日曜日, 7月 20, 2008

侵入者



僕と仲良くしたがっているのはホオグロヤモリらしい。

ここのところ毎晩である。
何がって、ヤモリ君、ヤモリさん、ヤモリちゃん、ヤモリ様、ヤモリご一行様、ヤモリお礼参り、ヤモリツアー、とにかく毎晩といえばヤモリに決まっているのである。

家に帰ってきたときに、玄関にへばりついていた事がある。
風呂に入ったとき、天井に張り付いていた事がある。
もはや、窓ガラスの外に張り付いているのはどーでもよい。夜は窓は開けないのだ。
しかし、しかししかし、夕べは子供ヤモリ(どうも、一ヶ月ほど前からチッチッチッと深夜に激しく泣いていたのは子作り中だったのか??)である。窓の内側である。そう、子供ヤモリはサッシの隙間ぐらいは楽勝なのである。
※写真はチビたち。大人は肖像権を主張するので撮影していません。(怖いわけではない)

一昨日の玄関に張り付いていた奴も子供。
この子は尻尾が無かった。その前の晩に窓ガラスの内側で発見して、発狂しそうになった僕がほうきで追い払ったときに負傷した奴だ。その千切れた尻尾がいつまでも動いていたのは、もう、忘れたい記憶No.3ぐらいの記憶になったのだ。

そして、今夜。
日中は暑いから、家の中にいるとクーラーガンガンで、不健康極まりない事になるのでチャリで隣の隣の町まで出かけていた。フルーツ村みたいな果物沢山取れまっせ、的な村。
そんなこんなで汗だくで帰ってきて、床屋に行って、シャワーを浴びて、さぁ、ご飯の支度、大家さんから貰ったナーベーラー(若いへちま)を料理しようとしていたときの事件だ。
善良な市民。温和で友好的で近所の評判もよく会社でもなかなかの逸材な人物。
休日も穏やかな一日を過ごす、なんだったらうちの嫁に、あ、おじさんじゃあ嫁には迎えられない、、、つーぐらいの僕に神は試練を下さった。


ちらっと見た台所の床まである大窓。
はいはい、いますね。ヤモリ君。
窓に張り付いてるのなんて、見慣れたものです。「オッス、切っても生えてくるのは尾っす」ぐらい大人のジョークだって言い合える仲。
しかし、、、えーーーーっ、何で君はお腹を見せずに背中を見せているの?
おかしいでしょ、ガラスに張り付いたら、お腹を僕に見せるでしょ。
だいたい、君は大きいよねー。15cm近くもあるし、大きく肥えてるし、よく育ったよねぇ。
、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、
ΘΣΕΔⅡλ○△×ぅぅぅぅぅぁぁぁぁぁぉぉぉぉぉぉおおおおおおおーーーーーーーっ!
君は窓の内側に張り付いている?
いや、そんな事はないよ、背中にも吸盤があるんだよ、、、、、って言ってくれーーーーっ!


はい。内側にしっかりいました。
子供じゃありません。親です。
警察に電話しようかと思いました。いけませんか?
税金を大人のヤモリの不法家宅侵入罪で訴えてはいけませんか?


相手は大人です。僕の奇声にはビクともしません。
よく考えました。最初にすべきは、「話し合い」だと悟りました。
相手が不法侵入にもかかわらず、大人の僕は、お願いしました。
「出ていって頂けますよね?」「窓を開けたら出て行くつもりだったんですよね?」
普段の1.3倍ほど手を長く伸ばし、窓のロックを外しにかかります。
ロックは二箇所あります。
まず一箇所。
ガラスに振動が起こります。ヤモリ的にはマグニチュード3クラスの「くすぐったい」ぐらいの震度のようです。ちょっとだけ移動します。

「よしよし、後一つロックを外したら開けてあげるね。」

もう一箇所のロックを外にしかかります。
爆発物処理班の気持ちが良くわかります。
それにしても奴はすごい身体能力です。僕が彼のように垂直のガラスに張り付いていられたら、北京オリンピックに出ていることでしょう。
そんな悠長な事を考えている余裕などないのですが、彼は、何を思ったのか、チョロチョロと移動します。なんと、、、、、次のロックの近くにです。
仕方ないので、腕をさらに伸ばし、多分1.5倍にちょっと足りないぐらいまで伸ばし、ロックを外します。

今度はマグニチュード4クラスの「じっと立っていられない」ぐらいの震度だったのでしょう。
その揺れに対し、僕が彼のように出来たら北京オリンピックで金メダルも夢じゃないであろう俊敏な動きで、ガラスの上をスラスラと音もなく移動します。
その動きに負けない瞬発力で、僕も後方へ1.5mほどジャンプします。負けられません。


さて、爆発物処理班は仕事を終えました。ロックは外れています。
しかーし、奴もあっぱれ、その時、既に天窓へと移動しています。これは、いけません。ありえません。僕は下の窓(何窓って言うのかわかんないけど、人が出入りできる床までの大きな窓)を開けられるように危険手当も請求せずに爆発物処理班の仕事をやり終えたのに、天窓に移動なんて、そりゃないぜベイビー。

しかたありません、爆発物処理班は既に帰りました。
僕は、今や、カタクシンニュウシタヤモリヲオイタテル専用となった「必殺ほうき」、を持ち出します。
窓をちょっとだけ開けます。(一杯あけたらどんだけ入ってくるのか、その恐怖からちょっとしか開けられません。)
ほうきで、天窓の彼のそばを刺激します。マグニチュード2.5程度の刺激です。
あろうことか、彼は家の天井近くの壁に移動します。
「そっちはダメ~~~~~」
この家に僕一人だとしても構いません。
ちゃんと発声します。大きな声できちんと話します。
「そっちはダメだって言ってんじゃーんっ。頼むよぅ。」
基本は、話し合いです。語りかけます。

ほうきで彼の進行方向を邪魔しながら、格闘3分、ようやく、彼は開いた窓の隙間から外に出ます。
僕は勢いよく窓を閉めます。



・・・・・・・窓の外は網戸。
彼は網戸とガラスの間で、「だから、どうしろっていうんだよぅっ」と網戸に張り付いて、やはり、背中と目をこちらに向けて訴えます。
その目が一瞬、ニヤッとしたように見えたのは気のせいでしょうか。
僕は、「入ってこられるんだから、出られるでしょう。よっ、金メダル!」と励まし、カーテンを閉めました。




30分ほど経って、カーテンを開けると、おとなしくさっきの場所に張り付いてました。
仕方ないので、「動くんじゃないぞ」と念じ、窓を開け、網戸をずらしてあげました。

この分だと年内には、きっと僕の超プライベートゾーンまでやってくるに違いありません。
もう、僕は、ヤモリと暮らしている事を認めるしかありません。
いずれ僕はヤモリで出来ているなんてことになるのかもしれません。
そういえば、今の僕は、オトコヤモリって言うんでしたっけ?オトコヤモメ?ヤモリ?

それまで、なんとか話し合いで解決したいものです。
※小動物に怯える生活は、「Tシャツの背中のタグがくすぐったいだけなのに飛び上がる」「携帯着信のバイブに飛び上がる」などのように僕をまるで、小さい飛び上がる虫、のような存在にしていきます。
※※ナーベラーは炒めてもお味噌汁なんかの具にしても美味しいです。ナスと同じような感じで「使える」野菜です。
※※※床まである大きい窓は「掃きだし」っていうそうです。
←気が知れない本

金曜日, 7月 18, 2008

太陽と北風:ドーパミン型/ノルアドレナリン型モチベーション

職場、組織で大切なもの、絶対に失ってはいけないものは何か。
それはモチベーション。
お腹がすかなきゃ食べられない、モチベーションが無ければ仕事は出来ない。


モチベーションは個人個人が感じるもの。
だから一人一人が違うモチベーションを感じていて、違っていてもいい。
例えば、休日の楽しみが仕事のモチベーションの人もいれば、給料が仕事のモチベーションだったり、家族的雰囲気がモチベーションだったり、仕事大好き!がモチベーションだったり、その組み合わせだったり、一人一人違うのは当然です。


とはいえ、職場全体が総合的に「モチベーションが高い」状態でなければ組織の力なんて発揮できないでしょう。
職場の半数以上がモチベーションが低い、そんな状態になると、モチベーションハザードの状態になり、終身雇用を放棄した会社では離職率がどんどん上がっていきます。
あ、終身雇用もモチベーションの一つなのかもですね。


個人個人様々なモチベーションがある中で、モチベーションの低い人が増えると言うのは、その組織の運営状態や組織の人(主に上流、管理職)に致命的な欠陥があるのだと思います。よく、モチベーションの低さを、その組織に所属する人たちの意識の低さとすり替える管理者がいますが、それはあり得ません。
管理者しか職場のモチベーションをコントロールできないのですから。給料を決めるのも、残業を奨励するも削減するのも、自由に発言できるのも、直接関わろうが関わるまいが、管理者と呼ばれる人の責任なのです。

モチベーション低下で最も怖いのは、モラルすら崩壊する事です。
モチベーションハザード→離職率の上昇→利益低下→職場環境の劣悪化→更なるモチベーションの低下→→→「モラルハザード」による組織崩壊
です。持続可能な会社であり続けるためには末端組織所属員のモチベーションが必須なのです。



モラルハザードまで至る例。
あるお菓子会社。値段の割りに可愛らしくて美味しいケーキを作って全国展開していたとします。
工場でも売り場でも、社員もパートの人も、仕事に誇りをもって活き活きと仕事しています。
経営状態は、既に市場も飽和しており、それほどの伸びも無い代わりに、堅実な経営状態が続いていました。
ある時、経営者が交代し、体育会系的経営で元気よくなるぞーみたいな事になりました。
そこからこの会社の不幸が始まります。
現場には強烈なコストダウンの指令が降りてきます。最初の頃こそ、元々の無駄を削る事でなんとかしのいでいましたが、全国の工場、直売店舗、それぞれでコストダウンを競争するようになっていきます。
いつしか、賞味期限の扱いを誤魔化したり、多少の雑菌を見てみぬ振りをしたり、そんな事が常態化していきました。

この時、一番の問題は現場の一人一人の社員なりパートの方なりへのモチベーションへの影響です。
以前は工場などでは従業員が自社製品を喜んで安価に買って帰って家族と食べていました。しかし、これもコストカットの対象となり、それほど安価でなくなったばかりか、そもそも賞味期限のごまかしや雑菌の取り扱いの裏を知っている従業員は「自社製品だけは家族に食べさせない」という意識に変わっていきます。

自分の家族に食べさせないようになってから、製造現場では、「食品を取り扱う」意識は一気に低下します。「値段のつくモノ」を作っているだけです。
もはや、無視できない品質にまで製品の品質は低下していきます。
この状況に正義感のある従業員は管理者にクレームしますが無視されます。結果、正義感の強い人は辞めていきます。モチベーションの低い人が残るため、後から採用される人も長続きしません。
製品の品質は以前の状況では「あり得ない」レベルにまで落ちます。もう、腐ってたって平気です。
こうして、この会社の製品の品質がいつか公の場に明らかになった時、この会社は、もはや存続できない状況となるのです。
ここまで書いてきて、これって、大戦の日本の「過ちに気がついても後戻りできない組織」にも共通しているような。。。



さて、話を元に戻します。

人のモチベーションは「不快なことを避ける」「快適な事を追う」の二種類によりモチベーションが上がったり下がったりするのだそうです。
「不快な事を避ける」(怒られる:ノルアドレナリン型モチベーション:北風)に起因するモチベーションは短期的にはすごい効果があるそうです。しかし、長続きしないようです。
「快適な事を追う」(褒められる:ドーパミン型モチベーション:太陽)に起因するモチベーションは短期的には特に変化が無いように見えるのだそうです。しかし、長期的には着実に効果が出るのだそうです。



さて、北風的なものの例。
●朝礼でゲキを飛ばす
普通の人は、きっと、朝はそんなにテンションは高くないものです。少なくとも私はそうです。
そんな朝礼で、飛び上がるほどビックリするような大声で「オハヨーっ!ゴザイマスっ!」などと叫ばれ、その後、「声が小さいですよ!もう一度!」などと言われたりすると、何か特別なイベントの日ならまだしも、毎日ではもはや元気が出るどころか、お腹が痛くなって帰りたくなります。
●過度に競争心をかきたてる
少数精鋭を育て、その精鋭が事業を引っ張っていく、そういう職場であればそれも良いかもしれません。
しかし大人数で組織的な成果を出していくような職場の場合、多少は競技種目を増やしても大概トップグループには同じ人たちが顔を連ねる事になります。
これは、言い換えれば、競争をすればするほど多数の人は「自分は賞は取れない」というネガティブな感覚を積み重ねる事になります。種目を増やして毎日やればやるほど多数の人たちにとっては逆効果なのです。
●精神論(厳しい系の精神論)
精神論、いいですよね。私も否定するものではありません。
しかし、精神論は一人一人の目をきちんと見て、親が子供に伝えるように気持ちを伝えていかない限り、伝わりません。
1対Nで精神論をぶつと、言われたほうは、いいとこ「なんか暑苦しいからやってあげるかな」ぐらいのものです。自分で率先して取り組むような気にはなかなかならないものです。
●権威主義、目上主義
先輩を立てるべき。これも基本は正しいです。私もそうしてます。多分。(汗)
しかし、自分が目上の人には実践すべきですが、自分の(役割として)下流にいる人に対して要求してはいけません。
職場は、いろんな歴史、いろんな経緯、いろんな経験を積んできた人たちの集まりです。
どんな立場の違いであっても、お互いに相手をリスペクトするという意味で、先輩/後輩の論理は危険です。

ということで、管理者は多数を相手にする限り、日常では北風を武器に使ってはいけないのです。
ドーパミン:太陽に勝るものなし。
ノルアドレナリン:北風=日本的体育会系的なものは短期決戦に取っておこうっていう話でした。

月曜日, 7月 14, 2008

ナマカとシノターかんじ①

この週末、万座ビーチで25年の歴史を誇るハーリー(ボートレース)大会に出場した。
大きな声ではいえないが、横浜、江ノ島、大阪方面のどっか、琵琶湖?、方々の大会を荒らしているこの団体、実際のところは、ハーリー自体は箸休め的なイベントで、真の目的は仲間が集まることそのもの。(小さな声ここまで)
私にとっては前の前の職場を中心とした仲間との楽しい時間を過ごした。

あまりに楽しすぎて、関係者の皆様に写真を配る話は、今しばらく時間がかかりそうなことをこの場を借りてお断りしておきます。


大会前日に、関西/関東/北海道/九州/沖縄、、、おぉ、四国がいないっ、、から集まった仲間たち。みんな元気そう。
沖縄入り当日は沖縄組が観光地を案内。僕は沖縄組初心者なので、一緒に案内してもらう。
何処に行っても感じるのは、「広い綺麗な空」「広い綺麗な海」が最も人を感動させるということ。そして、飽きない。
綺麗な空と海を目にするたびに、住んでいたって、やっぱりため息が漏れる。


午後になり、パラパラと集まった残りのメンバーと高速のパーキングで合流。
あまりに久しぶりの仲間もいたりして、何故だか妙なノリで、体当たりのスキンシップ。
あるいは体当たりのギャグシップだったり、体当たりのシモネタシップ。
(この時点で、この集まりが「中学の修学旅行よ再び」的な事が確定)


特産品や名物に舌鼓を打ちながら、沖縄ぜんざいの残り汁(カキ氷の溶けた汁)を賭けたジャンケン大会。
自然公園?に行けば、公園のガイドさんに突っ込みを入れつつ、いい大人が真剣にブランコ遊び、そして真剣にヤギと戯れ、真剣に子豚を見て「旨そう」とのたまう。
もう、行動も言葉(到底、イイ大人の会話とは思えない、ウンチレベルの小学生会話)も子供に返っている、大人団体一行様。


宿(貸し別荘)でも、ちょうど中学生の修学旅行的なノリにお酒も加わって、大騒ぎ。
大人なところといえば、
①お酒は飲む。大量に飲む。
②BBQは食べられない。すぐお腹一杯になっちゃう。
事ぐらい。


中学生の修学旅行にしては、人生も語れちゃったり、あらマジ話しようとしてるぜこいつ、ちょっと聞いてんだから、♪ドはウンチのド♪、そんな唄最低、ヤバいっお尻が割れちゃいましたぁ、アチチ花火は手に持ってナンボっ、いてて頭から血が出てきた、花火は手で持ちましょう、イケイケさとー、いちにぃ・・・・サンっ、鈍いッつうの、何で水のペットボトルに泡盛がぁ、音楽聞こーよー、♪もう・・・♪、ふるっ、♪・・・おわりぃだねぇ♪、なんで結婚しようと思ったのか聞いたわけ、明太子は沖縄でも作ってる、たらこ味の明太子が出たんだって、みんながいいって言うからだって、みんな綺麗になったなぁ、セクハラ~触んないでよー、焼そば食べる人~、肉余ってるぞー俺のお腹ほらほら、もうこんなオヤジ死んでしまえ~、明日の大会パスでもいいじゃん寝坊しようよ、星が綺麗だよみんな見ようよってみんな寝てんかいっ!・・・
と夜はあっという間に更け、朝全員がボーっとしながら、二日酔いやらタンコブ(not単語ブーム)やら転倒の擦り傷やらを抱えながら無事に大会に出場を果たしお弁当を貰って引き上げた、チーム名「横濱海神(ヨコハマポセイドン)」なのでした。
↓「ハーリーの話はそれだけかよっ」て事です。



暑い、蒸し暑い、汗暑い、小便暑い、クソ暑い、、、風光明媚なビーチに似つかわない暴徒はそそくさと現場を離れるのでした。
10人を超える社会的責任を負ってるハズの中学生脳集団が、我が家への初めてのお客様となった(我が家のロストバージン)のはその一時間後なのでした。
・・・そのうち②につづく・・・

金曜日, 7月 11, 2008

長谷貴將(たかのぶ)医師

福知山線の事故で、現場から高速で1時間も離れた救急医療センターに勤務する
一人の医師が、
「あの規模の事故で医師が足りている訳が無い」
と判断し、1時間あまりをかけて現場に駆けつけ、救命医療に関わったそうです。
斉正会滋賀県病院救急医療センター センター長の長谷貴將(たかのぶ)医師。

