場を凌いだために年間約2000万㌧の二酸化炭素の排出増となった(これによ
り東電の年間排出総量は約1億㌧になった)ことで立証された。
④安全と信頼は違う。17基の再開に向けた健全性評価小委員会で、工学的、科学的
な健全性は認められたが、地域住民の安心・信頼感は拭えないことを痛感した。それ
は東電のひび隠しを見逃した経産省の部局がなにをいっても信頼されないのは当然で、
信用がない各省庁のなかで比較的国民の信頼がある環境省が「原子力発電は地球温暖
化防止の決め手だ」と表明すれば納得する国民も多いのではないか。だが、肝心の同
省は原子力発電には消極的である。長計の見直し作業には環境省も参加させ、地球温
暖化防止の観点から意見をいわせるべき。日本の二酸化炭素の年間総排出量は12億
5000万㌧、このうち4分の1が電力会社の化石燃料による発電施設からであるこ
とを考えればおのずからわかることだ。
⑤核燃料サイクル政策はもっと早く完成させるべき。最終費用が19兆とかいわれる
が、もしワンススルーだった場合に同じ期間に排出する使用済み燃料の処分にいくら
かかるのか、どのような方法でどこに処分できるのか検証すべき。同時に同期間の発
電総量のエネルギーにいくら費用がかかるのかも。現在各原子力発電所のサイトに約
1万㌧の使用済み燃料が保管されているが、これもどう処分するのか。
長聴第6-2号
⑥燃料転換といっても化石燃料間では石炭を100とした場合石油は70、天然ガス
は60で、二酸化炭素の削減にはあまり効果はない。フランスは発電エネルギーの
78%を原発にたよっており、このお陰でEU全体では京都議定書の削減率は8%な
のに、フランスはゼロ、逆に石炭発電が52%のドイツは21%の削減が義務付けら
れている。
⑦原子力発電には絶対の安全性が求められている(物事に絶対はないが)。だが、世界
で400基以上もある原発で1965年以降(はじめからの意)これまでに住民らの
被爆被害は1件もない。ひるがえって同期間の航空機事故は50件で約7300人が
犠牲になっている。もし…をいうなら航空機には乗れないことになるが、みなさんは
平気でのっている。これを法律用語では「危険への接近」といい、事故にあっても賠
償額は減らされても文句はいえないことになる。
日曜日, 4月 17, 2011
ネットの噂→ブレーク→収束、のパターン
昨日から?、某国会議員の家族避難の噂がネットでブレークしだした。
噂は以前からあったんだけど、何故か今朝、一気にブレークしたので、いよいよ本当だったか!?
と思ったら、どうもガセ。
要するに、家族を非難させたとの信用できそうなソースは見つかりませんでした。
逆に、そのような事実がない、という信用できそうなソースはありました。
ということで、くわばらくわばら。
余計な放射線も浴びたくないし、風評にも惑わされたくない。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110411-00000112-jij-pol
↑現時点でガセと判断に至ったソース。
今、何が一番困るかといえば、「信用するに足る情報がある」と感じられないことだ。
感じられないのなら、自分の問題なのかもしれないが、
日本の新聞テレビの報道と、海外メディア/ネットメディアの報道との乖離は無視できるレベルでない。
なぜ、日本のTVでは放射能拡散予測を報道しないのか、報道されていれば、「今日は外出を控えよう」とか考えられるのに。。。
噂は以前からあったんだけど、何故か今朝、一気にブレークしたので、いよいよ本当だったか!?
と思ったら、どうもガセ。
要するに、家族を非難させたとの信用できそうなソースは見つかりませんでした。
逆に、そのような事実がない、という信用できそうなソースはありました。
ということで、くわばらくわばら。
余計な放射線も浴びたくないし、風評にも惑わされたくない。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110411-00000112-jij-pol
↑現時点でガセと判断に至ったソース。
今、何が一番困るかといえば、「信用するに足る情報がある」と感じられないことだ。
感じられないのなら、自分の問題なのかもしれないが、
日本の新聞テレビの報道と、海外メディア/ネットメディアの報道との乖離は無視できるレベルでない。
なぜ、日本のTVでは放射能拡散予測を報道しないのか、報道されていれば、「今日は外出を控えよう」とか考えられるのに。。。
土曜日, 4月 16, 2011
ソフトバンクに乗り換えようか
100億円は話題になっても、↑孫正義さんの脱原発発言をマスコミは取り上げないわけで。。。
"みかか"嫌いで、ずーーーっとAUだったけど、ソフトバンクにしよっかな、、、と、一瞬思ってしまった。
金曜日, 4月 15, 2011
きんちゃん
ちょっと前の話になるんだけど、みっちょん、みっちゃん、僕の母の義理の姉きんちゃんの話。
きんちゃん、八幡平(秋田県鹿角市)に住んでいて、僕の母、母の妹、きんちゃんと、三人で九州まで遊びに来ました。
で、長崎観光と思いつつ、僕自身、九州の地理を理解してないから、長崎のつもりで平戸観光、古い漁師町の寂れた旅館のつもりで釣り人旅館、と、珍道中。
で、散々、子供の頃に夏休みや冬休み期間中、疎開の如く長期間泊まりに行っていたきんちゃんち。
当時の印象は、とても物静かな叔母さんだったんだけど、珍道中の間、まぁ、よく話す。
オバ(ぁ)さん三人組だからなのかもしれないけど、まぁ、賑やか。
女性というのは、一生、こうなのか、と、気がつかされたのでした。
で、天然みっちゃんに負けず劣らずの超天然きんちゃん。
九州に向かう飛行機の窓から地上を見ながら、
「随分、日本はゴミが散らかっているね」
と言っていた。
そして、着陸のアナウンスがあり、飛行機が降下を始めると、きんちゃんは呟いた。
「ゴミじゃなくて家だったの~」(多分、実際は秋田弁で「ゴミこがとおもたんどもうちだおの」)
確かに。そう見えなくもない。
っていうか、最近では耳も遠くなった母みっちゃんが、そういう話は、あの飛行機の大音響の中で聞き取っていることに驚いた。
(ここだけのはなし)たぶん、この話をみっちゃんが昨日思い出したのは、震災の映像を見たからだと思う。
そんなみっちゃんは、しばらくの間、盛岡を離れ、僕と暮らしているだった。
※はみ出し
その時、みっちゃんときんちゃんは、仙台空港から九州に向かったのだけど、まぁ、いろいろあって、予約便に乗れずに名古屋経由で辿り着いたのだった。
僕は、きちんと予定通りに到着したもう一人の叔母と太宰府観光して待ち時間を過ごしたのであった。
計画停電も怪しい?
全原発を停止しても大丈夫だったのに。。。
http://www.tepco.co.jp/cc/press/03041401-j.html
↑のページの内容
福島第一原子力発電所6号機の点検停止について
平成15年4月14日
東京電力株式会社
当社は、原子力安全・保安院からの「福島第一原子力発電所1号機における
格納容器漏えい率検査の偽装を踏まえた厳格な検査の実施等について」(平成
14年10月28日)にもとづき、「運転中原子力発電所の格納容器漏えい率検査の
ための停止計画」(平成14年12月12日)を提出し、計画的にプラントを停止し
て、格納容器漏えい率検査を実施することとしております。
福島第一原子力発電所6号機(沸騰水型、定格出力110万キロワット)につき
ましては、4月15日からプラントを停止し、準備を整えた上で、格納容器漏え
い率検査を行いますのでお知らせいたします。
これにより、当社の保有する原子力発電プラント17基(合計1730.8万キロワ
ット)全てが停止することとなります。
以 上
<参考>当社原子力発電所の現況
福島第一・1号機( 46万キロワット) 定期検査中
2号機( 78万4,000キロワット) 定期検査中
3号機( 78万4,000キロワット) 定期検査中
4号機( 78万4,000キロワット) 定期検査中
5号機( 78万4,000キロワット) 定期検査中
6号機(110万キロワット) 4月15日から停止予定
福島第二・1号機(110万キロワット) 定期検査中
2号機(110万キロワット) 定期検査中
3号機(110万キロワット) 定期検査中
4号機(110万キロワット) 定期検査中
柏崎刈羽・1号機(110万キロワット) 定期検査中
2号機(110万キロワット) 定期検査中
3号機(110万キロワット) 定期検査中
4号機(110万キロワット) 定期検査中
5号機(110万キロワット) 定期検査中
6号機(135万6,000キロワット) 定期検査中
7号機(135万6,000キロワット) 停止中
http://www.tepco.co.jp/cc/press/03041401-j.html
↑のページの内容
福島第一原子力発電所6号機の点検停止について
平成15年4月14日
東京電力株式会社
当社は、原子力安全・保安院からの「福島第一原子力発電所1号機における
格納容器漏えい率検査の偽装を踏まえた厳格な検査の実施等について」(平成
14年10月28日)にもとづき、「運転中原子力発電所の格納容器漏えい率検査の
ための停止計画」(平成14年12月12日)を提出し、計画的にプラントを停止し
て、格納容器漏えい率検査を実施することとしております。
福島第一原子力発電所6号機(沸騰水型、定格出力110万キロワット)につき
ましては、4月15日からプラントを停止し、準備を整えた上で、格納容器漏え
い率検査を行いますのでお知らせいたします。
これにより、当社の保有する原子力発電プラント17基(合計1730.8万キロワ
ット)全てが停止することとなります。
以 上
<参考>当社原子力発電所の現況
福島第一・1号機( 46万キロワット) 定期検査中
2号機( 78万4,000キロワット) 定期検査中
3号機( 78万4,000キロワット) 定期検査中
4号機( 78万4,000キロワット) 定期検査中
5号機( 78万4,000キロワット) 定期検査中
6号機(110万キロワット) 4月15日から停止予定
福島第二・1号機(110万キロワット) 定期検査中
2号機(110万キロワット) 定期検査中
3号機(110万キロワット) 定期検査中
4号機(110万キロワット) 定期検査中
柏崎刈羽・1号機(110万キロワット) 定期検査中
2号機(110万キロワット) 定期検査中
3号機(110万キロワット) 定期検査中
4号機(110万キロワット) 定期検査中
5号機(110万キロワット) 定期検査中
6号機(135万6,000キロワット) 定期検査中
7号機(135万6,000キロワット) 停止中
木曜日, 4月 14, 2011
唐突なレベル7(チェルノブイリ事故級)の発表
↓の図は、「25kg減るまで続けるブログ」からの転載。
レベル7。
風評だと言われようが、結局、ネットメディア(2chでなく、自由報道協会とか)が伝えている通りに、問題は推移している。
大体が、このレベル7がチェルノブイリ事故の1/10とか言われても、1兆円持っているお金持ちから「いやいや、私なんて10兆円持っているお金持ちの1/10です」って言われているようで、1/10を強調されればされるほど"怪しい"って思ってしまう。
それにしてもこのタイミングだ。
超強力な、東電/保安院/政府/マスコミ、オールジャパンチームだったはずなのに、ずいぶん前から指摘されていたレベル7を、このタイミングで発表することは彼らにとってどんな得があるんだろう。
今までの政府発表の空気なら、「チェルノブイリよりはマシ」を言い張り続けたはずだ。
実際、ずいぶん早い時期に「炉心溶融の疑い有り」と発言してしまった正直な保安院の審議官は、二度と会見に姿を見せることはなくなった。
それぐらい、「大変な事態を問題ないと言い張りたい」病だったのだ。
と、考えると、レベル7の発表で損をしたのは、政府だけだ。
何も終っていないのに、どうも、場を仕切っていた親玉は次のステップに入ると決断、あるいは、予定通りの行動に出たのだろう。
そして、同じ日に避難者への一時金支払いの話。帰宅とは名ばかりの荷物を取りにとんぼ返りするだけの一時帰宅の話。
放射能汚染水の海洋投棄と同様に、賞味期限切れな連中を投機、彼らにとっての不要な情報の投機をしたわけだ。
(民に代わって選挙結果を総括したのかもしれない。)
オー、イッツァ、スケープゴート!
