木曜日, 9月 09, 2010
倫理的なライセンスのソフトウェア
先日amazonへのリンクを貼った、
を、読み終えた。
そもそも、この本を読もうと思ったのは、最近、今更ながらハマッているGNU/Linux(←この表記もこの本を読んで学んだ。Linuxはカーネル単体しか意味しない)が、何千人ものボランティアが中心となったコミュニティで作られた、、、という事実に単純に「すげーマジ!?」と感じた。
多少なりともIT業界で生業を得て、コードを書くこと自体へのモチベーションも判らないではなかったけど、やっぱり、実際にインストールして使い始めると、一層「すげーマジ!?」だったし、「なんでそんな事ができちゃうの!?」と、ますます興味が増して「本を読んでみるかライン」を越えたからだ。
結論は、著者のストールマンは自らが体験した「反倫理的なソフトウェアライセンスへの憤り事件」をきっかけに、「自分が憤らせる側にならないためにはどうすればいいのか」「自分が倫理的に生きるためにどうしたらよいか」「倫理的なソフトウェアはどうあるべきか」を考え、試行錯誤を重ね、たどり着いた(まだこれからも歩み続けるだろうが)先にあったのが、GNU/Linuxをも創り出すコミュニティだったということがわかった。
コミュニティの力を誇示したかったのでも、自分のプログラミングスキルを誇示したかったのでも、ましてや名声を得てFortune500に名を連ねたかったのでもなく、純粋に人が社会の中で自然に倫理的に暮らすために自分ができること、を考えて実行していったことだったのだとわかった。
善を元にした行動がここまで広がる(しかも悪の帝国(笑)在住で!)のは、未来に希望を持てなくなるような社会状況にあって、微かだが広がるかもしれない光のように感じられた。
彼の言う「自由なソフトウェア」を僕なりに理解し言葉にすると、「倫理的なライセンスのソフトウェア」となる。※ソフトウェアが実装する機能が倫理的かどうかという意味ではない。あくまでライセンス内容の話。
この考え方では、世の中のソフトウェアには、「倫理的なライセンスのソフトウェア」「倫理的でも反倫理的でもないライセンスのソフトウェア」「反倫理的なソフトウェア」の三種類に分けられる。
・倫理的なライセンスのソフトウェア(自由なソフトウェア)
ユーザーが必要であれば中身を確認できる。(プログラムソースが公開されている)
ユーザーがコピーを頒布できる。(隣人と共有できる)
ユーザーがプログラムを改変できる。(自分に使いやすく改変できる。不具合を自分で修正できる。)
改変したユーザーは改変したプログラムソースを公開する義務を負う。(プログラムを私的所有できない)
・倫理的でも反倫理的でもないライセンスのソフトウェア(オープンソース)
プログラムソースは公開しているが、第三者に対しプログラムを改変しても公開を義務付けていない。
(反社会的なソフトウェアに一方的に利用される可能性が高い。)
・反倫理的なソフトウェア
実行モジュールだけ提供されるプログラム。(裏で何をしてもわからない。検証できない。)
と、こう分類しちゃうと「世の中ほとんど反倫理的じゃん」「随分偏った考え方だな」と、最初は思った。また、有償かタダかは、問題ではないことにも驚いた。
最初は思った、ということは、この本を読み終えたときにはそうは思わなくなったということだ。
むしろ、反倫理的なライセンスのソフトウェアが蔓延し、それほど遠くない将来に、現在の僕たちが常識と考えている自由が無くなる可能性を実感するようになった。
この危機感を端的に説明するのは難しいんだけど、彼の本にあった、料理のレシピを例にこの反社会的なライセンスを説明してみよう。
レシピは、料理そのものではない。が、料理を作るために必要な情報だ。
(プログラムソースはプログラムそのものではない、が、プログラムを作るために必要な情報だ。)
Aさんの作るある料理がとても美味しかった。隣人のBさんにお裾分けするととても喜んだ。
(Aさんのあるプログラムはとても良い機能を実現していた。隣人のBさんにその画面を見せるととても喜んだ。)
Aさんはお裾分けと一緒にそのレシピをBさんにあげた。
(AさんはそのプログラムとプログラムソースをBさんにコピーしてあげた。)
Bさんはその料理をもう一工夫してさらに美味しい料理にした。
(Bさんはそのプログラムソースを改変してさらに良い機能を追加した。)
X村のケース
Bさんは一工夫した料理の新しいレシピをAさんにお返しした。
(Bさんは改変したプログラムソースをAさんにお返しした。)
Z村のケース
Bさんは一工夫した料理の新しいレシピは公開しなかった。
(Bさんは改変したプログラムソースを公開しなかった。)
===時を経たX村とZ村。===
最終的に料理が美味しい村はどちらになるだろうか。
一方で、やたら料理の看板が目立つ村はどちらになるだろうか。
実はBさんは村一番の実力者(or独裁者)で自分のレシピで作った料理を村の名物料理にしたかった。レシピを公開しないBさんはどんな行動をとる?
