火曜日, 4月 10, 2012

内向的な人、外交的な人

随分前にTED(Technology, Entertainment, Design)サイトで見たプレゼン。
最近、たまたまもう一度見る機会があって、これは「一生もんだな」と思えるようになったプレゼン。
多分、前に見たときは、翻訳テロップが無かったのかいい加減に聞いていたんだろう。字幕って素晴らしい。

このプレゼン、外交的な性質を指して「あの人はリーダーシップがある」という世間一般の評価によって失われるものが多いという話。
そもそも外交的か内向的かという話と、リーダーに相応しいかどうか、は、関係ないのだ。世間(僕も含めて)は誤解しているのだ。

ところが人は、昔ながらのリーダーっぽいリーダーに、押し付けがましいと思いながらも安心感を感じることもある。
また、そんなリーダーは「概ね失敗」という経験も、もう、嫌というほど味わっている。
特に近年は惨憺たる状況だ。

なのに、未だにリーダーっぽいリーダーに安心感を感じているのは、単に、「リーダーっぽくない優秀なリーダー」を見聞きする機会が失われているからだろう。
平和な時代が続き、国や地方組織や企業が安定的拡大を続けた結果、「リーダーっぽくないリーダー」が台頭できる余地は殆どなくなっているように見える。

特に日本では顕著だ。
"国"という単位で考えた場合、政治家や官僚機構は国のリーダーシップの象徴だ。
そして、リーダーに相応しい学歴はもちろん、華々しい経歴や家柄は申し分ない。

しかし、尊敬できない。
子供にオススメの現存する政治家はいないのが現実だ。
※立派な、とか、影響力がある、とか、心の尊敬とは別の次元ではあるだろうが。

そんな事を考えさせるプレゼンなのだ。
と、同時に、自分の生き方や、自分が外交的なのか、外交的に見えるように振舞っているのか、を考えさせるプレゼンなのだ。

そんな世の中の傾向や、それによって失われている社会全体の損失を、とっても優しい言葉で、丁寧に、心に響く言葉で語るプレゼンがこれ。↓



うーん、TEDで、こんな普通っぽい人がプレゼンするのがイイ!

奇跡のチームワークやイノベーションは、そこに関与するすべてのメンバー一人一人がリーダーシップを担って実現する、ということには異論がない。
が、旧来からのリーダーっぽいリーダー達が、旧来のリーダーっぽさでリーダーを担っている限り、奇跡の瞬間は訪れない。

改めてサーバントリーダーシップ、しか答えはないと確信。

外交的な人がリーダーに向かない、という話ではない。
外交的であれ、内向的であれ、リーダーは「どう振る舞えば良いのか」という話だ。
世の中が、この価値観の共有に向かっていると信じたい。

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