・・・、と、情報公開されない以上、出来る事は妄想しかないわけだ。
某東電の記者会見(TVではなくネットメディアの)で、フリーランスのジャーナリスト達から「この内容(放射能汚染水の海洋投機)を判断した人は誰?」の詰問に、上司であろう人の名前を決して明かさなかった普通の東電マン。
本当は、一人一人は善良なはずなのに、善良な行動が出来ない世界。
あり得ないけど、自分があの東電マンの立場だったら、やはり、筋書き通りにひたすら応答するのだろうか。
広島、長崎、と多大な悲しみに昏れたはずの日本が原発大国になった誰かにとってのサクセスストーリーは、まだ生き続けようとしている。
中心にいる当事者も含め、誰も望まない戦争に突入するように、本当の黒幕は全く別の観客席から眺めているのかもしれない。
震災の直後、ガイガーカウンターを携帯して原発に向かったフリーランスのジャーナリストたちは、カウンターが振り切っている地域で、ごく普通に外で遊ぶ子供たち、親、そんな光景に出会い唖然とさせられたそうだ。
その時、政府もメディアも「心配ない」「コントロールできている」と繰り返し報じていた。
「心配ないけど念の為の避難」が住んでいる人達に伝えられたのは随分経ってからだ。
当然、「だったら避難はしません」という頑なな住民の姿も報道されていた。
繰り返し報じられた「心配ない」事こそが風評ではなかったのか。
チェルノブイリでも一般住民には「ただちに」問題はなかった。
5年から10年ほどで問題は出るのだそうだ。
それが分かっているはずなのに、繰り返し伝えられる安全説。
風評に惑わされるなと言いながら、詳しい情報は明かさないまま出荷停止、退避区域拡大。
ここにこう書いているのも、風評の流布とされるのだろうか。
子供だった頃、自分と親兄弟、何人かの身近な友達、まあ、あとは学校の先生ぐらいが世界の全てだった。
狭い世界、だからこそ、本当は小心者でずる賢い自分を隠してでも善良なふりをしようとしていた。
ノーカットの記者会見風景などをネットで見てしまった後にテレビで同じ人達を見ると、どうしても、白々しい、恥知らずな人達に見えてしまう。
世間的には社会的に成功したと思われる彼らの世界も、結局、狭い世界でしかないのだ。
レベル7。
風評だと言われようが、結局、ネットメディア(2chでなく、自由報道協会とか)が伝えている通りに、問題は推移している。
大体が、このレベル7がチェルノブイリ事故の1/10とか言われても、1兆円持っているお金持ちから「いやいや、私なんて10兆円持っているお金持ちの1/10です」って言われているようで、1/10を強調されればされるほど"怪しい"って思ってしまう。
それにしてもこのタイミングだ。
超強力な、東電/保安院/政府/マスコミ、オールジャパンチームだったはずなのに、ずいぶん前から指摘されていたレベル7を、このタイミングで発表することは彼らにとってどんな得があるんだろう。
今までの政府発表の空気なら、「チェルノブイリよりはマシ」を言い張り続けたはずだ。
実際、ずいぶん早い時期に「炉心溶融の疑い有り」と発言してしまった正直な保安院の審議官は、二度と会見に姿を見せることはなくなった。
それぐらい、「大変な事態を問題ないと言い張りたい」病だったのだ。
と、考えると、レベル7の発表で損をしたのは、政府だけだ。
何も終っていないのに、どうも、場を仕切っていた親玉は次のステップに入ると決断、あるいは、予定通りの行動に出たのだろう。
そして、同じ日に避難者への一時金支払いの話。帰宅とは名ばかりの荷物を取りにとんぼ返りするだけの一時帰宅の話。
放射能汚染水の海洋投棄と同様に、賞味期限切れな連中を投機、彼らにとっての不要な情報の投機をしたわけだ。
(民に代わって選挙結果を総括したのかもしれない。)
オー、イッツァ、スケープゴート!
・・・、と、情報公開されない以上、出来る事は妄想しかないわけだ。
某東電の記者会見(TVではなくネットメディアの)で、フリーランスのジャーナリスト達から「この内容(放射能汚染水の海洋投機)を判断した人は誰?」の詰問に、上司であろう人の名前を決して明かさなかった普通の東電マン。
本当は、一人一人は善良なはずなのに、善良な行動が出来ない世界。
あり得ないけど、自分があの東電マンの立場だったら、やはり、筋書き通りにひたすら応答するのだろうか。
広島、長崎、と多大な悲しみに昏れたはずの日本が原発大国になった誰かにとってのサクセスストーリーは、まだ生き続けようとしている。
中心にいる当事者も含め、誰も望まない戦争に突入するように、本当の黒幕は全く別の観客席から眺めているのかもしれない。
震災の直後、ガイガーカウンターを携帯して原発に向かったフリーランスのジャーナリストたちは、カウンターが振り切っている地域で、ごく普通に外で遊ぶ子供たち、親、そんな光景に出会い唖然とさせられたそうだ。
その時、政府もメディアも「心配ない」「コントロールできている」と繰り返し報じていた。
「心配ないけど念の為の避難」が住んでいる人達に伝えられたのは随分経ってからだ。
当然、「だったら避難はしません」という頑なな住民の姿も報道されていた。
繰り返し報じられた「心配ない」事こそが風評ではなかったのか。
チェルノブイリでも一般住民には「ただちに」問題はなかった。
5年から10年ほどで問題は出るのだそうだ。
それが分かっているはずなのに、繰り返し伝えられる安全説。
風評に惑わされるなと言いながら、詳しい情報は明かさないまま出荷停止、退避区域拡大。
ここにこう書いているのも、風評の流布とされるのだろうか。
子供だった頃、自分と親兄弟、何人かの身近な友達、まあ、あとは学校の先生ぐらいが世界の全てだった。
狭い世界、だからこそ、本当は小心者でずる賢い自分を隠してでも善良なふりをしようとしていた。
ノーカットの記者会見風景などをネットで見てしまった後にテレビで同じ人達を見ると、どうしても、白々しい、恥知らずな人達に見えてしまう。
世間的には社会的に成功したと思われる彼らの世界も、結局、狭い世界でしかないのだ。
水曜日, 4月 13, 2011
チェルノブイリ事故の死者数
当時のソ連(ゴルバチョフ書記)がIAEAに報告した死者数4万人を「(原発を進める)西側では受け入れず」、その1/10の4000名と記録された。
Wikipediaからの抜粋
●チェルノブイリ事故の死者数
ソ連政府の発表による死者数は、運転員・消防士合わせて33名だが、事故の処理にあたった予備兵・軍人、トンネルの掘削を行った炭鉱労働者に多数の死者が確認されている。長期的な観点から見た場合の死者数は数百人とも数十万人とも言われるが、事故の放射線被曝とがんや白血病との因果関係を直接的に証明する手段はなく、科学的根拠のある数字としては議論の余地がある[3]。
事故後、この地で小児甲状腺癌などの放射線由来と考えられる病気が急増しているという調査結果もある。
1986年8月のウィーンでプレスとオブザーバなしで行われたIAEA非公開会議で、ソ連側の事故処理責任者ヴァシリー・レガソフは、当時放射線医学の根拠とされていた唯一のサンプル調査であった広島原爆での結果から、4万人ががんで死亡するという推計を発表した。しかし、広島での原爆から試算した理論上の数字に過ぎないとして、会議では4,000人と結論され、IAEAの公式見解となっており、2005年にも同じ数字が公式発表された。ゴルバチョフは、レガソフに、IAEAにすべてを報告するように命じていたが彼が会場で行った説明は非常に細部まで踏み込んでおり、会場の全員にショックを与えたと回想している。結果的に、西側諸国は当事国による原発事故の評価を受け入れ無かった。
償いを担う世代に残される記者会見風景
youtube上のコメントより抜粋
海洋投棄を追及しているは日隅一雄(弁護士)、木野龍逸(フリーランスライター)は3月14日ごろから24時間体制で、東電の記者会見場にいる。
ふたりとも無料でやっている。
日隅は弁護士の仕事を休止してて、木野も仕事を休止して、記者会見場に詰めている。
左側が日隅一雄さん。
右側が木野龍逸さん。
抜粋ここまで
これから、何年、何十年も日本が背負うことになる「海洋への放射能汚染水放出」の記者会見。
事後報告、責任者の名前も不明、満足する説明もできない、、、
説明する側に誠意の微塵も感じられないことが悲しい。
追求する側も上記の二人以外の大手メディアに真摯な態度が感じられないことが悲しい。
償いを担っていく後世の世代に、この映像が残されるのだ。
月曜日, 4月 11, 2011
日本の優秀なマネジメント
世の中を動かしたいならば、ちゃんと、種(ゲンブツ)を蒔いておかなければならない。
やはり、立派に世の中を動かすなら、そうしているものなのです。
ジャーナリズムと原子力産業
NHK
経営問題委員 平岩外四 (東京電力会長)
解説委員 緒方 彰 (原産会議・理事)
放送番組向上委員 十返千鶴子(原子力文化振興財団理事)
理事・放送総局長 田中武志 (原子力文化振興財団理事)
NTV
読売新聞社主 正力松太郎(原子力委員会委員長)
TBS
毎日新聞設立発起人 芦原義重 (関西電力会長)
フジ
サンケイ新聞社長 稲葉秀三 (原産会議常任理事)
テレビ朝日
朝日新聞社長 渡辺誠毅 (原産会議理事)
論説主幹 岸田純之助(原子力委員会参与)
論説委員 大熊由起子
テレビ東京
日本経済新聞会長 円城寺次郎(原産会議・副会長)
テレビ東京取締役 駒井健一郎(核物質管理センター会長)
テレビ大阪近畿放送重役 小林庄一郎(関西電力会長)
東海テレビ重役 田中精一 (中部電力社長)
(引用ここまで)
冒頭の記者会見ビデオ↑の最後にテロップ的に流れる、種を蒔いた先。
やはり、立派に世の中を動かすなら、そうしているものなのです。
ジャーナリズムと原子力産業
NHK
経営問題委員 平岩外四 (東京電力会長)
解説委員 緒方 彰 (原産会議・理事)
放送番組向上委員 十返千鶴子(原子力文化振興財団理事)
理事・放送総局長 田中武志 (原子力文化振興財団理事)
NTV
読売新聞社主 正力松太郎(原子力委員会委員長)
TBS
毎日新聞設立発起人 芦原義重 (関西電力会長)
フジ
サンケイ新聞社長 稲葉秀三 (原産会議常任理事)
テレビ朝日
朝日新聞社長 渡辺誠毅 (原産会議理事)
論説主幹 岸田純之助(原子力委員会参与)
論説委員 大熊由起子
テレビ東京
日本経済新聞会長 円城寺次郎(原産会議・副会長)
テレビ東京取締役 駒井健一郎(核物質管理センター会長)
テレビ大阪近畿放送重役 小林庄一郎(関西電力会長)
東海テレビ重役 田中精一 (中部電力社長)
(引用ここまで)
冒頭の記者会見ビデオ↑の最後にテロップ的に流れる、種を蒔いた先。
日曜日, 4月 10, 2011
出来ることを考える
知らなかった、知らされなかった、と(少なくともこれを読める=ネットを使えるにもかかわらず)目をつぶることは、人として罪だ。
pt1→http://www.youtube.com/watch?v=O0CRuajD6C8
pt2→http://www.youtube.com/watch?v=0ur1dyhLtys
pt3→http://www.youtube.com/watch?v=o91IDAxrNG8
pt4→http://www.youtube.com/watch?v=eMZMfpiOD8Q
pt5→http://www.youtube.com/watch?v=f_ELXK3oaNw
ラスト→http://www.youtube.com/watch?v=ZhlwTXxyfm4
火曜日, 4月 05, 2011
○子にキス そして大火傷 まだ痛む
そうなんです。大人のヤケドです。
かれこれ、一週間ほど前でしょうか。
出張で横浜に滞在していた時のことです。
都会の夜で、一瞬の心の隙に、、、今も、痛む心と体。
もう二度と同じ思いはしたくないから、今、ここに書き残します。
その日の宿は、横浜でした。
いつもであれば、通い慣れた店で夕飯を頂くのですが、言うまでもない最近の関東地域の抜き差しならない状況は横浜でも顕著で、なぜだか私の行きつけの店に限って臨時休業なのです。
それは横浜だからこその本格的な中華料理店。
行きつけメインの店は休業。ならばサブの店も、と、この、なんの関係もない両店が揃って臨時休業。
理由は不明ですが、恐らく、彼らの母国から避難勧告が出ているからだと思います。
そんなわけで、その日は、気にはなっていたけど機会がなかった店、に入ってみました。
そんなアクシデントから新たな出会いがあるものです。
それが都会の夜、大人の都会の夜というものなのでしょう。
そのお店は、「刀削麺」「四川」の、僕的ツボのキーワードが網羅された店です。
そして、店に入ると、カタコトの日本語。これもツボです。
よしよし。
そして、出張中のオヤジとしてはやらなければならない行動の一つ、「普段は一人で酒なんか飲まないけど、出張中なら一人でビールのんだりしちゃうんだぞー」を実践しました。
生ビールを頼みます。お、お得なセットメニューがあります。
よくある、晩酌セット的なやつです。これを頼みます。
まずはビールが登場。
ビールジョッキをガッと口に運び、いつも自分に課している1ゴク2ゴク・・・10ゴクを完遂。
素晴らしい達成感。
今のこの10ゴクの勇姿は、技術点・芸術点共に世界最高レベルだったに違いありません。
そんな自分の姿にうっとりしながらビールを飲み進めます。
待ち人はなかなか来ないものです。
ビールが終わりかけた頃、ようやく登場です。
とてもグラマーでリッチで水々しく若々しい一品。
そうかそうか、小麦色の君は僕のような日本人向けの子なんだね。
(大陸のかの国では肌を大切にしてなのか、焼かずに茹でるのがスタンダード)
小皿に醤油とこの店自家製のラー油をたっぷり注ぎます。
箸の先で、小麦色の子を摘みます。
平らな部分の小麦っぷりと対照的に、プニプニ膨らんだ部分の白さは際立っています。
もう、堪りません。
いい大人、優しい大人、わきまえた大人、紳士的な大人、焦らない大人、そんな大人が一気に我を忘れてしまいます。
もう、鼻の下は限界まで伸びきっています。
プルンプルン震える子は箸の先から逃れようとするも、40数年間の箸さばきに、赤子同然の子は逃れるべくもなく、、、、
ついに、僕は大人であることを忘れ、ンーっと突き出した自分の唇の先でその子を捉えます。
半分ほど口に入れ、パクッと二分割にするのが僕の流儀。
二分割にすることで、後半分は、もう一度、ラー油たっぷりの醤油を付け、楽しめるからです。
今まさに開ききった僕の餃子二分割マシン、まるでホオジロザメが獲物を噛み切るかのごとく無情にも閉じられていきます。
前歯というのは、よく出来ていて、そこそこ熱いものでも難なく噛み切ることが出来ます。