ストールマンは、レシピの私有化/所有を何もせずに放置していくと、いずれ料理の自由は無くなる、という事を言っている。
名物料理を独占したいBさんは、過去に公開されてしまったAさんのレシピはどうにもできないが、Aさんが新しいレシピを公開するのは我慢ならないのだ。
Bさんは独占が唯一最大の目的で、村の名物料理がレシピの公開によって発展していくことなど害悪としか感じていない。
Bさんは、「私のレシピが盗まれた」といちゃもんを付け、「みんなのレシピを守らなければならない」とレシピを金庫に仕舞うように触れ回り、「守られたレシピ以外の料理を作るのは村の掟にそむく」などという新しいルールを制定し、村人たちが料理そのものに嫌気がさしたころに「全ての料理から関連するレシピ使用料を徴収します。」と独占を完成させようとしていく。
そんな悪夢に対する防波堤の一つが、GPL(GNU Program Lisence)だ。
GPLライセンスは、GPLライセンスされたプログラムを改変したプログラムもまたGPLライセンスとしてソースを公開しなくてはならない、という、ライセンス法規を逆手に取ったライセンスだ。
他人のレシピを参考にしたのなら、そのレシピも公開しなければならない、というライセンスだ。
村の掟は「隣人を助けよ」なのだ。
そして、その習慣が根づいているうちは、たまにBさんが吠えようとも、美味しい料理にありつける。
そんなわけで調べてみたら、Debian GNU/Linuxなら、すべてのモジュールがGPLになっているらしい。
Ubuntuから乗り換えてみよう。
きっと、ちょっとずつ使い勝手が悪い部分はあるだろうけど、ま、使って慣れてしまえば大したことはない。だろう。
Ubuntuで、多少は、昔のコマンド使いの感覚も思い出したし。
ストールマンについて(Wikipedia)
ストールマンの伝記和訳。彼の信条に従い自由なライセンスとして公開されている。
ストールマンの考え方、人柄、がよく現れていて読みやすくて割と最近のインタビュー記事。
彼の考え方が端的に示されている「コピーレフト(ライトではない)」の説明@Wikipedia
青空文庫で公開されている「自由か著作権か」
火曜日, 9月 07, 2010
プラプライエタリな貸出履歴情報は嫌だ。レンタルビデオ屋さん
↑ただいま私が御執心の方のお唄。笑
マイブームである。プロプライエタリ。覚えられない単語だから、もう、プロプラ・・言えたり言えなかったりなのだ。
毎日毎日、食前食後に唱えるしか無い。
『今日もご飯が美味しいのは、プロプライエタリのお蔭です。』
だいたい、資産を意味するプロパティの形容詞がプライエタリって言われても、なんで、そんな風に覚えにくく変化するのか、納得できない。
さて、小倉に越してから週末ともなると近所のレンタルビデオ(いや、今はレンタルDVD屋さんか。。。)屋さんでDVDを借りる事が度々あった。
その、小さなビデオ屋さんは旧作が常に100円ということもあり、歩いても行けるし、電車で会社に行ったときは駅の階段を降りてすぐだし、言うことなしのお気に入りだったのだ。
たしかに、お気に入りだったのだ。
が、今、お気に入りでなくなろうとしている。
その理由は、そのビデオ屋さんのカウンターに貼られた新たなルールだ。
新たなルール
「お客様から、確認の申し出がない場合、過去の貸出と重複しているかは、お知らせいたしません」
だ。(おおむね、そんな意味の文章)
初めてそのルールが貼り出されたことに気がついたとき、「?」とは思ったが大して気に留めていなかった。しかし、だ、つい先日、何本か借りて家に帰ってから、その張り紙の大きな意味に気がついた。
見始めて気がついた。そう、重複していたのだ。。。
たかだか100円なのかもしれない。
また、貸ビデオ屋さんとしても、薄利のビジネスで、重複をお知らせするほど余裕がないのかもしれない。
でも、なんか損したというより、とても嫌な気分だった。
だって、貸し出す際に会員証をピッとやって、貸し出すDVDをピッとレジに登録した際に気がついているはずなのだ。
意地悪をされたような、いや、もうお互い子供じゃないから、一種の攻撃を受けたような感覚。
、、、と、当初は思った。
いやしかし待てよ、もしかすると、これは個人情報保護かなんかの措置を言葉足らずで実施しているのかもしれない。
amazonなんかは、(確認しようがないので少なくとも表向きは)購入履歴、検索履歴なんかを自分で確認して編集できるようになっている。でも、街の小さなレンタルビデオ屋さんでそこまでしてもらおうなどと、ハナから期待していないし、出来たとしても面倒なだけだ。
だから、近所の顔を知ったレンタルビデオ屋さんでは、毎回、奥のカーテンに閉ざされたエリアに踏み込まないし(たまに間違ったようなふりをして入り込むこともあるが、、汗)、個人情報なんか気にせずに重複貸出を知らせて欲しいのだ。
そりゃあ、たまたまサスペンス物で意味深なタイトルのDVDを返しに行った時に、アルバイトの若い女子がカウンターにいたりすると、妙に汗ばんだりしたりもする場合もあるけど(←同時に、カーテンの奥のDVDじゃなくて良かったと胸をなで下ろす)、重複ぐらい黙ってても教えて欲しいものだ。
今度借りに行ったら、そこんとこ、真実はなんなのか聞いてみよう。
