火曜日, 3月 23, 2010

男性トイレ考


気がつく度に、ちょっとだけ気になって、だからといって、落ち着いて考える程でもないこと。
そんな事の一つに男性のトイレ(小)の仕方がある。

まぁ、あれだけ機能的で、かつ、それなりに教育の行き届いた日本では、そんな、あの「小」の便器、「朝顔」の使い方に、そんなバラエティに富んだやり方があるわけではない。
でも、気がつく度に、ちょっとだけ気になる使い方があるのだ。

いや、使い方というのは正確ではない。
朝顔に対しての姿勢、それは人間になくなてはならない生理現象の場だけに、もしかしたら、人生に対する姿勢というべきものかもしれない。

その使い方というのは、「朝顔に向かうやいなや、ズボンのベルトを外し、ズボンがずり下がらない程度に足の開く角度を調節し、そうしておいて、あとは普通に用を足す」スタイルだ。
あ、その続きがあって、「用を足し終わると、ひとまず、大きく息を吐き、パンツの乱れを直し、シャツを丁寧に整え、そのシャツをきちんと押さえるようにしてズボンを持ち上げベルトをする」のだ。

僕の調査では、どうも、20人から30人に1人ぐらいの割合で世の中には存在しているようだ。

これはとても理にかなっている。
特に、サラリーマンにとってのワイシャツの裾がダラシなくたるんでいるのは、たしかに醜い。
それだけで、「あいつの仕事は、あのワイシャツと同じように、締まらないんだよな」とか言われていることこの上ない。

しかしだ、これが駅の公衆トイレなんかになると、滅多に見なくなる。
むしろ数的にはオフィスのトイレの数倍の規模で、しかも、サラリーマンばかりなのに、だ。

これはどういうことだ。
やはり、あの、朝顔に向かってズボンを微妙に下ろす教というのは、密教なのだ。
公衆トイレでは決してやってはいけないのか。

と、ここまで考えて、あぁ、「衛生面」への気遣いなのかな、と思った。
たしかに、私も家族を抱えていた時分には、洋式便器での(大小兼用、朝顔など無かった)男性の「小」については、飛沫拡散問題が勃発し、あえなく私などは「汝、家のトイレで立って用をすべからず」の御触れが下ったのだ。

あのズボン微妙に下げつつ貴族的優雅さとともに用を足す民族、は、何かしら衛生面に気を使っての対応なのかもしれない。
たしかに、齢四捨五入すれば50歳、中年から初老というこの時期、私なども、用を済ませたはずなのに後から居残り組がそぞろ下校してくるじゃん。おいおい、もう、校門ではなく社会の窓も完全に閉じたというのに、という状況でちょっとしたパニック。

まぁ、既に外見上は完璧に何事もなく用を足し終わったような人になってるわけだし、ズボン及びパンツ周辺については見えないからよしとするか、いずれ乾くし、的な事だってあるわけだ。
きっと、あの、その微妙な位置にズボンを止める技塾塾生達は、そんな、居残り組に焦るような粗相、まさに粗相はないのである。

やはり、仕事とは、粗相があってはならぬのであろう。
デスクの引き出しを開けた時の、引き出しの中の様子とパンツの中の様子は似ているのかもしれない。


という、そんな事を、いわゆる40肩で接骨院に行った夜に考えるのでした。
小倉は今日も雨。明日も雨らしい。雨もだいぶ居残っているらしい。


チャリ通勤シティ編っていうのをupしてみました。

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