そして、その後の「口」の構造もよく出来ていて、万万が一、とても熱いものだったとしても、今度は、口の中に急速に外気を吸入することで、熱さを緩和するという技術が備えられています。
そして僕は、その技術に関しては、もし外気吸入式口中熱回避技術国家資格なるものがあれば第一級間違いなしなのです。
おごれる人も久しからず
謙虚であれ
教育に飽和点無し
棚から牡丹餅
馬の耳に念仏
尊敬するのはフランシスコ・ザビエル
口周辺に無音のサイレンが鳴り響きます。
超熱い感じ。確かに熱い。間違いなく熱い。。。が、いつもと違う。何かが違う。
その0.42秒後、僕は、その二分割されつつある餃子の前半部分を咥えながら、少なくとも外気吸入式ナンタラの技術が適用できないという事実を受け入れざるをえないと考え始めました。
何故なら、二分割にすべく咥えた餃子の中から、□★●※(自主規制)に匹敵にする高温に熱せられた汁が、あろうことか、口の中にではなく、口の外側上下、そう、僕のグラマラスでキュートだと評判の唇の上下先端部分に溢れ出たのです。
僕の脳は一気にフル回転を始め対処方法を瞬時にリストアップします。
a.残り後半分も含め口の中に放り込む
b.全て一旦口から離す
c.いつも通りに分割のまま食す
d.その状態で冷たいものを口に含む
e.特に何もせず被害状況を判断した上で適切な処置を施す
aは少なくとも唇外側の被害には何ら改善の点が見当たらない
b、cも同様
d、、、、さっきゴクゴクし過ぎたため既にビールが空。。。その上、お冷が出でない。
ということで、昭和生まれの大人らしく、ここは、額を流れ落ちる冷や汗、いや熱い汗を感じながらも何事もなかったかのような表情で後半分を口から離し、前半分を咀嚼する。
悔しいのは、超熱かったはずなのに、その汁達は、既に僕の唇に熱を伝達し、テーブルに染みを残し、何滴かズボンに香りと共に吸収され、もう口に入った分は外気吸入式ナンタラ技術を駆使するまでもない温かいだけの肉の塊となっていたのでした。
次の日、雛人形の口紅の如く上下唇の中心だけが真っ赤な部分に視線が集まるのを気にしつつ、視線が四川料理の火傷に集まる、なんて事を考えながら、何事もなかったかのように出張先での仕事を終えたのでした。
あれから数日、何度か唇の表皮が生まれ変わり、かさぶた状になり、今も、かさぶたの切れ目から血が滲み風が沁みる度に、避難勧告に従い遠く四川へ非難しているであろう行きつけの店の人達の顔を思い出すのでありました。
お願いだから、早く、帰ってきてね。
金曜日, 4月 01, 2011
今度は群れで発見 コアラ 小倉駅ビルで半年前発見と同種 研究者確認 密輸に関連か
【北九州】3月31日小倉港フェリー乗り場近くの小倉港公園敷地内に、80頭を超えるコアラの群れが発見された。
北九州地区野生動物保護委員会によると、半年前に北九州市内小倉北区の駅ビルで発見されたコアラとの関連が強いとの見方を示している。
このコアラの群れ、鳴き声にオーストラリア北東部独特の訛りがある特徴があり、半年前に発見されたものと同じ地域で育った可能性が高い。
また、国立科学博物館コアラ研究チームでは、このコアラの群を「ワタリコアラ」と命名し、専門誌「世界コアラ研究」に発表する。
一方、福岡県警によると、半年前に摘発された、北九州地域広域指定危険団体のチャーターした船舶から逃げ出したとの情報もあり、群を餌付けすることで関連情報の聞き取りを懸命に進めている模様だ。
現在、北九州市防災課では、この公園の周囲28mを立ち入り禁止区域に指定し、市民に警戒を呼びかけている。
また、日本野鳥の会に監視を委託した。(前述の頭数は同会発表に基づく)
同防災課の職員は「ただちに危険という状態ではないが、引き続き監視を継続し、万が一の変化の際には迅速に情報を提供したい」と語った。
公園を見下ろす小倉タワー周辺では、不審者の目撃情報が相次いでおり、密輸との関連が疑われているコアラを狙ったものではないか、との憶測が流れている。
<北九州日々知報3月30日朝刊掲載>
現場はこんな感じらしい。
事件に関する情報まとめサイト
http://www.lotte.co.jp/products/brand/koala/
木曜日, 3月 31, 2011
電力危機
要するに、
・使用料全体の7割ほどを占める一般家庭昼の使用電力を抑えたい
産業(工業系)は何がなんでも残さなきゃならない。復興にも産業は必要。
・原発問題は長期化、揉めてる間は総電力生産量は簡単には戻らない
・被災地域に人が戻れるように、戻っていかなければならない
・これを機に変革、みたいな、次のライフスタイルは描けていないしまとまった意見もない
・物理的な工事を伴う系のソリューションは復興優先を考えると非現実的
ということだと思う。
そうすると、手続き系金銭系で誘導して危機を乗り越えるのが現実的だ。
で、
・東北地方(福島県)の大規模事業者電力の無料化(時限措置)
・家庭用電力については、新契約時に契約金(東電管轄は10万円とか、被災者免除条項あり)を取る
・電気利用を断念する契約解除世帯には電力危機協力金を支払う(5万円とか、毎月5千円とか)
・アンペアダウン奨励金
・高層マンション課税
・電気機器→ガス機器買い替え奨励金
・夜間電力無料化、昼間電力料金倍(家庭用/一般事業者用区別無し、電車とかは別ね。)
・どっかのテレビ局企画、電気無しサバイバル生活トライアル懸賞金1千万円
(都会で電気無しでも快適な生活のコンテスト。生活の知恵と実践を評価)
辺りを総花的に展開すれば、もしかすると、日本式21世紀型ライフスタイルも確立されていくかも。
携帯なんかは先進的なものをガンガン使うんだけど、生活そのものは本当のエコスタイルで、個人で独占的に使う電気は無し、みたいな。
人間個人の脚力で住めない高さや、通えない仕事、、、、そして、コントロール不可能な原子力の利用、物理的制約をチカラワザで乗り越える、なんか、知恵の無い時代の終わりが始まったのかもしれない。
情報ネットワークがここまで普及したら、そういう物理的な要素から解放されていくべき。
いろんな仕事を海外に委託してるけど、だったら、日本に住む人を通勤不要で雇用したっていいわけで、それでなくても島国なんだから、適度な人口密度で暮らすことを考えたほうがいいし、適度な電力依存度、っていうのもあるのだろう。
一人当たりの電力使用量を小さくしていけば、代替電力(自然エネルギー系)の価値も上がるだろうし。
僕の尊敬する人で、マンション住まいなのに夏に冷房無しで暮らしている人がいる。
そりゃあ、暑いんだろうけど、話を聞くと、よほど夏を満喫しているし、涼しく過ごすための小さな工夫を楽しんでいる。
家族でそうしている。
チカラワザライフとは違って、とてもスマートな生き方だと思う。
だから、新しいスマートなライフスタイルを(選択の余地もないわけだし)東京で創出すれば良いのだ。
ペタペタ系のモバイルツールとか、ノートパソコンとか、そういうものの電気は(自宅以外の何処かで充電して)使いながらも、自宅に帰ると無電生活。あるいは極小規模な自家発電とか。
と、そんな事を考えている今も、こうして、原始的な方法(電力会社依存)で電気を使っているわけだが。
日曜日, 3月 27, 2011
バーサタイリスト。少しわかった気がする。
僕はテスト嫌いだ。
テストまでの間に、たくさんの知識を詰め込む作業が苦手なのだ。
毎日毎日、コツコツと積み重ねていく努力が苦手なのだ。
小学校の頃、毎日漢字の書き取りをする宿題が出たことがあった。
毎日1ページか2ページか、とにかく決められた分量の漢字の書き取りをする、そんな宿題。
この手合いが一番嫌いだった。
そんな宿題を考えつく先生にも、そんな宿題用としか思えない書き取りノートにも、そして、理不尽な環境に救いの手を差し伸べない両親にも、悪意を感じた。
その時は、締切間際に、書き取り用ノート日数分のページの各マスに、一・二・三・四・・・八十一・・・二百十三・・みたいな感じで、漢数字でページを埋めていくことを思いついた。
見方によっては大胆なヤツ、と思われるかもしれないが、実際は、この方法はきっと誰かに怒られる、とビクビクしていた。
だから、とりかかる前に親に相談した。
親は、「好きにすればいい」と言ったので、それを良いことに実行に写したのだ。
決して、大胆でも豪快でもない。ビクビクしながらもサボりたかっただけだ。
書き始めた。
書き始めて気がついた。
これは、後半に行けば行くほど、一つの数字で三マスも四マスも埋められる。
効率が良いじゃないか、これなら、宿題を終えないと見られないテレビはすぐに見れるじゃん、などと思ったものだ。
↑本当にアホだった。
あるいは、高校の合唱部の体験入部の時もそうだ。
女子もたくさんいて華やかで、明らかに天文部なんかとは違う香りのする合唱部のイメージとは裏腹に、彼らは毎日、運動部並みの腹筋とか腕立て伏せをしていた。
これが嫌で入部を断念した。
音楽は好きだったけど、女の子も好きだったけど、毎日のあの努力が自分には耐えられないと思った。
信念を通すために、孤高の人となっていった。
漢字書き取りを忌避してた頃とは違い、このころは、僕には無理、って素直に思えた。
でも、入部確定モードで先輩に散々奢ってもらったりしていたので、「音楽性が合わない」などという、お前はプロミュージシャンかっ、という理由で入部を辞退した。
そんなわけなので、一貫して脳も筋肉も非アスリートな生き方で今日まで生きてきてしまっている。。。
話を戻す。
知識って、携帯でググれるようになった今、それほど重要じゃなくなっている。
正確には、「字面で表せる程度の表面的な知識」はそれほど重要ではなくなっている。
ググることさえできれば、誰でも百科事典好きの小学生ぐらいにはなれるのだ。
大学入試など様々な試験だって、ググらせて貰えれば、知識を問う問題にかなり対応できる。
最近の大学ではレポートもそんな感じなので、知識ではなく知恵を問う課題に変わってきていると聞いた。
入試なども知識を問う問題ではなく、「知恵」を問う問題に変わっていくだろう。
では、知恵とは何か。知識は要らないのか?
知恵は、持ちうる様々なジャンルの知識、と、様々な経験、そして想像力、それらから結び付けられる「新たな知」なのじゃないか。
料理好きで化学好きな人が、調味料を加える順番を一般常識と変えてみたらおいしい料理が出来た、とか、そんな感じ。
いや、料理好きで化学好きな人が、今問題になっている原発の燃料棒冷却に対して、化学の知識と料理の経験と普段は妄想にしか使ってなかった想像力を活かして新しい冷却方法を考えつく、そんな感じ。
当然、一見関連しない知識と経験を、未経験の分野に結び付けられる「柔軟な考え方」、も必要だ。
お、ようやく本題。これって、バーサタイリストのことではないか!
バーサタイリストなんて言葉があろうが無かろうが、既に、世の中はそっちの方向に進んでいるのだ。
(だから、そんなモヤモヤした新しい事柄を表す言葉としてバーサタイリストがあるのだろうが。。。)
この震災でも様々な「専門家」がメディアに登場したが、これだけ注目される災害だと、彼らの一言一言はリアルタイムにネット上で"知識レベルで"検証されていく。
すぐさま、発言が正しいかどうか議論され、信頼できるソースにたどり着くと収束する、を超高速で繰り返していた。
2チャンネルでは1000で終了するスレッドが100以上続いていたから、便所の落書きとはいえ、既に10万件以上のコメント/レスがあったのだ。
そんな中で一定の評価を得る専門家と、どんどん信頼を失墜していく専門家とが明白になる様子が興味深かった。
もはや、どんなに知識量が多くても、それを誠実にきちんと伝えられなければ価値がないのかもしれない。
ネットでの知の共有により、「似非(エセ)専門家」や「肩書きだけの人」には厳しい時代になるのかもしれない。
そういう視点から「バーサタイリスト」を見直すと、とても納得感が得られる。
知識が不要と言っているわけではない、経験だけが重要と言っているわけではない。
ましてや、妄想力が全てなんてわけじゃない。
価値のある知、知恵を創造しようとする人間像がバーサタイリストなのだ。
バーサタイリスト=「知恵」(地頭力)=「それなりの知識」+「それなりの経験」+「結合・発展させる力」
月曜日, 3月 21, 2011
残せるもの
結局、企業とかそういうことに限らず、人が、親が、社会が、後世に残せるものは、「文化」なのだと思った。
話は変わるが、仙台で被災し避難していた友人が自宅に戻ったが、ガスは無いそうだ。
盛岡の実家は、電気は通ったものの相変わらず燃料(灯油)が無いそうだ。
まだまだ普段の生活とはいえないが、電話口の声はとても元気だった。
寒いだろうに、でも元気な盛岡の母の声に、
避難生活で疲れていただろうに、でも元気で「やっと家に帰れる。家族でこれから家で焼き鳥パーティ」との仙台の友人の声に、
妙な罪悪感に落ち込んでいる場合じゃないんだと思った。
一日も早く原発の危機が去りますように。
話は変わるが、仙台で被災し避難していた友人が自宅に戻ったが、ガスは無いそうだ。
盛岡の実家は、電気は通ったものの相変わらず燃料(灯油)が無いそうだ。
まだまだ普段の生活とはいえないが、電話口の声はとても元気だった。
寒いだろうに、でも元気な盛岡の母の声に、
避難生活で疲れていただろうに、でも元気で「やっと家に帰れる。家族でこれから家で焼き鳥パーティ」との仙台の友人の声に、
妙な罪悪感に落ち込んでいる場合じゃないんだと思った。
一日も早く原発の危機が去りますように。
金曜日, 3月 18, 2011
「したいこと」「すべきこと」「してること」
↑は、Zappos Culture Bookの紹介。
詳しくはhttp://ashcan-s.com/?p=100
さて、Zapposを読んでの気づき。
人も組織も、結局、「今していること」が「すべきこと」あるいは「したいこと」だと思い込みやすい。
物事を白紙で考え直す、というのは困難なのだ。
「したいこと」を主張する若者に対し、「したいこと」と「すべきこと」は違うだろ、子供みたいなこと言ってるんじゃない、とかしたり顔で説教する退職カウントダウンの管理職。
たとえ「したいこと」が我侭だとしても、その深層にこそイノベーションのヒントが隠れているというのに。
そうやって、我侭や文句も、時間の経過と共に諦め、慣れ、惰性となり、いつの日か「今していること」が「したいこと」になってしまう。
あの時若者だった人が、今は、若者の我侭に説教する管理職や煩い先輩になるわけだ。
「したいこと」を実現して「今していること」になったわけではない。
「したいこと」を忘れ、惰性のまま「今していること」が「したいこと」だったと思い込んでしまうのだ。
よく言われる選択と集中は、「したいこと」の追求の先にあるのではないか?
