金曜日, 5月 08, 2009

リスペクトすると言う事

この10日間ぐらいの間、たまたま、アメリカの高校を舞台にした、実話を基にした映画(DVD)を二本観た。
いずれも、荒れた学校の話で、貧困や犯罪に塗れそうな生徒達を一教師が更正させていく話。

この二つのストーリーで共通するのが、「リスペクトする事」だった。
人は、知らない人に出会うと、ついつい、自分との関係において相手が上か下かとか、敵か味方かといった判断をしようとする。映画の舞台となる高校では、主役の米国版金八先生が登場するまで、他の教師達は、不良生徒達を、敵であり蔑んだ対象として「取り扱って」いる。

二つのストーリー、主役となる二人の教師に共通するのは、生徒達をリスペクトする事、それでもしょうも無い事件を起こし続ける生徒達をリスペクトし続ける事、そして生徒達をリスペクトする事に反対する同僚教師など周囲を同じ気持ちに巻き込み、時に共感できない人を排除し、生徒達を守り育てていく。

興味深かった事があった。
・リスペクトする事のリスク(行動に伴う価値観の表出)
 一本目に観た「フリーダムライターズ」の新任女性教師は、生徒達をリスペクトし続ける活動中に最愛の夫から離婚を告げられる。映画を観たときには離婚の理由がいまいちピンと来なかったが、彼女がリスペクトする事で更正に向かう生徒達を、夫は、最後までリスペクトできなかったんだと思う。不良生徒達への支援を否定こそしないが興味の対象外に留め置き続け、結果的に彼女の行動(単に夫婦の時間が取れないとかなのだが)を理解できずに別れを決意する。もし、彼が彼女と同じように生徒達をリスペクトしていたら、そうはならなかった。次に書くが、言葉だけのリスペクトは偽善になってしまう。
・単に感情としてリスペクトする事は「偽善」に捉えられる場合があると言う事。
 二本目に観た「ダンス!」の生徒達は、自分たちをリスペクトしてくれている教師の周囲にともすると自分たちを蔑む人達が存在する事を知り、教師を偽善者ではないかと疑う。教師のその後の真摯な行動で誤解は解けていくが、自分一人で正義を振りかざしていても、それは時に偽善となる。リスペクトなんて言うとカッコいいが、この言葉の脆さを感じた。

人はリスペクトされていないと感じた時、モチベーションを失い、正に性悪説を立証するかのような行動を取ってしまう。逆に言えば、リスペクトされていれば性善説に立った行動をするものなのだ。

生まれた時はみんなが天使。そんな事を考えずにはいられない映画でした。

※はみ出し
 サーバントリーダーシップでもリーダーはメンバーをリスペクトする、が基本だ。チームの変革は、今の状態を否定する事から始めるのが常識かもしれないが、本当の変革は、今の状態を肯定した上で、リスペクトする事でモチベーションのベクトルを変えてあげることなのだと思った。

0 件のコメント: