月曜日, 10月 20, 2008

サザエさん



毎週日曜日、夕飯を作りつつ、あるいは、早めの夕飯を食べながら、なんとなくサザエさんを観ている。
いや、見ているというか、視界に入っている、という感覚に近いかもしれない。
本命は、その後のカラクリTVなのだが、正になんとなくサザエさんをつけっ放しにしているのだ。
(連ドラも観ない僕にとって、唯一、確実に見ている番組なのかも!?)

昨日もそうだ。
昨日は、太平洋に鎮座する熱帯低気圧のお陰で、珍しく近所のポイントにしっかりした波が入っていた。

2ラウンドほど海に入ったせいもあり、ほどよい疲労感で、簡単に夕飯を済ませようとお弁当ともども準備しながら、視界の端でサザエさんを見ていた。

ブラウン管、もとい、液晶の中で相変わらずサザエさん一家は何十年も変わらない、幸せそうな生活を続けていた。地デジにも対応するのだろう。(既にしているのか。。)
この番組が始まった当時は、この絵が、世間一般の幸福であったはず。
それから年月を経て、核家族化が進行したり、バブルに踊ったり、バブルが弾けたり、援交や引きこもりなどが社会問題になったり、終身雇用が崩壊し格差社会と呼ばれる、今のこの時代にもサザエさん。

本当は、今の時代、今の社会に合った典型的な幸福の姿、があってしかるべきなのだが、、、サザエさんになってしまっている。
その30分前に放送しているのはまる子ちゃんで、やはり、昭和40年代辺りの話。


最初は、幸せの絵が描けなくなっているのかと考えたが、待てよ、自分の事はさておき、今、今日現在も、普遍的な幸福の形としてサザエさんは生き続けているし、親と同居していたりいなかったり、両親が揃っていたりいなかったり、兄弟がいたりいなかったり、様々な外見的な形の違いこそあれ、本質は変わらないのかもしれない。


じゃあ、サザエさんの幸福の本質はなんなのだろう。
・家族が健康であること
・多少の失敗や人間的な弱さはあるが、最終的には登場人物全員が倫理的であること
・親族のコミュニティが活きていること
・地域のコミュニティが活きていること
・あくまで日々の暮らしを楽しんでいること。(せいぜいピクニックぐらいが家族のイベントであること)

なんだ、普通のことじゃないか。。。。と、思える今の僕は幸せなのだろう。
この番組が視聴率を維持できるうちは、まだ、世の中、捨てたもんでは無いのかもしれない。

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