「したいこと」を追求すると「シタクナイコト」も明らかになる。
「したいこと」を追求すると「デキテイナイコト」も明らかになる。
「したいこと」を追求すると「ドウシタラデキルカ」を考えるようになる。
Zapposは、「したいこと」の一つに「変化」を加えている。正確には「感動のサービスを実現するためには柔軟でなければならない」ということ。サービスはルーチンワーク化した時点で、ジワジワと満足度を下げていくのだ。
そんなわけで、彼らなりに徹底的に「変化を妨げるもの」について具体的な行動をとっている。
その中で特徴的なものが、入社の条件だ。
彼ら独自の入社面談の中で、変化を妨げそうだと判定された人はどんなに優秀であっても入社できない。
また、入社後の試用期間中にそれが判明した場合、退職金を支払って入社を拒む。
ちなみに、試用期間中には、ファイナンスのプロだろうがなんだろうが、必ず彼らのコアビジネス「(靴のインターネット販売の)コールセンター」業務を経験させるのだそうだ。
「300年は持続するための企業文化」を全社員で考えた末の彼らの辿り着いた答えなのだ。
(時間をかけ、真剣に、全社員で考え意見を出し合い納得して辿りついているのが素晴らしい。)
木曜日, 3月 17, 2011
震災で
この震災で、東京圏でも生活の影響は大きかった。
とはいえ、東京圏での生活必需品の買い溜め、品不足は、なんだか腹が立って仕方がない。
誰に腹を立てたら良いのか。。。
買い物に行く時間的余裕と金銭的余裕と人一倍な不安感の全てを持ち合わせるあなた、
買い溜めしてあなたの家に持ち帰ったところで、
何かが起こってしまえば、あなたの家にはいられないのです。
何かが起こってしまえば、あなたの満タンの車は走れないのです。
だから、今暫く不便はあるだろうけど、普通にしていて欲しい。
今、東北で、灯油がなかったり、電池がなかったり、食料品がなかったり、東京とは比べものにならないぐらいの苦労や不安を抱えている人達が大勢いるのだから。
そんな知人や親戚が東北にいて、ニュースを見て、腹を立てている普通の人も大勢いるのだ。
話し変わって、都心だけは煌々と灯りがついていたり、テレビ局は一局たりとも休んでいなかったり、それってどうなんだろう。
普通に考えれば、優先順位、大切にする順番は、
個々人や個々人の家庭→普通の企業→公的な企業→官業
だとばかり思っていた僕は単純脳細胞なマヌケオヤジなんだと気がついた。
計画停電中のエリアの人達にも電気料金の請求来るんだよね。。。
TVなんて、こんな時なんだから、輪番放送にすればいいのに。
そんな東京圏から出張ベースで小倉にやってきて一緒にしている同僚。
千葉の自宅マンションの地域は水道がヤラれて、水を使えない生活が続いていて苦労していた。
水をマンションの外に汲みに行き、階段を登りに登って部屋にたどり着くのだ。
「とりあえず、家も電気もあるし、水は汲みに行けばいいだけだら」と話していた。
今日、彼の家族から彼にようやく水道が通ったとの連絡が。
でも、その直後に計画停電が実行され、彼のマンションは電気なしでは水道も出ない。
計画停電の間、水道だけならまだしも、電気も水道も使えないという事態に。
「とりあえず、(復電を)待っていればいいから」
謙虚である。
仕事は強引だけど、ちょっと、見直したのでした。
不便は我慢するから、せめて、安全な状態に早くなってほしいものだ。
月曜日, 3月 14, 2011
重要なこと
つい、忘れそうになる。惰性に身を任せそうになることを、忘れそうになる。
かと言って、タトゥーを入れるわけにもいかない。
ドラッカー『プロフェッショナルの条件』より
自らが所を得ていないとき、あるいは組織が腐っているとき、あるいは成果が認められないときには、辞めることが正しい選択である。出世はたいした問題ではない。
万人に平等な時間を、出世のために無駄にしてはいけない。
土曜日, 3月 12, 2011
火曜日, 3月 01, 2011
イノベーションは起きない(その時がくれば起きる)
イノベーションは何故困難なのだろう。
いや、意図的に起こそうとすると困難に思える事が多いのに、実際に「起きる」ときは、何故起きたかもわからないようなのがイノベーションなのかもしれない。
チュニジアのジャスミン革命は、野菜売りの青年の落胆と抗議の焼身自殺がきっかけで起きた。
決して、何ヶ月も周到に準備されていたわけではない。
もちろん、Facebookだとか、理由は様々あるだろうが、「Facebookがあるから革命だ!」というわけじゃなかった。理由は結果論でしかない。
一方で、変革だ変革だ、と、シツコイほどに言われているのに、何にも変わらず、あまりに耳に慣れ過ぎて、もはや元々の意味すら怪しくなってきている事もある。っていうか、世の中に多過ぎ。
最近では多くの企業で、「イノベーションカンパニー」だとか「イノベーションフューチャー」だとか、むしろ、イノベーションを唄わない企業の方が少ないほどだ。
なのに、イノベーションの成功事例は少ない。
星の数程あるチャレンジの中で、成功するのは、ほんのわずかだ。
そうして、チャレンジに失敗して、あるいはチャレンジすらできずに市場から去っていく会社も多い。
看板こそ昔のまま、あるいは、看板だけは昔のロゴに戻したりして、実態はどっか別の資本で、看板だけが残っているような話もよく聞く。
少なくともイノベーションに成功した話よりは、よく耳にする。
だから、最近考えているのは、「イノベーションに成功する」事ではなく、「イノベーションの芽を摘まないために何をしてはならないか」っていうこと。
きっと、イノベーションは、起こすものではなく、自然発生的に起きるべくして起きるものなのだ。
ただ、起きないのは、イノベーションを起こさないような、イノベーションを否定するような行動が世の中に溢れているから、なのかも、というように考え始めている。
そもそも、イノベーションはパラドックスなのだ。
中東の長期独裁政治だって、新進気鋭のベンチャー企業だって、始めはイノベーションに満ちていた。
それが、たかだか数年で、そのイノベーションの中心にいた組織や人々がイノベーションを継続できないばかりか、新たなイノベーションを潰す側にまわるのだ。
ノリエガは、今、自分に歯向かってくる若者たちを見て、自分の若かったころを思い出すことはないのだ。
小さい会社、大きい会社、腐敗した官僚、官僚組織、国家、どんなものであれ、イノベーションは起きるときに起き、起きない時には起きない。
これだけ、考え方も方法論も事例も揃っているのに、だ。
自分を振り返ってみてどうか。
人生の中にイノベーションがあったか。そして、それは、起こそうとして起きたのか?
イノベーション的な事はあることはあった。
が、やはり、起こしたとは感じられない。起きた、としか言いようがない。
そうして、この問いは、禅問答になっていく。
出来ることをするしかない。その先に変革が来るかもしれないし、来ないかもしれない。
来なくても諦めてはならないし、諦めなければ、いつか来るかもしれない。
人生とは歩きつづけること、みたいな話だ。
なんだかなぁ。←阿藤快 風に
日曜日, 2月 27, 2011
「ヤング@ハート」
ここのところ、ヒットぐらいはあったけど、ガツンとホームランが無かったビデオ鑑賞。
ついに来ました大ホームラン!
ホームランがオジイとオバア達のドキュメンタリーになるとは思っていなかった。
平均年齢80歳を越えるバンド。
彼ら自身はクラシックや古いポップスなんかが好きなのだけど、鬼コーチの勧めでパンクロックやR&Bを唄いこなす。
最初は歌詞を聞き取るのも困難。耳は遠いし、雑音にしか聞こえないのだ。
が、練習の末に彼らの唄として完成すると、彼ら一人一人の人生に裏付けられた言葉として歌詞が生き生きとしてくるのだ。
高齢だからドキュメンタリー中にもバタバタと神に召される。
そんなことは、織り込み済み。
彼らは歌いつづける。叫びつづける。
若者のロックの歌詞が、R&Bの歌詞が、心に迫る。
良い唄は、人間を唄っていたのだと気がつかされる。
心に沁みるのは、唄う人の心なのだと気がつかされる。
涙と拍手無しには見られない映画。
老いるのも悪くない。
木曜日, 2月 17, 2011
結局
あらゆる組織が生き残るためには、イノベーション(マインド)の持続が必要だということに行き着きつつあるのだろう。
その文脈での「バーサタイリスト」であり、「ダイバーシティ」であり、「サーバントリーダーシップ」なのだ、と納得。
一つのスペシャリティに満足せず多様性を持てというバーサタイリスト
そもそも人の多様性を尊重しろというダイバーシティ
個々人を敬い支援するマネジメント形態のサーバントリーダーシップ
要は人間本来の得意技「柔軟であれ」ということだ。
組織全体が「柔軟であれ」ということだ。
本来は得意技なのに、地位やお金や経験や寂しさなんかに左右されて柔軟でいられない弱さ、もまた、人間らしいのだけど。
なんだか厄介な時代になったものだ。のほほんと昨日と同じ今日を過ごすわけにはいかない。いや、昨日が「変化を捉え利用する」日だったなら、のほほんと昨日と同じ今日を過ごせるのだろうか。
そもそも、「のほほん」って何だ。
と、ググッてみると、擬態語なのだそうだ。しかも江戸時代には既に使われていたようだ。
ついでに、このページの解説が秀逸。
http://page.freett.com/ubumi/nohohon.html
のほほんと残りの人生を全うすることにしよう。
日曜日, 2月 13, 2011
天然みっちゃんシリーズ「カマボコ」
母がまだ子供だった頃、今から60年ほど前、母の実家は山奥だったこともあり、海は話に聞くだけの遠い存在、海の魚は行商のオジサンが運んでくる貴重品、だったのだそうだ。
で、学校で「海の生き物」を聞かれたときに「カマボコ」と答えたそうだ。
本気で、板にくっついたあの形状のまま海で泳いでいる魚なのだと信じていたらしい。
母曰く、「魚やさんで並んでいるまま泳いでいるもんだと思っていた」と。
じゃあ、開きになった干物は?縄を口に通した新巻鮭は?と、湧き出る質問を抑えこみ、「竹輪はどうだと思ってたの?」と聞くと、母は、
「あのまんま泳いでると思ったわよ。カマボコより泳ぎが上手いだろうって思ってたわよ」
なるほど。
土曜日, 2月 12, 2011
天然みっちゃんシリーズ「ドリンクバー」
先日、遊びに来ている母とファミレスに食事に行った。
僕が母に、
「なんか飲む?」
と聞くと、母、
「いや、いらない」
と。
食事をしながら、母は、
「飲み物は持ってきちゃだめなの?」
と言うので、僕はドリンクバーを注文した。
そのやりとりを不思議そうに見る母。
そして、持ってきたぶどうジュースかなんかを飲みながら母はのたもうた。
「いつも友達と行っているファミレスでは食事しか注文してないけど飲み放題なんだよ」
。。。。いや、それは、多分、いや、間違いなく無銭飲食になっちゃうからぁ!
金曜日, 2月 11, 2011
天然みっちゃんシリーズ「お、ハーレーだ」
母の若かりし時代の話
結婚当初、うちの父は車はもとよりバイクが大好きだったのだそうだ。
が、結婚前にバイクで事故を起こし怪我したこともあってバイクはご法度な感じだったのだそうだ。
そう言われてみれば、僕が16歳ですぐにバイクに夢中になった時、一言もダメ出ししなかったなぁ。
そんな父が、母とドライブしていて、たまたま通りがかったハーレーを見かけると、
「お、ハーレーだ」
と言っていたのだそうだ。
しかし、母は、
「今日は天気なんだから言わなくても晴れに決まってるじゃん」
と、随分長い間思っていたそうだ。っていうか、ハレとハーレーじゃ、何か変な言い方だなって思わなかったのだろうか。。。
この天然ぶりは、今なお70歳直前で、益々磨きがかかっているのは言うまでもない。
火曜日, 2月 08, 2011
ネット、リアル
↑本文とは何の関係もないけど、なかなか素敵な発明。
ネット(ネット社会)って何?
