月曜日, 1月 23, 2012

電子教科書を阻むもの、は多分もう無い

相変わらず電子教科書周辺は騒がしい。
正確には、「電子教科書周辺のお金の匂いに企業が騒がしい」。

次の段階は、「電子教科書周辺の子供の親たちが騒がしい」に進むようだ。
さすが企業のやることは抜かりがない。
戦略的に電子教科書採択への最短距離を着実に進んでいるようだ。

教科書屋さんやiPad屋さん達が「電子教科書にしましょう」では胡散臭さを感じる人もいるのだ。
でも、親たちに言わせれば学校は否応なく採用する。子ども自身は何も知らずに大人に従うのみだ。
親たちに言わせてしまえば、業者は「そうですかぁ。致し方ありません、お売りしましょう。」となる。

親たちに言わせるにはどうするか、こんなニュースがあった。

「電子教科書のほうが教科書より学習効果が高い」

アメリカの教科書出版会社とiPadのAppleが共同で調査し発表したようだ。
そんな結果しか出ないに決まっている。
ここで報じられている「電子教科書」とは、モノは電子教科書だけど中身は「教科向けゲーム」だったのだから。

そして、これからは日本でも同じような調査発表が続くだろう。
これは効果的な戦略だ。「学習効果が高い」と言われて反対する親はそうそういないだろう。

学習効果があろうがなかろうが「漫画で学ぶナントカ」シリーズは教科書にならなかった。
漫画を教科書にしている国があるとは聞かないから、多分、世界共通の常識は、「漫画は教科書にしない」だったのだろう。

これまでの日本の常識は、集団の学習と個々人の遊びには何らかの境界を設けるものだった。
姿勢を正して学ぶ、スタイルだ。

一方、先ほどのニュースにある電子教科書とはゲームだ。
多分、一人でそのゲームに取り組んでも学習効果のある内容なのだろう。
教室で集まってやる必要はそれほど感じられない。

電子書籍もネットも空気のように存在する中で育った子供たちが何を失っていくのか、僕にはよくわからない。
ただ、それが空気のように当たり前に存在するようになると、そんなものは大切にしなくなる、ってうのが人間という事は言える。

ということは、電子教科書がなければ勉強ができない、となる気がしてならない。
同様に、ゲーム化された電子教科書がなければ教えられない、という教師も増えるだろう。

もちろん、専用のゲーム化された教材がなくても学んでいく子供もいるだろう。
だが、全体としてはどうなんだろう。平均としてはどうなんだろう。
つまらなそうな教科に興味を持ち学ぶ能力、という能力は幻想なんだろうか。

なんだかジジ臭くなったな。
でも、そういう事が気になるのだから仕方がない。
結果、充分なテストも何もなしに、わずか数年で子供たちの学ぶ場に導入されるのだろう。
原発よりはリスクが少ない、とでも言うのだろうか。。。

そういう時代だ、といえばそれまでだけど。
あちこちで、「未来の子供たちのために」とか、言わなきゃいいのに。
期待しちゃうじゃん。

※ハミ出し
子供時代を思い返して感じる紙の本の良さ
・情報量や内容に応じて質感が変わること。小説の内容を忘れても量だけ覚えていたりする。
・年月の経過で質感が変わること。兄弟が読んだ、従兄弟から貰った、、、ボロほど価値がある気がする。
・原始的な表現となるため想像力が鍛えられること。ゲームは解くことに夢中になりがち。ビジュアル付きだし。
・物理的な傷(折る、破る、追記する)をつけられること。モノ全体として自分のオリジナルのものになる。
・人にそのまま譲り渡せること。←これがビジネス的著作権的には面白くない
・その本が読まれ年月を経た質感は、その本固有の質感となりコピー出来ない。読んだお気に入りの本を大切な人に譲る、とか、それは本屋さんで買い替えることとは全く意味が違う。
・本の質感自体がその人にとってかけがえの無い大切な記憶となること。本に触れたときに読んだ時の感覚を思い出すとか、あるよね。教科書の表紙のテリテリ具合やザラザラ具合なんて今も覚えている。

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