水曜日, 12月 17, 2008

Hello world.





ITカルチャーの話。たまには(IT)業界人っぽい話題を。

コンピュータ言語を学ぶ時に、一番最初に試すプログラムは、「Hello world.」と画面に表示させる事です。
と言い切れるほど普通はそうします。
という事は、IT系のヒトは何処の国の人に関わらず「Hello world.」を知っている事になります。
(海外のコンピュータープログラミング事情を知っているわけではないが、多分、そうだと思う。)
もちろん、英語を母国語としない日本では、うっかり「halou wahrudo」とか「konnichiwa.sekai.」などとする事もあるでしょう。
でも、やっぱり基本は「Hello world.」です。


コンピューターがどうしてもアルファベット入力を基本にしている事もあり、日本でコンピューターに触れてきた僕も、プログラミングの学習で「おっす、やっほー」みたいに表示する事はしませんでした。
(日本でコンピューターに触れてきた、、、って書くと、なんだか外国人になったような気分。)
「abcdefghijklmnopqrstuvwxyz」と機械的に表示させてもいいはずなのに、何故か「Hello world.」です。
そして、画面に「Hello world.」と表示された時に、何故か、ちょっとホッとしたりします。
特に、独学でプログラミングをやる時って、開発環境自体をわかっていないので、この「Hello world.」を表示させるまでに、後で考えるとしょうもない勘違いでなかなか出来なかったりするのです。
そんな苦労の末、画面に、「Hello world.」と表示された時は、やっぱり嬉しいものです。


何故、Hello worldなんでしょうかねぇ。ここで一曲。(深夜放送風に)
  



ちょっと視点を変えてみましょう。
朝起きて誰かに会った時に言う言葉は「おはよう」です。
言い方は「おはようございます」だったり、「おはよっす」だったりはするかもしれませんが、まぁ、「おはよう」の変形です。


おはようと声をかけ、笑顔でおはようと返ってくる、誰しもそんなイメージを共有しています。
だから、朝は「おはよう」が当たり前になっています。
もはや、疑問も意味も目的も考えずに自然に挨拶できているはずです。


「おはよう」に相手の返事がなければ、何かあったかな、とか、聞こえなかったな、とか考えます。
親しい仲で返事がなければ気になります。
そんな時は追いかけて肩でも叩いて、「おはよ。どうした。元気か」とか青春ドラマ長髪中村雅俊風に声をかけます。


さて、この挨拶を、正確に表現しようとしてみると結構面白い。
(面白いのは私だけかも知れません。その上、話はどんどん逸れていきます。)


例えば、「おはよう」の挨拶を、「発声による朝の体調確認交信」と表現してみます。

「おはよう」に対して相手から返事が無いと言う事は、この新しい表現によれば、
「発声による朝の体調確認交信」に相手は不同意だったわけで、体調に変調をきたしているか、単に体調確認をしたくなかったかと言う事になるわけです。
で、親しい仲だったら不同意を放置するのは新たな課題の表出を見逃すわけだから、若年に許される反社会的ファッションに身を包んだ80年代民放青春ドラマの主人公のように、やや大きめの声で、相手の体調を気遣う言葉を添えて「発声による朝の体調確認交信」を再度実施するものであったりなかったり、むにゃむにゃ。

もう一つ、知り合いの誰かに「おはよう」と声を掛けられたときに、
「それは、発声による朝の体調確認交信ですね。あなたの体調は良好のようですね。私の体調は良好です。」
と答えたらどうでしょう。
次の日から声は掛けられないでしょう。朝から滅入ります。っていうか、失礼を承知で最後まで聞かないでしょう。


このアホらしい無意味っぽい妄想をやってみてわかったのは、
「発声による朝の体調確認交信」と「おはよう」は違うと言う事です。(それだけかよっ!)
正確に表現できていない、という事です。

確かに、一見、「おはよう」の挨拶を正しく表現しているように思えました。(誰に言ってんだよ!)
普段忘れかけている事を意識できるような気もします。
馴れ合いになってる面もあるかなぁ、なんて、一人反省する事もできそうです。
確かに、こういう正確な言葉への言い換えは、法律や契約の限られた場面では必要な話です。
「曖昧さ」を排除する目的があるんでしょうね。(結局、そんな程度の納得かよ!)


正確でないのは何故でしょう。
実際には、「おはよう」に対する反応は「笑顔で会釈」だったり、「敬礼」だったり、その状況や人に合わせて、実は様々な反応が許されます。例外とはいえ、世の中には、数え切れない「おはよう」への反応があります。
「おはよう」は人間のための言葉なのです。


外国のホテルなどで、「morning」に「おはよう」と応えてもコミュニケーションは成り立つのです。人間だから。
次の日も「おはよう」「もーにん」と違う言語であっても挨拶する気になる事でしょう。
もしかすると、「もーにん」「oha-yo」と使う言葉が入れ違ったりして、なんだか嬉しいような得した気分の朝になるかもしれません。


話は戻って、「Hello world.」
人間はコンピューターに触れる最初の段階で人間のための言葉をコンピューターに言わせています。
コンピューターは人間のためにあるのだという意味がそこに込められている気がします。

ちなみに、コンピューターが牛の為にあるのなら、その時の言葉は、「モーモー」ですね。
アホらしい話を最後まで読んでいただいてありがとうございます。
(なんだそりゃ。いい加減にしなさい。ドモ、失礼しましたぁ。)


※はみ出し
「業界人」って変な言葉。例えば、学生も学生業界の業界人だし年金貰ってるお年寄りも年金受給者業界業界人だし、芸能・マスコミ関係だけを業界人と言っているうちは良かったけど、なんか「派手な業界」「話題になる業界」は業界人なんだろうか!?

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