と改めて考えてみた。
・リアルに限りなく近づこうとするバーチャル
・現実社会に限りなく近づこうとする仮想社会
"近づこうとする"と書いたのは、まだもの凄いスピードで変化を遂げている最中だからなのだけど、そのうち、リアルに追いつく日が来てしまうのかもしれない。そんな時代になると、冒頭の問いは、
「リアルって何?」
に変わっているのだろう。
そんなわけで、仕事の大半がネットの向こう側の誰かと進められるようになったり、食事だってネットを通じて配達してもらったり、本や音楽は既にネット上だけでも楽しめるようになってきていて、バーチャル化は否が応でも進んでいる。
そんな中、敬愛するリチャード・ストールマンが、Wikileaks支持のAnonymousによるサイト攻撃←詳細はググッてください、について、「Anonymousによるサイト攻撃はネット上でのデモ活動として認められるべきだ」との見解を発表しています。
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2010/dec/17/anonymous-wikileaks-protest-amazon-mastercard
現実世界の民主的と言われる国では、合理的な理由がない限りデモは「集会の自由」で保証されています。日本でも、デモ行進などの集会は、許可制ではなく届出制となっています。基本は許可されるものなのです。
当然、集会/デモのターゲットになる国や企業は、デモの規模により痛手を受けます。が、社会全体としてはデモによる国や企業の被害よりも、社会全体としての利益を認めている、ということなのでしょう。
(社会全体の利益の大小はデモの規模に現れるでしょうから。)
しかし、まだ、原始時代から中世に入ったかどうか辺りのネットでは、Anonymous活動に加わった10代の若者たちが逮捕されています。
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2783784/6741070?utm_source=afpbb&utm_medium=topics&utm_campaign=txt_topics
逮捕は、かなり曖昧な理由、かつ、社会的にもコンセンサスを得られていない状況で作られた曖昧な法律で執行されています。
せめて未成年に対しては、大人が説明に困るような法律での逮捕は避けられないのか、と思ってしまいます。
今の大人は、子供たちを商売のターゲットにしてしまった責任を取っていない気がします。子供に携帯用ナイフを渡しておいて、りんごの皮むき用に渡したのにケンカに使うのはけしからん、などと言っているのと同じ、そんな気がしています。
ましてやAnonymousによる活動は、多分、ネット社会が成熟してくれば「合法」な活動になるかもしれないのに、今、逮捕された子供たちは気の毒なものです。ね。
木曜日, 1月 27, 2011
水曜日, 1月 26, 2011
紙の教科書で学んで失ったもの
http://journal.mycom.co.jp/column/itshacho/097/index.html
子供の世界が騒がしい。
上述↑リンク先の情報で「電子教科書が子供の学習に役に立つかどうかは、私塾で採用されていない事実を考えれば明白」というような事が書いてあったが、全くそのとおりだ。
「子どもの教育のために教科書の電子化を!」という言い方は欺瞞以外の何者でもない。
何者でもないのなら何者なのかというと、「ビジネス創造(儲かりまっせ)としての教科書の電子化」だ。
そもそも、食うに困らない時代になってからの大人たちの中(まぁ、50歳以下としよう)に、「自分が子供の頃に、PCや携帯があったら、立派な大人になれたのに」と思っている大人はいるのだろうか。
あるいは、「自分が子供の頃は、情報が少なすぎたから勉強できなかった」と感じている大人はいるのだろうか。
あるいは、今をときめくゲーム開発者が、「自分が子供の頃に、電子教科書で学んでいたら、もっと素晴らしいソフトを開発できた」とか感じているのだろうか。
はたまた、「子供のうちに教科書を電子化して慣らしておかないと、大人になって最新機器を使えない」とでも思っているのだろうか。
ようやく法制化された「携帯会社は子供達を悪意あるネット情報から守らなければならない」というルールも、Wifiが使えれば携帯会社との契約無しでも使えるスマートフォンによって、有名無実化している。
子供に何の制約も無しにiPodを持たせるということは、その子が深夜の繁華街の路地裏をうろついても親は気がつかない、ということだ。
※携帯電話の場合は、以前、子供をターゲットにしたSNSサービスなどが、子供同士のイジメや子供目当ての犯罪に使われて社会問題化した際に、子どもに携帯を持たせる場合はアクセス制限などの措置を取らなければならないという法律ができた。
時間と場所の制約を超越するネットでは、現実社会では常識の「夜の繁華街の路地裏、は警戒すべき」のような肌感覚は得られにくい。
そして残念ながら、法の規制がなければ、いずれ誰かが、子供であろうと何であろうと金儲けの対象にしてしまう。
しかもネットは「誰であれ人を集め」れば、金になる。
その製品価格が「子供のおもちゃ」にしては高額で普及していない間は社会問題化しない。安価になったからと言って、親が音楽プレーヤー(のつもりで)として買い与えたiPodで子供は制約無しにネットサーフィンできるのだ。
とかなんとか言っていても、未払い給食費の問題など関係なく、子供への影響云々より経済への影響が計り知れない(儲け話をフイにする)というホンネで電子教科書は導入されるのだろう。
電子教科書ソックリのiPadカバーが売れる日は近い。←昔は教科書ソックリの教科書ガイドがありましたねぇ。
せめて、少し時間をかけて(人間の1世代分ぐらい)考えてもいいだろうに。。。
WIREDで印象的な言葉があった。
今の子供達は「親が認知できないであろう環境の中で成長」している。リスクは誰が負っているのか。。。
月曜日, 1月 24, 2011
二晩ほどかけて、ゆっくり沁みる映画
極度の緊張は、思考能力や感情を停止させることがある。
例えば、最近、と考えてみたけど、初老とも言えるこの年令になると、さすがに簡単には緊張しなくなって、むしろ、緊張感のない生活で、目も口元も体も全体にだらし無くなりさえしている。少なくとも最近は極度の緊張を感じたことは思いつかない。
それでは、話が全く進まないので、今さっきの事は忘れてしまうけど、忘れることのない昔の話を思い出してみよう。
例えば、遠い昔、ピアノの発表会。それも幼少の頃の発表会。
これなんかは、極度の緊張の最たるものだった。
一度など、鼻血を出したこともある。そういう時に限って、衣装は、白いスーツだったりして、周囲からはぴんからトリオとか言われたものだ。
白いスーツに真っ赤なネクタイ、そして、鼻血のシミ。
そういう緊張極まっている時というのは、何かを考えて行動していないのは確かだ。
ロボットのように決められた場所でお辞儀して、決められたコースをギクシャクした足取りでピアノにたどり着き、座り、何も考えずに弾き始めるのだ。
弾き始めに、「どう弾くか」など考えてはいけない。客席にかぼちゃが並んでると思え、とか言うけど、これもダメだ。客席の存在自体を意識に置いてはならない。
「僕はカラクリ人形です。」ぐらいの自己暗示が必要だったのだ。
だから、ピアノなんて、目を瞑って弾けるほどに練習しないといけない。
本来であれば、音楽としての完成度を極めるために練習を積むのだろうけど、当時の僕は、そんな事は思いもつかず、ただ、ソラで弾けるようになる事を目指していたし、それでようやく、自分の記憶に残せない緊張感の中で一曲弾くのだった。
だから、「演奏どうだった?」と聞かれても、「ドキドキした」しか記憶にはないのだ。
そんなだったから、高校生ぐらいから始めたロックバンドでは、ただただ、自分が楽しむ事に徹していたし、バンドの仲間から「練習嫌い」と言われようと、無理に練習することすらせずにいた。
練習は緊張を産むのだ。
なんか、こう書いちゃうと、緊張が良からぬもののように読めちゃうけど、当然、必要な緊張とか、そういうものは理解しているつもり。
ただ、緊張が嫌いだったし、緊張に打ち勝つような強さが無かったのだと思う。
さて、話し戻って、その緊張による思考停止を最近経験した話。
それはチョット前に観た「Frozen River」という映画。
この映画、とても静かに、言ってみればさほど大きな事件があるわけでもなく、淡々とストーリーは進んでいく。登場人物たちも、北九州に住んでいれば目立つかもしれないアメリカ人とアメリカンインディアンだけど、映画の舞台はカナダに接したインディアン居留地のある小さな街で、ごく、普通の人達だ。
なのに、気がつくと登場人物たちの極度の緊張状態を共有していることに気がつく。気がついたときには、その緊張感から逃れることは出来なかった。
多分、数分のラストシーンで、緊張感から解放された、と観終わったときには思っていた。
ただ、ほっとした気持ちと同時に、なにか、引っかかるようなモノを感じて、時々、そのシーンが目に浮かんだりする不思議な感覚があった。
実は、その緊張感は、映画を見終わった後も何日か続いていたのだ。
そして、今日。
観終わって二晩を経た今日、ようやく緊張感から解放されたと実感した。
スッキリした、とは違う、沁みたなぁという感覚。
時間が必要だったのだ。正に、あの映画が描いた日常の小さなドラマが、必要な時間をかけてようやく染み渡ったのだ。
極度の緊張から解放された後、じんわりと数日かけて心に沁みる。
そのじんわり加減は、映画のストーリーと重なる。
映画に描かれたた凍りついた川が、春の訪れとともに、ゆっくりゆっくりとその流れを取り戻すように、映画を観た僕にゆっくりゆっくりと沁みてくるなんて、実はすごい映画なのかもしれない。
ただ、一般に、映画の評価は観終わってすぐの評価であることが多いだろう。そう考えると、なかなか、評判を得るタイプの映画ではないかもしれない。
と、調べてみたら、アカデミー脚本賞にノミネートされていたようだ。
NHKがスポンサーに加わるサンダンス映画祭では、しっかりと、グランプリに輝いている。
なんだ、僕が鈍かっただけか。
沁みただけ良しとしよう。
↓はフローズン・レバーです。
日曜日, 1月 23, 2011
戦争映画に参戦し辛くも勝利
映画"コード・イーグル"をみた。
90分の映画の冒頭あたりからその予感はあった。
10分を過ぎた頃には、途中で見るのを止めちゃおうか何度もリモコンを手にした。
いずれレンタルだ。しかも50円でだ。
見るのを止めるのは簡単だった。
しかし、戦争も一旦始めればやめられないのと同様に、見るのを止めるわけにはいかなかった。
そこで無意味に苦境に陥った主人公の兵士が言う。
「俺は諦めない。最後まで命令に従う」と。
って、最初の戦闘シーンで、敵に上陸地点がバレてたと考えないのか?
いくら敵の支配下の島だからって、どう見ても撮影しやすい以外に何もメリットが無さそうなビーチのど真ん中に真っ昼間に上陸するか?
30人で上陸して十字砲火を浴びて、どう考えても生き残れない状況で、特に理由もなく7人が生き残って、その時点で、「俺は諦めなきゃバカか?」としか思えないはずだ。
いや、主人公の兵士を責めても仕方がない。
「見続ける俺はバカか?」と考えるべきだったのだ。
内容はゴレンジャーにも遠く及ばない、っていうか、ゴレンジャーに失礼な、内容だ。
だけど、仕方がない、僕も主役の彼も同程度のバカなのだろう。
もう少し見てみるしかない。
次から次へと繰り出される、予想以下の展開。
予想以下の展開に、次の予想のハードルを下げると、敵もしたたかなもので、更に予想を下回る展開を用意してくる。
仕方がない、気持ちを切り替える。
これは映画ではない。アーミーオタクたちのオフ会で、なんたらとかいう戦争ごっこを撮影したものだ。
そう思えば、ほら、今、倒れこみながらマシンガンを連射するシーンなんて、あれをやりたかったのだ。
ストーリーではない、あのシーンを撮影したかったのだ。
ほら、唐突に家族を想い出すシーン。
まだ到着して間もないけどさ、戦場でボロボロに疲れた表情で俯きながら「一人でも世界を変えられる」っていうセリフを言いたかったんだよ。
そんな風に誤魔化しながら見ていても、1時間あたらりからは誤魔化しも通用しなくなった。
これは重大な覚悟が必要だと悟った。
理由なんかいらない。
「僕は諦めない。最後まで見る」と。
これは映画ではない。僕が主役の最後まで見られるかどうかのDVDゲームだ。
戦場は、ここ、リビングなのだ。
覚悟を決めたあたりから、僕の顔は、梅干しを食べたような、困った顔のまま固定されたような、口の中が唾でいっぱいになった表情が続いていたに違いない。
ずーーーっと、「しょっぱいな。。。」と、もう、ストーリーにツッこむ気力もない。
リモコンに触れずにメインメニューまで戻ることが出きるかどうかの高等なゲームなのだ。
極東の50円レンタルビデオ屋さんにまでバーチャルソルト(仮想塩)を送り込んだアメリカ人と、そのソルトのしょっぱさに負けじとスクリーンを凝視する日本人中年男の戦いなのだ。
そして僕は戦った。
眠ることもなく、早送りをすることもなく、席を立つ事も、携帯をいじることもなく、最後まで諦めずに戦った。
そして、僕は、勝利したのだ。
大量の唾を飲み込みながら、最後まで見たのだ。
唾と同量の血を流していたら死んでいたに違いない。
それほど戦いは凄惨を極めた。
ラストシーンも、、、もう言うまい。
敗者にそれは酷だ。
エンドロール、あるんだ。ちょっと驚きだ。
大丈夫だ、このエンドロールに名前を刻まれるほどの罰ゲームもあるまい。
敗者は敗者なりの責任の取り方があるわけだ。
エンドロールが流れたとき、「終わった。戦いは虚しいばかりだ。」と心から感じたのでありました。
※はみ出し
この「しょっぱい」は、関取が負けたときに土俵の砂が口に入って「しょっぱい」が転化したものらしくて、「情けない」とか「弱い」とかの意味らしい。最近はお笑い芸人が使うのでなんとなくわかってはいたけど、こういう形で、体感するとは思わなかった。
※※はみ出し2
冒頭のYoutubeの動画は、運悪くDVDを買ってしまった人が掲示したようです。ご愁傷様。
↓amazonでも勝利したものの虚しさを感じた人(しかも購入しちゃった)たちのユーザーレビューが見られます。
土曜日, 1月 22, 2011
MAN ON WIRE
美しい。
今は無きニューヨークのワールドトレードセンターの二つの頂点の間に浮かぶ人影。
その人影は頼りないワイヤーの上を笑顔で歩いて行く。
当時のフィルムと関係者へのインタビューを中心に構成されたドキュメンタリー映画「MAN ON WIRE(綱渡りの男)」。
その偉業に敬服するというよりも、綱渡りの姿の美しさに魅せられた。
それは、太刀打ち出来ない自然の美しさにも匹敵するような美しさだと感じた。
青い空をバックに、直立の人の影が浮いている。
日常の風景に突如として浮かび上がる、綱渡り師のシルエット。
とても凛とした立ち姿。人間のシルエットはこんなにも美しいものかと気がつかされた。
遠目にはワイヤーさえ識別不可能で、空中を人が歩んでいるようにしか見えない。
そしてそのシルエットは、ただ歩むばかりではない。
時には、その空間の中間地点で横たわりさえするのだ。
それは、横たわる大仏のようにすら思える、畏怖の念を感じずにはいられない光景だ。
映画自体は、その偉業、到底、マトモに許可されることではなく、違法に実現するまでを追ったストーリー。
どうやってビルに入るか、どうやって60mもあるビルの間にワイヤーを張るか、どうやって資材を運び込むか、上空の天気は大丈夫なのか、生きて綱を渡り切れるのか、考えれば考えるほど不可能としか思えない。
その不可能にチャレンジする動機は、夢、だ。
綱渡り師フィリップと恋人、仲間たち。
夢が叶った後、彼らは、恋人でさえも、もう交わらない別々の人生を歩んでいく。
フィリップを最後まで支えた親友が、30年以上経った今も、その時の緊張と感動を思い出し、涙を浮かべながら「ここまできて諦めるわけにはいかなかった」と語る。
壮大な夢を成し得た仲間だからこそ、その後の人生は、それぞれの人生を歩むのかもしれない。
人生をかけるような夢だったからこそ一つになったチームだったのだ。
ようやく、暗い記憶にしか重ならなかったそのビルの光景が変わったような気がした。
金曜日, 1月 21, 2011
木曜日, 1月 20, 2011
中年と怠惰
先日、朝会社に着いてからチョットした驚きがあった。
その日は、寒波の厳しい朝だった。
いわゆる凍てつく朝を会社へと急ぐ。
寒い朝はどうしても体が丸くなる。
北風を浴びる表面積を最小化しようという努力なのかどうかはわからない。
そんな丸めた体で会社に到着する。
オフィスに入る。その瞬間は暖かさに感謝する。
ロッカーにコートなどをしまい、席に向かう。
何の変哲もない、ただ、寒いだけの朝だ。
何人かに朝の挨拶をしつつ、自分の席に付く。
自分の足元が視界に入る。
腹は大分出てきているが、まだ足元が見える程度だ。
足元が視界に入る。
自分の足元。
そもそも、このオフィスは比較的小さなデスクなので、足元に許される面積および体積が狭い。
どれぐらい狭いかというと、仕事するうえで特に不具合無く仕事が出来る程度に狭い。
だから、脚を組むなんていうタカアンドトシだったら「欧米かよ!」っていうような態度や、椅子に座ったたままタップダンスの真似事をしたりとか、は出来ないし、そもそも、デスクの下が狭いせいで、なんだかいつも臭っているような気もする。
"気もする"と書いたのは、そんな気がしてしまった以上、絶対に確かめたくないし、誰かに指摘されても認めたくない、そんな気持ちなのだ。
話し戻って、その心なしか黄色く霞んでいるようなデスクの下に見えるのは、紛れもなく自分の足だ。
出勤用の茶色い革靴。出勤用のズボンの裾。
そこまでは想定の範囲内だ。
そして、通勤用のズボンの裾から顔を覗かせる、毛糸のレッグウォーマー。
レッグウォーマー!?
