火曜日, 12月 09, 2008

水玉の湯呑み、いいなぁ。


先日紹介した行動科学の本。
「管理」ではなく「リーダーシップ」に長けているなぁといつも感心させられる友人から、
「なんでこの本を読もうと思ったのか?」
と聞かれました。


うーん、思い出そうとしてもなかなか思い出せないので、多分、amazonをフラフラ見ていて引っかかったのだと思います。
(まるで答えになっていない。。)


マネジメント関連で、以前に気になっていたのは「デザイン」で、今回は、「行動科学」。(っていうらしい)
指示されてではなく「自然にやりたくなってしまう」状態はどうやったらできるかっていう事。
自分が細かく指示できないお作法的にダメ出しされる人間だし、お作法的に細かく指示されるとダメだから、つい、そういう状態が望ましいって思ってしまう。
あぁ、無作法な人間だったんだ。>自分。。。


今更だけど、「自然にやりたくなってしまう」鍵は二つあると思っています。
それは、「デザイン」と「モチベーション」。


誰かに夕飯を食べてもらいたいなら、
①デザインは、
食卓に温かい夕食が並んでいる。
床に並べても、食卓に冷たい食品がのっかっているのもダメ。
灯りに照らされた食卓で、今なら湯気が立ち上っているような感じで、主食やおかずが何点か並んでるのが夕食のデザイン。
「これは食べないわけにいかないでしょう」って感じにデザインするのが○。
②モチベーションは、
うーん、これは割りとシンプル。 お腹が空いてるのが一番。
そんな感じかな。


「お腹空いた~」に、「美味しそう」で食べるご飯、これが結果的に一番美味しいのです。
フグもウナギもステーキもアワビもフォアグラもキャビアも、
お腹が空いて堪らない時のカレーライスには勝てないのです。


そして、空腹度合いや体調に合わせて食卓がデザインされているのが重要。
腹ペコなのに、ゆっくりコース料理なんて待っていられない時もある。
でも、何か特別な日なのにラーメンライスも、ちょと寂しいなんて時もある。
お正月ならおこたでしょ、とか、デザインもモチベーションも定型である必要は無いのだ。


美しい精緻な報告書に拘ってしまってリアリティが無い「シャンシャン報告会」は、経験的には、ほぼ、何も産み出さない会議だと言い切れるよね。
集まる必要の無い会議。「どうせ、うまくいってんだろー」と、とは言いながらも信用してるかは微妙な会議。
美しいモノと使えるモノが必ずしも一致しないように、美しさに拘ると、管理を(表面上は)キッチリやるようになって、成果は無意味なものになりがち。

あるいは、勤務時間の精緻な管理は、管理者自らが自分の能力が欠如している事を表明しているようで、イタい。
そこに、信頼は存在しない。当然、信頼もされない。
そう、管理とは、管理者の責任逃れのためでもあるのだ。

そんな事を考えていて、見つけた本だったと思います。
でも、新品は高いので、古本をゲットしたんだけどね。
(最近、本は定価で買うのは避けたいんだなぁ。セコいんだなぁ。)



紺色の水玉の湯呑みは、決して陶器の世界で評価されている?とは思えないけど、使いやすいよね。
古典的/普遍的なデザインと人の指がしっくり収まる水玉の凹み=機能性がしっくり融合している。
きっと、格好はよくないのかもしれないけど、使う人に優しい気がします。
これは「かなり完成」された一品。(趣味の問題はあろうよ。でもいいじゃん。水玉。)
パーティには似合わないけど日常の多くのシチュエーションに耐えられる。
(万が一、割れてしまっても、また買えばいいって思えちゃうのも、とっても優しい。)

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