恥ずかしいタイトルの時は小声で、「既に借りてますよ」と一言付け加えてもらえるように。
金曜日, 9月 03, 2010
読み物×2点
最近、気がついてみると家の中にLinuxシステムが増えている。
・携帯カーナビ
→Linuxベースで動いている。Linuxのライセンス(OSI)に従い派生したプログラムソースは公開されているのでこれが確認できる。http://www.sony.net/Products/Linux/Audio/NV-XYZ88.html
・メディアプレーヤーボックス
→ベースというか、もう、そのもの。普通にtelnetでログインできるし。
・Android
→DynabookAZ。Androidも悪くないけど、普通にLinuxに載せ替えられれば。。。
・PC
→数年前のThinkPadは、Ubuntuマシンとして復活。以前のLinuxディストリビューションと違って、最近は、パフォーマンスだけでなく使いやすさの面でもMS-Windowsを超えた感じ。
最近は、USB-HDDにUbuntuを入れて、会社のPCでも使ってます。
そんな最近、気に入った読み物二点。
1.伽藍とバザール
http://cruel.org/freeware/cathedral.html
カテゴリとしてはプログラム開発の論文、ということになるんだけど、実は、ネットでの新しい知的創造活動の可能性(例えば、行政だったらネット上のボランティア達が官僚達よりも優れた政策を作るとか)を示唆した読み物として面白いです。元気が出る論文。
2.SCOとIBMの訴訟に関するOSIのポジション・ペーパー
http://www.opensource.jp/sco/sco-vs-ibm.html
SCOという会社がUNIXについて所有権を主張し、IBMに対し訴えを起こした。
これについて、オープンソース推進の立場からOSIという団体が作成したSCOに対する反論。
結果的に、UNIXの生い立ちや系譜、企業とオープンソースの関わり、などがコンパクトに纏まっていてわかりやすい内容。
よくよく考えていくと、そもそも、社会における「所有すること」の意味なんかも考えさせられる良書(良文?)です。
最後にOpen Source Initiative(OSI)が定義するオープンソースライセンスの要件。読めば読むほど、よく出来た、素晴らしい考え方です。結果も付いてきているのが何よりも素晴らしい!
1.自由な再頒布ができること
2.ソースコードを入手できること
3.派生物が存在でき、派生物に同じライセンスを適用できること
4.差分情報の配布を認める場合には、同一性の保持を要求してもかまわない
5.個人やグループを差別しないこと
6.適用領域に基づいた差別をしないこと
7.再配布において追加ライセンスを必要としないこと
8.特定製品に依存しないこと
9.同じ媒体で配布される他のソフトウェアを制限しないこと
10.技術的な中立を保っていること
※この訴えは既に棄却の方向とのニュースがありました。
http://slashdot.jp/linux/article.pl?sid=10/06/14/0814236
詳細(wikipediaへのリンク)
水曜日, 9月 01, 2010
「混乱を来しているプロジェクト」に必要なこと。
↑本文に全く関係ありません。。。ただ、すごい!
そんな事を考えて(考えているからと言って私が担当してるプロジェクトではないかもしれません。汗)見つけたサイト。
漠然と考えていたことがとても良くまとまっていました。
【マネジメント過剰、リーダーシップ不足】
http://people.weblogs.jp/ppf/2010/04/style16.html
特に気に入った点は、
●階層別のマネジメント特性について
・トップマネジメントにはリーダーシップしか期待できません
←全くもってその通り。普通、財務部門出身の上司の下で仕事したいとは思いません。
・ミドルマネジャーのマネジメントとリーダーシップのバランスで組織はどうにでも変わる。
←筆者は「実感」しているそうです。私は経験不足からか「組織はどうにでも変わる」実感まではありませんが、リーダーシップだけのミドルマネージャーのもとでは、とても心配になって変わるどころではない、、、という経験を振り返ってみたりするとその通りだと思います。
・ジュニアマネジメントには、自身が率いるチームに対するリーダーシップは期待できますが、組織全体にはマネジメントしか期待できません。
←「期待できません」まで言うのは哀しいけど、組織全体を考えれば、確かにその通りです。また、マネジメントだけのミドルマネージャーの下で強引にリーダーシップを発揮すれば、自らが出る杭として打たれるならまだしも、チーム全体も存在危機に晒されることでしょう。
こう整理すると、実際にW/Lやコストを削減するのは現場なのだから当たり前だということと、実際は、その組織のプロセスがマネジメントしていくという事にも気がつきます。社長が(お金を直接)マネジメントするわけではないのです。
ちなみに、分かっているつもりでも直ぐにゴッチャにしてしまうので改めて整理。
●マネジメントとリーダーシップの違い
・マネジメント:管理する事。人員配置、予算管理、スケジュール管理。課題管理。
先のサイトでは「コントロールと問題解決」だと。
