火曜日, 9月 28, 2010

我が家のGNU/Linuxその後


環境的にはサボっていて何も変わっていないが、Dynabook AZのLinux化は素晴らしい技術者(しかも日本人)のお陰で僕は何も出来ないのに進んでいる。感謝。
その意味するところの半分も理解出来ないのだけど、彼のAZNyanへの試行錯誤を連ドラを観るようなワクワクドキドキ感で読んでいる。
http://www.funclang.net/cruel/
気になるのは、メーカー(東芝)に対する彼のソースコード要求は、未だ回答がないらしいということ。期待しています→東芝さん。

そんな中、今日から、LinuxCon JAPANという催しがあり、この催しに合わせたインタビュー記事が大変興味深かった。Linuxコミュニティに参加する日本のSE達のインタビュー記事だ。
ストールマンの理念が、コミュニティの現場ではどんなふうに浸透しているのか、が、よくわかる記事でした。
僕にはプログラマは向いていない、と思っているものの、モノを作る、事に携わっている彼らの言葉は、とても楽しそうで、読んでいる僕までそんな気分にさせられました。こんな方々にも感謝。
http://www.atmarkit.co.jp/news/201009/24/linuxcon.html


最近読んでいるリーダーシップ学の本に書いてあったリーダーシップの考え方によれば、Linuxコミュニティというのはこんな風に言える。
常に変化し続け、固定化された役職や具体的な報酬という手段がない組織、その中で有効なリーダーシップは「統御系」(統制=管理型ではない人間性によるリーダーシップ)になる。報酬や地位などによるリーダーシップ発揮は出来ないのだから当然だ。

上記のインタビュー記事には、コミュニティ内での意思決定についても記述があり、「・・学」的には、数種類の意思決定パターン*を、ごくごく自然に使い分けられている様子が見て取れる。
*リーダー単独で意思決定/メンバーの意思確認の上でのリーダーが意思決定/メンバーが意思決定/リーダーに委任を受けた誰かが意思決定。。など。


組織論?的にも、この手のコミュニティは、要注目だ。凄い。面白い。

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