あの悲惨なマンションの駐車場に突っ込んだ一両目付近の救命を担当し、
マスコミなどにも「瓦礫の下の医療」として取り上げられたそうです。

彼の想像通り、現場はもちろん、近隣の病院も手一杯で医師など足りるわけが無く、
ましてや救命医療のプロである彼の現場での活躍は想像に難くない。

この人が、今年の2月、自殺していた。
この事実は、その後、遺族が勤務していた病院を訴えた事で明るみになりました。
「過重労働」が原因だったと遺族は訴えているようです。

病院は、救命医療センター長就任時の彼が条件で提示した増員に応えるどころか、
福知山の事故をテーマに講演活動(病院の宣伝)に取り組むように指示していたの
だとか。


たまたま、見かけた福知山事故の被害者のブログ。
当時自分を救出してくれた医師を探して、お礼に会いに言った話。
多忙にもかかわらず昼休みに会ってくれたのだそうだ。


そして訴えたのは85才になる父親。
病院は「長時間労働は本人の裁量」と訴えに真っ向から反論しているらしい。
もう、何もかもが悲しすぎる。

水曜日, 7月 09, 2008

アクセシビリティ(利用しやすさ)とソーシャルネットワーク

質問①
目が見えなくなったらネットを諦めますか?
・諦める必要はありません。そもそも、たまたま目が見えてる僕は普段気にせずにPCやネットを使っていますが、視覚障害の方々だってPCもネットも使っているのです。

質問②
WEB2.0とかソーシャルネットワーク、話題になる前と後、あなたの生活は何か変わりましたか?
・なんだろーなー。よくわかんないなー。でも着実にこの潮流は私たちの生活を変えようとしています。


さて、質問①/②を踏まえて、、、、

Wikipediaに代表される「ユーザー参加型コンテンツ」。
発想はネット上のBBS(掲示板)の緩やかな相互チェック機能を、もう少しシステマチックにして、とかく「便所の落書き」になりがちなネットのコンテンツの正確性や即応性を担保していくというもの。
これには、ある程度多くの利用者数が必要なんだけど、ユーザーから支持されたサイトに関しては予想を遥かに超えて成果が出ています。wiki無しではいられない人は相当多くなっている。僕もその一人。
wikiの話はこれぐらいにして、久しぶりにこの潮流を旨く活かそうとした、そしてうまくいきそうな、うまくいったらいいなというニュースがありました。


随分前、10年ぐらい前になるけど、休日に視覚障害者のお宅を訪問してPCのセットアップや調整のボランティアをした事があります。
彼らは、PCの画面を読み上げるソフトを使ってネットサーフィンやメールをします。
そこで、PCの設定がおかしくなってるのを直したり、音読のソフト("読み上げ君"とか言ってたかなぁ。。。)をセットアップしたりするボランティアです。


この活動に参加して知ったのは、よくネットについて言われる「情報革命」が本当に起こっているという事。
ネットが広まる前の彼らの主な情報源(ソース)は、点字に翻訳された書籍、もしくはボランティアにより音読されたテープなどに限られていました。あるいは家族が読んで聞かせるとか。
当然、目が見える人たちが入手できる情報量とは雲泥の差だったのです。
ところが、ネットでデジタル化された情報が広く公開されると、音読ソフトを使うことで、ハンディキャップの無い人たちと同じ情報に、同じタイミングでアクセスできるようになった。
それこそ、このままだと点字の識字率が下がるんじゃないかという事まで話題になるほどインパクトのある出来事だったのです。


これは、同時に「アクセシビリティ」という問題が起きてきました。
これは、W3CというWeb標準化を進める団体が決めたHTML(ホームページの書き方)の規格にきちんと沿っていれば、読み上げソフトである程度は大丈夫なんだけど、インターネット初期のシンプルなページの時代はともかく、最近はビジュアルを重視したホームページが増えて規格に準拠していない事も少なくない。
例えば、リンクボタンが無くて絵や写真の一部をクリックするようなホームページだと、読み上げソフトは適切にガイドできない。(電子音声で)「メニュー・リンク、シャシン(写真)1、シャシン2・・・」のように読み上げられても何がなんだかわからない。
作っているほうは(無駄に)見た目に華やかなページを作りがちだけど、まさか、そんな風に音声読み上げでアクセスしている人がいるなんて知らない。
でも、読み上げソフト経由でアクセスしたかった人にとってはもちろん、ホームページを読んで欲しい側にとってもアクセスしてもらえない残念な状態だったのです。


で、こればっかりはどーにも出来ないかなぁ、、、と思っていたところ(W3C準拠=アクセシビリティを判定するソフトとかもあったが普及したとは思えない。。)で登場したソーシャルアクセシビリティのプロジェクト。
専用の読み上げ機能付ブラウザでサイトにアクセスすると、必要に応じて、そのサイトが読み上げソフト用には表現できていない情報(「シャシン1,シャシン2・・」、、とか)を、ユーザー相互に登録しあった補完情報を参照してガイド(「シャシン1セイヒン、シャシン2サポート・・」、、とか)してくれる。当然、補完情報の充実が必要なわけで、読み上げソフトで再生出来なかったサイト情報を登録すると他の(見ることが出来る)人が補完情報を登録する仕組みになる。

ここまでは、なんであれ大量の情報メンテナンスが必要になって大変だろうなー、、、っていう話。でも、ここからが凄い。
サイトごとの修正数のランキング表示もされるので、「たくさんアクセスされるけどアクセシビリティの悪いホームページ」の運営者はW3Cやアクセシビリティを意識したホームページを作るようになるきっかけにもなりそう。
例えば、ある企業が、"派手にネットで活動している割にアクセシビリティではワースト1位"なんて事になると、多分、自ら読み上げに対応したアクセシビリティの高いホームページに改訂する事になるでしょう。


ということで、今後の展開が大変楽しみなのでした。
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日曜日, 7月 06, 2008

サザエさんシンドローム

明日は月曜日。何とかして月曜日を回避したいと思う。
特に楽しい週末だった場合、その思いは妄想すら産みだす。
会社が火事になってたらとか、そーゆーのは危険だよ。

【月曜回避妄想その①】
突然、曜日が変わる。月~金・土・日じゃなくていいじゃん。
なんだったら、土・土・土・土・日・日・日ぐらいで良いと思う。
土・土・水・土・金・土・日もなかなか良いと思う。
内緒で僕だけ、金・土・日・金・土・日・日にしてくれてもよい。
日曜は畑を耕す日にしてもいいじゃん。

【月曜回避妄想その②】
3億円宝くじに当たっちゃう。

【月曜回避妄想その③】
3億円当たっている宝くじが部屋の中で見つかる。

【月曜回避妄想その④】
宝くじを買っていないのに、3億円の宝くじ当たり券が日ごろの感謝を込めて誰かから贈られてくる。

【月曜回避妄想その⑤】
新・年齢別休日制度発足。
20才は週休1日、30才は週休2日、40才は週休3日、50才は週休4日、60才は週休5日、70才は週休6日、80歳以上は週休7日。こーするとだね、僕は週休三日になるので、明日はお休み。
※理由というかこじつけというか屁理屈
どんどん早く進む時間、実際は、生きてきた長さに比較して時間を感じるから。

例えば、小学4年生のときの夏休み1ヶ月。長かったよねぇ。
これを、40才で感じる1ヶ月と比較すると、、、
1ヶ月/10年が小学四年生の時間の長さに対し、1ヶ月/40年だから、
40才だと小学4年生の四倍速く過ぎる。20才なら倍速く過ぎる。

で、この仮定が「そんなもんかな」と考えるなら、
30才までの10年、40才までの10年、50才までの10年は、それぞれ、
1/3、1/4、1/5となり、40才までの10年と50才までの10年は、
0.25:0.2で、20%スピードアップするはずなのです。

これはもう焦らなくてはいけません。
20%って言ったら、週末2日間の休日の5時間ほど、に当たります。
30才の人より僕は5時間も「アッと言う間に休みが終わる」事になるのです。
逆に30才や20才の人は休日が長くて時間をもてあまして、お金も溜まらないし困るわけです。
ね、なんかいい感じでしょ。
※若い人ほど業務時間が長く感じるっていうツッこみは無しね。オジサンは明日の月曜が問題なだけだから見逃してね。

【結局どうなるのか】
・明日、会社に行って、同僚にこのバカ話を披露して冷たい視線を浴びつつ「ガハハ」と笑って残業するのである。

【時間を感じるという事】
ちなみに、何もしないのんびりした時間、実際には「時間を感じる時間」なのかもしれない。
近所のビーチに行って、遠くで誰か親子連れが素潜りしているような、のんびりした休日。
ジリジリ照り付ける太陽を感じながら、汗が流れるのを感じながら、足の裏とサンダルの間に砂が巻き込まれても気にせずに、のんびり時間の動きを感じる。
思いのほか雲は早く形を変える事に驚いたり、ただベタリベタリと海底に張り付いているのかと思っていたウミウシが案外動いていたりとか、風は絶えず微妙に強さや向きを変えながら吹いているとか、セミが朝と昼では鳴き方が違うなぁと感じるとか、そんな時間。

空が見えるから、本当に雲をよく見るようになりました。これは楽しい。お勧めです。


まぁ僕のはバカ話だけど、こんな本もあるんです。

日曜日, 6月 29, 2008

東田トモヒロ

ここで暮らすようになって変わった事の一つに音楽の聴き方がある。
東京(横浜)での暮らしでは、通勤時間が読書/音楽の時間。
そしてここでは通勤時間は通勤のための時間。
会社まで(そりゃあアシスト付って軟弱だけどさぁ)は自転車を漕ぐ時間。
可能な限り、仕事は定時に終えて家に帰り、それからが音楽の時間。
夕飯の支度をしながら、近所を気にせず大音量で好きな音楽を聴く。
夕飯を終え、その日の気分で音楽を変えて読書したり。


そんな生活をしていると、気がついたらテレビは朝のニュースしか見なくなりました。
とりあえず、テレビを見なくても仕事は続いているし、同僚との話が出来ないわけでもない。
特に何も困る事はない。
サラリーマンネオぐらいは見たいけど、NHK位しか映りも良くないんだよね。あ、あれはNHKか。っていうか、まだやってる??


それとも生活そのものが観光気分だからなのかな。
ここ地元の街を散策していても、夕方になると、何処からともなく三線の音が聞こえてきたりする。なんか「イイ」瞬間。
琉球王朝の官僚は、中国の使者を(戦争回避の為に)接待するのである程度のレベルの芸事が出来たという。当時だって強大な中国の使者に対して、大和の国ならまだしも、小さな島琉球、その接待は「国を賭けた」ものでそれはそれは重要なものだったようだ。
その後、ペルーが江戸に到着する前に琉球に立ち寄り、「拳銃も刀も持たない人々が社会を構成する類まれな平和な国」と琉球を評した。
そうやって、音楽/唄/踊りなど様々な文化を産み発展させたのだという。
※その"優しい"文化に甘えて米軍基地を押し付けている本土の問題はここでは触れないが。。。


そんな今、僕のお気に入りの音楽。東田トモヒロ。
よく考えたら、彼も「キムタカ」の平田さんが島に帰ったように、生まれ故郷の熊本に住みながら、メジャーとマイナーの狭間で活動している。
「天才」とか「詩人」とか「技巧派」とかは似合わない。
「そのまま」とか「自然」が似合う音と唄。

彼の新しいアルバム。
「この世で一番好きな歌」
これまでの期待を裏切らない、自然なメッセージ。
人との繋がり、自然との繋がり、唄との繋がり、大切なものを見失いがちな世の中と、大切なものをわかっている事の素晴らしさを唄う。


このアルバムにも入っている彼の曲に、
「血を流す代わりに、愛すべき誰かの為に汗を流す。それは少しでも笑顔でいたいから。
・・・・War is not answer, its only answer・・・それは理想でもかまわない。胸の柱に刻んだ言葉。」
と唄っている曲がある。


そう。理想なんて照れくさいから言わなくてもいい。
だけど忘れないように、唄っておけ。
唄えないなら聞いておけ。
そして、忘れないように、心に刻んでおくといい。
いつか必ず必要になる事だから。

それにしても、トモ君といつも一緒のドラムのダイ君。
彼のプレイスタイルが「サンダーバード的正確無比ドラムマシンスタイル」から「ウットリロマンスインググルーブスタイル」に変わったのは何故?
見ている僕のほうが照れくさくなるほどの変わりぶり。
知っている人がいたら教えてください!

木曜日, 6月 26, 2008

キムタカ

キムタカといっても何のことかわからないのはナイチ(本土)の人。
漢字で書くと、「肝高」で、"志を高く持つ"意味を持つのだそうだ。

そのキムタカという本を読んだ。
中年の僕に、「情熱」が込められた日々、その積み重ねが持つ素晴らしい力、そんなことを再認識させてくれた本。

沖縄で巻き起こった、子供たちによる演劇活動を中心とした一大ムーブメント。そのムーブメントわ期せずして巻き起こした若者が書いた本。(マーケティングだとかビジネスモデルだとかでは絶対に起こりえないムーブメントなのです。)
そのムーブメントの始まりは、沖縄の寂れつつある歴史ある街の再生の話。街の再生を子供たちを通じて実現する話。いや、子供たちが親を、大人を、最後には地域を動かしていく素敵な話。


正直、実話なの!?っていうほど、ロマンのある、しかも、つい最近の話。


何がすごいって、沖縄全体を揺るがすようなムーブメントが、最初は本当にたった一人の純粋な情熱から始まったことに驚きます。そして、その情熱の源は、ただただ純朴に正直に自分の生きる意味を問い、自分の成長を支えた両親への感謝、そして、自分の感性を育んだ環境への感謝の気持ち。


この感謝の気持ちが半端ではない。
筆者の平田大一さんは、自分を構成するものが何かを真剣に考え(しかも大学生の若さで!)、自分を構成する人や環境への感謝の気持ちに真剣に向き合う。
結果、東京で掴みかけていた表現者としての成功に安住し活動の場を東京にすることよりも、自分を育んだ"島"(小浜島:沖縄の離島)で暮らしていく事を決断する。


当然、生活は厳しく表現者として大衆の賞賛に触れることも無い生活。普通の人の感覚では、ここで、「やっぱり都会に行かないとダメだ」と感じてしまうところ。島の人たちも、「何で東京の大学にまで行っておきながら帰ってきたんだ」と戸惑う。


しかし、彼は誇り高く(キムタカ)自らを育んだ土地を愛し、土地が育んでくれた自分自身を愛し、一人で出来る事(投資できるわけでもなく、本当に最初は小さな活動)から始め、それが沖縄全体を包み込むようなムーブメントへと発展していく過程は、とかく中年になって失いかけている情熱というものをもう一度信じずにはいられなくなるような、とても元気が出るお話でした。


一つ一つのエピソードが、子供のエピソードであれ、大人のエピソードであれ、もちろん平田さんのエピソードであれ、深く心を打たれっぱなしの一冊でした。
(嬉しい涙を流したい時に読むと良い本です。)



ちなみにこの本。休日に近所の中学校のバザーに立ち寄った際に、PTAのお母さん?に薦められて購入しました。本当はその場で、その後も脈々と続いている中学生の演劇のチケットを売っていたんだけど、自転車では行けないさそうな所(ヒヨっちゃいました。。)だったので、代わりに本を売ってくれた(買わされた!?)のでした。
この本の買い方もなかなか意味深い、と、読み終わって思ったのでした。
間違いなくこの本は老若男女にお勧めです。

火曜日, 6月 24, 2008

耳無し芳市号、盗難をまぬがれる


もう、やりたい放題、っていうか、「おじちゃん、鍵外していい!?」って聞かれちゃ、やってみなさーい!ってなるわけで、「うほほーい」ってなって、もう皆でいろいろ試してみるわけです。
←二人がかりで鍵外しに取り組む風景。明るい。




これがハッカーの起源。
間違いない。
ほぼ本能。
DNAレベル。
知恵も知識も無いのに暗闇で母親の母乳を探り当てようとする力。
そして、それは見つかり、生命を繋いでいく。


そういえば、C●TI BANKのオンラインシステムがリアルタイムにハッキングされた(銀行の基幹システムがネットワーク経由でハックされた事は無い)疑いがあるらしい。
こうなると、もう、振り込め詐欺とかオレオレ詐欺とかクレクレ詐欺とかモンデモンデ詐欺とか目じゃなくなるのである。
だって、無理して誰かにATM操作してもらう必要が無いもの。
自分でカードこしらえて自分でATMに行って好きなだけ下ろせばいいんだもの。


うーん。どうせなら慢性的残高不足の僕の口座の"0"(ゼロ)も横に増やしてもらいたいものだ。
ご利用は計画的に!

月曜日, 6月 23, 2008

「黒船iPhone」「よされよされ」の意味

※最後の床屋さんの話まではつまらない話です
先日、孫さん(って書いたからって面識はない)の発表もあり、いよいよ、iPhoneが国内で登場する。
これって、今の今まで気がつかなかったけど、その昔パソコンが数十万円もした時代にComapqショックといわれる黒船がやってきて一気に普及した時と同じような時代の転換期になりそうだ。


日本のケータイは世界でも類まれな進化を遂げてきたとはよく言われる。
僕が大嫌いな旧DんDん公社のケータイ端末(i-mode)なんて、悔しいけど最初のビジョンが良く出来ていて、ケータイを電話する機械ではなく持っている人の空いた時間の相手=暇つぶしに近い事をする機械として、肌色のお姉ちゃんがウインクしたり、肌色のお姉ちゃんが乗換駅を教えてくれたり、肌色のお姉ちゃんがニュースを教えてくれたり、肌色のお姉ちゃんがゲームしてくれたり、、、と、もう、肌色のお姉ちゃん大活躍で、キャリアとしては最高の「パケット垂れ流し端末」の先駆者だったのだと思う。
今では、辞書も路線図も天気予報もニュースもブログも全てケータイで済む様になった。


で、先駆者の土地にいる僕たちは、たまの海外旅行先で現地の人の携帯電話がピピピピッピピピピッとか電子音を鳴らしてるのを聞いて「着メロじゃないんだぁ」等と思っていたのだ
しかぁし、iPhoneである。同じiだからといって、iモードとかには対応しないのである。
もう、世界中の市場で流通するソフトが使えちゃったりするのである。
しかもキャリアは孫さんの所だけということではないと言う。


キャリア(Docomo,KDDI,SB)が牛耳ってきたケータイインフラ(プラットフォームとしてのケータイ)は、より下層のインフラとしてのみの機能(いかに大量のパケットをスムーズに届けられるか)を求められる事になる。コンテンツはappleのオープン(?)なプラットフォームに対応すればいいので同じコンテンツが他のキャリアでも使えるようになる。キャリアが違うから使えない、、、そういう事は無くなり、iPhoneじゃないから使えない、という事が起きる様になるわけだ。


Windowsという黒船でPCの業界地図が一気に塗り変わったように孫さんはいち早くキラー端末(実際はその端末で動くコンテンツ)投入で一気に塗り替えたいんだと思うよ。インフラやるならシェア取ってナンボだもの。

きっと、昔のPCブームやネットバブルのようなビジネスチャンスになるんだろうな。

その昔、電子手帳だ、PDAだ、と夢中になった時代もあったものの、正直、今はケータイで充分じゃんっていう自分。
mp3プレーヤーすらテーブルのDMやらタバコの空き箱やらの下に埋もれている。
(地方で自転車を移動手段とした瞬間に、移動時間は一生懸命移動する時間という宿命)



話は変わりますが、昨日、床屋さんに行きました。
床屋のオジさんは、カラオケマニアで、見事県大会を勝ち抜き、冬に新宿コマ劇場で行われる全国大会に出場するのだそうです。その彼の歌うサブちゃんの唄の歌詞に「よされ、よされ、と雪が降る」という歌詞があって、この「よされ」の意味を知らないかという話になりました。知らなかったんだけれど、ケータイでググると直ぐに判明。
「世去れ」の意味で、この世から疫病や不幸がなくなるように、、という意味でした。
「この世の不幸をかき消すように、降りしきる雪が全てを白くしていく」、そんな(かなり想像してますが、、、)歌だったとわかり、二人で感激した、そんな床屋さんでのひと時でした。
ケータイ便利じゃーん!