・リーダーシップ:導くこと。ビジョン/目的の共有。指針やシナリオを示す。
同じく先のサイトでは「動機づけと啓発」。なるほど。
というわけで、「混乱をきたしているプロジェクト」に必要なことの答え。
「混乱を来さない体制(マネジメント)」を作ること。
往々にして、責任論の末、担当者もPMもマネジメントも次々交代し、最後に行き着くのがそこなんじゃないかな。と。
先日観た「The Wave」の衝撃もあって、ついでに、独裁とリーダーシップを考えてみて一つ気がついた。
独裁とリーダーシップの決定的な違いは、配下の一人一人の成長や変化を停止させる事。だ。なるほど。
言い換えれば、部下が育たない上司はリーダーシップを発揮していない、ということだ。これまた、なるほど。
リーダーシップ論?の講義ノートのようなページ。
http://www6.ocn.ne.jp/~tetugaku/page33.htm
火曜日, 8月 24, 2010
The wave(ドイツ映画)
長年の疑問、疑問というより、考えても仕方がないと諦めていたことの一つに、いくら何でも天皇陛下万歳と戦争に突入していった日本の社会の空気、というのがあった。
生まれてからこのかた、一度だって、そんな風に社会が変わるなんて想像したことがない。
想像しても理解を超えた話、感覚でしかない。
理解できない諦めと同時に「まぁ、昔の話だから」とか「当時は貧しかったから」とか適当に、納得したつもりで考えを停止していた。
今夜、その長年の疑問は晴れた。
2008年のドイツ映画「The Wave」を観たのだ。
実話を元にしたこの映画、一週間、学校の実習での実習。テーマは独裁。
独裁に欠かせない事柄をクラスの授業の中で一つ一つ実験として体験していく。
教師を「○○様」と呼ぶ。ここから独裁の一歩が始まる。
許可なく発言はしてはならない。発言は起立して行う。
最初こそ戸惑い嫌悪すら感じている現代の若者たち。
しかし、"団結"の実験のあたりから雲行きは変っていく。
団結そのものがもたらす高揚感、集団にとって自分が大切な存在だというリアルな感覚、、、
ちょっとした快感から制服や仲間内でしか通用しない挨拶、そんな些細なことを積み重ねながら、まさに「独裁」が完成する。
実話が元になっているだけあって、その積み重ねの過程は至極自然な流れだ。
観終わってもなお、信じられないのだけど、確かに、現代の西側社会で、しかも若者相手に独裁は完成した。
わずか一週間で悲劇的な結末(まだ小規模とはいえ、ナチスや大日本帝國を思い起こさずにいられない結末)を迎えるその過程は、私たちの今のこの社会が、いとも簡単に後戻りできることを納得させられる。
「いやいや、それは無いでしょ」と、ツッコミを入れたかったのに、無残にもその期待は打ち砕かれた。
なんだったら、明日にも、自分が独裁者にすらなれそうな、そんな気持ち悪い感覚すら覚える映画でした。
感動をもたらす良い映画、というより、人間社会は脆いと実感するための教育映画、です。
選挙には真面目に行きましょう。
金曜日, 8月 20, 2010
私の運命も、私の魂も、私自身がコントロールする
私の運命も、私の魂も、私自身がコントロールする
今年の映画で一番のメッセージでした。
映画「インビクタス」でのマンデラさんの言葉
敢えて"私自身がコントロールする"と言うからには、"私自身以外の何かがコントロールする"場合が少なくないわけだ。
映画中で描かれていたケースでは、
・看守たちが上司(組織)にコントロールされているケース
があった。
組織や上司は、表面的には、「行動」をコントロールするもので、決して、「魂」や「運命」をコントロールするものではないのだけど、人間というものは「(反復)行動=習慣」によって、魂を失い、望まない運命に囚われていく生き物なのだろう。
この映画では、正に、「アパルトヘイト政策」に、白人側はもとより、迫害されている黒人までもが、慣れ・麻痺に陥り、個々人の魂も運命も失いかけている様子が描かれている。
他に魂をコントロールするものに何があるだろう。。。
・お金
・社会的地位や名誉
・周囲からの賞賛
・依存しているモノやヒト
・・・
そういえば、アーミッシュ(自動車や電気などを使わず家族や近隣との関係を大切にする昔ながらの生活を送る人々)達の幸福度とForbes400(言わずと知れた世界のお金持ちランキング、資産1000億円以上)の人たちの幸福度は同じレベルなのだそうだ。1000億円の資産を築いたところで、そんなもん(アーミッシュの人達には失礼な言い方だけど)な上に、魂をコントロールしようとする雑多なものに囲まれた生活での魂のコントロールが困難なことは想像に難くない。
自分が自分の魂をコントロールしていくとき、いつか自分に訪れる死の恐怖からも逃れられるのかもしれない。死こそ万人全てに課せられた運命なのだから。
オススメです。「インビクタス」。
クリント・イーストウッド監督作品。←「グラン・トリノ」も良かった。
木曜日, 8月 05, 2010
木曜日, 7月 29, 2010
月曜日, 7月 26, 2010
木曜日, 7月 22, 2010
ブラックプロジェクト
愛読しているコラム"エンタープライズ0.2 - 進化を邪魔する社長たち -"に、「ブラック会社」がどのようにして成立するのか、がとても上手く書き表されていて、ちょっとした感動を味わった。
