月曜日, 1月 19, 2009

教育に飽和点なし

沖縄ではひまわりが咲いています!

夕べ、某国営放送で「カンゴロンゴ」なる番組を見た。

ちょっとしたドラマを題材に漢語/論語を紹介する番組だっんだけど、そのドラマに見入ってしまった。

ドラマは「ブラック企業」というテーマでの話だった。
舞台はIT開発企業。小さいが、成長業界で、仕事には事欠かない会社だ。
とても頑張りやさんの課長率いる開発チームでの話。

社員教育を疎かにし、むしろ、長く勤務されると困るという社長の会社。
そして、ドラマに挟み込まれる形で、
・一樹百穫なるものは人なり
・教学相長ず
なーんて言葉が紹介されていた。


「教学相長ず」、企業活動の中での教育で、ちょっと面白い事に気がついた。

ネットを使った大学や、お茶の間留学(倒産)、などなど、非対面式の教育システムはごまんとある。
そして、企業の中でも、非対面式の教育が展開されている。
株価を気にしなければならない企業は、現場でチンタラ人から人へ教育なんてやってられないのだ。

そもそも企業に限らず教育は、
教えるだけの経験を積んだ人が、直接、学ぼうとする人に教える事だった。

それが、効率を旨とする企業では、非効率だと考えるようになった。
教えるだけの経験を積んだ人は、もっと、製品やサービスの為に専念させたい。(売り上げが上がったほうが良い。)
だったら、教育を専門にする部門を作って、教育を集約した。
これは、なかなかうまく機能した。
企業文化や人格形成など製品やサービスに限らず、企業人を育てるために必須の機能になっていった。
どこの企業にも、名物講師みたいなオジサンやオバサンがいたはずだ。

そして、e-businessの時代。
教育も例外ではなかった。
名物講師のノウハウをDVDやソフトウェアに収め、受講者は、いつでも、どこでも、何回でも受講できるようになった。

そんなこんなで、その上、1/3が派遣契約の労働者になって、その人たちに対しては企業は教育はしなくても済むようになった。

うーん、いい事ばかりだ。
スキの無いソリューションだ。
立派だ。教育はコストなのだ。


「教学相長ず」
誰かが学ぶとき、教える人も学んでいくのだという事。
ということは、OJTで現場で教育をしている時は、教えられるほうと教えるほうの両方に教育効果が発揮されていたという事だ。
1対1でOJTした場合、社員2名が成長するという事だ。しかも現場で。
10名のチームに新人を一人放り込む。
そうすると、新人一人が教育されるように見えるけど、実際は先輩10名全員に教育効果が現れるのだ。

言い換えれば、教育をDVDにやらせるという事は、最低の教育効果しか得られないという事だ。
また、一見、教育にコストをかけていない企業が、もし、現場で教育しているのだとしたら、高い教育効果を発揮しているのかもしれない。

もしかしたら社会が失ってはいけないものを、生産性、効率、そんなキーワードに踊らされて失っているのかもしれない。
受験戦争が「賢い社会人」を産み出さなかったように。

その一瞬の目に見えるコストの為に、失うものは巨大だ。

「一樹百穫なるものは人なり」
収穫できなくならないよう祈るばかりだ。

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