月曜日, 1月 16, 2012

女性の下着

最初に断っておくが、タイトルはこの後で、"今年の一本"候補レベルの映画の話をしたいからなのだ。
僕個人の趣味嗜好の話ではない。

とはいえ、男性は女性の下着が好きだ。
僕は、、、僕もやっぱり好きだ。
認めよう。
収集したりこそしていないが、なんだかんだ女性下着というのはドキドキしてしまうものだ。
あまり心臓にいいものではない。
少なくとも僕にとっては癒し系のグッズにはなりえない。

僕の名誉のために書き記しておくが、これは、僕自身が悪いのではなく、ホモサピエンスのオスのDNAの何らかの作用なのだから、社会的に問題ある行動を伴わない分には致し方ないのだ。
許して欲しい。誰に?かはわからんが、とにかく、そういうことだ。

ここからは一般論。
どんなふうに好きかは人それぞれだ。
それ専門の泥棒や、それ専門のオークションや、好みの下着を女性に着せたがる人も少なくないと聞くし、中にはそれ専門の自らが着用するマニアまでいる。
※こんな話を書いていると誤解されそうだが、あくまで一般論で僕の趣味嗜好ではない。

男性はそれほど女性の下着が好きなくせに、自分の好みの下着は妻や娘には着用させたくないとか、もう、支離滅裂な生き物だ。

男性はかようにDNAレベルで期待を裏切るレベルで低俗なのは致し方ないとして、一方の女性は、オシャレの一貫としての下着もありなんだろう。でなければ、この映画は成立しない。
そもそも、レースの下着というのは、いや、下着にかぎらず、レース編みというのは一般に女性の好みである。

男性向けにレースのブリーフは無いし、万万が一あったとしても、キモイ。
キモい上に、万万が一、いや億億が一、朝、目が覚めてトイレに行った時に、自分の股間を覆うものがレースだったとしたら、恥ずかしい事この上ない。
誰に知られるとか、そんなことは関係なく、人生の中で3本の指に入るレベルの恥ずかしさなのは間違いない。
※他に2つも恥ずかしい事があったのか、という詮索は遠慮願いたい。50年近く生きていればいろいろあるのだ。

っていうか、レースの下着にかぎらず、レースの帽子もレースのTシャツもレースのYシャツも普通は男性用は無い。
なーんて書いているうちに、レースのハンカチにまで邪なドキドキ感に陥りそうだ。

そもそも、ショッピングモールなどでズンズン女性の下着売り場に入っていく妻を、追いかけていいものか、入り口で待っているのが良いのか、その場から立ち去るべきなのか、そんな風に逡巡している事自体が恥ずかしいことなのだから普通にしていればいいのか、下着売り場の入り口に立つ男性の普通ってなんだ、とかとかとかとか、もう、今思い出しても恥ずかしいシチュエーションだ。

幸いなことかどうかは別に、今は、独り者なので、何らそのような困るシチュエーションは無いので安心だ。
むしろ、一年ほど前に休日のショッピングモールに独りで出かけたことがあったが、もはや、オヤジ独りでショッピングモールに行くこと自体が申し訳ないような気分がしたので、それっきり一人で行っていない。

話が脱線しすぎだ。
話を戻して、下着の話。いや、映画の話を書いておきたい。

かように男性は大好きな女性の下着を、一方でとても恥ずかしく、自分のことのように恥ずかしい自意識過剰なワケワカメな生き物なのだ。

という男性心理をも考えさせられた、"今年の一本"候補の映画の話。

それは、「マルタのやさしい刺繍」だ。


スイスの田舎に暮らす老女のお話。
ここのところ老人が主人公の映画を観る機会が多いのは、多分、映画関係のマーケティング戦略が、団塊の世代をターゲットにしているからなのだろう。

これはそんな老人主人公映画の中でも秀でた映画だ。

丸田さんちのおばあちゃんの話だ。
そして沖縄の県庁所在地は那覇市だ。←ハナシだ と ナハシだ を掛けてみました。

ストーリーはこんな感じ。
スイスの片田舎、隣近所みーんな知り合いのこの村で、雑貨屋を営む丸田さんのおばあちゃん(面倒だから漢字で良いだろう)。
近所に世帯を構える外面は堅物の息子は、村で唯一の協会の牧師をしている。