ここで言うブラック会社とは、労働基準法が適用されない会社のこと。
残業が常態化しているものの、裁量勤務を盾に(ちゃんと仕事をしようとしている人にとって)過酷な労働状況が改善されないので、失踪社員を生み続ける会社のこと。
この話でとても興味深かったのが以下。
・基本的に「とても自由な社風」の会社であること。
・社長に悪気はない、むしろ、「アメリカンドリームを体現した会社」と自負していること。
・定着している社員は「オタク」。定着した彼らは快適な職場だと感じている。
「割り当てられた作業を適度なタイミングで仕上げる」事さえ出来れば、後は、「いくらでも自由にネットサーフィンしていられる」からだ。
そして、彼らの基本的に人付き合い不要のライフスタイルは、「用がなければ会社にいる」事で、むしろ評価される。
ワンマン社長の経営方針とオタク社員の微妙なバランス感覚によって会社が維持されているのだ。
同じことがプロジェクトにも言えると思った。
WBS(工程管理表)を更新することだけが仕事だと思っているPM。
PMの理解できる範囲でしか成果を出さないメンバー、結果、「期限だけが守られる品質最低のプロジェクト」が完成する。
ブラックプロジェクトの出来上がりだ。
ところが、この手のブラックプロジェクトは、会社からすれば良い評価を得られることが少なくない。
現場の顧客からすれば「二度と頼まない」と思っているわけだけれど、会社から見れば、「何も問題が無かった(露見しなかった)プロジェクト」となるのだ。
そうして、ブラックプロジェクトを数回経験したブラックPMは、複数プロジェクトを束ねるPMとなることで、ますます品質責任は下位のPMに押し付けられる立場となり、WBS更新人間となっていくのだ。この手のプロジェクトでは、WBSの更新に加え、下位PMやメンバーの更新(交代)も頻繁となっていく。
この手のプロジェクトでは「できる人=問題を露見させない人」になりがちなのも興味深いのでした。
水曜日, 7月 21, 2010
USBパーソナル電子レンジ
同僚との雑談で、「あったらいいな」と思ったもの。
で、ググってみたら、ありました。
あのハインツが開発中らしいです。本気度は不明。。。
現実化するとすれば、一・二度使える程度の電気を蓄えておいて、一気にチンするぐらいの感じなのかな。上述のハインツ製もそんな風な事らしい。
でも、実は「あったらいいな」は、「なくてもいいや」と背中合わせの関係。
幸せ指数というものがあるとすれば、「あったらいいな」を考えているうちが幸せ指数MAXで、所有してからは右肩下がりに下がっていって、「なくてもいいや」で幸せ指数は最低になるのかもしれない。
家のエアコンが壊れているのだけど留守勝ちの大家さんと留守勝ちの自分のすれ違い同士で、なかなか伝えられないでいる。
扇風機で凌いでいるんだけど、この暑さの中、なんだかんだと過ごしている。
最初は「なんで壊れてるんだ~」という感じで不幸のどん底だったのに、慣れてきたせいか、「あったらいいな」という感じに近づいている。
バカなのか幸せなのかよくわからないけど、まぁ、そんな事だ。
少なくとも今の私には、扇風機が「なくてもいいや」とは思えない。扇風機様様である。
金曜日, 7月 16, 2010
元祖「プロセスを大切にする」思い出しました。
システム運用系でいまだにITILは流行っていると言ってもいいのだろう。
なんだかんだ、まだまだIT業界は、裾野が広がっていき続けている過程にある。
フォードが自動車を普及させ始め、今や、車関連のサービス業が数えきれないぐらいあるように、まだまだITサービスの裾野はとどまることを知らないのだ。
そんな中で、食品や医療と違って、さほど人の生き死ににかかわらずにこれたために見過ごされてきた、「品質確保」に関してのガイドになっていくのだろう。
このITILに取り組むと、どこもかしこも、上流も下流も全てITILに則したプロセスを策定し、そのプロセスに則った運営が求められる。
徹底的に属人化を排除して、属人により担保されていた品質をプロセスに担わせ、属人的業務によるリスクを低減していくことになる。
ポジティブに言えば「一部の人に偏った負担を軽減」、意地悪く言えば、「人を信じない」ということだ。
まぁ、金儲け中心の考え方では避けて通れない道で、奴隷制度が無くなって製造業のジプシー化が進んだように、ITILは、良かれ悪しかれITサービスの構造改革を進めていくことになるのだ。
と、ITILについて言いたかったのではなかった。
こんな流れの中でよく言われる「プロセスを大切にする」は、ちょっと前まで使われてきた「プロセスを大切にする」とは全く異なる意味で使われていることに気がついた。
●元祖「プロセスを大切にする」
「結果はもちろんだけど、その結果を生み出す為にした努力や苦労、それこそが大切」みたいな意味で使われる。この場合、大切にしているものは、そのプロセスに携わっている『人』である。
"日本人はプロセスを大切にする気持ちが強いから・・・"こんな時にはこの意味で使われている。プロセス=経験、って感じ。
●新「プロセスを大切にする」
「誰がやっても同じようにできる、予め決められた手順が大切」みたいな意味で使われる。この場合、大切にしているのは『手順』である。
"プロセスを蔑ろにするから失敗するんだ・・・"こんな時にはこの意味で使われている。プロセス=手順、って感じ。