そこには家で足元の寒さ対策のレッグウォーマーが。。。
もちろん、ピンク色でも無いし、ハートの柄でもない、中年男子に相応しい、濃紺の地味なレッグウォーマーだ。確か、去年のこの時期、スーパーで買ったやつだ。
いや、相応しい色柄かどうかは問題ではない。
部屋着、もしくは部屋着の一部を着用したまま、人によっては神聖なる職場に着て来ている事が問題だ。
そういえば、朝、着替えるときに、夜寝るときに履いた靴下を脱ぐのが面倒で、「ええいっ、この靴下でいいじゃん」と、怠惰な判断を下したことを思い出した。
「どうしよう」と、思いながらも、「うーん、暖かい。」と、その存在を認識してこその幸せな足元の暖かさ。
「うーん、暖かい。このまま履いておこう。」と、またまた怠惰な判断をくだす。
不思議なもので、その存在を忘れているときにはそんな幸せな気持ちは味わえないのに、気がついてからは、何か特した気分だ。というか、多少ズボンの裾からはみ出したところで、気にならないのは中年の特権だ。
そんなふうに、その日は一日中ずっと幸せを感じて過ごしたのでした。
怠惰は時に幸せを増幅する、のでした。
水曜日, 1月 19, 2011
負のスパイラル進行中 by 旧メディア(テレビと新聞)
新聞なんてとってないから旧メディアの報道なんてテレビしかわからないのだけど、去る1/14、23年間に渡るチュニジアの独裁体制が崩壊したというニュースを、もう三日以上経った今日知った。
あまりの自分の無知さ加減にガッカリではあるものの、なんか、普通に目に触れなかったことが不思議に感じられたので、ググッてみた。
その画像がこれ。
なにか良い比較対象、と思い、よく知らないが、ニュースサイトのピックアップにあった「板野友美 ソロデビュー」のニュース検索と比較してみた。
それはこれ。
いい絵がないからテレビで取り上げられず、テレビで取り上げられないから新聞もあまり報道しない、そんな負のスパイラルを想像した。
火曜日, 1月 18, 2011
角川映画最高傑作
↑これはれっきとした角川映画である。
それは、ロボゲイシャ。
何気に竹中直人が出ている。
やりたい放題、思いつくまま、止める者は誰もいない、自由な映画。
中でもお尻手裏剣とお尻刀は秀逸。
特にお尻刀での立ち回りはよくぞ映像にしたとしか言えない。
敵味方双方が、「そんな恥ずかしい格好で・・」と罵り合いながら立ちまわる、いや、お尻を向けながら後ずさりしあうのだ。
あるいは、ロボゲイシャになるまでの修行の中で、煮えたぎったしゃぶしゃぶを手で掴み取る、これもダチョウ倶楽部を彷彿とさせる、正当な日本の文化を織り込んでいる。
素晴らしい。
そんな努力の甲斐あって、国内より海外でウケているようだ。
もし、手にする機会があったら、必ず見ておくべきだ。
日本の小中学生は、道徳の時間に(←道徳の授業があるのか?)見ておくのが望ましい。
そうしないと、もし海外の友人や、通りがかりの外国人旅行客から、ロボゲイシャの話題を振られても答えられずに恥ずかしい思いをすることになってしまう。
ちなみに、ここだけの話、Youtubeのトレーラーを見てしまえば、借りるまでの必要はなかった、気もする。
月曜日, 1月 17, 2011
中年のニヤニヤ
↑のおじさんと本文とは何の関係もありません。念のため。
朝、出勤前のどうしようもなくバタバタしている中、歯磨きし始めたときに気がついた。
洗面台の鏡に歯を磨く男が映っている。中年男だ。
うーむ、これはキモい。
何故なら鏡に映るこの中年男。なぜ、ニヤニヤしているのだ。
「お前は何にニヤニヤしているんだー?」
と、ニヤニヤしながら鏡に映る男にツッコミを入れてみた。
鏡に歯磨き粉(←練り歯磨きだが)の飛沫が吹きかかった。
前日夜に見たセクシー女スパイ映画を思い出したわけではない。
朝の地元テレビ番組で新顔の女子アナを見つけたわけでもない。
とりわけ気持ちの良い天気だったわけでもない。
パーフェクトな朝御飯だったわけでもない。
いや、むしろ、普段よりちょっと目覚めが悪くて、どちらかと言えばご機嫌斜めだったような朝なのに。
そうなのだ。中年男(一人暮らし)は理由なくニヤニヤしているのだ。
ニヤニヤしているというより、ニヤニヤした顔になっているのだ。
きっと、仏か神様の存在に近付いているからかもしれない。
同時に、口元が緩くなってきているのも一つの理由だろう。
「口角泡を飛ばす」を、まだ極稀にではあるが、経験済みだ。
あるいは、感情のアクセルが緩くなってきているのも一つの理由だろう。
ちょっとした泣ける話などに、どうにも涙が止まらなくなることも増えた。
(アクセルが緩いので、泣くのも早いけど立ち直るのも早い。一方で、若者のように一旦火がついたら止まらない、ということも無い。)
こんな事を通勤モノレールの中で考えながら、やはり、ニヤニヤしていた。
そういうわけで、中年男(一人暮らし)のニヤニヤはキモいけど仕方のないものなのだ。
お願いだから通報などしないで欲しい。ニヤニヤ。
どうか優しく見守ってほしい。ニヤニヤ。
※ニヤニヤしていない時だってあるに違いないと信じたい。
土曜日, 1月 15, 2011
金曜日, 1月 14, 2011
左胸ポケットにしまっておきたいHDD
↑は、散弾銃を浴びても大丈夫なHDDケース。
銃弾をあびるような、例えば戦地に、HDDを持っていくこと自体が、なんだかなー、という気がするのだけど、まぁ、壊れないに越したことはない。
とりあえず、戦地に赴くのであれば、左胸ポケットにしまっておくのがオススメです。
このケースを数珠つなぎにして、着てしまう、というのもいいかも。
木曜日, 1月 13, 2011
「トータル・リコール」の世界
映画「トータル・リコール」では、バーチャルリアリティの旅行が舞台となっている。妻がシャロン・ストーンなのに、バーチャルリアリティの火星旅行を試しちゃうシュワちゃんはうつけ者なのだけど、とりあえず、あのレベルのバーチャルリアリティがいつ頃実現できるものなのか考えてみた。
●本日の前提
新しい知識が金になるのは30年かかる by ピーター・ドラッカー
18ヶ月毎に(集積回路の能力が)倍になる by ゴードン・ムーア
●パソコン一昔
昔は、モノクロで、っていうか、そもそも、真っ黒な画面に文字が白く光ってカーソルが点滅していたパソコン。
ちょっと思いついて、当時、80年中頃のパソコンの解像度と現在のiPadの解像度の爆発的増加具合を、ムーアの法則にある倍々ゲームと比較してみた。
PCのスタンダードとなった、IBM PC/ATがEGAというディスプレイ規格で登場したのが1981年。今からちょうど30年前だ。
●IBM PC/ATの解像度*色数
で、この時の解像度および表示可能色数が640×350×16色で、単純に掛けると3,584,000(約350万)になる。
●iPadの解像度*色数
次に、iPad。1024×768×16777216色で、単純に掛けると13,194,139,533,312(約13兆)だ。
●能力比(乱暴者の計算)
13兆を350万で割ると3,681,401(約370万)となり、単純なディスプレイ表示画素及び色数の爆発的増加は370万倍になる。
●ムーアの法則の表
次に、18ヶ月毎に倍増を計算する。アホなのでEXCELで単純な表を作成すると、こんな感じになる。
●あら不思議、意外にいい線いっています。
この表を見ながら、先ほどの、370万倍がどの辺りになるかというと、31.5年目~33年目辺りとなる。
うーん、ツッコミどころ満載だと思うけど、とても都合よい数字だ。
なぜか。ここからが本題。
●バーチャルリアリティ=没入感
Microsoft X-BOXで話題のkinect。コントローラーレスで(体のアクションだけで)ゲームをコントロールできる。
この仕組みのプレーヤーに対する影響は画期的らしい。ゲーム画面の中への没入感が「ハンパねぇ」らしいのだ。
この没入感。久しぶりに「バーチャルリアリティ」を思い出した。
で、3D流行りでもあるので、本当に勘違いするようなバーチャルリアリティの映像はいつぐらいに完成するのか、を考えてみた。
●視界占有率100%を目指して
今、仮に40インチのディスプレイなりプロジェクターを使ってそれなりに視界を塞いだとしても、まぁ、水平方向に45°、垂直方向に15°といった程度の視界占有率だろう。(もちろん、ここでは、人間は後ろを振り返ることも含めて上下左右全てに視界が及ぶと仮定している。)
で、45°と15°というのは、その人が球体に入っていた場合、その球体の1/8と1/24となり、多分、表面積の、1/192でしかない。
この数字、「えぇっ」と思ったが、そもそも、正面しか向かなければそれなりの視界占有率になるが、ここでの前提は、あくまで上下左右全ての方向を分母とするから、そんなものなのだ。
画面だけ用意するのに192倍の能力が必要なことがわかった。
●3D化を目指して
もうひとつ、3D化を考えなければならない。
ネットに様々あるテスト的な3Dシステムを見た限り、バーチャルリアリティにふさわしい自然な3Dというのは、36視差ぐらいは用意されていなければならない。
なぜ、36視差かというと、この動画を見たからだ。
これぐらいだとカナリぐっとくる。
●能力比は?
で、話戻して、全ての視界と36視差で192×36=6912となる。
今の6912倍程度の能力が実現されるようになると、いよいよ、本格的なバーチャルリアリティが実現するということだ。
実際にはヘッドマウントディスプレイのように、映像を映しだすメガネで視界を覆って、顔の動きに合わせて映像を送り込んだりするのかなぁ。。
●それは何年後か?
