水曜日, 4月 01, 2009

ニュース!

あざーす!
ご報告です。
日中は写真しかupできませんでしたが、私、本日4月1日より、会社の交流事業の一環で、NPO琉球復興監視委員会の"うるまサテライトオフィス"勤務となりました。
早速、今朝からここ、うるま市一番の眺望を誇る、東恩納山山頂近く、緑の山腹の先には太平洋が光り輝く眺望のオフィスで、プロジェクトメンバーの仲間入りを果たしました。


このオフィス、新しい時代に相応しい職場環境が目玉の一つとなっています。
主なものから紹介していきますね。

①通勤費に対する考え方
 通勤・交通費は対環境貢献度によって支給。燃料代はマイナス支給。
 自動車通勤でかかる燃料費をマイナス100として、山の中腹にあるバス停を使ったバス通勤でマイナス25、徒歩/自転車がプラスマイナス0とされています。近くに住んでいないとやってられません。ちなみに、私の「電動アシスト付自転車」は、マイナス12とされています。
 また、オフィス隣接の駐車場は無く、車で出勤した場合は、山の中腹の駐車場に止めて20分ほど山道を歩いてオフィスに行きます。

②施設維持負担
 交通費と同様に、施設維持負担金が、給与から減額されます。
 施設には一応、電気が整備されていますが、この電気料金は勤務者の給与から100%回収されています。今はまだ涼しいのですが、夏場はどうなんだろうと、事前に聞いてはいたものの若干の不安があります。
 ちなみに、水道は公共水道ではなく、地下水を汲み上げています。が、水量は潤沢なわけではない事もあり、トイレはし尿を微生物に分解させる「バイオ式」です。使い方は特に違いは無いのですが、生ゴミと共に処理します。
 この処理に「おが屑」を使うのですが、去年からは、おが屑を購入せずに、自分たちでバイオ処理に可能な木の葉や木の枝を集めているようです。

③照明
 オフィスは、古いコンクリート作りの山小屋*を改築したものです。
 一応、室内に照明はありますが、はっきり言って暗いです。とても仕事をする気にならないレベルです。
 という事で、今朝は、小雨がぱらつく天気だったのですが、今は上がっているので、外のテーブルで仕事しています。まぁ、たまに虫が飛んで来たりしますが、負担金が少なく済むと思えばたいしたことでは無いですね。
*元々は、旧日本軍の監視塔などがあったのだそうです。戦後、軍用地整理のゴタゴタで権利主張の為に旧地主が建てたものの、住む事はなかったそうです。紆余曲折の後、今は米国管理の民間用地となったのだそうです。

④食事
 当然ながら、「社員食堂」なんてものはありません。コンビニも山を下りなければ無いので、全員がお弁当持参です。しかも、余計なゴミは持ち込み禁止のため、コンビニで買って持ってくるのも事実上不可能です。
 そんなわけで、みんなでおかずを交換し合うので、毎日、同じものを持って来ても、まぁOKです。
(ちなみに、毎日鳥のから揚げ入りチャンプルーを持ってくるグシケンさんは、あだ名が"からチャン"で、彼が持ってくるチャンプルーは"グシケン"と呼ばれています。真っ黒に日焼けした彼はとてもユニークな人で、私がここを知るきっかけになった人です。)

⑤仕事
 PMというよりも、当面は事務仕事中心になるのですが、いわゆる、上司とか期限とかは無い?みたいです。
 日米地位協定の継続で委員会が苦境に陥った一昨年辺りは、からチャンさんは自宅の家賃が払えなくなった為に、半年ほど、ここで暮らしていたそうです。
 私は、彼らがまとめてきた琉球ガバナンス再構築案の詳細化を仲間と共に担当していきます。まだ勉強中ですが、概要を読んだ限りでは、駐留する米軍と近海に迫る中国軍、台湾との軍事・政治バランスの緊張は、はるか昔の琉球時代における中国と日本との関係に似通っていて、政治的バランスの中で日本から半独立するような統治形態(道州制にも近い)の可能性※を探っています。
※後述