おなじ、「プロセスを大切にする」という言い回しが、片や『人』を中心に語られ、片や『人』的なものをむしろ排除して語られる。
カタカナの言葉が否応なく反乱するどころか、職場では英語が公用語となる会社が話題になる近頃、プロセス(手順)を大切にしている筈の様々な機関が「想定できない」不祥事や事件で世間を騒がし、昔ながらのプロセス(経験)を大切にしてきた組織ではそんな事件はなかなか起きない、ような気がするのは自分だけなのだろうか。
プロセス(手順)は、それに携わる人によって、精緻なサービス製造マシンにも、ガタのきたおんぼろマシンにも変化する。所詮、プロセス(手順)は書き物でしかなく、いわば人の動きの設計図だ。
なんら意味を感じられない出来の悪い設計図の場合、設計図通りに人を動かそうとすれば、人は油を切らした歯車のように軋み、回転しなくなっていく。
今、業界をあげて、そんな経験を積んでいるのがITサービス業界なのだな、と思った。
(クラウドやITILやバーサタイリスト、とか新機軸がまだまだまだまだ出てくることでしょう。)
木曜日, 7月 15, 2010
嬉しい新発売
意義深さは個人的なものでしかないと思いつつ、でもこれは、と思ったGOPAN。
米粉ではなく普段使っているお米からパンが出来るのだ。
パン焼き器なんて、ずいぶん前からあって、そういえば、20年も前、当時の我が家にもあったのだけど、結局、使わなくなった。
常備している材料で良いというのは、だいぶ、利用頻度が上がるだろう。
なんだかんだ云っても、結局、日本ではお米がデファクトスタンダードで、豊作も不作も「米」が中心に語られるのだ。
新製品に踊らされることがないようにしようなんて、ちょっと思ったりしていたのだけど、中でも「食」に関する新製品だと、もうわけなく踊りまくってしまうのでありました。
発売は10月のようなので、もうしばらく、購入まで落ち着いて考えられるのが救いです。
(IT系新製品と違って、予約殺到ということもなさそうなのが良い。)
ご飯をといで、セットして、四時間後にはパンができるのだそうだ。
どうせなら、そのまま、ご飯も炊けちゃえばいいのに。←こーゆー要望が、また、新たな(必要はない)製品を産み出すのか。。。
水曜日, 7月 14, 2010
火曜日, 7月 13, 2010
インクカートリッジ交換不要プリンタ
エプソンがカートリッジ交換不要プリンタ投入で目論む新たな世界
いや、正確には「数年分のインクを内蔵したプリンタ」。
で、当面は、インクがなくなったら本体を送り返してインクを詰めてもらうのだという。
数年間に渡るカートリッジの交換やリサイクル、そんな手間・無駄が無い。
CO2排出量比較で96%減。
要するに、プリンタを安く売ってカートリッジ代金で設ける「髭剃り替刃ビジネスモデル」からの脱却を睨んでのテスト販売という位置づけらしい。
ECOを考えれば考えるほど、「売らないを売る」は時代の要請になり得る話だ。
「売らないを売る」時は、最初の一品を売った人だけが儲かることになる。
もう、本当は(数が足りて)必要ないのに、あとからあとから売り続けているものだらけの世の中。
「売らないを売る」に手をつけないと企業も生き残れないのかもしれない。
もっと素直に、昔からゲリラ的に存在する「詰換え用インク」(←カートリッジではなくインクのみ)を売ればいいのに。
木曜日, 7月 08, 2010
水曜日, 7月 07, 2010
月曜日, 7月 05, 2010
お見事とお粗末
お見事
何にもしていないようなのに、ココゾという時に見事な判断を下し、その判断による成功や失敗回避を担当者の成果としてアピールするリーダー
お粗末
とても忙しいようで、ココゾという場面からは遠ざかり見事に自分だけは回避、当然成功はしないものの自分がいなかったら更に状況は悪化したと自らをアピールするリーダー
教訓
・忙しい様子を見せない(暇そうに現場をウロツイタリしている)
・ココゾを見逃さない(現場の変化を肌で感じられる)
・普段から深く広くたくさん考えている(Think)
・評価アピールは直接の担当者に(それがリーダーを中心にしたチームを創る)
・お見事:お粗末:普通 = 1:4:5ぐらいかな。普通なら優秀。
何にもしていないようなのに、ココゾという時に見事な判断を下し、その判断による成功や失敗回避を担当者の成果としてアピールするリーダー
お粗末
とても忙しいようで、ココゾという場面からは遠ざかり見事に自分だけは回避、当然成功はしないものの自分がいなかったら更に状況は悪化したと自らをアピールするリーダー
教訓
・忙しい様子を見せない(暇そうに現場をウロツイタリしている)
・ココゾを見逃さない(現場の変化を肌で感じられる)
・普段から深く広くたくさん考えている(Think)
・評価アピールは直接の担当者に(それがリーダーを中心にしたチームを創る)
・お見事:お粗末:普通 = 1:4:5ぐらいかな。普通なら優秀。
日曜日, 7月 04, 2010
水曜日, 6月 30, 2010
火曜日, 6月 29, 2010
秀逸なレビュー記事
年がら年中、新しいPCがどうしただの、新しい携帯がどうだの、そんな記事を読んでいる。
週末分を含めて一日平均1.5本ぐらいの記事を読んでいるだろうか。年間で500本近く!?
