金曜日, 5月 27, 2011

都会のネズミ、田舎のネズミ


停電問題と退避問題が対照的な推移を辿っていると気がついた。
こんな感じだ。

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都会のネズミ、田舎のネズミ

困った困った、都会のネズミは停電で、困った困った。
最初にドカンと停電になったから、慌てふためき困った困った。
次の日から代わりばんこに停電になっても、イライラ困った困った。
代わりばんこはやめたけど夏のクーラーは使えないと言われ、はてさて困った困った。
病院や電車は大丈夫、でも15%は削減と言われ、ちょっと困った困った。

困った困った、田舎のネズミは退避で、困った困った。
最初は念のため3km以内だったから、ちょっと困った困った。
次は念のため10km以内だったから、はてさて困った困った。
その次は屋内だ外だ20km以内だとよく分からないから、イライラ困った困った。
更に遠く離れてるのにホットスポットだ、野菜も牛乳もお魚もダメいや基準変えたら良し、いやダメって、慌てふためき困った困った。

都会のネズミは「本当は電気は足りている」事を知りません。
田舎のネズミは「本当は逃げなくてもいい場所があることも、何十年も戻れない場所があることも」知りません。

都会のネズミと田舎のネズミは、困った困ったと言いながら、子供ネズミ達も仲良く一緒に、直ちに問題ない野菜と魚と肉を分けあって食べたのでした。

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これって、マネジメントのリーダーシップで言うところの、"本気度"が現れているのだと思う。
本気度が強い場合は、四の五の言わず、最初から厳しく望む。停電がそうだ。なんとしても停電はやるのだ。
一方、本気度が弱ければ、抵抗を避けたい気持ちが全面にでてしまうから、ギリギリまでヤンワリしてしまう。退避には及び腰なのだ。

その影に隠された意図はわからない。
が、とにかく停電は避けられないと思わせたかったし、退避は不要と思わせたかったのだけは、僕にでもわかる。

この本気度、責任感でもある。
なにしろ停電は本気度が高く、退避は本気度が低かったのだ。

この国が、結果的に何を優先しているのか、が読み取れるようで、いよいよ残念だ。がっかりだ。

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