で、6912倍が、ムーアの法則の表で何処に位置するかというと、18~19.5年後となる。
ということで、全身を仮想世界に没入させられる、本格的なバーチャルリアリティが実現するのは、2030年頃であろう。
とはいえ、バーチャルリアリティは視覚に留まらず、触覚や皮膚感、そんなものも必要だ。
●普及とは商売になるということ
冒頭のドラッカーの定理を借りれば、バーチャルリアリティが商売となるのは更に30年後。2060年頃だろうか。
僕は生きていないだろうけど、この時代辺りでようやく、うっかりするとバーチャルな事を忘れてしまう程度の簡易版バーチャルツアーみたいなのが実現するのだろうなぁ。
●映画では2084年にはバーチャルツアーが実現している
簡易版が2060年だから、更に30年かけて現実と区別がつかないレベルのバーチャルツアーシステムが完成したのだとも言える。
そう考えると、なかなか、現実的な時代設定なのかもしれない。
●結論
僕はバーチャルリアリティでの旅行はしない。
生きてる間には間に合いません。
良かったような、残念なような、しゃろん・すとーん。
水曜日, 1月 12, 2011
イノベーションと大所帯を率いるマネージャー
マネージャー(PMではなく人事上のマネージャー)が50人もの部下を持つなんて、私のようなズボラな人間には無理~、と思っていた。
が、面白い、納得する記事を見つけた。
http://www.president.co.jp/pre/backnumber/2010/20100705/15377/15387/
その記事によると「敢えての大人数所帯で構成した組織の方がイノベーションを起こしやすい」という内容だ。
敢えて、マネージャーに30名~50名の大所帯を管理するように組織を構成する。
すると、物理的な限界もあって、
・細かく管理できないことで、部下の自主性が促される
・上司の特権"情報の独占"が排除されオープンな職場環境になる
・社員の自由度が担保される
・社員自ら考え行動する能動性が必然になる
・階層の壁を突破できない社員は良い仕事が出来なくなる(評価されない)
・階層の壁を超えた仕事がそこかしこで発生するためイノベーションが起きやすくなる
という状況になる。
一方リスクとして、
・収拾がつかなくなる
こともありうる。
そのため、マネージャーの役割は、
・直接的な管理はしない(物理的にできない)
・コーディネーターに徹する(物理的にこれしかできない)
・(管理しないため)面談など社員とのコミュニケーションを密に行う
・組織の方向についてもコミュニケーションの中で合意を得ていく
として組織を間接的にコントロールするのが役割となるのだそうだ。
当然、間接的にコントロールしながら組織としての結果を出すという、対人間に対するマネジメント本来のスキルが要求されるようになる。
(指示と管理は、本来、機械相手のマネジメントであるはずだ)
ちなみに、上述のサイトで紹介されているGoogle社では、上司と部下とのOne on Oneの面談は30分/週だそうだ。他に四半期ごとに個人目標設定(見直し)をするのだそうだ。
なるほど。
30分/週というのは、50人部下がいる場合、正味25時間かかるということだ。
マネージャーは、毎日、概ね殆どの時間を部下と会話している、ということだ。この場合、マネージャーの仕事は部下との会話、だと言い切れる。
部下からすれば、通常の会社のように、「忙しい上司の時間を自分との会話のために割いてもらうこと自体マイナス評価になりそう」なんて心配なく、「話忘れたことがあったけど、来週の面談で話せばいいや」ということで、そりゃあ、風通しは良くなるに違いない。
そして、この方法の本質的に素晴らしいところは、マネージャーに対し、上下関係で(対機械のように)人の上に立つのではなく「人として人を纏めていく」という能力を要求するところだ。
当然、マネージャー自身も人として成長するであろうことは容易に想像できる。
この方法はGoogleのような企業にだけ有効なのだろうか。
いや、むしろ、高度成長期の日本企業なんて、きっと、どこもそんな風に人としてうまくマネジメントしていたのだと思う。今現在だって、小規模ながらも成長している会社では、そんな風にマネジメントしている会社の方が大いに違いない。
むしろ、大した成長もできなくなった会社の方が、大量の高給取り管理型マネージャーと深ーい組織階層になってヒイヒイ息も絶え絶えに喘いでいるような気がする。
株主は株価の成長は願っても人の成長は願わない。Googleの経営参加権の無い株式公開は、そんなところでも意義深いのかもしれない。
(イノベーション後には株価は上がるがイノベーションの最中には株価が上がらないかむしろ下がる)
↓は"超"オススメです。
が、面白い、納得する記事を見つけた。
http://www.president.co.jp/pre/backnumber/2010/20100705/15377/15387/
その記事によると「敢えての大人数所帯で構成した組織の方がイノベーションを起こしやすい」という内容だ。
敢えて、マネージャーに30名~50名の大所帯を管理するように組織を構成する。
すると、物理的な限界もあって、
・細かく管理できないことで、部下の自主性が促される
・上司の特権"情報の独占"が排除されオープンな職場環境になる
・社員の自由度が担保される
・社員自ら考え行動する能動性が必然になる
・階層の壁を突破できない社員は良い仕事が出来なくなる(評価されない)
・階層の壁を超えた仕事がそこかしこで発生するためイノベーションが起きやすくなる
という状況になる。
一方リスクとして、
・収拾がつかなくなる
こともありうる。
そのため、マネージャーの役割は、
・直接的な管理はしない(物理的にできない)
・コーディネーターに徹する(物理的にこれしかできない)
・(管理しないため)面談など社員とのコミュニケーションを密に行う
・組織の方向についてもコミュニケーションの中で合意を得ていく
として組織を間接的にコントロールするのが役割となるのだそうだ。
当然、間接的にコントロールしながら組織としての結果を出すという、対人間に対するマネジメント本来のスキルが要求されるようになる。
(指示と管理は、本来、機械相手のマネジメントであるはずだ)
ちなみに、上述のサイトで紹介されているGoogle社では、上司と部下とのOne on Oneの面談は30分/週だそうだ。他に四半期ごとに個人目標設定(見直し)をするのだそうだ。
なるほど。
30分/週というのは、50人部下がいる場合、正味25時間かかるということだ。
マネージャーは、毎日、概ね殆どの時間を部下と会話している、ということだ。この場合、マネージャーの仕事は部下との会話、だと言い切れる。
部下からすれば、通常の会社のように、「忙しい上司の時間を自分との会話のために割いてもらうこと自体マイナス評価になりそう」なんて心配なく、「話忘れたことがあったけど、来週の面談で話せばいいや」ということで、そりゃあ、風通しは良くなるに違いない。
そして、この方法の本質的に素晴らしいところは、マネージャーに対し、上下関係で(対機械のように)人の上に立つのではなく「人として人を纏めていく」という能力を要求するところだ。
当然、マネージャー自身も人として成長するであろうことは容易に想像できる。
この方法はGoogleのような企業にだけ有効なのだろうか。
いや、むしろ、高度成長期の日本企業なんて、きっと、どこもそんな風に人としてうまくマネジメントしていたのだと思う。今現在だって、小規模ながらも成長している会社では、そんな風にマネジメントしている会社の方が大いに違いない。
むしろ、大した成長もできなくなった会社の方が、大量の高給取り管理型マネージャーと深ーい組織階層になってヒイヒイ息も絶え絶えに喘いでいるような気がする。
株主は株価の成長は願っても人の成長は願わない。Googleの経営参加権の無い株式公開は、そんなところでも意義深いのかもしれない。
(イノベーション後には株価は上がるがイノベーションの最中には株価が上がらないかむしろ下がる)
↓は"超"オススメです。
NMP-1000P Firm-up 失敗しても大丈夫(Safe bootの方法)
QNAPのユーザーフォーラムを見ていたら、何故かドイツのフォーラムにNMP-1000PのFirmware 1.1.2βがアップされていた。
で、Firm-upしてみたら、なぜだか途中でフリーズ、仕方なく再起動したら、こんどは起動しない。。。
で、あちこち探したら、ちゃぁんとSafebootできるようになっていました。
(見つかるまではドキドキだったけど。。。)
方法は簡単。
http://www.qnapclub.jp/viewtopic.php?f=5&t=283
ということで、1.1.2βの使い勝手まではまだよくわかりませんが、普通に使えています。
メデタシメデタシ。
で、Firm-upしてみたら、なぜだか途中でフリーズ、仕方なく再起動したら、こんどは起動しない。。。
で、あちこち探したら、ちゃぁんとSafebootできるようになっていました。
(見つかるまではドキドキだったけど。。。)
方法は簡単。
http://www.qnapclub.jp/viewtopic.php?f=5&t=283
ということで、1.1.2βの使い勝手まではまだよくわかりませんが、普通に使えています。
メデタシメデタシ。
火曜日, 1月 11, 2011
デッドマン・ソルジャースを観た。(後編)
==(前編より続く)==
一晩悩んだ末に見る決意をした「デッドマン・ソルジャース」という邦題に騙された「Horrors of th war」が原題のホラー映画。
仏壇にお線香を上げ、いや、うちには仏壇はないので、仏壇にお線香をあげたような気持ちになって、映画を見はじめた。
見る以上、生きて帰りたい。亡くなったご先祖様達に守ってもらうのだ。ホラーにはホラーで対抗するのだ。
レンタルビデオなので延々と続くCM。
早送りでCMを飛ばしていく。
そして、ようやく本編が始まる。
いや、これもCMか?
映画の冒頭、イメージ映像?、なにしろ最初はCMかと思ったほどの延々とこれから起こるシーンと思われる下りがあった。
このイメージ映像で、この映画が、戦地に現れる狼男とゾンビの映画だと言うことが、僕にでもすっかり理解できた。
これは、ホラー映画の常道とは異なる、きっと画期的なホラー映画なのかもしれない。
自らネタばらしをしたように見せかけて、ストーリーを進めるうちに、想定外の、そう、この映画なら番町皿屋敷か何かに兵士達が迷い込むのかもしれない。
油断禁物がホラー映画の鉄則だ。
で、ストーリーが展開していく。とくに理由もなく、とにかく狼男が登場。
さらに歳末バーゲン大売出しなのか、冒頭のイメージ映像すら無くとも心臓への負担は心配がない登場。
チラッチラッと姿を見せて、最後も、来るぞというタイミングで、ある意味とても良いタイミングで登場。とてもわかりやすい。
その後、まぁ、延々と上官との確執や故郷の恋人を思い出すシーンや、過去の悲惨な戦地の思い出など、戦争映画的な場面が延々と続く。いまさら戦争映画だと言われても、ただただこちらは困るだけだ。先祖にお祈りした手前、バツが悪い。
ストーリーも中盤を過ぎ、狼男との戦いで、運悪く狼男になった兵士を含む選抜チームが、ナチスの最終兵器のゾンビ兵の製造工場へ戦闘を仕掛ける。
そのゾンビも、弾を撃っても撃っても死なないのかと思いきや、頭に撃てば普通に死ぬ。
そんなほぼ決定的なヒントも映画前半の一人のゾンビに出くわした際に判明している。
もはや、想定外のシーンはなにもない。
どうだ、怖いもの無しだ。僕のご先祖様の出番は無い。
しかし、ここで気を抜いてはいけない。
ホラーとはそういうものだ。
13日の金曜日だったかなんて、エンドロールが始まってから、もう一回アレを見たら心肺停止間違いなしというドッキリが仕込まれていた。
そうやって、「来るぞ、きっと来る、そうだ、ここで油断させて来るぞ。」
と身構えていると、想像を遥に下回るチープさで、そのシーンはやってくる。
身構えて、「あぁ、死んでくれよぅ。でも、やっぱりしぶとく生き返ってしま、、、、わない。。。」
とても心臓にやさしいホラー映画なのだ。
いや、その戦闘シーンがやってくれば良い方で、3回に2回は、スルーして、全くのほほんとした場面に変わっていく。
やってきたとしても、ちゃんと、「はい、狼男の出番でーす。準備してくださーい。」だったり、「そのガサガサ音がする茂みからゾンビ登場しまーす。いきなり登場しないで~。チラ見してから登場してね~。」だったりで、観客にとても優しい演出が続く。
後半の最新ゾンビとの戦いも斬新だ。
なぜか、ゾンビは兵士を掴んでは投げる戦法に終始する。
掴んで投げる、2~3mほど兵士が投げ飛ばされる。
ちょうど、プロレスの感じ。裸でないだけ、さほど痛そうにも見えない。僕にも一回ぐらいは肋骨骨折ぐらいで耐えられそうだ。
そして、いつのまにか、その兵士の中にいる狼男が月夜でもない昼日中なのに狼男に変身して登場する。(変身シーンは無い)
その狼男とゾンビのバトルも取っ組み合いだ。
そんなこんなで戦いは人間が勝利(そりゃそうだ。最後の場面でのゾンビは一人しか登場しないのだから。)し、戦争映画っぽいエンドロールが流れる。
うーん。この映画は何だったのだろう。
通常、僕の場合は、つまらない映画だと眠くなる。
が、この映画は眠くはならない。
それは、ホラー映画に対する過度の(好みではないが)期待があったからだと思う。
万が一、ウトウトしている時にドッキリを仕掛けられたら目も当てられない。
もしかすると、「デッドマン・ソルジャース2」で、ウトウトさせてからの~、という壮大な戦略なのかもしれない。
あるいは、これがホラー映画業界の罠なのだ。
固定ファン以外にマーケットを広げるために、戦争映画ファンに狙いを定め、それとはわからないようにパッケージしてビデオを家庭に送り込む。
そう考えると、先日のセクシーホラー映画も納得だ。
単なるセクシービデオにしか見えないパッケージで客を釣り、ホラー映画を見せる。
こうやって、ホラー映画のシェアは保たれているのかもしれない。そういえば、僕の周囲にホラー映画好きは一人もいない。が、近所のビデオ屋さんなんて小さい店なのにホラー映画コーナーがある。
見たい人がいないのに製作したい人はいて、そして、延々と製作され続ける。
きっと、そこがホラーなのだ。
一晩悩んだ末に見る決意をした「デッドマン・ソルジャース」という邦題に騙された「Horrors of th war」が原題のホラー映画。
仏壇にお線香を上げ、いや、うちには仏壇はないので、仏壇にお線香をあげたような気持ちになって、映画を見はじめた。
見る以上、生きて帰りたい。亡くなったご先祖様達に守ってもらうのだ。ホラーにはホラーで対抗するのだ。
レンタルビデオなので延々と続くCM。
早送りでCMを飛ばしていく。
そして、ようやく本編が始まる。
いや、これもCMか?