(本人は、多少なりとも仕事に関連すると思い込んではいるものの、まぁ、趣味なのか仕事なのかは追求すまい。。。)
で、その手の記事は、当然ながら、機能的な書き方というか、要するに、興味は「モノ」そのものにあるわけで、書き手の趣味やましてや家族構成等に話が及ぶことはまず無い。
そう考えてみると、もうずいぶん昔になるが、"スタパ齋藤"の物欲系書き物は、書き手の"熱さ"を全面に押し出した稀有のレビュー記事だったわけだ。
そんな稀有の記事に出会った。
http://plusd.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1004/23/news028.html
それは発売間もないiPadを70才を超える書き手の両親に使ってもらって様子を見よう、というレビューだ。
これはとても面白かった。
まず、書き手のスタンスが良い。
高齢の両親の率直な反応を素直に受け入れている。
この手のデバイス好きにとって、どうしても、身内の反応には厳しくなりがちだ。
これが相手が女の子なら懇切丁寧に教えるのだろうが、身内だと、ついついイライラしたり。。。
「だから、そこはダブルクリックなの」
「いやいや、右クリックしてからじゃないとできないの」
「出来ないことは出来ないの。そのうち対応するから、もう少し待って」
だの、相変わらず混沌としている業界の状況を知っているからこそなのか、そんな反応をしがちではないか。
日常的にそういうデバイスを使っている感覚で、もはや、「普通の」感覚が理解出来なくなっているのだ。
しかし、この書き手はとても柔軟だ。
そしてこの書き手のご両親も、とても柔軟で、iPadで出来る事と彼らがしたいことへのギャップが、スムーズに浮き彫りになる。
いや、書き手が引き出したというべきか。
そんなお父さんの反応はすこぶる素敵だ。
「朝日新聞は読めないのか」に続き、朝日新聞のWebサイトを見せると、
「これは違う」と。
そりゃそうだ。あんな風に左手で持って右手でページをめくるなら、新聞そのものが表示されるのが自然だ。
(なぜだか、その声が、私の頭の中ではソフトバンクのお父さん犬になっていた。)
そんなふうに、このレビューは、現状のiPadの良い点、悪い点を、ごくごく自然に表現することに成功している。
今から買おうとするなら、このレビューを一読するのはとても良いと思う。
オススメです。
※"書き手"は、鈴木淳也さん/ITmedia
週末分を含めて一日平均1.5本ぐらいの記事を読んでいるだろうか。年間で500本近く!?
(本人は、多少なりとも仕事に関連すると思い込んではいるものの、まぁ、趣味なのか仕事なのかは追求すまい。。。)
で、その手の記事は、当然ながら、機能的な書き方というか、要するに、興味は「モノ」そのものにあるわけで、書き手の趣味やましてや家族構成等に話が及ぶことはまず無い。
そう考えてみると、もうずいぶん昔になるが、"スタパ齋藤"の物欲系書き物は、書き手の"熱さ"を全面に押し出した稀有のレビュー記事だったわけだ。
そんな稀有の記事に出会った。
http://plusd.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1004/23/news028.html
それは発売間もないiPadを70才を超える書き手の両親に使ってもらって様子を見よう、というレビューだ。
これはとても面白かった。
まず、書き手のスタンスが良い。
高齢の両親の率直な反応を素直に受け入れている。
この手のデバイス好きにとって、どうしても、身内の反応には厳しくなりがちだ。
これが相手が女の子なら懇切丁寧に教えるのだろうが、身内だと、ついついイライラしたり。。。
「だから、そこはダブルクリックなの」
「いやいや、右クリックしてからじゃないとできないの」
「出来ないことは出来ないの。そのうち対応するから、もう少し待って」
だの、相変わらず混沌としている業界の状況を知っているからこそなのか、そんな反応をしがちではないか。
日常的にそういうデバイスを使っている感覚で、もはや、「普通の」感覚が理解出来なくなっているのだ。
しかし、この書き手はとても柔軟だ。
そしてこの書き手のご両親も、とても柔軟で、iPadで出来る事と彼らがしたいことへのギャップが、スムーズに浮き彫りになる。
いや、書き手が引き出したというべきか。
そんなお父さんの反応はすこぶる素敵だ。
「朝日新聞は読めないのか」に続き、朝日新聞のWebサイトを見せると、
「これは違う」と。
そりゃそうだ。あんな風に左手で持って右手でページをめくるなら、新聞そのものが表示されるのが自然だ。
(なぜだか、その声が、私の頭の中ではソフトバンクのお父さん犬になっていた。)
そんなふうに、このレビューは、現状のiPadの良い点、悪い点を、ごくごく自然に表現することに成功している。
今から買おうとするなら、このレビューを一読するのはとても良いと思う。