水曜日, 6月 18, 2008

怪我続き

昨日、自転車で転んだ。
転んだといっても、普通に走っていて、砂に滑って転んだとか、そんなつまらない転び方ではない。
冒頭につまらない転び方ではない、などと宣言して大丈夫かと思われるだろうが、かなりレアな転び方だ。
YouTubeに公開したら話題の動画になること間違い無しの転び方だ。
録画していないのが残念。。。


その瞬間はルンルンでベルピュンの直後に起こった。
(筆者訳;その瞬間は高揚した気分で契約勤務時間満了の直後に起こった。)

18:03:00、まだムッとする空気の中、チャリに颯爽と飛び乗り、オフィスの敷地内駐車場を抜け、ガードマンの立つ踏切に向かう。
18:03:46、アシストされなくたってスイスイ進むチャリ。この時間はオジイガードマン。ニコニコ笑いながらゲートを開けるスイッチを押す。
18:03:51、開いたゲートの下を通り過ぎようとする
18:03:52、突然ゲートが落ちてくる。
・既にゲートの直前なので見えていない。最初に気がついたのは額と鼻・口に何かがぶつかった事。
・この瞬間、慣性の法則どおり、僕のピカピカの耳無し芳一号は、私の体を離れようと全身を続ける。
・私の体はゲートに阻まれた私の鼻を中心にして下半身だけが自転車に付いて前進しようとする。
18:03:53、わけもわからず自転車/私が地球にハグをする。おぉ母なる地球よ。Love earth。
18:04:00、何が起こったのか、頭の中を整理しながら起き上がる。口の中に違和感。歯の詰め物が取れている。
18:04:15、脇に自転車を寄せ、言葉を失っているオジイガードマンに「顔、なんかなってますか?」と確認。
     オジイ「・・・・・」
     僕「ナンデコウナルノゥ」
18:10:00、しばらく詰め所で体の埃を落とし、顔をよくよーく触って出血が無いのを確かめ、自転車のペダルが欠けている事を確認するもの使用に問題が無いと判断し、腕の擦り傷が深くない事を確認し、オジイが言葉も失ったままそばを離れない事に、こちらが申し訳ない気持ちになる。
18:10:35、さて、気を取り直して外に出る。オジイも外に出る。
     ゲートがなんか辺だ。ぶらんと地面に着きそう。ゲートが僕の進行方向に曲がってしまって、降りた際にゲートを受けるU字型の柱に収まらなくなっているのだ。力尽くで直そうとするオジイ。「ゴメン、それを直すほど僕は元気が無い。」と心の中でオジイに声をかえけ、「大丈夫そうです。では、お疲れ様。」と言ってチャリで立ち去る。
18:12:54、敷地を出てしばらく走るも、顔の違和感(なにしろ顔面が痛いのだ)を感じながら、別の違和感に気がつく。
     「メガネが無いっ!」
     メガネを拾いに事件現場まで戻る。犯人は現場に戻るのだ。
18:14:03、現場に知恵の輪のように曲がった遺留品A(メガネ)、遺留品B(社員証/入館証)、遺留品C(ペダルの破片)を発見、回収する。
18:15:07、引きつった笑いをオジイに見せながら帰路に着く。「なんでなんだー」と呟きながらペダルを漕ぐのでした。

翌日。
夕べは鼻の回り全体が痺れていたが、今日はもう大丈夫。
そういえば、夕べ鏡を見たら鼻が曲がっている気がして、鼻の軟骨をクネッとやってみたら、治った。
今朝からは鼻のとおりも良く快適。まだちょっとだけ痺れてるけど。
そして、「ゲートは歩行者/自転車/バイクはゲートをくぐらずに詰め書の前を通る事」という新たなルールが検討される事になった。
オジイよ、新たなルールが出来た日にはヨロシク。


あ、タイトルが「怪我続き」となっているのは、先日のボート海釣りで、ハマったアンカーを引き上げる時に胸を圧迫したらしく、余りの痛みに病院に行ったら「肋骨を損傷している(ひびや折れた訳ではない)」との事で、バストバンドなる腹巻みたいなのをしていたのでした。ちょうど痛み止めも飲んでいるので、オジイイターゲート事件の痛みも一緒に緩和してくれているのでした。
ちなみにこちらの病院は、待合室はやはりオジイ/オバアの集会所と化していて、全く聞き取れない言葉を話しているのでした。
外国に来ているみたい。

日曜日, 6月 15, 2008

「おめでとう」

ストレスから体調を崩して会社を辞めた以前の同僚からメールを貰った。
田舎に帰って手に職をつけ(職人気質だったが本当に職人になった!)、就職先が決まったと言う。とにかくおめでとう。良かった。当時何も力になれなかったが、結果よければ全てよし、そういうことにしてくれ。おめでとう。



人間には人間に最適なペースがある。そして、その人間の中にも人それぞれのペースがある。
社会は一人一人の人間の為にあるはずなのに、いつの頃からか、社会=経済活動のターゲット、になってきた。経済活動に求められるペースは「スピード」だ。
自分が育った時の価値観をそんな簡単に変えてもらっては困るのに、せめて、必要な時間をかけてもらえないと多くの人がついていけないのに、やれ変革だ、それスピードだ、自己責任だ、、、
70年、80年の一生の中で、人は価値観を何度変えられるのだろう。案外柔軟だと思う。そう、多くの人は案外柔軟だと思う。でも、「多くの人」というのは何%の人?


いい学歴が一生を保障するというから酷い受験勉強を(青春を謳歌せずに)耐えて頑張ったのに?
←あなたの判断で勉強漬けだったんです。あなたの自己責任です。
マジメに仕事をしていれば、ちゃんと評価され、幸せな家庭を築いて健康な一生を送れたんじゃないの?
←マジメと評価は比例しません。あなたの自己責任です。
仕事をしたいと思っていれば、仕事が与えられ、食うには困らないんじゃないの?
←価値が無い労働力は不要です。あなたの自己責任です。


そのどれもが、経済活動の名の元に何の照れも無く反故にされていく。本質を考えるなんて無駄。考えるべきは結果としての利益。虚業が大手を振る世の中。。。
(H後屋はH後屋でいて欲しい。「お前も悪よのぅ」って言われ続けていて欲しい。皆がH後屋を目指したらどうなるのだ。誰が米を作るの?誰が人を助けるの?)
←回答:H後屋が米を作り、H後屋が人を助け、H後屋が対価をいただきます。



最近のニュースで驚いたのが(なんとなく考えてはいたが。。)石油、小麦/とうもろこし、二酸化炭素排出権、、、、この次に高騰するのは「水」なのだそうだ。
今の社会の延長に未来はあるのだろうか、と、考えさせられずにいられないニュースだった。


"水は「新たな原油」"のニュースソースはこちら。

海釣り(釣りに行かない理由)


ちょっとは職場に慣れてきたのか、忙しい一週間を過ごした。
そして週末、同僚の「船で海釣りして気分転換しようよイベント」に同行した。船も釣りもさほど興味は無いが(汗)一度経験するのは良いだろう。
※船を借り出す費用分担要員だということは後で気がついた。。。


朝、マリーナまで自転車。汗だくになって一時間で到着。
前の晩に用意した自画自賛せずにはいられない完璧なおにぎり。これを早く海上で食べたいと、それが最大のモチベーション。(笑)
そんなだから、とりあえず、その写真を貼っておこう。海の写真は他のブログで見ても同じである。(←ブログ自体も同じかそれ以下なのかもしれないじゃーん。自己満足の世界じゃーん。)


さて、マリーナを出て外海へ。なんという船か知らないが、小さいそのボートは、波を叩きつけながら結構なスピードで海上を駆け抜ける。
試しに船首の方に座ってみたが、ジェットコースター並みの揺れ、ジャンプ、飛ばされそうなほど。これは面白い。今日の収穫。「ボートでスピードを出すとジェットコースターの楽しみがついてくる。」(韻、知恵、ひねり、共になし)


15分ほどで本島から近い島。津堅島という島のそばにボートを停泊させる。
そんな小さなボートにもGPSと海底までの深さ、魚群探知機が搭載され、驚いた。特に海底までの深さは沖縄のように沖に出てもリーフの浅瀬が突然現れるようなところでは必須だと思った。


さて、停泊し、お借りした釣竿を垂らす。
今日は、釣りはやらなくていいやー、と思っていたのだが、擬似餌(ルアー)だったのでやらせてもらう事にした。


実は釣りは小学生の頃は良くやっていた。
近所の川で(海ではない。北上川。)よく雨上がりなんかは喜んで釣りに行っていた。釣りに行く前に庭の畑(庭なのかぁ、畑なのかぁ、空き地なのかぁ)の土を掘り返してミミズを捕まえて、バケツに無造作に放り込んでいくのだ。
ところが、小学校5年か6年?その頃のある日、喜び勇んで畑に行って土を掘り返す、いるいる、ウニョウニョと奴らは、より高等生物である魚類に食われんとするために今日まで土の中で頑張ってきたのだ。さぁ、おいで、神の手を差し出したそのとき、「うわぁ、、グロいよぅ」と、昨日まで田んぼを裸足でジャブジャブ歩いていたような僕は突然のミミズへの言われ無き嫌悪により、釣りを取りやめにした。
以来、一度も釣りはやっていない。千葉の海岸などをドライブすると釣り客向けの「ゴカイあります」の看板を見て、「ゴカイ」ってなんだ!?なーんて思った事があったが、ある日、その実物を絵(実物を絵って。。。)で見たときに「釣り人に近づくべからず」と思ったものだ。


さて、沖縄の釣り。どんな事情があるかわからないが、「島ゴカイあります」という看板を見たことがある。もう、想像なんてしません。とにかく、千葉のゴカイが島に来るとどういうことになるか、なのだろう。ピーマンみたいな島ししとう、米ナスみたいな島ナス、キュウリみたいなオクラ、象みたいな牛、新宿アルタ前の電光掲示板みたいな表札、もうなんでも大らかなのだから、「島ゴカイ」は誤解を受けるほどの生き物なのだろう。見ない、聞かない、食べない。
そう心に誓って参加したのだ。


そんな不安はルアーにより解決され、なにより、参加者(5名)のほとんど(4名)が内地の人でもあり、週末はゴルフ?海釣り?みたいなノリだったのだと気がついた。


で、ビギナーズラックも無く、美味しい(←ここ強調)おにぎりを海の上で食べ、竿を抱えながら昼寝し、二度寝し、目が覚めたら釣れていないからもう一度寝て、とても気持ちのいい休日を過ごしました。
釣れるのも南のお魚。うーん、ごめん。



そんなこんなで、船で海釣り、大いに結構、楽しいじゃん。
でもでも、やっぱり釣った魚は食べたい僕は、自転車で一時間かけていくほどのもんじゃないなぁ、などと思ったりもしたのでありました。
(なんなんだ、オチ無しかよぅ。)

月曜日, 6月 09, 2008

中年として気になる"the rest of my life"

映画(DVD)「ブロンドライフ」(2002,アンジェリーナ・ジョリー主演)を観た。

ジョリーの金髪の評価はさておき、なかなか気に入りました。
ジョリー演じるレイニーはキャリアアップを目指す地方のテレビ局レポーター。目指すは全米ネットのキャスター。

そんなバリキャリな彼女は偶然「自分が一週間後に死ぬ」事を知ってしまう。
死への5つのステップ、否認→怒り→取引→鬱→変容、を描いたストーリー展開。


ストーリーはおいといて(ググれば嫌というほど出てきます。。。)、劇中でlove measure?との問いに対して「I want to spend the rest of my life with you.」とのセリフが気に入りました。
異性への愛の定義としてとてもシンプルで、でも、家族愛や博愛など他の愛情とは異なる定義。
"the rest of my life:残りの人生"、そんなキーワードが気になるのはやはり中年だっていう事なのかな。
(汗)


レイニーは死の直前、全米キャスターの夢を果たす。そして死が訪れようとする、そして、「変容」する。全てを悟るのだ。
家族や恋人との関係よりも今の自分にはキャリアが優先すると行動してきた彼女。


映画ではハッピーエンドを迎えるのだけど、最後のシーンは「死を受け入れる彼女の変容。それが産み出した彼女の想像」だとも思える。
仕事に疲れた時に見るとよい映画でした。

※それにしてもジョリーはスッピンがいいねぇ。

日曜日, 6月 08, 2008

餃子の法則


昨日は休日出勤。最低な週末。。。。にならないために、今日は張り切って「餃子」を作る事にした。初めての餃子作り。




まぁ、レシピを見たりしながらおおよその予測をつけて買い物。「沖縄産豚ひき肉300g」の量に合わせてなんやかんや、ひたすら野菜のみじん切りをやったわけですよ。
なんか、いい感じに具が出来て、包む事になったわけですよ。
包んでも包んでも具が減らないわけですよ。
50個包んで具が1/3残ったわけですよ。
皮の分しか出来ないわけですよ。
知らなかったですよ。
冷凍したですよ。
ですよですよ。
ですよ。


というわけで、みじん切りに疲れた右腕をいたわりながら、今夜は餃子を好きなだけ食べるのです。
ビールもね。自家製ラー油もね。
はぁ、ちょっと元気が出てきた。
(これを書くまで、もう餃子を食べる意欲がそがれていました。)

金曜日, 6月 06, 2008

トップバリューよお疲れさん!そしてジャスコ詣で。

来ました来ました!
予想より早くやってきました。
「バイセコーウィズエレクトリック支援」またの名を「電動アシスト付き自転車」略して、「電動アシスト付チャリ」そう、電チャリ。


●水曜日
納車の連絡があり、残業もそっちのけで受け取りに。
(新車で最初に向かったのは残業の待ち受ける夜のオフィス)
おぉおぉ、いいじゃんいいじゃん。
しっかりカゴもつけてもらい、泥除けはオプションで後日という事で納車されました。



愛車トップバリュー号からボードキャリアを取り外し、新車に装着。
おぉおぉ、いきなりカゴ付、キャリア付、いいじゃんいいじゃん。


トップバリュー号は、自転車屋さんに引き取ってもらうことに。
お疲れ様。








●木曜日
そして、翌日、もう、盗難に遭う位ならと、いきなり油性マジックでカラーリング。
「耳無し芳一号」の出来上がり。


で、調子はどうかって?
もう最高。自転車の気持いい瞬間は、下り坂。
この自転車に乗ると、常に下り坂みたいな感覚になる。
ペダルは踏まなきゃダメなんだけど、そりゃもう、人生下り坂の私にピッタリ。


どこまででも時間が許す限り行けちゃう事になりました。


そんなわけで、仕事を定時に終えて、さっそく、投資を回収すべく宝くじを買いに15km近く先のジャスコに出かけることにしました。
道に迷ったりと、相当、遠回り(隣の沖縄市まで行ってしまった)したあげく、ようやくつきましたとも。巨大なジャスコ。
※宝くじは、そうそう売っている店がないのです。少なくとも僕の住んでいる町では売ってない。。


もう感激です。もっと感激してよ。えぇ、じゃあ少し。じゃすこし。ジャスコし。
なーんて、もう、駄洒落も恥ずかしく無いほどに感激です。
都会です。照明です。駐車場です。深夜までやってます。


入り口に行くと、ありました。懐かしい宝くじ売り場。よくぞここまで運を運んでくれたねぇ。
ちょっと涙ぐむ僕に、、、宝くじ売り場、、、、シャッター、、、???


【はみ出し】
宝くじ売り場に張り紙。

うーん、「お昼も休まず営業いたします。」かぁ。
確かに此処は沖縄でしたぁ。


ヤッホッホーイ、ジョンジョロリン♪

木曜日, 6月 05, 2008

送別会@那覇

以前、一緒に仕事をしていた仲間が那覇にいる。
このチームの一人が東京に赴任する事になり、送別会があると言う事で参加しました。
それは一昨日の夜、沖縄は激しい雨の夜でした。


うるまから那覇への行き方。
・タクシー:これは6000円以上かかるのでパス。
・高速バス:終バスが18時台に終わってしまうが、ほぼ、定刻運行。優秀。
でもたまに、満員(夕方、学生が結構乗ってくる)で、乗れない事も。
・路線バス:高速バスよりちょっとだけ安いけど、時間は倍かかってしまう。
・マイカー:無い
・マイバイセコー:遠い。さすがに辛い
・ニューマイバイセコー(予定):アシスト付なら気軽に行ける!?

