水曜日, 10月 20, 2010

リアルの喪失、バーチャルな家族誕生


↑の画像は、Second Lifeサイトの売春婦のお姉さん。
詳細はこちら。
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愛読している「エンタープライズ0.2」シリーズで、いつもは、イタいトップマネジメントを紹介することが多いのだけど、今回は、リアル感を喪失していく一般の人々の話題だった。

僕がこのブログを初めて最初の頃、書いた内容を「あの人が読んだらどう思うか」とか「これは受けるか」とか「これは僕自身をデキる人に見させてくれるかどうか」とか、もうそんなしょうもない事ばかり無意識に考えてしまっていて、結局、ほとんど書き進められなかった。

次のステップは、あまり気にせずどんどん書こうという時期。沖縄に移り住んでからで、美しい島の風景、魅力的な人々、都会暮らし慣れした僕にとっての新鮮な出来事、そういう話題はとても紹介しやすく、更新の頻度も増えた。

そんな風に頻繁に書くようになると今度は、「どこまで書くのか」や「誰に向けて書くのか」、「何のために書くのか」を時折考えるようになった。
実際、わざわざそんな事を書かなくていいのに、という個人的な事を書いてしまって、クレームを寄せられるようなケースもあった。

実は、つい最近まで、何のためにブログを続けているのか、という疑問に答えられない自分がいた。だけど、最近辿り着いた答えは、
「たわいない事の備忘録」「個人的愚痴のはけ口」「何かしら応援したいことのPR」「暇つぶし」
ということ。

僕にとって本当に大切な時間、むしろ、その時間を大切に過ごすならなおさら、ブログやつぶやきは面倒なだけだ。写メも同じ。
大切な時間なのに没頭できないし、わざわざ公開するということは、心のどこかにある「人からどう見られるか」の意識は消えない。大切な時間を大切にせずに大切な時間と言って切り取って一部を公開する矛盾。

実際、そう気づき始めてから、言ってみればブログは「暇つぶし」に徹してからの方が、大切な時間はもちろん、ブログを書くことからも充実感を得られている。日常の些細な気づきをブログというツールを使って文章化する事は、意外に自分の頭の中を知るという面白さがある。
←ま、自己満足なんだけど不満はないし、思わぬ方面からのクレームといったものも、これといってない。


話を戻して、今回の「エンタープライズ0.2」
ちなみに、いまこの話題は、最近辿り着いた答え的には「何かしら応援したいことのPR」と「個人的愚痴のはけ口」に属する話題。
四六時中ピコピコ(昭和の表現だなぁ。。。今なら、四六時中ペタペタなのか?)するライフスタイルに対しての警鐘、特に子供がピコピコしている事に対する警鐘はPRしたいし、また、筆者と同じようなシチュエーションで他人事なのにイラっとした経験から愚痴もこぼしたい。

いくつかリンク先の0.2では事例が紹介されているんだけど、中でも、小さい子供を連れた夫婦がレストランで食事をしている事例に、言いようのない重い気持ちにさせられた。

そのレストランでの光景は、夫婦がまだ小さい子供にiPhoneを持たせ、ゲームをやらせ、子どもがゲームに飽きて親に話しかけてくると違うゲームをiPoneにセットし直してあげ、子供も目新しい画面になったのでまたiPhoneに集中し、そして、夫婦は二人共それぞれ携帯でメールを打って、三人とも沈黙のまま食事をしている、という光景だ。

家族を捨てた僕には、家族で食事している彼らを非難する資格などない。
ただ、こうして「(携帯やゲームで)感覚を外に向けたまま家族と過ごしている」事は、家族と一緒に過ごすリアルな感覚の多くを失わせ、家族を維持する力みたいなものを弱めている気がする。絆を感じる力を失わせているような気がする。僕の経験にも合致する。

どうせ一緒に過ごしてたってお互い携帯やスマートフォンで(お互いの知らない)誰かと繋がっているんだから、昔ほど家族が一緒の場所にいることに大して意味はないのかもしれない。

あと数年もすると、ハンドル名(今もそう呼ぶのか?)しか思い出せない、アバターは見ているけど本人の最近の写真は見ていない、住所はわからない、そんな形の家族が登場するのかもしれない。つぶやきを共有するだけで「友達」なら、常にネットで繋がり合っているなら家族でもおかしくはない。
こういう家族なら、離脱も簡単だし、複数の家族に所属することも可能だ。
今週はお父さん留守だから、隣のお父さんに来てもらいましたよ~とか。


※はみ出し
昔、まだネットがなくてパソコン通信だった時代。チャットにハマっていた時期があった。そのチャットもWindowsが普及してからは、二窓、三窓と複数の相手と同時にチャットしているのがごく当たり前になっていった。
言葉の重さがどんどん軽くなっていった時代はあの頃から今も続いている。言葉の量が言葉の軽さを補っているとすれば、言葉にも質量保存の法則が成り立つのかもしれない。

※※はみ出し2
北の国から"2002遺言"で、雪子さん(竹下景子)の息子(??)が一日中携帯(PHSと思われる)をピコピコやっていて、中畑の叔父さん(地井武男)に携帯を川に投げ捨てられる、というシーンがあった。ドラマを見ている僕ですら、この携帯息子にイライラして見ていたのだけど溜飲を下げるシーンだ。
今、おなじシチュエーションでiPhoneを投げ捨てる叔父さんがいたら、世の中はどのように受け止めるのだろう。。。

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