映画の冒頭、イメージ映像?、なにしろ最初はCMかと思ったほどの延々とこれから起こるシーンと思われる下りがあった。
このイメージ映像で、この映画が、戦地に現れる狼男とゾンビの映画だと言うことが、僕にでもすっかり理解できた。
これは、ホラー映画の常道とは異なる、きっと画期的なホラー映画なのかもしれない。
自らネタばらしをしたように見せかけて、ストーリーを進めるうちに、想定外の、そう、この映画なら番町皿屋敷か何かに兵士達が迷い込むのかもしれない。
油断禁物がホラー映画の鉄則だ。
で、ストーリーが展開していく。とくに理由もなく、とにかく狼男が登場。
さらに歳末バーゲン大売出しなのか、冒頭のイメージ映像すら無くとも心臓への負担は心配がない登場。
チラッチラッと姿を見せて、最後も、来るぞというタイミングで、ある意味とても良いタイミングで登場。とてもわかりやすい。
その後、まぁ、延々と上官との確執や故郷の恋人を思い出すシーンや、過去の悲惨な戦地の思い出など、戦争映画的な場面が延々と続く。いまさら戦争映画だと言われても、ただただこちらは困るだけだ。先祖にお祈りした手前、バツが悪い。
ストーリーも中盤を過ぎ、狼男との戦いで、運悪く狼男になった兵士を含む選抜チームが、ナチスの最終兵器のゾンビ兵の製造工場へ戦闘を仕掛ける。
そのゾンビも、弾を撃っても撃っても死なないのかと思いきや、頭に撃てば普通に死ぬ。
そんなほぼ決定的なヒントも映画前半の一人のゾンビに出くわした際に判明している。
もはや、想定外のシーンはなにもない。
どうだ、怖いもの無しだ。僕のご先祖様の出番は無い。
しかし、ここで気を抜いてはいけない。
ホラーとはそういうものだ。
13日の金曜日だったかなんて、エンドロールが始まってから、もう一回アレを見たら心肺停止間違いなしというドッキリが仕込まれていた。
そうやって、「来るぞ、きっと来る、そうだ、ここで油断させて来るぞ。」
と身構えていると、想像を遥に下回るチープさで、そのシーンはやってくる。
身構えて、「あぁ、死んでくれよぅ。でも、やっぱりしぶとく生き返ってしま、、、、わない。。。」
とても心臓にやさしいホラー映画なのだ。
いや、その戦闘シーンがやってくれば良い方で、3回に2回は、スルーして、全くのほほんとした場面に変わっていく。
やってきたとしても、ちゃんと、「はい、狼男の出番でーす。準備してくださーい。」だったり、「そのガサガサ音がする茂みからゾンビ登場しまーす。いきなり登場しないで~。チラ見してから登場してね~。」だったりで、観客にとても優しい演出が続く。
後半の最新ゾンビとの戦いも斬新だ。
なぜか、ゾンビは兵士を掴んでは投げる戦法に終始する。
掴んで投げる、2~3mほど兵士が投げ飛ばされる。
ちょうど、プロレスの感じ。裸でないだけ、さほど痛そうにも見えない。僕にも一回ぐらいは肋骨骨折ぐらいで耐えられそうだ。
そして、いつのまにか、その兵士の中にいる狼男が月夜でもない昼日中なのに狼男に変身して登場する。(変身シーンは無い)
その狼男とゾンビのバトルも取っ組み合いだ。
そんなこんなで戦いは人間が勝利(そりゃそうだ。最後の場面でのゾンビは一人しか登場しないのだから。)し、戦争映画っぽいエンドロールが流れる。
うーん。この映画は何だったのだろう。
通常、僕の場合は、つまらない映画だと眠くなる。
が、この映画は眠くはならない。
それは、ホラー映画に対する過度の(好みではないが)期待があったからだと思う。
万が一、ウトウトしている時にドッキリを仕掛けられたら目も当てられない。
もしかすると、「デッドマン・ソルジャース2」で、ウトウトさせてからの~、という壮大な戦略なのかもしれない。
あるいは、これがホラー映画業界の罠なのだ。
固定ファン以外にマーケットを広げるために、戦争映画ファンに狙いを定め、それとはわからないようにパッケージしてビデオを家庭に送り込む。
そう考えると、先日のセクシーホラー映画も納得だ。
単なるセクシービデオにしか見えないパッケージで客を釣り、ホラー映画を見せる。
こうやって、ホラー映画のシェアは保たれているのかもしれない。そういえば、僕の周囲にホラー映画好きは一人もいない。が、近所のビデオ屋さんなんて小さい店なのにホラー映画コーナーがある。
見たい人がいないのに製作したい人はいて、そして、延々と製作され続ける。
きっと、そこがホラーなのだ。
OC-HR100 まとめ(使い方)
検索キーワード「OC-HR100 使い方」でたどり着いた方。
いつの間にかamazonでも取り扱ってましたよ。
amazonの商品紹介の写真とカスタマーレビューをじっくり眺めてご検討されると良いと思います。
とりあえず、一年ほど前にやってきたOC-HR100君。
今まで特に問題なく使えています。
月曜日, 1月 10, 2011
デッドマン・ソルジャースを観た。(前編)
たまにだけど、戦争映画を観たいときがある。
人間の極限状態とか、人の弱さや残酷さ、無力さ、そして、そんな究極のネガティブな状況での仲間とのチームワークとか、何に惹かれているのか、こう書いていてもよく分からないけど、たまに見たくなるのだ。
で、昨日、戦争物何本か(近所のビデオ屋さんは相変わらず旧作50円だ)とセクシースパイ物一本を借りた。
その戦争物の一本が「デッドマン・ソルジャーズ」だ。
このビデオ、第二次世界大戦末期のドイツの秘密部隊と連合軍のフランスでの戦い、とあり、たまたま他に借りたヒトラー関連のビデオもあったので、何の気なしに借りたのだ。
家に持ち帰ると、いつものように、メディアプレーヤーで見るためにISOイメージでバックアップするのだけど、この時、映画ごとにフォルダーを作る。とりあえず洋画は原作のタイトルでフォルダー名をつける。
というわけで、この時もそうしようとしていた。
で、こういう時に、スペルに自信がないから、念のため確認することになる。
ググってみるわけ。
今回は、恥ずかしながら、ソルジャー、のスペルがどうにも自信がなくて確認することになった。
カタカナにすると"ジャ"なので、"j"が入るような気がして仕方なかったのだ。
ネットは残酷だ。
ググってみたら、スペルはすぐに判明したが、一緒に、チラチラと内容も垣間見える。
ネタバレとかそういう事ではなく、単に、amazonかなにかの売り文句が僕に決断を迫る。
その文句はこんな感じだ。
「迫りくるゾンビ達との戦いに・・・」
もう充分だ。
ホラー映画なんじゃん。
そして、そもそもカタカナの邦題が原題と違う事に気がついた。
邦題は「デッドマン・ソルジャース」なのに、原題は「Horrors of war」だ。
いや、原題が「Horrors of war」なのに、邦題は「デッドマン・ソルジャーズ」か。。。
なんなんだその邦題は。
しかもだ、そのビデオ屋さんは、ホラーコーナーもあるというのに、戦争映画のコーナーに置いてあったではないか。
借りる僕はむろん、ビデオ屋さんまで欺く邦題のネーミング、およびパッケージ。
それから、一晩、悩んだ。
見るべきか、見ざるべきか。
朝起きて、見ることに決めた。
==続く==
日曜日, 1月 09, 2011
循環三重苦
某参天製薬だかの発表で、"循環三重苦"という言葉を見かけた。
http://hitomi-sukoyaka.com/doc/report110105.pdf
この発表では、長時間パソコンで仕事する多くの女性が、血液循環を起因とする「肩こり」「眼精疲労」「冷え」の三症状に悩んでいる、これを、「循環三重苦」と呼ぶことにしたようだ。
最初、これを読んだ時、
「冷え」て「肩こり」になり、「眼精疲労」・・・話が循環しない、
「肩こり」になって「眼精疲労」・・・やっぱり繋がらない、
「眼精疲労」になって「肩こり」して「冷える」・・・
と、何故か、三つの症状が順序良く循環する様をイメージしようとしてできず、よくよく読んでみると、症状が循環するのではなく、血液循環による三症状だということがわかった。
で、「血行三重苦」とネーミングすればよいのに。何故、循環三重苦とネーミングしたのか考えてみた。
「血行三重苦」の場合、この言葉からイメージする対処は、「血行を良くしよう」となる。血行を良くするためのマッサージやストレッチ、あるいは肩こりなどの部位を温めるとか、そういう対処になる。
しかし、だ、「循環三重苦」とすれば、三重苦が注目され、しかも、循環する(という誤解)によって、循環しないように三つの症状それぞれを緩和しなければならないように受け止められがちだ。
事実、この発表でも、「それぞれの症状に対処が必要」としており、「パソコン仕事で疲れている貴方、それは循環三重苦なんですよ。そして、循環三重苦の一つ眼精疲労には目薬ですよ!」をアピールしているわけだ。
なかなか良く考えられた姑息なネーミングだなぁ、と思った。
そのネーミングを決めた会議に拍手。パチパチ。
※はみ出し
そもそも、「眼精疲労」が曖昧だ。Wikipediaの"眼精疲労"の項では、眼精疲労への対処として、マッサージや目を温めるなどが紹介されているが、なぜか、目薬の記述はない。ちなみに、パソコンのモニターを目線に対して下の方に置くのがまぶたを(目線に対して上の方にモニターがあるよりも)開かずに済むので披露は軽減されるのだそうだ。意外にもノートパソコンは眼精疲労の点では有利な面もあるということだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%BC%E7%B2%BE%E7%96%B2%E5%8A%B4
モニターに対する目線を下にできる作業用デスク
金曜日, 1月 07, 2011
スキンヘッド体験記
この年末、スキンヘッドを体験してみた。
いつもは3mmの坊主頭なので、3mmしか違わないのだが、体験してみると何ミリであっても0mmになるということは、無限の違いを感じられるものだった。
ちょっと言い過ぎた。大げさでした。が、思いの外、違いを感じられるものだった。
その違いや気づきを、書き残しておこうと思う。
●床屋さん的面倒な客の第一位
禿げてる訳でも、薄くなったわけでもない客のスキンヘッドは面倒
床屋さんでスキンヘッドを注文すると、まず、0.5mmの丸刈りにされました。これは電気バリカンでパパっと済みます。が、その後、カミソリで髪を剃るのですが、この剃る作業が髪の生えている面積分の手間がかかります。僕の場合は、一時間ほどかかりました。そして料金はいつもの丸刈り一回分と同じでした。
床屋さん曰く、「大抵はある程度禿げていたり、髪が薄くなったお客様がスキンヘッドにする場合が多いんですけどねぇ」とのこと。尚、この床屋さんが次回も同じ値段で対応するかどうかはわからない。
●三日坊主の語源
二日目まではスキンヘッドに見えていたのが三日目になると「坊主頭」に見えるようになります。髭と同じ理屈です。髪も毎日伸びてくるのです。
きっと、三日坊主の「坊主」とはお寺の住職を指していて、お寺の住職が頭髪の手入れ = 頭をカミソリで剃る、をサボると三日目にはわかったのでしょう。さぽったのがわかる、うっすら頭髪が生えてきた状態を指して「三日坊主」と言うようになったと勝手に解釈して実感してました。
ググッてみると、「一般の人が出家してみたものの、僧の修行に耐えられず俗世間に戻ってくる」事が三日坊主の語源だということです。しかし、実際には、俗世間に戻ってきた状態が頭を見れば一見してわかったからこそ慣用句にまでなったのでしょう。
僕の実感は当たらずとも遠からず、でした。
●摩擦係数最大
二日目の終りから五日目辺りまでは、頭の摩擦係数最大でした。
洋服の脱ぎ着の際にいちいち頭に洋服が引っかかります。天然のマジックテープです。
●意外に寒くいとは感じない
肌が露出して寒いかと思ったのですが、確かに、寒いことは寒いのですが、常にダイレクトに空気に当たっているせいか、僕の脳が活発に働いているせいか、理由はわかりませんが、ペタッと触ると意外に暖かく、本人的にも、そんなに寒かった気はしません。
冷たくなった手を頭にペタッとさせて温めるのは気持よかったです。
●意外に怖がられない
知人にとっては、普段坊主頭を見ていたせいか、ドラスティックな変化というより、「あれ、こんなんだったっけ」的な感じです。
●本人は意外に怖い
なにしろ、3mmとは言え覆っていた髪が無くなるというのは、どこかにぶつけたら大変、という恐怖はしっかりありました。ぼうしても怪我防止用帽子は手放せません。
●ポリポリ出来ない
「いやぁ、参ったなぁ」ポリポリ、と、後頭部や耳の上なんかを掻くと、この動作が髪があってこその動作だということに気が付きます。やってみるとポリポリとはならず、ナデナデみたいな感じで、どうにもポリポリ欲が満たされないのには参りました。ポリポリ。
●毛糸の帽子→○、野球帽→×
帽子というのは、それなりに頭にフィットしなければスッキリしません。が、スキンヘッドで野球帽を被ると、なんか、載っけている感が強く、しかも野球帽の生地というのは素肌に当たるにはゴワゴワ過ぎて不快です。
スキンヘッド用に優しい裏地の野球帽を開発して欲しいものです。
●眉毛は大事
頭髪も髭もキレイになった時、自分の顔が自分の顔であるのは、ギリギリ、眉毛で保たれているということに気が付きます。ちなみに、僕の場合は、まだ鼻毛は(耳毛も)大事ではありません。
●スキンヘッドを続けるために
電気シェーバーが必要だと思われます。が、ヤマダ電機で見た限りでは、丸刈り用の電気シェーバー(スキカル君的なやつ)も何種類もあり、髭剃り用の電気シェーバー(出勤時の迷惑なコマーシャル的なやつ)も何種類もあるにも関わらず、スキンヘッド用のものはありません。なので、髭剃り用の電気シェーバーを使うことになると思われます。
●またしてみたいかどうか
してみたい!
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