ということで、高速バスで行くことに。
とはいえ、今日は雨。会社から高速バス乗り場(高速の料金所出口)までのタクシーを呼ぶ。
高速バスの時間を調べ、タクシーなら5分もあれば行くところを、20分前に来るように呼んだ。
僕の時間の最小単位は15分刻みぐらいなのだ。それ以上細かい時間はコントロール不能。
さて、タクシーが来る時間になり、オフィスを出るが、、、いない。
会社の敷地出入り口まで出て行くが、、、やはりいない。
警備の人と世間話をしつつ、5分過ぎたところでタクシー会社に再度電話。
タクシー会社の人「あぁー、、、あぁ、そうでしたねぇ。大丈夫です。直ぐ行きますよ。」
何が大丈夫なのかわからないが、とても柔らかい語り口でそう言われると、大丈夫なような気

になる。
話のとおり、3分ほどでタクシーが到着し、あっという間にバス停へ。
で、計算上では後5分ほどでバスが来るはずなのだが。。。。バス停の時刻表は違っていた。
もう、来る時間なのだ。ハラハラしながら待っていると、定刻にバスはやってきた。

そうやって、雨の中、那覇に向かった。


かれこれ5年以上前に出会った仲間たち。
今も若いけど、随分と力強く、逞しく、頼もしくなっていて、とても嬉しい限りでした。
そもそも、比較的離職率の高い職場、地域性の中で、この5人が一人も欠けることも無く、それどころか新たな仲間も増えて活動しているのは、奇跡的とも言えるような出来事。


自分の力が及ばない事がたくさんあって後ろめたい気持ちすらあったのが、全て吹き飛んだような気がして嬉しかった。


そして、チームに二人の仲間も増えていて、明るい前向きな、そして、ちょっとお馬鹿なチームカラーはそのままに、とても楽しい時間が、泡盛の酔いとともにあっという間に過ぎていったのでした。


豪雨の深夜、もはや交通機関はタクシーのみ。楽チンなタクシーで帰り着き、気持ちよく寝たとさ。どっとはれ。
(この時点で明日の通勤はチャリすら無い(会社に置きっぱなし)事に気がついていないのでした。)

月曜日, 6月 02, 2008

自動車購入へのプレッシャー

職場の同僚、上司、みんな中古自動車屋さんの回し者かというほど、車の購入を勧められる。

・本当に酷い雨の時は自動車じゃないと会社に来るのが大変
(既にそれなりに実績があるからか、"来られない"とは言われない。)

・自分の○○(車種名)を安く譲るよ。
(何故か必要台数+1台程度保有している人が多い。よくあるのが、自分+奥様+1台で三台とか。)

・せめて原チャリにしたら
(毎日汗臭いのかもしれない。。。)

・こっちにいるうちに、いろんなところに行っといたほうがいいよー
(言うほどみんなメジャーな所にしか行っていない。)
・・・

という感じで、気を抜けば、あっという間に自転車は倉庫行き。
しかぁし、この世知辛い世の中のニュースに私を救う神はいた。


(周囲)「だからさ、車買えばいいんだよ。楽しいよ~」
(私)「ところで、ガソリン代上がっているんだってねぇ」
(周囲)「そうなんだよ、もう、やってられないよ~。シャレにならない」
(私)「そうでしょう。大変ですよね。」
(周囲)「そうなんだよ。確かに自転車で通えるっていうのもいいかもだねぇ」

♪ザンザンっ

そうして大人の無駄話は仕事の会話へと移っていくのでした。

土曜日, 5月 31, 2008

韓国について

以前の職場、私の同僚に韓国の方がいました。
日本人と結婚し、お子様もいらっしゃって、異国日本で仕事をし生活している。


少し前に、その方のお父様が亡くなり、お国に帰るという事を聞きました。
お葬式で一時帰国するのではなく、そのまま韓国で暮らすようです。


言うまでも無く、大変お付き合いの古い国、韓国。
近いからこその紛争や競争意識が綿々と続いてきた国。
僕の食生活の中で、「焼肉」や「カルビクッパ」や「キムチ」など、切っても切れない食文化を持つ国。
(食生活は意識しやすいんだけど、あまりに日本の生活に溶け込んでいて他の文化的な影響について具体的にパッと思いつきません。勉強不足です。)


お父様を亡くされた彼と僕は同じ年代。
きっと、お父様も昨年亡くなった私の父と同じぐらいの年代だと思う。
私の父は、祖父の仕事の関係で海外を転々としていて、日本軍の衰退と共に(戦況と共に生活の場を追われた)日本に帰国、小学生の時に日本で終戦を知った世代。
当時の学校で、実際に竹やりを持たされて、空に向かって突いてみたりしたらしい。
海外暮らしから日本に帰ってきた父は、相当、「浮いて」いたのだろう。
小学校にまで監視だか視察に来た憲兵に(詳しくは聞くことができなかったが)対し、尋常じゃない怒り・恨みを持っていたようで、私が育った時は、誰が聞いても「左翼」「共○党員」のような話をよくしていた。


きっと、韓国の70代の方も、私の父と同じような年代で経験した戦争で心の傷を負いつつ、復興の中で夢を抱き、苦労し、家族を養い、新しい価値観や文化に戸惑いながらも生きてこられた方なのだろう。特にあの世代は「男性は家計の柱」「女性は家を守る」ような時代だったから、例え、学生であっても、家のために働くのが当然の世代というイメージ。
復興の後、韓国の亡くなったお父様の場合は、家族に日本人を迎え入れたのだから、複雑な心境もあったのかもしれない。


そういう私も、娘が何故か大学で韓国語を選択し、韓国に一年留学すること(努力の末、留学奨学金をゲット)になった時、快く送り出したつもりの割には、彼女の現地での生活で、特にボーイフレンドの話や、「△△なんかは、むしろ日本より便利」みたいな発言に、いちいち突っかかっていた。私の中にも、小さいつもりだったけど、結局、隣国に対する競争意識みたいなもの、えぇぃっ正直に言おう、「嫉妬」や「優越感」はあったのだ。


むしろ、直接接する機会から遠ざかってみると、単純に、どこの国、地域であっても「いい人もいる」「悪い人もいる」「好きな人もいる」「嫌いな人もいる」「好きな料理もある」「嫌いな料理もある」「慣れている」「慣れていない」だけの違いしかないのだと思える。
(正確には、基本的な人権が守られている国であることが絶対条件ですが。。。)


今、初めての土地で暮らし始めて、それがよくわかるようになった気がします。


「自分に自信が無い人ほど、ほんのささやかな優劣の判定に心を躍らせる」
そんな事が無くなっていくような自分になっていきたい。


友人のお父様のご冥福をお祈りいたします。&私の父の一周忌、天国の父に感謝。


川崎の焼肉屋さん"大将軍"のカルビクッパは僕の食べたいものランキングBest5にランクインしています!

水曜日, 5月 28, 2008

あれこれ昨日は自転車じゃなかったややこしい事情

よーやく来ました。梅雨です。
入梅宣言後も、「梅雨空けかぁっ!お日様かっかぁっ!」な日々でしたが、今朝、突然の豪雨。スコール。もう、バケツをひっくり返して、上下にシェイクして、自由落下運動に加速度をつけて、より早く水を地面に叩きつけたような、雨。
もはや雨雲がその重さに耐え切れず、雲のまんま落下してきたのかもしれない。
そんなそんな雨。


自転車はどうなった!?高級雨合羽はどうなった!?


今朝は寝坊した上に雨だったので、もはや勝手に親戚づきあいぐらい親しくさせてもらっている(単に馴れ馴れしい内地人:無知な人)タクシーの運転手さん○城さんの個人携帯に電話して迎えに来てもらいました。とさ。


雨はその後も、ザンザンジョロジョロと降ったかと思うと、お日様サンサンになり、かと思うとまた、ザンザンジョロジョロザンジョロジョロと降るという、南国っぽく降ったり止んだりを続けています。
さすがに外は「むーーーっ」としています。

早く、じょんじょろりーんぱっぱ、と切れよくいきたいものです。

火曜日, 5月 27, 2008

新しい友達

今夜は僕の新しい友達を紹介しよう。

実は、彼とは引越しの日に挨拶していた。お隣におばあと一緒に住んでいる。
おばあを守る事、それが生きがいのようなヤツだ。

引越しの日はバタバタしてたこともあって、彼が僕と同じぐらいの年齢だということ、最近、おばあにベッタリで、全然、外を出歩いていない事、そんな話を聞いた。挨拶はしたのだが、彼は、相当照れ屋のようで、唸ったまま奥へ消えた。

だいたい、彼は、深夜明け方でも平気で大声を上げるときがある。
そんな奇行をおばあは大変気にして、よく僕に「夕べはうるさかったでしょう」などと言うのだが、それ以上に、そもそも隣は田舎道にぽつんとある雀荘なのだから気にもならない。
雀荘にも負けないほど深夜まで音楽をガンガンかけているのは僕だったりして、むしろ、そっちがきになるほどだ。だからいつも声は聞こえているが、「いや、そうでしたか?気になりませんねぇ」などと誤魔化していたのだった。



そんな日から早一ヶ月が経とうとしている今日、タクシーで帰ってくると彼が隣の彼の家の玄関でおばあと佇んでいる。夕涼みのようだ。

「こんばんは」声を掛ける。
「あらまあ、お疲れ様。今日は自転車じゃ無かったの」とおばあ。
あれこれ今日は自転車じゃなかったややこしい事情(朝寝坊)を話した後、彼に声を掛ける。

僕:「涼しくなったから、たまには、一緒に下のビーチまで散歩しましょうよ。外の空気も吸ったほうがいいですよ。」
彼:「ウォーん」

という事で、彼、シェパード犬の「ラッシー」(←ここ笑うとこで~す)、オス7才は、無事に僕と一時間余り散歩してきたのでした。ちなみにこの家でもう一匹飼っている柴犬の名前は「キティ」です。
このネーミングセンス、シャレじゃないから凄いんです。全国広といえども、キティと名づけられた犬は皆無、ラッシーと名づけられたシェパードも、多分、いないと思います。

という感じで、夕飯は大部遅くなったけど、楽しい夜なのでした。


※一応昭和な話題なので補足1.
ラッシーといえば「名犬ラッシー」で、あれはコリー犬です。

※※これは昭和後期~平成の話題なので昭和中期団塊の方向けに補足2.

キティといえば「サンリオのキティちゃん」で、あれは猫ということになっています。

月曜日, 5月 26, 2008

水風呂(文通はまた今度)

暑い。暑い暑い暑ーーーいっ!

梅雨入りと共に雨は降らず蒸し暑い、どんより風も温かな日が始まりました。
そして、夜になるとイモリ君がケンケンケンケンッと鳴く毎日。

そう、その正に現代人としてのグッドアイデアは、梅雨入りのその日に発想した。
余りに昼間暑かったのだ。水道の蛇口から出る水が、充分お湯としてひとり立ちできる程だった。カップラーメンだっていけるような水。
確かにこちらでは、水道局は、湯道局という。水道代をお湯代といい、ミネラル水をミネラル湯、ソーダー水をソーダー湯、水割りをお湯割り、そんな感じだ。

で、翌日、「よし、こりゃぁ、お風呂は湯船に水を張っておけばお湯になるぜー」灯油代(こちらでは、お湯は灯油で沸かすのだ)も節約できるし、なんか、災害の時には、家の前で、近隣の人たちに水を分けて上げられる。「内地もんはやはり違うのぅ。」なーんて、もう、毎晩モズクで乾杯できる。島ラッキョなんて、ご飯代わりだ。


というわけで、水張りました。たーーーっぷり。
今、張った水で一日の汗を流す、これ三日目ですが、まだまだたっぷり浴槽には水が残っています。そうなんです、何故だか、浴槽の水は、いくら放っておいても水なんです。
もう、毎晩お風呂場で、ヒーーーッとかウッとか、西條秀樹にも負けないようなセクシーアクション&ボイスでダンスダンスダンス。


何がイヤって、お風呂上り。水風呂でさぞかし気持ちいいだろう、、、なーんて、そこのあなた、そんな風に思ってませんか?
だから、内地もんはダメなんだなぁ。

冷たい水を浴びた体は熱を発し、風呂上りは部屋の熱気と体の熱気で、自前の汗でシャワーを浴びる事になるのでーす。

※教訓
みんながやらない事には理由がある。

バベルの犬

横浜から離れる際に、きっと、こっち(うるま)では本は高いんだろう(単にBookOffが無いって意味)と思って、何冊か買い溜めして持ってきていました。

気負ってきたものの、電車通勤で無いという事は、強制読書タイムや強制iPodタイムが無いわけで、夜に気が向いた時にチラチラ読み進めてようやく一冊読み終わりました。

「バベルの犬」という本。犬系にちょっと弱いんです。
で、この本、バツイチの男が芸術家の女性と知り合い恋に落ちて結婚。女性が飼っていた犬も一緒に幸せな生活を送っていた。そんな幸せ絶頂なある日、彼女が庭のリンゴの木から転落死する。

その謎解きがベースになっているので、ジャンル的にはミステリーなのかも知れないが、実際は深い小説でした。
論理的な大人の男、芸術家の大人の女、飼い犬、の三者を通じて愛する事の本質を読者に気がつかせる、、、そんな感じの本。


クライマックス全てが解き明かされる最後の数ページは、一旦読むのを中止して、相応しい気持になれる時間に姿勢を正して読んだほど。

さぁ、次は何を読もうか。何を買ったかも覚えていないんだけど、上下巻ある本の上巻を読んでいたはずなんだけど、バッグ紛失事件で読みかけの上巻だけ無くしたのは痛いなぁ。

土曜日, 5月 24, 2008

文通


昨日梅雨入りしたうるまです。
梅雨入りと同時に、天気予報で雨の予報だったのに、今日は一日晴れ。蒸し暑い日でした。
とうとう、やってきました。南の島の夏です。


今日は早起きして万全の支度をして海行ったけど、湖。波無し。
チャリの場合、この時点で、「本日の営業は終了」となり、そんな海と日の出を見ながら、水筒に入れて持って行ったコーヒーを飲んで、引き返して後はグータラ土曜日。次のポイントという選択肢は無い。
ま、予報図見ててもここしばらくは無いだろうなぁ、とは思ってたんだけどね。


夕方に近所のスーパーにお米を買いに行って、ついでにその近所の気になっていた定食屋さん「フライパン食堂」で"フーイリチー"を食べる。グータラしすぎてもう夕方なのだ。
フーイリチー、こう書くと何の料理だかわかんない(僕もメニュー見て「これなんですか?」って聞いた)けど、「麩いりちー」の事で、「麩入り野菜とスパムを炒め」でした。美味しかった。
で、買ってきたソーキ(これはスペアリブの事)をシチューみたいに煮込んで煮込んで煮込んで、明日の楽しみに。このソーキは、沖縄そばの具としてよく使われていて、「ソーキそば」はこのお肉が具として載ってる。ソーキそばとはチャーシュー麺みたいなものか。


そして、夜になっても風は涼しい風なのに蒸しています。
今夜から蚊取り線香を出しました。懐かしい香り。でもBGMはLedZeppelin。


うるま暮らしで新鮮だったこと
・近所づきあい
 先日もモズクの酢の物が大家さんから届けられた。バーベキューの時の写真をプリントして持って行ったお返し(なんだと思う。もしくは怪しい住人を偵察か。。。)。
 ツールなら、Picasaアルバムで公開して、どーーーんなに離れた友人にも見せられるかもしれないけど、近所なんだから、お年寄りなんだからプリントがいい。
・気軽にバーベキュー
 準備もいい加減、集まる人もいい加減、時間もいい加減、楽しみ方もいい加減、解散もいい加減、で、これがとっても良い加減でリラックスできる。楽しむ事とは何かを考えさせられます。
・適当サーフィン
 ネットなんかに波情報は無い。そもそも、すぐ近くなんだから見に行けばよい。
 波がよければ入ればいい。波が無ければ海を見るだけでいい。
 でも、チャリはアシスト付きにします。(鼻息)
・雨は案外平気
 よく降ってます。でも、濡れるほどの雨は案外少ない。だからこちらの人は傘をささない。
 暖かいから辛くない。
 まぁ、これから、シンドイ目に会うんだろうな。。。
・車はいらない(かも)
 まだヒヨっちゃう部分もあるけど、まぁ、概ね車は無くてもなんとかなりそう。
 あれば便利だろうけど。
 クドイけど電動アシストに期待だね。

夜は更けていく、ヤモリはキュンキュン鳴く、遠くで犬の遠吠え、隣家の犬が遠吠えに応える、あれだけ寝たのにまた眠くなる。寝る子は育つ。

で、タイトルが「文通」なのは、最近、母と文通を始めた。
その事について書こうと思ったのだった。でも、次回にしよっ。
写真は通勤途中で咲いてました。

木曜日, 5月 22, 2008

人生下り坂、そして慣れない上り坂

変わった事
・電車通勤→自転車通勤
・レジャーの購入→近所のレジャー
・外食中心→ほぼ自炊
・飲み会頻繁→ほぼ無し

慣れた事、慣れない事
・自転車通勤
====慣れた事
========平地を移動する事、下り坂を移動する事、雨の日の移動(台風は未経験)
====慣れない事
========上り坂を移動する事
・近所のレジャー
====慣れた事
========財布を持たずに出かける事
====慣れない事
========上り坂を移動する事
・自炊
====慣れた事
========料理、お弁当製作
====慣れない事
========上り坂を移動する事
・飲み会が皆無な事
====慣れた事
========飲み会が無い事
====慣れない事
========上り坂を移動する事

結論
・上り坂をなんとかしたい。(涙)

だからって、パワーショベルで平地にするわけじゃあない。
上り坂だけなんとかするソリューションがこの世にはあります。それが電動アシスト式自転車。
時速15Kmまでは漕いでいる力に電気モーターがお手伝い。かといって漕がない場合はアシストしない。
そして、時速15Km以上のスピードでもアシストしない。


これって、いわゆる「支援契約」みたいなもの。
あくまでお客様が主体者でベンダーはお手伝いに徹する。
「請負契約」の場合は、漕がなくていいから目的地まで代わりに漕ぎましょう。って感じかな。
じゃあ、「アウトソーシング」は、何も考えなくても気がついたらゴールにいますよ、保障します。か。


とにもかくにもだ、上り坂の支援契約を結ぼうと心に決めたのでした。

火曜日, 5月 20, 2008

甘い雨

昨日月曜の朝、日曜の夕方から降り続いた雨は止まず、朝にはむしろ時折強くさえ降り続いていた。珍しく長い雨。(朝のニュースで首都圏の電車は乱れていたようですね。なんか、距離を感じたひと時でした。)


引越し前に、そんな日の為に用意した雨合羽。
ぬれてもいいスニーカーを裸足に履いて、雨合羽を着込み、カバンなどは濡れないようにサーフィン用の分厚いビニール袋に入れた。

