火曜日, 10月 27, 2009

CHICAGO(ミュージカル)

初めてシリーズ。

今回はミュージカル舞台観劇。先週末に初めて観劇しました。


正確には、田舎の小学校に来たミュージカルとか、親に連れられて行った小沢昭一と仲間達みたいなやつ以来なのだけど、40年近く、間が空いたのだから「初めて」でも良いだろう。

幕間を挟んで一部・二部との二部構成だったのだけど、前半は、何をどう見て、聞いて、楽しむのか、正直戸惑った。
生のJAZZバンドの演奏も、唄も、踊りも、素晴らしいのだけど、同じ舞台のままで場面転換し、同じ衣装のままいくつもの役をこなしたり、、、
ストーリーは追えるし、一つ一つの場面は素晴らしいんだけど、僕の中にうまく収まりがつかない感覚があった。

幕間を挟んで二部が始まる。
するととても不思議なことが起こった。

さっきまでの、収まりがつかない感覚が無くなり、演じている状況が全て自然に受け入れられるようになってきていた。場面が変わろうとも、同じ俳優がそのままの衣装で他の役を演じようとも、演出の憎らしいサプライズも、心から楽しめ、素晴らしいと実感できたのだ。

幕間を挟んで何が起こったのか。
表現されたもの、を、見るとき、見る側には見るための準備が必要だ。

テレビドラマや映画、小説、そしてこの観劇というのは、誰かが用意したストーリーを観客は辿っていく行為だ。
テレビドラマや映画は流し込まれる映像と音声を観客はそのまま受け入れるタイプのメディア。
小説は、文字に書かれた内容を観客が自らの心の中に映像や音声を構成していく。
そして観劇は、映像も音声も舞台から届けられるものの、制約の多い舞台である以上、例えば今回のミュージカルだと、音楽と踊りは本物の素晴らしいライブを受け入れ、一方、場面・背景や衣装なんかは観客の心の中で再構成しながら見ていく必要があるのだ。

幕間を挟んで、「慣れ」たのだろう。後半は同じ衣装で同じ舞台・背景であっても、僕には場面ごとに違った風景が見えていたし、踊りも唄も、一層輝いて見えたのだった。

舞台は、その瞬間が全て。二度と同じ舞台は見ることが出来ない。会場の空気まで全てが舞台なんだ、という。
音楽のライブと同じだ。コピーできないもの。その瞬間を共有すること。

その一度しかない瞬間を大切な人と共有できること、それほど幸せなことはない。
大仰なことじゃない。今、家にいるこの瞬間も、一秒一秒が、「ライブ」なのだ。

今さっき、風呂場から連れ出そうとした子供ヤモリが、リビングで行方不明に。。。これもライブなのだ。
普段の一瞬一瞬が愛しく思えたひと時でした。

※舞台を見た後、映画のフリップを観ると、なるほど映画もあの空気を再現したくてがんばったんだなぁ、、と新しい発見がありました。

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