⑥給与
 ここまでで判ったかもしれませんが、給与は、直接利益分配方式とでも言うような、成果報酬型になっています。また、役職手当もありません。給与規定が無いのです。成果報酬話し合い分配型という感じです。(半年に1回、委員全員で配分割合を決めるのだそうです。)
 話には聞いていたのですが、今日、正式に着任して驚いたのは、委員会の銀行口座まで開示されています。銀行名は言えませんが、銀行側から見れば問題があるようにもおもえるのですが、着任している委員の全員が、ネットでこの口座の状況を確認できます。
 グシケンさんに「これって、振込みとかもできちゃいますよね」と確認したら、「便利だよねェ」と暢気な答えでした。

⑦勤務日、勤務時間
 カレンダーは世間一般の太陽暦と、琉球暦の二種類を使っています。
 オフィス(というか部屋)に貼ってあるカレンダー(両暦併記)に出勤予定日に名前を書くことになっています。今見ると、概ね月~金ぐらいは出勤しているようですが、週末にもパラパラと名前があります。お子さんがいらっしゃる方は概ね週末に休んでいるようです。また、出社時間/退社時間は必然的に涼しい時間帯に通勤する、、、のが定着しているようです。よって、勤務時間は冬は短く、夏は長くなるようです。とはいえ、これも適当のようですが。。。
 最初、ここのお話を聞いたときには、何度も聞き直してしまったんですが、最後まで明確な答えはありませんでした。お正月(琉球暦:旧正月)とシーミー(清明祭:春の墓参り)とお盆(琉球暦:旧盆)だけは休みというか来てはいけないのだそうです。あとは自分で考えろ、という事のようです。この社会?に馴染みながら考えていくしかないようです。

⑧仕事の様子
 さっきまで、着任の挨拶にも目を合わせてくれず、忙しそうに作業していたナカマさん。今は、庭?の隅で、ギターを弾いています。僕はといえば、具体的な作業の指示などは全くないので、とりあえず、何をどういう風に進めればよいのか、資料を見ながら考えるしかありません。着任前に数回丁寧に話を聞かされた「ビジョン」しか理解できていないのです。とはいえ、資料は割と整理されていて、全て見られる(委員の個人情報なんかもバリバリ書いてある)ようなので、当面はこの膨大な資料を読みながら、たまにお茶しながら進めればよいのかな。

⑨歓迎会?毎晩?
 初出勤の今日は、ささやかな歓迎会?のような感じなのか、特段、誰かが仕切る事もなく、夕方になったら一人、二人と泡盛を飲みだし、三線を弾いたりしつつ、かといって、パラパラと帰る人もいたり、そんなゆる~い感じで夕方から日がとっぷり暮れるまで過ごしました。

⑩帰宅
 月を見ながらお茶を沸かして酔いを醒まし、自転車通勤のヒガさんと一緒に帰りました。
 自転車で山を下るわけですが、途中、ヒガさんが、「今夜は月が明るいから、曲がりくねった山道よりも崖を真っ直ぐに降りていこう」、ということで、ヒガさんの後について草むらで覆われた崖を降りてみました。
 下り始めてすぐにヒガさんから「ハブに気をつけて」と言われたものの、何をどう気をつけるのかわかりません。ひたすら、衝撃に耐えながら、山を降りて行きます。酔っていなければできなかったかもしれません。
何故か崖の途中に「ハブに注意」という看板がありました。今思えば、誰の為の看板だったのでしょう???
そして、ホントにあっという間に下のバス停裏の藪に出たのでした。


琉球の独立についてはこちら
※はみ出し
ようやくベストなキーボードをみつけました。



ということで、4月1日(万愚節)はあっという間に過ぎ去ったのでした。
ではまた来年。

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