いつもより、ちょっと早い時間、完璧な(雨合羽は完璧なものなのだ)いでたちで家を出る。雨が容赦なく降り注ぐが、なんといっても、暖かい。
いつもの下り坂、いつもは歩道に小学生や中学生がたむろしていて、自転車は走りにくかったりするのだが、雨の日は、誰もいない。誰一人、歩いてさえいないのだ。

そんなわけで、快適に雨の中を会社に向かう。
途中、おかしな事に気がついた。雨が甘いのだ。
最初は、自分の口の中が、朝ご飯につまんだ島ラッキョウの塩加減で、自分の口の中が塩っ辛いから甘いのかと思い、思い切り、口を開け、舌を出して確かめたが、やはり甘い。

爽やかに、うっすら甘いのだ。

そんな馬鹿な顔をしながら自転車を漕いで、あっという間に会社に着いた、そんな楽しい雨の朝なのでした。


話は変わるけど、最近、電動アシスト付き自転車に興味あり。
帰りの坂道が楽チンになるなら、車無しでも行けそうな気がしてます。

月曜日, 5月 19, 2008

FileStorageサービス

file storageサービス

ネットの便利さは、もはや便利な事すら気にしないほどになっている。
日々新たなサービスが産まれては消えていっている中で、最近、「便利だろうなぁ」と思ったサービスにFileStorageサービスがある。


これは、ネット上にファイルを格納するエリアを無料~有料で開放しているサービスで、各社、容量や格納期間の制約を設け利用者獲得にしのぎを削っている。


各社のサービスの紹介は、いろんな方やニュースサイトでやっているので置いといて、このサービス、10年以上前のBBSあるいはNewsを使い始めた頃の状況と同じような事が置き始めている。何かというと、意図しない情報の共有。


私が初めて「意図しない情報の共有」で痛い目にあったのは、パソコン通信の掲示板の世界では緩やかな閉鎖性(会員であり、かつ、掲示板の利用者として登録している)に守られた世界から、インターネットNewsサービス(っていうのか?とにかくインターネットに公開されているNews(掲示板)のペット関連の情報にアクセスした時だ。


当時、犬の散歩に凝っていた私は、自分の住む地域の公園で犬を放せるような場所を尋ねた。そうしたら、「犬を放すのは何事か」的な議論が巻き起こり、もう、収拾が付かなくなったのだった。まぁ、その内容は本題からずれるので触れないが、何しろ、大雑把&気にしない私でも、相当凹むようなやり取りが一週間ほど続いた。


そんな風に公開されているという事の怖さを経験し、それ以来、滅多にネットに書き込むような事はしなくなったが、最近では、圧倒的に増えた利用者の数やある程度リテラシーが成熟しつつある事などから、こうやってblogなども書いていたりしてます。


はぁ、前置きながーっ。
で、FileStorageサービスである。

無料、会員登録不要!?などの文字が躍るサイト。そうなのだ、ある程度の匿名性すら保たれたまま(正確にはプロバイダの情報を集めれば匿名性など無いのだか)数GBもしくは数十GBのデータを出し入れできるサービス。

ちょっとテストで使ってみて、非常に使い勝手がよいのは理解したが、試しにGoogleの検索キーワードに「zip site:"そのサービスサイトのURL"」なーんて検索すると、ぞろぞろぞろぞろ、お仕事のファイル?やら、彼女とのデートの写真、やら、もう、ヒットするのである。
そういえば、Googleの画像格納サービスPicasaも、非公開の設定ができるにもかかわらずデフォルトが公開だったりすることもあって、2ch辺りでは話題のアルバムなんかもあるようだ。


ということで、ファイル格納サービスは便利だけど注意しなさいって話でした。
でも便利だよう。ご利用は計画的に。

日曜日, 5月 18, 2008

ビーチバーベキューの巻


今日は朝寝坊。
のんびり休日の惰眠を貪っていたところに同僚からメール。
昼に、近所のポイントにサーフィンしに来るという。


それだけのメールなんだけど、する事もないので、昼ちょっと前にでかける。
今日はうねりが弱い上に、風が強く、しかも、めいいっぱい引き潮で、何人か入ってはいるもののコンディションはよくない。


とはいえ、一時間ほど入っていると、同僚の車がビーチに乗り込んでくる。
そこで、一旦上がると、バタバタとテントを組み立て始める。なになになーに。


聞くと他にも職場の仲間が何人か集まってバーベキューをするのだと。
バーベキューとかって、なんかオオゴトのイメージがあったけど、いとも簡単に、始まるのだ。

パラパラと何人か集まり、焼肉&焼きそば、車で来ていない僕はビール。
腹ごなしに海に入り、体が冷えたからと、熱い肉を頬張る。

そんな風に、バーベキューは日常に溶け込んでいる。
そんな風に、海は日常に溶け込んでいる。

改めて、いいなぁ沖縄、と思うのでした。

水曜日, 5月 14, 2008

気持ちいい事!


うーん満足。朝からうっとり。理由は簡単。
夕べ、チャリ用ボードキャリアが届いたので今朝から生活一変です。
(このまま車無くてもいい、、、というこの土地では無謀な考えすら浮かびます。)
・思いのほかチャリの移動は快適だった。
・思いのほかリーフブレイクは快適だった。(贅沢な波、波、波)
・思いのほか仲間がいた。(入水時は僕一人、その後7~8人)
・思いのほか怖くなかった。(あまりに水が綺麗で海底が見えるのでリーフの浅瀬にぶつかる事も無かった)
・思いのほか温かい水だった。(明日はタッパーはいらないな)
とりあえず写真のみupしておきます。

月曜日, 5月 12, 2008

ムラを守る事

先日、地元の生地屋さんにカーテン生地を探しに行った時のこと。
素敵な麻の生地があって、また、麻にしては手ごろな値段。聞いてみると、東京から取り寄せているのだという。


ここ地元の麻だって有名なのだが、それはとてもこの値段では売れないほど高いのだという。高いものは、どこか遠くまで運んで、更に高い値段で売られているのだろうと想像できた。


あれ、この話、最近似たような話を環境の話題で耳にした話だ。

その話は、ある世界のはずれの、貧しいけど食うには困らない漁村の話だ。
それまで、先祖何代もの間、そのムラでは食べるのに必要な魚は、ムラに面した海で充分に獲れた。原始的な方法の漁で充分に村人全員が食べてこれたのだ。


ある時、その魚が先進国で高値で取引(とはいっても、先進国側からみれば自分たちの海で獲るよりもとても安い値段)できるとムラは気づいた。
そして、ムラでは漁法を近代化し、先進国に自分たちが日々食べてきた魚を売る事で現金を得る事に夢中になった。


わずか数年後、そのムラの海では魚が獲れなくなった。
ムラには失業者が溢れ、ムラを去るものが後を絶たなかった。ムラは崩壊した。
ムラの多くの人が流れた近隣のマチも失業者で溢れる事になった。
こうして、食べる事もおぼつかない貧しい人が増えた。


そんな話だったと思う。
麻の場合は代わりに安い合成繊維になっても何とかなるけど、本質は変わらない。
生きるために必要な食べ物よりもお金が重要になった時、お金を手にできない人たちは飢える事になる。
もしかしたら僕たちが安い/旨いと大喜びで食べた魚で、たくさんの家庭が崩壊し、飢える人が増えたのかもしれないのだ。


日本が戦争で負けたとき、アメリカやヨーロッパの国々が「米」を買い漁るような事があったらどうなっただろう。米が手に入らない状況で戦後の復興はあり得ただろうか。


地産地消、言うのは簡単だけど、それを許さない「金持ちな国・地域」の略奪は終わっていない。そんな気までする麻の話でした。


※ちょっと強引に話を繋げたようにも思うけど、やっぱり、どっか違和感の拭えない状況だと感じたのでした。

※AEONが毎月決められた日にレシートを提出するとその提出されたレシートの売り上げ金額の1%を地元のボランティア団体に寄付するプログラムを始めたようです。これって、Patagoniaの「1% for the planet」(売上高の1%、利益のとか回収したレシートのとかではない)に比べれば、回収したレシート分だけの、とても小さな活動だけど、少しずつ企業は社会貢献無くして存続できない空気が出てきたのかもしれない。
http://www.aeon.info/environment/aeonday/yellow_receipt.html

日曜日, 5月 11, 2008

30Kmウォーキング(伊計島)+往復30Kmサイクリング!

第一回環金武湾(かんきんわん!)ウォーキングフェスタに参加しました。

職場の同僚に誘われ、超気楽に参加。だって歩くだけっしょ。
ということで、このフェスタ。本島と四つの島を橋で繋いでいるコースを端っこの島"伊計島"をスタートし本島に歩いて戻ってくる、至極、穏やかな、と思われるウォーキング大会。総距離30Km。


行きましたとも。まず、8:00の開会式に間に合わなくてはエントリーできません。
ということで、私の家から15Km程の集合場所(ここからスタートする島までは大会で用意されたバスで移動します。)へチャリで出かけます。ということは、朝、5:30に起きて、コーヒーなど飲んで、支度して、6時過ぎに出かければ余裕のよっちゃん酢イカもよろしくってなことで、目覚ましを5:30に仕掛けます。


いゃぁ、土曜の朝、至福の時間。そして、目覚ましは山手線浜松町のホームの音楽。(素敵な目覚まし時計なのです。写真で見せちゃいます!
チャラリラリラパラリラチャララン♪
いやぁ、土曜の朝は至福の時間。目覚ましを止めてゆっくり夢の続きを見ます。。。
今日はなんかあったよなぁ。。。いや、夢の続きが。。。


「いやいや、起きなくちゃ。はぁ、行くぞー!」
余裕で時計を見ます。6:50。
「うーん、寝ぼけてるな。目覚ましは5:30に仕掛けたもの」
もう一度時計を見ます。6:50。
とりあえず、寝返りを打って、霧が晴れていくシナプスを辿りながら、今朝の予定を一つ一つ、というか、一つ思い出します。5:30に起きて6:00過ぎにはでかけるという超シンプルな予定。。。


寝返りを打ったまま、壁を見つめながら、
「お腹が痛い事にして寝ちゃおう」などと悩みます。
「台風で中止になった」とも考えます。でも、外では朝の鳥達がのどかに鳴いています。
「自転車がパンクした」とまでは考えが至りません。
「1時間あれば行けるはず。という事は間に合うじゃん。」との考えに至るまで5分ほど要したでしょうか。。。


それから、ガバッと起き、その後の記憶は微かですが、とにかく冷やしておいたお茶を水筒に詰め、着替えなどをリュックに放り込み、玄関を出ます。
あーーーっ、サンダルはダメだーーーー、「俺って慌てん坊」などと玄関を二・三度出入りし、完璧に出発。(靴下を履かなかった事まで気にしていませんでした。。)


会場に着き、ギリギリエントリーには間に合いました。
そうそう、会場入り口では誘導員が車を駐車場に誘導しているのですが、チャリは何のガイドもありません。
ちょっと戸惑いながら、エントリーしている会場スタッフのテーブルの脇に自転車を止め、なんのお咎めもなしにそのままエントリー手続きして会場へ。こうやって隠れたチャリ優遇施策は行き届いているのです。


などといいながらなにしろ30Km歩きました。
経過はリンク先の写真でどうぞ。(Googleアカウントが必要みたい。。公開設定はちょっと考えます。)
伊計島ウォーキング、サイクリングぅ、足の裏はハプニングぅ


●成果
   足のマメ大×2ヶ、中×2ヶ、小×3ヶ
   足の爪先の痛み×全指共通
   筋肉痛×少々
   日焼け×多分そこそこ
   走破証明書×1
   サーフポイントの記憶×Priceless

それにしても、僕的には60Kmトライアスロンだったわけで、何か特別賞が欲しい気がしてます。
これを書いている今日現在、踵歩き(つま先は痛過ぎ)でびっこを引いて、明日は会社に行けないんではないかなどと、軟弱振りを発揮中。

ジャックジョンソンを聴きながら。。。

月曜日, 5月 05, 2008

大家さん一家とバーベキュー

引っ越した先は道路を挟んで向かいが大家さんの家。
連休も最後に近づいた子供の日、自転車で出かけ細々とした買い物を済ませて帰ると、大家さんがやってきた。日に焼けたポールニューマンな大家さん。


「これから庭でバーベキューやるからおいで」
真っ黒なポールは、白い歯を光らせて、ニコニコ顔で誘ってくれた。
そういえば引越しの挨拶の時にそんな話をしていた。


買い物で何か気の利いたものを用意しておくんだったと思いながら、「片付けたら行きます」などと答え、特に片付けるものも無く、ただ、引越しの荷物から持っていける物を探し、たった今買ってきたジャンボしし唐(ピーマン!)2月に新潟にスキーに行った時の柿の種と子供が孫が隣に住んでると聞いていたのでチョロQを持って出かけた。


庭に入って驚いた。
大人が7、8人、子供にいたっては何人いるのかわからない。
挨拶もそこそこに、皿を持たされビールを渡され、乾杯。
ウマい!


ちなみにジャンボしし唐は、当たるとしっかり辛いのであった。
これまたウマかった!



午後4時過ぎに参加したその宴は9時過ぎまで続いた。
ビール→いつの間にか一升瓶の泡盛(ロック)。
完璧に出来上がった僕は帰ると同時に深い眠りについたのだった。
っていうか、泡盛ってグラスで増えるのかぁ、ぐらいの勢いで、ガンガン足されていた。


それから、グラスはその場で缶ビールの蓋を缶切で取っ払った簡易グラス。
これで飲むと、中の氷の冷たさがひんやり手に伝わって気持ちよくて、やめられませ~ん。


驚いたこと。
・いきなりその辺で打ち上げ花火をやり始めたこと。
・大家さんは7人の子供を育て上げ、20人以上の孫がいること。
・A1ソース(沖縄ではメジャー。イギリス製)がとても美味しいこと。
・今回は違うけど、ビーチでバーベキューをするときは、バーベキューセットや食材をケータリングしてくれるサービスがあるそうだ。手ぶらでバーベキューができるのだという。

土曜日, 5月 03, 2008

お邪魔虫(3/3以降)

バイオハザード発令中のうるまです。
3/3発生までそう時間はかかりませんでした。


恐怖も覚めやらぬ夜。確かにビクついてはいたのだが、事件はその事件の性質に相応しい深夜に再発した。


一人身の中年男子としては、なんとなく夜は照明を落として、薄暗い部屋でガウンをまといブランデーを揺らすようなイメージ、いやそれは妄想で、実態は単に薄暗い中でジャージでコーヒー&一服してた。
ここは高台で、ちょっと下のほうにあるなんかの施設の駐車場の照明が窓をぼんやり明るくしてる。
ふと、その窓のロールスクリーンを見上げると、見覚えのある影。ぴたりと動かない。
何をどうみても、○モリ君の影。


影は怖い。
まず、ロールスクリーンの裏に張っ付いているのか、その後ろの窓ガラスに張っ付いているのか、影からは判断できない。
どの程度判断できないかというと、偶然、その姿を捉えた防犯カメラの映像を見ていただこう。



その後どうしたかって?
30分ほど睨み合いを続け、どうにもロールスクリーンか窓ガラスの内側か外側か判断がつかず、最後は意を決してロールスクリーンを、シュルシュルパンと巻き込んだのだ。
消えた。影も形も無く消えたのだ。


ということで、(3/3以降)とタイトルに書いたのは、このままこの手の興奮をお届けすると、南の島昆虫撃退ブログになりかねないからで、これをもってお邪魔虫話はしゅーりょー!

バルサン買ってくんどーーー!

金曜日, 5月 02, 2008

お邪魔虫(2/3)

「島(沖縄)では別の時間が流れている」という言葉は聞いた事があると思う。
観光パンフレットなんかによくあるやつだ。時間の流れが違う、、、などということが、、、、、あるのだ。


誰がなんと言おうと、島の時間は、都会のそれと比べると三倍ゆっくり流れている。
ということは、都会暮らしの人は、今の私の三倍早く歳を取るのだ。恐れ入ったか。コンチクショー。


ということで、2/3である。
一度昇天した私、傷心さめやらぬ私、神は何故にそのような仕打ちをするのか。
事件は○モリ失踪事件の、その日の夜に起こった。もう疑いようの無い連続南国昆虫関連殺人事件の勃発である。


なにしろ、暑いだけでなく、湿度がある。
爽やかに風が吹いているような気がするのだが、実際は大きな誤解で、寒暖計を見ると常に70%以上である。
洗濯物も、暑くて日差しが照っている割には瞬間的には乾いてくれない。(瞬間で乾くと期待していたのだ)


そんなわけで(どんなわけかは突っ込まないでほしい)、レンタカーに折り畳み自転車を積んでレンタカーを返却すると、その帰りは自転車で山を二つ越えて帰ってきた。当然、汗だく特盛状態で、○モリ遭遇の冷や汗もあり、今宵シャワーを浴びんとしたのであった。


南国暮らしの醍醐味はシャワーである。昼間の日差しを浴びた肌に、やや冷たいシャワーを浴び、火照る体を冷やし、今夜訪れる女神を夢想、、、などといっている場合ではない。


お風呂場で独り、灯油で沸かされるお湯がなかなか温まらず、水が湯になるのを待っていたその時、歴史は動いた。by 松平アナ
当然、お風呂場なので、普段は隠している精悍な肉体を晒していたわけだが、後ろにただならぬ視線を感じ、何気なく振り向く。「おや、壁にあんな真っ黒な大きな染みがあったっけ?」
当然、お風呂場なのでメガネをせずにつぶらな瞳を晒していたわけだが、振り向いて、視線を元のお湯待ちの蛇口に戻し、頭の中でビデオを一時停止→巻き戻し→再生してみた。


うーむ。メガネなしということに大いに期待したいとこだが、ワトソン君。君が見たのは間違いなく地球の歴史と共に歩んできた例の、黒い、ともすると飛んじゃったりする、あれだよ。わかってるよね。
ホームズ先生、でも、私はメガネをしていないので、もしかしたらあれは単なる壁の染みかも知れないと思うのです。大体、私の常識で知っている大きさではありません。あんなに大きいものでしょうか。。。
ワトソン君、君がそう言うならそれでもいいが、君のいでたちを見てごらん。いいのかい、そんな無防備な格好で、万が一、その染みとやらが飛び立ったらどうするんだね。


こんな会話を0.4秒ほどで済ませると、蛇口を閉め、風呂場のドアへ一目散すたこらさっさ、横目に黒染みチェックし、そうでしょうとも、触覚やら手足やらある染みは珍しい。「ひぃーーー」なんて奇声はあげませんとも。中年男子ですもの。


ということで、キンチョールだかなんだかを狂ったように散布し、手前の洗面所も同様に散布し、お風呂場および洗面所を24時間のバイオハザード立ち入り禁止区域に指定したのでありました。
※写真はありません。
※※この事件のおかげで翌日はスルメ状○モリ君の撮影を敢行できたのでした。○モリ君はまだ可愛いよ。

お邪魔虫(1/3)

引越し後の片付けに追われた。
何も急ぐ必要もないのだが、波も無いみたいだし、まずは、台所をなんとかして食事ができるように、、というあたりから取り組んだのだ。


食事の支度まではどうにもならないとして、コーヒーぐらいは淹れたい。
ということで、台所用品のコーヒー周辺地域を捜索し淹れる準備をし、午後にはコーヒーを買ってきて、(途中波チェックなども滞りなく行い)、ようやく台所に立ったわけだ。


大家さんからいただいたガス台。そう、大家さんに挨拶に行った時、人のよさそうなおじいさん大家さんに、ガス台を買うために近くのガス屋さんを聞いたところ、「古いのでよきゃつかってくれればいい、後で持ってくよ。食器棚もあるよ。」などとありがたい申し出を頂き、食器棚は遠慮してガス台を頂いたのだった。


そのガス台でお湯を沸かし、ふと、キッチンのありがちな出窓、新婚風エプロン奥様が風と共にクルクル回りだす例の出窓を開けた時に事件1/3は起こった。
出窓のサッシの隅を何かがチョロチョロと動いた。そのチョロチョロは、まるで私の心臓に直結していたかのごとく私の心臓を高鳴らせ、頭隠して尻隠さずのチョロチョロがイモリもしくはヤモリであることは尻だけでも充分に私の理解するところとなった。ここまで、3秒。

後ろ向きに歩くなんて事は大人になるとそうそうない。しかし、その時の私は、何十年ぶりかという後ろ歩きをすぐさま決行。散歩ほど後ろに歩むと、そこにとりあえず、腰掛けた。決して腰を抜かしたわけではないのだ。


半開きの出窓、チョロは相変わらず尻をこちらに見せている。もしかしたらメスか!?
お知り好きと知ってのその所業か。ならばコウシテクレル!!!!

