金曜日, 12月 12, 2008

初めてのライブ

初めてシリーズ。今回は初めてのライブ。
うーん、ライブ。コンサートや演劇やスポーツやいろいろ。

なんだろうと考えてみると、多分、幼稚園のお遊戯系ライブ、、、と、これは出演するほうだし、そもそも、幼稚園通ってないし。。。
(幼稚園は周りに溶け込めずに早々に辞めた。。。)

とすると、、、そう考えているうちに思い出した。
小学校、多分、一年生ぐらいの頃。
学校の体育館で演劇を観た。
内容も何も覚えちゃいないが、現実離れした衣装だったような気がするのと、やはり現実離れしたカツ舌の良い大きな声と、出演者の若者(男性)が長髪だったことを覚えている。

学校の授業で、そんなのを観る機会があったんだけど、今思えば、あれは、地方を巡業している旅芸人?の人たちだったのだろうか。そもそも、標準語を話しているだけで、カッコよく見えたし、西城秀樹(古っ)なんかを生で見る事は叶わない田舎の小学生にとって画期的な企画だったと思う。

多分、荒稼ぎしていったんだろうなぁ。
今もあるんだろうか。田舎の小学校を巡る旅劇団。


と、そういえば、地方ならではのライブ、もう一つ。
旅劇団がどちらかと言えば女の子が大騒ぎする企画だったとすれば、もう一つは男の子が大騒ぎするライブ。
それは、旅劇団から1年/2年ぐらいたってからだったと思う。

旅劇団を圧倒する企画。
今度やってくるのは、たった一人。しかも標準語なんて話さない。
でも、もう、村を挙げての歓迎をした(と、子供だけは信じていた)コカコーラ・ヨーヨー世界チャンピオンがこんな田舎にやってきてやるよ、企画。
当時の岩手辺りだと、もう、「外人」と「宇宙人」の差がほとんど無い感じだったので、やってくる噂は、瞬く間に学校中を駆け巡った。
(実際には一部の男の子だけだったのだろう。)

そもそも、コカコーラ・ヨーヨー世界チャンピオンが、どれだけ凄いのかはわかっちゃいないのに、コカコーラ・ヨーヨー世界大会なんてその瞬間まで一度も聞いたことも無いのに、子供としてはオリンピック金メダリストと何ら変わらない「凄い人」として、その日を首を長くして待っていたのだ。
そして、その噂が実現するまでの何ヶ月かの間、「世界チャンピオンが使っているヨーヨー」欲しさに、田舎の男の子達は左手を腰に、右手でビンを持ち、ゲップで涙目になりながらも、コカコーラを飲みまくっていたのだ。

ここでもやはり、見事にターゲット・マーケットの一員として、チャンスがあれば親にコカコーラをねだっていたのであった。
(キリンレモンならいいけどコーラはダメ、っていうのが我が家の炭酸飲料に対する姿勢だった)

待ちに待ったその日、確かに金髪の外人が来た。
片言の日本語、ちょっとは練習しなきゃできないヨーヨーの芸、コカコーラマークのトラック、、、、
滞在時間、多分、30分ほど、学校近くの空き地に止まったトラックの上で、金髪の大男が小さいヨーヨーを、そこそこ操る。

うーん、今思えば、これも完全に騙されていた。
ずーっと片言の日本語を話していた気がするし、金髪だけど目は黒かったし、さすがに納豆臭かったりはしなかったと思うが、うーん、なんてアコギなマーケティング活動なんだ。
大体、世界チャンピオンがトラックの助手席に乗ってきていたのはどうかしている。(あくまで僕の記憶です)
当然ながら、彼が去るのと時を同じくして、コーラへの異常な執着はどこかにいった。


※はみ出し
当時のコーラには「辛口」「甘口」があった。
ビンの底にある凹みの形が四角いと辛口、丸いと甘口、、、、だと信じていた。
ちなみに僕は「辛口」派だった。

0 件のコメント: