土曜日, 5月 31, 2008

韓国について

以前の職場、私の同僚に韓国の方がいました。
日本人と結婚し、お子様もいらっしゃって、異国日本で仕事をし生活している。


少し前に、その方のお父様が亡くなり、お国に帰るという事を聞きました。
お葬式で一時帰国するのではなく、そのまま韓国で暮らすようです。


言うまでも無く、大変お付き合いの古い国、韓国。
近いからこその紛争や競争意識が綿々と続いてきた国。
僕の食生活の中で、「焼肉」や「カルビクッパ」や「キムチ」など、切っても切れない食文化を持つ国。
(食生活は意識しやすいんだけど、あまりに日本の生活に溶け込んでいて他の文化的な影響について具体的にパッと思いつきません。勉強不足です。)


お父様を亡くされた彼と僕は同じ年代。
きっと、お父様も昨年亡くなった私の父と同じぐらいの年代だと思う。
私の父は、祖父の仕事の関係で海外を転々としていて、日本軍の衰退と共に(戦況と共に生活の場を追われた)日本に帰国、小学生の時に日本で終戦を知った世代。
当時の学校で、実際に竹やりを持たされて、空に向かって突いてみたりしたらしい。
海外暮らしから日本に帰ってきた父は、相当、「浮いて」いたのだろう。
小学校にまで監視だか視察に来た憲兵に(詳しくは聞くことができなかったが)対し、尋常じゃない怒り・恨みを持っていたようで、私が育った時は、誰が聞いても「左翼」「共○党員」のような話をよくしていた。


きっと、韓国の70代の方も、私の父と同じような年代で経験した戦争で心の傷を負いつつ、復興の中で夢を抱き、苦労し、家族を養い、新しい価値観や文化に戸惑いながらも生きてこられた方なのだろう。特にあの世代は「男性は家計の柱」「女性は家を守る」ような時代だったから、例え、学生であっても、家のために働くのが当然の世代というイメージ。
復興の後、韓国の亡くなったお父様の場合は、家族に日本人を迎え入れたのだから、複雑な心境もあったのかもしれない。


そういう私も、娘が何故か大学で韓国語を選択し、韓国に一年留学すること(努力の末、留学奨学金をゲット)になった時、快く送り出したつもりの割には、彼女の現地での生活で、特にボーイフレンドの話や、「△△なんかは、むしろ日本より便利」みたいな発言に、いちいち突っかかっていた。私の中にも、小さいつもりだったけど、結局、隣国に対する競争意識みたいなもの、えぇぃっ正直に言おう、「嫉妬」や「優越感」はあったのだ。


むしろ、直接接する機会から遠ざかってみると、単純に、どこの国、地域であっても「いい人もいる」「悪い人もいる」「好きな人もいる」「嫌いな人もいる」「好きな料理もある」「嫌いな料理もある」「慣れている」「慣れていない」だけの違いしかないのだと思える。
(正確には、基本的な人権が守られている国であることが絶対条件ですが。。。)


今、初めての土地で暮らし始めて、それがよくわかるようになった気がします。


「自分に自信が無い人ほど、ほんのささやかな優劣の判定に心を躍らせる」
そんな事が無くなっていくような自分になっていきたい。


友人のお父様のご冥福をお祈りいたします。&私の父の一周忌、天国の父に感謝。


川崎の焼肉屋さん"大将軍"のカルビクッパは僕の食べたいものランキングBest5にランクインしています!

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