手に取ったのは携帯電話。パカッと開くと、およそ二倍の長さになる。
なにしろセクスィー○モリ(丸には"イ"か"ヤ"を適当に入れてくれ)は、引力に逆らってサッシの上方にはっ付いているのである。なにしろ長さが必要だ。
T芝製長薄型高機能携帯といえども、この機能はマニュアルの巻末に「○モリ除けはお客様の責任でお使いください」と書いてある。しかし、背に腹は変えられぬ、敵はいつ引力に負けて自由落下運動を楽しむやも知れぬのだ。


三歩の距離をジリジリと近づく。また、チョロリと尻を隠し、セクスィー尻尾が微かに見えている。
携帯でサッシを閉めるべくサッシの取っ手を押してみる。。。消えた。携帯マジック!
微かに見えていた尻尾があった辺りを覗くが、もうそこにはいない。
素晴らしい携帯である。魔よけとか虫除けとか女除けとか仕事除けとかに使えるのだ。


ということで、その2秒後に、サッシの下方向にさっきの元気な○モリ君(もしくは"○モリさん")とは別のスルメ状に脱水症状の後昇天召されたであろう別の○モリ君を発見し、その日は私の最後の記憶となったのである。
※写真は後日奇跡的な復活を遂げた翌日に筆者が撮影したもの。(スルメ状の仏様)
※※本当の悲劇はこの夜起こったのだが、それはまた別途。。。

ポイントチェック


暑いっす。夏です。常夏です。


昨日から二日間引越し用にレンタカー(四駆)を借りていたので、近所のサーフポイントへのアクセスを完璧に把握した。近いじゃーん。いい波じゃーん。人ほとんどいないじゃーん。
と、いう感じ。沖のリーフ(さんご礁)で割れた波は延々と岸まで運んでくれる。
後で、写真の人が海から上がってきたときに確認したら、波が割れる(確実に同じ場所で割れるのです!)ところには、台状に盛り上がったさんご礁があって、そこにうねりがぶつかってそのまま割れて岸まで届くのだそうだ。びゅーてぃふぉー、わんだふぉー、えくせれんと、はっぴーにゅーいやー!!!

もう、絶句、このまま海に入ろうかというぐらいの、僕みたいな初心者に優しそうな波でした。
写真は昨日のです。住まいから1kmの所。


さて、今日、ようやく食事と着替えができる程度に片付けたので、もう一度波チェック。
結論は、みずうみーーー。まぁ、そんな日もあるさ。

その波チェックする高台での出来事。
昨日は見るからにサーフィンやってます的な若者がチェックしに来ていた(しかも社会人で勤務中の昼休みに)のだが、今日は真っ黒なおじいが独り双眼鏡を手に立っていた。
挨拶すると、おじいは真っ黒な顔から前歯のかけた白い歯を光らせ満面の笑みで語りだした。いや、何も僕は聞いてないぞー。挨拶しただけだぞー。


かなり強い沖縄訛りでこんな事を言っていたようだ。
・眼下の桟橋、湾を挟んだ向こうの港(金武港)、辺りの船舶、これを監視しに来ている事。
・警察は悪いやつ(米軍関係者)を逮捕しないで悪いやつを見つける私を逮捕する
・結局無罪放免なのに40日拘留されたことがある。
・昭和45年から戦っている
・横浜に出稼ぎに行ったことがある。都会では(女)遊びができて楽しかった。
・置いていった奥さんが病気になったので都会暮らしはやめた。
・奥さんは今も健在。
・70才ちょい手前。
と言うような話。訛りが強いので、次の話題を聞きながら前の話をリピートするような感じで聞き取れたのがそんな内容。
彼の言うことの是非はおいてといて、滞在しての感覚としては人口の2割ぐらいが米兵のような感じのこの土地。
日本全体の安全保障の為に、犠牲を強いられるこの土地ならではの出会いだった。


受験戦争を勝ち残った、ただそれだけの偏った官僚達は、この、おじいの言葉の影にある感情は理解不能なんだろうなぁ。


おじいが「悪いこと見つける方が取り締まられて、悪いことしてる人はのさばる」ような話をした時に、神様は見ているよみたいな、まるで子供に話すような話をついしたのだが、とても嬉しそうだった。
少なくとも僕はおじいともっと話していたいと思ったもの。悪いことしてのさばっている人だったら長く話を聞くことも無いだろう。。


別れ際、「お兄さん(僕のこと)もせっかく沖縄に住むんだから頑張って!」と言われた。
せっかく千葉に住むんだから、とか、せっかく横浜に住むんだから、とか、せっかく春日部に住むんだから、とは違う「せっかく沖縄」には深い意味があるような、、、、無いような、、、そんな、なんかいい出会いだった。

木曜日, 5月 01, 2008

旅立ち

遂に今日はやってきた。


出かける前の日にバッグを無くすという事件はあったが、午前中には全ての届出や手続きを終え、まずは一安心。(一安心しても何も返ってこないが。。)
奇跡的にPCは手持ちだったのが幸い。新聞ネタにならずに済みました。神様ありがとう。
(いいえ奇跡じゃあありません。模範的会社員の私はいつだってPCは手持ちですよ。そこんとこよろしく、始末書提出先のセキュリティ担当の偉い人!)


バックれたバッグも心配だが、それとは別に漠然とした不安。
何が不安なのか自分でもわからないのだが、向かう夜のフライトの中、窓外に広がる闇と代わらない何も見えていない不安を感じた。
何も見えていない、そう、まだ新天地で何も始めていないのだ。


三年間。自分の中で決めた期限。
明日から本当の一日目が始まる。
やらなければならない事を考えると三年は余りに短い。


なーんて、おセンチな気分を味わいつつANA135便は南南西に向かう。いや南西か。なんせ遠いのだ。
センチやメートルでは表現できないほど遠いっつーの。
明日の午後、横浜を出た僕の荷物たちに再会する。今はそれが楽しみ。


まずは音楽を聴こう。ピアノを弾こう。そして、波チェック。
仕事の事はひとまず置いて、ラッキーなことにまだ一週間も休みがある。
なんて考えていたら、漠然とした不安の中から漠然とした元気の泡が出てきた気がする。
あらら、三年はどうした、機嫌はどうした、本当の一日はそれでいいのかーーー。
(いいんです。ビールと元気は泡でよい。)


元気の泡は、バッグを無くした僕に着替えを用意してくれた、とても大切な人の存在が欠かせない。
うーん、幸せ者だね、僕は。
横浜最後の何日かを素敵な女性になった娘と過ごし、着たきりで加齢臭すら漂いかねない僕は清潔なパンツでフライト。
フライトアテンダントのお姉さん、なんだったら下着検査とかしてもらって結構!是非是非~!
←これだから中年オヤジは困る。。。

水曜日, 4月 30, 2008

さびしい人

こんな面白い話を娘から教えてもらい、しかも、彼女が自分で思いついたということに驚いた。
いつまでも自分にとっては小学生位の感覚なのだが、そうか、彼女はもう、僕が言うところの大人。26をちょっと過ぎたのだった。


(一部意訳 :-P )
あなたは崖の中腹にいます。崖の上の方からだれかが落ちてきました。手が届きそうなところです。
このまま落ちてしまうと大怪我は免れません、かといって、手を差し伸べると二人とも大怪我をする可能性も高いです。


さて、とっさにあなたが取る行動は?

a.自分も巻き込まれるかもしれないが、自分を省みず手を差し伸べる。
b.落ちてくる人を見極め、大切な人なら手を差し伸べる。
c.一旦手を差し伸べるが、限界を感じたら手を離す。
d.とにかく誰かほかの人も気がつくように大声で助けを呼ぶ。


さて、私はどうもC(日和見的。。。)なのだが、どれがベストと言う話ではない。
一見、aはすばらしい様に見えるが、二人とも大怪我を負ってしまったら、最初に滑り落ちた人は罪悪感に苛まれるであろう。むしろ、b-dが人間的には「あり」のような気がするのは、自分に甘いだろうか。。

この行動パターンは、娘によると血液型を当てるときに「かなり使える」らしい。
どれがどの血液型かは、まぁ、考えてほしい。


そんな楽しい話がでるほど、この三日間は最高の日だった。


引越し後の3日間、娘と、離婚後初めて長時間過ごしたことで、自分が父親としていくらかの感謝をしてもらえていたこと、それ以上に、娘がとても素敵な女性になっていたこと。もちろん外見も。笑
これは最高に良い出来事でした。もちろん、彼女を育てたのは私一人ではなく、母親も始め、すべての関係者に感謝せねばなるまい。

最悪だったのは、、、荷物を無くしたこと。
社員証や賃貸契約の預かり金証とか他にもいろいろ。パンツも。
しかし、わずかな時間にもそんな物を持ち去る人がいるなんて、都会は怖いものです。
きっと、弱みに付け込まないと生きていけないっていうさびしい人たちが多いのだろうか。。。
何一つ、本人以外には価値のないものでも、きっと持ち去るときには「しめしめ」とか「やったー」とかドキドキして、中身を開いて毒づいているのだろうか。
いずれにせよ、手癖の悪いということは、究極の寂しさの表現かな。


まぁ、僕はお蔭様で、寂しいことはないので盗られる事があっても盗ることはなさそうなのでよしとしよう。
ハートは盗っちゃうかもしれないけど。(笑)

土曜日, 4月 26, 2008

ツナギ1枚三着分。


朝、普段どおりに起きる。


最後の仕上げは、ごみ捨て、やかんとコーヒーカップなど最後まで使ったものの荷造り。
一通りの作業を終え、一服(これも急場しのぎの灰皿を用意)していると引越しやさんから電話。


あーと:「郵便局から登っていけばいいですね。」
ぼく:「いやいや、そちらからだと50m程階段で荷物を運ぶことになりますよ。車も止められるかどうか。。狭い道路ですが、上の学校の脇から降りてきてください。2t車なら多分大丈夫です。」(多分、、、、って)



程なく奴らはやってきた。予定通り8:30きっかり。
2t車とはいっても荷台はロングサイズ。坂を折りきった角で何回か切り返し、「♪わぁたしぃのまちのぉー0123」のトラックは電動バックミラーを畳んだり出したりしながら、フロントのバンパーを坂道のコンクリートブロックに擦りながら、遂にやってきた。そういえば、角の切り返しも0123、三回だった。

作業員は若者。0123、3名。オーバーオールの柄の襟付きツナギを着た奴ら。
ちょっと見には、白いポロシャツ+青いトレーナー+白いオーバーオール、なのだが、実態はそんな柄のツナギ。
そんなことに感動する間もなく、彼らは、てきぱきと荷造りしたダンボールを運ぶ。
部屋の中で指示しながら家具類の梱包などする人、指示に従い車の前まで荷物を運ぶ人、車の荷台に荷物を積み上げていく人、特にこの荷台に荷物を積み上げる係はエラい。もう、リアルテトリスの世界。たまに登場する長尺物(カーテンとか)や無駄に箱に収まらなかった部屋の中のプロが急場しのぎに作った箱に収まったスケボーなど、ありとあらゆる箱をピッタリ荷台に納めていく。
それを眺める僕の頭の中にはテトリスのBGM(メヌエット、らしい)が流れ、ツナギの三名が、作業に没頭する。


この調子なら10:00には終わりそうだなぁ。などと考えたのもつかの間、中身の入ったままの家具類の梱包が始まったようだ。そして、その数が多い。家具が多いのではなく、単に衣装ケースとか何とかボックスの類なのだが。
しかも、とにかく、何が何でも、そのあーと色の箱になんでも包むのだ。包むと言ってもちゃんとテトリスができるように四角く包むのだ。
後半は、一気にスピードダウン。テトリスプレーヤーも複雑なブロックに一度積み上げた箱を動かしてみたり、、と、雲行きが変わってきた。



車の半分ほど荷物が積み込まれた段階で、リーダーと思しき若者はどこかに電話。うーむ、何か問題でも???


程なく電話の理由は判明。
同じ車、同じユニフォームで援軍登場。
僕はまだこの時点で「近所で暇してるから手伝うよん」程度の援軍だと思っていた。
やはり角で三回切り返してフロントバンパーを擦りながらやってきた。


その後、総勢5名体制で作業は続く。さすがに作業ははかどった。
しかし、この援軍の真の目的は、荷物がほとんど入りきったところで判明。


援軍が必要だったのは「暇ならお手伝いしてよん」ではなかった。
「あの営業めぇ、見積もりどおりじゃ荷物が一台に入りきらないじゃないかぁ」だったのだ。

アパート一部屋に、しかも、部屋は広く「床に物がない」事が自慢だったぐらいの部屋なのに、だ。
食事用のテーブルさえ折り畳めるお気に入りのものだったのに、だ。
そして、中途半端だけど1.2台分の荷物を二台に分乗させ、荷物は去っていった。


去るときは更に大変だった。部屋の前の曲がり角、テトリスのLブロックがはまりそうな角。
最初に援軍のベテランっぽいオニイさんが、車を走らせ、頭から突っ込んでいってみた。
素晴らしいハンドルさばき、四方に散って四隅をチェックして合図するコガモ達。五回ほど切り替えしただろうか。。。
ダメだった。0123でダメなものはダメなのだ。その向きでは不可能なのだ。


結局バックして来た時のビデオを逆回転させるように0123三回切り返し。
しかし、荷物が入った為に、切り返しの最中に後ろのバンパーが坂道の地面に擦れる。
そんなこんなでスリルとサスペンス「アート引越しショー」は、登場と退場に見せ場を持ってくるという水戸黄門さながらの構成で完了したのでありました。


残されたがらんどうの部屋に不動産屋さんと私。
書類を受け取り、鍵を返し、しゅーりょー。
荷物が現地に届くのは5/1。(船便なのだそうだ)


今日から風来坊生活が始まる。(笑)
※いやぁ、若い女性のアパートに転がり込むっす。最近独り暮らしはじめた長女のアパート。(笑)

金曜日, 4月 25, 2008

明日はお引越し


一部は夕べから少しやり始めていたが、今朝は、起きてから、


ダンボールを組み立てる→狙った辺りのモノをあるものは紙で包んで、あるものはそのままダンボールに詰める→一杯になったらダンボールを閉じる→ダンボールを組み立てる、、、
という繰り返し。あらかじめ冷蔵庫のヤバそうなものは捨てておいたし、夕べから冷蔵庫の電源も落としておいたし、洗濯も順調だし、箱もたっぷりあるし、もはややるのみで、まぁ、予定通り昼過ぎには一段落した。


今日は天気もよくて、やけに、展覧会からの景色がきれいだ。
荷物整理が一段落して、郵便局、区役所と手続き。


いまさらだけど、横浜はきれいな街だ。25年暮らした街。
4月の風は、今日のように天気が晴れ渡っていても、まだ、春の冷たさが残る。
とても羨ましかった。持って行きたい気がした。


その後、ヨドバシで、プリンターを購入。
今までは、ネット経由でコンビニの複合機で印刷していたんだけど、今度はそうはいかない。
あと、ちょっと考えがあって、暮らしに必要になるから。
アナログな生活になるなぁ、、、


それから今日は、やたら電車に感動した。
ホームに立っていれば直ぐにやってくる。安い。
都市の生活。憧れてきた生活。堕落した自分。


なーんて、展覧会が好みの時点で、元々都会の生活は馴染んでいなかったのだろう。
さぁ、最後の最後、迷惑かけた前々職の社長に会ってくるか。
(家庭を守れなくなった時期の上司の上司。)
それまでは、最高に評価してくれていたのだが、それを機に一気に嫌われた(と僕が感じた)上司。


今夜はとりあえず、謝っておこう。それよりも、仲間に会えるのが嬉しいな。
では、ぼちぼち行ってきまーす。

水曜日, 4月 23, 2008

イルカ 2

ちなみに、かの「なごり雪」を唄ったイルカは、大学のギター研かフォーク研かなんかで、集団でギターケースを持って歩いている姿を見た同級生が、ギターケースがイルカみたいだったので「イルカの集団」と呼んだところからイルカになったらしい。wikiにはそう書いてあった。

