月曜日, 8月 24, 2009

今年の夏は終わった(全然まだ暑いけど)


●久しぶりの盛り上がり
もう20年振りぐらいだろうか。
今年の夏は、久しぶりに高校野球に熱中した。
そして、やはり20年振りぐらいで「今年の夏は終わった」と感じた。

理由は、郷里の岩手代表が勝ち進んだからだ。一回戦突破すらままならない岩手代表が、あわや決勝かというところまで勝ち進んだのだ。
自分でも面白いと思ったのは、第二のふるさと?横浜と対戦することが決まった時だ。

暮らした年数で考えれば、岩手よりも横浜の方が長い。
万が一対戦したら自分はどちらを応援するのか、というのは、僕にとって面白い仮定の質問だった。
でも、決まるまでは「どっちも応援する。」ぐらいの感覚でしかなかった。
僕はどうも仮定の設問にリアルに想像する事ができない。想像力が足りない。

●故郷への愛着
そして、対戦が決まった。
結局、こうなると、やっぱり勝って欲しいのは岩手、だった。
横浜よ、君たちは何度も甲子園を沸かせてきたじゃないか。今回は譲ってくれ。
そんな風に思った。

もちろん、毎年岩手代表が優勝に絡むような土地柄なら違う感覚だったかも知れない。
しかし、数十年振りとか、、、って、もうとにかく、昔見慣れた名字が並ぶチームに、俄然、頑張って欲しいと思った。
川村、佐藤、佐々木、吉田、、、一人だと普通の名字だが、こんなセットになると生まれ育った郷里を特徴付ける名字だ。

彼らのお陰で、本当にこの夏は楽しませて貰った。
10代の、子供の純真さと大人に負けないほどの体力と、微妙なバランスの年代の彼らでなければ起こし得ない奇跡。
自分がその年代だった時は全く気がつかなかったが、あの時代はホルモンバランスなのかなんなのか、不思議な力を持っているのは違いない。

●高校野球離れ
そして、勝ち負けは結果でしか無く、日々、積み重ねた努力が・・・・と、感傷的に考え始めた時、そんなきれい事なのか?と疑問が頭をよぎった。

20年ほど前、僕が、高校野球の興味を失っていった時期は、甲子園で公立学校が勝ち進むのは難しくなった時期だ。
全国規模で選手を集められる学校が、スター選手を産み、当然、勝ち進んだ時代。それが当たり前になった時代だと思う。

●高校野球とお金
多分、巨大化したチームを擁する学校が確実に上位に上がってきた。エースピッチャーなどは甲子園に来ても温存できるぐらいのチームだった。
そして、スター選手が、破格の契約金額でプロ野球に進んでいった時代。

選手だけではないだろう。有力選手を抱えるチーム、監督にだって、プロのお金がちらつくだろう。
大金が動くから、大人達は、簡単に目が眩んでしまう。

純粋に野球に没頭する大勢の選手達のすぐ隣で、目が眩んだ大人達も少なくなかったに違いない。

●傷ついた球児
こんな話をここ沖縄で近所のオジサンが「気の毒な子がいてね、、、」と話してくれた。

沖縄でも、少し前に、いわゆる「特待生問題」が問題になったのだそうだ。
全く高校野球に関心の無かった僕は「特待生問題」を知らなかった。
要は、全国規模で選手を集めるのはもとより、その地域の選手を集めることで、他校の戦力を落とすことができ、結果、「確実に県代表になれる」状態になるのだそうだ。

悲惨なのは、他校の戦力を貶めるために集められた特待生だ。
有力チームの有名監督に「君には特待生としてうちのチームに来て欲しい」と言われれば、夢を膨らませて、通学の困難とかも乗り越えて参加するに違いない。
大人の言葉の裏など読み取れない。

ところが、入部して、自分が際立った能力を買われたのではなく、むしろ、他校の戦力にならないようにするために呼ばれたのだ気がつく。塩漬けするために呼ばれだのだ。
頑張ればいい、と、周囲は簡単に言うかも知れない。
しかしどうだろう。同じポジションの選手が10人以上いるのだ。よほど目立つような力が無ければ、あとは、監督や先輩に気に入られるかどうかがレギュラー入りの鍵になる。

そうやって「来て欲しい」事が、実は「他校で実力を発揮して欲しくない」という意味だと、気がつくのだ。

僕が聞いた話では、その選手(そのオジサンの親類らしい)は、失望し、野球部を辞めたそうだ。
特待生では、転校もままならなかったようだ。
きっと、「特待生」という事でもてはやされた分、退部は、彼自身、相当傷ついただろう。
裏の事情を理解しない周囲にも傷つけられただろう。

傷ついた分、強い大人になっていて欲しいと思うが、出来ることなら、好きな野球で思う存分チャレンジして成長できるのが望ましいのは言うまでもない。
野球に限らず、10代の心と体の微妙な時期に、夢中になれるのは素晴らしいこと、は、疑いようもない。

●優先すべきもの
選挙真っ盛りの今、「未来を担う子供達の事を考える」事が大切だとよく聞く。
大人の都合の陰で、「野球が好き」という無垢な気持ちを裏切るような、ビジネスという名の金儲けを優先する大人達の価値観を、高校生の世界には持ち込まないで欲しい。

20数年前、高校生の僕に教師は言った。
志望する大学(私立)に、合格ラインに足りなければ、10点○○万円で買わなきゃならんぞ、と、当たり前のように言われた。そういう時代だった。
これが全てではないものの、その時に、大学入試なんてアホらしい、と感じた事をよく覚えている。チャレンジする価値など何も感じなくなった。
もちろん、軟弱な僕にとって努力を避ける言い訳にできた、という面もあったが、そうやって大人達が"新人類"をどんどん生産していった時代だった。


10代の多感な時期を、大人達がビジネスを理由に立ち入ってはいけない。
子供達は、勝手に新人類や宇宙人になるわけではない。今の社会が、大人達が彼らを創っているのだ。

などと、「大人の責任」をもう少し若い時に考えられれば良かったなと思う新人類なのでした。

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