オススメです。
※"書き手"は、鈴木淳也さん/ITmedia
水曜日, 6月 23, 2010
非テラペタ派、親カチパタ派。
出ました。TOSHIBA Dynabook AZ。
ニュース的には二画面/リアクションバイブ付液晶キーボードLibrettoが脚光を浴びてますが、いやいやAZでしょう。クラウドブックって言うんだ。へー、まぁ、良いでしょう。
ネットブックにLinuxを入れた製品は、これまでもあったんだけど、今回のAZは、気合入ってます。
10.1型液晶で870g。そうでしょ、10インチは欲しいでしょ、1Kgは重いでしょ。
そして、連続動画再生7時間というバッテリー寿命(消費電力5w!)。
そうだよ、一日、電源気にせずに使いたいよ。
天板のやけにデカイ「TOSHIBA」ロゴもプロトタイプ?の時からずいぶん洗練された「Dynabook」ロゴに変更。
そーでしょうとも。Youtubeで見た天板のロゴは、まるでリンゴに喧嘩をふっかけているかのようなデカさでした。
Linuxがandroidは良しとして、HDDレスという思い切りの良さ。ついでに「Intel outside(入っていない)」だ。某Microsoft製品が一つも入っていないのが良い。
当然ながら、android用のキーボードになり、意味不明の場所食い窓キーもありません。
従来のWindows用PCのandroid化とは一線を画します。
製品詳細ページはこちら。
要するに、僕は、あのテラテラ液晶をペタペタしながら文字入力するのが嫌だったんです。
本だって、端をつまんで捲るのです。何か書いてあるところをベタベタ触りたくない。
だいたい、テラテラをペタペタって、いやらしいオジサンの香りがします。
そこへくると、カチカチをパタパタって、一本筋が通った職人の香りとでも言いましょうか。
やはり、こうやってキーボードをカチカチパタパタがいいのです。
非テラペタ派。親カチパタ派の巻き返しです。要するにPCが好きなのです。
あと、興味深いのは、MS-Officeの代わりに入るDocuments To Go。これはiPadでも使えるということで脚光を浴びている。なんだかんだ言って、EXCEL(広義の表計算ソフト)が使えないと、ダメなのです。
次世代PCなるものがあるとすれば、EXCELの世代交代が必須。テラペタではEXCELを使う気にならないし。
この出来が、もしかすると、ひょっとすると、歴史の分岐点になるやもしれぬわけなのです。
Windowsの歴史はEXCELの歴史。EXCELの代替さえ満足できるレベルになればWindowsにこだわりは無い。
そして、androidの巻き返しで、ライセンス・ビジネスに取り憑かれている某Appleジョブス氏も目を覚ますことになるかもしれません。
MP3プレーヤー勃興期、iPodのガジェットとしての成功は素晴らしかった。けどねぇ。
ヨドバシで予約したら「発売日納品」との事でした。ポイントを差し引くとほぼ4万円なり。
いやー、楽しみです。製品はもとより、この製品がネットブック以降のムーブメントになることに大いに期待!
水曜日, 6月 16, 2010
組織の状態の判別法
良い状態:上位マネジメントほど尊敬できる人が多いと感じる。
悪い状態:上位も下位マネジメントもたいして変わらないと感じる。
理由:組織が活性化されはやり言葉で言えば「イノベーションが起きている」組織。
こういう時は、尊敬されない保守的なマネジメントは大人しくしているものだ。
逆に、組織自体が保守的でイノベーションが起きていない時、尊敬されないマネジメントばかりに見えてしまうのだ。
悪い状態:上位も下位マネジメントもたいして変わらないと感じる。
理由:組織が活性化されはやり言葉で言えば「イノベーションが起きている」組織。
こういう時は、尊敬されない保守的なマネジメントは大人しくしているものだ。
逆に、組織自体が保守的でイノベーションが起きていない時、尊敬されないマネジメントばかりに見えてしまうのだ。
火曜日, 6月 15, 2010
ビジネスは中学生の過ちを許さない
Youtubeに発売前の漫画本を撮影して公開した14歳の中学生が逮捕。
権利者団体側は記者会見で「倫理とかのレベルの問題ではなく違法だ」と訴えていた。
大人が、自分たちの金儲けへの不利益を大義名分に中学生を逮捕するのは倫理に照らしてどうなのか。
子供を守るのは大人の倫理ではないのか?
権利者団体側は記者会見で「倫理とかのレベルの問題ではなく違法だ」と訴えていた。
大人が、自分たちの金儲けへの不利益を大義名分に中学生を逮捕するのは倫理に照らしてどうなのか。
子供を守るのは大人の倫理ではないのか?
月曜日, 6月 14, 2010
火曜日, 6月 08, 2010
水曜日, 6月 02, 2010
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