なごり雪の降らない島より、、、「ジョンジョロリーンぱっぱ」

イルカ








wikiでイルカの項を読んでみた。

・意外だった事
分類学上はイルカと鯨に区別はないということ
睡眠は右脳と左脳を交代で眠らせる方法だということ
睡眠中は一定方向(北半球は反時計回り)に回転しながら眠る
呼吸の周期は40秒

えーーっ右脳と左脳を交代で眠らせる!?
右脳が眠る時は左目を、左脳が眠る時は右目を瞑るのだそうだ。
そもそも、右脳と左脳の働きもヒトとは違うのだろう。
ヒトの場合は左右で機能的にも違うようだけど、なんか凄いなー。
寝ちゃうんじゃあ、バランスよく機能分散しないといけないなぁなどと思いました。
いや、寝てるなら違う種類の夢を見るぐらいかな。。。

っていうか、この事実?はまだ新しいもので、ググってみると、ちょっと前までは、めったに眠らないって思われてたのが、2006年に日本の大学が研究発表したようです。まだまだ詳細はわかっていないようです。
そもそも、睡眠に関しては人間の睡眠だってよく分かってないんだよね。
不眠症は苦しいけど、極々少ないけどストレスや体調に影響しない「不眠体質」の人も存在するらしいし。


でも、よく考えると、「眠っている」という概念は「起きている自分」の概念でしかない。
眠っている側の自分からみたら、起きているほうが眠っている様に感じるのかもしれないし、、、
あー、そんな風に考えると、マトリックスの世界観のようになってくる。
・・・・・
もう、思考停止。
ややこしいので、ジョンジョロリーン、ジョンジョロリーン、ジョンジョロリーン、ぱっぱ。
これですっきり。


もう少し、もっと、イルカについて知りたい気がしてきた。
ここの海で会えたら感激するだろうな。その時に本人に聞いてみよう。ギャグも見せてみよう。(笑)

うるまのレンタサイクル

うるま民宿生活中にお世話になった自転車屋さん。
無理を言って自転車を貸してもらっていた。

自転車を借りるのは今日で最後となるので、会社の帰りにお礼を言ってお金を払ったときに、引っ越しが来週末になるって話をしたら、
「そっか、じゃあ石川市民(旧石川市だから。うるま市民とは言わなかった)になるんだな。今度、一緒に自転車(多分、30kmウォーキングみたいなイベントの自転車版だと思われる)乗ろうや」
と言われ、僕が
「いゃぁ、僕の持ってくるのなんてママチャリだから」
って言ったら
「うちのいいヤツ貸してやるから大丈夫だ」
とか言われて嬉しかった。


以前の僕だと、「じゃあ、このオールアルミの2008年モデルください」みたいな見栄を張って、何の心の交流も無く終わったシチュエーションだったろうなぁ、、って自転車屋さんからの帰り道考えた。
その自転車屋さん、ビーグル飼ってるんだなぁ。
ビーに会うためにも、自転車オジサンと仲良くしなくっちゃ。(笑)

※今調べたら、トライアスロンとかやる僕なんかが出入りていいのかーーー風の本格派の自転車屋さんらしい。。。

火曜日, 4月 22, 2008

ありがとさ~ん

Wikipedia。最近よく検索結果の上位に出てくる。
このサービス、既に定着したというか、もはや無くてはならない。できれば家庭に常備がよい。

元々、このサービスが立ち上がり始めた頃の評判は散々だったと記憶している。
その昔ネットの掲示板が「便所の落書き」と言われたように。

出版社の辞典(百科事典など)は権威ある「センセイ」が責任もって書いているのだから、名も無い一市民が寄せ集めたモノなど使えないし、名も無い一市民が書いたものなど誤りも多いだろうから、結局は普及もしない。あるいは、普及しても信頼されない。
そんな話だったように記憶している。センセイ達はそう言っていた。


その後、どういう変遷を経たのか、チラっとWikipediaで"Wikipedia"を調べてみたら、今もなお苦しみつつ、コンテンツは増え続けているようだ。
権威主義が「あんなの使えない」と言ったのが、最近では権威主義的な人ほど、誰でも編集できる機能を使って自分で自分に関する情報を書き換える行為が続発したのだそうだ。結構著名な人や会社が、個人的に、あるいは組織的にそんな問題を起こしたのだそうだ。
また、ライバルの情報を意図的に改ざんするケースもあったようだ。選挙なんかのときに。
とうとう、創始者の一人ラリーサンガーは「ウィキペディアはもはや信頼に値しないほど、崩壊してしまった」と言わしめるほどの状況だったらしい。


と、いろんな問題を抱えてるが、まぁ、そんなのは市販の百科事典にも問題は山積なわけで、どこかの国のように統一された恣意的な情報操作が全面的に行われているのでなければ、利用する立場としてはまぁ、いいのである。
また、「まぁ、いい」のレベルには完全に達した、とも言える。


さっき、坂田利夫についてWikiで調べた。
彼の素晴らしいギャグが拾えてとても嬉しい気持ちになった。普段、とりたてて興味があったわけでもないアホの坂田を好きになった。
僕がお気に入りの紹介されていたギャグ。男性にはこのリズム感が伝わるのだ。
「みみずもカエルも皆ごめん。ジョンジョロリ~ン、ジョンジョロリ~ン、ジョンジョロリンの、ぱっぱ」


僕は便所の落書きが大好きだ。(言い過ぎました。落書きは社会的にやってはいけない行為です)

月曜日, 4月 21, 2008

過ち。


昨日、別れた家族(元妻、娘、飼い犬)と、飼い犬の年齢(14才)を考えるともう最後かもしれないという思いもあって、会った。

別れる以前から、別れた後も、何年も電話ですら「普通の会話」ができなかった。
どうしても感情的になり、最後には罵り合って電話を切るような事が、必要に迫られてコンタクトを取る度に、最後は電話をブチッと切るのだった。

昨日は違った。近況を話し、昔話も普通にできた。
もちろん、飼い犬とも長い時間一緒に過ごすことができた。

何が悪かったのか。結論は僕があまりに幼稚だったこと。
流れに任せる、、、という言い訳を使って、いつも正面を向かずに逃げてきた。

正面を向かないから、断るという「気まずさ」を避けてしまう。自分に対してもとても寛容。
自分であれ相手に対してであれ、ネガティブな反応ができずに、曖昧だったり、あるいは前向きな反応をしてしまう。根拠のない自信とはよく言ったもので、Yesが基本回答だった。

もちろん、責任を持って対応するのであれば何の問題もない。
しかし、人の気持ちが絡んでいる時に、「嫌われたくない」「いい人だと思われたい」のような陳腐なその瞬間の「俺って優しいいい奴」という自己満足に溺れてしまっていた。幼稚だった。

幼稚さは、不要に人を傷つける。そして、不要に何人も傷つける。
傷つけた全ての人達よ、ごめんなさい。最初に曖昧な反応をしたばかりに、その日のうちだったり、何年もたってからだったり、結局、責任を負えずに逃げてくる卑怯な人間でした。

いい年して恥ずかしいが、今からでも少しずつ、大人(信頼できる人)になりたい。と思った。

日曜日, 4月 20, 2008

ひとつお笑い

http://r25.jp/magazine/ranking_review/10007000/1112007101807.html
笑った。

年賀状

引越しの荷物を少しずつ整理しつつ(とはいっても捗っていないが。。)年賀状に目が留まった。
一枚一枚、後で住所録が作れるようにデジカメに収める。
年賀状の小さな束をテーブルに積み重ね、上から写真に撮る。撮り終えると一枚めくり、その下の年賀状を撮る。そんな作業。
これが、案外ブレブレで、よほど緊張感の無い体なのか、既に何かしらの震えがきているのか、必要枚数の三倍ほど撮らないと納得の一枚が撮れないのだ。

そうこうしながらも、何とか進み、ちょっとしたマイスター気分を味わい始めたころに事件は起こった。
そこまでは、デジカメの液晶に写るのは、「愛してます」とかじゃなく、ネズミと「よろぴこー」みたいなメッセージだったのが、突然、家族写真とあいさつ文、その末尾に「吉永小百合」とあるではないかー。おーーーーーっ、なぜ、なぜ僕に。いつだった知り合ったの!?
と、混乱数秒、幸せ2秒。郵便局のお知らせが混じっていたのでした。


前にも書いたけど、僕は確信犯的に年賀状を減らしていって、あたかもヘビースモーカーが禁煙に成功するかのごとく三年がかりで年賀状の慣習から抜け出た、どうだ偉いだろう!ぐらいの自己満足に浸っていた。


そんな僕にも今年も少ないながら年賀状が届いていた。ありがたい。ありがとう。
年賀状はさておき、人との付き合いはもっと大切にしなくちゃ。僕はまだぜんぜんだめ。


この場を借りてお礼申し上げますです。吉永小百合かぁ。
桃井かおりからは年賀状来ないかなぁ。

土曜日, 4月 19, 2008

ディープブルー(完)

読み終わりました。ディープブルー。

うーん、前回書いたのは、イルカ達の素敵なコミュニケーションについてかぁ。
中盤~後半はその能力が、鯨やシャチなど海の哺乳類全般に及ぶこと、、、
そうすると、鯨なんてすごーーーい能力がある。。。
この辺から話は、ややSFチックに展開し、好みだけど、最後は環境問題を克服するハッピーエンドな物語。ちょっと、今の時代だと想定範囲で、僕はちょっとシラけてしまいました。


ただ、荒唐無稽な話でもなく、そもそも、地球上の生物で人間だけが「環境に抗って」生きる生物で、愚かな歴史を刻んでいるのは明白。
この話の云わんとしている事には否定の余地がありません。愚かな人間の目を覚まさせるものがイルカなのか、それとも自分で気がつくことができるのか、自分を振り返っても愚かな生き物だからなぁ。。

でも、何年も気がつかなかった過ちに気がつく事ができるのも人間。
なーんて、そんなストーリーと別に、読んだ人が思い思いに想像を膨らますことができる本でした。

荷造り


この週末も横浜に帰ってきた。荷造り。
今日は、オオモノのサーフボードをプチプチで包んだ。
と、そこでようやく引越し先の不動産屋さんから連絡があり、火曜日に契約することとなった。
5/1入居確定。沖縄県うるま市石川東恩納1536-1。

ひと段落着いたところで、本を買いに伊勢佐木町へ。
なにしろ、うるま暮らしで残念なのは、大きい本屋さんが無いこと。
本屋さんはamazonに無い「出会い」がある。一見脈絡の無い棚の中から拾い出される本。
まぁ、大きい目で見れば、南の島の小さい本屋さんに運ばれてくるという出会いがあるのかも。。(やけっぱち)


その後、以前、大切な人から聞いていた映画の広告が目に留まり時間もちょうどよかったので立ち寄る。
「つぐない」http://www.tsugunai.com/
もともと、イギリスで大変評価の高い「贖罪」を映画化したものだということ。
ストーリーはリンクを辿ってもらうとして、僕には、この映画のパンフレットの表紙が一番ショックだった。


真っ白な、まるで開いても何も書いていないような、誰かが画用紙でコピー用紙を閉じたような、真っ白なパンフレット。映画は少女の嘘が取り返しのつかない罪となって一生をかけて償うことになる話だが、見終わっても償いができたとは到底思えないのだ。その答えが、この真っ白なパンフレット。
一般的に償いの目的は白紙に戻すこと。しかし、戻らない時間の中で、誰一人白紙に戻せる人間はいないのだ。


結論。償わなければならないような事はしてはいけない。

そして、姉役のキーラ・ナイトレイ。(写真)
きれいでした。ウットリ。

金曜日, 4月 18, 2008

"歩く"に申し込んだ

会社の同僚から誘われ、5/10に30km歩くイベントに参加することにした。
かねてからサーフポイントでもあり興味のあった伊計島。この島から本島まで3つ島を経てつながった橋を渡り歩くのだそうだ。


歩くという肉体的な事よりも、昼食をはさんで5時間余り歩く間、あるいは歩いた後に、僕の頭の中に何が生まれるのか、生まれないのか、そんなところに興味があります。
http://www.city.uruma.lg.jp/3/2405.html
ここ何回か、3月までいた職場の周辺の方から個人的に電話を頂いた。
発つ鳥跡を濁さず、とはいっていないようで、仲間達の苦労が目に浮かんだ。


今は辛い時期かもしれない。
でも、一人残されてみんないなくなったわけではない。
みんなが残って、一人が出て行ったのだ。
力をあわせればうまくいく。歯車がちょっと狂っているだけなんだ。

いつでも愚痴は聞くから、頑張ってうまくいかないなら連絡してくれていい。
だから、諦めずに考えて欲しい。僕がやってきたのも諦めずに考えてただけなのだから。


はみ出し日記=================================

「生きている証」
昨日見た「Smoke」では、A=B&B=Cの場合C=Aが成り立つならば、
(秘密を打ち明けられる人)=(友達)かつ(友達)=(生きている証)であるならば、
(生きてる証)=(秘密を打ち明けられる人)が成り立つ。


自分にはそんな人がいるのか、つい最近、たまたま考えたことがあった。
最小人数ではあったが、確かにいた。もうじき30年になろうかという付き合い。
半年振りぐらいに電話して、近況を話した。


何故、彼なのか。
それは嘘を知らない時代から続いている仲だから。
虚栄も恥もなかった時代。
気がつけば、その後は、彼以外とはそんな付き合いを避けてきたように思う。


まったく見栄っ張りなもんだ。
もっと自然に、素直に進まなくては。などと、まず、彼と話してみよう。

木曜日, 4月 17, 2008

生きている証


*映画「Smoke」

90年代始めのニューヨークの下町が舞台。

愛する妻を強盗事件に巻き込まれて失った作家ポール。20年以上欠かさず毎朝8時に自分の店を通りの向こうから写真に撮るのが日課の、ポール行きつけのタバコ屋の主人オーギー。

物語りはあわや車に轢かれそうになるポールを黒人の少年トーマスが助ける事で、ポールとトーマスに友情が芽生えるところから始まる。しかし、トーマスは幼少の時に両親と別れ、伯母の家から父を探しに家出していたのでした。名前も偽るほど自分を明かさないすねた少年トーマス。

やがて下町の大人達がトーマスの心を開かせ、父との再会を果たさせる。

トーマスの幼稚な嘘と大人達の温かい嘘。

最後のシーンでオーギーがポールに秘密を打ち明ける。この時のオーギーのセリフが僕の胸に響いた。

「秘密を分かち合えない友達なんて、友達といえるか」

そしてポールが答える、

「それが生きてる証」

水曜日, 4月 16, 2008

ディープ・ブルー

今回のうるま滞在は、さすがに二週目ともなって、家を出る時に本を持って出た。

「ディープ・ブルー」
ディープ・ブルー (角川文庫) (文庫)
ケン グリムウッド (著), Ken Grimwood (原著), 布施 由紀子 (翻訳)

有名なスパコン(チェスで人間を破った)ではなく、イルカの話。

まだ読み始めたばかりだけど、とても興味深い。
多分、仮説、によってストーリーが展開していく。

その仮説とは、イルカ達は例の愛らしい声で論理的な言葉を交わしてコミュニケーションしてるわけではなく、超音波でスキャンした映像や自ら伝えたいと思ったイメージを超音波で伝えてるって仮説。
(ちょっと間違ってるかも)

ストーリーは、イルカ達が自分の考えや思いをイメージでやりとりしながらイルカ社会を営む。危険を知らせるなら、伝えたい相手が危険に晒されるイメージを伝えるし、好きな相手には一緒に旅するイメージ、陣痛に苦しむお母さんイルカにはスキャンした子供の姿(音波だからできるんだよ)を送って力づける。

イメージでコミュニケーションするのは、イルカやクジラ達。そして、幼少期に不思議なイルカとの接触経験を持つ人間。その仮説を証明しようとする女性研究者。

ストーリーの中に中南米のマグロ漁がイルカの群れを目印に行われるシーンがある。
マグロに混ざって一緒に大量に罠にかかり息絶え、捨てられるイルカ達。


イルカたちの(仮説が本当であろうと無かろうと)なんか素敵な世界。嘘が無い世界。
そして、人の行いは罪深い。

※そしてイルカ達のメイティング(SEX)の描写も素敵だったりするのでした。

日曜日, 4月 13, 2008

母の話


うすぐ70になる母は、昔から仕事の合間になにかしら地域のボランティア活動に参加している。なんかやってんなー位の関心しかなかった僕はあまりボランティアの話を聞いてこなかった。そんな母の話。

年に何度か母の住む地方を訪れる盲目のバイオリニストがいる。特別著名な方ではないので一人で演奏旅行してるのだそうだ。

その方(女性)の会場でのお世話をするボランティアは母が指名されるのだそうだ。

たまたま用事があった日に「○○さん出なければ困る」といわせた母は、何故自分を指名するのか、彼女に聞いてみた。

「○○さんだけはリンゴをプレゼントしてくれる時に、すぐ食べられる様にカットして食べる分だけタッパーに入れて持ってきてくれる。頂いた後、スタッフみんなで食べれる。リンゴはよく頂くけど、(ハンディキャップのある旅行で)持ち帰るのは大変なんです。楽器やら大切な荷物がたくさんだし。」

「演奏前の会場内レストランでの食事に、レストラン入口でお別れして呼ばなくても食後に再び迎えに来て頂くのは快適。どこの会場でも食事はボランティアの方が付きっきりになって、待たせてると気になってゆっくり食事した事が無いんです。」

食事に関しては母がレストランの人に食事が終わったら連絡をするように言付けておくんだそうだ。母曰く一人暮らしで一人で演奏旅行に来るんだから食事のお手伝いはいらないのだそうだ。

ホスピタリティ、若い時分の母のアルバムの1ページ目はナイチンゲールの写真で始まる。

金曜日, 4月 11, 2008

一週間のまとめ


那覇行きの高速バスを待ちながら(たいしてダイヤを確認してなかったので40分も待つ事に。。)この街の一週間を振り返る。

・人は概ねお人好し
・歩いたり自転車乗る人は皆無。(宿から30分目抜き通りを歩いて中学生多数以外は犬の散歩してるお爺さんと交差点に立つお巡りさんしか会わなかった。車は渋滞気味なのに。)

・この時期は涼しい日は寒い
・食事は安くて多い。美味しい。

・家は広い

・路線バスは少ない
・高速バスは更に少ない
(今、下りの高速バスが停まったけど、二人降りたら運転手さんだけの客無しバスになった)

・雨が多い。スコールみたいな感じ。(内地の人は「こっちの人は傘をささないんだよ」なんて言ってたけど、そもそも人が歩いてませんから~!)
・若者は色白が多い


・花は勝手に咲いてる
・草は気ままに育ってる
・木は伸び伸び根を張ってる
・ジャングルの鳥達が朝だけ会話する

・人は案外あくせくしてる(ように見える。軽自動車でちょこまか移動してるイメージ)

・海は静かに笑ってる


・新住民の僕は戸惑ってる(汗)

木曜日, 4月 10, 2008

住まい探し


急な異動&赴任は、いろいろな手続きを面倒にさせ、果たして越せるのか!?って感じ。
とはいえ、何しろ今の横浜の住まいは月末までに引き払う話をしちゃったから、もう待てません。


何軒も見た中から「ポイントまで歩きで行ける」「職場に歩いて(チャリ)いける」のは一軒しかない。これにしよう。
なんか広い(3LDK+倉庫+P2台...笑うしかない)けど、母も来るかもしれないし。

丘の上、どう考えても、何処へ行くにも「行きはよいよい帰りは・・」なのだが健康のためにはいいであろう。車は、、、、そのうち考えよう。
後は手続きがうまくいくことを願うばかり。来週手続きが確定するはず。頼むよ~!

