木曜日, 8月 20, 2009

鍵束の行方

若手の同僚、Tさんの話。
一週間ほど前、彼は待ちに待った夏休みを迎え、張り切っていました。
大いに張り切った彼は、沖縄本島北部の、誰も知らない、とびきり美しい海に遊びに行きました。
張り切っていたので、車で2時間以上かかる行程を苦にせず、家から海パンを履いて遊びに行きました。

張り切っていたので、自宅やら車やら全ての鍵という鍵がセットになっている鍵束を海パンのポケットに入れて出かけました。
途中、自分の車を降り、同僚の車に同乗しました。この時、鍵束を取り出し、丁寧に自分の車の鍵を鍵束に加えました。
Tさんが愛車の鍵を見たのはこれが最後になりました。

再びポケットに鍵束を仕舞いました。
この時既に、Tさんの意識は、「海パンのポケット」ではなく「普段着の短パンのポケット」という意識に変わっていました。

海に着きました。張り切っていたので、着くなり海に入りました。
青い空、温かい海、透明の水、揺れる波、やっぱり海パンを履いてきて正解だったと思いました。

張り切って海に入りました。飛び込みました。
張り切って遊びました。はしゃいでいました。
見るもの全てが輝いていました。

夏休み、虫の声、水の音、入道雲、、、魚になった気分、、、
「もう、何もいらない。幸せ。」
海に漂いながら、そんな事を考えていました。

何もいらない、そんな幸せな気分の中、水の輝きに紛れて、鍵束が太陽の光を反射して輝きながら、静かに海底に沈んでいきました。


しばらくして、Tさんは、海パンのポケットにあるはずの違和感がないことに気がつきました。
ゴツゴツした鍵束の不快な感覚がないのです。

鍵束と共に海パンが脱げていたなら、海パンの浮力がその場所を示していたことでしょう。
確かにTさんは思いました。何もいらない、と。
だったら、海パンすらいらなかったのに、、、、

しかし、鍵束は海パンに別れを告げていました。
鍵束は思いました。今、海に潜らなければ、一生、鍵束は海に潜ることは無い。と。
いや、二度と海を見ることも無いかも知れません。

そして、鍵束の鍵達も、もう、鍵穴に突っ込まれる人生いや鍵生は嫌だという事で意見が一致しました。

Tさんは、何度も、何度も何度も、ポケットを探りました。
しかし、ポケットを探る手に触れるのは、海パンの薄い生地を通して触れる自身の肉体ばかりです。。。

次にTさんは、何度も、何度も何度も、海底をのぞき込みました。
しかし、海底は延々と海底なだけで、見渡しても見渡しても鍵束らしきモノは見つかりません。余りに広い範囲をはしゃいで動き回っていたのだから仕方ありません。

鍵束は海のモズク、もとい、藻屑となりました。
被害金額2万5千円。
でも、鍵達は今も温かい海の底で幸せに過ごしているのかも知れません。
鍵束の幸せ、プライスレス。

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