土曜日, 12月 27, 2008

初めてシリーズ 年賀状

念のために言っておくが、正確には初めてではない。
多分、15年ぶりぐらいだろう。
でも、初めてシリーズとしたのは、いずれ書いていた当時は「書かなくちゃ」で書いていた年賀状。
それが、「書きたいな」に変わって初めてだということで、そういう意味で初めてシリーズなのです。
(って誰に断る必要があるのかもわかんないけど。)


「書きたいな」の割に、ようやく、やっとのことで年賀状を書いた。

書いたとは言っても、地元の挿絵付き年賀状はがきに、先月、年賀状用にと近所のビーチを撮った写真を差し込んで、今年のトピックスを書いた内容を印刷。
あとは、宛先を一つ一つ書いて(以前だったら印刷したところ)、一言添えて、10数枚にそこそこ時間が掛かった。
(印刷した内容だって1時間かそこらは費やしているから、トータル、3時間程度ってことか)

以前は、宛先も何もかも「印刷」していた。
そして、年賀状を作る時、唯一その時だけがプリンターが活躍する時だった。


15年も年賀状を書いていないと、当たり前だが、年賀状をいただく事も少なくなる。
そもそも、住所まで知っている知人が本当に少ない。
また、不幸にして家庭崩壊なんて事をやってしまうと、そもそも住所録は、別れた妻が管理していたのもあって、だらしない僕には住所を調べることすら手に負えない作業。
いや、そんなのは大した問題じゃない。
メールなんかが普及して、野放図にギリを果たそうとすれば、もう、何百枚も出さなきゃならないアホナ状況に嫌気が差したのが15年前。
本当なら、そこで、自分なりに考えればよかったのに、考えずに、放棄したのだ。


出す相手をみんなどうやって選択するんだろう。
今年の僕の選択はこうだ。
●出す相手
・年賀状以外のコミュニケーションは皆無で、年賀状で音信を取り合わないと切れてしまいそうで、でも、切れちゃうのは嫌な相手。
←これは出しとくべきだな。
・何らかの犠牲(金銭、モノ、気持ち)を払ってまでのお世話になった人。
←これは必要。
・自分の大切な人(家族)がお世話になっていて、なかなか普段の生活ではコミュニケーションが無い人。
←年賀状っていう習慣を活用。
●無理して出さない相手
・日常的にやり取りや会ったりしている人で、お世話にはなっていても「犠牲」とかいうと恐縮してしまうレベルの人。
←ここ、微妙。でも、この周辺の人は住所を知らずに済んでいるっていう事も多い。
うーん、やはり、「お世話になった人」で「ガーっと増える」のを理由に出さないのが気がかり。
ま、この範疇は、普段の付き合いの深さを勘案して対応かな。
それ以外に、「出せない人」多数。住所わかんないとか、「どの面下げてめでたい日に連絡なんかよこしやがって」なーんてのも、あるにはあるわけで。。。。


そして、汚い字ながらも全ての宛先を書き終えたとき(たった10枚足らずにも関わらず)、なんかホッとしました。


それにしても、個人情報保護のお陰で、あまりに「お付き合い」的な年賀状が少なくなったのは良かったかな。(出さない人がそんな事を言えたもんじゃないが。。)
そんな中でも毎年送ってくれる旧友には、大変失礼なことをしたもんだと今更ながら反省。
面倒くさがりなので、「選択する」手間を考えた時に、「出さない」を選ぶという、本末転倒、フルーツは昆松な年末なのでした。

※はみ出し:
宛名を印刷していた頃はEXCELの住所録をWORDの差込印刷の機能を使ってやってました。
 でも、10数枚の年賀状なら、一枚一枚手書きでも充分(字は汚いけど。。。)で、そこまでやる気にならなかったな。

※※はみはみ出し:
パソコン(ワープロ)やプリンタが無かった時代、そういえば、年末も押し迫てきた時期に母が夜遅くまで年賀状を書いていた事を思い出す。
あの頃は、簡単な挿絵と「賀正」なんかが印刷された年賀状に、二~三行のメッセージを書いていたような。
一行書くのも、結構、考え考え書いてて遅々として進まないのに、昔の人は偉かった!(or くれ正月

※※※はみはみはみ出し:
宛名で困った(単に非常識、、、)のが、宛先受取人の年代によって、ご主人の名前だけにしてみたり、ご夫婦連名にしてみたり、"ご家族様"と添えてみたり、と微妙な使い分けで考え込んだ。

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