火曜日, 4月 08, 2008

うるま二日目


朝、宿を出て近くを散歩。

宿のあるうるま市曙は、ちょうど岬の高台に向かう所。坂道の入り口近く、もちろん海側に向かう。

朝の鳥の声がジャングルを思わせ、南の島感が漂う。

住宅街を抜け、海岸沿いの米軍向けの住宅地に。

海は高台から見下ろす感じ。ボードを積んだ車が止まる、そのまま映画になりそうな家。(映画になりそうな家って何だ!?)


この海岸沿いの住宅も借りられそうだ。

不動産屋さんの電話をメモする。

朝食はシャケと目玉焼きと味噌汁。内地風でした。

・不動産探索状況

物件を現地確認したのが5軒ほど。候補2件。

探しているうちに、サーフポイントも確認できたので、電話だけで済ませている不動産屋さんにも条件の追加を連絡。

午後、15:00。宿に戻って情報整理。

今日は歩き疲れた。ホントならレンタカー借りるんだよなぁ。

いや、折り畳み自転車を持参すればいいかな。。。

沖縄初日



那覇空港を降り立つ。
出張でも旅行でもない初めての気分での沖縄。

高速バスを待つ間、建物を出てタバコを吸う。
懐かしい南国の香り。
バンコクの空港を降り立ったときに感じる熱帯の香りが混じる。

高速バスで揺られる間、奇妙な緊張感に包まれる。
今まで感じたことのない、独りで、知る人のいない街に向かう気持ち。
これが、北国なら演歌が似合うところなんだけど、東田トモヒロを聞きながら「♪ココはオキナワ」と口ずさむ。


新しい職場は全般に日焼けした男性とUVケアが行き届いている女性の職場。
正確には大人の事情で出向なのだが、デスクから何から自社のオフィスと同じ。
久しぶりに自社に戻った感覚。交通費精算だとか、なんやら、8年前と同じで喜び、違ってて感慨に浸り、まぁ、打ち合わせは出たけど仕事はしてないな。


夜。7:00過ぎに会社を出て、多分3Kmほど歩いて民宿「やすま」に向かう。
これから向かうと電話すると、食事付で予約したのだが今日は忙しくて食事の支度ができないという。それも仕方ない、途中の食堂で夕飯を済ませる。
そば定食。たっぷり美味しい。Orionビールを飲み宿に向かう。


宿は驚くような作り。2DKのアパートをそのまま宿にしている様子。
まぁ、虫が出なきゃいいかな。

明日は一日住まい探しです。

土曜日, 4月 05, 2008

古くて新しい仲間

「なんかちょっと宗教がかってんじゃない」
きっと坊主頭のイメージもあって言われちゃったんだけど、さすがに中年の危機をまんま受け入れ乗り越えず(汗)、好き勝手に遊び呆け、辿り着いた「侘・寂」ってとこかな。(笑)


実際、そんな趣のある風流な話ではなくて、侘しかったり、寂しかったり、を、ようやく感じて受け入れられるようになって来たのだと思う。
受け入れざるを得ないようになってきたのだと思う。


夕べの集まりは古い仲間だったけど、僕の立ち位置が変わったせいか、みんな新鮮に感じたなぁ。立ち位置がどう変わったのか、というと、
「楽しいなら幸せ」「地道になんてやってらんない」「普通はつまんない」「Go Go 自分!」
から、
「とりあえず普通に地道にやってみて考えよう」に変わった、というか変えようとしている。
やってみて、やっぱつまんないじゃんっヤメヨッて思うかもしれないけどね。



人生で一番古い仲間は母親。
久しぶりに長い時間一緒に過ごした母は、帰りに敷石に足をとられ転んでしまった。
擦りむいたぐらいで怪我らしい怪我はなくて安心したんだけど、怪我の痛みより、老いを感じて落ち込んだ姿に、ただ手を差し伸べるぐらいしか出来なかった。


明るく老いていこう!(なんだそりゃ)

木曜日, 4月 03, 2008

今日、新しい感情が芽生えた。

今夜、先日離れたばかりの職場の仲間(といっても先輩ばかり)、しかも、正確には客先の仲間からの送別会に参加しました。


あの時はどーだった、お前はよくやった、いやダメだった、宴も盛り上がり終盤には酔っ払っているのにもかかわらず随分マジな、自分たちがこれから進む道なんかも話題に上がっていた。自分個人のことではなく、これからの自分たちのチーム、組織、会社、親会社の事を本気で思っていることが痛いほど伝わった。


終盤、強い酒を止めてウーロン茶を飲みながら、みんなを眺めていると、無性に嬉しい気持ちが溢れてたまらなくなった。僕はこんなに仲間を愛する気持ちに溢れた人達に囲まれていたのだ。たまらなかった。


仕事仲間、今までずーーっと、そこは不可侵のビジネス領域だった。だと思ってた。
でも、今夜、それは間違いだと気がついた。僕の好きな戦争映画の最前線の仲間たちと何も変わらない世界(表現は不適切だけど・・)がそこには確実にあった。


ありがとう。
僕の新しい職場も、こんな職場にしていきたい。仲間と呼べる職場に。

※酔ったまま感傷的な文章になったかもしれないけど、本当にすばらしい職場でした。

火曜日, 4月 01, 2008

異動


今日から新しい職場に異動した。
新しい職場といっても、今日は都内のプロジェクトオフィス。
来週からいよいよ、希望した地方への職場へと向かう。

配属の挨拶、慣れない顔。聞きなれない用語。
まるで、社会人一年生のような地に足のつかない一日。

予想はしていたが、知り合いもいない全くの新天地である未経験の事業部。
業界も違うので、用語も聞きなれない言葉が飛び交う。

そんな昼過ぎ、ようやく探したタバコ部屋で一服していると、若者から声をかけられる。
そういえば、挨拶したときに見た顔だ。
タバコ部屋コミュニケーションはここでも活きていた。
だからタバコはやめられない。(と言い訳しておこう。やめる気ないんだけどね。)

写真は先週末に部屋の床でお亡くなりになっていた"くまん蜂"。
可愛そうに、せっかくの春に、こんなところに迷い込んで。。
どうしようか考えた挙句、窓から外の木立に投げて土に返しました。

異動(卒業)


今まで、空気のように自然に毎日通ったオフィス。
東京タワーの見える、東京タワーからも見える、すばらしいオフィス。
たくさんのまじめで優秀な人たちが、夢のために、生活のために、歴史のために、なにかしらのために活動するオフィス。


異動に当たってたくさんの仲間から温かい言葉を貰った。
いまさら、もっとできる事があったのに、、、と少しの後悔と、照れと、寂しさ。


ザ・日本企業よ、グローバルスタンダードという米国式性悪説拝金主義に負けるな。
お金より職人や職業人の誇りが称えられる社会では、性善説がスタンダード。のはず。
虚業>金融サービス>その他のサービス>モノ作り>食べ物作り>実業
でなければ、もう、社会は、地球は、もたない。

写真は卒業記念に頂いたものです。ありがとう。

日曜日, 3月 30, 2008

お花見


今日は花冷え。雨まで降っている。


この「花冷え」とか「花曇り」とか、この時期だけ、花をかけた言葉にはどんな言葉があるのだろうと、ふと思い、調べてみた。そもそも、こういう言葉は「桜言葉」というのだそうだ。
そもそも、「桜言葉」という言葉がWikipediaやYahoo辞書なんかにも無い言葉で、定義とかはよくわからなかったが、慣用句の中での一つのカテゴリーになるのかな。


http://www.gos1dos1.jp/otogiyahp/sakura/gogen/sakurakotonoha.htm
ここにいくつか紹介されていました。

さて、今日は桜雨ともいうそうで、桜雨は桜に降る雨と桜の花びらそのものを雨に見立てた場合の二通りの意味があるそうだ。
興味深かったのは、
・花篝(はなかがり)
かがり火なんだけど、夜桜を見るためのかがり火をこう呼ぶのだそうだ。
・桜狩(さくらがり)
野山の桜を、一つ一つ訪ね歩き見ること。
・零桜(こぼれざくら)
満開になった桜が散っていく様子。
・花の雫(はなのしずく)
鼻水じゃないよ。花から滴り落ちる露なんだそうだ。
・花雪洞(はなぼんぼり)
なんと桜のトンネルはこー呼ぶらしい。
などなどなど。

僕のお気に入りは掃部山(かもんやま)~伊勢山の辺り。
みなとみらいをバックに、夜桜を楽しめるのがいいな。

桜は花に顕る(顕はる、、、と表記が正しい?"あらわる"と読むようです。)
普段、何の変哲も無い雑木と変わらない木が、花を付けたときに桜だとわかった。
=>目立たない人も機会があれば才能を表す、とか
=>心に留めなかった人もきっかけがあれば最愛の人になる
のように使われるようです。
なんか、日本的で回りくどくって大好きだなぁ。こういう言葉。

金曜日, 3月 28, 2008

天使と悪魔

全然深刻な話ではないが、職場で私はちょくちょく「悪魔」と呼ばれる。
本人は天使のつもりでいるのだが、悪魔と評する人達の意見は概ねこうだ。
「普通ならびっくりどきどきするような大胆なことを、気がついたら自然にやらされてしまう」
「やりたくないと思っていたことも、なんとなく納得してやってしまう」
「普通の大人は言えないようなキツイ事を、とてもふんわりと、でもしっかり言われる」
・・・・
いいんだか悪いんだかよくわからないが、いずれにせよ、↑こんな形の尻尾があるんだそうだ。まぁ、評されるということは、評されないよりはよいのだろう。ありがとう。


Flashアニメの中でも秀作の(音楽と絵がバッチリ)Radiskullを久しぶりに見て、そんな事を思い出したのでした。

火曜日, 3月 11, 2008

うーむ


いつ、何を、どうしたらいいのか、、、ではなく、普段からどう生きるかが問われているんだね。だから、僕が(多分、世間のレベル的には上出来な)言葉をいくら弄しても意味がない。

そんなんで僕は、午前中の行っても行かなくてもいい社員証更新をパスし、確定申告をまとめ、夕飯のご飯を仕掛けて昼ごろ出かけたのでした。お財布忘れてたし。

そんなんでも、夕飯はしっかり食べました。たまねぎ豚肉炒め、ほうれん草と油揚げの味噌汁、田舎から持ってきてもらった辛シソとわさび菜のしょうゆ漬け。



明日はiのオジさんの退職祝いの飲み会。

またまた味芳菜です。

♪明日のことは明日考えよう。♪

土曜日, 3月 08, 2008

夕べの夢

あまり夢は覚えていないタイプなんだけど、夕べの夢は1シーンだけ記憶がある。


多分仕事場で仕事をしていて、誰かと話してるシーンでの出来事。

ちょっと離れた所に知り合いの誰かがいるんだけど、

(この辺り、知り合いだという事は覚えているのに誰かは記憶が無い。

きっと、夢を見ている時も映像として見ている部分と、夢の中で考えている部分があるのかな。)

その人の頬から、ビヨーーーーーンと、20センチばかりの太いひげが生えてるの。


遠くからでも漫画みたいにビヨーーーンと生えていて、誰も不思議に思ってる様子も無くて、僕は誰かとの話が上の空になるほどガン見している。


そんな風景。誰だったのかなぁ。

何か、会社で言いたいのに言ってないことが気になっているのかなぁ。


↓この鼻の下のひげが無くて、ビヨーーーーンだけ生えている人を見た。

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元上司の憂鬱

先週、5年ほど前までいた職場の同僚との飲み会があった。
その飲み会は皆から慕われ尊敬される上司を囲む会なのだが、彼はいわゆる年齢からの転職(民間の天下りですな)し、今は別の会社に籍を置く。


僕 は鈍いので直ぐに気がつかなかったのだが、その時に彼から「(離婚してわびしい日々を送っているに違いない)お前の人生でよかった事は今の会社に転職でき たことだな」と言われ、彼特有の意地悪発言だと、それにしては相変わらず失礼な発言だと、その後、多分、彼とゆっくり話す事も無く(参加人数も多いんだけ どね)、まぁ楽しく終えた。


夕べ、その言葉を思い出した。
確かに、言葉の通りに失礼だと初めは思っていたのだが、よくよく考えると、「お前は直ぐに考えなしに行動するが、しっかり歩みなさい」と言いたかったのだと、突然、確信した。


はぁ、お礼の連絡をしよう。また「お前はバカ」と言われようとも。

水曜日, 2月 20, 2008

テスト

汐留が一発変換できない理由がわからない。
ちなみに屠殺場も変換できない。こちらは放送禁止用語なんだとか。じゃあ、屠殺場は放送ではなんて呼ぶんだろう。。。

火曜日, 2月 12, 2008

復活!(リスペクト!地球!)


人生で初めて「字幕もセリフもナレーションも無い映画」を見ました。



いくらリスペクトしてもし足りない全ての生命に感謝。

意外だったのは、工業的に生産されるパプリカの収穫後の風景。収穫を終えたパプリカの幹が「ゴミ」になるところ。

パプリカの幹は食べないし、枯れた幹を捨ててるだけなのに、「ゴミ」扱いしている事にショックを覚えた事は見終わったあと、「何であのシーンが引っかかるんだろう??」と考えさせられました。



あれは、食べる生き物←直接食べないけど食べる生き物が必要とするもの=茎/葉=水/土=空気=地球、、

って言うことを映像で見せられたんだろうなぁ。



わかっちゃいるけどきっついシーンはたくさん。

でも、見たあとから、普通に(牛肉はさすがに・・)食事する自分。

一人でも、ちゃぁんと、「いただきます」「ごちそうさま」をして食べなくちゃね。



※少しずつ父の事(昨年亡くなりました)やらなんやら書きながら復活させます。

土曜日, 5月 19, 2007

1% for the planet


イヴォン・シュイナードのLet my people go surfing(社員をサーフィンに行かせよう)を読んだ。

思いがけず、ウルウルくるような本でした。驚きました。

で、今、自分がこれから何をするのか、自分の生活をどう変えていくのか考え中。

彼の取り組みの成果の一つが、1% for planet、なんだけど、参加企業をざっと眺めて、日本の企業は僕には見つけられませんでした。

っていうか、このページが英語とフランス語なんだよね。

とりあえず、参加企業をざっと眺めて、参加ミュージシャンの一覧がありました。

Music & Entertainment というカテゴリーで、

22over7、A Walk On Water、Adventure Film Works、Andy Baker、Angling Exploration Group、Artfag, LLC、

Bixby、Brushfire Records、Escalante Design、Jack Johnson、Kendal Mountain Film Festival、Megan Slankard、Melissa Larkin、Michael Smith Event Music、MOP Media、Nine Mile、Partisan Arts、Powers Philms、Rattle Can Films、Rock, Read, and Roam!、Roger Clyne & The Peacemakers、Satelllite Films、Sustainable Vine Wine Tours、The Moonshine Conspiracy、This is Lea、Three Pin Records、Venture Media Group、Woodshed Films

とありました。

僕が好きなJack Johnsonが!!

ということで、また。

水曜日, 2月 21, 2007

尊敬する人

父の見舞いに行った。



末期の咽頭癌。

半年ほど前からハスキーボイスで、家族が病院に連れて行こうとしたが、頑として聞かず、先週、ようやく診断を受けた。



声はほとんど出ない。入院治療開始前の週末、家でいつもどうりに過ごしていた。



いつものブスくれた態度。もはや長年の付き合いの家族には、それが機嫌がいい悪いではなく、父そのものだと、家族の風景に化した父の姿。



「痛みは無い」という父の言葉に首を傾げる医者。

そうなんだよ。父は痛みを感じないわけじゃない。痛みを認めない、そういう人なんだ。



痛みを表現しても何も生み出さない。父はそう信じて疑わない。人とのコミュニケーションを嫌い、あかしやさんまを大嫌いだと言う父。



日常会話すら自分勝手な、ましてや僕達息子への教育なんて成り立たない偏屈なオヤジ。休日は常に競馬場。ギャンブラー的な自営業は貧乏大臣の繰り返し。酒は何十年も欠かさない。

最近では風呂に入らない事も定番化。



でも、あなたは自分の痛みを認めない。痛みを訴えない。それが父が生き様を通して僕に教えてくれた事。

土曜日, 2月 03, 2007

コロンボは地名 or 刑事?

恥ずかしいことだが、今日、スリランカの首都がスリジャヤワルダナプラコッテだと知った。コロンボだとばかり思ってました。


で、無知の言い訳にしかならないが、調べると1985年にコロンボからスリジャヤワルダナプラコッテに遷都させている。



この1985年がミソで、この時に社会人で新聞を読んでいれば、名前こそ空では言えないがコロンボで無くなった情報が、記憶のどこかに留められたであろう。

一方、1985年に学生、それも大学入学前の学生であればスリランカの首都を何らかの学生の知識として覚える機会に恵まれたであろう。



さて、この時にいずれにも属さないプーだった僕は、"スリランカの首都はコロンボ"情報を後生大事に墓場まで持っていきかねない状況だったわけだ。



ということで、1985年を境にコロンボのイメージがああだこうだと変わることにちょっと驚いた金曜の夜なのでした。