そんな丸田さんちのおばあちゃんが夫を亡くしてからのお話。

最愛の夫を失って、一年もたとうというのに喪服を着続ける丸田おばあちゃん。
ずいぶん長いこと打ちひしがれていた丸田おばあちゃんだが、荷物を整理している最中に、若かりし頃に自分が作ったレースの下着を見つける。
そう、おばあちゃんは若い時分、レース職人だったのだ。

若い時にはパリでランジェリーショップを持ちたい、そんな夢も、結婚という幸せと交換で諦め、代わりに思い出として大切に仕舞っておいたレースのランジェリー。

そのランジェリーを見て、当時の夢、情熱が再び沸き上がってくる。
交換条件の結婚も、夫が一方的に先立ってしまったわけだし。

そんなこんなで、友達の後押しにも助けられながら、雑貨屋を畳み、村で唯一のランジェリーショップを開店する。
スーパーすら無いような小さな村で、それはそれは大変な騒ぎになった。

過激でも何でもない、ごく上品な手作りレースのランジェリーショップにもかかわらず村は大変な騒ぎになる。
女たちは遠巻きに眺め、男たちは露骨に下衆な視線を浴びせる。
気が狂ったと息子は嘆き、土地の有力者は露骨に排斥しようとする。
まるで風俗店でもできたような騒ぎ。

そんな騒ぎで、訪れる客も無く、店は立ちいかなくなり、諦めようとするのだが、、、
そこから老人たちのチームワーク、なにより丸田おばあちゃんの夢に対する強い意思で、ついに村にイノベーションが・・・

っていうような話。

このお婆ちゃん、その友達のお婆ちゃんたちが可愛い。ほんとうに可愛い。
脇役のおじいちゃんたちも、カナリ可愛い。
見ているうちに、まるで中学生が親の反対を押し切って、大人顔負けの仕事を成し遂げる、そんな感じすら覚える。

一方、変化に対して強硬に抵抗するのが、「大人たち」だ。
ちょうど僕と同じ年代、50絡みのオジサンたちだ。
そうなると、その妻達も、表立ってはオジサン達に従う。
オジサン相手に抵抗するのは面倒臭いのだ。その上、息も臭かったりするのだ。

もう本当にオジサン、オヤジ達というのは、どうしようもない。
オヤジ達はオヤジ同士では破廉恥な事も大好きだと認め合っているくせに、おばあちゃんが堂々とランジェリーショップを始めることには強硬に反対する。
酒飲みで、スケベで、低俗で、そのくせ偉ぶりたがって、、、もう見ていて嫌になる。

「おばあちゃんの為に」と言っては子供じみた手段も辞さないオヤジたち。
老年に差し掛かった中年男というのは、外見も中身も酷いものだ。
見ていて自己嫌悪に陥るほどだ。

しかし、僕の周りを見ても、、、まぁ、否定できない。
(ここでは僕自身に関しては否定も肯定もしないでおこう。)

でも、おばあちゃんは凄い。
そんな抵抗にも屈せず、明るく、時に凛として、夢を実現していく。

ストーリーにも書いたけど、そんな年寄りたちのチームワークが、村にいくつかのイノベーションをもたらす。
コンサルタント垂涎の事例になりそうな、新たなビジネスモデルも誕生する。
ドラッカー的にも「アリ」なストーリーなんだよなぁ。

家で一人で見ているのに、「がんばれー」「いいぞー」「オヤジ引っ込めー」「やっほー」などと声が出てしまう、とても温かい気持ちになれる映画でした。

※ハミ出し
 残念ながら今年の一本は逃したけど、「木洩れ日の家」も可愛いおばあちゃんが主役の映画。モノクロ映画。
 おばあちゃんも可愛いけど、同居する犬も可愛い。そしてやっぱり、オヤジは醜い。
 今年はおばあちゃん・おじいちゃん映画から目が離せません。

0 件のコメント: